大内家の野望   作:一ノ一

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その二十三

「どこも動乱ばかりだな」

 呟いたのは、艶やかな黒髪を肩口で切り揃えた柔和な女性だ。

 家臣から齎される各地の情報は、彼女にとっても無視できない貴重なものだ。戦国の世を生き抜くためには、何はともあれ情報が第一である。特に、畿内に勢力を張る彼女は、全国各地の武将から最終的に相手にすべき存在として名を知られている。

 阿波国と摂津国を中心に勢力を伸張させている、三好家の当主三好長慶である。

 頭脳明晰、武にも秀で、情に篤い。そんな彼女は、多くの部下から慕われ、また摂津国内でも彼女に一目置いている勢力は多い。

 木沢長政が管領細川晴元に討たれてからそれなりに時が経ったが、長慶の力は衰える事を知らず、成長を続けている。

「姉さん。いるか?」

「一存か。どうした?」

 慌しくやってきた弟に長慶は尋ねた。

 十河一存は、長慶の実の弟であり、三好家でも最強とも称される勇猛な武将だ。心根は真っ直ぐで、曲がった事を嫌う。実直な性格は、頼りにするのに十分すぎるものだ。

 室内に入ってきた一存は、長慶の前に座った。

「今川が討たれた」

「何?」

 思わず、長慶は聞き返した。

「今川というと、駿河の今川義元殿か?」

「ああ」

 一存は頷いた。が、しかし、長慶は何を冗談を、と取り合わなかった。

 それもそのはずだ。

 今川義元は、今川家の最盛期を築き上げた高名な武将だ。京から遠い駿河国を中心に勢力を張っているが、甲斐国の武田家や関東の北条家と同盟を組み、その地盤を確固たるものとしており、とても東海道では最強の家柄だ。

「討たれたとしても、縁者か誰かだろう?」

 だからこそ、長慶は一存の言葉を信じなかったのだ。

 いくらなんでも、最大動員兵力二〇〇〇〇を上回る今川家の当主が首を挙げられるなどあるはずがない。駿河から京まで、今川家に匹敵する兵力を有するのは、それこそ江南の六角家くらいのものである。

「いいや、どうやら本当に義元の首が挙がったらしい」

「バカな。本当に情報収集をしているんだろうな?」

「本当だって! 城下の商人にまで話が出回っているぞ?」

「討ったのは、いったい誰だ?」

 長慶は尋ねた。

 今川家の当主を討ち果たしたのは、どこの誰だと。

「尾張の織田信長だそうだ」

「織田信長……」

 舌の上で転がすように、長慶はその名を紡いだ。

「ああ、彼女か」

 少し前、少数の供を連れて上洛した信長を長慶はちらりと見た。言葉を交わす事はなかったが、うつけ者と蔑まれていた人物とは思えない苛烈な空気を醸し出していた。

 燃えるような赤い髪を風に靡かせる姿は、まさしく英傑のソレだ。

「知ってるのか?」

「いいや。だが、不思議と彼女ならやりかねないと思ってな」

 細かい話を聞けば、尾張国の制圧に動いた今川義元を、桶狭間という地で強襲した信長が討ち果たしたという。

 その際、今川家は二〇〇〇〇人もの兵を動員していたが、本陣には五〇〇〇人ほどしかおらず、信長勢二〇〇〇の襲撃に対応できなかったとの事だ。

 商人が話を知っているのは、尾張国の貿易港である津島と商取引を行っている者も多いからだろう。商人の情報伝達力は、恐ろしく強い。

「見事ではあるのだろうが、危ない橋を渡る御仁だ」

 おそらくは、一世一代の大博打に出たのだろう。天すらも味方につけ、一〇倍の敵を倒す。それを見事と言わずして何と言う。ただ、恐ろしいのは、その博打に打って出るという胆力と成功させる絶対的な自信であろう。

「荒れるな、これは」

 織田家の今後は、注視していく必要がある。信長ほどの人物が、京に興味を示さないはずがない。今はまだ尾張一国も危うい身だが、これを機に大きく飛翔してくるであろう。

「姉さん?」

「わたしも、そろそろ覚悟を決めるべき時かもしれないな」

 長慶は呟いた。

 親の仇であり、三好家の家督を巡る敵手でもある三好政長。しぶとく生き永らえている彼だが、ここで引導を渡すべき時節が来たようだ。

 同じ細川晴元を主と仰ぐ同士ではあるが、これを放置しておくのは、三好家のためにならない。家のために、立ちふさがる者は尽く討つ。

 知己を得たわけでもない相手に背中を押される形で、長慶は謀反を覚悟したのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 赤い髪と怜悧な容貌が人目を引く女性がいた。

