大内家の野望   作:一ノ一

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その六十七

 晴持の武器は大内家の莫大な財力と未来の知識である。重要なのは前者で後者は、戦ではほとんど役に立たないし、日常生活でも有用なものはあまりない。

 例えば自動車は便利だと知ってはいても、その構造までは知らないし、当然作ることは不可能である。

 道具の存在と使用方法を知っているだけで、その作成方法を知らなければ、知識など使い物にはならない。よって晴持がこの時代で実現できるものは、この時代の人間でも発想さえあれば作成できる程度の道具だけである。

 逆に言えば、手作業で作れるものならば、多少時代を先取りしても晴持は作成できるということでもある。 

 そして、そういったときに役に立つのが学校で習った歴史や化学の知識であった。

 今、晴持の前で、抱きかかえられる程度の大きさの陶器が火にかけられている。

 奇妙な形の道具だ。

 釜を三つ重ねたような形状で、上二つには管がついている。下の段に入れられた混合液が熱せられ、沸点の低い液体から蒸気となって上段に移り、最上段の冷却層で冷やされて再び液体に戻り、管を通して排出されることで、水とその他を分離する。

 ランビキと呼ばれる蒸留器で、蒸留酒を作る時などに使われるものだというが、晴持が欲しいのはさらに濃度を高めたエタノールだ。

 中学校の理科でも習うことで、大体八〇度程度でエタノールは気体になる。水はまだ気化しないので、沸騰前の蒸気を冷やせば高濃度エタノールが取り出せる。

 目的は当然、消毒薬として使うことである。

 焼酎は最近やっと作られ始めた日本の蒸留酒だが、アルコール度数が低くとても消毒には使えない。消毒に用いるのならば、最低でも度数六〇パーセントはないとダメだと聞いたことがある。日本人が好む飲料用の酒類にそこまでのアルコール度数は望めない。

 よって、エタノールはエタノールとして使う。冬場ならば燃料としても利用価値がある。晴持だけでは数は用意できないが、製法と有用性を確立すれば、後は勝手に広まっていくものだ。 

 度数の低い日本酒から取り出せる量はたかが知れているし、原料となる酒自体も手に入れられるのはそれなりに金のある上の立場にあるものばかりだ。そして、酒をこのように使うくらいなら飲んだほうがマシという意見もあるだろう。

 しかし、晴持からすれば、傷を負ったら馬糞を水に溶かして飲むとかいう常軌を逸した不健康極まりない応急処置をするくらいなら、少しばかり酒をエタノール精製に回したほうがずっとマシだと思っている。

 下々にまでは行き渡らなくても、それなりの立場にある者が自弁できるように環境を整えるくらいは、これからの時代には必要ではないか。

「まあ、そう一度に使うようなものでもないしな」

 少しでも戦後の死亡率を引き下げるために、初期の治療は大切だ。特に戦場では清潔な環境は期待できないのだ。殺菌、消毒を徹底するというのは夢物語にも等しい。それでも、僅かなりとも清潔な状態を作れるように努力は続けなければ、いつまでたってもこの状況は改善しない。

 重要なのは意識と知識だ。

 百歩譲って尿で傷を洗うのは仕方がないとして、馬糞を使うのはいい加減改めるべきだと心底思う。

 これから厳しい戦いが予想される中で、生き残れる者にはきちんと生き残ってもらわなければならないのは言うまでもないのである。

 

