大内家の野望   作:一ノ一

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その三十八

 筑後国柳川城は、九州でも最高峰の優れた防衛能力を誇る名城である。

 城主は蒲池鎮漣(かまちしげなみ)

 筑後十五城の盟主的立場にある、筑後最大勢力の国人である。

 背の高い骨太でいかつい顔立ちの男であった。そして、見た目に反して知力にも秀でており、統治についても瑕疵なく進める事のできる武将である。

 そんな鎮漣にとって、生涯最大の失策が龍造寺隆信を信じてしまった事だろう。

 もとより敵ではなかった。

 鎮漣の父、鑑盛は肥後国を追われたかつての彼女を匿い、三年に渡って面倒を見て、再起の手伝いをした事もある義の人であった。

 残念な事に、鑑盛は耳川の戦いに於いて並み居る大友兵と共に屍を曝す事となり、思わぬ形で当主の座についた鎮漣が最初にぶつかった大きな問題がまさかかつて友誼を交わした龍造寺家との戦いになろうとは。

 断金の交わりとか莫逆の友とかいうほどではないにしても、心で通じ合っているとは思っていた。幼き日に交わした友誼は終生色褪せぬものと。所詮は錯覚に過ぎず、戦国の世は弱肉強食の非情な世界だという事か。

 筑後国を傘下に収めんと野望を掲げた龍造寺隆信にとって、たとえ味方であっても傘の下に降らない鎮漣は目の上の瘤であったのだろう。

 二〇〇〇〇人からなる大軍は瞬く間に柳川城下に押し寄せて、黒々とした暗雲の如く、天地を覆う蝗の如く城兵と民草を威圧している。

 雲霞の如きとはよく言ったものだと苦笑する。

「いかがなさいます?」

 尋ねてきたのは兄の鎮久だった。

 母に似たのかすらりとした長身の男である。鎮漣とは似ても似つかぬ容貌は、母親違いであるからだろう。鎮久は庶子であるために長男でありながらも家督を継げず、家老として弟を助けてくれている。

 そのことに若干の負い目を感じながらも、鎮漣は当主として返答する。

「あの程度の数ならば、城に篭っていれば問題はないだろう。隆信めは焦っている。大内と大友が結んだ事で、想定していたほどの影響力の増大が見込めなかったからな」

 それは、隆信の筑後国討ち入りに協力していたからこそ言える事だった。

 まさか、協力者である蒲池家にまで手を伸ばしてくるとは思わなかったが、その翻意こそ龍造寺家の焦りを象徴するものと言えるだろう。

 九州で睨み合う二つの連合。

 この二大勢力には、一つ、大きな相違点がある。

 島津・龍造寺連合は、所詮不戦の約を交わしただけの一時の同盟に過ぎない。時期が来れば激突は必至で、足並みをそろえる事もまずできまい。龍造寺家は龍造寺家で、島津家は島津家で領土を拡大していきたいのだから。

 その一方で大内・大友連合は完全に大内家の下に大友家が入るという形に落ち着いている。指揮系統は安定し、大勢力を一つの意思で動かす事ができる下地を整えつつある。

 島津家と龍造寺家は共に肥後国を窺う勢力でもあり、そう簡単に協調などできるはずもなかった。加えて、大友家が零落した事で、一息に揉み潰せると踏んでいたのだから同盟も強固なものではなく、獲得する領土は早い者勝ちという意味合いが強いものだった。

 結果として隆信は島津家よりも早く肥後国への道を切り開き、領土を広げようと積極的な攻勢に打って出たのである。

「いずれにしてもこの城は力では落ちぬ。隆信が力に頼るうちは、我等も相応の相手をしてやるまでよ」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 小勢力の群雄割拠の時代の後には大勢力による激突の時代がやってくる。古くは中国の春秋時代から戦国時代への移行に見られるように。

 今、九州でも似たような形で時代は推移している。

 それまでは、大友家一強の時代であり、その他の勢力は小規模な紛争を抱えている程度のものであった。

 島津家の台頭をきっかけに、その時代は終わりを告げた。

 大友家は勢力を縮小し、その代わりに島津家と龍造寺家が飛躍的に力を高めた。

 大内家が大友家の支援を始めて一大勢力と化すと、島津家と龍造寺家が歩調を整えて対立するようになり、九州は二大勢力が睨み合う魔窟となった。

 不幸なのは間に挟まれた国人や土豪たちだろう。

 彼らに中立は許されない。

 どちらか一方に組しなければ未来はなく、組した側が敗れれば、それもまた破滅への道を突き進む事となる。

 今の時点で宙に浮いているのは肥後国北方の諸勢力であるが、その大半は大内・大友連合に近付いている。それは、肥後国南方の相良家が残存勢力を集めて北方の阿蘇家と結び、大内・大友連合との連絡を密にしているからであった。

