今日は甲子園3回戦。帝王実業高校との試合だ。
『整列!』
主審の号令に従い、聖ジャスミンと帝王実業、両校の選手が並び立ち互いを見据える。
……毎回の事だが、こちらが9人しかいないのに対し、相手は登録の上限である18人が並んでいる。今日は相手が帝王という事もあり、黒いユニフォームを着た集団がこちらを向いている姿には威圧感を覚える。
しかしここまで勝ち進んできたのはこちらも同じだ。そのプレッシャーを受けた上でも、ジャスミンナインは凛とした表情を崩す事はない。
そんな両校の選手に視線を送りながら、俺は数時間前の出来事を思い返していた。
★
……試合前。甲子園の選手用通路を歩いていると、見覚えのある顔が正面から現れた。
「お久しぶりです……瀬尾さん」
黒を基調としたユニフォームに袖を通した金髪の少年は年齢には不相応に思える落ち着いた口調で俺の名前を呼んだ。眩しい光る金色の髪も相まってスター性を感じさせる少年は、ポーカーフェイスを崩す事なくこちらを見据えている。
「久しぶりだね、友沢君! 甲子園でもすごい活躍じゃないか!」
「……どうも」
「ははは……」
あっさりとした返答に思わず苦笑いが浮かぶ。
彼は友沢 亮。1年生でありながら投打の柱として君臨する、帝王の中心選手だ。彼とは以前、彼が高校生になってすぐの段階で一打席勝負をした事があるがその時点でも実力は大したものだった。そこから更なる飛躍を遂げ、帝王の看板選手となったのだ。
「そっちも難しい戦いを勝ち抜いてきてるじゃないですか。瀬尾さんも、ジャスミンボール……でしたっけ? ウイニングショットを完成させて一皮むけたようですね。……まあ、それもここまでですけど」
と冷静なままで言い放つ。
傍目には挑発的な言動に思えるが、彼としては本当に思っている事を言っているだけで他意はないのだろう。まあ友沢の事だから、これで闘志に火がつけばくらいは思っているかもしれないが。
「……俺達は負けないよ。うちは勝つ毎にどんどん強くなってる。それにチームワークではどこにも負けないと思っているからね」
チームワーク、か……。友沢は乾いた笑みを浮かべる。それはこちらを嘲るというよりも、どちらかと言うと自嘲の笑みのように見えた。
「じゃあその結束を武器に向かってくるといいですよ。……オレはオレなりのやり方でチームを勝利に導くだけなんで」
そう言い残し友沢は去っていった。
俺はその姿に、期待も人気も羨望も集めているはずのその背中に、何故か悲愴さを感じていた。
★
『いよいよ始まります! 夏の甲子園も折り返しとなる第3回戦。
これも目が離せない対戦となります! 一塁側のベンチに陣取るは帝王実業高校。優勝候補の呼び声が高い強豪チームです! チームを引っ張っるのは何と1年生! 入学して数ヶ月でチームのエースで4番……そしてキャプテンを務めます、友沢 亮君です! 帝王実業では部内で最も優れた選手が『帝王』と呼ばれ、学年に関係なく主将として部を牽引するルールになっています。友沢君は史上初の1年生で『帝王』となった選手です。その実力には疑う余地はありません! 他にも2年生投手の山口君、クリーンアップに座る蛇島君をはじめ上級生が脇を固めます』
この試合では聖ジャスミンは先攻となった。俺は3番ライトでスタートする。
帝王は流星高校程機動力を使うチームではない事、そして何よりベストなバッテリーでなければ帝王には太刀打ち出来ないという事で小鷹さんがキャッチャーに戻った。
俺個人としてもそちらの方が嬉しくはあるのだが、その分外野手として出場するこの試合は打撃による貢献が求められる。
しかしマウンドにはそれを簡単には許してくれそうもない相手が立っていた。
『1番 センター 矢部君』
「頑張るにょろ〜! 何とか塁に出るでござるーっ!」
「名門の選手だろうが相手は1年坊ッス! 人生の先輩としての威厳を見せつけてやるッスよ〜!」
打席に立った矢部君にゲキを飛ばすジャスミンベンチの面々。
確かに立ち上がりに矢部君が塁に出られればペースを乱す事が出来るだろう。
「頑張れ、矢部くーん!」
俺もみんなに合わせ声を出した。
初球。
「……ふっ!」
『ギュンッ!』
友沢の手から放たれたストレートはものすごい勢いでミットに収まる。
電光掲示板には146km/hという球速が表示されていた。
