大内家の野望   作:一ノ一

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その六

 年が明けて、遂に作戦を決行する日がやってきた。

 晴持は、この攻撃に備えて陣を天神山へと移し、青山城の尼子詮久を威圧する。天神山は、青山城の尼子家の陣に真正面から対峙する位置である。これで、いつでも尼子家の本陣を狙える。そうして、準備を整えて、本格的な攻勢に出る日を迎えている。

 毛利元就は、自ら兵を率いて宮崎長尾の尼子勢を攻撃するべく城を出た。

 城は、戦いに参加しない百姓などを守備兵に見立てて、城内に配置して城の守りが堅いように見せかけるという入念な対策を取っての出陣だ。

 宮崎長尾の尼子勢は、三段の陣を築いている。第一陣は高尾久友率いる兵二〇〇〇が守っている。対する毛利勢は、城外の小早川興景や宍戸元源と合流し、三〇〇〇人の兵で正面から挑みかかった。

 

 

 その報告は、すぐに尼子本陣に伝えられた。

 尼子詮久は衝撃のあまり言葉を失いかけた。

「バカな、三〇〇〇と言えば、毛利の総兵力ではないか」

 詮久の言の通り、この数字は元就が動員できる兵の限界値である。そして、それだけの兵を動員しても尼子家の三〇〇〇〇の兵からすれば、十分の一程度でしかない。兵力の差を考えれば、打って出るというのは考えづらい。

 だが、実際に元就は兵を出してきた。しかも、郡山城を見る限り、城兵は相当数が配置されている。

「大内方から兵を借りたのでしょう。小早川も合流を果たしている模様です」

「援兵を出すべきか」

「迂闊に我らが動けば大内に突かれることでしょう。宮崎長尾には合計して四五〇〇の兵がおります。これだけでも毛利を上回っております」

「なるほど、確かにその通りであった」

 詮久は動転していた気持ちを落ち着けて状況を頭の中で整理する。

 元就は、兵三〇〇〇を率いて宮崎長尾に攻撃を仕掛けている。これは、元就が外部の小早川家などを組み込んで仕掛けてきたのであろう。彼女が動員できる兵の上限であるはずだ。その一方で、宮崎長尾の高尾久友、黒正久澄、吉川興経らには、合計して四五〇〇の兵がいる。しっかりと守りを固め、落ち着いて迎え撃てば、毛利勢を跳ね返せる。

 戦は数だ。数が多い方が圧倒的に優位に立てる。ならば、本陣が動転して、余計な手を出さない方がいいのではないか。

 詮久の考えは、とても常識的だった。兵法の常道に照らしても、問題となるところはない。

 戦が始まって、半刻ほど経ったところで、飛び込んできた伝令兵が、倒れこむように告げた。

「御、注進……第一陣、高尾久友殿、御討ち死に」

「何ッ!?」

 詮久は立ち上がって叫んだ。

「どういうことだ。高尾には、二〇〇〇の兵がいたはずであろう!?」

「は……久友殿は、毛利勢を柵外にて迎撃されましたが、毛利勢の勢い甚だ凄まじく……」

「守りを固めておけばよいものをッ」

 吐き捨てるように、詮久は言った。

 続く敗戦で、詮久にも苛立ちが募っていたのだ。

 毛利家の勢いを甘く見た。元就は、勝利するつもりでぶつかってきているのだ。

「黒正には、守りを固め、柵から出るなと伝えよ」

 黒正勢に、伝令を送り、陣地の死守を命じる。

 慌てずに対処すれば、兵力差から確実に勝てる相手なのだ。先陣の久友は、その判断を誤ったに過ぎない。

 詮久はそう自分に言い聞かせて、畳床机に座りなおすのだった。

 

 

 

 対する毛利勢は勢いに乗っていた。

 大内勢の助けを借りずに単独で攻めかかったのは勝機を見出したからである。

 そうでなければ、大内家の援軍に任せている。

「ふん、なんだ尼子なんて大したことないじゃん」

 頬に付いた血を拭って、元春は笑った。第一陣の将の久友の胸を突いた槍の穂先には血がべっとりと付いている。年に似合わず、元春の力は突出していた。

「よい戦いぶりだったわ、元春。でも、少々一人で出過ぎたわね」

「う……言うと思った」

「そう感じたのなら、自重なさい。あなたは、毛利を背負う大事な身体なのだからね」

「はーい」

 空返事をする元春に、元就は厳しい視線を投げかける。戦の熱狂は時として重要な判断を誤らせる。それは命に直結するのだ。

 元就と元春は、根本的に対照的な武将だ。後方で策を練る軍師的な元就に対して、元春は前線で自らが槍を振るう。だから、元就は自分の経験から彼女を諭すことはできないのだが、それでもそういった猪武者が迎えるのは、往々にしてあっけない最期だ。