 そこは、肥後国人吉城のお膝元にある、当主が起居する屋敷の一室である。

 女性の名は、甲斐宗運。肥後国の霊山である阿蘇山の麓に位置する阿蘇神社の大宮司家阿蘇家に仕える姫武将だ。主君阿蘇惟将の信任も篤く、阿蘇家の楯として日夜奮闘しているのである。

「ごめんなさい、こんな時に」

 と、宗運に微笑みかけたのは、ふわりとした柔らかい印象の女性である。

 相良義陽(よしひ)

 肥後を代表する国人である相良家の当主であった。

「大丈夫よ、義陽。龍造寺は動く気配はないし、大友とは同盟を結んでいる。目下の敵は、島津でしょう」

 今、北九州に阿蘇家を攻めて得をする勢力はない。大友家と同盟を結んでいるというだけでも、かなりの抑止力を期待できる。

「宗運がそう言うのなら、安心ね」

 義陽は宗運の差配に全幅の信頼を寄せている。

 生まれた家も立場も異なる二人だが、互いの才覚を認めて相互不可侵の約定を結び、そして親友という間柄にまでなった。

 阿蘇家が頼みとする宗運と相良家の当主が親しいのは、肥後一円の騒乱を抑止する働きも生み出しており、ここ数年は比較的落ち着いた情勢だったのだ。

 もちろん、二人が親しくしているのを周囲が認めるには、彼女達が領分をきちんと守っているからだ。宗運など、裏切り者はたとえ親類でも斬り捨てるという非情な一面と篤い忠義心があるからこそ、他家の当主と仲睦まじくしていられる。

「まさか、島津がここまで急速に勢力を伸ばしてくるとは思わなかった」

 苦虫を噛み潰したような表情で、宗運は言った。

 義陽も、表情にこそ出さないものの、胸中は同じだ。

 薩摩国、大隅国、日向国。九州九ヶ国中、三カ国を領有する島津家は、まさに九国の雄に躍り上がった。保有国数で言えば、九州最大。単独で勝負を挑めるのは、肥沃な豊後国に居を構える大友家か、肥前国の龍造寺家のどちらかくらいだ。

「阿蘇家はこれからどうするの?」

「うちは、このまま大友に組するわ。北九州には、島津を近付かせない。そんな事よりも、問題なのは相良家のほうよ。島津が肥後に入るのなら、真っ先にぶつかるのはあなたなのよ」

「そうね。まあ、簡単にやられるつもりはないけれど、厳しい戦は覚悟してるわ」

 朗らかな人柄の割りに、彼女は腹が据わっている。

 如何に島津家と言っても、北九州がその脅威に対して結束を固めつつある今、そう簡単に攻め上る事はできないだろう。

 肥後国人達も、生き残りをかけて連携して事に当たっていく必要性を再認識したところだ。

 親友との変わらぬ友情を確認して、宗運は一先ず安心したとばかりに肩の力を抜いたのだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 島津家の予想を上回る侵攻速度に対し、九州の諸勢力は警戒を強め、連合を組むような形で対処しようとしていた。その中で、盟主的な役割を果たしていたのは、言うまでもなく大友家であるが、それによって大友家は四国に兵を割く余裕を失っていた。

 土佐国を大友家の影響下に置き、伊予国を上下で挟めば、四国内であっても大内家に対抗できると踏んでいたのだろうが、それでも海を隔てた最果ての土佐国に救援を送るのは、選択肢の中でも最後のほうに位置づけられている。優先すべきは九州での問題だ。

 大友家を頼ってきた伊東家の者達を九州の覇者として無碍にはできない。彼らを匿い、支援する事は、南下するいい口実になる。

 大友家は、肥前国や肥後国の国人らを連絡を密にしながら、島津家の動きを探り、軍備を整えていた。

 だからこそ、大内家はこれを幸いと兵を四国に送る事ができる。大友家と長曾我部家、この二家を相手に二方面作戦を強いられるとなると、厳しい戦ともなろうが、大友家が動かなければ、土佐国の三分の二ほどを治めている程度の長曾我部家だ。無理をしても、その動員兵力は一〇〇〇〇に届かないだろう。