主審はストライクのコールをする。
それも当然だろう。友沢の豪速球はど真ん中へのまっすぐだった。
それを矢部君は簡単に見送ったのだ。
積極的に打ちにいくスタイルの矢部君が、だ。
「速っ!?」
「何ていうボール投げんのよ、アイツ!?」
ベンチからは驚きの声が上がる。
打席の矢部君も目を丸くしていたが軽く頭を振ると、
「ぜ、全然怯んでなんかないでやんす! さあ、次でやんすよ!」
そうやって叫びながら無理矢理自分の気持ちを切り替えていた。
……確かにストレートは速い。でも今のジャスミンはそれだけで抑えられる打線じゃないぞ!
その後、矢部君はストレートに食らいつき、2ストライクに追い込まれてからも粘りを見せていた。ここまでの友沢の球種は全てストレートだ。
そしてカウント2-2まで持ち込んでの6球目。
『ザッ……シュッ!』
友沢が投げ込んだ決め球であろうボールに矢部君はタイミングを合わせスイングをする。
しかし……。
『ギュワンッ!』
ボールは矢部君の手元で、まるで加速するかのように真横に曲がる。
ストライクゾーンから右打者の外角、ボールゾーンまで逃げていく球にそれを想定していなかった矢部君のバットが当たるはずもなかった。
『ストライク! バッターアウト!』
「なっ……!? あの軌道からあんな曲がりをするなんて聞いてないでやんすよ〜!?」
そう、友沢の投じたボール……それは。
『空振り三振〜! 友沢君、見事に最初のバッターを伝家の宝刀、スライダーで三振に切って取りました!』
ストレートの軌道から突如として鋭く曲がるスライダーだ。
「やられたでやんす……」
「ドンマイ、矢部君。それで友沢のスライダー……どうだった?」
「どうもこうもないでやんす……」と矢部君はため息まじりに説明を始めた。
「普通のスライダーは『横曲がり』するとは言っても、よく見れば曲がりながらも落ちてるものでやんす。球速自体が速い高速スライダーやカットボールでもなければ真横に曲がって見えるなんて事ないでやんすから。友沢が武器にしているのはオーソドックスなスライダーでやんすから、本来は真横に曲がるようには感じないはず。……ところが打席で見た友沢のスライダーは
……俺達は事前に友沢が投げるスライダーをビデオで確認していた。それでこれ程までに印象に差があるとなると……。
『ストライク! バッターアウト!』
……苦戦は覚悟しなくてはいけないだろう。
☆
二者連続三振……。立ち上がりとしては上々だ。そして次のバッターを完璧に打ち取れば、試合の主導権を完璧に握る事が出来るだろう。
『3番 ライト 瀬尾君』
瀬尾さんが右打席に入った。
……いくら瀬尾さんが相手であろうと右バッターである以上は2ストライクに追い込めば打ち取ったも同然だ。オレのスライダーは右バッターには打てない。
初球はストレート。
内角、ストライクになる球を瀬尾さんは打って出た。
『キィン!』
打球はレフト線切れてファウル。
……スピードは出ている。
これに初球から手を出すという事は追い込まれる前に決着をつけたいという考えなのだろう。
……ならば。
2球目に選んだのはカーブ。
ストライクになるこの球にストレート狙いをしていたであろう瀬尾さんはタイミングを崩され空振り。
これで2ストライク。ここで1球様子を見るか。
3球目は再びストレート。
ストライクゾーンに近い高めのボール球だ。この釣り球に瀬尾さんは『ピクッ』と反応しながらもバットは振らない。
……今の反応。瞬間的にストライク、ボールを判別していたように見えた。ストレートをマークしていたなら悠々と見逃していてもおかしくない。速球が効果を発揮するのは高めと低めのコンビネーションだからな。やはり高低ではなく内外、横滑りするスライダーを意識……いや狙っているのだろう。
「……面白い!」
望み通り、そして当初のプラン通りに追い込んだ場面でスライダーを投げ込む。
『ギュワンッ!!』
投じたボールはストライクゾーンの真ん中から外角いっぱいに曲がる。
これにはバットも当たるまい。
そう思った瞬間。
一閃されたバットの先端にボールが当たる。鈍い打撃音が甲子園に響き、すぐに歓声でかき消された。
『ファウル、ファウル!』
「……っ!?」
当てた……だと? 初見でオレのスライダーに……?
