大内家の野望   作:一ノ一

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その二十七

 大友宗麟の命を受けて、四〇〇〇〇人という空前絶後の大軍が豊後国を抜けて日向国へ討ち入る。

 大義名分としては島津家に亡ぼされた伊東家の旧領回復であるが、その実、大友家による日向国支配であり、宗麟が耽溺し、積極的に推し進める領国の南蛮神教化政策の一大拠点を建造するというのが宗麟の胸の内にはある。

 押し寄せる大友勢がまず攻め寄せたのは土持親成が篭る松尾城である。別名を縣城といい、「縣」その一帯を指す地名である。

 親成が当主を務める土持家は、日向国北部に勢力を張る有力国人の家系で、平安時代の荘園領主に始まる。

 宇佐八幡宮の社人として活動し、また、日向国北部の臼杵郡を中心とした宇佐宮領の弁済使や臼杵郡司を務めるなどして勢力を伸張させた。

 日向国の実質的盟主であった伊東家とは長年領地争いを繰り返してきた仲であるが、結果的には敗北しており、数代に渡って旧領回復を念願としてきた経緯があり、大友家とは対伊東家路線を取っているうちは良好な関係を築いていた。

 しかし、今は違う。

 島津家が伊東家を倒し、さらに宗麟が南蛮神教を中心とした領国経営を打ち出した事で、親成は大友家と手を切った。元来宇佐八幡宮に縁を持つ血筋だけに、寺社仏閣を破壊して回る宗麟のやり方に共感する事など、到底不可能であった。

 そうして、島津義久と連絡を取り、島津家に従う形で命脈を繋いだ土持家であったが、大友家の猛攻の前に衆寡敵せず、捕らえられた親成は豊後国で斬首される事となる。

 この攻撃に合せて出陣した別働隊が肥後国から高千穂に攻め込み、玄武城の吉村家を亡ぼしている。

 豊後国にあって戦勝の報告を受けた宗麟は大いに喜んだという。

 

 

 それからおよそ五ヶ月という長い時間を大友家は北日向国で過ごす事となる。

 この間、宗麟の意を受けた大友勢の兵によって、北日向国の寺社仏閣や南蛮神教にとって都合の悪いものは徹底的に破壊され尽くした。後世文化財と呼ぶべき先人の遺品は多くが破壊され、あるいは散逸した。

 そうした破壊活動には、元仏僧で南蛮神教に宗旨替えした者や宣教師もいたといい、土地勘のある者が積極的に破壊活動に参与した事で人目につかないところに建立された寺社仏閣も解体され、釘の一本に至るまでが理想郷建設の材料に当てられた。

 とはいえ、寺社仏閣の破壊には多大な労力を必要とする。

 大友勢による執拗なまでの破壊活動が長引いたのは、数多くの寺社仏閣を虱潰しに破壊して回るのに時間を必要とした事に加えて、戦から逃れるために、ほとんどの地元民が逃げてしまい人足の現地調達ができなかった事が原因の一つであろう。

 もちろん、これから野分の季節を迎えるに当たって、交通事情が悪化する事が容易に想像できたし、農作業との兼ね合いから簡単に進軍できなかったという事情もあろう。

 ともあれ、大友勢のこうした行動は、島津家との決戦よりも南蛮神教の布教にこそ重点を置いているかのような印象を多くの将兵に与えるものであり、旧来の信仰を守り続ける者にとっては不愉快以外の何物でもない。

 それは、この日向討ち入りを指揮する総大将である田原親賢(たわらちかかた)も同じである。

「忌々しい。何故に、わしがこのような罪深い事をせねばならんのだ……!」

 田原家は大友家の流れを引く大身の国人で、主に二流に分かれる。本家筋は国東郡鞍掛城や安岐城を持つ鞍掛田原家で、当主は田原親宏だ。そして、その分家筋に当たるのが親賢を当主とする武蔵田原家である。本拠とするのは本家と同じ国東郡であり、大友家は代々虎視眈々と反逆を企ててきた田原本家に対する押さえとして、分家の武蔵田原家を利用している。

 現に宗麟も、田原親宏から所領の多くを没収し、田原親賢に与えるなど、田原家の勢力をそぎ落とす政策を実施している。

 親賢は宗麟からの信頼も厚く、宗麟の意図するところを汲み取り実行する事のできる官僚的な性格だったためか、宗麟を押さえる事のできた宿老達が相次いで世を去る中で急速に台頭してきた人物だ。