「次は、あなたは下がっていなさい」

「うぇええッ!? なんで!?」

「そういう約束でしょう。あなたの兵も休ませないと。第三陣には出てもらうから、その時に力を発揮できないようでは困るの」

「……分かったわよ」

 不承不承という感じで、元春は天幕を後にした。

 

 鬨の声が上がる。

 第二陣、黒正勢が追い散らされた証である。

 第二陣までを余裕すら見せる勢いで打ち砕いた元就の軍勢の前に立ちふさがるのは、吉川興経である。

 興経の部隊は一〇〇〇人と一番少ないのだが、これまでにない苛烈で頑強な抵抗を見せた。

 その興経の部隊に、さらに黒正勢や高尾勢の残党が加わって、毛利勢三〇〇〇に負けぬ勢力となって激突したのである。

「さすがは、吉川。なかなかに手強い」

 元就は、はじめから吉川勢こそが最も面倒であると睨んでいた。

 というのは、毛利家と吉川家が縁戚関係にあるからである。此度の戦で、吉川興経は、毛利家との縁と尼子家との関係を天秤に掛けて、苦渋の思いで尼子家に就いた。だからこそ、吉川勢は毛利勢に対して情けない姿を見せるわけにはいかないと、獅子奮迅の働きをするだろうと踏んでいた。果たして、元就の読みは当たっていた。

 吉川勢は、毛利勢に負けるなというのを合言葉に、怒涛の勢いで毛利勢を押し戻そうとする。毛利勢もまた、吉川勢とは知己も同然とあって尻に火がついたように激しく突撃を仕掛ける。

 戦いは、意地と意地のぶつかり合いになり始めた。

 どこかで、切り崩す必要がある。流れを変える一手。それは、やはり娘に託すしかあるまい。

「元春。あなたの手勢で、敵右翼を突きなさい」

「来たあああああああ。承知、元春、いっきまーす!」

 槍を手に携えて、元春勢いよく、飛び出していった。

 その元春の様子を見た宍戸隆家が、元就の前に進み出ていった。

「殿、元春様は少々危なっかしく見えます。某も、元春様のお供をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、むしろお願いしたいくらいです。よろしく頼みますよ、隆家」

「御意!」

 隆家は、宍戸元源の孫に当たる。

 祖父ともども、毛利家にとってはなくてはならない戦力である。しっかり者の隆家であれば、元春を押さえてくれるだろうという期待を込める。もちろん、押さえられなかったとしても、それは隆家の責任ではない。後で、元春を叱りつけるのは母であり、当主である元就の責任である。

 元就の期待と不安を背負って出陣した元春は、いちいち自分を制止しようとする隆家に辟易しながら馬を進める。

「元春様。突出はなりません」

「ああああ、もう、分かってるっての。子ども扱いしないで!」

 馬上で器用に足をバタつかせながら、元春は叫んだ。

 まだ十二の娘を子どもと呼ばずしてなんと呼ぶのか。無論、もうじき成人を迎える年齢ではあるが、それでも大人達から見れば、元春は十分に子どもの年齢だ。その元春が、精一杯背伸びをする姿は微笑ましくもあるが、戦場ということで長閑な雰囲気にもならない。

