大内家の野望   作:一ノ一

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その六十六

 関門海峡を渡って九国に戻った宗運は、この十数日の間に積もった雪に足跡をつけた。

 この日は一日を通して太陽が顔を覗かせる快晴だった。先日まで空を覆っていたどんよりとした黒雲は東に去っていったようで、二、三日は晴れ間が続きそうな天気である。

 気温は生憎と上がりそうにないが、日光が当たるだけでも雪は溶けていくだろう。幸いにしてさほど積雪があるわけではない。足跡には土が顔を見せるくらいだ。少しの日差しがあれば、すぐに雪は溶けて消えるだろう。

「寒いな」

 宗運の吐く息は白い。シン、と骨の髄にまで突き立つような冷たい空気に身震いする。冬は寒くて当たり前だ。季節の移り変わりに文句をつけても仕方がないが、一年を通して過ごしやすい暖かな気候であればと思わなくもない。

 希代の姫武将である宗運も、人の子である。寒いものは寒いのだ。

「お近くの宿なり寺なりに暖を取らせてもらえるよう、話をして参りましょうか?」

 宗運の呟きを聞いた家臣が、尋ねた。

「いいや、必要ない」

 と、宗運は言った。

「少しでも早く府内に戻らなければならないからな。せっかく、しばらく天気が良さそうなのだから、一息に進んでしまおう」

「左様ですか。承知しました」

 日向街道に積もる雪は、宗運の歩を邪魔するほどではない。

 僅かな供回りのみの移動なので、早ければ三、四日もあれば府内まで辿り着けそうだ。

「そういえば、門司には宗運様の前任者がおられるとか」

「前任? もしかして、明智殿のことか?」

「そう、明智殿。私は明智殿がどのような方か伝聞でしか存じ上げておりません。宗運様は何度かお会いしたことがあるのですよね?」

「ああ。そこまで交流があるわけではないが、明智殿は晴持様の命を受けて様々な国人の元を飛び回っておられた調整役だったからな」

 家臣が言ったとおり、宗運の前任者であった光秀は、今宗運が任されている仕事の多くを以前担当していた。

 完全に任を解かれたわけではなく、あくまでも新たに獲得した領地の運営のために一時的に晴持の傍を離れているだけであるとのことで、領内が落ち着いたら代官なり家臣なりに領内の運営を任せて晴持の傍に戻ってくると聞いている。

「どのような方ですか? 美濃で牢人した後、京で若君に取り立てられたという話は有名ですが」

「そうだな。人となりは、生真面目な教養人といった印象だな。晴持様もよくあの方を見つけて来られたものだ」

 光秀が望んで晴持に自分を売り込んだわけではなく、晴持から光秀に声をかけたというのは、有名な話であった。

 光秀自身が美しい女性であったこともあって、光秀が晴持を誑しこんだ等という噂もなかったわけではないが、彼女は実力でそういった声をねじ伏せていった。

 今でも、光秀に関する悪い噂はあるが、大抵は根も葉もない嫉妬混じりの風聞でしかない。大内家という古い家に吹き込んだ新しい風に対する反発心もあるのであろう。

「明智殿が戻ってこられれば、宗運様と明智殿が両輪となって若君をお支えする形となりますね」

「そこまで大仰なものではないだろう。わたしなど、新参者に過ぎないし、晴持様の周囲には有能な人材が揃っている」

 もちろん、宗運とて負けるつもりはない。が、今の彼女はそこまで未来のことは思い描けない。

 今はただ、晴持に拾ってもらった恩に報いるために日々を過ごすくらいしかない。阿蘇家を放逐されたことで、所領のみならず夢と人生の大半を喪失した。そんな宗運にとっては、今の日常こそが掛け替えのない宝であった。むしろ、彼女にあるのはそれくらいしかない。

 光秀が一から身を立てたというのであれば、宗運もまたそれに倣って晴持からの評価を勝ち取るだけのことである。

 

