実況パワフルプロ野球 聖ジャスミン学園if   作:大津

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第70話 甲子園 3回戦 VS帝王実業高校⑤

 1点のリードを守っていた帝王にジャスミンが追いつき1-1となった7回の表が終わり、攻守交代で帝王の攻撃となった。

 

 先頭は3番の蛇島。

 だが前の打席で完全に抑えられた残像があったか、簡単に2ストライクと追い込まれる。

 そしてカウント1-2となった4球目、ストライクになるストレートになんとか手を出すが力のないゴロがサードへ転がる。

 

「オーケー、任せてー!」

 三塁手の大空さんが捕球体勢に入る。しかし……。

 

「えっ!?」

 

 手元で打球のバウンドが変わり想定よりも打球が高く跳ねる。大空さんはそれをグラブの操作で収めようとしたが、土手の部分に当たりボールを前にこぼした。その間にバッターランナーの蛇島は一塁に到達する。

 

『おっとイレギュラーです! 土のグラウンドにはこれがあります! 甲子園の魔物が顔を覗かせたかー!?』

 

「す、すいませーん! 私のミスですー……!」

 

 これに太刀川さんはグラブを向けて、大丈夫だという意思表示をした。ノーアウトでランナー1塁。

 俺はライトからランナーの蛇島の様子を確認する。蛇島は必要以上にアンツーカーをスパイクで掘り、足場を慣らしていた。……苛立っているのか? それとも……。

 

『プレイ!』

 沸き上がる歓声と共に打席には4番の友沢が立った。尻込みしてしまいそうな盛り上がりにもようやく慣れ、相手の立ち振る舞いに関心が向けられる程の落ち着きを得た。

 

(あれ、友沢疲れてるよな?)

 スタンスもバットを構える姿にも分かりやすい変化はない。ただ、表情や(かも)す雰囲気が友沢が確かに消耗している事を伝えていた。

 しかし、それは太刀川さんも同じ。お互いに先発として結構な球数を投じている。疲れがない筈がない。限界が近いのを感じながらも一方は鉄仮面の様な静けさでそれを覆い、もう一方は闘志という形で内側から力を捻り出している。これが試合の山場と感じているからこそだ。

 

 この対戦の重要性を感じているからか、ジャスミンバッテリーはカウント2-1とボール先行。続く4球目もストライクゾーンから変化する球を見送られ3ボール目となった。

 そして5球目。

 

『ザッ……』

 クイックモーションから投じたのは真ん中低めへのストレート。これを友沢は見逃しカウント3-2。

 

 3ボールながらも2ストライクと追い込んだその時、小鷹さんがにやりと笑った。

 

(……っ! あの配球はわざとか!)

 

 緊迫した投手戦において友沢は先頭バッターがヒットで出塁という得点の予感漂う流れの中で打席に立った。もちろん自分のバットでランナーを還す事が出来れば最良だがノーアウトランナー1塁でカウントが3ボール1ストライクとなればそうそう手は出せない。直前の球がストライクからボールになる球だったからそれもよぎった筈だ。

 ゲッツーもあり得るし、投手の立場からすればそろそろ点が欲しい。そんな展開ならば確率が高い四球での繋ぎも頭に浮かぶだろう。

 それに……ひょっとしたら、自分が最終学年ではないという、実力があるだけでは果たせない責任も感じていたかもしれない。チームスポーツである以上は後続に託すという決断をしなければいけない時もある。3年の引退が懸かった試合なら自分の意思を貫き通すのも難しい。

 

 こうしてジャスミンバッテリーはあと1ボールで四球のピンチながら、あと1回の見逃し、空振りで三振となるチャンスを創り出した。厳密には打つかアウトになるか以外の選択肢もある分、打者が有利だが迷いも出る状況だ。……あと1球、どう攻める? 

