大内家の野望   作:一ノ一

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その七十一

 南郷谷に、数え切れないほどの軍旗が立ち並んでいる。

 山道を越えてきた晴持は南郷谷の開けた景色に目を楽しませた。

 華やかな花が咲き乱れているわけでもなく、特筆した寺社仏閣があるわけでもない。カルデラの内側に位置する南郷谷では、どこを見ても連なる山の稜線が視界に入る。南北に短く東西に長い盆地といったところか。島津軍の旗が揺れる外輪山の城山や高城山は晴持から見て南にあるので山の様子がよく見える。

 島津軍は、焼失した駒返城と占拠した慈水城、そして山麓の南郷城を拠点としている。

 総大将の島津義弘は慈水城の陣におり、参謀と目される島津歳久は駒返城跡地に入り、周囲の木々を伐採して砦を築いているとの情報も入っている。

 事実、晴持がいる場所からでも、山頂付近の人の動きは小さいながらも見て取れる。

 そして、晴持が島津軍の様子を目視で見ることができるということは、山に陣を張った島津軍からは、大内軍の様子が丸見えであるということでもある。

 包囲することの難しい外輪山の山頂からは、安全に南郷谷を一望することができるだろう。

 地の利は島津軍にある。

 阿蘇五岳を背負う大内軍は、九国内で動員できる限界を搾り出した二〇〇〇〇の大軍である。対する島津軍も、その詳細は不明ながらそれに近しい兵数を用意しているとの情報があった。

 島津軍と直接対峙したのは、南郷城を中心に防衛戦を行っていた相良家と甲斐家の者たちである。

 慈水城陥落により、背後を脅かされる恐れがあったため、やむなく南郷城での篭城を切り上げて白川以北に退き、元親たちに合流したものである。

「宗運の妹が、確かいたな」

「はい。先ほど、顔を見てきました。怪我はありますが、命に別状はありません。再戦のために、気炎を上げております」

 宗運の妹である親房は、南郷城で戦っていた「肥後衆」の一人である。事実上、宗運に連なる御船系の甲斐家と相良家との連合軍で、その指揮官の一人が親房なのであった。

「そうか……後で顔を見に行こうか」

「親房にですか?」

「それに、長智殿にもな。何せ、彼等のおかげで島津軍の侵攻を遅らせることができたんだからな」

 親房や長智の命を賭した戦いぶりがなければ、島津軍は今頃南郷谷を制圧して、さらに北上を図っていたに違いない。

 それを思えば、晴持が軍を率いてやって来るまでの時間をしっかりと稼いだ彼女たちの活躍は評価するに値する。

 宗運に心を寄せる武将たちは肥後国に於ける大内家の足がかりでもある。宗運の妹ともなれば、政治的な価値も見過ごせないわけだ。

 深水長智は、前線に出て戦ったわけではないので怪我はしていないようだ。すでに、義陽に合流し、方々から駆けつけてきた相良軍を纏め上げている。

 

 

 晴持が着陣したとき、陣幕がすでに設営されている状態であった。先に着陣していた元親や道雪を中心に馬防柵や空堀等の防衛施設が作られており、物々しい雰囲気の中で工事が行われている。

 陣幕に置いた床机に腰を下ろした晴持は、可之助を呼び出した。

 可之助は元親の家臣である。大内家の土佐攻めで降服した長宗我部家の中から、選ばれて山口に在住し、大内家と長宗我部家の間を取り持つ仕事をしていた。

「可之助。とりあえず、この戦は元親に与力してくれ」

「よろしいのですか?」

「構わない」

 短く、晴持は答えた。

 可之助は元親の近親ではなく、気心の知れた仲ではあるが重臣というほどの家格でもない。そんな彼女が長宗我部家で力を発揮できたのは、家臣の能力を正しく運用することのできる優れた当主がいたからだ。

