「あのっ! ちょっと待ってくれませんか?」
雨の中を一人でまた歩き出そうとした時だった。俺を呼び止める声が聞こえた。
女の子声だった。
声のした方を振り返ると、微妙に右側が長い緑髪で先程俺が地蔵菩薩に被せてあげた菅傘と同じ用な傘を被った少女の姿。超可愛い。
ん~……今まで俺の近くに人なんて誰もいなかったと思うが。ましてやこんな可愛らしい少女は絶対にいなかった。もしいたら、地蔵なんかを構ってはいない。
――何者だ? この少女は。
「どうしたの?」
この少女の正体はわからないが、せっかく声をかけてくれたのだ、無視をすると言う選択肢はない。もしかしたら、俺に一目惚れしたのかもしれないじゃないか。
まぁ、違うだろうが。
「先程は傘、ありがとうございました」
……うん? 傘?
確かに先程俺は、傘を被せてはあげた。地蔵菩薩に。それを何故この少女がお礼を言っているのだ? 今だって地蔵菩薩には……あら? 地蔵菩薩が消えている。おかしいな、確かにさっきまではあったのに。
幻……では流石にないよな。
と、言うことはだ。目の前にいるこの少女があの地蔵菩薩……ってことか?
いやいやホントかよ。ちょっと信じられんぞ。
……けれどもなぁ、他に考えようもない。きっと、そういうことなのだろう。
「ん、別に気にしなくても良いよ。俺にその菅傘は必要じゃないしな。んで、君は何者なのかな?」
俺の予想が正しければ、この少女は先程の地蔵菩薩なのだろうけれど、できれば名前とかも聞いておきたい。あと趣味とか、好きな男性のタイプに今履いているパンツの色なんかも。
「私は四季映姫と申し、地蔵菩薩の職に就かせていただいております」
ああ、やはりこの少女が先程の地蔵菩薩だったか。随分可愛くなってしまったものだ。うん、そういうの良いと思います。これからはアレだ。見かけた地蔵菩薩に親切をしてあげる必要があるな。まぁ全部が全部、映姫みたいな可愛い子が登場するとも思えないが。もしかしたら、ムキムキのおっさんとかが現れるかもしれない。
四季映姫、か。
ん~……あれ? 確か俺の残した手紙の中に、この少女の名前があったよな。あの手紙には閻魔と書かれていたはずだが……
あ~そう言えば、閻魔って地蔵菩薩の化身として同一視されていたんだったかな。どうにもその辺の知識は曖昧だ。
それにしてもホント、下手なことしなくてよかったよ。地獄逝きになるところだった。地獄へ逝くのは生前の俺だけで十分だ。
まぁ、逝かせるつもりはないが。
「俺は青。今は諏訪に向かって旅をしているところだよ」
できれば、俺の旅についてきてもらいたいところであるが、映姫には此処で人々を見守る仕事がある。旅に行くのは無理だろう。
出会えただけでも良しとしよう。
「そうでしたか……あの、何かお礼をしたいのですが」
むぅ、お礼なんていらないって言ったんだけどな。随分と真面目な女の子だ。まぁ、閻魔になるのならこれくらいじゃないとダメなのかね?
しかしお礼ねぇ……いらないって言っても無駄だよな。君と出会えただけで十分だよ。とか言ってみようか? いや、それは流石にキモいな。我ながらドン引きだ。
お礼、か。そうだな……
「んじゃあ、俺の妹になってくれ」
「…………」
ものすごい顔をされた。こう……なんて言うか、ゴミを見るような目だった。
あ、あれ? そんなおかしなこと言ったか?
本当なら彼女かお嫁さんになってくれと言いたいところを、一歩引いて妹になってくれと頼んだのだが……彼女になってくれの方が良かったか?