 

 サイン交換を終え、太刀川さんがボールを投げ込む。投じられた速球は内角のボールゾーンへ。そして、そのまま外れるか……と思ったコースから急激にストライクゾーンへと切り込んできた。右バッターの内角ボールゾーンからストライクゾーンへと変化するフロントドアだ! 

 

「くっ……!?」

 自分でボールだとジャッジしてから急に打ちにいくのは身体がついていかないだろう。さすがの友沢でもスイングの始動が遅れる。

 これなら……! 

 

 三振だろう、という現実みのある期待と予想。しかしこの天才はそれすらも上回った。

 

「……く、ぁああっ!!」

 右打席の友沢は右腕が身体にくっつく程に腕をたたみ前方に体重移動。そうして作ったスイングが出来るだけの空間を左手での操作と利き腕での押し込みでバットで一閃する。そうして辛くも捉えた打球はセカンドの頭を弧を描く様に越えて、ライトを守る俺の所に落ちた。

 

 打球が緩い! これだと……! 

 

 小さく跳ねる打球にグラブを差し出し捕球したところで1塁ランナーだった蛇島の動きを見ると、2塁ベースを踏んで更に進塁を試みようとしているところだった。

 

「くっ……! させるかぁぁあっ!!」

 

 俺はボールを捕った勢いでグラブを右手の方まで持ち上げ、素早くボールを持ち替えるとそのままサードへと全力で腕を振った。

 

『ライトからのレーザービームにランナーは2塁に釘付け! 瀬尾君、進塁は許しません!!』

 

「ナイススロー! ストライク送球ですよー!」

 

 大空さんのサムズアップに右手を上げて応える。と、そこでジャスミンの内野陣がマウンドに集まっていった。そこで言葉が交わされた後、ベンチから三ツ沢監督が出てくる。そして、アナウンスが流れた。

 

『聖ジャスミン学園、守備位置の変更をお知らせ致します。レフトの美藤さんがライト、ピッチャーの太刀川さんがレフト、ライトの瀬尾君がピッチャー……以上に代わります』

 

『ワァーっ!!』

『ここでジャスミン、リリーフエースの投入です! 先程好返球を見せた瀬尾君、マウンドでも勢いのあるボールを見せてくれるでしょうか!?』

 

「ふぅ……」

 俺がマウンドに向かうと降板を告げられた太刀川さんがボールを持ってこちらに歩み寄ってくる。

 

「太刀川さん、ナイスピッチング! 友沢のヒットはしょうがない、内容では勝ってたよ!」

「アレさえなければこの回は投げ切れただろうから悔しいけど……悔いはないよ! あたしは目一杯投げた。それで、帝王にも通用したと思ってる」

「う、うん」

「だから次は瀬尾君の番ね!」

 

 バチンと俺のグラブにボールを置くと太刀川さんはレフトの守備位置へと走っていった。

 

 ……そうだね、太刀川さん。君のピッチングは凄かった。

 だから俺も続くよ! 勝つのは俺達だ! 

 

 ☆

 

『ストライク! バッターアウト!』

『瀬尾君、マウンドに上がって最初に対戦したバッターを三振に切って取りました!』

 

「チッ……!」

 

 ……この胸に去来するざわつき。その正体を俺は知っている。

 太刀川の好投もそれを打ち返した友沢も、俺の進塁を阻んだ瀬尾も……奴らが、奴らの全てが忌々しい。呪わしいのだ。

 

 いつ頃からだろうか。人間としての価値を『点数』として計る様になったのは。どれ程の活躍だろうが、それがただ点を稼いだ『加点』としか感じられなくなったのは。

 

 そうなった事が悪い事だとは思っていない。むしろ立ち回りやすくなった。

 誤った採点……自己評価で身を滅ぼす可能性がなくなったからだ。

 