 晴持の下に就けるよりも、元親の下で力を発揮させたほうがいいと判断した。

 やがて、可之助と入れ替わるようにして元親が陣幕を訪れた。

 風貌爽やかな土佐の麒麟児が加わったことで、一層陣幕内が華やいだ。

 軍議に集ったのは、陶隆房、冷泉隆豊、吉川元春、立花道雪、高橋紹運、長宗我部元親、相良義陽といった錚錚たる面々である。そこに加えて晴持の側近として明智光秀と甲斐宗運が控えている。大内家にとっては最大戦力とも言える面子が揃っていた。

「島津の動きは今のところありません。本陣を山頂に構えたままです」

 床机に腰掛けて、元親が物のついでとばかりに口を開いた。今しがた見てきた景色をそのまま伝えたのだ。ここは開けた平地である。島津軍が攻めてくれば、目視で分かる。

「島津は、もう少し兵を多く出してくると思っていたけど、兵数としては五分五分くらいかな」

 広まった噂では、島津軍の兵数は桁外れの大軍であるとのことだった。さすがに、それだけの兵力を彼女たちが揃えるのは難しく、経済事情や兵糧事情を加味すれば、動員できる兵力には限りがあるのは間違いない。

 噂に惑わされないよう、方々に走らせた物見の報告を加えて精査した結果、島津軍は二〇〇〇〇人から三〇〇〇〇人といったところであった。

 それでも、相当な大軍である。

 薩摩国から大隅国、日向国と肥後国の南部を切り従えた島津家の総力を結集したものと見ていいだろう。

「島津軍は急速な領土拡張の結果、内部にはまだ反乱分子が残っている状態です。敵対するのが大内家ということもあり、不穏な動きに対応するために攻略した地域に兵を一定数残すしかないのでしょう。それに、日向の伊東家も動いています」

「肥後の南部を空にはできないから、この戦いに動員できる兵力は減らすしかないもんね」

 道雪と隆房が口々に発言する。

 肥後国に於いて、島津家の足元は磐石とは言い難い。阿蘇家を下したことで、地固めができたものの、反抗的な国人が皆無というわけではないのだ。加えて、以前島津家に叩かれて所領を奪われた伊東家が背後から島津家を刺そうと動いている。それに対応するために、兵の一部を割かなければならない状況である。

「島津宗家の中で、戦場にいるのは義弘殿と歳久殿の二人だけのようです。当主義久殿は本国で政務に当たっており、四女家久殿は島原で確認されています。もっとも、こちらは兵を返して肥後に侵入する可能性を多分に残していますので、油断はできません」

 道雪がすらすらと情報収集の結果を伝えてくれる。

「さらに、島津家の重臣である新納忠元殿や分家の島津義虎殿も確認されています。このほかにも注意すべき将が多々おりますね」

「うーん、さすがに島津も本気ですね」

 苦々しい表情で紹運が呻く。

 道雪も紹運も耳川での戦には不参加であったが、大友家の人間として島津家に対する並々ならぬ思いがある。

 島津家にとっても、ここが正念場である。

 九国の情勢は大内家と島津家に二分された。島津家にしてみれば、大内家さえ倒せれば九国全域を支配下に入れることが現実のものとなる。さらに、九国全域から掻き集めた兵を以てすれば、大内家を一息に滅ぼすことも夢ではない。

「この戦、島津にとっては勝利以外に意義はないものです。そのため、何が何でも勝ちに来るでしょう。大内家と尼子家の睨み合いもいつまでも続くものではありません。大内家の「本隊」が尼子家に釘付けになっている間にしか、彼女たちに勝ち目はないのです」