 大内家は、晴持を総大将として一〇〇〇〇人の兵を四国に送り込んだ。

 途中で河野家と合流し、土佐国へ一気になだれ込む算段だ。

「慌しいままに時間が過ぎたから、久しぶりとも思わないけど、それでも結構伊予を離れていたんだな」

 湯築城の城下にやってきたとき、晴持は感慨深そうに呟いた。

 戦乱で焼き払われた街が、復興を遂げている。山に近く、木材が容易に手に入る事もあったのだろうが、なかなかの活気だ。

 ある程度、領内が安定したら、湯治の街として貴族や有力商人などに売り出していくつもりだという。

「こうして、道後温泉の礎ができるわけだな……」

 やがては、日本各地の神々を招待する一大温泉郷として栄える……という事もあるかもしれない。人の認識の外での話だが。

 埒もない事を考えながら、晴持は守護所に戻ってきた。伊予国に滞在している間、伊予守護が平時の生活の場とする屋敷に寝起きする事になる。

 今は、河野通直は伊予守護ではないが、守護代という立場となって伊予国を纏める立場にある。守護所の使用も、今まで通りに行っているのだ。

 屋敷に戻った晴持は、宛がわれた部屋に入り、畳の上に座った。

 室内には誰もいない。シン、と静まり返った部屋の中には、街の喧騒は飛び込んでこない。離れているというわけでもないのに、不思議な事だ。

 戦時である事を、忘れてしまいそうになる日差しの柔らかい日の午後である。

 刀か槍の手入れをしようか、あるいは読書に耽ってみるか。それとも、兵の管理を任せた光秀の下を訪れてみるか。はたまたそれぞれの軍を率いる隆豊や隆房のところに行くのもいいかもしれない。

 ともあれ、大内晴持は自分のすべき事を終えてしまい、実に手持ち無沙汰になっていた。

「若旦那、今いい?」

 と、そこに声をかけてきたのは河野家の当主である通直だ。

 焦げ茶色の髪を短く切り揃えた快活な姫武将だ。明け透けなところなど、どことなく隆房に似ているようにも思う。

 返事をして、通直を迎え入れる。

「通直、そっちの仕事はもういいのか?」

「うん、終わらせなくちゃいけない政務は、昨日のうちにほとんど終わらせておいたからね」

「すごいな。仕事が速い」

「久しぶりに若旦那と会えると思うと、緊張して寝付けなくてさ。仕方ないから仕事、進めてたんだ」

「そんな大層な」

「大層だよ、あたしにとってはさ」

 通直は、俯き加減にこちらの様子を窺ってくる。普段、元気がいいだけに、こうしたしおらしい姿を見せられると、ドキリとする。

「若旦那は、あたしと会うの、何とも思わない?」

「いや」

 そう聞かれては答えは一通りしかない。

 それに、晴持だって通直とまた逢えるのを楽しみにしていた。

「だったら、もうちょっと表情に出してくれてもいいのに……」

「すまない。どうにも、そういったのは苦手でな」

「何となく分かってた。あたしの我侭だから、忘れて。ところで、ここに来たとき、見慣れない娘がいたけど、彼女は?」

 見慣れない娘と言われて、晴持の傍にいる人物となれば、一人だけ。

「光秀か」

 最近、晴持の側近としてその才覚を惜しむ事なく発揮してくれている明智光秀。ゆくゆくは、右筆として晴持の傍で職務を果たしてくれるのではないかと期待している新星だ。

「京に上った時に、紹介されてな。奉公衆明智家の末裔で、鉄砲が神憑り的に上手いんだ」

「明智……確か、美濃にそんな国人がいたような」

「詳しいな。そうだ。その明智だそうだぞ」

「そう、なんだ。ふぅん」

 通直は、何か言いたそうな視線を投げかけてくる。

 男晴持、彼女の言わんとする事が分からないほど凡愚ではない。

「妬いてるのか」

「ば……ち、がっ」

 沸騰したように顔を紅くする通直に、晴持は失笑する。

「な、何!?」

「いや、しばらく逢わないうちに、可愛くなったなと思って」

「むぅ……そうやって、他の女にも言ってるでしょ」

「俺、正直者だからな」

 人並みに女性慣れしている事もあってか、軽口を叩くのは容易だった。対する通直は、経験の少なさからしどろもどろになってしまっていて感情が表情に表れすぎている。

「ところで、西園寺の討伐の件だが……」

「え、ああ。うまくいったと思うよ。返り忠してばっかだから、領地の召し上げまでしなくちゃならなかったけど」

「その領土だけど、義姉上に聞いたら河野家の好きにしていいとのことだ」

「本当?」

「河野家のには四国の要になってもらいたいからな。伊予一国をしっかりと固めて欲しいんだ」

「伊予一国……」

「東予も含めてな」

 通直ははっとしたように目を見開く。

「それって……」

 伊予国内には、河野家に従わない国人がまだまだいる。それらが集まっているのは、東予地方の二郡で、代表的な勢力は石川家とその下に就きながらも勢力を強めている金子家である。