 自己評価は重要だ。揺るがぬ自己は能力の向上を促し、未来への道標にもなる。それは一種の真実とさえ言えるだろう。しかし、世の中の個々人に対する評価は他者からの評価が絶対だ。自分の優秀さをいくら声高に叫んでもそれを理解出来る人間ばかりとは限らず、それどころか、そのせいで自身の価値に不当な疑問符が付く事すらある。俺はその事に早くから気付いていた。だから他者からの評価を上げる事が、自己の評価とのギャップを速やかに埋め、本当なら自分が得るべきものを横から掻っ攫われる可能性を潰す最善の方法だと理解し実行していたのだ。

 だが世の中には効率というものがある。どうせ至る道であろうとも出来るだけ早くそこに辿り着いた方が、得られるものも、絶対的な価値も増すというものだろう。一瞬であろうとも大きな光を放ったものに価値があると言う者もいる。だが長い期間に渡って光っていたものこそ本物だ。しかしそれに気付かない無能もいる。俺が自らの能力を分かりやすく見せてやっているのにそれが分からないボンクラが。

 

 であるならば。そんな連中にも分かるようにしてやらなければならない。そのためには()()()()()()()()()()()()()()与え続ければいい。それに気付いてからは俺の脳内の序列の通りに現実も動いていった。価値のない者は遅かれ早かれ消えていくのだ。ならば俺という才能との対比でこちらを立たせる彩りになれる分、そちらの方が有効に使われていると言えるだろう。無価値には無価値なりの使い道があるという事だ。

 

 ……だが奴らはどうだ? 

 自身にこそ価値があり正義があるのだと、生まれ持った資質と価値観で是非を判断しこの俺を()()()()()として(おとしい)れようとする者。

 本来ならとっくに枠組みから外れ評価するに値しない人間となっている筈が、単なる幸運の連続で、置かれた立場と釣り合いの取れぬ舞台に土足で上がり場を荒らす者。

 そしてそんな連中を集め、好奇から来る関心をさも自分達の成果として受け取っている、注目と話題性しか持っていない烏合の衆の、一際空虚な偽善の主将。

 

 それがどうやら評価を高め、注目株として……チームの核として選手としての価値を高めている。それどころか……あろうことか俺の方に『減点』を与え否定をして、俺を無価値なものへと堕としていく。

 

 …………そんな事が許されていい筈がない! 

 

『カン!』

『おっと、打球が遊撃手の頭を……越えたーっ! それを見て2塁ランナーの蛇島君が3塁を回り、それは許さないと矢部君から強いボールが送られます! 生還は厳しいかっ!?』

 

 ならば……ならば! ────理解させてやるっ!!! 

 

 ☆

 

「いっけぇえっ……でやんすー!!」

 

 センターの矢部君が打球を処理しバックホームをしようとモーションに入る。しかしそれでもランナーの蛇島は何の躊躇もないかの様にサードベースを蹴った。

 

「っ!?」

 あれは……おかしい、暴走だ。あのタイミングでホームを狙うなんて、まるで『ホームでセーフになる以外の目的がある』みたいな……。

 

 ────まさか。

 

「小鷹さんっ!!」

 俺はホームで送球を受ける体勢を取っていた小鷹さんの事を強く、半ば怒鳴りつける様に呼んでいた。

 

「せ、瀬尾っ!? な、何よ急に!?」

 

 説明している時間はないし確証もない。だが『もしも』があってからでは間に合わない。

 

「ホームには俺が入る、退いてくれっ!!」

 

 詳しい説明を省き小鷹さんを押し退ける形でホームに陣取り、そしてボールを受けた。……蛇島はまだスライディングすら開始していない。100%アウトのタイミングだ。

 

 しかし安堵の気持ちは少しもない。それどころか身構えて身体に力が入っていくのが分かった。そうして()()()()()()()()()()()()事態に備える。

 

 ────衝突(コリジョン)ルール。多発するランナーのホームへの突入──端的に言うと体当たり──により、アメリカのトッププロスペクトであった捕手が大怪我を負ったのをきっかけに制定された、捕手と走者、双方を守る為のルール。アメリカから始まったこのルールは日本にも導入され、NPBだけでなくアマチュア、学生年代においても制度化されている。

 

 だからこそ、このルールを明らかに破る者がいるとすれば、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と断言しても差し支えないだろう。

 

 そして……それが今、眼前に迫っていた。

 

 

「────蛇島ぁああっ!!!」

「────瀬尾ぉおおっ!!!」

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 ガッ…………!! 