 道雪の言葉に一同は頷いた。

「さほど、時間をかけることなく、島津家は攻撃を仕掛けてくるか」

「そう思います。そして、大内家と尼子家の戦は、直に転換期を迎える。そうなのですよね?」

「すでに備後国の尼子家を撤退に追い込むよう動いている。そう遠くないうちに、情勢の変化があるはずだ」

 現時点で、九国には備後国での騒乱がどのような形で動いているのかといった情報は入っていない。

 義隆が石見国から兵の一部を転じさせ、備後国に押し入らせたということは確認されているが、続報は届いていないのであった。

「雪が溶ける前には、備後の戦は終わる。その後、石見を片付ければ本格的にこちらが主戦場となる」

「となると、こちらの戦略は持久戦に持ち込み、山口からの援軍を待つのが得策かと。大勢を以て寡兵を討つのは戦の基本でしょう」

「少々弱腰だと思うけれど、無難な線ですね。龍造寺の時と同じように、待ちの姿勢で敵の出方を伺うと」

 道雪の提案に、元親が追随する。

 晴持が関わる戦の多くで採用される戦術である。自ら攻め寄せるのではなく、敵を罠に誘い込み、大軍で取り囲む。

 最も安全で、確実に勝利を得ることのできる戦術であった。そもそも、戦の基本は敵よりも多くの兵を用意することである。そのため単純な兵力は国の豊かさと密接に関わるもので、領土と財との両方で日本有数の大名となった大内家が、兵力を恃みに戦をするのは至極当然の選択と言えるだろう。

「えー、鬼島津がいるのに戦わないの、つまんないよ」

 不平を漏らしたのは元春であった。

 小さな身体で大の男を放り投げる膂力のある、毛利家の烈女だ。

「元春殿、お気持ちは分かりますが軍令に反することはしないでください。島津を相手にする上では、命取りとなります」

 静かに元春を諫めたのは義陽であった。

「島津家は常に士気高く、上から下まで恐れを知らない猛獣のような戦をします。その上で、知略を駆使した戦上手が揃っているのです。勝手な行動で足並みが乱れれば、瞬く間にその隙を突いてくるでしょう」

「相良殿。失礼ながら、それは経験に基づくご感想ですか?」

「恥ずかしながら、その通りです」

 隆豊の問いに義陽は頷いて答えた。

「わたしが城と領地を失ったのも、偏に敵の策に嵌ったが故のことでした。勝機を見出して打って出たことが、そもそもの敗因……まさに天から地に落ちたかのようでした」

 伊東家に始まり相良家も大友家も島津家の戦術の前に敗れ去った。

 数的優位を覆す策謀が死を恐れない将兵を統率する。それが、島津軍の強さの源である。結局、こまごまとした策を幾重にも折り重ねるよりも、それを上回る単純さで圧倒するほうが効果的な場面もある。

「とはいえ、こちらが動かずとも相手は動く。作付けの時期が近いことを考えれば、長期の睨み合いにはならないと思うが……」

 大内家も島津家も兵農分離は一部でしか行われていない。無理矢理、農繁期に兵を動員するのならば、それだけの財力が必要になる。

 大内家ならばまだしも、島津家はもともと稲作に不適な薩摩国を拠点とする勢力である。農繁期の行動は大幅に制限されるのは目に見えている。

「間違いなく敵は早々に行動してくるはず。血を流さずに時間が流れることはないでしょう。となれば、待ちの姿勢を維持しつつ、攻め寄せる島津軍を受け止め、跳ね返す態勢を早急に整える必要があります。敵方で最も危険なのは、やはり義弘殿でしょう。これを受け止めるには、相応の将を配置しなければなりません」

