大内家の野望   作:一ノ一

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その七十九

 後世の歴史書に「南郷谷の戦い」と記述されることとなる大内家と島津家の激突は、三好家の仲介による和睦という形で幕を引いた。

 互いに痛みわけで終わった戦いの後に残されたのは、数え切れない戦死者たちの亡骸だ。それを大内家が派遣した黒鍬衆が埋葬していく。

 戦は終わった。

 後は、戦後処理を済ませなければならない。

 今回の戦では多数の問題点が浮上し、対応しなければならない課題も山積している。

 本音を言えば、今すぐにでも山口に戻って義隆に直接報告に上がるべきではあるが、もうしばらくは豊後府内に留まり、今後の対応を協議しなければならない。

 すっきり勝って終わっていれば、後腐れもなく勢いのままに問題点を解決していくこともできただろうに、今回は国人衆の暴走や壊滅もあって、色々と手を回さなければならないところが浮上してきたのであった。

 和睦に従い晴持は軍を退いた。

 府内に戻ってきたときには、雪の気配は遥か遠くに消えてなくなり、梅の蕾が俄に膨らみだしていた。水も風も、温かさを帯びる季節である。九国は、日本で最も早く冬が終わる。新たな季節を晴持は迎えようとしているのであった。

 晴持は、府内に戻ってきた。

 数ヶ月ぶりとなる府内の街は相変わらず活気に満ちていて、間違いなく博多と並び九国でも最大の賑わいを見せていることであろう。

 島津家との和睦がなったことで、島津家の北上が停止した。島津の将兵が府内に乱入すれば、この街は灰燼に帰していたであろう。それを防いだというだけで、今回の戦には価値があったのだ。多くの死傷者を出したこの戦いにも、意味があったのだと思いたい。

 久しぶりに帰ってきた自室――――といっても、大友家から借り受けている館のものではあるが――――で、畳に寝転がる。

 年初に取り替えた真新しいイグサの匂いが室内に充満している。

 晴持が府内に滞在するようになってから、この部屋は晴持専用になっている。戦で長期に渡って留守にしている間も、晴持以外の者が利用するようなことはなかったようだ。

 島津家というのは、晴持にとって最大の敵であった。

 そもそも、歴史の大まかな知識を有する晴持は、その知識を基にして物事を見てしまう悪癖がある。この世に生まれてずいぶんと経ち、晴持の知識がさほど役に立たないということは、実体験を通して理解している。

 道具にしても、物が溢れた時代を知る晴持からすれば不便極まりない戦国時代であるが、それを持ち前の知識を駆使して改善できるかといえば否である。

 結局はこの時代の技術水準で物事をやっていかなければならないし、晴持自身完成形を知っていても制作方法を知らない物のほうが多い。

 また、歴史上の事件についても、そういった事件があったことは分かるが、それがこの世界では何時起こるのか、また本当に起こるのかはまったく分からない。例えば本能寺の変は有名な出来事ではあるが、それが何年後に起こることなのかは、まったくの謎だ。それどころか、晴持の歴史知識が史実かどうかという保証もないのである。

 よって、活用できる知識は主に簡単な自然科学系と近代化以前の文化史くらいが関の山。大まかな各勢力の力関係や歴史上の有名人を要注意人物としてマークできるというのも、一つの取り得ではあるが、それも、大内家が大きく歴史を動かしている現状では、参考資料の域を出るものではない。

 学校の知識をそのまま当て嵌めていくパズルゲームは、何の意味も成さない。必要なのは、応用力や企画力といった教科書を飛び出した知恵である。

 そして、そればかりは発想力の問題でもあるので晴持一人では如何ともし難く結局は人に頼ることになる。幸い、大内家は発展途上かつ巨大な組織であり、人材には事欠かない。

 これまで大内家を牽引してきた原動力はそういった屋台骨を支える人々の存在であった。

 家臣があり、公家があり、寺社仏閣があり、町人があり、農民があり、それらが絡み合って形成される大内文化圏が、大内家を発展させている。

 巨大な勢力の誕生は文化を産み、それが各地に波及していく過程で影響力を強めていく。文化圏に囚われた者たちは、徐々に中心地に巻き込まれていく。最終的には戦をする意味すら失わせ、無条件で降服に追い込まれてしまうまでになる。

 文化というのは、それだけ強力な武器となる。

 そういった文化を破壊するのが、外から来る敵対勢力である。

 西洋ではかつて最強を誇ったローマが、フン族やゴート族によって衰退を余儀なくされたように、その文化圏に属さない勢力の突然の勃興は文化を武器にする勢力にとっては致命的であり、大内家には島津家こそが間違いなく天敵であったのだ。