 

 

 ホーム付近に鈍い音が響く。それは瀬尾が蛇島と接触した音で、そんなものが、1番近くにいた私に誰よりも早く……そして生々しく耳に届いた。

 

 その瞬間……3塁を回った蛇島はそのままトップスピードに乗った。

 瀬尾はきちんとホーム前方に立ち、ラインを(また)ぐ事なく走路を空け、ボールを受けてグラブでタッチにいった。結果はもちろんアウト。

 でも普通ならそこで終わる筈のものは、それだけでは終わらなかった。

 蛇島は両膝を曲げたスライディングを、空いた走路の方ではなく……ボールを持った瀬尾の方向へと向けた。

 トップまでスピードが上がったスライディングは、スパイクなり足なりが地面に当たっていなければそう簡単に減速しない。そして蛇島は今回、それを一切しなかった。スピードに乗って、スライディングに移行して、そして……膝から瀬尾の方に突っ込んでいったのだ。

 

「ぐぅ……あああぁぁぁっ!!!」

 

 瀬尾は左腹部を押さえながらのたうち回る。主審は堪らず試合を中断して担架を呼ぶ。そして走者の蛇島に警告を与えた。蛇島はそれを一瞥するとベンチに戻り、そしてそのまま裏へと姿を消していった。

 

 

 

「瀬尾、瀬尾ぉ……!? ねえ、大丈夫!? 大丈夫なの……!!?」

 

 

 

 あまりの事態に言葉も出ず、同じ単語を何度も繰り返す。そうしているうちに瀬尾は息を荒げながらも、

 

 

 

 

「大丈夫……だから」

 

 

 

 そう言い残すと担架を丁重に断り、おぼつかない足取りながら自らの足で治療へと向かった。

 

 その間ジャスミンナインは私の方に来て声を掛けてくれた。それだけ取り乱していたという事なのだろう、普段とは違っていた私への心配の言葉もあった。

 

「美麗ちゃん、顔真っ青ッスよ……?」

「無理ないよ、目の前であんな……」

「アイツ、ふざけやがって……! 瀬尾君に何かあったら許さない…………!!」

「瀬尾君ならきっと大丈夫だよ、信じよう?」

 

 矢継ぎ早に来る言葉に私は答えられなかった。話し掛けてくれるのは彼女達の優しさから来るものだったが、みんなも驚きや恐怖のせいで知らず知らずのうちに無言の間が訪れる事を避けていたのだろう。言っている事は一致しているのにどうにも言葉が噛み合わない時間が過ぎていく。

 

 ……ふと外野に目をやる。ヒロは試合では見せない不安な表情が隠し切れていない。マウンドを降りて投手としてのスイッチが切れていた事もあの子の弱い面が顔を覗かせている原因のひとつになっているのだろう。

 矢部は腰に手を置き上を向いて、苦々しく顔をしかめていた。それはどこか祈りを感じさせる表情だった。

 ちーちゃんは俯き帽子を目深に被っていて、敢えて表情が見えなくしている様だった。比較的感情表現が分かりやすい彼女がああしているという事は、ひょっとして泣いているのかもな、と感じて私も目が熱くなって胸がぎゅっと締め付けられる。

 

 観客達も一様に静まり返っていた。時折、『大丈夫かな』とか『膝がまともに入ってたぜ』と知人同士で観戦していたと思われる人の話し声が聞こえたが、そんなに大きくない声がはっきりと聞こえるという事が逆に球場の状況を伝えていた。

 

 

 

 