 風雲急を告げる報に接したのは、晴持が作業を一度切り上げて、休憩を取ろうかと思ったときであった。

「晴持様、火急の報告がございます!」

 と、宗運が慌てた様子で晴持の下にやって来た。

「どうした?」

「二日前の明朝、島津軍が駒返城に攻めかかったとのこと!」

 その報告に晴持は表情を厳しくした。

「駒返城の状況は?」

「はっきりとしたことはまだ分かりません。深水殿が城を守っておいでですので、一日、二日での落城は考えにくいとは思います」

 深水長智は相良義陽に仕える名将と知られた人物だ。

 深水家は、第四代当主相良長氏の孫である蓑毛長陸を祖とし、第十八代当主の義陽に至るまで代々相良家の家老として忠勤に励んできた。

 特に長智は優秀な内政手腕を発揮することで名高く、教養人としても知られていた。

「そうは言っても、駒返城を守る兵はそう多くないだろう」

「確か、五〇〇程度だったかと」

「島津軍がその気になれば、すぐに落とせる。晴英はこのことは知っているな?」

「はい。すでに、方々に使者が飛んでおりますので、ご存知のはずです」

「なら、大友からも援軍を出させる」

「晴持様は?」

「もちろん、俺も兵が整い次第出る。島津との本格的な戦に、俺がいないのでは締まらないからな」

 正直、怖いとは思うが、それでも九国に於ける総大将なのだ。

 耳川での戦で大友家が大敗したとき、宗麟が自ら兵を率いるのを渋ったために前線の士気が下がったという話を聞いたことがある。

 大将の有無は、前線で命を賭ける者たちに与える影響が違うのだ。気持ちの面で負ければ、島津家に勝つのは難しい。

「宗運」

「はい」

「敵には阿蘇の将兵がいるはずだが」

「大丈夫です」

 宗運は真っ直ぐに晴持を見て、答えた。

「覚悟の上です」

 新参者が最前線に送られるのは戦国の倣いだ。そこで死に物狂いの働きをして、新たな主人に忠誠心を見せられるかどうかが進退にも関わってくる。

 特に阿蘇家は、九国最大の名家である。大内家の歴史に倍する長い歴史を持ち、今まで誰の下にも就いたことがない。大和朝廷以前から阿蘇の地に根を下ろす阿蘇家の影響力は、決して無視していいものではなく、領国支配に有効活用すべきであった。

 島津家も阿蘇家を滅ぼすことはせず、傀儡とした上で活用する方向に舵を切った。

 下手にこの家を滅ぼせば、阿蘇地域の農民たちからの反発は計り知れない。ほかの国人と異なり、阿蘇家は阿蘇大宮司家――――悠久の時を阿蘇神を祭って過ごしてきた神官の家系なのだ。

 そして、その阿蘇家の将兵が島津家の先陣を切る可能性は少なくない。

 今、島津家が攻めかかっている駒返城も、元々は阿蘇家の城だ。阿蘇家が離反した際に、大内家が城代を押し込んで乗っ取った。

 よって、阿蘇家としては駒返城等の阿蘇山の南麓を守る城に兵を送る道理は通るのだ。島津家にしても大義名分として利用しやすく、そうなれば間違いなく阿蘇軍と相見えることになる。

 阿蘇家の最盛期を演出した名将は、旧主の軍勢と戦うことをもとより覚悟していたと言う。

 顔見知りも多いだろうし、親類縁者もいるだろう。

 それでも宗運は、大内家の家臣として戦場に出ることを選んだ。一度決めた道を違うことはできない。それが、宗運の意地であった。

「晴持様こそ、よろしいのですか?」

「何が?」

「わたしは、阿蘇家のために、敵に寝返った親族をも容赦なく斬り捨ててきました。惟種様をはじめ、阿蘇家の同輩はわたしを恐れてすらいたようです……そのような非情の女を近くに置いても、よろしいのですか?」

 宗運は重苦しい口調で晴持に尋ねた。

 宗運自身はそれを正しいと思いやってきた。しかし、巡り巡ってその所業は家中にある種の畏怖をもたらし、宗運の首を絞めていた。

 阿蘇家の内部には宗運を慕う者も多かったが、それと同じくらいに宗運を恐れる者も多かった。それが島津家と大内家に挟まれる中で派閥を形成し、島津家の圧力が強まる中で反宗運派の発言力が強まっていった。

 それが宗運が追放されるに至った経緯であった。

「気にするな、とは言わない。けど、俺は宗運を恐れはしない」

「晴持様」

「宗運の行いは忠義の表れだ。何を責めることがある。第一、親族との争いは悲しいかなこの時代では珍しくない。そもそも、俺なんて大内家のために実家の弱みに付けこんで、土佐を併呑したんだぞ。おまけに一条の敵だった長宗我部を重用してる始末だ。どっちが罪深いか」

