毎日の始まりは『おはよう』の一言から始まる。たったそれだけのことでも、これがあるのとないのでは、大きく違う。だから俺は今日も声に出すのだ。一日が始まったことを知らせるために。
「おはよう。諏訪子」
俺はそう言って廊下で会った諏訪子に挨拶をしたが、諏訪子はぷいっと俺から顔を反らせた。どうやら、先日のことをまだ怒っているらしい。
これは困った。ただでさえ好感度は低かったのに、あの事件のせいで好感度メーターはマイナス方向へ振り切ってしまった。土下座による謝罪も行ったが、諏訪子は受け入れなかったし、こちらから話しかけても無視される。
どうしようか……諏訪子が怒っている原因は俺が裸を見たからだろう。それなら、俺の裸を見せれば許してもらえるのではないか? いやいや、落ち着け。どう考えたって二次災害が起きる。
――ホント、どうしたものか
「……おはよう、青」
うだうだ考えていると、神奈子が声をかけてきた。しかし、声に元気はないし何処か眠そうだ。きっと昨晩、俺に付き合ってずっと起きていたからだろう。申し訳ない気分になる。
「おはよう。神奈子」
「いやぁ、流石にちょっと眠いね。うん眠いから寝てくるよ」
そう言って、神奈子は自分の部屋の方へ行ってしまった。きっとお昼すぎくらいまでは起きてこないだろう。どうかゆっくり休んでください。
その後、神奈子を抜かしての朝食を食べるとき、廊下で会ったときなど諏訪子に声をかけ続けたが全て無視された。あれだな。ここまで無視されると意外に心へくるものがある。
いやはや、どうしたら許してもらえるのかね。居心地が悪いったらありゃしない。一緒に朝食を食べていた巫女さんも、俺と諏訪子の様子にあたふたしていた。このままではいけない。
お昼を過ぎたあたりで漸く神奈子が起きてきた。俺と諏訪子の様子を見て、何かおかしいとは思ったのだろうが、神奈子は何も言わなかった。たぶん、一人でどうにかしろってことなのだろう。
うん、できるだけ頑張ってみるよ。
しかし、結局その日は何もできないまま夜になってしまった。本当なら寝なければいけないけれど、どうしても寝る気にはなれない。それに、この寒い冬の夜は考え事をするのにちょうど良い。
自分の部屋を出て、冷え切った廊下を歩く。吐き出す息は白くなり、まさに冬と言った感じだ。今晩も星を見ながらのんびりと考えるとしよう。
そして、いつもの縁側へと行くとそこには諏訪子がいた。
思わず息を呑む。
「……本当に青は寝ないんだね」
――神奈子の言ってた通りだ。
諏訪子が久しぶりにかけてくれた言葉。嬉しさ半分、驚き半分と言ったところ。身体が固まる。
「そんなに身構えなくても大丈夫だよ。別にそんなに怒っていたわけでもないし……ただ、ちょっと混乱していただけ」
諏訪子はそう続けた。それにしても、どうして諏訪子が此処にいるのだろうか? 今までこんなことは一度もなかったのに。
「そんな所に立ってないで、こっちに来て座りなよ」
ぽふぽふと自分の隣を叩きながら諏訪子が言った。それじゃあ、お邪魔します。
なんかやたらと緊張するね。こういうのはどうにも慣れない。
「記憶がないってのはさ、どういう気分なの?」
……いきなり難しい質問がきた。思っていることは色々とあるけれど、それを言葉にするのは難しい。
まぁただ、一つ言えるのは――
「とにかく不安な感じかな」
自分の過去には何もなく、未来は何も見えない。真っ暗な闇の中に、自分だけが放り込まれたような感覚になる。そのまま闇に飲み込まれてしまいそうで、そのことがどうにも不安だった。
「そっか……」
俺の言葉に、諏訪子はそう答えた。そして痛いほどの沈黙が続く。
降り積もった雪は音を吸ってしまう。一人でいるときは感じなかったが、わずかな音すらしないこの静かな空間は、思った以上の寂しさを感じた。何かを喋らなければいけない。しかし、言葉は出てこない。
沈黙は続いた。
こんなとき何を喋れば良いのだろうか? ヤバい、下ネタしか出てこないぞ。
