――此処は地獄。
自らさとりと名乗った少女にそう教えられた。
何の因果か知らないが、どうやら俺はそんな場所へ堕とされてしまったらしい。正直、たまったものじゃない。そりゃあ、日頃の行いだって良い方ではなかった。けれども、いきなり地獄へ堕とされるとは……
これも、今までの人生を悔い改めろってことなのかねぇ。やはり人生上手くはいってくれない。
しかし、地獄と言われても俺は地獄のことはさっぱりわからない。『じごくのそうべえ』的な感じのなんとも生温い地獄なら助かるだろうが、アレは絵本のお話であって、実際そんな優しいものではないだろう。
それに、俺は軽業師でも山伏でも歯抜きでも医者でもない。どの道助からないか。
困ったね、こりゃ。
「そう言えばさ、どうしてさとりは地獄なんかにいるんだ?」
やはり俺みたく他人によって堕とされたのだろうか。家もあるのだし、観光ではないはず。それに地獄なぞ好き好んで来る場所ではないしな。
「……地上から逃げてきたんです。私たちは、自分の意思で此処へ来ました」
……うん? 逃げてきたの? 何からだろうか。
まぁ、きっと変態とかだろう。さとりや、こいしちゃんみたく可憐な少女ならいつ変態に襲いかかられてもおかしくはないのだから。
うんうん、きっとそんな辛い過去があったんだろう。それなら俺は何も聞かないよ。
「あら? こいしちゃんが見当たらないけど、あの娘はどうしたの?」
さっきまで、居たと思うのだが。
ん~……いつの間に消えたのやら。
「もう、あの子は……たぶん、また何処かへ遊びへ行ってしまったのだと思います。いつもそうですし」
唐突に遊びへ出かけるんだな。随分とお転婆なお嬢さんなことで。まぁ、そんな彼女だって俺は嫌いじゃあない。活発な女の子……ありだと思います。
ふむ、しかしこれで、今此処にいるのは俺とさとりだけなのか。つまり二人きりか。
ふむ……ふむ。
「……変態」
何故そうなる。何も言っていないでしょうが。それに心は読めないと言っていたはず。
あれ? 実はもしかして、バッチリ読めてる? ちょ、ちょっとプライバシーの侵害ですよ。
まぁ、それはそれで興奮するが。自分へ正直に生きていれば、恥ずかしがることなど何もないのだから。
「何を考えているのか、わかりたくもありませんが、先程も言ったように貴方の心は読めませんよ。ただ、断片的な声だけは聞こえてきます。死ねばいいのに」
さとりさんって意外と辛辣なのね……出会ってまだ数分なのに酷い言われようだ。ただ、安心して欲しい。そんなジト目で俺へ暴言を吐いてくる君だって心から愛していると、此処に誓おう。
「……私は家の中にいるので、何か用があれば声をかけてください」
そう言ってさとりは家の中へと入っていった。
えと……俺は、どうすれば良いんだ?
特に何かをやってくれと頼まれたわけでもなく、何をすれば良いのかさっぱりわからない。これから一緒に暮らしていくのだから、何か役割は欲しい。
自由にしてろってことなのかねぇ。そんじゃ、ま、適当に地獄観光と洒落込みましょうか。
そして、出かけようとした俺の足元に、一匹の黒猫が『にゃお』と鳴きながら近づいてきた。
「うん? お前も一緒に行ってくれるのか? そりゃあ、嬉しいよ。一人だけじゃ寂しいもんな」
可愛らしいことで、やっぱり犬畜生よりは猫の方が俺は好きだ。犬畜生にはトラウマを植えつけられたばかりだし。
近づいてきた黒猫を、優しく抱き上げ、尻尾を少しばかりずらして確認。ふむ、雌か。
「はっはー、お前の大事な部分が丸見えだぜ」
引っ掻かれた。
俺、なにやってんだろう……
機嫌を損ねさせてはしまったが、それでもどうやら一緒について来てはくれるらしく、一匹の黒猫と一緒に出発。
地獄と言えば、鬼共が蔓延り現世で罪を犯した者共が悔い改める場所。灼熱地獄や針の山、血の池地獄など禍々しく、恐ろしい場所。そんなイメージがあった。
確かに地面は赤みを帯び、まさに怨霊と言ったような人魂がふよふよと浮いている。血の池地獄も見つけた。てか、俺が落とされた場所だった。
そんな地獄のような部分もある。けれども、彼方此方から楽しげな声や、美味しそうな匂いの漂う街のような物があるとは知らなかった。何ここ、本当に地獄なの? 随分とまぁ、楽しそうじゃないか。
「おい、そこの兄さん。新鮮な人肉が入ったんだが、ちょいと寄ってかねぇか?」
「おおぅ? 初めて見る顔だなぁ。人間みたいな格好してるが、お前は何の妖怪だぁ?」
「酒だぁ、酒、もってこい!」
これが地獄ねぇ。想像していたより遥かに騒がしい場所だ。
あと人肉はいらん。んなもん、食いたくもないわ。
見たところ、俺と同じような人間は一人もいない。鬼のような見た目に牛や馬、犬や見たこともない動物とどいつもこいつも、ごつい奴らばかりだ。
一応、二足歩行をしてはいるが、人型の妖怪はほとんどいない。なんとも、まぁ暑苦しい場所じゃないか。
酒や食べ物の匂いが溢れ、喧嘩でもしているのか、怒声のような音も聞こえてくる。五月蠅いったらありゃしない。しかし、愉快な場所ではある。さとりだって、あんな何も無い静かな場所じゃなく、こっちに住めば良いのにな。五月蝿いのは嫌いなのかねぇ?