 土佐一条家に生まれ、大内家の跡取りなった晴持は、決して実家を特別視はしなかった。むしろ、積極的に縁戚関係を利用して領土拡大の口実に利用したほどである。

 主のために親族を敵に回した、という点では晴持も宗運も同じである。

 彼女はすでに退路を絶っている。晴持に仕えると決めたその日から、阿蘇家の家臣としての立場を捨て去ったのだ。

 しかし、それでも主から投げかけられた言葉は忘れられなかった。阿蘇家での最後の一日は、宗運を未だに苦しめている呪いであった。自分が心血を注いできたことを否定されたときから宗運は自分に自信を持てないでいた。少しずつ自分を取り戻してはいたようだが、まだまだ引き摺っている部分もあったのだろう。

 晴持にできることは、とにかく宗運を信じて任せることだけだ。

「宗運」

「はい」

「戦の準備を」

「はい!」

 宗運は身を翻して去っていった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 肥後国攻略のため軍を北進させるという決定を下したのは義弘であった。

 大内家が思うように動けない隙を見計らって大軍で圧力をかけ、気弱で政権基盤の脆弱な阿蘇家の新当主を揺さぶり、戦わずして降服させるという調略を仕掛けたのは、こういった方面に強い歳久であり、妹が挙げた戦果を無駄にしないために、早々に決着をつけるという意気込みであった。

 義弘にとっての想定外は、阿蘇家が出兵を様々な言い訳を並べてごねたことであろう。義弘は好きか嫌いかで言えば、阿蘇惟種が嫌いだった。島津家が仕掛けた謀略とはいえ、甲斐宗運を追放するような輩は彼女の性格からして軽蔑の対象ではあったのだ。

 本音を言えば、宗運と戦場で向かい合いたかった。そうなれば、阿蘇家を落とすのは困難だったことは分かっている。効率を重視すれば、確かに阿蘇家そのものが島津家に靡くほうを選ぶべきだし、実際に選んだ。

 戦嫌いで自分の身を危険に曝したくない阿蘇家の新当主は、島津家からの出兵要請に対する返事を意図的に遅らせたり、言い訳を並べたりして兵を出さなかった。

 名門の意地が島津家の言いなりになるのを拒んだのか、それとも別の理由があったのか分からない。そうまでするのなら、初めから宗運を追放せず、対峙すればよかったのだと義弘は内心の苛立ちを押し隠して、阿蘇家の使者に笑顔で告げた。

 ――――当主交代、と。

 かくして、阿蘇家は判断能力のない二歳の幼君をいただくことになり、北進の障害物を取り除いた島津家は、阿蘇家内部の動揺を抑えつつ兵力を増強し、ついに肥後国全域の掌握のための大戦を仕掛けたのであった。

「阿蘇山方面の各砦、城はすべて大内家に通じる者たちばかり。阿蘇より大内を選んだような人たちだから、一筋縄じゃいかないわよね」

 義弘たち島津軍本隊は、阿蘇家の居館である浜の館を指揮所と定め、阿蘇家を先頭に先発隊をすぐ北方に位置する駒返城に向かわせた。

 駒返城は、浜の館から最も近い場所にある敵城であり、阿蘇山の南麓――――南郷に至る駒返峠の入口を守る要害である。

 峠の出口にも南郷城が控えており、この二つを突破してやっと阿蘇山の南郷に押し入ることができる。

 今後、平野部での戦が起こるとすれば、間違いなく南郷での戦いになる。

「大内家は今までの相手とは隔絶した強敵です。本来は時間をかけて外交で戦を長引かせた上で、兵力を増強したいところだったのですが」

 と、歳久は言う。

「分かってる。何度も言ってることだもんね。もう、今しかないって」

「はい」

 歳久は頷く。

「東の尼子がどうなっているのか、情報が入ってきません。万が一、尼子家が大内家に敗れることがあれば、兵力で劣るわたしたちは圧倒的不利な状況に追いやられます。局地的に拮抗した状態を作れる今しか、肥後統一の可能性はありません」

