大内家の野望   作:一ノ一

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その七十八

 九国の騒乱に、一つの転機が訪れようとしている。

 大内家と島津家との初めてにして最大の衝突は、多くの死傷者を出しながらも互いに決め手に欠き、厭戦気分が両陣営に漂うこととなった。

 事ここに至って、南郷谷の大内軍と島津軍は睨み合いを続けながらも和睦の可能性を模索し始めていたのである。

 とはいえ、当事者同士での話し合いなどできるものではないし、話し合いの場を求めることすらも困難である。

 和睦をしましょう、などと口に出せば、その時点で相手の風下に立つことになる。

 戦の勝敗は、家の存亡に関わる。

 兵を減らしての敗北は言わずもがなだが、負けたという評が広まれば、それだけで商人や寺社からの信頼を失いかねず、最悪の場合は自分に味方をしている国人たちの離反を招く。

 頼りにならない主家を見限り新しい勢力に就くというのは、この時代では珍しくないのである。影響力を保持するためにも、名目上でも勝利という旗は掲げなければならない。

 とりわけ、注目度の高い大きな戦ともなれば影響力は小競り合いの比ではない。

 交渉で決着を付けるのならば、少しでも自分に有利な状況に持ち込みたいと思うのは当然であり、自分たちから交渉を求めるのは、自分たちが不利な状況だと認めるに等しい行為であった。

 局地戦では、島津軍が大内軍に攻め入り、大いに引っ掻き回した。本陣に突入し、総大将である大内晴持を後一歩のところまで追い込んだという事実がある。

 しかし、その一方で島津軍はこの一戦に多くの将兵の犠牲を強いた。島津軍の残存兵力は、まだまだあるものの、使い物になる将兵が果たしてどれだけ残っているであろうか。

 島津軍の大攻勢を凌いだ大内軍に逆転の目があると見ることもできるが、大内軍も国人衆の壊乱や指揮系統の混乱、そして何より烏合の衆であることが露呈したことで迂闊な軍事行動には出られなくなった。

 軍内部の引き締めを図る必要があるという点で、大いに身動きが鈍ったと言える。

 両軍に戦の幕引きを図りたい事情があるが、それを言い出すわけにはいかないという事情もあった。最も近い第三者は龍造寺家だが、仲介能力は皆無に等しい。

 九国内に、大内家と島津家の双方の影響下にない勢力が存在しない以上は、中央に仲介を頼むしかないが、公家とも幕府とも大内家のほうが強い繋がりがあるため、島津家は誰が仲介に名乗りを上げても不快感を示すだろう。