 しかし、その一方で、元春の圧倒的な実力は第一陣を打ち破った際に皆が見せ付けられているものでもあり、彼女の物怖じしないあり方は心強い。

「勢いに乗っていくよ。戦の流れを敵に渡すな!」

 元春は槍を構えて馬の腹を蹴る。それに続いて隆家らが元春を守るように隊列を組んで突撃する。

 元春は軍神もかくやという勢いで吉川勢を切り開く。巨石が転がり落ちてきたかのような突撃に、吉川勢の右翼が崩れる。

「やあやあ、我こそは、毛利元就が娘、毛利元春なるぞ! 吉川兵よ、臆せずしてかかってこい!」

 元気に名乗りを上げて槍を突く。

 幼い外見からは想像もできないとてつもない威力の刺突が、吉川の兵の胸を鎧ごと貫いた。それは鎧の裏をかくほどであった。

 元春を討ち取らんと攻め寄せる敵兵を隆家が槍で打ち倒す。

「毛利元春。かような娘一人に、我が軍が切り崩されてなるものか!」

 勇んで現れた騎馬兵が、元春に挑みかかった。

 打ち下ろされる槍を、元春は受け止める。

「うぬ……重いッ」

 元春は表情を歪める。槍は、もとより突くよりも振り下ろす方が破壊力が増す。刺突はよほど膂力に優れたものでない限りは使ってはならない悪手の技である。槍の基本は遠心力と重量を利用した振り下ろしである。

「あなたの名は?」

「三沢蔵人。覚えんでもよいぞ」

「いや、覚えた!」

 元春は槍を払って、三沢の胴に向かって横凪に槍を振るう。それを、三沢は敢えて受け止め、片手で槍を挟み込んだ。

「う……!」

「死ねいッ」

「なんのぉ!」

 三沢は元春の槍を脇で押さえつけながら、もう片方の手で槍を振るう。それを、元春は背を反らして避け、自分の槍を引いて自由を取り戻す。

 槍の弱点は一撃の重さからの取り回しにくさである。片手で槍を振るえば次の動作が遅れるのは当たり前のことだ。元春はそこに付けこみ、胴体に刺突を放った。引いた槍をそのまま突けばいいので、三沢よりも速く攻撃できる。

「おおッ」

 三沢は、咄嗟に槍を手放し身をかわす。元春の槍は、籠手を掠めて弾かれる。

「惜しい。でも、槍は失くした。あたしの勝ちだ」

「バカを言うなよ。この程度!」

 三沢は腰の刀を抜いて、元春の槍を凌ぐ。

 だが、すでに勝敗は決したも同然であった。

 元春を相手に、槍を失ったのは大きかった。三沢の刀は元春の槍を受け止めることができずに叩き落され、次の刺突が心臓を貫いた。

「ぐ、ぬ……」

 口から血を吹いて、三沢蔵人は馬から落ちた。

「三沢蔵人、討ち取ったり!」

 元春が勝ち鬨を上げる。毛利勢は大きく鼓舞され、吉川勢は威圧された。

「元春様がまた大将首を挙げられたぞ」

「負けていられぬ。わしも手柄を挙げんと」

「押せ押せ! 吉川を押し潰せ!」

 毛利家の将兵が一丸となって、吉川勢に襲い掛かる。

 戦場は阿鼻叫喚の様相を呈し、互いに血を撒き散らしながら死屍累々大地に転がる。

 激しい攻防の最中、元就の本陣に大内家からの使者がやって来た。曰く、尼子家に援軍を送る様子が見られないので、大内家の手勢で尼子本陣を突く、との事だった。

 これに、毛利家の将は怪訝な表情を浮かべた。

 この戦は、毛利家に攻め込んできた尼子家という構図であり、戦の主役は毛利家であるべきだ。本陣を大内家が切り崩してしまえば、ここまで毛利家が苦労してきたのが霞んでしまう。そういう危惧であった。

 だが、元就はこれを快く受け入れた。

 毛利家は郡山城を拠点に活動する国人の代表でしかない。中国は今、誰がどう見ても大内家と尼子家の二大勢力の争いである。ゆえに、この戦も周囲から見れば大内家と尼子家の戦であり、毛利家が攻められているのも、大内家と尼子家の狭間にあるからに過ぎない。

 そうすると、大内家の庇護を受ける毛利家は、大内家が手柄を挙げるように配慮しなければならない。

 それに、隙を見せた敵本陣を突くというのは常套手段。ここで、毛利家が大内家の行動に否を突きつけることは、自分達を不利にするだけである。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 晴持は、当初天神山から戦いの趨勢を見守っていた。

 毛利の軍勢は敵陣を次々と突破し、破竹の勢いで突き進んでいる。こうなると、尼子勢も加勢に動くなり、郡山城を攻めるなりすると思っていたのだが、予想に反して尼子勢に動きはなかった。