 全体的な戦力ではほぼ互角の二勢力。

 大内家が本腰を入れれば、さらに敵を圧倒する戦力を投入できるだろうが、東にも目を向けなければならないという事情もあり総ての戦力を九州に投入するのも憚られる。

 加えて、傘下に入った大友家の土壌がすっかり痩せてしまっている。

 まるで屋台骨をシロアリに食い荒らされたかのような惨状を呈しており、とてもではないが足並みをそろえてすぐに征伐に出ようというわけにはいかなかった。

 当面――――といっても、それほど余裕があるわけではないので、半年を目処に状況を落ち着かせる。そのために、大内家の将兵が国境警備等に当たり大友家の地盤強化に協力するというのが今後の予定である。

「それも島津と龍造寺の出方次第ではあるんだけど」

 地図を広げて九州の大まかな形を視線でなぞる。

 味方と敵が一応は綺麗に分かれていて、防衛線の構築は着々と進んでいる。日向国は改装を進めている松尾城と宗麟が途中まで建設していたムジカの再利用で北方の防備を固めつつ、南方の島津家に対する備えとしている。守るのは長曾我部家の精鋭たちと伊東家の残党たちである。長曾我部家は土佐国も管理しなければならないため、あまり長期に渡って不明確な領土の防衛ができないという欠点を抱えている。何れは代官を立ててもらう形に変えていく必要はあるだろう。

 府内に入る大内勢は三〇〇〇名になる。その他は主として龍造寺家の動きに対処するべく筑後国との国境を守るために割かれている。

 もうしばらく隆豊や隆房とあっていない、と思いながら灰色の空を見上げた。

 凍える北風が着物の裾から入り込み、身体を冷やす。

 晴英が座す大友家の屋敷――――上春館の北川に形成された館群の中の一つに晴持は起居している。縁側に胡坐をかいて、眺めているのは小さな庭だ。苔むした岩が数個と、塀に張り付くようにして配置された背の低い庭木があるだけのこじんまりとした庭。松の周りに立つ木々は、冬枯れによって活力を失い寂しい姿を曝している。

「この寒空の下で黙然と何をしているのだ、兄上は」

「黙然としているんだよ」

 いつの間にか現れた妹分は、首を傾げて近付いてくる。

 膝の上で広げていた地図を折りたたんで懐に仕舞った。

「大友の当主がこのような場所にたった一人で……」

「紹運がそこまで付いてきているから心配に及ばない。それを言うのならば兄上も一人ではないか。ま、すぐそこに光秀殿が控えておられるようだが」

 晴持の屋敷には常時五〇人ほどの人間がいて、身の回りの世話や警備に当たっている。ただ、この屋敷の奥深くにはそれだけの人数が入っていないというだけの事である。

 晴持の背後、六畳ほどの大きさの部屋の片隅に光秀は背筋を正して座っていた。晴持の側近としてその手腕を惜しげもなく振るっている彼女は、この屋敷内の使用人たちや武士たちへの指図もよくしてくれている。