 そんな中で、仲介に名乗りを上げたのは、畿内を牛耳る大勢力である三好家であった。

「……三好が出てくるか」

 義隆から書状が届いたのは、三月も終わりに近い田植えの時期が見えてきた頃であった。

 南郷谷には、一月以上も血が流れていない。

 それだけ、両者が疲弊しているということでもあった。

「三好家ですか」

「現状、それが最も現実的ではありますが」

 光秀と隆豊が悩ましいというかのように、表情を翳らせる。

 大内家にとって最も都合が良かったのは、公家の誰かに仲裁を依頼することである。自分たちに近い者のほうが、有利な状況で島津家と和睦できるからである。

 ところが、大内家は三好家とはさほど交流がない。

 将軍という権威を保持しており、四国では領地を接している強大な隣国だ。

 大内家以上に権威を利用できる立場にあり、軍事力も侮れないとなればなるほど島津家にとっても仲介役として相応しい相手ではある。

「仕方ない。うだうだしていても現状は動かない。有耶無耶のまま撤退するよりも、一つ区切りをつけたほうがいい」 

 厭戦気分はいまや極限まで高まっている。死臭の漂う戦場に、これからも残り続けるのは精神的にも辛いものがある。

 軍を維持するのも金がいる。無駄に戦を長引かせるくらいなら、仕切りなおして新たな対島津戦線を構築するべきであろう。

「尼子のほうも、上手くいったようだしな」

「左様ですか」

 義隆の報告には、大森銀山に展開していた尼子軍が撤退したとあった。

 かつてない規模で巻き起こった大内家の危機だったが、これで何とか乗り越えられそうであった。

「九国の心配は尽きないが、ともあれ一旦終わりにしよう。隆豊、後の交渉を任せる」

「承知しました」

 隆豊は緊張感に満ちた表情で頷いた。

 この交渉の如何によっては、南郷谷に再び血が流れることになる。

 隆豊の双肩に、大きなプレッシャーが圧し掛かることとなった。

 しかしながら、こうした交渉は隆豊にしか任せられない。大内家として、島津家と交渉するのであるから大内家の直臣が顔を出すべきであり、九国内の勢力と関わりがないほうが拗れない。

 交渉できるだけの事務能力がある直臣となると隆豊が第一候補となるわけだ。

 

 

 

 三好家の使者がやってきたのは、義隆の報告から半月後のことであった。

 わざわざ九国まで足を運んだのは、三好政権内で飛ぶ鳥を落とす勢いで発言力を高めている松永久秀であった。持ち前の交渉力を買われての抜擢である。また、彼女には三好家の重臣でありながら、幕臣としての立場も併せ持っている。

 ここで結ばれた約定は将軍の前で結んだも同然であるという受け取り方もできるわけだ。

 事前に三好家の使者たちが大内家と島津家から要望を聞き取り、ある程度まで条件の刷り合わせをしてから交渉に入る。

 島津家からは島津家の肥後国支配の正統性を認め、大内家の兵を退くよう要求された。

「何とふてぶてしい……」

 憤りを露にしたのは、宗運であった。

 彼女は島津家の北上によって領土を失った国人の一人である。主家から追放された以上、阿蘇家が島津家から独立しない限りは本領に戻ることもできない厳しい状況である。

 宗運としては、本領への拘りはもうない。阿蘇家に戻る意思がない以上、阿蘇家に下賜された領土に戻ることはできないと自ら決めているのである。しかし、宗運はそれでよくとも、親友の相良義陽はそうもいかない。相良家の当主として代々守ってきた地を追われているのである。島津家が肥後国から撤退しなければ、義陽は戻るに戻れない。

 もっとも、島津家の肥後国支配のお墨付きを大内家が与えることなどありえない。それは、大内家の肥後国出兵を根幹から否定することであって、大内家に救援を求めたすべての肥後国人への裏切りとなるからだ。

「……むしろ、島津家が肥後から出て行くのが道理。こちらは、島津家に不当に領地を追われた国人たちから助けを請われて兵を出しているのです」

 連絡を受けた隆豊の答えは明瞭で、当然のものであった。

 もちろん、その回答を島津家も三好家も予測しているだろう。

 その上で、どのように出るか。

 もちろん、肥後国の国人たちにとっては、島津家の肥後国からの撤退が最善である。大友家にとっても、島津家の脅威が去るような終わり方が望ましい。

 様々なことを考えながら、隆豊は久秀に口を開いた。

「島津殿は、伊東家と相良家が連合して島津家に牙を剥いたために身を守るため兵を出しただけであると主張しております」

「両家の間に何かしらの因縁はあったのかもしれませんが、それは大内には関わりないこと。甲斐家と共に相良家もまた当家の同盟者です。その危難に立ち上がるのは当然のことでしょう。また、日向についても、伊東家には我が主の弟君のご親族が嫁いでおられるゆえ、その安全を確保するために出兵した次第。道理に悖る戦はしておりません」

「すべて、救援に応えたまでということですね?」

「左様です」

 同盟者を救うための出兵であり、こちらに非はないという主張を隆豊は崩さない。

 久秀は隆豊の意見を島津側に持ち帰り、さらに島津側の主張を大内側に伝える。幾度もやり取りを重ね、互いに主張は平行線のまま三日が過ぎようとしていた。

 大内家は他者への救援が目的であると一貫しており、島津家も自分達の正当性を主張し続ける。肥後国出兵は正当防衛であり、日向国に至っては元来島津家が任された国であるため、伊東家の不当な支配に抗っただけであるとの主張だ。