 彼の出世に対して、戸次道雪が異を唱えるなど、家中は決して親賢の台頭を好意的に捉えているわけではないが、宗麟の鶴の一声で総大将に任じられた。

 基本的に、親賢と宗麟の関係は良好であった。

 唯一つ、南蛮神教という問題を除いては。

「宗麟様が何を考えているのか、さっぱり分からん。仏像を投げ捨て踏みつけるなど、罰当たりにも程があろうに!」

 酒を水のように飲んで、親賢は呻く。

 こうでもしなければやっていられない。心の底から嫌悪する南蛮神教に、寺社仏閣が飲み込まれていく様を目の当たりに、さらにその手助けをしなければならないというのは、彼にとって人生最大の悪夢であろう。

 何せ、親賢は旧姓を奈多といい、奈多八幡宮の大宮司の家に生まれ、武蔵田原家に養子入りしたという経緯を持つからである。

 寺社仏閣の破壊は、自らの血筋に泥を塗る行為に等しい。

 かつて、養子にとった田原親虎が南蛮神教に入信した際には、これを廃嫡し、追放するという極めて厳しい対応をしたほどである。

 日に日に、南蛮神教への不信感や嫌悪感は増すばかりである。

「親賢様。先ほど、宗麟様からの使者が参りました。その者がこれを……」

 取り次ぎ役の小姓がやってきて、そのような事を言ったので、親賢は口に運ぼうとした酒器を置きなおし、差し出された手紙を受け取った。

 広げて見ると、美しく丁寧な字体である。どうやら、宗麟の直筆のようだ。

 手紙には、戦の勝利を祝すると共に、親賢の奮闘を賞賛する言葉が書かれ、また、近く海路を使って宗麟自ら日向に入るという事が記されていた。

 ざっと、目を通した後、親賢は小姓に尋ねた。

「その使者はまさか、南蛮人か?」

「いえ、違いますが。何か?」

「何でもない。わしの酒が抜けるまでの間、しばし、酒でも飲ませて饗応せよ。宗麟様からの使者に会わぬわけには参らぬが、酔った姿を曝すわけにもいかぬ」

「承知しました。後でお水をお持ちします」

「うむ」

 と返事をして、出て行く小姓を見送る。

 弱音も文句も、人前で吐き出すものではない。そういった思考によって、己の信仰と現実に区別をつけて職務に励む事ができるのも、彼の美徳の一つであろう。言ってみれば、理想主義的性格の宗麟に対して親賢は現実主義的性格なのである。南蛮神教を頑強に拒みながらも、宗麟からの信頼を衰えないのも、そうした実行力によるものであろう。

 旧来の信仰を維持せんとする保守的な性格の重臣は宗麟が考えているよりも多く、例えば肥後国に出陣している志賀親守なども、親族から南蛮神教に入信する者が現れては頭を抱えている。

 とにもかくにも、宗麟主導の日向国の南蛮神教化政策はそれに従事する家臣達を納得させるだけの説得力があるわけでもなく、「神の教えを広めてあげる」という宗麟の一方的な好意とその他理想によって多くの文化的犠牲の上に推し進められていったのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 大友勢が北日向国の国人である土持親成を討ち果たした時、彼と好を通じていた島津家は救援を送るべきであったが、結果としては島津勢は大友勢とは一戦も交えないまま見殺しにしてしまった。

 なぜならば、この段階で戦の主導権を握っていたのは大友家であり、島津家は日向国の南にまで追いやられてしまっていたからだ。

 事実上、北日向国に於いて島津家と通じているのは土持家だけであり、日向国の中央を流れて海に注ぐ小丸川以北の諸城は尽く大友方に寝返っていた。

「すみませんでした。わたしが、しっかりと目を光らせていればこのような事にはなりませんでした」

 島津家を率いる四姉妹は、義久の屋敷に集って対策を協議していた。

 その中で、悔しげに唇を噛むのは島津四姉妹の三女島津歳久だ。

 島津四姉妹はそれぞれに得意とする分野があるのだが、歳久は「智謀」に秀でていると評価されている。彼女は戦の指揮も然る事ながら、戦う前の調略などに力を発揮する将であり、それ故に相次ぐ裏切りによって土持家を孤立させてしまった事に自責の念を抱えていた。

