「なあ、神奈子。空ってどうやったら飛べるんだ?」
朝食を食べ終わり、のんびりとくつろいでいる神奈子に訪ねた。
諏訪子から愛の篭った右ストレートを顔面にくらったせいで、どうにも顔が痛い。一見、俺が諏訪子に襲いかかり、ただ返り討ちにあっただけに見えるがそんなことはない。きっと諏訪子は恥ずかしかっただけだ。まるで汚物を見るような目をしていたとかそんなことはない。
その諏訪子はと言うと、今は寝ている。まぁ、夜通し起きていたのだし仕方が無いのかもしれない。
「うん? 空を飛ぶ? でも、青は霊力もないし空は飛べないだろう?」
まぁ、以前ならそうだったのだろう。しかし、今は課題の一つ目もクリアし、あの説明が正しければ霊力も使え、空だって飛べるはず。
ああ、能力も変わったと言われたな。確か『湿度を操る程度の能力』だったと思う。
しかしねぇ、いくら湿度を操れるようになったからといって、女の子にモテるようになったわけでもなく、自分が強くなったとも思えない。
どうせなら『姿を消す程度の能力』とか『透視する程度の能力』が良かった。湿度を操ったところで何ができると言うのだ。洗濯物を乾かす時は便利そうだが、残念なことに俺は洗濯物係をさせてはもらっていない。干してある洗濯物に近づこうとするだけで、殴られる。
だから今のところ能力には興味が無い。それよりも空を飛んでみたい。
「いや、今は霊力だってあるし、空も飛べるはずなんだ。でも霊力の使い方や、空の飛び方はさっぱりわからないんだよ」
諏訪子には俺の事情は説明してあるが、神奈子にはまだしていない。これからも一緒に生活するのだろうし、説明をしておかないとだ。
「そうなの? 何があったのかは知らないが……そうだね。空を飛ぶ時は……ん~、難しいな。説明しづらい。まぁ、飛ぼうと思えば飛べるよ」
なるほど、わからん。
もう少し頑張って説明して欲しかった。アレだ、神奈子は教師に向いていないな。何事も直感で覚えるタイプみたいだし。今度、指導案とか書かせてみようか。
「つまり、どうすれば良いんだ?」
「いや、だから説明できないわよ。私は初めから飛べたし。青だってどうやって呼吸しているの? とか、どうやって歩いているの? とか聞かれたら困るだろう? 私にとって空を飛ぶって言うのは、そんなものなんだよ」
ふむ、それなら確かに説明するのは難しそうだ。
じゃあ、仕方無い。考えていても始まらないのだ、とりあえず色々と試してみることにしよう。
「了解。じゃあ、俺は外で飛ぶ練習でもしているよ」
「はいよ、行っておいで」
そんな会話を神奈子としてから、なかなかの時間がたった。未だ飛ぶことはできていない。てか、飛べる気がしない。なんだよこれ、どうすんだよ。
「ほら風だ。風を掴むんだ青」
「空は飛ぶものじゃない、駆けるものだよ」
そんな俺をからかうかのように、言葉をかけてくる二柱。どうやら、漸く諏訪子も起きたらしい。少し黙っていてもらえないだろうか。こちとら真剣なのだから。
空を飛ぶと言うのは、きっと自転車に乗るようなものなのだろう。一度コツを掴めば後は一気にいけるはず。しかし、そのコツを掴むことが俺にはできなかった。
少し高い所から飛び降りてみたり、目を瞑り集中してみたりなど、色々なことを行った。それでも俺の体は少しも浮こうともしてくれない。ホントに飛べんのかこれ?