 これでは幾度話し合いを重ねようとも、決着がつく見込みはない。

 元より、どちらも悪いのは相手であって、正当性は自分たちにこそあるという立場を崩さないし、崩すわけにはいかないのだから、自分たちから折れることはありえない。

 よって、いくら仲介者が現れたところで意見が纏るはずがないのだが、そんなことは久秀も分かっている。

 両陣営が主張を出し尽くしたところで、『三好家としての提案』を捻じ込むのである。

「大内殿と島津殿。お互いのご意見を拝聴しましたが、今のままではいつまで経っても話は前に進みません。ここは、わたくし共から一つ提案がございます」

 分かりきった前置きを述べてから、久秀は神妙な面持ちで隆豊と視線を交わした。

「どのようなご提案でしょう」

「この南郷谷の外輪山以北を大内領、以南を島津領として、この戦を終えるのです」

 久秀の提案は、南郷谷は事実上の軍事境界線となり、ここを国境として大内家と島津家が領地を接することになるというものである。

 事実上、島津家は今まで確保した領土の保持が認められる形となるため、島津家に有利な提案であると言える。

「相良家が島津家に奪われた領地の返還は?」

「島津家と相良家の私闘については、わたくしの口からは申し上げることはありません。此度の仲介はあくまでも大内家と島津家の戦に関わること。この場を収める条件についてご相談しているだけでございます」

「それで、こちらの納得を得られると?」

「これ以上戦が長引くのはそちらとしても不利益ばかりのはず。兵を出したことで肥後の国人衆への義理は果たしたと見てもよいのではありませんか?」

 相良家の取り扱いについて、久秀は意図的に明言を避けている。

 ――――三好家は島津家よりの判断を下そうとしている。

 そのように隆豊が受け取るのも無理からぬ態度ではあった。

 しかしながら、それは同時に三好家の動向次第では大内家はさらなる苦難に曝される可能性が示唆されているということでもあった。

 三好家は四国に於いて大内家と――――厳密には大内家の傘下に入った河野家と領土を接している。兵を陸路で大内領に送り込める大勢力としては、尼子家以上の脅威となりうる存在であり、さらには幕府軍としての立場を使うことも不可能ではないという厄介さを秘めている。

 非難の声を、隆豊は喉下で押し留めた。

 久秀の後ろにいるのは三好家だけではない。将軍家がいる。彼女は長慶の家臣であると同時に幕臣でもある。久秀の意見は、そのまま幕府に対して意見したものと同義として捉えられかねない。

 実際の幕府への久秀の発言力がどれほどのものかは不明だが、三好家が幕政を仕切っていることを考えれば、過大評価するくらいがちょうどいい。

「一先ず、松永様の仲裁案は承りました。今一度、この件について上を話し合ってみたいと思いますので、返事は今しばらくお待ちください」

 冷え冷えとする声音で、隆豊は久秀に伝えた。

 久秀に隆豊が抱く不快感はどれだけ伝わったであろうか。

 彼女の薄らとした笑みからは、一切の感情を伺うことはできなかった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 隆豊が持って帰ってきた久秀の仲裁案は、隆豊が感じたとおり他の面々にも受け止められていた。

 肥後国を分割して大内家と島津家に配分するというのは、それだけを切り取ってみれば確かに両者共に得るものがある。

 しかし、島津家が保有する領土はすべて相良家を初めとする肥後国の国人から奪ったものであり、大内家はそれを取り戻すことをお題目として出兵している以上、島津家は目的の一部を達成し、大内家は目的を達成できなかったという結果になるだけだ。

 肥後国北部を正式に大内家が領有することになるという点を差し引いても、素直に「仲介ありがとう」、と感謝できる案ではないのは明らかであった。

「松永殿は、将軍家の威光を背景に島津家に有利な形でこの戦を終えようとしている。そのように感じます」

 隆豊は悔しげに唇を噛んだ。

 交渉役を任されている以上、より大内家のためになる結果をもたらすのが隆豊の責務である。現状、それが果たせているとは言い難い状況だ。

「……この案、恐らく島津は飲むだろう。だから、後は俺たちの出方次第というわけだ」

 戦を長引かせたくないのは、どちらも同じなのだ。よって、自分たちに都合がよければそれで手打ちにする。外輪山以南の領有が認められれば、それだけでも島津家にとっては収穫があったと言える。