 こうなると、黙っていないのが隆房である。

「若。ここは、あたし達も一戦しないと!」

「落ち着きなされ、陶殿。我らは毛利の後詰でここにいるのですぞ?」

 立ち上がって息巻く隆房に、隣の将がそう言った。

「だから、尼子本陣を狙えば、毛利への支援にもなるでしょ! 毛利を支援しに来たのに、尼子家の本隊と一戦をしないなんて、もったいないよ!」

 などと隆房は言う。

 確かに、隆房の言うことも一理ある。元就から頼まれたのは、城に尼子勢が攻め寄せないようにするための威嚇である。すると、尼子勢にまったく動きがなければ、こちらは完全に遊軍になってしまう。七千の遊軍だ。これは確かにもったいない。

「なるほど、な。隆房の言に異を唱える者はいるか?」

 晴持は諸将を見渡す。この時点で、誰もが尼子本陣を突くという隆房の意見に利を見出していた。晴持自身も、尼子家に打撃を与え、毛利の従属性を強めるにはここで兵を動かすべきであると考えていたので、結論は出た。

「機は熟した、か。……では、元就殿に使者を遣わす」

「あ、晴持様。わたしが……」

「いや、隆元は残れ。地理に明るい隆元にはここにいてもらわないといけない」

 そして、晴持は手ごろな兵を使者に立てて、元就に意向を伝えつつ、使者が帰ってくるのを待つ間に尼子家の陣割を調べ直した。

「尼子はこの辺りの地理に暗く、どうやら山や谷に兵を小分けにしている模様です。その一方で、我らに対しても警戒しているので、正面には多めに兵が配されています」

「正面からは厳しいか。なんとかして背後を突きたいところだな」

 晴持が呟くと、隆元が絵図を指差す。

「それでしたら、天神山を南に下り、郡山の影を通って川の上流から対岸へ渡ればいいと思います」

「ほう……なるほど、確かにそれならば敵の背後を突けるかもしれんが」

「若、尼子の連中はこっちには兵を厚くしているみたいだけど、向こうは手薄。いけると思う」

「よし、では隆元の策でいく。使者が帰ってきたらすぐに動くぞ」

「応!!」

 

 

 

 元就からの返事は簡潔明瞭だった。

『こちらは正面の敵に対するので手一杯なので、尼子を攻撃していただけるのは真にありがたいことです。存分にご活躍くださいませ』

 とのことであった。

 元就が認めてくれたので、晴持は本格的に軍を動かした。

 物見を出し、敵勢の様子を探りつつ、晴持は軍を天神山から動かす。兵二〇〇〇を天神山に残し、旗を立て、こちらの動きを見破られないようにする。

 寒さに負けないように、陣中の酒を思い切り振舞った。

 そして、本隊はひっそりと南から下山し、郡山城を迂回、尼子勢から山を影にして移動する。

 川を上流まで遡って渡河すると、そこは尼子勢が陣を構える青山城の背面であった。 

 晴持を総大将とする五〇〇〇の兵が、山頂の尼子の陣を見上げている。尼子の旗は風に棚引き、寒風の中で吹き曝しになっている。

「若様、これ以上お近付きになるのは危険です」

「危険はどこも同じだ。大将が、怖気づいて後ろにいるわけにもいかないだろう」

 隆豊が心配してくれるのだが、それをそのまま受け止めては決戦を仕掛けようという気持ちが揺らぐ。兵卒にそのような姿を見せるわけにもいかない。

 尼子家の旗が動き始めた。

 やっと、こちらの動きに気付いたらしい。

「よし、お前ら、酒飲んでここまで歩いて身体も暖まっただろう! その火照りが冷めないうちに、さっさと尼子の連中を打ち破れ! 帰ったら酒盛りだぞッ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 地響きすら起こすように、大内勢は喊声を上げて山に攻め上っていく。

 背後を取られた尼子勢は動きが鈍い。彼らは三〇〇〇〇の兵を連れてきているが、そのすべてが本陣にいるわけではない。分散配置されていたために、本陣はむしろ手薄の状態なのだ。そこに、大内勢が直接挑みかかったのだから、尼子勢の混乱は非常に大きなものになった。

 山道を駆け上っていく兵を眺めながら、尼子勢の動きを観察する。

「む、思いの他抵抗が少ないな。こんなものなのか、尼子家の守りは」

「奇襲による一時的なものでしょう。立て直されれば厄介ですし、騒ぎを聞いた他の部隊が援軍を寄越すまでそう時間もありませんよ」

 隆豊の冷静な分析が、優勢であれる時間が短いことを示していた。

 晴持は頷いた。どちらにしても、これは時間との戦いなのである。

「敵将の首を獲るのが最良ではあるが、さて、どうなることか」

 見つめる先で大内菱の旗がはためいた。隆房の隊が打って出た敵と交戦したのである。

 