 そういった仕事は光秀でないとできない。身近な隆豊や隆房であっても、一つの勢力の長であり義隆の家臣である彼女たちは晴持固有の家臣ではないのだ。

 その点、光秀は自由が効く。

 晴持が雇って晴持の側近であり親衛隊の頭でもある。仕事ができて、武にも優れるといいところばかりが目立つ武将であった。

「この塀を乗り越えてこられたら、さしもの兄上も一貫の終わりか」

「乗り越えられないだろう。まともな人間は」

 その可能性を完全に否定する事はないが、それでもここの塀の高さは人間が乗り越えられるものではない。梯子をかければすぐに見つかる。

 そもそも、ここは大友家の屋敷のひとつではないか。

 その程度で攻略できるのならば、設計段階から見直したほうがいい。

「さて、世の中何があるか分からんぞ」

「それは同意するよ。人間業とは思えない事をするヤツも、中にはいるだろう。そこにいる光秀もな」

「え……?」

 唐突に話題を振られた光秀がぽかんとする。

「ほう、光秀殿にそのような妙技が?」

 扇を開き、口元を隠した晴英は興味深そうに光秀に視線を投げかけた。

「あの、晴持様。一体、何のお話でしょうか?」

「光秀も人には真似できない特技があるという話だ」

「そ、そのようなもの、わたしにはありませんが……」

 困惑した風に光秀は言う。

 自覚がないのだろう。彼女は、思いのほか自己評価が低いから。

「まあ、そう言うな。光秀の鉄砲の技術は目を見張るほどのものだぞ。自信を持ってもらわないと、寧ろ周りに悪影響が出る」

 鉄砲の命中率は低い。

 弓矢と違って訓練に要する時間が少ないのは兵器として有用ではあるが、それは遠距離武器として射手の実力を問わず一定の威力を期待できるというだけのものであり、狙撃となると話は変わる。面制圧、あるいは威嚇を目的として運用するのであれば、精度はさほど重要ではないが、正確に敵の指揮官を狙撃するなどといった使用ができる者は驚くほど少ない。光秀は、それをやってのける事ができる。

「わたしは、日々の鍛錬を積み重ねているだけで、誰でもこのくらいはできるかと思いますが」

「それが誰でもできたら苦労しないだろう」

 才能は後付けの言葉でしかなく、結果論から導き出される言い訳の類であるとは思う。しかし、光秀のように短期間でメキメキと上達し、まるで手足の延長にあるかのように武具を扱う者もいる。成長速度は人それぞれで、それを差して才能と呼ぶのならば、光秀は鉄砲の才能があると言っていいだろう。

 鍛錬に時間をかければ、というのは易しだが、それでもダメな者もいるし、何よりも鉄砲は鍛錬にしても金がかかる。短期間で力を付ける事ができる者のほうが優れていると結論するべきなのだ。

「ところで、我が妹殿は一体何をしに来たんだ?」

 話を晴英に戻す。

 小麦色の髪をした少女は、今や大友家を支える大黒柱に他ならない。軽々しく出歩くべきではないはずだ。

「別に政務の合間に抜け出してきても問題ないだろう。わたしにだって、外に出たくなる事くらいある」

「まあ、それは否定しないよ」

「大丈夫だ。わたしがなすべき仕事は終わった。少なくとも今日の分はね」

 晴英はそう言って、扇を閉じる。黒い扇が小気味よく、音を立てた。

「で、兄上との心温まる交流をと思ったのだ」

「そうかい。仕事に戻らなくていいっていうのなら、それでいいんだ」

 この状況下で当主が職務を投げ出すわけにもいかないだろう。望まれてその座に就いたとはいえ、今の晴英は飾りのような面がある。それも、大内家の傘下にいるうちは問題にはならないだろうが、この先仮に大内家が九州から撤退する等という事になった場合、彼女は身の危険に晒される事となるだろう。

「ところで、そろそろ部屋の中に入らないか。わたしは寒いのが苦手なんだ」

「何だ、人がせっかく冬枯れの庭を眺めていたというのに」

「兄上が見たいというのなら、もっと大きな庭園に案内するぞ。このような人が十人も入れないようなこじんまりとした庭ではない場所にな」

「それもいいが、小さな庭には大きな庭にはない魅力があるんだよ」

 そう言いながら、晴持は立ち上がった。

 晴英が寒いというのなら、いつまでも縁側で座して風に当たるわけにもいかないだろう。

「光秀、悪いけど茶の準備をしてくれるか。ああ、飲めればいいから作法はなしでな」

「はい、承知しました」

 光秀は飾り棚の下に置かれた木箱の蓋を開けて茶葉を取り出す。

 なんとも雑な管理のしかたであるが、これが晴持のやり方だ。礼儀作法を自分の部屋の中にまで持ち込みたくない。

 火鉢で室内を温めつつも、茶の用意をする。

 冬の足音が近づいてくる中で、戦乱の影もまた動き出す。こうして、湯のみを片手に談笑している間も着実に。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 凶報は動乱の時代には慣れ親しんだもの。

 幼い頃ならば動揺もしただろうが、今となっては如何に対処するべきかを考えるのが勤めである。いちいち騒いでいるわけにもいかない。

 島津歳久は類希なる頭脳を以て名を知られた武将である。

 表情に乏しく冷厳とした口調から、兵から評判は他の姉妹に比べれば幾分か劣るが、それを承知で歳久は政務に励んでいる。

 島津家を支える上で、一人くらいは憎まれ役がいたほうがいい。

 言い訳ではなく心からそう思って、厳しい沙汰を当主たる長女に進言した事は数え切れない。

「龍造寺が、柳川を落としましたか」

 一時の同盟を結んだ相手が一つ、大きな成果を上げた。

 長く苦しい戦いの末に、城を一つ陥落させた。

 柳川城は筑後国の要である。そこを攻略した龍造寺隆信はいよいよ筑後国の制圧に乗り出すに違いない。その過程で、必ず大内家や大友家と激突するだろう。これは、予想するまでもなく確信できる事だ。