「あたしがやるよ」

 名乗り出たのは、隆房だった。

 大内家譜代の家臣の中で最大の武力を持つ陶家の当主であり、大内家の筆頭家老を勤める少女である。西国無双と渾名される隆房の実力は、折紙つきだ。

「あたしが右翼を固める。義弘殿がいるのは、慈水城なんでしょ。突っ込んでくるとすれば、右からだ」

「確かに、陶殿であれば鬼と呼ばれる島津義弘殿を相手に取って不足はないでしょうね。わたしは賛成です」

「しかし、陶殿が最初から前に出る必要はないでしょう。右翼を固めるのであれば、中段か後段を。右翼前備は相良家に任せていただきたいです」

 諸将の事情を考慮した上で、陣立てが決められる。

 本陣を中央後段に配置した上で、そこから前、中、後ろの三段に分けた緩やかな鶴翼の陣とした。

 先手中央に高橋紹運を配置し、左右を筑後衆、肥後衆、日向衆ら九国国人で固める。右翼の大将は名乗りを上げた相良義陽が担当する。中段の中央を立花道雪を中心とした大友軍。中段右翼に陶隆房、中段左翼を吉川元春に担わせる。総大将はもちろん晴持で、その周囲には甲斐宗運や明智光秀、長宗我部元親らが配置されることとなった。後備は冷泉隆豊が指揮し、後方の警戒と小荷駄の管理を行う。

 大まかな陣立てはできた。山口と連絡を取りつつ、島津家の動きに対応していくことになる。

 

 

 

 

 慌しく人が動き回っているのは大内家も島津家も同じである。

 砦を構築するために周囲の木々を切り倒してしまったために、この時代の多くの城山は山頂付近の山肌がむき出しになっていることが多い。

 島津家の三女歳久が本陣と定めた城山もその例に漏れず、地肌を曝す憂き目に遭っていたが、さらに歳久は焼け落ちた駒返城に代わる陣地を構築するために、山の中腹から木を切らせているために、城山の木々はさらに数を減らす結果となった。

 木材の伐採による環境破壊は、戦国時代の日本で多々問題になっていたが、だからといって目の前に戦があるのに環境に配慮することはできない。それは圧倒的強者がすることで、島津家は勝負強さに自信はあるが、大内家を相手にして余裕を見せられるほど慢心していない。

 歳久は遠眼鏡を使って南郷谷に集った大内軍を見下ろした。

 戦力はほぼ同数で、予想の通り大内家は守りを固めて時間を稼ぐ腹積もりのようだ。

「大内は、すでに陣立てを定めたようですな」

 背後から声をかけられた。

「ご足労ありがとうございます。親指武蔵」

「山を降りたり登ったりと、年寄りには堪えますな」

「何を言っているのですか。まだまだお若いでしょうに」

 親指武蔵と歳久が呼んだのは、重臣の一人である新納忠元であった。

 歳久と歳の近い跡取りがいるが、忠元もまだまだ若い。ちょうど油が乗って、これからが働き盛りといった年齢であり、慈水城からここまでやって来るだけで足腰を痛めるような柔な鍛錬をしていない。