 悲観的な観測だが、仕方のないことだ。 

 大内家の動員力が島津家を上回るのは覆せない事実である。

 おまけに島津家は侵略する側で、財力、軍事力ともに上回る大内家に民意も好意的だ。南郷の城が、阿蘇家から大内家に変わっても大きな問題が起きなかったのも、大内家がそれだけ民に受け入れられているからに他ならない。

 そして、そこを攻撃するということは、島津家から大内家に対して挑戦するということでもあった。

 これまでのように、大内家と繋がっているが大内家の管轄外にある勢力への攻撃とは意味するところがまったく違う。

 いよいよ、島津家にとっても大きな決断となったのだ。

 

 

 このような情勢下で阿蘇家の軍勢を率いたのは、隈庄守昌(くまのしょうもりまさ)であった。

 燃え立つような赤毛が特徴の武将で、甲斐一門の一人だ。

 実は甲斐家もまた長らく同族間で争いを続けてきた一族であり、宗運が属する御船方と守昌が属する隈庄方は度々領土争いを繰り返していた。

 近年は甲斐家といえば御船方の勢いに押され、不利な立場に置かれていた隈庄方であったが、まさかの宗運の政治的敗北により復権した。

 守昌には、彼と同じく宗運と対立してきた宇土地域の国人である名和顕孝(なわあきたか)も来援し、阿蘇家として大内家に加担した駒返城への攻撃を開始したのであった。

 この戦には島津家と結ぶことをよしとした甲斐一門のほかに、渡辺、村山、仁多、井芹といった阿蘇家の重臣格がずらりと顔を揃えており、その軍勢の総数は三〇〇〇にも届こうかとしていた。

 勝手知ったる阿蘇山への道である。

 道に迷うことなく、敵が篭城する駒返城に到達した。

 

 駒返城で阿蘇軍に対峙するのは、相良家家老の深水長智ら相良勢と甲斐宗運を慕う宗運派の武将たちである。その筆頭は宗運の妹の甲斐親房であり、ほかにも反島津の立場を鮮明にする甲斐重当(しげあき)等がいた。

「お久しぶりです、深水殿。このような形でお会いすることになろうとは、残念極まりないことです」

 と、駒返城を訪問した守昌は長智に言った。

 城主の長智は、戦場を駆け回る武将には見えない華奢な身体つきの男であった。目鼻たちがすっきりとしていて、深い知性を思わせる黒い相貌が不思議な魅力を醸し出していた。

 最後に会ったのはまだ、阿蘇家が反島津で一致していた時であった。相良家の家老である長智は様々な調整役として阿蘇家と行き来していたので、以前から顔見知りではあったのだ。

「その言葉、そのままお返ししましょう。とはいえ、壮健そうで何よりです」

「互いに老いたと言うような歳ではないでしょう」

 二人とも、まだ若い部類には入るだろう。身体を壊して難儀するということもないし、思考力が低下するということもない。

「さて、余計な会話はこれまでとして、早速本題に入りましょう」

「拙速ですな」

「そうせざる得ない立場です。ご存知かと思いますが」

「ふむ、島津殿に色々とせっつかれているご様子。心中お察し申し上げる」

「ならば、私の申し上げることもお察しのはず」

 守昌は身を前に乗り出して、

「島津の軍門に降り、駒返城を開城してください」

「ならぬと申せば如何に?」

「言葉にせずともお分かりでしょう。無益な戦となります。大内は尼子との睨み合いで島津に敵うほどの兵を出せません。だからこそ、惟種様は島津に降り、阿蘇の命脈を保つ道を選ばれた。あなたほどの将をここで失うのは本意ではありません。ご一考を」

「阿蘇の命脈か。その惟種殿は、蟄居させられたというではありませんか。今はご子息が家督を継いでおられるとか」

「阿蘇の命脈は問題なく保たれております。惟種様も不自由ない生活が保障されております」

「左様ですか」

 詭弁であるが惟種が厳しい状況に置かれるのは、初めから予想されたことでもあった。当主個人ではなく阿蘇家という家そのものに仕えるのであれば、家臣が当主を挿げ替えるということも選択肢の一つではあるだろう。まして、惟種は統率力のあった惟将とは違い、将器にも覇気にも欠ける男であった。

