「起きないな」
「どれだけ飲んだのよ……」
朝になりルーミアは起きたが、郵便屋が起きない。
規則正しい寝息をしているし、寝苦しそうには見えない。ただ寝ているだけだとは思うが、やはり飲ませすぎたらしい。
さて、どうするか。このまま、郵便屋が起きるのを待っていても良いけれど……
「どうするルーミア? このまま、待つ?」
「いい、私がコイツを背負っていく。前もそうだったし」
なんて、ルーミアは言って、ひょいって感じに郵便屋を背負った。
ずるい。俺もやってほしい。女の子におんぶしてもらいたい。
「……あんたにはやらない」
まぁ、そんなことだろうとは思ったが。
やはり、この二人の仲は良いのだろう。そのことが、少しだけ羨ましかった。俺にも、そんな信頼できる相手のできる日が来るのかねぇ……
「そう言えばさ、前も郵便屋を背負ったことがあるって、さっき言っていたけど、その時の郵便屋も飲みすぎて起きなかったの?」
郵便屋を背負ったルーミアと二人で諏訪へ向けての旅を続ける。もう諏訪までのかなり近くなったのか、最近は山の中を歩くことが多くなってきた。
山と言えば熊。熊、怖いです。
「うん、鬼の里へ行った時に今日と同じような感じになった」
鬼の里ねぇ……なんでそんな場所へ行ったのやら。
もしかして、萃香も其処へ行っているのだろうか?
「あと、天狗の山へ行った時もこんな感じになった」
……なんだか、郵便屋が可哀想になってきた。笑う門には福来るなんて言葉もあるけれど、この郵便屋、幸薄そうだしなぁ。
それにしても天狗、か。あの手紙に書いてあったが、東方のキャラの中にも天狗は何人かいたはず。
けれども天狗と言えば、山伏の装束に身を包み、一本歯の高下駄を履き、葉団扇を持った赤ら顔。さらに、長い鼻。高い鼻の女性は好きだが、長い鼻の女性を好きになれるかと聞かれると、少々怪しい。赤ら顔はまだ許容範囲内。
長い鼻か……どの程度のものなんでしょうね?
まぁ、天狗にも色々な種類があったはず。全ての天狗が長い鼻、と言うわけでもない気もするが。
ん~……今気にしたところでどう仕様も無いか。その時に考えれば良いのだ。
その後も、ルーミアと会話をしながら、山の中を歩き続けた。例のごとく、いつものように現れてしまった熊はルーミアが美味しくいただいた。一人旅なら確実に俺は殺されていただろう。ルーミアには感謝だ。
そして、日は既に真上を越えたところで、漸く郵便屋の目が覚めた。
「起きます」
そんな言葉がルーミアの背中から聞こえた。
おお、ようやっと起きてくれたか。
「って、あら? 悪いねルーミアちゃん。もう降ろしてくれて大丈夫だよ。ありがと」
「ん、いい。いつものことだし」
この二人の出会いとかは、どんな感じだったのだろうか。人見知りなルーミアが此処まで懐いているのはなんとも不思議な気分。この二人の話を基にした小説の一本くらいは書けそうだ。
「いやぁ、お酒はどうにも苦手で……」
なんて言って郵便屋は笑った。少しばかりふらついている気もする。大丈夫?
貴方って苦手な割に、お酒を飲むのは好きだよね。まぁ、苦手だから嫌いとか、得意だから好きと言う話ではないが。
「それでルーミアちゃん、あとどれくらいで諏訪へ着くのかわかる?」
「あと一日あれば着くと思う」
あら、もうそんなに来ていたのか。別に方向音痴と言うわけではないが、そんなに近づいているとは思わなかった。
それにしても、よくルーミアはそんなことがわかるな。ああ、そう言えば、諏訪へ行ったことがあるのか。俺の場合、諏訪から出たことはあるが、諏訪へ行くのは初めて。それに、出た時もちゃんとした道を歩かなかったしな。
諏訪も久しぶりだ。あれから数百年。きっと人里も変わってしまっただろう。変わらない街並みは優しいが、変わってしまった街並みも悪くはない。
「ん? てか、ルーミアみたいな妖怪が諏訪の中へ入っても大丈夫なのか?」
諏訪子や神奈子に怒られそうだが。俺は妖力とかを感じることはできないが、アイツらならわかるだろう。
それに、この郵便屋だって人間ではない。大丈夫だろうか。
「前に来た時は大丈夫だった。そんなに長居もしなかったし」
あら、そうだったのか。それは良かった。
ん~……それは別に良いのだが、そもそもこの二人は何の用事があって諏訪へ訪れたのだろうか? 郵便屋と話をした時は、俺以外の相手にお届け物をしたことはないらしいが。観光なのかな?