 島津家と龍造寺家は同盟を結んだ。

 敵を同じくする間は、互いに戦をせず、領内に侵攻しないと。

 だが、共に戦うという約定は結んでいない。ならば、龍造寺家と大内・大友連合が争っている間に漁夫の利を島津家が取ればいい。卑怯とは言うまい。それが、戦国だ。強大なる大内家と激突しても勝算はある。大内家が全戦力を投入する事など、不可能だから局地戦では島津家が優位に立てる。総合的な数の差ではなく、戦場での戦力差ならば、互角だと踏んでいる。

 当主の部屋に入った歳久の前に、義久と義弘がいた。

「歳ちゃん、何かあったの?」

 義久は言った。

 歳久の顔色を読んだのだろう。

 報告にあった柳川城の戦いについて、歳久は総てを報告した。

 隆信が勝利した事やその戦いに於いて多くの犠牲者が出た事。隆信がかつての友を裏切って、周囲の反対を押し切ってその一族にまで手をかけた事などを余す事なく伝える。

「それはまた、大変な事になったわねぇ」

 相も変わらずのほほんとしている。

 事態が分かっていないという事でもないだろうに。

「龍造寺がここまで早く柳川城を落とした事。これは、こちらも想定外でした」

「噂ほど、頑強な城じゃなかったのかも」

 と、義弘は言う。それを、歳久は首を振って否定する。

「龍造寺側も多数の犠牲を払っています。どうやら、力攻めを繰り返したようですね」

「ああ、そう。それなら、敵も味方も犠牲が出るね」

「何を考えているのか……いずれにしても、これで龍造寺家は筑後を切り取る足がかりを得ました。変わりに名声を地の底に落としましたが、それ自体は朗報と言っていいでしょう」

 同盟相手とはいえ、何れは雌雄を決する相手だ。

 付け入る隙があるに越した事はない。

「だけど、このままだと肥後にまで出てくるかもね。それはまずい、よね」

「はい。今のままだと、肥後北方を侵す勢いで龍造寺は動いています。肥後の諸勢力は島津(わたしたち)と龍造寺に挟まれる形になるでしょう」

 甲斐家や相良家などは、島津家と龍造寺家に同時に注意を払わなければならなくなる。そうなれば、防衛線など軽がると食い破られるだろう。問題は、そうなれば島津家と龍造寺家が明確に対立する構造ができてしまうという事だった。

「いっそ、筑後はあげてもいいです。ですが、肥後はこちらの手中に収めなければなりません」

 肥後国は肥沃な土地だ。

 作物の育成に向かない九州南端の地を根拠地とする島津家にとっては御馳走というべき土地である。それをみすみす奪われるわけにはいかない。何よりも肥後国に龍造寺家が進出してしまえば、それこそ大内・大友連合との戦いに支障を来たす。

「龍造寺家には大内家を当面の敵としてもらわなければなりません」

「同盟を維持するために?」

「はい。そのために、幾らかわたしたちの動きも早めないと」

「そうねぇ。確かに歳ちゃんの言うとおりだわ」

 義久は頷いた。

 予定を繰り上げてでも、動き出す必要はありそうだ。

 龍造寺家が早々に成果を出してしまったからだ。もっと梃子摺ってくれれば、こちらも準備を万端にして一気に北上できたのだが、今の時点ではまだ早い。かといって先延ばしにすれば、龍造寺家が筑後国を取るかあるいは大内家と激突してしまうだろう。――――激突する分にはいいが、その時期にこちらが自由に動けなければ大勢に影響を与える事ができない。

 島津家にとって龍造寺家と大内家との戦いは彼らに生じる最大の隙である。そこを突くに足るだけの位置にまで、戦力を北上させておく必要があった。

「でももうすぐ冬なのよね」

 雪も大して降らない薩摩国周辺と異なり、北上すればそこそこの降雪の可能性もある。戦をするとなると、冬に即した装備を用意しなければならず出費も馬鹿にならない。

「まずは、龍造寺家と大内家、大友家の動向を窺います。ですが、何れの勢力が動くにしても、春頃を目処に軍を発する必要はあると思います」

 


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