しまったな、チョイスミスだ。
「えっと……すみません。もう一度言ってもらえますか?」
「俺の妹になってくれ」
「黙れ。口を開くな。ちょっと其処へ座れ。正座」
映姫がキレた。
……ヤバい。どうしてだかわからないが、滅茶苦茶怒ってるよ。
映姫がもう一度言ってくれと言ったから、言っただけなのに黙れって……この理不尽さはなんだろうか。
「え……此処に? でも、雨降ってて地面は濡れてるんだが……」
「口答えするな。いいから座る」
「あっ、はい」
俺の意見を聞いてくれる雰囲気でもなかったため、仕方無しにびしゃびしゃな地面に正座する。どうしてこうなった。
問答無用と言う奴だろう。全くもって容赦がない。
しかし、アレだな。雨の降る中、濡れた地面に正座をして可愛らしい少女に説教をされる……これは興奮しますね。
「確かに、貴方が雨に打たれていた私に傘を被せたことは善行です。褒められる行いでしょう。ただ、その後そのことに付け込み、邪な考えを相手に押し付けるとは言語道断。何ですか? 妹になれって?」
「いや、上目遣いで『お兄ちゃん』と言ってもらい……」
「黙りなさい! まだ終わっていない。その口を開くな」
……これ、どうしようか。なんだ、妹になってくれと言う願いはそんなに道を外れた考えだったのか? 妹を持っていない全人類の願望だろうに。誰だって、一度は夢に見るはずだ。
可愛い妹から上目遣いで『お兄ちゃん』とか言われるのを想像してみろ。それほどの幸せなど存在しない。
まぁ、こうやって怒られるのも嫌いではないが。
「……続けます。善行をし良い人なのではと相手を油断させ、恩に付け込み、自分の欲望を相手に押し付けるとは、どういうことですか。そうあなたは少し淫猥すぎる!」
そんなことを言われても、他にお礼なんてものは思い浮かばなかったのだし、仕方が無いと思う。それに、最初にお礼なんていらないと言ったのだが……まぁ、せっかくこんな可愛い女の子が俺のために、ぽこぽこと怒ってくれているのだ。もう暫くは耳を傾けてあげるのも良いかもしれない。
たまにはこういう事も悪くはない。
最初はそんな感じで、まぁ、数分もすればこのお説教は終わるだろうと思っていた。
けれども、この少女の説教はなかなか終わらない。俺が今までどんな人生を過ごしてきたのかを、根掘り葉掘り尋ねられ事あるごとにお説教を喰らう。
諏訪でのこと、幽香のこと、ルーミアのこと、輝夜のことなどなど……いつの間にか雨だって止んでいる。何時間俺は怒られ続けているのだろうか。
まぁ、頬を膨らませ、手をぶんぶん振って怒る映姫は可愛らしく、見ていて飽きることはなかったが。やはり、一度で良いから『お兄ちゃん』と呼んでもらいたい。もう一度頼めば呼んでもらえないだろうか?
このお説教が伸びるだけな気もするけれど。
「良いですか? これからは、そのような淫猥な考えを改め、不埒な考えも捨て、常に他人のことを思いやり生きなさい。それが貴方のしなければいけない行動です。わかりましたか?」
「……はい」
流石に、まだ日は沈んでいないけれど、雨も止み空は出発した時のように晴れている。良い天気だ。
どうやら、これで映姫の説教は終わりらしい。可愛らしい女の子と過ごす素敵な時間もここまでだ。
立ち上がってから、大きく伸びを一回。ポキポキとなる骨の音が心地よい。長時間座っていたこともあり、体はバキバキだ。
「私からの助言はこれで終わりです。私の言ったことちゃんと忘れないでくださいね」
ジト目の映姫。
大丈夫だよ。お説教の内容はほとんど忘れてしまったけれど、君と出会えたことは忘れない。
しかし、これで映姫ともお別れか……寂しくなるな。
またいつか会える日は来るのだろうか?
