大内家の野望 作:一ノ一
時は大内家と龍造寺家が事を構えるよりも前に遡る。
龍造寺隆信が筑後国に侵攻し、柳川の城を落とした頃の事である。龍造寺軍は意気を盛んにし、筑紫平野を席巻せんと軍備を増強しており、その動きに対抗するため陶隆房率いる大内軍が博多を経由して筑後国に押し入った少し後、戦地に赴く万の軍勢を見送った博多の街の一画で、ある会談が行われていた。
博多を中心に活動する商人神屋宗湛の屋敷である。彼は、大内家と懇意にしている神屋寿禎の血族であり、彼が先年病を得て死去してからは、神屋家を取り仕切って商いに奔走しているのであった。
宗湛がいるのは、七、八畳ほどの茶室である。普段使っている客間よりも離れた場所に設えられている。この屋敷が建ってから十年以上の月日が経っているが、畳や家具漆器類のみならず柱などが真新しく見えるのは、よほど細やかに手入れをされているからなのだろうか。あるいは、滅多に人の出入りがないという事なのだろうか。
それはどちらも正しい。
この部屋はただの商談ではなく、より高度で政治的な話題を出す際にのみ使用する事になっている。
集まったのは宗湛のほかに三名。その内一人は、宗湛とそう歳も離れていないであろう姫武将であった。
中年の肥満体ながら視線が鋭く脂肪の下に筋肉の鎧を着込んでいる事が見て取れる男が豊後国府内の商人にして、大友家の貿易政策の中核に位置していた仲屋乾通。
乾通に対面し、緊張感のある面差しの細身の翁は、肥前国平戸からやってきた安藤市右衛門。そして紅一点となる姫武将毛利隆元。
「さて、折りしも陶様が龍造寺退治に出陣されましたが、我々も我々の戦をする時が来たものと思い、こうして皆々様にお集まりいただきました」
口火を切ったのは家主である宗湛だ。
先刻までの歓談の気配はとうにない。ひりひりとした見えない炎が肌を焼いているかのような緊張感が室内に立ち込めた。
「我々の戦、のう。まあ確かに、戦は刀やら槍やら振り回す事ばかりではないからの」
乾通は胡坐をかいた膝を手の平で摩りつつ、顔に笑みを浮かべる。
「もっとも、うちは大内さんのおかげでそこそこ持ち直しましたし、宗湛さんのとこは初めから大内さんの派閥。戦をしなければならないのは、市右衛門さんのとこでしょうのぉ」
鷹の目のように鋭く細い乾通の眼が市右衛門に向けられる。
もともと大友家に抱えられ、外国船の誘致に成功するなど府内を中心に手広く商いを展開していた乾通も、近年の大友家の失速具合に危機感を抱いてはいたのだ。領主の交代は領国内の様々な人々に何かしらの影響を与える。とりわけ商人はその領主の「経営方針」によって身持ちを崩す可能性も否定できない。利を貪るだけが商人ではないとはいえ、それなりに利益を上げられなければ領主に協力する事はできない。この戦国の世にあって金食い虫の戦は商人達にとって稼ぎ時であり、強い領主はそれだけ彼等に金を落としてくれるのだが、その半面、領主が没落してしまえば、大損をする事になる。投資した分が回収できなくなるというだけならば、まだましで下手をすれば自分達の商売が立ち行かなくなる。
乾通が胸を撫で下ろしたのは、大友家が滅びる事なく大内家の傘下に収まった事と、とりあえずは商人達の活動に支障が出ていないという事である。それどころか、瀬戸内を支配する大内家と繋がった事でさらなる利益が上げられるようになるのではないかという期待感もある。
「安藤さん。まずは、ご足労いただいた事に感謝いたします。平戸でのご苦労のほど、お察しいたします」
隆元は簡単な挨拶から、市右衛門と交流する。ここに集まり軽く話をしてはいたが、正式に会談が始まったので改まって話を始めたのだ。
「こちらこそ、毛利様に拝謁する栄に浴しました事、真に嬉しく思います」
この席で最も力があるのは隆元だ。しかし主役ではない。この席の主役はどちらかと言えば市右衛門だ。隆元と市右衛門。両者の思惑が一致したからこそ、この会談が実現した。
