大内家の野望   作:一ノ一

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その十五

 戸次道雪率いる大友勢を撤退させたものの、大内晴持が意識を失うほどの重傷を負ったため、大内・河野連合軍の攻勢は目に見えて衰えた。

 しかし、それは決して伊予国からの撤退を意味しない。

 晴持が本陣を移し、身体を張ってまで戸次道雪を食い止め、撤退にまで追い込んだのは、偏に前線で戦う将兵を救い、その安全を確保するためである。地形の都合もあったし、杉重輔の部隊が崩されたために、本陣が出て行かねばならない状況に追い込まれたという事もあるが、総大将が身体を張ったという事実は、大内家の将兵を俄然やる気にさせ、大友討つべしと伊予国の平安という目的以上に大友家への敵愾心で士気が高まったし、大内家によい顔をしなかった河野家の将兵の、大内家への評価を好転させる事に繋がった。

 大内家はそれなりの打撃を受けたものの、守るべきものは守りきり、兵の士気が上がっている。まだまだ、伊予国からの撤退を考えるには早いだろう。

 あの戦いの後、晴持は龍王城に運ばれた。

 龍王城は五十崎郷にあり、晴持が死守した盆地を押さえる要衝であった。

 大内・河野連合にとって、この盆地は非常に重要な意味合いを持っていた。

 この盆地は高森山、大登山、神南山、妙見山に四方を囲まれた狭隘な土地であり、神南山と妙見山の間を抜ければ、大洲城を擁する大洲盆地に出る。背後には、大洲街道を背負っている。この盆地を奪われれば、街道を通って瞬く間に湯築城に攻め込まれてしまうのである。

 現在、戦は小康状態にある。

 大洲城から散発的に敵が打って出ては、小競り合いとなるが、それ以上の大きな戦にはなっていない。こちらが盆地をしっかりと固め、神南山と妙見山を押さえているために、攻めるに攻め込めないという状況なのだ。敵が晴持達の陣に攻撃を加えるのなら、神南山と妙見山の間を通る必要がある。川を遡っての攻撃は、一度失敗したのでもう使えないのだ。

 晴持は、布団の上に横たわり、天井を見上げていた。彼の身体に刻まれた傷は大きいものが肩に一つと、小さいものは顔や腕に計三つと言ったところである。肩に傷を受けたとき、その衝撃で骨に罅が入ったらしく、鈍痛が抜けない。意識を取り戻してからも高熱に苛まれ、三日は起き上がる事もできなかったというほどだった。

 長期戦による疲労が晴持の抵抗力を下げていたのであろう。

 ここに、戦国旧来の応急措置を施されていたら、間違いなく死んでいた。糞尿を使った応急措置など、感染症を誘発しかねない暴挙だ。まだ、笹の葉を押し当てていたほうがましである。

「未だに下の者はやってるんだよな」

 馬の糞を水に溶いて飲むだとか、眉唾な都市伝説程度の医療知識が現実である。晴持の手が届く範囲で、その誤った知識の改革に時間をかけたりもしたが、かといって正しい知識が晴持にあるかというとそうでもない。薬学も医学も彼にはとんと縁がない。笹の葉やアルコールにある消毒効果やテーピングが関の山とあっては、実際に命を賭けて敵と斬りあう兵達が縋る治療法には届かない。

 最後は気持ちの問題だということだろう。信仰と同じで、眉唾な治療法でも治ると信じているから戦えるのである。

「若、起きてる?」

 ぼうっとしていたところに、隆房がやってきた。

「隆房、起きてるぞ」

「今、入っていいかな」

「大丈夫だ」

 返事をすると、障子戸を開けて隆房が入ってきた。

 晴持は身体を起こして、出迎える。

 部屋に入ってきた隆房は、身体を起こしている晴持を見て、絶句して立ち尽くし、それから表情を険しくして詰め寄ってきた。

「若! 何起きてんの!」

「何って……」

「寝てなきゃダメじゃん!」

 晴持の反論を聞く前に、隆房は晴持の怪我をしていないほうの肩を押して、無理矢理身体を横たえさせる。

「待て待て、人が来たのに寝ていられるか。落ち着かないんだよ」

 未来人根性か、晴持は他人がいる中で自分だけがだらだらと寝ている事ができない性分なのである。しかし、抵抗する晴持を、隆房は押さえつけて放さない。大内家中随一の武将に上から押さえられては、晴持も起き上がる事はできなかった。