 

 ………………そして、誰もがこの時間に耐えかねたその時。

 

 

 

 

『ワァーッ!!』

『頑張れぇーっ!!』

『ナイスファイトッ!!!』

 

 

 この試合の中でも一際大きな声援が上がった。その声が向く方へと視線を送ると、そこには見慣れた顔があった。痛みからか顔を僅かにしかめながらも小走りでグラウンドに戻ってくるキャプテンの下に内野陣も自然と集まってくる。

 

 そこで瀬尾は『タッチにいったグラブがたまたま蛇島の膝と自分の身体の間に挟まった事で衝撃が分散された』という話と『大きな(あざ)が腹部から左の太腿(ふともも)にかけて何箇所か浮かんでいて驚いた』という話を笑顔を混じえながら説明していた。内野のみんなはそれに安心したり、それでも心配そうだったりという反応をしていたけれど、しばらくしてそれぞれのポジションへと散っていく。

 

 でも私はそこから動けないままでいた。

 それに瀬尾は『怖かったよね。心配かけてごめんね』と笑顔を見せた。

 

 

 ……何よ、お礼を言わないといけないのはこっちでしょ。

 

 

 

「……ねぇ瀬尾、もうあんな無茶しないで。でも…………ありがとう」

 

 我ながら恥ずかしい程に小さく、(かす)れ、裏返った声。瀬尾はそんな私の姿を見かねたのか、声のボリュームを合わせて「約束する。無事でよかった」とささやいた。

 

 そして私は瀬尾に背中を向けキャッチャーズボックスへと歩を進める。と、途中でぽたり、ぽたりと雫が頬を伝うのに気づいた。

 

 ……危ない危ない。私が泣いてどうする。

 

 バレてなければそれは事実ではないとばかりにマスクをさっと外して涙を拭い鼻をすする。

 

 そう、私は泣いてない。インプレイ中は泣いたりしないのだ。

 

「さあ! 締まっていこ──っ!!」

 

 ほらね。泣いてるやつはこんなに大きな声出せないもの。

 

『プレイ!』

 

 そして投じられる瀬尾のボール。それを受ける喜びを噛み締め、噛み殺しながら捕手としての仕事を全うしていると、瀬尾はあっという間に打者から三振を奪い、この回を無失点で終えてしまった。

 

『その分なら全然大丈夫そうじゃない! だったらビシビシ投げてもらうからね!』

 

 ……って言える子だったら楽だったんだろうけど。私はそんなにサバサバしてなくて、自分で思ってたより弱かったみたい。

 だから私は7回が終わってすぐにベンチ裏へと走っていって…………少しだけ、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あなたは何をやっているんですか」

 

 人知れず帰り支度を終え球場を去ろうとしていた蛇島を友沢は呼び止める。

 

「……何だ。どっちにしろ俺は交代、いや……懲罰交代、だろ」

「当然です。あんな事をしたのだから。瀬尾さんに大事がなかったのが不幸中の幸いだっただけで……いや、こんな事を言う資格はオレにもないか」

「だったらもういいだろう。……お前と出会った事が俺の……最大の不幸だったよ」

 

 そう言って立ち去ろうとする蛇島を尚も友沢は呼び止めようとする。しかしそれを止めたのは蛇島と同学年の山口だった。

 

「もう、やめておけ」

「山口さん……」

 

「あいつはもう戻れないところまで行ってしまったのだ」

 

 山口は寂しげにそう言うと、

 

「まだ監督はお前にマウンドを降りろと言っていない」とグラブを手渡す。そして「後ろには俺もいる。出し惜しみなどしなくていい」と友沢をマウンドへと送り出した。

 

 

 ☆

 

 

「ふん……」

 最後まで目障りな奴だ。そう奴の、全ては友沢の所為だ。奴が現れた事で俺の中の『水が一杯に入ったグラス』に最後の一滴が落とされ、そして溢れた。お陰で俺はこのザマだ……。