「まずは平戸について」
「は……」
市右衛門は頭を下げ、巻物を隆元に渡した。
「私が発つまでの平戸の様子を書き記して参りました」
「ご苦労様です」
隆元はさっと巻物を広げて目を通す。武芸よりも学問を得意とする毛利家の長女は、流し読みするだけで書物の要点を把握する事ができる。本人は自覚していないが、こうした能力は派手な戦功を上げ注目を集める妹達にも匹敵する長所であると言ってもいい。
武勇が称揚される戦国の世ではなく、太平の世に生まれていれば名君として早くから期待されたであろう。
そして、大内家のような規模の大きな大名家にあっては隆元のような「政治家」の存在をこそ重要視するべきであった。武家ならば武勇を示してこそ、と思われがちな世の中で、大内家、とりわけ晴持は隆元の後方支援能力を高く買っていたのである。
「やはり、ずいぶんと荒れているようですね」
隆元は憐憫を僅かに込めて、寄り添うように呟いた。
「龍造寺様との戦いで、平戸は焼けてしまいました。再建には多額の費用と時間を要する事になります」
「そうでしょう。といっても、龍造寺家もすでに再建に向けて動いているのでしょう。それ自体はさほど大きな問題ではないはず……」
平戸は九州でもとても大きな市場である。いや、であったといったほうが正確か。平戸は松浦家と龍造寺家の騒乱の中で焼けてしまい、今は往時の姿を留めていないのだという。それでも、天然の良港であるので龍造寺家が再建を進めるのは分かりきっている事だが、南蛮貿易も長崎に奪われているため、平戸の商人は非常に苦しい状況に追い込まれている。
市右衛門が提出した書類には、平戸の無残な様子と彼の逼迫した現状が綴られている。
龍造寺隆信は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しており、今まさに筑後国を手中に収めんとしている。大内家はこの企みを封殺するために動いており、隆房が進軍したからには遠からず両軍はぶつかり合う事になるだろう。
その結果がどうなるのかは、未だ不透明。龍造寺家も決して弱い軍ではない。大内家が負けるとは思わないが、かなりの痛手を被る可能性も否定できず、南の島津家の動向も気になるところである。
そのような心配事をおくびにも出さず、隆元は巻物を巻きなおして横に置くと、市右衛門に向き直った。
「それと、お願いしていたものについてはどうでしたか?」
「はい。それにつきましても、用意いたしました。平戸の状況が状況だけに、聊か苦労しましたが……」
市右衛門が差し出したのは、もう一巻きの巻物であった。
「目録の通りに用意してございます」
「ええ、ありがとうございます。これで、晴持様、義隆様もお喜びになるでしょう」
ふわりと隆元は笑みを浮かべた。
彼女にとっても、重責から解放されたようなものだったからである。
隆元が入手したのは、サトウキビの種や砂糖の精製方法などを記した書物である。この時代はまだ日本にはなく、正史では十七世紀に琉球王国が明に製造方法を学んだのが始まりであるともされる。
砂糖の生産は一大事業になる事が予想され、諸国に先駆けての製品化は晴持にとって悲願でもあった。
「それでは、お礼の品をお渡しします。この戦で勝利した暁には平戸にも更なる支援をする事も叶うでしょう。それだけの価値があなた方にはありますから」
隆元はそう言って、市右衛門に金品を渡した。サトウキビの情報に対する報酬である。そして、龍造寺家を討った後に、平戸の商人達を抱きかかえるための手付金でもあった。
「ああ、それと仲屋さん。例の件は今どうなっていますか?」
隆元は今度は乾通に尋ねた。
「手は打っておりますが、さて、どこまで上手くいくものか。それに、まだ決行の時期ではないのでしょう?」
「はい。しかし、いざ決行となって上手く行かなかったら、それはそれで別の手を考えなければならないので」