「別にそこまで大騒ぎしなくてもいいっての」

「若、忘れてるでしょ」

 半目で見下ろしてくる隆房が、唐突に橙色の上着をはだけさせた。

「ちょ、お前いきなり何を……!」

「ここ!」

 露になった白い肩には、火傷のような痕があった。

 尼子久幸に付けられた傷の痕だった。

「ここを怪我した時に、若はあたしに寝てろって言ったでしょ。まして、今は戦場でもないんだよ。若は起きている必要なんてないし、寝てなきゃダメなの!」

「ぐぬ」

 以前、隆房に言った事が返ってきてしまった形になった。隆房にああ言った手前、言い逃れるのは難しい。

 晴持はため息をついて、力を抜き、枕に頭を預けた。

「分かったよ。大人しくしてる」

「うん」

 隆房は満足げに笑った。

「みんなで話し合って決めたんだけど、若。明日、龍王城から湯築城に移ってもらうって」

「はあ? それ本人のいないところで決めるか?」

「若に負担はかけられないし、若の状態を考えれば、最前線にいるよりも後ろにいてもらったほうが安心できる」

 要するに、今の晴持が前線付近にいるのは、他の将兵にとって気が気でないということだ。龍王城を攻められた時に、体力の落ちている晴持の存在は足枷となろう。そうならないように、通直達が最前線の二つの山を要塞化しているのである。

「まあ、仕方ないか」

「分かってくれてよかった」

「そうだ。一度、ここに皆を集めてくれないか。通直とか隆豊とか、他にもいるだろうけど、俺を仲間はずれにした恨み言くらいは言わせてもらいたい」

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 大洲城は、大内・河野連合に敵対する河野・宇都宮連合の本拠地であり、敵の襲撃に備えて要塞化が推し進められている最中であった。

 今回の戦では、川を渡る橋を事前に落としていた事もあり、追撃が遅れて敵に効果的な打撃を与える事ができなかった。

 戦を指揮していたのは、河野晴通自身である。宇都宮勢の力を借りながらも、河野通直を討ち果たし、湯築城の城主に返り咲く夢を諦めてはいない。

 大友家の戸次道雪が、大内晴持の本隊の背後を強襲し、手痛い打撃を与えた事は大きな戦果だった。劣勢で低下しつつあった士気を持ち上げる効果があったし、陶隆房の部隊を追い散らした事で、勝てるという認識を持たせる事もできた。

 可能ならば、隆房は生け捕りにしたかった。

 名門大内家に代々筆頭家老として仕える陶家の娘で、武勇も容貌も優れていた。

 この時代、戦に敗れた姫武将の末路は総じて悲惨なもので、特に生け捕りにされた場合は慰み者になるか、褒美として扱われるかというのが主流であった。容姿や血統が優れていればその価値は高く、男の兵の士気を高めるには十二分に利用できる。

 大内家は公家文化という事もあって戦場での乱捕りを厳に禁じており、それが後の領国化への移行を助けている側面もあるので、一概にどちらがいいかを論じる事はできないものの、滅亡の淵にある晴通には金も土地もなく、敵の姫武将や勝利した暁にはという限定的な約束で味方の士気を維持するしかないという事情もあった。

 大洲城には、今、三つの勢力が混在している。

 河野家、宇都宮家、そして援軍に駆けつけてきた大友家である。

 河野家中のこうした下卑た思想は、姫武将を戴く大友家、特に戸次家の直臣達は好ましく思っておらず、目に見えていがみ合う事はないものの、連携には不安を残すものとなっている。

 三つの勢力の代表が、軍議の場に集っても、どことなく空気が張っていて、大内・河野連合のような一体感はない。

 この空気を表すとすれば、それは牽制の二文字となるだろう。

 どの勢力も、互いを仲間として認識していない。

 道雪が感じるのは、同じ場にいながらも警戒されているという疎外感である。

(これでは、とても一丸となって戦をするというわけには参りませんね)