「青はさ……どうして私と神奈子が一緒にいるのかとか、疑問には思わなかったの?」
諏訪子が口を開き、沈黙が終わった。良かった、どうやら下ネタを言わなくて済みそうだ。
「そりゃあ、疑問にくらい思ったよ。俺はお前たち二人の間で何があったのか知らないのだから。けれどもさ、それは昔のことなんだろ? それなら俺からは聞かないよ」
昔のことがどうでも良いとは思わない。だけど、いつまでも過去に捕らわれているわけにはいかないのだ。立ち止まることだってできない。だから見えない道だろうが、なんだろうが進まなければ。
「…………」
俺の答えに諏訪子は何も言ってくれなかった。諏訪子の様子を確かめると、空を見上げていた。それに習って俺も空を見上げると、今日も星が綺麗に輝いていた。今まで何度もこの星空を見てきてわかったが、どうやらこの世界の天体は俺のいた世界と同じらしい。
おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンからなる冬の大三角。やっぱり星空は冬の方が綺麗らしい。
「過去に行くことってできないのかな?」
諏訪子がぽそりと呟く。その言葉に俺の心臓が大きく跳ねた。過去に行く方法ですか……
「どうやら、上手くいけばできるっぽいよ。ただ、もし過去へ行けたとしても……」
そこで俺の言葉は止まった。良いのか?ここから先の言葉を伝えても大丈夫なのか?
――いや、自分で言ったじゃないか。過去に縋ることのできない俺は、前に進まなければいけないのだと。
「行けたとしても?」
転生前の俺は、どう言う気分だったのだろうか。自分の記憶を消し、未来の自分へ全てを託すと言うのは。
そして静かに一度呼吸をしてから俺は言った。
「記憶は失われる」
まぁ、俺がそうだったってだけで、もしかしたら違う方法だってあったかもしれない。それにここは、元の世界とも違う。けれども、なかなか上手くはいかないみたいだ。
「えっ、じゃあ青って……」
諏訪子がこちらに顔を向け見つめてきた。
今なら自然な流れでキスができそうだが、なんとかその衝動を抑えつける。流石に空気くらいは読めます。
「詳しくは俺もわからないけどね。どうやらそう言うことらしい」
もう少し説明が欲しかった。ホント、人生の攻略本がほしいよ。
「そうだったんだ。それで青は私たちが知らないことを知っているんだね」
漸く話をしやすい空気となり、それから俺は俺のことを。諏訪子は諏訪子のことをお互いに語りあった。流石にこの世界がゲームの世界と言うことは言わなかったけれど、用意された課題のこと。寿命のこと。そして記憶が元に戻ることも話した。
諏訪子は神様として祟られたこと。この国のこと。そして神奈子との戦争のことの話をしてくれた。
難しいことはわからないけれど、どうやら諏訪子も色々と思っていることはあるらしい。神様ってのも楽ではないみたいだ。
そんなことを長い間語り合っていたせいか、東の空が赤くなり始めていた。また今日も寝ることができなかったけれど、悪い気分ではない。
両腕を真上に伸ばし、凝り固まった身体に刺激を与える。
太陽が顔を出し、朝日が地上を照らす。また今日も一日が始まる。だから俺は今日も口に出すのだ。一日が始まったことを伝えるために。
「おはよう。諏訪子」
「うん、おはよう青。ふふっ、ずっと一緒にいたのに変な気分だね」
笑いながら諏訪子が返してくれた。やはり挨拶は返してもらった方が気持ちが良い。
「なあ、諏訪子」
「なに?」
まだまだ寒い日々が続く。
春は待ち遠しいけれど、冬と言う季節も悪くはない。
「キスしよっか」
ぶん殴られた。
いや、いける空気だと思ったんだよ。
こんな真夏に冬の話を書いていると、頭がおかしくなりそうです
と、言うことで第4話でした
話がなかなか進みませんね
いつになったら諏訪を抜けれるのやら
次話もきっと諏訪のお話です
そろそろ能力も使ってあげさせたいですね
感想・質問何でもお待ちしておりますが、なくても隠れた迷作を目指して頑張ります