 山口への使いの任を無事に終えた宗運は、やっと豊後府内へ戻ってきた。途中で雪が降ることもなく、府内へ到着した頃には足元から雪は消え去っていた。

 関門海峡を越えてから四日目の正午過ぎであった。

 今年は比較的積雪が少ない年になりそうだと思いながら馬を繋ぎ、屋敷の門を潜る。

 半月と少しぶりに戻ってきた屋敷は、出発前となんら変わらない様子で、特に火急の用事で騒がしいという風にも見えない。

「戻ってくるのを、今か今かと待っていたよ」

 新たな主は、私室で刀の手入れをしているところであった。いつも通りに、晴持は堅苦しい挨拶や礼の一切を割愛して宗運の来訪を受け入れた。

「遅くなって、申し訳ありませんでした」

「いや、この時期に追い立てるように使いに行かせてしまったんだ。むしろ、半月で戻ってくれたのはありがたいくらいだ」

「山口までの積雪が少なかったことが幸いしました。山のほうは、そうでもないようですが」

「それは、都合がいい。天運はあったようだな」

 晴持はほっとしたように言った。

 その意図するところを、宗運はすぐに察した。

 義隆の動きは晴持にはすでに早馬で伝えてあるので、大森銀山から備後国に兵が動くのは分かっている。

 中国山地の積雪の如何によっては、尼子家の動きも変わってくる。雪が多いほうが、大内家にとっては好都合なのだ。

「宗運が義姉上を動かしてくれたおかげだ」

「いえ、わたしは晴持様のご意見をそのまま御屋形様にお伝えしただけです。決して、特別なことをしたわけではありません」

「特別なことをせずに目的を達するのが一番だ。余計な手間は省けるなら省くほうがいいし、それができるのは能力がある証左だ」

 手放しで晴持は喜び、宗運を誉めた。純粋に宗運を誉めてくれるので、そういう言葉に不慣れ宗運は聞いていて恥ずかしくなってしまった。

「今回は義姉上が動いてくれなければ、何も始まらなかった。結果的に思惑の通りに行ったわけだし、この硬直した戦況に一石を投じられるなら、それは大きな成果だ」

 晴持は立ち上がって部屋の片隅に置いてあった木箱から一幅の掛け軸を取り出した。

「これを、宗運に渡そうと思う」

「は……ありがとうございます」

 突然のことに驚きながら、宗運は掛け軸を受け取った。

「開いて見ても?」

「ああ」

 宗運は傷付けないように丁寧に掛け軸を広げる。

「これは……」

 と、宗運は目を見開いた。

 それは、義隆と会談した時に目に入った掛け軸であった。

「ど、どうしてこれを……?」

「俺の手からでないと受け取らないと、律儀に突っぱねたって言うじゃないか。だったら俺から渡せば問題ないだろうと義姉上が早馬で送ってきたんだ。本当に、雪がさほど積もっていなくて助かったな」

「本当に、ありがとうございます。大切にします」

 宗運は掛け軸を巻いて胸元に抱きしめた。

 確かに素晴らしい水墨画だと見とれたが、欲しいと要求したりはしなかった。例え、恩賞が下されるにしても、晴持からでなければ受け取らないとまで言ったのだが、それをわざわざ早馬で晴持に届けた上で下賜するというのは、宗運としても想定外の出来事だったし、宗運が嬉しく思ったのは、こうまでして宗運に報いようとしてくれる大内姉弟の対応であった。

「気に入ってくれたのなら、俺も嬉しい。雪舟という絵師の山水画だそうだ」

「せ、雪舟……」

 宗運は絶句する。

 雪舟は、応仁の乱が始まった頃から活躍していた水墨画の巨匠だ。その活動は主に西国から九国にかけてであり特に大内家は雪舟の後援者として、彼を支えていた。後年、より高い評価を受けるであろう絵師だが、この時点でも雪舟の作品は名物というに相応しい評価を得ている。