 憂慮すべき事態であった。

 強大な敵を前にして、心が一つになっていないこの状況は、道雪をして勝利への道を見出す事ができないほどに危険なものであった。

 今更惜しんでも仕方がないが、あの時、晴持を討ち果たすか、速攻で背後を取っていれば優位な状況で軍議ができたのだが。

 依然として、押し込まれている戦況だが、道雪の働きによって敵を押し戻し膠着状態に持ち込む事はできた。その一戦をこちらは陶勢を押し戻し、大内本陣に斬り込んだ事で勝利と喧伝しており、その一方で敵もまた道雪を押し返したと自らの勝利を謳っている。

 小競り合い以上に、自分達の優位性を世間にアピールしている情報合戦となっているのである。

「皆々様、お忙しいところ集まっていただき、ありがとう存じます」

 慇懃な口調で話し始めたのは、大洲城主の宇都宮豊綱。二十代中頃の青年城主は、陰鬱そうな顔つきで左右の道雪と晴通に視線を送った。

「特に大友家の皆様は、遠路よりお越しくださいまして誠にありがとう存じます。このように当家が城を維持できているのも、道雪殿の武勇のおかげでございます」

「もったいないお言葉です。敵総大将を槍にかけておきながら仕損じた事、責められこそすれ誉められるようなものではございません」

 あの時、晴持を討ち取ってさえいれば、この戦はすでに決したも同然であった。それを考えれば、道雪が晴持を討てなかった事は、とてつもない大失態と言えた。

 だが、それを責めるものは誰もいない。

 道雪があの時、見事に敵の背後に強襲をかけたからこそ、大洲城は落城を免れた。それは総大将を取り逃がすという失態があったとしても否定できるものではなく、何よりも大内勢と戦うには大友勢の加勢が必要不可欠である。

 援軍でやってきた道雪の立場は、本人の意思に関係なく高い。城主の豊綱や亡命してきた晴通などよりもだ。だからこそ、豊綱や晴通は気分がよくないのである。自分達は独立した大名であるという意識が強く、援軍だからといってでしゃばるなというのが、正直な本音であった。

 連合内部がギクシャクするのも、互いの立場や目的意識に齟齬があるからである。

 晴通の目的は当然ながら同族の通直を追い落とし、河野家当主と守護の座を取り戻す事である。もとより、伊予守護である彼にとっては伊予国内の国人達よりも自分のほうが立場が上であるという意識があり、宇都宮勢が自分を援護するのは、当然であるという認識があった。

 その一方で豊綱にとっては河野家の指図など受けるつもりは皆無であり、晴通を援護する理由もほとんどなかった。場合によっては通直と協力して晴通を討ったほうが後々のためではないかとも思うくらいであった。しかし、大内家の伊予国侵入という事態にあってはそうも言っていられない。前述の通り、彼は宇都宮家が独立している事に価値を見出している。大内家が伊予国に入れば、膝下に降らざるを得ないではないか。そのため、河野晴通を援護せざるを得なかったのである。

 そして、大友家の立場は、そもそも河野家の内訌に興味は欠片もない。

 重要なのは、大内家がこれ以上勢力を広げないことである。晴通を助けるつもりもなければ豊綱を助けるつもりもない。ただ、大友家にとって都合がいいから兵を貸しているという程度に過ぎない。