 一方で、国人衆の救援を掲げて肥後国に入った大内家は領土拡張を素直に喜んではならない立場である。

 肥後以北を大内家のものとするという案は、そこに領土を持つ国人たちを無碍にしている。――――事実上、大内家の所領はほとんど増えない。

「率直に言いまして」

 口を開いたのは道雪であった。

「此度の案は、戦を終える口実としては良案であると見ます。無論、大内家にとってこれを受け入れるのは苦渋の決断ではありますが、肥後の領有を巡り、三好家と幕府まで敵に回すよりは殿下の顔を立てたほうが後々のためではありましょう」

「三好が尼子、島津と結びより大きな反大内の動きが生まれないとも限らないか」

 ただでさえ三好家はそれ単体でも他の追随を許さない大勢力なのだ。

 軍事力と権威は、現在の日本国内に於いて並ぶものはない。それが尼子家や島津家と結びつけば、如何に大内家が強大であろうとも、崩壊する危険性が大いにあるし、将軍の「御敵」に認定されては困ったことになる。様々な権威を利用してきた大内家にとって、権威と敵対するのは致命的だ。

 まして、この戦で一枚岩ではないことが露呈した直後である。

 迂闊に大内家の屋台骨を揺るがす可能性を増やすことはできない。

「概ね、この案の通りにするしかない」

「はい」

 隆豊が首を縦に振る。

 島津家が軍事的敗北を認めない以上は、奪われた領土の奪還は難しいし、何よりも阿蘇家が降服しているというのが大きい。

 阿蘇家の領土を返せとこちらから主張することができないのである。救援する対象がいなければ、救援のための出兵という大義がない。相良家の領土は阿蘇家の領土のさらに向こう側であるから、そこだけ取り戻しても島津領の中にポツンと飛び地になってしまうだけになる。これでは、すぐに奪い返されるのが目に見えている。義陽の旧領を取り戻すには、どうあっても阿蘇家の領土を大内家のものとするしかない。

 阿蘇家が島津家に味方しなければ、状況は大きく変わっていたのだろうが、そればかりは言っても仕方のないことだ。

 戦をするのならば、最大級の戦果が欲しい。

 だが、建前としては肥後国人の救援ではあったが、晴持が島津家と対立した最大の理由は島津家の北上を阻止する必要があったからであり、肥後国人の救援はそのための布石であったのだ。

 この和睦案は当面は島津軍との対決を避けることができるという点で大内家にとってもメリットがあった。

 大利のための小利は斬り捨てるべき。

 相良家を初めとする南肥後の領土奪回は政治的判断の下、延期せざる得ない。

「ただ、こちらも条件をつけさせてもらう。松永殿の案を受け入れる代わりにな」

「若様、それは、一体?」

「朝廷に掛け合って、義陽を正式に修理大夫に任命してもらう。そのために骨を折ってくれるのであれば、この和睦案を受け入れよう」

 

 

 

 かくして、大内家と島津家との間に両者にとって不本意な形(・・・・・・・・)で和睦が締結された。

 阿蘇山南部の外輪山を境に大内家と島津家が肥後国を分割する。久秀が幕臣という肩書きを有する以上、この和睦によって得た領土は幕府が承認したも同然となった。

 大内家にとっての最大の戦果は島津軍の北上を食い止めたことで、次点が肥後国北部の領有を認められたこと。島津家にとっても肥後国南部の得たのは、戦果としては十分であっただろう。晴持を討てず、多くの将兵をすり減らした結果に釣り合っているかと言うと微妙なところだが。

「正直、殺されるかと思いましたわ」

 と、晴持と対面した久秀はにこやかに言った。

 初めて会う三好家の重臣は、見た目は隆豊と同じか、もう少し若い少女といってもいいくらいの姫武将であった。

 彼女の出自はよく分からない。

 畿内の武将にしては珍しく、身分の貴賎に囚われない能力主義的な政策を採る三好長慶の下で急速に力を付け、今となっては筆頭家老とも言うべき立場にまで成長したという。

 松永久秀という名前は、晴持も聞き覚えがあった。

 もちろん、京で台頭する三好家に目を光らせる中で名前が幾度も上がってきている人物だが、晴持の知る正史にあっても、非常に重要な働きをした武将で、乱世の奸雄などと呼ばれ、数百年に渡って戦国時代を代表する悪人の一人に数えられていた人物である。