 

 

「首は打ち捨てろ。欲を出したやつはあたしが斬る。ただし、大将首は別! 皆奮ってかかれ!」

 山道ゆえに、馬が使えない。しかし、それでも隆房は信じがたい脚力で山を駆け上っていく。それはまるで天狗のような俊敏さであった。

「どっせーい!」

 跳んだ隆房は、膝を敵兵の顔に捻じ込み、槍を一閃して首を刎ねる。大木の幹を蹴って敵の集団に飛び込み、五人を纏めて打ち倒す。一騎当千の働きを見せる隆房が、山の中腹にまでやってきたとき、遂に尼子家が対応に動いた。

 兵を率いて押し出てきたのは老兵だった。だが、その身に纏う覇気は並ではない。歴戦の猛者に相違ない。

「老いぼれが数を頼みに出てきたところで何ができようか!」

「尼子一門の者だ。大功だぞ!」

「よし、俺が討ち取ってやろう!」

 狭い山道に大軍は不向き。敵が怒涛のように押し出てこようとも、少数での戦いになるので、敵将を倒せると踏んだのであろうが。だが、それはあまりに稚拙な考えであった。

「バカ、その人に迂闊に手を出しちゃダメだって!」

 隆房の叫びは間に合わず、墜ちる星の如き尼子勢は、拙速にも単騎で挑みかかった大内勢を次々と跳ね除けていく。

「言わんこっちゃない!」

 隆房が槍を持って立ち向かう。老兵もまた大槍を振り回し、大内勢を薙ぎ払いながら、隆房を視界に収めた。

「よき敵とお見受けする! あたしは陶隆房! 願わくば、御身の名を伺いたい!」

「ほう、陶の娘か。このような小娘が、攻め上ってくるというのに、我が方の勇なきが忌々しい」

 老兵は、大きな身体で槍を構えて名乗った。

「我が名は尼子久幸。相手が陶の娘とあらば冥土の土産としては上々じゃ、といいたいところじゃが、生憎と急ぎの用。お主一人の相手をしてばかりもいられぬ! 押し通る!」

 久幸は、臆病野州と主に罵られた男である。しかし、その本質は軽挙妄動を慎み、知略と武勇を併せ持った猛将である。

 この危難を年老いた老兵の死に場所と定めて、臆した仲間の将兵に別れを告げて自ら決死隊を率いて打って出たのである。

 戦では高いところに陣取るのが基本である。高所からの突撃はそれだけで勢いに乗るもので、正面からこれを受け止めるのはよほどの筋力がない限りは難しい。まして相手は歴戦の猛者である。

「うぎぁ」

 隆房の口から妙な声が漏れた。

 久幸の槍があまりにも重かったために、腕が痺れて後ずさる。斜面を転がり落ちるように駆け下る尼子勢に、大内勢は押され始めた。久幸の獅子奮迅の働きが、決死隊を勇気付けているのだ。

