もしかしたらさ、俺でも勝てるんじゃないかって思った。
莫迦みたいに強い熊畜生と何十年も戦った。何百年もの間、毎晩練習を続けてきた。だから、どうにかなるんじゃないかって思った。
けれども、俺の全力を込めた渾身の右ストレートは、この牛畜生を一瞬怯ませるくらいしかできなかった。
頭に血が上っていたのか、禄に霊力も込めずに食らわせた一撃はその程度の力しかない。
その結果、右腕が折れました。何コイツ。皮膚硬すぎじゃね?
燃えるような右腕の痛みを必死で歯を食いしばり耐えてはみたが、耐えたところで牛畜生の攻撃を躱せるはずもなく、莫迦みたいにキツい一撃を霊力で身体強化をする前に喰らった。
さらに、吹き飛ばされた俺に追撃として、腹へ一発。両足に一発ずつの踏みつけ。
そんな攻撃のせいで、両足は砕かれ腹の中も大変なことになっているだろう。反撃なんてできるわけもない。
けほりと咳き込めば血反吐は出てくるし、神経が逝ったのか、痛みすら感じなくなっている。
……ああ、こりゃあダメだ。
ちょっと落ち着かないと。
「あァ? 雨かよ。鬱陶しィ」
能力を使い、頭を冷やすために雨を降らす。
その雨の冷たさなんて感じはしないが、頭に昇っていた血も抜け、漸く冷静になってきた。
「んだよ。あのバケモノに飼われているから、多少はやるかと思ったら……まァ、所詮は人間か」
うっせー、さっきのはアレだ。ノーカンだ。
まぁ、うん……このままじゃ、終われないよなぁ。
自分が罵倒されることなど慣れている。その程度だったら笑って受け流してやるよ。けれども、こればかりは許せん。大切な人を馬鹿にされることだけは見逃せない。
お前だけには負けたくない。
「ったく、濡れちまったよ。んじゃあな、人間。精々あのバケモノに飼われたことを後悔しながら死ね」
後悔? アホか、そんなことするわけがないだろう。
可愛い女の子と一緒に暮らす。しかもペット? それ以上の幸せなど存在するはずがない。
薄くなり始めた視界の先で、牛畜生の足を振り上げるのが見えた。
この傷だ。放っておいてもどうせ俺は死ぬ。それなのに、わざわざ殺してくれるとは……
まさか、地獄に来て死ぬことになるとはねぇ。なんとも不思議な人生だ。
そして牛畜生の足が振り下ろされると共に、俺の視界は暗くなった。
――――――――
「にゃーん」
最初に聞こえてきたのは、そんな声だった。
それは聞きなれた声。
そして頬をザラザラとした何かで舐められた感覚。あっ、ちょっと痛いです。
よっ、お前も来てくれたんか。そりゃあ、嬉しいよ。お前もご主人が馬鹿にされ、さぞご立腹だろう。
ちょっと待ってろ。直ぐに終わらせてくるよ。あと危ないから退いててくれ。
身体を確認。
腕、動く。脚、動く。腹の痛みもない。
うむ、五体満足だ。
最近はどうにも格好をつけ過ぎた。身の丈に合わないことをやり過ぎた。
とりあえず、そんな名誉は返上。そんなもの俺には似合わないしな。
俺の降らした雨のせいで、きっと体は泥塗れだろう。うん、それでいい。それがいい。
綺麗である必要などないのだから。
何処かへ追いやり、こっそり隠していた汚名。今はそれがほしい。
右手で幽香の傘を握り、左手で神便鬼毒酒の入った瓢箪を掴む。
酒を口の中へ流し込み、吐き出しきれなかった血反吐と共に飲み込む。鉄臭くて不味いったらありゃしない。
体が軽くなり、力が溢れ出す感覚。
良かった、どうやらまだ効果は残っていてくれたらしい。
限界まで霊力を高め、ゆっくりと立ち上がる。
「……どうしてまだ生きてやがる。何者だ、てめェ」
酒をもう一口。決して美味くなんてない。ああ、萃香の酒が懐かしいな。またいつかあのお酒を萃香と一緒に飲める日が来るのかねぇ。
「ふぅ……一つ、教えてやるよ」
「あァ?」
誰にだって譲れないものがある。例え他人からそれを馬鹿にされようと、声に出さなきゃいけないことがある。
「可愛い女の子がさ、好きなんだよ」
「はァ?」
「だからさ、俺は可愛い女の子が好きなんだ。可愛い女の子のその笑顔が、その泣き顔が、その怒り顔が、その困り顔が、その照れ顔が、その真顔が好きだ。笑顔で喋りかけてくれれば、俺も嬉しくなるし、泣き顔をしていれば慰めてあげたくなる。怒り顔をしていれば、もっと口汚く罵ってもらいたくなり、困り顔をしていれば何かできることはないかと、助けてあげたくなる。照れ顔をしていれば、その真っ赤に染まった頬をそっと撫でてあげたくなるし、真顔ならいくらでも見続けられる。そんな可愛い女の子の多種多様な、ありとあらゆる表情が好きだ。可愛い女の子のその行動が、その仕草一つ一つが俺の癒しとなり、俺に力を与えてくれる。声をかけられれば気分は高揚し、罵られれば興奮する。そこに可愛い女の子からの愛情が合っても無くてもだ。可愛い女の子と手を繋げば何処へでも行けるし、可愛い女の子から応援なんかしてもらってみろ。それだけで俺はどんな奴よりも強くなれる自信がある。例えこの俺の想いが一方通行だとしてもそれは構わない。可愛い女の子と一緒にいるだけで、可愛い女の子を見るだけで充分だ。それほどに俺は可愛い女の子が好きだ。大好きだ。心から愛していると誓える。俺にとって可愛い女の子ってのはこの世界にある、ありとあらゆるものの中で一番大切な存在なんだ。だからな……お前みたいな可愛い女の子を汚すようなクソったれが俺は――大嫌いだ」