 それを退けたことで、大内文化は命脈を保った。

 文字通り力を振り絞った島津家は、この戦いで体力を限界まで使い尽くしたに違いない。しばらくは身動きが取れないだろう。

 大内家も尼子家と島津家の二方面作戦を、龍造寺家との決戦の直後に強いられたことで、大きく力を消耗したが、十分に取り返せる範疇である。将来への投資と考えてもいいだろう。

 長く大内晴持を悩ませていた台頭する島津家という課題に一つの結果が出たというのは、彼にとって大きな成果であった。

 蓄積していた疲労もあって、眠気が押し寄せてきたとき、こちらに近付いてくる足音に気が付いた。

 身体を起こして、客人を出迎える。

 やって来たのは、大友晴英――――晴持の妹分を名乗る大友家の現当主であった。

「わたしだと分かっていたのか、兄上?」

 最後に会ったときとまったく姿容の変わらない金髪の少女は、どこか不満げに晴持に言う。

「足音で、何となく分かる」

「まさか。道雪や紹運ならばいざ知らず、兄上にそのような技術はないはずだろう?」

「そらそうだ。俺に足音で人を判別する技術なんてない。でも、晴英は別」

「何故?」

「特にこっちに配慮することもなく、ずかずか歩いてくるのは君だけだ」

 まるで我が物顔で、響く足音に気を止めない歩き方である。

 足音というよりも、足音の立て方に性格が滲み出ているのだ。

 ここは大友家の屋敷で、彼女は大友家の当主なので、自然な振る舞いと言えばそうだろう。もともと、晴持の従妹という立場でもあり、大内家の外様の中でも一番高い地位にいるのは確かだ。

 大友家の当主は、今でこそ大内家に臣従したが、そもそも義隆と並ぶ大大名である。勢力を大きく失ったとはいえ、豊かな豊後国を丸々領有している時点で、大内家のほかの重臣たちよりも巨大な所領を有している――――少なくとも数字の上では。

 実際のところ、大友家の当主が自由にできる所領は極僅かだ。

 室町幕府と同じように、家臣に所領を多く分け与えた結果、当主自身の所領が少なくなり、家臣たちの下支えに頼らざるを得ない状況である。また、そんな状況で家臣内で当主への反感が強まった結果が、大友家の没落を招いた。

 傍目からだと、大友家の没落は幕府の没落と同じような経緯を辿っているようにも見える。

「なるほど。それは、気付かなかったな。以後、改めたほうがよいかな?」

「別にそれくらいで目くじらは立てないから、一々こまごまと改めようとしなくていい。妹分なんだろ。私的な場面くらい、遠慮を抜きしたほうが、お互いのためじゃないか?」

「うん、まあ、そう言うと思ったよ、兄上ならばね」

 小柄な見た目の割りに、態度が大きいのも相変わらず。

 少し捻くれた性格なのは、出自や環境も大きいのだろうが、何よりも

「そろそろ、挨拶にいかないととは思っていたんだが……いいのか、また、政務を抜け出して」

「またとは失敬な。戦に出ないからといって、日がな一日遊んで暮らしているわけではないぞ。三好一行のあれこれもこっちで手配したのだからな。親守なぞ、目の下に隈を作るくらいだ」

「……きちんと労わないと、宗麟殿の二の舞になりかねないぞ」

 忙しい忙しいと嘯いておいて、家臣に丸投げしているのではないかという疑惑。

 実際、実務を有能な家臣に投げるのは、珍しいことではないが、過酷な労働環境を強いたのであれば、それに見合うだけの報酬なり労いなりはあって然るべきだろう、というのが平成を生きた人間の感覚である。

 三つ子の魂百までとはよく言ったもので、前世の感覚は戦国時代に生まれて二十年ばかり経つ今でも、晴持の感性に大きな影響を与えている。

「もちろん。親守には然るべき報奨を取らせているし、休みもやった。ただ働くだけでは、作業効率が落ちる一方だからな」

「そうか。ちゃんと、その辺は考えてやってるんだな」

「無論だ。当主とはいえ、好き勝手にできる立場ではないからな、わたしは。家臣は大切(・・)に扱わなければ、やっていけんのだ」

 晴英は担ぎ上げられた当主である。

 大友家が大内家との関係を深めるための道具という見方もできる。家臣たちが、彼女に求めたのは彼女個人の能力ではなく、その身体に流れる大内の血であった。

 大内家が健全で、大友家を凌駕する力を持ち続ける限りは、晴英の身辺は安全だ。彼女が晴持を兄と呼ぶのも、血縁関係にあるというだけでなく、大内家との良好な関係を家臣にアピールするためであった。