 そして、支援者らしく大内家には雪舟の作品が多数保管されているのであった。

「雪舟を知っているか?」

「それは、もちろん。名前だけですが、実物を見るのは初めてで……このような名物をいただいて、本当によろしいのですか?」

「よろしくなければ、渡してない。宗運には今後共に活躍してもらわなければならないから、その期待も込めて、俺と義姉上から贈らせてもらう」

「は、はい。このご恩、必ずや報いて見せます」

 宗運は深く頭を下げた。

「さて、と。長旅の疲れもあるだろう。今日は下がっていいぞ」

「いえ、長らく不在にしておりましたので、今からでも仕事に戻りたいと思います」

「そうか。なら、好きにしてくれ。ただし、無理はしないことだ。近く、島津の攻勢があるだろう。そのときに体調不良では困る」

「もちろんです」

 それから、宗運は晴持の下を辞した。

 一つ、大きな仕事を終えたからか、久しぶりに晴れやかな気分であった。

 仕事の成果を正しく評価されたことが、一度は失われた宗運の自信を取り戻すきっかけとなったのだろうか。

 

 

 

 

 宗運の交渉により、義隆から正式に龍造寺長信と結ぶことと対尼子戦略の見直しが決定した。

 これは、九国で厳しい戦いを続けている晴持たちにとっても朗報であった。

 尼子家との戦いが優位に進めば、晴持たちの士気も上がる。勝利すれば、こちらに援軍を寄越す余裕もできる。

 圧倒的な兵力差で島津軍を追い詰めることが可能となるのだ。

 宗運が仕事に戻った直後、入れ替わるように別の客がやって来た。この日は妙に来客の多い日だと思いながら二人を受け入れる。

 やって来たのは立花道雪と相良義陽であった。

「珍しい組み合わせだな」

 と、晴持は思わず口にする。

 道雪と義陽はさほど交流がなかったように思う。義陽は宗運と異なり、他国に顔を出すこともほとんどなかったため、名前を知る者は大勢いても直接顔を合わせたことがある者はほとんどいなかった。

 それが、いつの間にか仲良くなっていたらしい。

 義陽自ら道雪の車椅子を押してやって来たのだ。

「最近は道雪さんとよく物語をすることがあるんです」

「義陽は教養のあるすばらしい姫ですから、話をしていて飽きないのですよ」

 道雪も義陽も、共に一軍の将としては申し分ない実力と知識を持っている。領国統治についても素人ではなく、文芸方面の教養も豊かだ。話が合えばとことんまで話し合えるのだろう。

「ところで、晴持様。先ほど、宗運とすれ違いましたが、ずいぶんと晴れ晴れとした様子でした」

「ああ、会ったのか。大仕事を終えたばかりだというのに、ろくに休まないで次の仕事をしようとしている。まあ、本人がするというから任せはしたが、無理をしているようなら止めてくれ。ダメそうなら報告して欲しい。無理にでも休ませるから」

 そんな晴持の言葉に義陽は楽しそうに笑った。

「何だ?」

「いえ。宗運のことをきちんと心配してくださっているのだと思って」

「そりゃ、そうだろ。有能な将が大事なときに倒れたなんてことになったら困る。これからが、本番なんだからな」

「ええ、その通りです。宗運はとても優秀なんです。おまけに頑張り屋なので、人一倍無理をしてしまう性質なんですよ」

「何となく分かる。彼女は光秀と似た感じがするからなぁ」

「明智殿も?」

「ああ」

 晴持は頷いた。

「光秀も真面目が服を着て歩いているようなヤツだ。完璧主義者というと言いすぎかもしれないけど、とにかく休むことを知らない」

 光秀の場合は無理矢理休暇を取らせても、家の中で黙々と勉強していたりする。仕事で使う知識の収集にも余念がないが、一般的な娯楽にはなんら関心を示さない。というよりも、娯楽との関わり方を知らないといったほうがいいだろう。

 そして、そんな光秀と宗運は性格面で似通った点がある。優秀かつ強い責任感を持ち、牢人から這い上がらなければならない立場。それが、彼女たちを仕事に駆り立てているのであろう。

「大内家は文化の家でもあるのだから、無益な過労死は許さんのだ」

 もっとも電気のないこの時代で夜遅くまで仕事をしようと思うと、それはそれで大変なのだ。蝋燭や油もただではない。日が没してある程度すれば一日を終えたとして、寝ても文句は言われない。