 

 ……まあいい。代わりに俺は毒を打ち込んでいたのだから。

 そう、山口に友沢……お前達だ。僅かな期間にこうも邪魔な存在が現れるとは思わなかったが……それもお前達が堕ちてきてくれれば問題はない。

 

 蛇島の口からは「ククク……」と笑みが溢れる。

 

 お前達を排除して俺が上に行く為の『毒』だったんだが、まさか俺が先に地獄(した)で待つ事になるとはな。だがそれも楽しみな時間になるだろうからな。蟻地獄の様に待つ事としよう。どちらが先か、その時どんな表情をするのか楽しみだ。……だから。

 

 ……早く、早くここまで堕ちてきてくれよ? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

『カキーン!』

『美藤さん、追い込まれながらも失投は逃さずツーベースヒットです!』

 

 8回表、5番の美藤さんからの攻撃となったジャスミンは彼女の二塁打によりチャンスを迎えていた。

 

「よし、じゃあ向日葵ちゃんは……」

 三ツ沢監督のサインに打席に立った夏野さんは頷く。そして友沢が投じた初球のストレートに対して送りバントを試みる。

 

 ……が、

 

『バント失敗〜! キャッチャーフライとなりランナー進める事が出来ません!』

 

「みんな、ごめん! 送れなかった!」

「ドンマイ! それで友沢のボールはどう? まだ走ってる?」

「どうだろう……。でもあのストレートは全力だったと思う。それでピッチャー前に転がさせてダブルプレイを狙ったんだ。

 それを避けようと思って手元で操作したらフライになっちゃったんだけど、それなら……」

 

 限界は近いと思うよ。

 

 夏野さんの言葉の通り、明らかな抜け球に対し7番の太刀川さんは積極的に打って出る。しかし一、二塁間に飛んだ打球は蛇島に代わって出場した二塁手にランニングキャッチで捕球されボールはファーストに送られる。これで2アウト。しかしこれが進塁打となりランナーは3塁となった。

 

『8番 キャッチャー 小鷹さん』

 

「よっしゃあぁぁっ! いくわよ〜っ!」

 気合い十分の構えから3球目を打ち返す。

 ピッチャー返しとなった打球は高く、おそらくグラブの真上を越えるだろうと思われた。だがここでも友沢のフィールディングが発揮される。

 

「だあぁぁっ!」

 友沢は投げ終わりの不安定な体勢ながらグラブを差し出すと、身体を後方へと伸び上がらせグラブ先端に打球を当てる。そしてそのまま打球を叩き落としそれを拾って1塁に送球。これがピッチャーゴロとなり勝ち越しはならず。小鷹さんは天を仰いで悔しがった。

 

 だがジャスミンも負けていない。後攻めの帝王は8番からの攻撃。これを三者三振で完璧に抑え流れを渡さない。

 

『冴え渡るジャスミンボール! 3人共が伝家の宝刀を相手に手も足も出ません!』

 

 続く9回表は三者凡退。そして帝王の攻撃も先頭の2番、蛇島と代わった3番と簡単に打ち取った。そして俺と友沢の初対戦となる。

 

『4番 ピッチャー 友沢』

「……」

 

 やはり疲労は大きいのだろう。足取りは心なしか重く見える。しかしバットを構えてからの集中力はさすがだった。

 

『スッ……』

 小鷹さんの出したサインに頷きボールを投じる。

 

『シュッ……ククク!』

 初球は真ん中から低めいっぱいへと落ちるジャスミンボール。これに友沢は目を丸くしながらバットを振るも空振り。1ストライク。

 

 よし! ジャスミンボールなら友沢を抑えられる! 