「何言ってんの、歳ちゃんの所為じゃないって。今回は、相手が悪かったのよ」

「そうそう。伊東家の縁者を押し立ててきたら、旧主を偲ぶ人達は傾くよ。歳ねえの責任じゃないと思うなぁ」

 次女義弘、四女家久が立て続けに歳久を励ます。

 人一倍責任感の強い真面目な性格の歳久が一人で抱え込んでしまうのではないかと心配しているのである。

「まあ、今回の件に関しては相手の動きが早かったよね。わたしも逃げてきちゃったし」

「家ちゃん。それはあまり簡単に言っていい事じゃないよ」

 義弘に窘められて、家久は小さく舌を出す。

 とはいえ、家久の判断は正しかった。大友家が攻め込んできた時、家久は北日向国の塩見城を拠点に領内を巡視していたのだが、大友家の大軍に挑めるほどの兵力があったわけではなかった。塩見城が直後に大友方に転じた事からも分かる通り、家久がその場に踏みとどまっていても、敢えなく首だけになるか辱めを受けるかのどちらかであっただろう。

「伊東家の旧領を、そのまま手に入れたのが仇になりましたね」

「そっくり寝返られると、一転して窮地に追い込まれちゃうわけだからね」

 歳久の言葉に義弘が頷く。

 伊東家の主を豊後国に追い落とし、日向国の一円支配に入ったはいいが、多くの地域に伊東家の影響が色濃く残っていた。島津家に縁のある将兵を、各地に新たな支配者として送り込めればよかったのだが、そこまで日向国支配の体制を整える事ができなかったのが最大の失点だったということか。

 大友家は島津家の隙をうまく突いてきた。宗麟がどこまで考えて事に及んだのか分からないものの、状況は島津家を追い込む形で推移している。

 室内に重苦しい空気が漂い始めた時、不意に上座のほうから軽い破裂音のような音が響いた。

 三人が顔を跳ね上げるようにして上座を見る。

「はい、じゃあ、反省会は終わりにして、これからどうするかを考えましょう。というか、今日みんなを呼んだのもそのためだしねぇ」

 長い髪とふわふわとした雰囲気が印象的な美女がそこにいた。

 女性として完成された肉体美が人目を引く彼女こそ、島津家の当主であり、ここに集う四姉妹の長女義久である。

 義久自身には、得意とするものは何もない。

 義久は自分には三人の妹が持っているような実戦的な「能力」は乏しいと考えていた。その反面、彼女は人に気を遣うのが上手く、また人を使うのも上手かった。

 人誑しの素養があるとも言えるだろう。

 家を守るために、当主として何ができるのかを常に考え続けた彼女の結論は、「できる人に任せよう」という形で落ち着いた。

 無責任という事ではない。

 それは、相手の力量を正しく見極める目を持ち、さらに責任は自分が取るのだという強い信念の裏づけを持って人に仕事を任せるという事である。

 絶対の信頼を見せる事で、家臣は義久に心を許す。

 島津家を纏め上げる支柱は、間違いなく義久であった。

 自らに力がないと悟りながらも、家と姉妹にとっての精神的支柱であり続ける姿勢は、毛利隆元に似通っている。

「喫緊の課題を解決しなきゃ、大友さんとも満足に戦えないし。まずは、穂北城をどうにかするのが先決ね。弘ちゃん、何か策はある?」

 穂北城は、伊東四十八城の一つに数えられる強固な城だ。一ツ瀬川の北岸にある標高一〇〇メートルほどの茶臼原(ちゃうすばる)と呼ばれる台地に築かれている。穂北城は、大友家が島津家に打ち込んだ杭の一つでもある。その北方に位置する石ノ城と共に、南日向国に於ける伊東家の旧臣達の対島津基地として島津家の北上を阻んでいるのであり、この二つの城をどうにかして落とさなければ、北日向国には攻め込めない。

 問われた義弘は唇に指を当てて、思案する。脳裏には穂北城近隣の地形を描き、どう攻めるべきかを考えている。

「あの城、南側は崖だから、どうやっても北側に回り込まないといけないんだよね。そうすると、道は二通りになる。一つは、一ツ瀬側の上流にある如法寺の辺りから台地の上に延びる道。もう一つは、下流にある台地の上に続く道」