「大丈夫なの?」

「ああ、お墨付きはもらった」

 石川家は、もともと細川家の家臣の家系だ。高峠城主として宇摩郡と新居両郡の二郡の領主として栄えている。

 元々は、備中国守護代の石川家からの流れであるという。

「管領様は、どうやら相当細川氏綱に手を焼いているらしい」

「ああ、ここ何年か畿内で暴れてるっていう」

 細川氏綱は、管領細川晴元と細川京兆家の家督を巡って争っている。度々乱を起こしては、晴元に反対する勢力を束ねてくるので、畿内は今でも戦乱が尽きない。

「とにかく、管領様は氏綱に味方するものを減らしたいというところでな。特に氏綱と繋がっているという通薫(みちただ)殿は早々に成敗しておきたいらしい」

「なるほどね。向こうの事情をうまく突いたわけだ」

 今回、標的として名が挙がったのは、細川通薫という武将だ。今、畿内で暴れている細川氏綱の義父にして管領晴元の最大の敵であった細川高国を叔父に持ち、その後継者の一人と目された事もある人物である。

 今は、細川通政の養子となっているが、それでも血の繋がりは切れていないらしく、氏綱との書状のやり取りが伺える。

 領地としては備中一国と伊予国の二郡を継承しているというが、その支配は限定的だ。

「備中には、尼子が手を伸ばしつつある。今後どうなるか分からんが、伊予に進出する口実にされかねんしな。中央の勢力図が変わる前に、潰しておかねばならない」

「そうか。仮に氏綱が管領の立場になったら手が出し難くなるからね。今が攻め時って事か」

「東予に関しても、河野家の切り取り自由だそうだ」

「本当にありがたいよ。こっちはますます奮い立つし、先祖の誰も達成した事のない、伊予統一が叶うんだから燃えるってもんよ」

「全力で当たってくれ。土佐のほうも、大友が動けない今のうちに片付ける」

 河野家が味方に就いているという時点で、四国で兵を動かすのが非常に簡単になる。大内家にとっても、これほど心強い味方はいないだろう。

 土佐国の長曾我部元親は、正史に於いては四国を実力のみで切り従えた英傑だ。この世界では、女性になっているようだが、その実力が変わる事はない。

 しかし、彼女も完璧ではない。いくらか誤算はあった。今回はそれが致命的だったというだけであろう。

「おそらく、長曾我部は大友が動けると踏んで行動を起こしたのだろう。大友には、伊予での事があって大内家に敵対する理由があるからな。けれど、大友は島津の台頭で動けなくなった。これが、長曾我部家の最大の誤算だ」

「島津が、こうも簡単に日向を落とすなんて誰も思わなかったもんね」

 ああ、と晴持は頷く。

 島津家など、九州の南端に蠢く豪族の一つでしかないというのが、大友家をはじめとする大国の認識だった。簡単な歴史知識を持つ晴持だけはその動きに注意していたのだが、それでもこの膨張速度を予想するのは困難だった。ただの一戦で、伊東家を粉砕してしまうとは。

 伊東家がそもそも当主と家臣との間に確執があった事も原因の一つだが、日向一国を纏める大家がいとも簡単に敗れ去ってしまったのは、誰にも予想できない惨事であった。

 もちろん、大友家を頼みにしていた長曾我部家にとっては大惨事もいいところだ。

「長曾我部家が降伏とか申し出てきたら、どうするの?」

 と、通直は尋ねた。

「今の段階では何ともな。一戦もせずに降伏するような軟弱ではないだろうし、だからこそ初戦はこちらの勝利で終えなければならない」

 勢いのある敵は、決して調子付かせてはならないのだ。

 元親個人の武勇軍略もさる事ながら、彼女を慕う兵の多さ。これが、土佐国を相手にする上で最も厄介な問題なのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 晴持は、河野勢の一部を加えた大軍で南下し、土佐国内に進軍した。

 晴持に先んじて、関白一条房通が下向しており、大内勢を引き入れる下地を固めていてくれた。

「叔父上、この度はお世話になります」

 晴持は、出迎えてくれた房通に下馬の礼を取る。相手が関白だと知って、率いてきた将兵が大慌てで晴持に倣う。公家社会の最高権力者を前にして不遜な態度を取るような慮外者は、晴持の率いてきた兵の中にはいなかった。