「まあ、頑張りすぎる嫌いがあるのは上もまた同じ。人の振り見て我が振り直せと申しますし、晴持殿も休むときはきっちり休まれるべきでしょう」

 道雪が口を開いた。

「俺は別にそこまで働いてはいないぞ」

「どうでしょう。それは、なかなか怪しいところですね。昨日もずいぶんと遅くまで明かりが点いていたようですし」

「何でそんなことを知ってるんだよ」

「それは、人に聞けばすぐに分かることですから。聞かずとも雑談なり何なりが聞こえてくることもありますし」

「地獄耳というか何と言うか……」

「情報収集は基本中の基本ですから。性分と思ってください」

 人の屋敷の情報を探ったことを悪びれもしないで道雪はにこやかに笑う。

「ところで、道雪殿。車椅子の調子は?」

「快適ですよ。止め具のおかげで坂道も楽になりました」

「それは、結構です」

 道雪の言う止め具とは、彼女の車椅子の肘掛についている鋏のようなレバーのことだ。これは肘掛の下で車輪を挟み込むように設置されている部品と連動しており、レバーを強く握るところで鋏が閉じ合わさるように車輪を挟み込み、回転を止める仕掛けになっている。これが、両方の車輪についていた。簡単に言えば、ブレーキである。

「大内家の次期当主とは思えない意外な特技だと思いますよ」

「え、晴持様がお作りになったのですか?」

 レバーを握ったり離したりしながら話をした道雪に、驚いたような視線を向ける義陽。

「昔から、こういうのが好きだったからな」

 曲がりなりにも唐箕や千歯扱きの発案者とされているのだ。長年、色々と手を出してきただけに、車椅子に簡単なブレーキを増設するくらい何ということもない。

 それにこれは、あくまでも簡易的なブレーキでしかない。勢いのついた状態では焼け石に水だろうし、急な坂道を一人で移動するなんてことは絶対にしてはならない。

「車椅子も晴持様の発案だったりするのですか?」

「いや、それは違う」

 と、義陽の質問に晴持は答える。

「これはわたしが府内の大工に作ってもらったものです。『三国志演義』の諸葛孔明に影響されまして」

 道雪は恥ずかしげに小さく笑った。

 車椅子そのものも、この時代では珍しい。発想自体は存在しているようで『三国志演義』では諸葛孔明が使用している描写がある。明で有名なこの小説は当然大内家にも大友家にも存在する。

 伝説的な大軍師を引き合いに出したのが、さすがに恥ずかしかったのだろうか。道雪らしくなくやや頬を染めている。

「それで、名軍師様のご用件は何でしょう?」

「そうそう、今宵、晴英様が歌会をしたいそうです。宗運殿も戻ってこられましたし、是非晴持様もと仰っておいでです」

「それはまた突然だな。参加者は?」

「晴英様とわたし、紹運、義陽、これから声をかけますが宗運殿も加えたいところです。せっかくの歌会なので冷泉殿にも来ていただきたかったのですが、とりあえずはこの面々ですね」

「ああ、何とも濃い面子だな」

 隆豊は府内を離れているため誘おうにも誘えない。隆房もまだ筑後国から帰って来ていないので大内家からの参加者は晴持と宗運になりそうだ。

 この時期に、唐突に言い出してきたとなれば、何が目的なのかは大体察しがつく。

 歌会と言いつつ、義隆との交渉結果を取り纏め、今後の動きを検討するつもりなのだろう。備後国での動きとはいえ、敵に漏れれば妨害される可能性もあった。そのため、内々で進めた話だったので、晴英も詳しいところまでは知らないのだ。

 それを報告するいい機会になる。

 晴持は、すぐに参加する旨を伝えたのだった。

 




戦極姫に限らず大抵の作品で真面目すぎる光秀さん。
戦極姫でも例に漏れない真面目キャラ。作品によっては無趣味→主人公と○○○するのが趣味になったり、忠義を拗らせて主人公を毒殺しようとしたり、忠義を拗らせて百合になったり、忠義を拗らせて本能寺したり、一途な幼馴染だったり、何故か織田家から抹消されていたりと変遷は激しいが真面目な性格はずっと継続している感じ。
多数のヒロインが登場する戦極姫にあってバッドエンドイベントが多い印象。

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