相変わらず疑問は尽きない。
郵便屋の意識も戻り、また三人での旅が始まった。
今までのように、明るい内に進み夜は休憩。流石にその日の夜、郵便屋がお酒を飲むことはなかった。
まぁ、ルーミアが止めなければ飲んでいた気もするが。学習する気が全く見えない。
貴方も存外自由だね。
そして、次の日。時刻は夕方と言ったところか。西の山へ沈んでいく真っ赤な夕日が眩しい。
その辺りの時間で懐かしい場所へ、漸く着いた。
信州諏訪。
思っていたよりは早く着くことができた……のかな? まぁ、着けたのだし良しとしよう。
懐かしい風景に懐かしい匂い。数百年経ったのにも関わらず、此処が諏訪なのだとしっかりと認識することができた。
さて、さてさてとりあえずあの二柱に挨拶をしないとだ。たった、一年ほどしか暮らしてはいなかったが、俺にとっての故郷はこの諏訪の地だろう。あの二柱も元気だと嬉しいが。せっかく帰ってきたのだし、何かお土産でも買っておけば良かったな。
ただ、その前に一つ問題がある。
諏訪に着いたのは良い。そして、此処は間違いなく、俺が過ごしたあの諏訪なのだろう。
けれども――
「な~んで、人が誰もいないんだ?」
諏訪へ着いたばかりであるため、確かにまだ人里の中心地にはいない。しかし、人影が全く見えない。
民家は見えるのだが……
「何処かへ出かけているのでしょうか?」
「……違うと思う」
郵便屋とルーミアが言った。
うん、俺も違うと思う。けれども、全く人影が見えないと言うのもおかしな話だ。これでは、まるであの時のようだ。
初めて俺が紫と出会ったあの時と同じような……
そんな俺の勘は当たっていたらしく、ゾワリとあの独特な不快感に襲われた。
神出鬼没って奴だろう。
「久しぶりね。青」
「久しぶりだな、紫」
誰もいなかったはずの場所へ紫が現れた。
はぁ、タイミングの良いのか悪いのかはわからないが、俺に何の用事だろうか?
ああ、そうだ。紫なら月へ行く方法を知っているのかも知れないのか。それはちょうど良い。
「んで、どうしたの?」
「これから月へ攻め込もうと思うの。それで、貴方も一緒にどう?」
ドクリと心臓が跳ねた。
郵便屋の顔を見る。いつものような、柔らかな表情だった。
「月ねぇ……何のためにさ?」
「ふふっ、貴方は知らないでしょうけれど、あの場所には地上にはない大きな力がある。私はそれがほしいのよ」
大きな力ってのは、まぁ、科学の力なのだろう。妖怪と科学……俺には相容れない二つに思えるが。
「そうだな。月への観光ってのも良いかもしれない。んで、どうやって月へ行くのさ?」
問題はそこだ。ロケットでも作ったのか? 正直、そんな技術がこの時代にあるとは思えない。飛んで行くはずもないだろうし。どうやって行くのやら。
「湖に映った月へ飛び込むの。普通なら表の月へしか行くことができないけれど、実と嘘の境界を弄ることで彼方の世界へ行けるようになる」
紫の言っていることは、よく、わからなかった。表の月とか、彼方の世界とか……けれども、まぁ行けるのなら問題ない。
「難しい話はわからないけれど、よろしく頼むよ。もう直ぐに行くのか?」
「ええ、そうね。もう準備はできているわよ」
ありゃ、せっかく諏訪へ着いたと言うのに……仕様が無いか。この時を逃してしまったら、課題をクリアする時がなくなってしまうかもしれないのだし。
そう言えば、郵便屋とルーミアはどうするのだろうか? 諏訪に用事があるわけでもないと言っていたが。
「その月への旅行に僕もついて行って良いですか?」
郵便屋が言った。
「貴方は?」
紫の問いかけ。
あ、あら? 紫は郵便屋のことを知らないのか? いや……じゃあ何故、紫が月へ行こうとしていたことを?