「ええい、行かせるか!」

「それはこちらの台詞じゃ!」

 喰らいつく隆房と振り払う久幸。

 勢いさえ殺してしまえばと思ったが、この老兵、中々に強い。足腰だけでなく、意思が強いのだ。死を覚悟して、主のために身を投げ出しているのである。

 死兵となった尼子勢は、腰の抜けた大内勢を追い散らす。

「ああ、もうこんなことしている場合じゃないんだから!」

 苛立ちながらも、相手の槍をかわし、返す刀で反撃する。それを、久幸は悠々と避ける。久幸の豪槍は、まともに受ければ隆房とて無事では済まない。

「臆病野州の最期をその目に焼きつけよ!」

 決死の覚悟をした老兵の意地は、若き隆房の牙城を崩し、槍の穂先がその肩を抉った。

 鮮血が噴き出し、隆房の白い頬を濡らした。

 しかし、隆房は呻き声一つ挙げず、歯を食いしばって前に出た。

「なん……!」

 久幸ほどの猛将を相手にして、無傷で事を終えるのは不可能と断じ、敢えて受けた。致命傷にならなければいいのだ。前に出れば、突き出された槍は振るえない。

「でやああああああッ」

 隆房は先端近くを持った槍を振り上げて、久幸の腕を斬り飛ばした。

「ぐぬうううッ」 

 槍と腕を失い、久幸は数歩後ずさる。

 心なしか、その顔には笑みを浮かべている。

「……見事、大内の若者も育っておると見える。これは、なかなか苦労しますぞ」

「苦労なんて感じる暇はあげないけどね」

 隆房は改めて槍を構えなおした。

 傷ついた肩が熱を帯びているが、不思議と痛みはなかった。戦の高揚が、誤魔化してくれているのだ。

「せめて、お主だけでも冥土に連れてゆく。最期の奉公じゃ」

 久幸が刀の柄に手を伸ばしたところで、隆房はその首を刎ね飛ばした。刀を抜く間を与えてやるほど、彼女は慈悲深くないのである。

「尼子久幸、討ち取ったり!」

 無慈悲な勝ち鬨が戦場に響き渡った。

 

 

 

 □

 

 

 

 晴持の構える本陣に、戦況を伝える伝令が飛び込んでくる。

「陶隆房殿、敵将尼子久幸を討ち取られました!」

 おお、と陣中に感嘆の声が上がる。 

 尼子久幸といえば、尼子家の前当主尼子経久の弟である。長年に渡って尼子家に重きを成してきた老臣で、犬猿の仲である大内家には、その名がよく知られた武将であった。そのため、大内勢はその報だけでも大いに湧き立った。

「隆房はどうしてる?」

「は、隆房殿もまた手傷を負われ……近臣の者達に連れられる形で兵を退かれました」

「なんだと!? それで、怪我の具合は!?」

 晴持の剣幕に、伝令兵は気圧されたように言葉を詰まらせた。

「私が聞きましたところでは、お命に障るものではないとのこと」

「そうか、それは良かった」

 隆房に万一があってはならない。老い先短い尼子家の老臣と新進気鋭の隆房とでは釣り合わないのだ。後で見舞いに行かねばならないか。

「若様、ここはわたしが」

「ああ、久幸殿を討ったとしても隆房が退いたことで、敵は攻勢に出るかもしれん。隆豊、尼子の息の根を止めてきてくれるか?」

「はい、微力を尽くします」

「烏を連れて行け」

「え、あ、よろしいのですか?」

「ここに至っては仕方ない。流れをこちらに引き寄せるには、意表をつく必要がある」

 烏とは、晴持が組織した親衛隊の暫定的な呼び名である。晴持が自分の子飼の兵の中から選び出した者に、特殊な訓練を施して組織したものである。

 この烏には、他の兵にはない特徴があった。

 それは、大内家が貿易によって手に入れた舶来品、鉄砲を装備しているということである。

 積極的に外を見てきた晴持は、貿易で手に入れた鉄砲を複製し、配下に装備させていたのだ。ただし、彼らが実戦に出たことは未だなく、その実力は未知数と言ったところだ。

「隆元、隆春は側面からの尼子兵の相手を」

「はい」

「承知しました」

 毛利隆元と内藤隆春が手勢を率いて展開する。本陣の危難を知って駆けつけてくる尼子勢の側面からの攻撃に対処するためである。

「さて、ここが正念場だ」

 晴持は、しっかりと腰を据えて、絵図を見る。白と黒の碁石が敵味方を表しており、隆房を表す石と代えて隆豊を表す石を青山城に置いた。

 

 

 隆豊は隆房とともに城攻めをしていた諸将と共に山頂を目指した。隆房が退いたことで敵は混乱から立ち直る時間を与えてしまったようで、攻め上る兵を前に決死の覚悟で矢を射放ち、槍で突いてくる。

 流れが尼子家の方に向かいつつあるのを隆豊は感じていた。このままでは来援の兵が敵本陣と合流してしまう。そうなれば、ますます向こうは活気付くことだろう。

「これから先、どれだけ大きな音が鳴ってもうろたえてはいけません。いいですね?」

 隆豊は、まず自分の兵に向かってこのように言い聞かせた。

 隆豊をはじめ、晴持に近い者はこの鉄砲のことを知っているが、末端の兵までその威力や特徴を知っているわけではない。特に発射時の轟音は凄まじく、なんの準備もなくこれを聞けば、震え上がって戦闘に支障を来たす。

