そして翌日。
俺たちは、昨日の労働の報酬としてバッティングセンターを貸切状態で使わせてもらっていた。
とはいえ、実際に使うのはたった4人。それではあまりにも寂しすぎる、せっかくだからということで夏野さんにも来てもらった。今は川星さんと矢部君のバッティング練習に付き合ってもらっている。
太刀川さんと俺は、投手としての実践練習としてフリー打撃をすることになった。打つだけ、投げるだけの設備だけではなく、ネットを張ればフリー打撃も出来るくらいのグラウンドも併設されている。
川星さんに聞いたところ、草野球の選手がこのグラウンドで守備練習のためにノックをしていることもあるらしい。さすがは川星さんのお父さんとお母さんだ、野球をする人が喜ぶ環境をわかっている。
太刀川さんがマウンドに登る。顔つきが変わった。スイッチが入ったみたいだ。こうやって自分を切り替えることができる選手は強い。
準備はいい? と太刀川さんの声。待ちきれないみたいだ。
……そうだよな、久しぶりの打者との真剣勝負なんだ、楽しみだよな。その声に応えるように、俺はバットを構える。
『ザッ……!』
女子とは思えない、力感のあるフォームからボールが放たれる。
……直球だ。ストライクになる。球速はそこまで早くない、打てる!
ギィィンッという打撃音。タイミングは完璧、バットの真芯に当たったはずの打球は、太刀川さんの上空にふわりと上がる。ピッチャーフライ。
……なんだ今のボールは!? 完全に詰まらされた……!!
速いわけでもなかったし、手元で鋭く変化したわけでもない、ただの直球にだ。太刀川さんの方を見ると、笑みを浮かべている。そんな顔されたら、こっちもムキになってしまうじゃないか。
それからしばらく真剣勝負は続いた。
……やっぱり、太刀川さんはいい投手だ。あれから何球も投げてもらったけど、あの直球だけはホームラン性の打球を打てなかった。反応で打つだけじゃなくて、ちゃんと分析して対応しないと攻略は難しいようだ。本当に味方でよかったよ……。
「瀬尾君すごいよ!
初めて対戦する投手にすぐ対応するなんて、 4番は瀬尾君で決まりかもね!」
「あの直球だけは打ち崩せなかったけどね。……何か秘密があるんじゃないの?」
そう聞くと、「秘密はヒミツだよ〜」となんだか上機嫌で笑った。すごい投手がこのチームには居るんだ。それだけで頑張る力が湧いてくる。
そうしているうちに外も暗くなってきたので、俺たちは解散することになった。俺と矢部君はランニングついでに走って帰ることにした。
太刀川さんは、夏野さんと一緒に帰るようだ。
……まだまだ課題はいくつもある。でもそれは、出来ることもたくさんあるってことだと……そう思いたい。
そして俺は矢部君と共に薄暗い空の下を駆けていった。
☆
……帰り道。あたしは、夏野さんと一緒に歩いていた。夏野さんが一緒に帰ろうと誘ってくれたのだ。……人見知り、というわけではないけどやっぱり緊張する。何を話せばいいんだろう? 考えているうちに無言になってしまう。そんな時でも夏野さんは積極的に話しかけてきてくれる。でも、「うん」とか、「そうなんだ」という相づちを打つだけで終わってしまった。
そんな調子で帰り道を歩いていると、夏野さんが「ここ、限定のすごくおいしいスイーツがあるんだ!」と小さな食堂を指差した。
しこたま食堂。安い値段でボリュームのある定食が食べられる、ということで学生に人気の食堂。
スイーツというような感じの店構えはないので不安だったけど、『優しい味で、すごく美味しいんだよ』という言葉に釣られて店に入る。
席に座り、メニューを選ぼうとすると「目をつぶって、耳を塞いでて。アタシのオススメ注文するから!」と言うので、その通りにした。
……しばらくすると、ぽんぽんっと肩を叩かれる。目を開くと、「ジャッジャジャーン!」と声がした。
テーブルの上には、バケツかと思うような大きな容器。そして、そこからはみ出す山盛りのパフェが1つ。目を見張っていると、夏野さんはニコニコとあたしを見ている。……2人で食べきれるかな?