「……バカかテメェは?」
「なぁ、感情不細工。お前は何もわかってないみたいだから教えてやる。可愛い女の子と比べ、てめぇのような存在がどれほど小さなものか教えてやるよ」
さて。
さてさて。
汚名挽回といきましょうか。
神便鬼毒酒も飲み、霊力での身体強化もできる限りはやってある。これが俺の限界。どうにも、格好の悪い戦いの始まりとなってしまったが、これくらいがちょうど良い。
相手のペースを崩し、汚く姑息にいかせてもらう。
クルリと傘を半回転させ、傘の先端を握る。さらに右手に力を込め、ギュッと握る。今宵の傘は血に飢えてるぜ。
牛畜生の顔面は硬いことはわかった。
霊力で強化した今の俺なら、違う結果になるかもしれないが、あまり博打には出たくない。
――じゃあ、どうするか。
んなもん決まってる。絶対に柔らかい場所を全力で押し潰すだけだ。
この牛畜生は確かに強い。強化してない俺じゃあ、絶対に勝てない。
しかしだ。あの熊畜生と比べればこんな奴、怖くもなんともない。
先程から必死で振ってくる奴の腕など、あの畜生のパンチと比べれば遅すぎる。繰り出される蹴りは畜生のローリング・ソバットと比べれば隙だらけ。
攻撃は大振りで、コンボ技もしては来ない。全ての挙動がまるでバラバラ。お前と俺じゃ、越えてきた死線の数が違う。
「クソが、ちょこまかとッ!」
しかし、鬱陶しいことにどうにもこの牛畜生、なかなかにタフだ。ちょこちょこと体へ霊弾や水弾を当ててはいるが、なかなか怯まない。むぅ、一瞬でも怯めば此方のもんなんだが……
一瞬で良い。一瞬でも隙ができれば、あの技を使える。
きっと奴の攻撃を喰らえば、かなりダメージを受けるだろう。だが、喰らう気はしない。
お前の攻撃はあの畜生と比べて、圧倒的に速さが、重さが、そして何より絶望感が足りない。
奴の拳を鼻先を掠らせながら躱し、その顔面へ霊弾と水弾を一発ずつぶつけ、奴の後ろへ。
霊弾と水弾を混ぜたのが良かったのか――漸く奴が怯んだ。
「ッつ……鬱陶しィ!」
ずっと……ずっと待ってたよ、この瞬間を。
そして怯んだ奴の両足の間へ傘を入れ込む。
さようなら。
でも、お前とはもう二度と会いたくはないかな。
“穿突”
「んおッほォォォおおおッ!!」
いや、うん……お、俺の勝ちだな!
とりあえず、泡を吹いて倒れている牛畜生には無理矢理、神便鬼毒酒を飲ませ、着ていた服は全て血の池の中へ沈めておいた。
そして、掘った穴の中へ牛畜生の上半身を入れ、そのきったねぇ尻へ――
『ご自由にお使いください』
と、落書き。
後は知らん。まぁ、コイツだって妖怪なんだ。それなりに丈夫だろう。
「にゃーん」
「おう、終わったぜ。あんまりカッコ良くなかったけど、まぁ許してくれ」
牛畜生への制裁が終わると、あの黒猫が足元へ近づいてきた。お前もよく俺なんかに懐いてくれるよな。
神のお酒でドーピングをし、幽香の傘を借りてもこれが限界。俺にはその程度の力しかない。なんとも莫迦みたいな戦いではあったけれど、俺にはこのくらいが合っている。
しっかし、本当にさとりやこいしちゃんが此処に居なくて助かった。こんな場面を見られてしまったら、流石に不味い。
「だからさ、猫。このことは俺とお前だけの秘密だぞ」
「にゃん」
「ま、お前に言ってもわかんないよな」
ん~っと大きく一伸び。ポキポキと間接の鳴る音がなんとも気持ち良い。
泥だらけになってしまった服や体を水で洗い、水分を飛ばして一気に乾燥。戦闘ではなんとも使いにくい能力であるが、こう言う時ばかりは非常に便利な能力。
さてっと。
「そんじゃ、帰るとするか。さとりも、きっと俺たちの帰りを待ってるだろうしさ」
「にゃーん」
結局、さとりをどう助けてやれば良いのか、頭の悪い俺じゃあ答えは出なかった。
けれども、まぁ、俺は俺なりに頑張ってみようと思う。できないことはできないのだから。
それが正解なのかはわからないけどさ。
幽香さんの傘が大活躍でしたね
傘をあんな風に使っていることが彼女にバレたら何を言われることやら……
と、言うことで第53話でした
最初は戦闘シーンがこの3倍ほどありましたが、な~んかこの作品に戦闘は似合わないと思い、戦闘シーンを減らし、代わりにセリフを伸ばしました
それが正しかったのかどうかわかりませんが
次話は……未定です
では、次話でお会いしましょう