「しかし、下流にある道は隈城が押さえています。そこを攻めるのであれば、隈城を攻略する必要がありますね」

 義弘の言葉に歳久が続く。

「大友が押し寄せてくる前に、穂北城と石ノ城は落とさなければなりません」

「調略が必要ね。歳ちゃん。頼める?」

「なんとかしてみます。内通者を作り、隈城を手早く落としましょう」

 大まかな方針は、これで決まった。

 軍の指揮を執るのは最も武勇に秀でた義弘で、それを支えるのは歳久だ。義久は後方で全体を支え、家久は遊軍としていつでも動ける状態を維持する。

 歳久が言うとおり、現状の島津家は劣勢に立たされており、大友軍四〇〇〇〇の兵を正面から受け止められるほどの力はない。

 決戦に備えて少しでも有利な状態に持っていく必要があり、伊東家の旧臣達の蜂起は早々に鎮圧しなければならないのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 長期間に渡る戦は兵卒の士気を大いに下げるものである。そのため、敵が目の前にいないのであれば、息抜きに遊びを取り入れる事も少なくない。

 多くは酒や遊女、能楽などであるが、秋風が涼やかな晴天に恵まれたこの日、穂北城の城兵が選んだのは城の下を流れる一ツ瀬川に舟を浮かべ、船上で酒を飲む舟遊びであった。

 穏やかな陽光に照らされた川の流れは緩やかで、水は透き通っている。

 島津家の動きが鈍くなり、背後の石ノ城との連携も深まる一方だ。大友家も遂に北日向国に兵を送り込んできたのだから、島津家には万に一つも勝ち目はない。

 城兵は舟の上で酒を酌み交わし舞い踊る。

「島津は今頃薩摩に篭って震えておるだろうよ」

「大友と我らが組んだのだ。島津一家で何ができるか」

「しかし、四姉妹は美女ばかりであったな。何れ攻め亡ぼすにしても首にするのはもったいない」

「またお主の色狂いか。確かに、義久を一目見た時には驚いたものじゃが」

「見てくれに騙されてはいかんぞ。鬼島津に近寄ろうものなら、こっちの首が飛ぶわ」

「これより、我らはその鬼退治をするというのに恐れてどうする」

 ゲラゲラと老若男女問わず気分を大きくして騒いでいる。

 戦の緊張状態から、僅かにでも解放されたのだから、それも当然かもしれない。

 島津家が一旦兵を引き、主要な武将を本拠地に招集したという情報も掴んでいて、そのためすぐに穂北城を攻撃するのは不可能だろうと判断しての事だ。

 

 

 

 実はこの時、すでに島津勢がすぐ傍にまで接近していた。

 不幸にも対岸は木々が鬱蒼と茂っており見晴らしが悪く、島津勢は城方に見つからないように大きく距離をとって進軍し、そこから一気に鬨の声を上げて岸辺に押し出てきたのである。

「な、何事だッ!?」

「敵襲かッ!?」

「バカな、物見はどうしたッ!?」

「矢が来るぞッ!!」

 酒に酔った城方の兵は舟の上で慌てふためき、岸から射掛けられる矢を浴びて水に落ちていく。

「城に戻るぞ! 舟を出せ、矢を射掛けろ!」

 救いだったのは、島津勢が対岸にいた事だ。奇襲ではあったが、川を渡るには時間がかかるし弓矢であればなんとか防ぐ事ができる。体勢を立て直す時間を稼ぐ事ができた。

 舟を上流の岸に繋ぎ、下船する。その後、東岸に弓兵を展開して追撃してくる島津勢を目掛けて一斉に矢を放った。

 前線の様子を観察していた島津義弘は、馬上で豪槍を肩に担ぎため息をつく。疲れたわけではない。奇襲が上手くいかなかった事を察したのである。

「義弘様。川を押し渡るのでしたら、某が先鋒を務めますが?」

 義弘に声をかけたのは、重臣の新納忠元だ。

 義弘とは二〇ほどは歳が離れている。小柄ながら剛勇の士で、戦功を数える際に最初に名前が挙がる事から「親指武蔵」の異名を持つ。

「いや、ここは退いて立て直そう。相手に動揺を与えただけでも収穫だしね」

「承知」

 言い募ることもなく、忠元は撤収の準備を始めた。

 相手方に追撃の様子はない。守りを固め、島津家の次なる攻撃に備えるつもりだろうと義弘は当たりをつける。

 その日、義弘率いる島津勢の先陣は長徳寺に宿営した。

 巨大な木が立ち並ぶ鎮守の森は古くからこの地の住人によって大切に管理されてきた事を物語っている。

 大友家がこの地に攻め込んできたら、こうした光景も灰燼に帰することであろう。それは、なんとしても防がねばならない。義弘は決意を新たにして軍議に臨む。

「お疲れ、歳久」

「姉上、お疲れ様です」

 人前という事もあって、多少畏まった挨拶をする次女と三女。歳久は別働隊を指揮し、近くの都萬(つま)神社に兵を休ませている。そんな歳久が何故この場にいるのかというと、義弘が呼び出したからに他ならない。