 その知識に引っ張られて同一視するのは危険だが、現状では様々な意味で注意を要する相手であった。

「何のことでしょう」

「お分かりでしょう。修理大夫の件です。取り纏めるときの島津殿のお顔ときたら、今にも斬りかからんばかりの形相でございました」

 島津姓の武将は何人かいるはずだが、さて誰のことを言っているのであろうか。

 歳久かあるいは義弘か。もしかしたら家久かもしれない。

「島津殿への意趣返し、実にお見事でした。おかげでわたくしは危ない橋を渡ることになりましたが」

「骨を折ってくださったことにつきましては、真にありがたく思っております」

 久秀の皮肉をさらりと聞き流した晴持は、事務的に会話を続けた。

 彼女とここで腹の探り合いをしても、何の益もない。

 戦は終わったのだ。 

 であれば、一刻も早く山口に戻って、軍を解散する。一日分の維持費を払うか否かは大きいのだ。

「ですが、晴持様。お分かりかと思いますが、修理大夫は朝廷の役職。正式な任官となりますと、わたくし一人の裁量では実現できるか分かりませんよ」

「松永殿と三好殿のお力であれば、さほど難しくはないと思いますが」

「……まあ、引き受けた以上は手を尽くす所存ではあります」

「よろしくお願いします」

 修理大夫は、義陽が名乗っている受領名だ。

 修理職は役職としては内裏の修理造営を司るが、もちろん現代では有名無実と化している。修理大夫はその長官で、従四位下相当の令外官である。 

 受領名は極端に言えば、誰でも名乗れるものではある。

 よって、義陽以外にも修理大夫を名乗る者は複数名存在しており、島津義久もその一人である。というか、島津家の当主は代々修理大夫を受領名とするのが慣わしで、義久にとっても修理大夫にはこだわりがある。それを、義陽に朝廷が認めるというのは、島津家にとっては屈辱以外の何物でもない。

 久秀が殺されるかと思ったというのも、血の気の多い薩摩隼人の前で小名の相良家が修理大夫を正式に任官される可能性が示唆されたことが原因であった。

 もっとも、如何に島津の将兵が血気盛んでも、久秀に斬りかかるほど愚かではなかったようだが。

「二日後の正午、両陣営には南郷谷から退去していただきます」

「承知しております」

「それを見届けてから、わたくし達は京へ戻ります」

「船の用意をさせましょう。豊後から海路を行くほうが早い」

「そうですね。それでは、お言葉に甘えるとしましょう」

 淡々と会話を重ねる。

 互いに含みを持たせるような発言もない。目の前の仕事を処理する感覚だ。

 久秀が京に帰るには、瀬戸内海を渡るか陸路を行くかの二択しかなく、どちらも大内領を通ることになる。何れにしても安全に京に戻るには大内家の助けが必要であった。

「この度は真にありがとうございました」

 と、晴持は礼を言う。

「わたくし共としましても、大内殿とは仲良くしていきたいと思っておりますので、これくらいの骨折りは当然のことです」

 久秀は着物の袖で口元を隠して、目元を笑わせる。

 半ば脅しをかけておいてよく言うと晴持は内心で呆れつつ、三好家も存外頑強ではないのかもしれないと考えを新たにする。

 大内家にとって三好家が脅威であると同時に、三好家にとっても大内家は脅威であるはずだ。そして、良くも悪くも日本の中心に拠点を置く三好家にとっては、脅威は西だけではない。

 容易に周囲を敵に囲まれやすい畿内という地域を治めるからには、簡単に大内家を敵に回すこともできないのであろう。

 ともあれ、今回はここで手打ちだ。

 戦の早期終結は実現したし、三好家と将軍の顔も立てた。島津家には最後の最後で喧嘩を売ったが、それくらいは許して欲しいものである。

 


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