 大内家の発言力が伊予国に入るくらいなら、大友家の発言力が物を言うように晴通を擁立したほうがいい。

 お互いがお互いを食い物にしようとしていながら、大内という共通の敵がいるために目をそちらに向けているというのが現状なのである。

「さて、それでは皆様にお尋ねしたい事がございます。すでに耳にされた方もいらっしゃるでしょうが、大内晴持の事です」

 道雪の視線が険しくなり、そして晴通はにやりと笑みを浮かべる。

「大内晴持が死んだって話か?」

 晴通が言った。豊綱が頷いて続ける。

「道雪殿から受けた傷が原因で、命を失ったとか。重傷だという話は前々から聞いていおりましたが、その真偽のほどはどうなのでしょうか」

「当方の物見によれば、大内勢の大半が、すでに大洲街道を抜けて湯築城に帰還してしまったとか。龍王城は蛻の殻で妙見山の河野勢も撤退の色を見せていると言います」

 道雪の言葉に、晴通が膝を叩いて前のめりになる。

「ならば真ではないか。大内勢が兵を退くとなれば今が好機。すぐに兵を興すべきだ!」

 今こそ、湯築城奪還の時と、勢い勇む晴通に、道雪は否を唱える。

「現状がはっきりしない中であの細い街道を進むのは危険に過ぎます。大内勢が本当に撤退するのか、それを確かめなければなりません」

「臆されたか、道雪殿」

 顔を赤くして晴通が言い募った。

「それとも、戦場で口説いてきた相手を槍にかけた事で傷心でもされたか」

 道雪の眉が僅かに上がった。あからさまな挑発に素直に乗るほど道雪は子どもではないが、不愉快なのは隠しきれない。いや、これはジェスチャーである。今の発言が、道雪の心証を悪くするというのを示すためのものだ。

 意を汲んだのは、豊綱であった。

「河野殿。少々、口が過ぎましょう」

 窘められた晴通は、むっつりとして居住まいを正し、正面の道雪に対して頭を下げた。

「失礼した。旧領奪還の機に触れて聊か気が大きくなったようだ」

「さて、なんの事でしょう。ご存知の通り、ここ最近忙しく、少々転寝をしてしまいました」

 扇を広げて口元を隠し、道雪は笑みを浮かべた。

 男を魅了する艶やかな所作なれども、その内に恐るべき鬼を見た気がして二人の男は身が震える思いに囚われた。

 おほん、と豊綱は空咳をした。

「話を戻しましょう。大内家が兵を退いているのは、事実のようです。これをどう見るか、というのがお二人に集まっていただいた理由でして。特に大内晴持の件。道雪殿自ら槍を突き立てられたと伺っております。手応えの程はどうでしたか?」

「そうですね。一日二日で治る程度の浅手ではありませんでした。しっかりと治療しても塞がるまで一月はかかりましょう。無論、治療を怠ればそこから毒が入り、明日をも知れぬというのは否定できない事です」

 晴持が熱に苦しめられていた、という情報はすでに情報が入っていた。そこから回復したとも伝わっていたが、真偽の程が分からない。

「病を得て苦しんでいたというのは事実でしょう」

 道雪が言った。

「亡くなったかどうかは、注視する必要があります」

 通常、大将格の死は隠されるものだ。表に出ては、将兵の動揺が押さえられず、隙となるからである。ゆえに、こうも簡単に死の情報が出てくるのは、あからさま過ぎて不審であった。

「重要なのは」 

 そこに、晴通が口を挟んだ。

「晴持が戦場に出られないほどの手傷を負ったということだ。それが命に関わるのであれば、大内家としては兵を退かざるを得ないだろう」

 大内晴持は、大内家の跡取りでもある。大事があってはならないのだから、早々に戦場から遠ざけるのが賢明な判断であろう。

 道雪の意見も晴通の意見もどちらも正しく思えて、判然としない。

 晴持が死んだという情報もあれば、重傷であるが命に別状はないという情報もある。情報が錯綜しており、それが故に、死んだという話の信憑性が上がっている。

「失礼致します」

 と、そこに入ってきたのは、宇都宮家の家臣であった。

「龍王城に出入りしたという僧侶が口を割りましてございます」

「おお、ついにか」

 晴持が死んだという話がさらに大きくなったのは、龍王城に僧侶が出入りしていたからであった。豊綱は、その僧侶の寺に人を差し向け、城内の様子を聞き出させていた。

「住職はなかなか口を開きませんでしたが、その弟子が己の持ち寺を手に入れる事を条件に口を開きました」

「なるほど、欲深い僧侶もいたものだな」

 晴通は皮肉げな笑いを浮かべていた。金と地位に引き摺られて師を裏切ったその僧侶を蔑んでいるのである。

「それで、その僧はなんと?」

「はい、それが城内は一様に沈鬱な様子であったとか。若殿の遺体が朽ちる前に海を渡らねばならず、時間がない故、せめて簡単な経だけでもと城内に呼ばれたとの事です」

「その者は晴持殿の死に顔をご覧になりましたか?」

 道雪が尋ねると、家臣は頷いた。

「死に化粧までしかと見たとの事でした。まるで眠っているかのようだったとも申しておりましたが、その僧が聞いたところでは、昨夜は高熱に魘され、数刻に渡る戦いの末に壮絶な最期を遂げられたのだとか」