「姉上。敵は?」

「こっちを警戒して篝火を焚きまくってるみたい。対抗してこっちも岸に篝火を並べてやったわ」

 にやりと笑う義弘に歳久が頷いた。

「そうですね。それなら、相手は夜襲を警戒して休めない事でしょう。最低限の見張りを残して、わたし達は十分な休息を取りましょう」

「夜襲はしないのね」

「はい。警戒している相手に立ち向かうのは、こちらも痛手を被りますから。それよりは、寝不足で疲弊したところを狙ったほうがいいです」

 歳久は持ち前の無表情さで淡々と考えを述べる。

 彼女の考えはそのまま義弘の考えと一致していた。後はどのように攻めるかという問題だけである。

「今日の戦で敵の主力は如法寺に注意を向けました。よって、次に攻めるのは手薄になった下流の隈城がいいと思います」

「すると、朝駆けですかな?」

 忠元が尋ねると、歳久は頷いた。

「最も注意力が鈍る時間を狙って攻めます。敵は一睡もしていないので、日が昇ると同時に緊張の糸を切ることでしょう」

「よし、じゃあ決まりね。夜明けと共に突撃するわ。皆そのように心してかかってね」

 義弘の言葉に、諸将が緊張感のある面持ちで承知した旨を口にする。

 島津の将兵はその晩は休息をたっぷりと取って英気を養い、翌朝日の出前に戦の準備に取り掛かったのであった。

 

 

 翌朝、日が昇り始めると、辺りは薄らと朝霧に包まれていた。

「朝霧は秋の季語だったっけ。うん、今日は晴れそう。いい戦日和だ。ね、歳ちゃん」

 馬首を並べる妹に義弘はにこやかに話しかけた。

「そうですね。ですが、霧は火薬が湿気るので、あまり……この濃さでは奇襲に使えるほどではないですし、出るならもっと濃密な霧がよかったのですが」

 頭の固い歳久の返答に義弘は失笑する。

 いきなり笑われて、歳久は眉根を寄せて抗議に視線を送った。

「ごめんごめん。つい、ね」

「わたしは姉上を笑わせるために言ったのではありません」

「ありゃ、怒っちゃったか」

「怒ってなんかないですよ」

 ぷい、と歳久は視線を前方に向ける。

 拗ねてしまったかなと、義弘は頭を掻いた。

 昨夜のうちに密かに用意させた小舟を引き寄せて、忠元の部隊が乗船する。

 ゆっくりと、音を立てないように島津の軍勢は対岸へ渡る。

 戦いは城方にとってはあまりにも唐突に始まった。一晩中、緊張の中にいたために隈城の兵卒は動きが鈍く判断力が弱まっていた。それでも、突撃してくる島津勢に対して勇猛果敢に挑み槍を交える。絶叫と苦悶の声が綯い交ぜになった戦場が、血で赤く染まっていく。

「ここが勝負にしどころよ! 押せ押せ、押し切れ!」

 義弘自ら槍を振り回して敵陣を斬り裂いていく。一振りで三人の敵兵が斬り飛ばされた。義弘の突進は、もはや重戦車の突撃に等しい。衝突と同時に敵兵が薙ぎ払われ、絶命していく。

「鬼だ。鬼島津が出たぞ!」

「こ、殺される。助けッ」

「手柄首だぞ、馬鹿者! 逃げるな、ぐはッ」

「誰が鬼よ、誰がッ!」

 相手の罵声に青筋を立てた義弘は、呵責も容赦もなく首を刎ねる。噴き出す敵の血を頭から浴びた義弘は、血化粧のまま口元を歪めた。

「弘ねえ、そういうところだと思うんだけど」

「何が?」

「いや、何でも。…………この城に価値はありません。速やかに火を放ってください」

 歳久は冷厳とした声で放火の指示を出す。

 義弘と剛勇の配下によって、敵勢は押し潰された。 

 至るところで火の手が上がり、狼煙のように煙が空に上っていく。もはや、相手方にはどうする事もできない。残党を殲滅しつつ、義弘は茶臼原の台地を駆け上がり、それから穂北城を目掛けて進軍する。