昼食を挟み午後もまた飛ぶ練習。進展のない俺に飽きたのか、二柱はのんきにお昼寝を始めていた。何? お前ら暇なの? 仕事しなさいよ。
既に日は沈み始め、赤く染まる西の空。結局、コツやきっかけなんて掴めず、ただただ立っているだけの一日となってしまった。現実はいつだって無情だ。
「ふわっ……ん~、なに? まだ青は飛べてないの?」
大きな欠伸をしながら諏訪子が言った。
飛べないものは飛べないのだから仕様が無い。
「ん~……ああ、良いこと思いついた」
「うん? どんなことさ諏訪子」
そして俺を無視して話し始める二柱。
しっかし、どうしてこうも飛ぶことができないのだろうか。普通ならもっと簡単にいけると思うのだが……
「ほら、危機的状況に追い込まれれば、力が覚醒するとかあるでしょ? それやってみようよ」
不穏な言葉が聞こえた。
なるほど、諏訪子はまだ寝ぼけているようだ。
「なるほど、それは良い考えだ。それで、どうするのさ?」
ああ、ダメだ。この流れはダメだ。
どこが良い考えなんだよ。どう見ても死亡フラグです。本当にありがとうございました。
「青を崖から突き落とす」
俺の知っている中では、一番の笑顔で諏訪子が言った。
切り立った崖の上。高さは80mと言ったところか。
もし落ちたら余裕で死ねます。
必死になって抵抗もしてみたが、無理でした。頼みの神奈子も、諏訪子から俺が死ぬことはないことを伝えられると、あっさり諏訪子側に付いてしまった。
「青だって私に嘘はついていないでしょ? 信じているよ」
諏訪子が言った。そりゃあ俺だって嘘をついているつもりはない。ただ、これまで一度も死んだことがないのだから、不安しかない。
「さあ、行ってきな青」
さらに言葉を落とす諏訪子。どうやら神様の思考回路は人間のそれとは違うらしく、俺には何を言っているのか理解できない。
……はぁ。
うん、どうやら逃げることはできないようだ。
覚悟を決める時が来た。
真っ赤に染まった沈みかけの太陽が眩しい。足は震え、下から吹き上げる風の音が聞こえた。
よし、逝ける。
大きく深呼吸。気持ちを切り替える。
覚悟なんてありもしないし、自信だってない。けれども何故か失敗する気はしなかった。
「じゃ、ちょっといってくるわ」
二柱に声をかけ、何も続いていない崖の先の空間へーー全力で跳んだ。
「えっ、ちょっ! ホントに……」
僅かに聞こえた諏訪子の声。けれども、もう後には戻ることはできない。
さあ、物理の時間だ。
この崖から飛び降りたとき、俺が地面に叩きつけられるまでの時間は? ただし、質量55kg、高さ80m、空気抵抗係数0.24kg/m、重力加速度9.8m/s^2とする。
答えは4.279秒。つまり4秒と少し。それまでに飛ぶことができなければ、約120km/hの速さで地面にぶつかる。死は免れないだろう。
4秒――充分過ぎる時間だ。
風を切る激しい音が聞こえる。右目からは涙が流れ、夕日が目に染みる。全身の血の気が引く感覚と、頭の割れるような頭痛が襲う。飛びそうになる意識を捕まえ目を閉じる。
あの二柱の言葉が頭に浮かんだ。
『ほら風だ。風を掴むんだ青』
『空は飛ぶものじゃない、駆けるものだよ』
冗談半分で言われた言葉が頭の中をぐるぐると回る。時間はもうほとんど残されていない。
考えている時間すらも惜しい。
風を掴み、空を駆ける。もう考えるな、感じろ!
風を切る音がうるさい。近づく地面。
そして、たどり着いたひとつの答え。
これ、無理だわ。
結局、そのまま飛ぶこともできず、全身に感じたことのない衝撃を喰らったところで俺の意識は途切れた。
目が覚めると、少しだけ黒色が混じったような白い空間に立っていた。灰色の空間とでも呼ぶべきだろうか。
この状況を考えるに、どうやら俺は死んだのだろう。つまり此処は死後の世界ということになる。
しかしだ、俺は死ねない。じゃあ、此処は何処だ?
そして――先程から此方を見ている女性は?
「良い天気じゃな」
そう言って、緑色の着物を着た女性は俺に話しかけてきた。
しかし、まぁ、ただ飛ぶだけなはずなのに丸々一話使い、結局飛べなかったこの主人公はどうなんでしょうか?
もう少し頑張ってもらいたいです
次話では、そろそろ諏訪を抜けてもらいたいですね
課題もクリアしてもらわないとですし
では、次話でお会いしましょう