「一応、向こうの仲間に話はしていますが、あちらさんも命は惜しいはずですからのう。命よりも利を優先する連中ですが、だからこその危険は伴いますぞ」
「承知の上です」
以前から、内々に話をしていた事ではある。晴持に持ちかけられ、そのまま豊後国の一大商人である乾通に相談した。
晴持曰く、島津家への嫌がらせ。
島津領内の米を相場よりも高い額で買い取ってこちらの兵糧にしてしまおうという意地の悪い作戦であった。
島津家が領有する南九州はもともと稲作に不向きな土地だ。米の収穫量も多いとは言えないので、兵糧の管理はかなり厳しいものになっているはずだ。それでも、年貢を銭で納める以上は金に換えなければならない。金に換えるのならば、少しでも高いレートで取引したいはずである。島津家と大内家が入り乱れている戦場近くならば、介入しやすく、少しずつ買取を進めている段階であった。
「しかし、晴持様も嫌らしい策を用いますな。銭はいくらあっても食えませんからなぁ」
「島津に銭が入ろうと、米にできなければ兵糧にはなりませぬからな。その米が島津領内から消えてしまえば、厳しい戦いを強いられる事になりましょう」
乾通と宗湛は苦笑いを浮かべていた。
島津家の農民達は商人を通じて米を銭に換える。そして、商人は米を上方等で売りさばいて利益を得る。瀬戸内海を押さえた大内家は、この流れに干渉できる。米価を吊り上げて、島津家の兵糧、財政を圧迫する戦の外で行われる戦を大内家は仕掛けているのである。
戦で勝敗を決するのではなく、その前の段階から勝負を仕掛けるのは最近の大内家、とりわけ晴持が得意とするやり方であり、それは武士というよりも商売人的な思考によって成り立っていると乾通は見ている。
彼が大内家との取引を拡大しようとしている背景には、大内家が西日本の覇者となり流通を握っている事に加えて、こうした晴持の金を戦に有効利用しようという発想に注目したからでもあった。
戦をその場その場における局地的なものと見るのではなく、そこに至る過程に着目して金をかけて準備する姿勢は、武士にはあまり見られないものだった。
とはいえ、この島津家から米を買うという戦略は、かなり成功率の低い策である。中途半端に行えば、ただ島津家に金を入れるだけの結果となるだろう。しっかりと、島津家の兵糧や収穫状況を確認した上で事を進める必要があった。
そのため、乾通は知己を得た島津領内の商人にそれとなく島津家の内情に探りを入れているのだ。
「天候不順に火山の噴火、度重なる戦もあって島津領内は、まあ例年通りに不作が続いている模様。米の価格も相応に上がっております。もっとも、原因には大内様が流通を抑えた事もありますが」
「どこも苦しいのは一緒と言えば一緒ですが……」
「こう言っては元も子もありませぬが、島津と戦をしても大内様にはさほど利益はありませぬでしょう」
確かに、それを言ってはお終いだ。島津家との戦に利を感じている者はさほど多くない。島津の領国は土地が痩せていて、面積の割りに収穫高は低いのだ。中央から最も遠く、大内家が形成する経済圏の外に位置しているので、わざわざ兵を差し向ける理由に乏しい。
「それでも降りかかる火の粉は払わなければならない、という事のようです」
隆元は武家の長子ではあるが、戦の事はよく分からない。戦うよりもこのようにして商談に励むほうがずっと性に合っているからだ。晴持が人質に過ぎない自分をこのような大役に抜擢してくれたのは嬉しい限りで、精一杯励まなければならないと思ってはいるが、時として同時に戦の戦略決定に必要な情報が流れてくる事もあり、戦は分からない等とは言っていられない状況となっている。
それが、隆元にとってはストレスでもあり楽しみでもあった。
「それともう一つ。先ほど、島津家に兵を差し向けるのは利にならないと仰っておりましたが、琉球を含めた貿易の可能性が拡大するのは十分、利になるかと思います」