「義弘様。敵は城門を固く閉ざしているようですが?」

「構わないわ。突撃ーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 忠元の言葉を聞き、城門が閉ざされて敵が守りの体勢を整えているのを確認しても義弘は止まらない。

 最速の用兵で神風の如く城に攻めかかる。

 鬨の声が上がり、地響きのような足音が城を震わせる。

 島津勢が城門に辿り着く直前、城内で騒ぎが起こった。

 城の中から火が出たのだ。騒ぎは次第に大きくなり、守りは混乱し、そして城門は内側から開け放たれた。

「さっすが歳ちゃん。いい仕事するわ」

 妹の調略が功を奏したのだ。

 裏切り者によって城は無防備となり、乱入した島津勢によって多くの兵が討ち取られ、屍を曝した。

 

 

 戦が終わった後、義弘は戦死者を敵味方の区別なく丁重に弔うよう命じ、自ら手を合せてその冥福を祈った。

 しかし、義弘を初めとする島津勢にとってはこの戦勝はあくまでも初戦でしかないと分かっていた。

 島津領に打ち込まれた大友家の楔の一つを取り除いたに過ぎない。

 とはいえ、反撃の狼煙を上げた事には意味がある。

 大友家がこの報を聞いてどのように動くのか注視する必要を感じながら、義弘は北方の情報を収集させる事にも力を注いだ。

 奪い返した穂北城を修復させた義弘は、そこを当面の指揮所として機能させる事とした。

 島津家にとって最前線となるのは、北東にある高城である。義弘が拠点としたこの穂北城は、高城へ至る街道上にあるので、前線で孤立しつつあった高城との連絡を取るには非常に都合のいい城なのであった。

 義弘は、この戦で負傷した兵卒を見舞い、動ける者には酒を振舞うなどの気遣いを見せる。

 城内を歩いていた時、一人の老人が前からやってきた。

 白い髭を長く伸ばした、儒者風の老人だった。

 名は許儀後という。

 明人で、義弘にとっては医術や学問の師である。

 義弘は一礼して挨拶をした後で、声を潜めて尋ねる。

「先生、次の戦に彼らは間に合いそうですか?」

 彼ら、とは負傷した兵卒の事だ。今回の戦いで、およそ四〇人が深い傷を負った。死者を含めれば一〇〇人ほどになるだろうか。

「次の戦がいつになるかにもよりますが、早い者でも一月は安静にする必要があるかと存じます」

「一月、ですか」

 長い、と義弘は感じた。

 大友家が、どこまで、どの程度の速度で進出してくるか分からない今、一人でも多くの兵が即座に動ける「常在戦場」の状態で待機するのが望ましい。

「仕方がありませんね。彼らには、ここで養生するように指示します」

「それがよろしいでしょう。無理をさせれば、貴重な戦力が磨り減る事にもなりますからな」

 柔らかい笑みを浮かべる好々爺に引き摺られるように義弘は笑みを零した。

 

 

 島津家にとって最も気になっているのは大友家の動向である、というのは言わずもがなであろう。義弘に言われるまでもなく、歳久は多くの密偵を北日向国に忍ばせており、素早く情報を入手するように情報網を構築していた。

 これによって大友家の動きが明らかになったのは、穂北城を陥落させてから一日後の昼頃であった。

 穂北城に在陣する諸将が軍議の間に集められた。そこで、歳久からの報告を聞く。

「大友家が耳川を渡って南下したようです」

 歳久の報告に、諸将が顔色を変えた。

 大友家が島津家と一戦を交えようというのなら、島津家は伊東家の旧臣達と同時に大友家の大軍を相手にしなければならなくなる。城一つ落としただけの今の島津家では、結んだ両者を同時に相手取るのは厳しいところがある。

「それで、歳久。大友は今、どこにいるの?」

「耳川を渡ったところで陣を張って進軍を止めたようですね。ただ、宗麟自身は後方に留まって、南蛮神教を広めるために南蛮寺の建立を進めているようですが」

「どういうこと?」

 義弘は首を捻る。

 大友家の動きが理解できなかったからだ。

「それは当人に聞かない事には分かりませんが、足元を固めようとしているのか、あるいは統率が取れていないのか、舐められているのか、何かの罠か」

 島津家と大友家が睨み合う最前線高城は耳川からおよそ二五キロメートルのところにある。武装した一軍が足並みを揃えて遅めに移動しても、一日もかからない位置にある。何故、高城に攻めかからないのか分からないのだ。今ならば石ノ城も健在なのだから、挟む事もできるし島津勢を石ノ城に任せたまま、高城を大友本隊が攻めるというような二方面作戦も執れるというのに。