「善き兵を持っておるようじゃな」

「すべて、義姉上のご人徳あればこそ、です」

「心強い限りじゃ」

 朗らかに、笑う房通に晴持も微笑み返す。

「よろしければ、このまま若君にご挨拶申し上げ、その後に父上と兄上の墓前に参りたいと思うのですが」

「そうか。そうじゃの、それがいい。案内させよう。土居殿」

「はっ」

 房通の傍にいた白髪交じりの壮年の男性が腰を低くしながら、その傍に傅いた。

「筆頭家老の土居宗珊(そうざん)殿じゃ」

「宗珊にございます。晴持様。真、ご立派になられましたな」

 土佐一条家で三年余りを過ごした晴持は、当時からいる家臣と顔を合せている事だろう。覚えていないのが申し訳ないところだ。

「お久しぶりです、と言えばいいのか。難しいところですね、土居殿」

「某の事は、宗珊で結構にございます」

「では、宗珊殿と」

 一条家の筆頭家老に対しては礼を尽くす。当然の事だが、あくまでも大内家の人間であるという意思表示にもなる。

 それから、晴持は、宗珊に案内されて幼い土佐一条家当主に会った。挨拶するといっても、相手の歳が歳だけに形式的なものを手早く済ませたに過ぎない。遊び盛りという事もあり、子どものほうがジッとしていなかった。

「申し訳ありません、晴持様」

 挨拶が済んでから宗珊は晴持に頭を下げた。

「いえ、あのくらいの年頃はジッとしているのが苦痛に思えるものです」

「そう仰っていただけるとありがたいです。晴持様が大内家に向かわれる以前は、若様よりも落ち着きがあったようにも思うのですが……」

「思い過ごしでしょう。十五年以上も昔の話ですから、色眼鏡で見てしまうところはあるでしょう」

 晴持が大人しかったのは、偏に中身がずっと年上だったからである。と、そう思っていると、この宗珊の面持ちに見覚えがあるような気がしてくる。写真すらないこの時代で、人の顔を何年も覚えているのは難しい。であれば、この感覚も過去を懐かしむ色眼鏡というヤツだろう。

「何か、かつての事を思い出されたりはしましたか?」

「どうでしょうか。不思議と懐かしい感覚はしますが、それがどこまで私の記憶によるものか……」

「懐かしい、と思っていただけただけでも重畳です」

 晴持と宗珊は、屋敷を辞して馬に乗ってきっちりと区画整理された街を行く。その後ろには供として隆房や隆豊、光秀がそれぞれ数人の兵を引き連れて付き従っている。

 やってきたのは、光寿寺。晴持の腹違いの兄である一条房基が眠っている寺だ。

「隆豊、隆房、それに光秀も。ついてきてくれ」

 晴持は、側近とも言うべき三人に声をかけた。

 彼女達は、晴持の兄が眠る寺に足を踏み入れたものかと迷っていたところだったので、驚いて晴持を見つめた。

「兄上に大内家(むこう)でしっかりやっているという事を伝えたい」

 家臣を宝と称したのは斉の威王であったか。中国の故事に倣うまでもなく、彼女達が至高の臣である事に疑いの余地はないのだが。

「構いませんね、宗珊殿」

「もちろんですとも晴持様」

 ここで土佐一条家の先代を敬う姿勢を示し、以て内部にたゆたう大内家への不信を払拭する。下心が皆無とは言えないが、それは表情にも一切出さない。顔も知らぬ相手とはいえ、縁者の墓というのはそれだけで厳粛な空気を感じるものである。

「兄上との再会がこのような形になろうとは思っておりませんでした」

 墓前に手を合わせた晴持は、宗珊に話しかけた。

「晴持様は運がよろしいのです。他国に行かれた方が、実家の墓に詣でる機会などそう多くはありませぬ。多くは、その地で一生を終えるものですから」

「そういうものですか」

 晴持のように実家を出て他家に入るか、あるいは光秀のように戦乱で故郷を失うか。いずれにしても、よほどの事がない限りは故郷に戻る事はできないだろう。

「長曾我部を討ち、土佐を鎮めるお役目。兄上に代わり、この大内晴持がお引き受けしました」

 誓いを新たにし、晴持は来るべき長曾我部家との決戦に備えて気持ちを引き締めたのであった。

 

 


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