「僕はただの郵便屋です。まぁ、お邪魔することはありませんから」
「……別に構わないわよ」
「ありがとうございます」
怪訝そうな顔をして、じっと郵便屋を見つめる紫。
「貴方はいったい……」
「今の貴女では僕を操れませんよ。壊れていますし」
紫と郵便屋の言葉。
壊れている? ……何の話だ?
「まぁ、僕のことは別に気にしないでください。もう既に終わった物語なんです。今更、始めるつもりもありませんから」
なんて言って、郵便屋はいつものように笑った。
そんないつもの笑顔は少しだけ、悲しそうに見えた。
「……そうね。それでは、場所を移します。スキマの中へ入ってもらえるかしら? まだ時間はかかるけれど、その先にある湖に準備をしてあるから」
紫はそう言って、持っていた扇を軽く振った。
そして、その場所に薄気味悪い裂け目のようなものが。
えっ……これの中へ入るのか? そいつは、どうにも気が進まないのだけど。
そんな感じで、俺はこの裂け目の中へ入るのを戸惑っていたが、郵便屋は『懐かしいな』なんて言いながら、躊躇なくその中へ入っていった。それに続いてルーミアも。
よくこんな薄気味悪い中へ入っていけるな。それに懐かしいってなんだよ。
「ほら、青も早く行きなさい」
紫が言った。
はぁ、あまり時間をかけても仕様が無い。腹を括るとしよう。
恐る恐るといった感じで、俺もその中へと入っていった。
そして、気がつくと見覚えのない場所に着いた。
少しばかり、頭がぐるぐるし足元がフラつく。気持ちの良い感じではない。
目の前には大きな湖。何処だろうか? 諏訪湖には見えないが。
「此処は?」
「諏訪の地から、もう少しだけ北東に進んだ場所よ」
俺の問いかけに紫が答えてくれた。
諏訪の北東と言うと……上田や軽井沢辺りか?
「そう言えばさ。月へ攻め込むのは俺たちだけなのか?」
俺は戦力にならないから、実質的には三人だけ。
攻め込むとは言うにはあまりにも寂しい人数だ。これではただのタチ悪い観光客だ。
「流石に違うわよ。それなりの戦力は集めたつもり。ただ、アイツら暑苦しいから別の場所から月へ行ってもらうつもりよ」
ああ、そういうことね。それなら問題ない……のかな?
「ふふっ、まだ月が昇るまで時間はあるけれど、今宵は満月。楽しい夜となりそうね」
なんとも胡散臭い笑を浮かべて紫が言った。
月……か。
どんな世界が広がっているのだろうね? 輝夜と会えることができれば嬉しいが。けれども、そんな余裕はない気がする。
『まぁ、戦争と言っても此方から勝手に攻め込み、一方的にやられるだけですが』
あの時に言った郵便屋の言葉を思い出す。
太陽はもうほとんど見えなくなった。天気は晴れ。
しかし、どうにも雲行きは怪しい。
どうやら郵便屋がいると、この主人公さんなかなか巫山戯てくれないみたいです
何を遠慮しているのやら……
と、言うことで第30話でした
気づけば30話早いものです
諏訪の北東にある湖ってことで、北軽井沢にあるあの湖です
蛍が綺麗ですよね
ちょいと値段は高いですが……
次話は月での話っぽいですね
そろそろ主人公にもはっちゃけてもらいたいところですが、どうなることやら
では、次話でお会いしましょう