 宗運を追放し、島津家に属すると決めた以上は島津家の命を受け入れることになるのは当然である。家臣たちも覚悟していたことなのに、惟種だけはそれを明確に理解していなかった。

「駒返城は、峻険な山に築かれてはおりますが決して頑強な城というわけでもありません。よくご理解されているはずです」

「認め難いが、否定しても仕方がありませんね」

「当方だけで三〇〇〇の兵がおります。後方には島津家の本隊が今か今かと攻撃の時を伺っているのです。島津が出てくれば、深水殿とてただでは済みません」

 さすがに阿蘇家に仕えているだけあって、駒返城のことはよく知っている。

 防衛能力という点で駒返城は不安が多い城である。敵に指摘されなくても、この城にそれなりに長く在陣している長智は重々承知していることであった。

 仮に島津家が力押しを始めれば、到底持ち堪えることは不可能である。

「仰ることは理解しております。こちらの兵力では、三〇〇〇もの兵を相手にするのも困難でしょうね」

「であれば……」

「曲がりなりにも私は相良の家老。島津の軍門に降ることはできませんが、城を明け渡し退去することは適うでしょう」

 長智なりに主家と現実を天秤にかけた上での返答であった。

「できることならば、深水殿には阿蘇家で辣腕を発揮していただきたかったです」

「それは無理な相談です。次にお会いするときは、再び戦場でとなるでしょう」

 残念そうに長智は表情を曇らせた。

「皆を説得する時間をいただきたい。何分、混成軍ですので私の一存だけでは納得しない者もおります」

「……島津が迫っているということを念頭に入れていただきたい。そう時間は与えられません」

「夜通し説得しましょう。明朝には、門を開け放てるよう調整します」

「左様ですか。分かりました。であれば、明朝、城を受け取りに上がります」

「ご苦労をおかけします」

 深く長智は頭を下げた。

 その後、酒を振る舞うという長智の誘いを断わって守昌は下山した。

 守昌を送り出した長智の下に駆け寄ってきたのは、守昌と同じような赤毛の少女であった。

「深水殿ッ! 聞きましたよ、城を明け渡すと言ったとッ!」

 肩口くらいの髪を後ろで纏めた少女だ。背丈は長智の胸に届かないくらいと、非常に小柄である。

「親房殿。もう日が暮れているのに、そう大きな声を挙げては迷惑になりますよ」

「何を暢気なことを仰っているのですか!?」

 顔を真っ赤にしてかんかんに怒っているのは、宗運の妹の甲斐親房であった。背伸びをするように長智に迫っている。

「よもや、明朝には門を開けると……信じ難いことですッ! よりにもよって、隈庄の軍に開門するなんて!」

「そんなに彼のことが気に入りませんか?」

「当然です! あれは、姉さまの仇敵! 姉さまの敵はわたしの敵です! こんなことならば、わたしも会談の席にいるんでした! そもそも、降伏開城はありえないとすでに決めていたはずです!」

「あなたが会談に参加していたら、さぞ大騒ぎになっていたでしょうね」

「首を獲るまたとない好機でした。あんなの、さっさとぶっ殺せばよかったのです」

 ずいぶんと頭に血が昇っているようで乱暴な言葉を投げかける親房。

 一族の敵なのだから、負けを認めるのは感情的に許せないのだ。この確執は、長智とは関係のない甲斐家内での問題である。

「まあ、親房の言葉は言いすぎにしても、説明は必要だろう」

 と、静かに一連のやり取りを見守っていた男が口を挟んだ。

 すでに鎧に身を固め大身の槍を肩に担ぐ臨戦態勢である。

「こっちはいつでも切り込めるように準備はしていたんだがな。一戦も交えずに門を開くとはどういう了見か」 

「重当殿も、頼もしい限りですね」

「深水殿のことだ。何かしらの考えがあってのことだろう。それをお聞かせいただけるのだろう」

「ええ、まあ、正直に言って、これから考えるのですよ。皆さんと一緒に、一晩かけてね」

 

 