「うん、忘れないよ。ありがとう」
このまま別れるのも寂しかったので、俺はそう言ってから映姫に抱きついた。
「きゃあああああ!」
ぶん殴られた。
「そ、そこに座りなさい!」
どうやら第二ラウンドの始まりらしい。
日は沈み。辺りは既に真っ暗。
よくもまぁ、此処まで今日初めて会った他人のことを怒ることができたものだ。普通ならそんなことできやしない。ホント優しい性格の持ち主である。
「はぁ、もう夜ですか……随分と長く喋ってしまいました」
ぽそりと映姫が呟いた。
お疲れ様。
「青はこの後、どうするのですか? 今晩泊まる場所などは決まっていますか?」
「いや、決まってないよ。このまま、諏訪に向けて旅を続けるかな」
そもそも睡眠などいらない体。夜に休まないのは、まぁ、いつものことである。暗い中歩くのは大変だが今日は晴れ、月明かりで充分明るい。
「はぁ……他人を大切にしろと言いましたが、その前に自分を大切にしなければいけませんよ」
「ん~、そう言われてもな。前回の旅もそうだったんだ。だからこれでいつも通りだよ」
どうせ死んでも直ぐに生き返るのだ。それに、早く諏訪に帰ることができれば、此方に戻ってくるのも早くなる。萃香が早く帰って来た時のためにも、できるだけ早く行きたい。一人にしたら可愛そうだしな。
「それならば、その考えを治しましょう。自分を大切にできない人間は他人を大切にすることはできません」
全く、耳の痛い言葉だ。
しかし、これは譲ることができない。別に俺が困るだけならば良いが、自分の行動で他人に迷惑をかけるのは好かん。
「ま、もう少し時間に余裕ができたら考えてみるよ」
「むぅ……約束ですよ」
ぷくりと頬を膨らませる映姫。可愛らしいことで。
そして、悪いけれど約束をすることはできないかな。別に自分を大切にしていないわけではないけれど、これからも他人を優先するだろう。その相手が可愛い女の子ならなおさらだ。
「うん、善処してみるよ。それでさ、映姫っていつ閻魔になるの?」
さて、名残惜しいけれど、そろそろお別れの時間だ。いつまでも止まっている訳にはいかないのだ。
諏訪への道のりはまだまだ長い。今日なんてほとんど進むことができなかったしな。まぁ、こうして映姫と出会うことができたのだ。それは決して悪いことではないだろう。
「私が、ですか? いえ、そんな予定はありませんし、聞いてもいません。これからもこの場所で、地蔵菩薩を続けると思いますよ。そして何より私のような者に閻魔が務まるとも思えません」
あら、まだ決まっていないのか。俺の残してくれたあの手紙を信じるのなら、未来で映姫は閻魔になっているのだろう。ん~……それは出世と言うことで良いのか?その辺りの関係はよくわからないが。
「じゃあさ。もし、映姫が閻魔になっていたら……俺のこと『お兄ちゃん』って呼んでくれる?」
未来を知っているのだし、ちょいとずるい気もするが、まぁ、これくらいは許してほしい。だって、呼んでもらいたいんだもん。夢のためなのだ。
「はぁ、またそれですか。そうですね……もし私が閻魔になり、貴方が私の言ったことをしっかりと守っていたのなら、考えてあげましょう」
……それは、ちょっと厳しいかもな。
難易度が跳ね上がった。そもそも、不老不死である俺が閻魔に会う時は来るのだろうか?
ま、生きていれば会うこともできるか。悲観することは何もない。
「了解。夢のため少しだけ頑張ってみるわ。よし、そんじゃそろそろ行くよ。またな。映姫」
「夢って貴方……はぁ。はい、お気を付けて旅をしてください。私はこれからも此処にいますので、相談事などがあれば是非立ち寄ってください。話し相手がいると私も嬉しいですし」
なんて言って、恥ずかしそうに映姫は笑った。
うん、また会いに来るよ。それが此処なのか、閻魔になってからなのかはわからないけれど、きっと会いに行くよ。
軽く手を挙げ、別れを告げる。
なんとも時間はかかってしまったが、無駄な出会いなんかではなかった。天気も晴れ。明日も良いことありそうだ。
お説教だけで一話が終わりましたね
いつも通りです
と、言うことで第28話でした
ツッコミ役がいるとなかなか物語が進みません
次は誰がその役をやってくれることやら……
次話は決めてません
もしかしたら諏訪にいるかもしれませんね
では、次話でお会いしましょう