 何よりも家臣に心を許せないというのは、どれほどの孤独であろうか。

「それで、今、ここに来るのは問題ないのか?」

「そこは問題ない。無事、帰還された兄上の下に、非公式ながら戦勝祝いに来たのだ。文句が出るはずもないだろう」

 戦勝祝いは、戦が終わってから何度も受けている。

 大内軍は、形としては島津軍の北上の野望を挫き、北九州に安寧をもたらしたとなっている。当然、大内家の影響を受ける国人たちは我先に戦勝祝いをしに来ることになり、それへの対応も晴持を慌しくさせていた。

「いの一番というわけにはいかなかったが、それは豊後で後方支援に精を出していたからなので、悪く思わないで欲しいな」

「そんなことで悪く思ったりはしない」

「うん、まあ、そうだろうね。兄上ならば」

 晴英は、一人でうんうんと頷く堂々たる態度である。

 彼女が言うとおり非公式な――――プライベートな会話なので、晴持は気にしない。

「ところで、兄上はまた危なっかしいことをしたそうじゃないか。何でも、本陣にまで踏み込まれて、斬りかかられたとか」

「まあ、そんなこともあった」

「しかも相手は鬼島津だとか。よく生き残れたな」

「悪運が強い性質なのかもしれないな」

 鬼島津と呼び名の高い島津家の猛将島津義弘の突撃に、大内軍は一時押し込まれ、危うく晴持を討ち取られる寸前まで行った。

 味方の援護と島津軍の限界によって晴持は九死に一生を得た形になる。

「以前はうちの道雪ともやり合ったと聞いているし、信常エリだったか……龍造寺との対決でもあわやのところだったのだろう? やめてくれよ、大友の命運は兄上の生命にかかっているのだから、うっかり討ち死にされては大変困る。太守を失った今川がどうなったか、兄上が知らぬはずはないだろう?」

「俺だって死にたいわけじゃあない。まあ、今回は判断を誤ったのは、確かだ。そこは、反省してるよ」

 晴英の言うとおり、晴持が討ち死にすれば、その時点で大内軍は壊滅するし、勢いに乗った島津軍は大挙して追撃戦に出るだろう。そうなれば、真っ先に攻撃を受けるのは大友家だ。

 万が一、晴持が討ち死にしたら、大内家がどのような混乱に見舞われるか分かったものではないのだ。

 今川家は次代が跡を継いだものの、それ以前のような強大さは鳴りを潜めて、武田家と北条家の圧迫に苦しんでいるという。

 晴持はあくまでも次期当主という立場ではあるが、人望があり、家中の中心人物でもある。彼を失ったとき、大内家が今川家のような状況にならないとは言い切れない。

 万難を排するのならば、義弘が攻め込んできた時点で、晴持は後方に避難するべきであった。しかし、判断を誤り、義弘の槍が首に届く一歩手前まで状況を悪化させてしまった。結果的に踏みとどまれたからよかったものの、一つ運命が悪いほうに転がれば、今頃晴持の首は胴体から離れていた。

「実際のところ、兄上は武芸の名手というわけでもないからなぁ。雑兵なら何とかなるかもしれないが、一騎当千の猛者でもなし、敵と直接斬り結べば、どこかで討たれるのは、目に見えている」

「元親にも言われた。大将は生きることが仕事だとさ」

「長宗我部の? 珍しい」

「初陣で突撃した経験があるからだろうな」

 元親が晴持に諫言するのは、滅多にない。もともと接点もさほどない外様であり、武力の前に屈した過去があるため、どこまで好意的なのか測り難い。そんな彼女が、珍しく諫言してきた。それは、彼女自身が初陣で身の危険を顧みず、敵中に突撃して、敵の兜首を獲った経験からのものであろう。

 元親が危険を犯したのは、彼女自身が家臣に軽んじられていたため、武勇を示す必要があったからだ。しかし、晴持にその必要性はない。

 ついてくる家臣が数多くいて、晴持が命を失えば、家臣の全生命が危うくなる立場ならば、まず、自身の安全を確保するべきである、と。

「三度生き延びた実績は確かだが、次はないかもしれない。それは肝に銘じてもらいたい」

「分かってる。ずいぶんと心配をかけたみたいで、悪かったな」

「本陣に踏み込まれたと聞いたときは冷や汗ものだったぞ。討たれるのならば、わたしを孕ませてからにしてもらわないと。大友の将来のために」

「いきなり何を言ってるんだよ」

「大内家との繋がりがわたしの生命線だからな。兄上も、そこのところを弁えて欲しい」

「それは承知している。大友は今や大内家にとっても最重要な同盟者で、当然、晴英を悪く扱うことはない」

 肉体関係はまた別の話だが、九国に睨みを利かせる上で大友家は必要不可欠だ。

 大内家の家臣も同然の存在ではあるが、大友家の影響力は大内家を後ろ盾にしたことで、回復傾向にある。大内家とのパイプ役となることで間接的に九国内での力を取り戻しているのである。