俺はその光景に目を見張った。
しかし驚きを感じたのはその一瞬だけ。考えてみれば不思議な話ではない。
彼は予選決勝でそよ風高校のエースが投げたナックル系の、まさしく魔球と言っていいボールをホームランにしている。おそらくはポイントを前めにして、曲がり幅が1番大きいポイントを避け上手くバットにボールを乗せたのだろうと思われる、あのバッティング。
あれは通常の瀬尾さんのバッティングスタイルではないが、
ましてやそのボールの軌道が
……で、あるならば。
カーブのような投げ始めから弧を描くような球やチェンジアップのようなバッターの『前後』のタイミングを狂わす球であれば、あのフォームを逆手に取って打ち取るのは容易いだろう。
……だが、このオレが、だ。
オレは迷いなく投球動作に入る。
カウントは変わらず1ボール2ストライク。
この場面でオレが選んだのは。
『ギュワァンッ!!』
決め球のスライダーだ。
瀬尾さんは前の球と同じようにポイントを前に置き、早めの始動で対応する。
「くっ……!」
懸命のスイングだ。タイミングは合っていた。
しかし、今度は擦りもしない。
『ストライク! バッターアウト! チェンジ!』
……瀬尾さん、この打席はオレの勝ちですね。
ヒリつくような1回目の勝負に高揚を覚えながらオレはマウンドを降り、ベンチへと向かっていった。
☆
「くそっ……!」
最後のスライダーには手も足も出なかった。
何とかしないと……。帝王のブルペンには山口も控えている。
ようやく友沢のボールに慣れたという頃に山口にスイッチされたら……。
そうやって最悪の状況を頭に浮かべていると背中をポンと叩かれた。
「惜しかったよ、瀬尾君! 次はあたしの番だね! 2回戦ではあたしの分も瀬尾君とナッチが投げてくれたから、そのお返しをしないとね」
そう言って彼女はマウンドへと駆けていく。
そうだ。
いくら帝王の投手陣にエース級のピッチャーが揃っていても……。
うちには太刀川さんと俺がいる。
俺達で帝王打線を抑えるんだ……!