 翌朝、約束の通りに阿蘇軍が山を登り、駒返城の眼前に迫ってきた。数はおよそ五〇〇人ばかりで、残りは山麓の陣から動いていないようだ。

 城門の前で深水長智は待ち構えていた。

 丁寧な仕草で一礼した長智は、

「お待ちしておりました、隈庄殿」

 と、ゆったりとした仕草で応対した。

「深水殿、その顔は如何されたのですか?」

 まず、守昌が気になったのは長智の額に布が巻かれていたことであった。血が滲んでおり、怪我をしているのである。

「昨夜より説得を続けておりましたが、開門に反対する者もおりまして。やむを得ず斯様な仕儀となりました。いやはや、説得すると申しましたのに、面目ありません」

「何の、傷は武門の誉れと申します。むしろ面目を施したとお思いになったほうがよいのではありませんか?」

「然程のものでもありません。単なる仲間割れに過ぎません」

 そう言って長智は門を開け、一行を中に引き入れた。

「昨夜の騒ぎがあったもので、掃除も行き届かず重ね重ね申し訳ありません。引き渡すとなれば、きれいにするのが道理ではありますが、とても間に合わず」

 行き交う侍女たちや将兵は昨夜城内で起こったという小競り合いの後始末に駆られていた。血のついた床を雑巾で拭き、壊れた戸を外して建物から運び出している。負傷兵であろうか。担架に乗せられて運ばれている者もいた。

「亡くなった方々を一所に纏めております。今は冬なので死臭はそう酷くはないかと思いますが、近いうちに荼毘に付すなり埋めるなりしなければなりません」

「その手配はこちらでしましょう。城内を検分させてもらったら、今日のうちには城を出ていただきます。もちろん、考えが変わってこちらに就くのであれば、そのように申し出てください」

「ありがとうございます。生憎、相良家以外の水は合わない性質でして」

「真に、残念です」

 その後、長智は自分の家臣も含めて刀や槍の類を阿蘇家の明け渡した。鎧兜のみとなった長智たちは、侍女などの非戦闘員も一緒になって一軍を率いて城外に出ていく。

 山の中腹辺りで、長智は家臣に命じて陣太鼓を叩かせた。大きな音は山彦となって反響し、どこまでも響いていくかのようであった。直後、明け渡した城の中から喊声が上がり、銃声が轟いた。

 長智は、上の騒ぎを確認してから家臣を引き連れて木々の間に飛び込み、足元の枝葉を払い除ける。土中に隠されていたのは刀と槍であった。夜間のうちにこれを隠していたのだ。

「長智様! 甲斐殿の救援に参りましょう!」

「うむ、あの娘、下手を打つとここで死にかねないからな」

 昨日の晩に大荒れした甲斐親房は、今日は朝から死体の真似事をして過ごしていた。戦いで傷ついた死体を放り込んでいるとしていた小さな蔵はその実、死体に扮した親房ら強襲部隊の隠れ蓑であった。

 誰も死体が放りこまれた小屋を細かく検分したいとは思わない。長智の話術もあって、そこは上手く見逃されていた。ばれたところで、騒ぎを起こすのが繰り上がるだけなのでさほどの問題はなかったのだが。

 この策を実行する上で重要だったのは、敵の数だ。

 もしも、城を受け取りに来た敵の数が多ければ、長智は門を開けずに銃撃からの徹底抗戦を主張していただろう。

 今回は引き込んで勝てる人数で城を受け取りに来たので、内と外からの挟撃という形を選んだのだ。

 和睦した振りをして敵を討つのは下策ではある。次に本当に和睦したいときにできなくなるからだが、すでに宣言している通り、長智には相良家以外に身を寄せるつもりはない。義陽が降服していないのに、長智が降服する理由がないのである。

「さてさて、どこまで敵を討ち減らせるか」

 異変に気付いた麓の阿蘇軍が山を登ってくるのも時間の問題である。

 それまでに城門を閉じ、迂闊にも内部に入り込んだ敵兵を一掃しなければならない。

 こちらは完全に敵の不意を突いた。敵は城内に散っているので、軍としての統制が取れておらず、親房を初めとする士気の高い甲斐軍に突き崩されて壊滅していった。 


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