「晴持の死はこれで決まりだな! 大内も兵を退くだろう。義隆の気性では、しばらくは喪に服して出て来ないかもしれん! 今が攻め時だ!」

「これ以上の情報は出て来ないでしょう。大内家が混乱しているという今が確かに攻めるべき時ではありますが、道雪殿はどう思われます」

「そうですね。確かに、その情報に誤りがなければ攻めかかるべきでしょう。しかし、どうにも疑念が晴れません。今一度、物見を出し、敵方の情報を探りなおすべきではないでしょうか」

 念には念を、と道雪は意見する。

 それは、このまま敵に攻めかかったとして、それが虚偽であった場合に被害が甚大なものになってしまうという危機感からである。

 大洲街道は狭い。引き込まれたら、退路を断たれやすくなるのである。

 だが、その疑念に対して晴通が

「問題ない。道中の諸城を治めるのはこれといって通直に恩義がある者ではない。優勢なほうに味方するはずだ」 

 と言い切った。

 要するに、下の者にとっては河野の冠さえあればよく、当主が誰であろうとも変わりはないという事である。

 視野狭窄と言わざるを得ないが、話の勢いは晴通にあった。

 そして、議論が白熱している中に、伝令兵が駆け込んできたのである。息せき切って、火急の時を告げる有様であった。

「何事だ」

 豊綱がその慌しい様子に強い口調で問い質す。

「は、はッ。至急お耳に入れたき儀がございます!」

「言え」

「土佐より一条家が兵を挙げたとの由! すでに、宇和郡に侵入しております!」

「なんだとッ」

 さすがの豊綱も驚愕の色を隠せない。

 宇和郡を治めるのは西園寺家だ。この同盟にも参加し、一条家の動きに目を配る役割を持っていた。

「西園寺はどうしたのだ?」

「それが、西園寺殿が一条家を引き入れた模様で……一戦もせず」

「裏切ったか!」

 風雲急を告げる事態に、豊綱は歯噛みし、晴通は苛立ちの表情を浮かべる。あと一歩で河野家の家督を取り戻せるという時に、なんと余計な事をしてくれたのだろうと。

「一条は、弟の仇討ちと叫んでおります」

「くだらん。兄弟の情など欠片も持ち合わせていないだろうに」

 吐き捨てたのは晴通である。晴持が一条家からの養子であるという点で、一条家の介入を注意せねばならなかった。晴持死亡の情報を知ったからには、一条家としては今介入しなければ、伊予国の騒乱に介入する機会がなくなると焦ったのであろう。道雪が、西園寺の領土からこの大洲にまで兵を動かしたのも大きかった。

「それでは一条家の動きに対しては、わたし達で対応しましょう」

 道雪がそう切り出すと、豊綱はお願いいたします、と言って頭を下げた。

 道雪が一条家に対応するのは、彼女の大内家の行動に対する考え方が、他二人と異なっているためである。足並みが揃わないのであれば、共に作戦行動を取るわけにはいかない。道雪としては、晴持が死んだ、あるいは重傷のために大内勢が兵を引いたという話はどうにも信じられず、攻めかかるのは獅子の口に自らの頭を差し出すようなものだと感じていたのである。

 それに道雪は援軍という形でこの地に来たので、あまり目立ちすぎても後々に禍根を残す。どこかで、身を退き、晴通と豊綱を立てる必要があった。

「一条殿のお相手をせねばならないので、わたしはこれで。お二方のご武運をお祈りします」

 楚々とした仕草で道雪は頭を下げ、道雪は配下の将と共にその場を後にした。

 道雪が去った後、晴通と豊綱は肩の荷が下りたとばかりに空気を弛緩させた。大友家の国力は侮れず、道雪という最高位の武将を相手にするのはそれだけで骨が折れる。

「だが、これで一条の動きは押さえたも同然」

「そうですね。我々は、河野通直の首を挙げるだけですか」

 うむ、と晴通は頷く。

 各勢力が手を結ぶには利害関係を明確にするのが大切だ。河野・宇都宮・大友の三家に関しては、手を結ぶほうが利になるという事で一致していた。が、しかし、大友家の介入そのものを、河野家と宇都宮家が喜んだわけではない。できる事ならば、手を結びたくない相手である。それは、大内家が毛利家を取り込んだように、圧倒的な国力の差がある相手との同盟は、その兵力を頼みにした瞬間に属国化の危険性があるからだ。