「それでは、攻めましょう」

 再び、大内勢の攻撃が強まった。

 隆豊らが率いる兵が山道を駆け上っていくと、尼子勢がそうはさせじと打って出てくる。

「やはり、大分立ち直っているようですね」

 隆豊は、尼子家の対応からそのように判断した。

 敵が勢いづいているのなら、その勢いをそぎ落とす。

「烏の皆さん、お願いします!」

「御意!」

 兵の前面に出た烏は一〇人。道は隊列を組めるほど広くないので、これでも各列五人で二段になる。一段目の烏は膝立ちで鉄砲を構える。

 そして、突出する尼子勢に向かって弾丸を撃ち込んだ。

 響き渡る轟音と共に尼子勢の前列がもんどりうって倒れた。撃ち込まれた弾丸は、鎧を難なく貫通してその後ろの兵すらも貫く。そして、倒れた兵に躓いた後ろの兵が次々と倒れて転がる。

 そこに、二段目の鉄砲が火を噴いた。

 敵は斜面を駆け下りてくるので、正面だけでなくその後ろも狙うことができる。二段目の烏達が狙いをつけたのは、尼子勢の真ん中辺りだ。なぎ倒された前列に巻き込まれない辺りである。

 狙い違わず五人の兵が血を吹いて倒れた。

 矢と違い何が飛んでいるのかも見えず、とてつもない音量が耳を劈く。未知の兵器に恐れを為した尼子兵は、壊乱状態になった。

「今です、突撃!」

 鉄砲で崩れた尼子勢に、大内勢が突撃する。

 尼子勢は散々に打ち破られて敗走する。

「追い散らせーッ!」

「尼子恐るるに足らず!」

 敗走する尼子勢を追走し、次々と討ち取っていく。隆房が切り開いた道を、隆豊は駆け上っていく。やがて、砦が見えていくるが、これもまた鉄砲が大いに役に立つ。

 木製の門や櫓は、確かに矢を防ぐことはできる。だが、音速を超えて飛んでくる鉛玉までは防げない。易々と弾丸は貫通して、櫓の中の守備兵を撃ち殺す。左右の櫓から弓で狙ってくる守備兵を、木々に隠れた烏が優先的に狙撃する。木が楯になるので、次弾を装填するのも余裕がある。三人一組になった烏は、隊を離れて山伏のように険しい山道を登り、敵の指揮官や弓兵に弾丸を撃ち掛ける。一つの轟音が鳴れば一人死ぬ。大内家が導入した武器の詳細が分からなくても、その性質は尼子兵にも理解できる。すると、もう音だけで怖気づく。

 鉄砲という未知の兵器が生み出した流れを変えることなく、一気呵成に本陣に至る。

 門を打ち壊し、櫓を征し、本丸へ向かう。

「本丸一番乗りじゃ!」

「尼子詮久殿は何処! いざ、一戦参られよ!」

「城落ちたぞおおお!」

 最後の門を打ち壊して、大内勢は青山城に突入した。もはや、ここまでくれば尼子勢の抵抗はあってないようなものである。

 尼子家の一団が隆豊達に向かってきたが、衆寡敵せず。尽く討ち取られてしまった。

「城内を隅々まで探しましたが、尼子詮久殿姿はありませんでした」

 報告を聞いて、隆豊は内心で舌打ちをする。尼子家の当主が目と鼻の先にいて取り逃がしたとなれば、それは失態である。

「詮久殿は、落ち延びられたということですか」

「おそらくは」

「分かりました。追手を差し向けます。雪が降る前にできれば始末を付けたいところですね」

 山道を使わなければ、逃げようはある。ただし、逃避行とすればかなり過酷であるし、雪に足跡もつく。本陣の兵と共に落ち延びるのであれば、当然ながらそこには白の中にむき出しになった土の道が生まれるはずだ。

 まだ、そう遠くには行っていない。

「若様に報せてください。それと、山を迂回して追手を差し向けてくださるように伝えてください」

「御意」

 山頂と山麓で尼子家を追走する。可能ならば、詮久の首も獲れるだろう。

「この城に価値はありません。火を放ちましょう」

 毛利家と目と鼻の先にある青山城は、正直に言えば邪魔である。大内家にとっても毛利家にとってもこれと言って利になるものではない。

 すでに日も没しつつある。

 城という巨大な松明で、帰り道を照らすという意味もあり、逃げる尼子勢の姿を浮かび上がらせるものでもある。

 こうして、戦は、尼子家の完全敗北という形で終焉を迎えたのだった。


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