その時の俺はそんなことを思っていた。さとりが地獄へ行かなければいけなかった理由なんて考えもせず、そんな無責任なことを。
それは少し考えればわかること。しかし、そんな少しのことも俺にはできなかった。
お金なんて持っていないため、何も買うことはできずプラプラと並んだ屋台を横目に歩いていると、見覚えのある帽子を被った緑髪を見つけた。
「こいしちゃんじゃん。何やってんの?」
ボーっと何かを見つめ、何を考えているのかはわからない。
そう言えば、こいしちゃんも姉のように心を見ることができるのだろうか? 姉妹なのだし、できてもおかしくはなさそうだ。
「あーっ、さっきの」
おう、さっきのだぜ。
あまりフラフラしているとお姉さんが心配するよ?
「んで、こいしちゃんは何やってたの?」
「さぁ?」
さぁって……
まぁ、そう言う時もあるか。目的もなくふらふらと出歩くことだってあるもんな。
「青は何をやっていたの?」
「此処がどんな場所なのか知りたくてさ。この猫と一緒にフラフラと探索していたんだよ」
「そっかぁ」
それにしたって、地獄にしては随分と優しい場所だな。悪いことではないが、なんだか気が抜ける。
「こいしちゃんはこの後、どうする? 何処か行きたい場所とかは?」
「ううん、特にないよ。そろそろ家に帰る」
あら、そうなの? ん~……ホント、この娘は何をしに来たのだろうか。なんとも掴み所の難しい娘だ。
それじゃ、俺も帰ろうかな。どうせ、これから当分は此処で暮らすことになるんだ。焦る必要なんてないだろう。
極々自然な流れでこいしちゃんと手を繋ぐことにも成功し、今は二人と一匹で帰宅の途中。可愛い女の子と手を繋ぐ。それはどれほど幸せなことか。
「こいしちゃんもさ、さとりのように人の心を読めたりするの?」
「私は読めないよ。閉じちゃったもの」
閉じちゃった? 何のことだ?
そんな返事をしたこいしちゃんを見ると、ふとその胸の辺りにあった目ののような物が目に止まった。
そう言えば、さとりもそんな目みたいなのがあったよな。確か、さとりの場合は開いていたと思うが……
閉じたと言うのは、これのことか?
「人の心ってね。黒くて、濁ってて、あまり綺麗なものじゃないの」
足元にあった石を蹴り、ポツリポツリとこいしちゃんが話し始めた。
まぁ、人の心はそうだろうな。いくら表面上を取り繕うが、その中身までは変えられないのだから。
「それを見るのが嫌だったから、私は閉じちゃった」
ん~……心を読めるってのは便利そうではあるが、本人たちからしてみればそうではないってことなのだろう。
それは仕方が無いこと……なのか?
「だからね、私はもう大丈夫。だけど、お姉ちゃんは大丈夫じゃない。お姉ちゃんはまだ開けたままなの。それはすごく辛いことなんだ……ねえ、青」
「うん?」
「お姉ちゃんを助けてあげて」
俺が此処へ堕とされて、まだ数時間程度しかいない。そんな俺だから、この古明地姉妹のことはよくわからない。こいしちゃんの言った、さとりを助けると言う意味だってよくわからない。
「……ああ、任せとけ」
それでも、こんな可愛い女の子からの頼まれたことなんだ。それなら俺は全力で取り組まなければいけない。
「うん、ありがとう」
俺の答えに、笑いながらこいしちゃんはそう言った。
俺にできることは少ないけれど、できるだけのことはやってみるよ。
「「ただいまー」」
こいしちゃんと仲良く帰宅。
猫も一緒にいたけれど、これはもうデートと言ってもおかしくはないだろう。地獄でデートと言うのも斬新ではあるが、もう少し寄り道とかしていけば良かった。
まぁ、機会などいくらでもあるか。
「おかえりなさい」
俺たちの声に気づいたのか、さとりが迎えに来た。
さて、さてさて。早速動かせてもらおうか。
こいしちゃんに頼まれてから、自分なりに考えてみた。助けると言うその意味を。
一歩前へ進み、さとりの前へ。
「?」
こてりと首を傾げたさとり。
――そして俺は、優しく彼女を抱きしめた。
「そうじゃねーだろ」
こいしちゃんにぶん殴られた。
難しいね。人助けって。
と、言うことで第50話でした
前作は50話で終わったので、どうやらこの作品は今まで書いた作品の中で一番長くなりそうです
そろそろ主人公の好感度を上げておかないと追い出されそうですね
次話も地獄でのお話っぽいです
頑張れさとりさん
では、次話でお会いしましょう