☆
マウンドに立った太刀川さんは帝王の1、2番を緩急を活かしたピッチングとボールからストライクになるムービングで続けて打ち取る。
そして打順は3番に回る。
『3番 セカンド 蛇島君』
『打順は蛇島君に回ります。蛇島君は友沢君が『帝王』になる以前にその役割を担っていた選手です。当時は2年生で『帝王』になる選手が久しぶりに現れたと多くの注目を集めました。『帝王』の座と4番の重責を友沢君に譲った今でもチームの中心として活躍しています』
ウグイス嬢の『3番』というコールを聞いた蛇島はその刹那だけ不愉快そうな様子を見せたが、すぐに表情を嘘のような笑顔に変えて主審に「お願いします」と挨拶をした。
『シュッ!』
太刀川さんが初球に投じた低めのまっすぐを蛇島は打って出る。
『ガッ……!』
しかし蛇島の予想以上に手元で動く球に打球は詰まりサードの前にボテボテと転がる。
「ミヨちゃん!」
太刀川さんの声に呼応するかのように三塁を守る大空さんは前進。そして素手でボールを掴むとそのままファーストへと送球した。
『……アウト!』
『ワァー!!』
「すごい! ミヨちゃん、レギュラーリーガーみたいだよ!」
「ありがとう、ミヨちゃん!」
雅ちゃんと太刀川さんに賞賛された大空さんは、
「えへへー! 一度やってみたかったんだよねー!」
と、ニコニコと笑いながらナインとグラブ同士でハイタッチをしている。
その様子を鋭くも冷たい目で睨みつけた蛇島はそのままベンチに戻っていった。
蛇島のやつ、様子がおかしい……と言うより取り繕っていない、本性を剥き出しにしているような感じだな。……何か危険な予感がする。以前から不穏な空気を漂わせている人物だったが、今のあいつには今まで以上に気をつけておいた方がいい。
そんな予感がしながらも、1回表は両チームとも無得点。
打者3人で攻撃が終了した。
そして2回表、ジャスミンの攻撃となる。
「たあーっ!」
『カーン!』
大空さんはストライクを取りにくるストレートに狙いを定めバットを振り切る。打球はやや詰まり気味だったものの、スイングが強かった分飛距離が伸びてショートの頭を超えた。
「やったー! 初ヒットー!」
「ミヨちゃん、ノッてるね〜!」
夏野さんはヒットを放った大空さんを称えると自身の打席に備え、ネクストバッターズサークルに向かった。
そして打席には変化球打ちを得意とする美藤さんが立った。
「さあ、あのスライダーを投げてこい! 私が打ち返してやる!」
美藤さんはそう意気込んでバットを構えたものの、その打ち気を読まれたのか直球攻めであっという間に2ストライクに追い込まれる。
「なーっ!? ……いや、次だ、次! 私は切替の早い女! このまま簡単には打ち取られないぞ! さあ来い!」
『シュッ……ギュワン!』
そう言うと美藤さんは友沢が投げ込んできた決め球……スライダーを、ジャスミンのメンバーには見慣れたノーステップ打法で打ち返した。
『カキーン!』
「どうだ!」
打球はいい当たりだったもののセカンド正面の速いゴロとなる。これをセカンドの蛇島が捕球し二塁へ転送。それを受けたショートが更に一塁にボールを送り4-6-3のダブルプレイとなった。
「く〜っ!! 紙一重かっ!!」
美藤さんは悔しげに顔を歪めながらベンチに戻ってくる。
「いや……結果は併殺打だったけど、すごいよ! あのスライダーを初見で打ち返せるなんて!」
美藤さんは俺のこの言葉に不思議そうな顔をする。
「ん? だって、スライダーはスライダーだろう? 普段の練習でもお前が投げているじゃないか」
「えっ!? でも俺のスライダーはあんなに曲がらないよ?」
「曲がればいいものでもないだろう。私にしてみればお前やヒロぴーの方がよっぽど打ちづらいぞ?」
視線を俺と太刀川さんに送ると美藤さんは笑った。
「だって頭を使わないと打てないからな!」
そして6番バッターの夏野さんが打ち取られ攻撃が終わると守備のためにグラウンドに飛び出していった。
「そういう事よ。キャッチャーの立場から見ても友沢や山口はいいピッチャーではあるけど、面白い……リードのしがいのあるピッチャーだとは思えないもの。すごい球種が2個あって、それを投げさせる順番だけ気をつければいいだけなんて、頭が悪くなっちゃいそうだわ。ちーちゃんが言いたいのも多分そういう事でしょ」
小鷹さんは更に、「だから……」と続ける。
「だから、自信を持っていきなさい。あのスライダーをあと少しでヒットに出来るようなバッターと、普段からアンタ達の球を捕ってる私が言ってるんだから」
そう言い残すとジャスミンの正捕手はエースナンバーを背負う少女の傍らへと歩いていった。
2回裏の先頭バッター……友沢を封じる策を練るために。