 まして、大友家は今回大内晴持を死に至らしめ、大内家の撤退に直接関わった。手柄としてはこれ以上ないというものを挙げており、さらに大友家に手柄を渡すのは、河野家にとっても宇都宮家にとってもよくないという点で、両者は一致していた。

 かといって、この二人が完全な味方というわけでもない。

 河野通直を倒し、大内家の影響力を取り去った後は、互いに敵となる。河野家は守護家として悲願の伊予国統一を目指し、宇都宮家は伊予守護を河野家から奪還すべく動くだろう。

 この連合軍はそのはじめからして一枚岩ではなかったのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 土佐国司の一条房基は、土佐一条家の四代目に当たり、大内家の養嗣子である大内晴持の実の兄である。

 一条家は公家としても高い家格を持っていて、房基も従三位となり阿波権守に任官している。土佐一条家は姉小路家と北畠家に並んで、戦国時代に地方に土着して武士化した戦国三国司に数えられる。房基は歴代当主の中でも抜きん出て智勇に秀で、彼自身が陣頭に立って兵を鼓舞し、高岡郡の津野家を服属させ、大平家を亡ぼした。土佐国内は、七雄と呼ばれる七つの豪族が割拠している状態であった。その中で、一条家は別格の扱いを受け、所領も他家の二から三倍という規模であった。その上で、房基が七雄のうちの二家を討伐したものだから、その地力は飛び抜けて高まっていた。多くの豪族を戦わずして従えるだけの力を有しているのが、今の一条家である。

 その一条房基が、ついに伊予国に出陣するという。

 旗の下に馳せ参じたのは土佐国の国人豪族達である。西園寺家を結んだ房基は、弟である大内晴持を支援する名目で伊予国に進出するつもりなのだ。

「しかし、迎撃に出てきたのが、よりにもよって大友の戸次道雪とは」

 一条軍の先鋒は、土佐七雄の中でも最弱と蔑まれる長曾我部家である。呟いたのは、長曾我部元親の臣、久武親信である。

「元親ちゃんの言ったとおりになりましたね」

「さすがだよ元親! 世界の誰よりも美しく愛らしい我が主君!」

 可之介の言葉に頷いた親信は、唐突に元親を振り返り叫んだ。大言に過ぎる言葉を元親は馬耳東風が如く聞き流した。まともに相手にしていては気疲れする。

 大槍を肩に担ぎ、馬に跨る長髪の姫武将こそ、長曾我部元親である。かつては姫和子と蔑まれた彼女も、父の跡を継いで立派に当主として振舞っていた。

「相手は九国最強との呼び声も高い戸次道雪殿だ。そんな風に油断していたら首がいくつあっても足りないよ」

 少々自分を甘やかしすぎる重臣を嗜めて、元親は前に目を向ける。

 主君である一条家の血を引く大内晴持と激闘を繰り広げたという道雪の部隊は、しかし、まるで疲労していないというかのように整然と並んでいる。

「鉄壁の布陣だ。しばらくは睨み合いになりそうだね」

 元親が見る限り、道雪の部隊に付け入る隙はまったくない。主がどうするのかは判然としないが、元親であれば、あの敵に手を出したりはしない。

 この数刻後、痺れを切らした房基が果敢にも突撃令を下すに及んで、戦が始まるのであった。




晴持ってポジション的に動かし易すぎる気がする。公家の血を引く名門から武家の名門に養子入りして次期当主。大内家が強い事もあってごちゃごちゃした兵力集めからしなくて済むし、当主じゃないから戦場に打って出てもまあ大丈夫。
下手に身分が高いと戦場に突撃させるのもダメになってしまうからなぁ……。

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