 

 その確信を得た俺とは対照的に小鷹さんは冷静だった。2球目に、スイッチヒッターのためこの打席では左打ちとなっている友沢のインコースを突くスライダーを見送られ1ボール。3球目は外角にストレートを投げ、これもボールでカウント2-1。

 

 そして4球目。投じたのは手応えを感じているジャスミンボール。1球目よりも高めを目掛けて投げられたボールは低めのストライクゾーンへ。友沢はこれをバットに当てるもライト方向へのファウルとなった。

 続く5球目は1球と同じ高さながら、やや外角へ。

 

『……ククク!』

『カッ!』

 

 大きく沈むボールにも巧みにバットを当ててファウル。

 

 小鷹さんはこれを見てもう一度ジャスミンボールを要求する。

 

『ザッ……!』

 

 そして投じられる、チームの名前を冠したウイニングショット。これが今まで投げた中で1番の落差を見せる。真ん中やや低めからボールになる程の落ち方に友沢の強振は空を切った。

 

『ストライク! バッターアウト!』

 

「よし!」

「ナイスボールよ瀬尾! ジャスミンボールは低めに投げる程落差が大きくなるから、連続で投げても高ささえ変えればそれだけで勝負が出来る……でもよくコントロールしたわね! ナイスピッチ!」

 

 小鷹さんは右手で軽く、本当に優しく俺の胸を叩くと、

 

「さあ次の攻撃は3番からよ。……期待してるわね、キャプテン?」

 

 ウインクしながらそう言うと他のみんなに「さあ延長よ! そろそろ点取りましょう!」と呼び掛けた。

 

 

 そして……。

 

 

『キィィンッ!』

『入った、入った、ホームラン! 失投を振り抜いた打球はあっという間にスタンドに飛び込みました! 勝ち越しホームラン!! ジャスミン、2-1で勝ち越しー!』

 

 俺は2ボールからの失投……いや、疲労から曲がらなくなったスライダーを、それでも投げ込んできた友沢の意地を打ち砕いた。

 

『ピッチャーの交代をお知らせします。友沢君に代わりまして山口君。4番 ピッチャー 山口君』

 

 そうして代わりにマウンドに立ったのは帝王実業の元エース。しかしここまで友沢を引っ張っていた時点で、山口の状態が悪いことはこちらも予測していた。

 

『カーン!』

『4番の大空さんが打った打球は浜風に乗って……レフトスタンドに飛び込んだ! ホームラン! 連続ホームランです!』

 

 ……ノーアウトから2点を勝ち越したジャスミンは攻撃が終わるまでにもう1点を追加してスコアを4-1とする。

 

 そして10回裏。既に友沢も蛇島もいない打線には脅威も、繋ごうという意識も感じなかった。簡単に2アウトと勝利に王手をかけると…….

 

『カン!』

『最後はエースの太刀川さんが守るレフトへ平凡なフライが上がり……今捕りました、3アウト! ゲームセットです!』

 

「やったー!」

 

 世間からすればまさかの大金星にスタンドは沸く。俺達も強敵を相手に勝ち切れた喜びをグラウンドで爆発させた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

『ズキンッ!』

 

 右肘に不穏な痛みが走る。スライダーを投げ過ぎただろうか。しかし投げるのをやめる訳にはいかない。この球は投げ込んで作ってきた球だ。投げなければそれこそ落ちていく一方だろう。……それがあの人の残した『(のろい)』だとしても。

 それに来年には『アイツ』が入ってくる。オレに憧れ、オレと競い合いたいと願ってくれる後輩が。

 

 ならばオレは更なる高みを目指し、スライダーを完成させなければいけない……どんな犠牲を払っても。そうじゃなければ……。

 

「あなたには勝てないという事ですよね。瀬尾さん」

 

 絶対にあなたに認めさせてみせる。今は及ばなくても、オレはあなたのライバルに値する選手なのだと。

 々いずれ証明してみせますよ! 

 

 少年はそれでも腕を振ると決意しチームは解体と再生を始めた。しかし邪悪は去ったとしても彼は『毒』を残した。

 そしてそれは、既に獲物の中で(うごめ)いていた……。


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