「とにかく、わたし達は高城を救援するためにここから北にある石ノ城を取らなければならないわ。だったら、大友が止まってくれている間に攻め寄せるのがいいんじゃない?」

 義弘の言葉に、諸将は思案げな顔をする。

 大友家がすばやく救援に来た場合、島津家は大友家と城側に挟まれる可能性も出てくる。それに石ノ城は、伊東旧臣の長倉祐政(ながくらすけまさ)が篭り、頑強な抵抗を見せる天然の要害である。敵方になった時、島津家は真っ先にこれに攻め寄せながらも返り討ちにあってしまった事からも、攻略には時間が必要だというのは分かる。

「石ノ城に篭る兵は士気が高くとも少勢です。大軍で取り囲み、立て続けに攻撃を加えれば気力も衰え、疲弊していく事でしょう。それに、水の手を切れば、相手は戦い続ける事ができなくなります」

 歳久が意見を述べる。

「水の手。場所は掴んでいるの?」

「はい。以前、調べさせておきました」

「他に意見がある人はいる?」

 義弘はぐるりと諸将の顔を見渡したが、特に反対意見が出る事もなかった。大友家が接近して来ている以上は、どうにかして石ノ城を攻略しておかねばならず、時間をかけている余裕はないのだから、歳久の策以上に確実性のある策を提示できなければ発言の意味はない。

 ここに、石ノ城攻めは決まった。

 

 

 

 □

 

 

 

 石ノ城は島津勢の猛攻の前に屈し、城主として一軍を指揮していた長倉祐政は和睦した上で豊後国方面に去る事になった。

 餓えと渇きに苛まれながら、十日以上も島津勢を相手に孤軍奮闘した祐政の戦いぶりを、義弘は高く評価し、酒や肴を送って礼を尽くした。

 祐政は戦に敗れ、城を島津家に奪われながらも命を拾った。そんな彼は、それでも伊東家の復活を諦めてはいなかった。

 大友勢と合流した祐政は、そのまま新たな戦いに向けて牙を研ぐ事とした。

 しかし、それでも大友家に対する不信感を払拭するには至らない。使命感のみでなんとか身体と気力を保っているが、このままで島津家を駆逐し、伊東家を再興できるのであろうか。

「大友が何を考えているのか分からぬ」

 大友家の者に聞かれないように小さく呟きながら、祐政は思案する。

 彼ら伊東家の旧臣が島津家に対抗したのは、大友家の支援があったからだが、具体的に兵を送ってもらったとか、武器弾薬の供与があったというわけではない。言ってみれば、祐政側からの大友家への一方的な信頼によって蜂起したのである。それは、大友家ならば、島津家を討ち、伊東家を再興してくれるのではないかという期待と実際に兵を送ってくれたから信頼したのである。

 しかし、現実には大友家は石ノ城を救援することはなかった。

 それ以前に、穂北城を見殺しにもしている。

 果たして、大友家は彼らと共に戦うつもりがあるのだろうか。

 きちんと進軍していれば、石ノ城は陥落する事はなかった。

 あまりにも行動が遅い。

 島津側が武士の誇りを持たぬ者であれば、今頃祐政は殺されていただろう。大友家は最前線で戦う祐政を見殺しにしようとしたも同然である。

 どういうことだと問い質したくなるのも当然であろう。

 大友家の異様なまでの進軍速度の遅さは、おそらくこの戦の趨勢を分ける事になった。

 島津家は、小丸川以南の伊東家旧臣達の反乱を完全に鎮圧して、足元を固める事に成功したからだ。もしも、大友家が彼らを救援するために大軍を南下させていたら、今頃島津家は日向国から一兵残らず駆逐されていたに違いない。

 もしも、そういった事に頭が回っていないのであれば、いよいよ大友家に勝機はないという他なかった。しかし、それでも、伊東家を復活させるには大友家を頼る他なく、祐政は苦しい心境のままただただ苦虫を噛み潰したような表情で決戦の時を待つのであった。


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