「老将を気取るのならば、髪を白くするか、肩で息をするかしてください。堪えると言いつつ、汗もかいていないではないですか」

「ははは、これは手厳しい」

 忠元は陽気に笑い、歳久の手にある遠眼鏡に目を向けた。

「それは?」

「有馬からの献上品です。遠くがよく見えますよ」

 そう言って、歳久は忠元に遠眼鏡を渡した。

 長い筒状の遠眼鏡は片目で覗き込むものだ。忠元は、いぶかしむ様子を見せた後で、遠眼鏡を覗き込んだ。

「ほう、これはまた……」

 そして、感嘆の声を漏らした。

「遠方の景色が何倍にも……物見に便利そうですな」

「ええ。使い方によっては役に立つ代物です。南蛮は、わたしたちの知らない技術がたくさんありそうです」

 遠眼鏡を受け取った歳久が複雑そうに顔を顰める。

 もともと、日本でも辺境となる薩摩国の国人である島津家だが、南端に位置するために対外貿易を行っている。貿易相手は琉球だけでなく、南蛮も含まれる。

 宗教的には相容れないが、多様な珍品を持ち込んでくる南蛮人を無碍にすることもできない。

「有馬のように南蛮に被れるつもりはありませんが、彼等との繋がりが有用なのは認めざるを得ません」

 使えるのであれば、使う。歳久は感情よりも現実を優先することのできる将ではあって、政治的な感覚も有していた。徒に南蛮人と敵対する愚を犯すことはない。

「して、敵勢をどのようにご覧になりましたか?」

「そうですね。まあ、予想通りの安全策を執ったようです」

「つまり長期戦狙いということですね」

「彼等は山陰と山陽の戦で味方――――大内軍が勝利し、南郷谷により多くの兵を集中する時を待っていると考えるのが自然です。わたしたちを攻撃するのではなく、わたしたちを待ち構える形で備を配しています。相手に合わせていては、思う壺というわけです。わたしたちには時間がありませんから」

 時間は大内軍に味方する。

 もしも石見国と備後国での戦で大内軍が勝利すれば、眼前の敵は俄に活気付き、さらに援軍として万を越える敵軍が九国に乱入してくることだろう。そうなれば、島津家単体ではとても戦線を維持できない。

 兵糧の問題もある。そもそも領地の多くが豊かな土地ではない。たとえ貿易で銭を増やしたところで食べるものがなければ兵站は維持できない。

「我々の事情は、大内もよく分かっているでしょうな」

「もちろんです。ですので、わたしたちが短期決戦を挑むことも承知しているはず」

「では、馬鹿正直に討ちかかるほかないですか」

「最終的にはそうでしょう。この開けた戦場で相対するとなれば、地形を利用した戦術はほとんど意味を成しません。遮二無二乱戦に持ち込んで、大内晴持の首を落とす。それ以外に活路はありませんよ」

「大内家の跡取りさえ何とかしてしまえば、大内家は総崩れですか」

「どう足掻いたところで戦線を維持できません。ほかの誰でもない、晴持こそが大内軍……いいえ、大内家の心臓です」

 晴持を大内家の心臓と評した歳久は、晴持を討ち取ってしまえば九国に出張ってきた大内軍だけでなく、大内家そのものを弱体化させられると踏んでいた。

 とりわけ河野家と大内家との繋がりを分断できるのは大きい。河野家が大内家から離れれば、土佐国と大内家の領国が分断されるので長宗我部家と結ぶことも視野に入る。

 この時点で歳久が読めていないのが晴持を失ったときの大内義隆の反応である。

 失意のままに腑抜けてくれればありがたい。一息に九国を攻め落とし、その勢いで山口まで侵してしまえる。

 しかし、もしも復讐の鬼となったとしたら厄介だ。もっとも、晴持を失った大内家がどこまで統制の取れる軍団として機能するかは未知数だ。

 ここのところ大内家の戦は晴持を中心に動いていた。尼子家もここぞとばかりに行動を活発化させるだろうし、大きな敗戦はなし崩し的に大名家を滅ぼすことにもなり得る。

 義隆が復讐に燃えたとしても、反撃の準備を整うまでに九国を制覇してしまえば、大内家以上の兵力を動員できるようになる。

 よって、晴持を討ち取れば高確率で島津家の九国制覇は完遂できる。

「義弘様に伝えてください。当初の予定通りに事を進めるので、心の準備をしてくださいと」

「御意」

 忠元に言ったとおり、この戦は如何に乱戦に持ち込むかが鍵である。守りを固めた大内軍の陣形を乱し、崩し、浮き足立たせることで本陣を手薄にする。それだけの働きができるのは、総大将である島津義弘だけである。

 ぐずぐずしていても意味がない。敵が守りに入るのであれば、時間と共に敵陣の防衛設備は充実していくはずだ。野戦が城攻めになる前に、島津軍が主導権を握りたい。

 歳久は徐に自らの頬を叩いた。

 明朝には先手部隊が大内軍に銃火と浴びせる。気弱なことを考えている余裕は持てない。総大将である義弘から陣代として全体の運用を任されているのだ。

 今までにない大戦だ。恐怖とも興奮とも思える感情が歳久を震わせた。


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