 しかし、それは大内家という巨大な勢力が大友家の背中を守っているからである。大内家との縁を失えば、大友家は瞬く間に瓦解する。

 それを分かっているから、晴英は晴持と親しい間柄であると周囲に知らしめる必要があった。

 大内家から親族の一員であると認知されれば御の字で、晴持の子を産めば安泰といったところなのだろうが、それは政治的な影響が大きすぎるので、晴持もよろこんで手を出すというわけにはいかない。

「ま、それはそうとして、それで、伊東の処分はどうするつもりだ? 此度の戦では、伊東家の軍規違反が事の発端なのだろう?」

「伊東から、仲介を頼まれでもしたのか?」

「そんなところだ。大友も伊東と縁がないわけではないのでな。とはいえ、事が事だ。わたしもおいそれと引き受けることはできんから、回答は保留している」

 勝手に引き受けて期待感を煽っても、仲介に失敗すれば大友家の面子が潰れてしまう。

 今は伊東祐兵を暫定的に蟄居としているが、軍令違反の果てに晴持の身に危険が迫ったのである。お家取り潰しもあり得る状況であった。

「で、伊東の扱いはどうするのだろうか? 謝罪にやって来た家老たちを追い返したとも聞いているぞ」

「……そうだな。伊東の関係者とはまったく顔を合わせていない。当面、会うつもりもない」

「意外だなぁ。兄上は怒りを長引かせない人間だと思っていたが……」

「怒ってるわけじゃない。個人的にはな。だけど、伊東の先走った行動が、多くの死傷者を出したことについて、俺たちは看過しない姿勢を示さないといけないからな」

「そういうことか。伊東は戦々恐々としているだろうな。憐れなことだ。島津に踊らされたばかりに」

 島津家の手の者が内部にいたことは晴持に報告されている。

 それで大目に見るわけではないが、伊東家の扱いが難しいというのも事実だ。

 伊東家は大内家に助けを求めた国人の一つであり、旧領の一部を大内家に任されている立場だが、彼等には大内家の家臣になったという意識はない。あくまでも国境付近に領地を持つ国人の一つで大内家の庇護を受けているだけという程度である。

 また、大内家が日向国に討ち入った理由は、伊東家を救援することであった。そうなると、救援対象を潰してしまうのは、日向国の支配に遺恨を残しかねない。

 幸いなことに今回の戦では、大内家の策が破られたというよりは、伊東家の抜け駆けに対して非難が集中しているので、当面は伊東家にサンドバックになってもらいつつ、北九州の国人たちの家臣化を進めていくつもりであった。

 そしてゆくゆくは、伊東家を完全に家臣に組み込んでしまう。島津家との睨み合いが、まだ続く状況では、大内家と島津家が直接所領を接するよりも緩衝地帯としての伊東家を残したほうが有益とも思えた。

「伊東の件は置いておく。しばらくはな。九国は龍造寺の問題が残っているし、肥後北部の島津方国人たちもいる」

「赤星統家」

 大内軍と島津軍が睨み合っている間に、島津家と通じて兵を起こし、菊池城を奪った。

 赤星家は隈部家と城家と並ぶ菊池三家老の一つで、名門菊池家に連なる家柄である。肥後国の国人としても強い勢力を持っていたが、隈部家との戦いに敗れて追放されていた。 

 隈部家と城家は大内家に従う姿勢を見せたが、彼等と対立する赤星統家は島津家と結んで挽回の機会を狙っていたのである。

 統家が奪った菊池城は、大内家が領有を認められた北肥後に属している。

 そのため、彼の占有は認められず、早急に明け渡すよう要求しているが、応じる気配は一切ない。

「気骨のある武将だ。味方なら好ましいが、敵となると面倒くさいことこの上ない。あまり長引かせたくないもんだが」

「戦は終わったばかりで、すぐに兵を送り込むのも不味いか。田植えもこれからと考えると、赤星を攻めるのは早くてその後になりそうだな」

「島津は俺たちよりも多くの損害を被ったはずだ。赤星が救援を呼んだとしても動かないだろう。猶予は十分あるから、時間をかけて開城させればいい」

 そうは言っても、大内一色になるべき肥後国北部に染み付いた汚点とも見える菊池城は、本来ならば速やかに叩いてしまいたいものだし、そうすべきなのだが、何分、戦を終えたばかりだ。動くに動けないというのが実状である。

 ともあれ、島津家の北上という極めて危険度の高い問題は、一応の解決を見た。これにより、山口に迫る脅威は去ったため、折を見て晴持は帰郷することを決めたのであった。


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