「しこたま食堂名物のDXバケツパフェだよ!」
「バケツパフェ!? バケツプリンならきいたことあるけど…」
「まあ食べてみて! 見た目からは想像できないほど繊細な味わいだよ!」
パクッと1口。優しい甘さのクリーム、大きめにカットされたフルーツの果汁が合わさって口の中でハーモニーを奏でている。後味もなめらかで、いくらでも食べられそうだ。
「あ、美味しい……」
「でしょでしょ! アタシも見つけたとき大興奮でさ〜」
そう言いながらも休まずパフェを口に運んでいる。元気でさばさばしてて男の子っぽいと思ってたけど、パフェが好きなんてこんなかわいいところあるんだ。
「アタシ、パフェをずっと食べずにいると禁断症状が出ちゃうからさ〜、定期的にこれ食べないと生きていけないんだ〜」
「そ、そんなに好きなんだ……」
パフェを完食した後(あたしが食べきれない分も、夏野さんが美味しそうに食べていた)、帰り道を歩いていると公園があった。夏野さんがベンチで少し話そうと言うので頷く。距離感も縮まってもう普通に話せるようになったしね。
「太刀川さんさ、ソフト部……っていうか小鷹さんとケンカでもしてるの?」
「!!」
今まで誰も触れてこなかった話題。それを急に聞かれたので少しびっくりしてしまう。
「なんかさ、結構深刻な感じじゃん? よっぽどのことがあったのかなと思って」
そ、それは……と答えあぐねていると、
「別に無理に答えなくていいよ、聞き出したいわけでもないしさ」
と優しい声で夏野さんが言う。
「アタシが言いたいのはさ。2人が仲違いしてる理由が話し合って解決する内容なら、話し合った方がいいよってこと」
「……うん、それはわかってる。でも……」
「人と人との距離ってさ、近づこうとしないとだんだん離れていっちゃうものなんだよ。今は2人共、仲直りしたいけどきっかけがなくてできないだけかもしれない」
夏野さんが真剣な目であたしの方を見る。
「2人が言葉を交わしていない、一緒に行動していないっていう物理的なっていうか……体と体の距離っていうのかな。その距離が離れていると、知らないうちに心と心の距離も離れていっちゃうんだよ。そして、心と心の距離の埋め方なんて誰も知らない。言葉で説明することなんてできないんだから」
「………」
「中学生のときアタシにも大切な友達がいたんだ。 でも今は離れ離れになっちゃってさ、お互い何考えてるかもわからないんだよ。太刀川さんもそうなっちゃう前にさ、自分が悪いなら謝る。相手が悪いって思うなら言葉を交わして、相手の気持ちを知ろうとしなくちゃいけないよ。小鷹さんのことを今でも友達だって思っているなら」
「……うん。やっぱりタカは今でも大切な、1番の親友なんだ。
ありがとう、夏野さん。あたし、頑張ってみるよ!」
そうやって頷くと、夏野さんは恥ずかしそうに頬を掻きながら立ち上がる。そして、あたしの方を向くと「そろそろ行こっか、ヒロぴー」と言った。
「ひ、ヒロぴー!?」
「うん。太刀川さんってヒロぴーって呼ばれてるんでしょ? ネコりんから聞いたよ?」
確かにネコりんからはそう呼ばれている。ちなみにネコりんとはマネージャーのかりんちゃんのことだ。自分でそう呼んで欲しいと言っていたのでそう呼ぶ事にしたのだ。……呼ぶ方がちょっと恥ずかしいけれど。
「アタシのことはナッチでいいからさ!」
「なっ、ナッチ!」
「な〜に? ヒロぴー?」
そう呼び合うと、2人して笑った。
本当にそろそろ帰ろうと公園の出口に向かう。すると、不良みたいな人に声をかけられた。
「そこのカノジョ! こんな時間に何やってるの? よかったらオレと遊ぼーぜ!!」
金髪にガングロ、なにかトゲトゲしたアクセサリーを首や手首につけている。
少し怖いな……と思っていると、「なによアンタ! アンタなんかと遊んでる暇ないんだけど!」とナッチが言う。
その言葉にも怯まず不良は近寄って来た。そして不良の手があたしの腕をつかもうとする。
その時、誰かが現れた。
『ザッ……!』
現れたのは女の子だった。暗くてよくわからないが、華奢な子であることはわかる。その子は勇敢にも不良と対し、「コラー! 女の子に乱暴なことしちゃダメですよー」と言い放った。
「オレ、何も悪いことしてないぜー」
「してるじゃない! その子たち嫌がってるよー!」
「うるせーな! かわいい顔してるからって調子乗ってると痛い目見るぜ!」
「………は、………だ………」
「あ!? なんだって!?」
「痛い目みんのは、てめえーだコラぁぁぁーーー!」
そう叫ぶと、その子は目にも見えない速さでハイキックを繰り出した。その蹴りの威力は凄まじく、不良の後方にあった大木を鋭くエグる。それを見た不良は、声にならない悲鳴を漏らし走り去って行った。
その一連をポカーンと見ていたあたしの横で、ナッチがつぶやく。
「番長だ……」
「ば、番長!?」
「知らないのっ!? この町に荒れ狂う不良を一夜にして1000人倒したという正体不明の魔物……通称「番長」がいるって噂!」
「じゃあ、あの子がその番長……!?」
その会話が聞こえたのか、番長はこちらを振り向くと、「番長ー? ミヨちゃん何のことかわからなーい」と笑った。笑顔の中にも、今日のことは周りに言うな、というプレッシャーを感じ背筋が寒くなる。
い、いや、それよりも……。助けてもらったんだからお礼を言わないと!
そうして意を決して感謝の気持ちを伝えようとした……その矢先。思いもよらぬ質問が飛んできた。
「あれー? あなたって野球部の子だよね?」
「なんで知ってるの!?」
厳密にはまだ同好会だけど……という心の声を秘めながら答える。
「だって、ミヨちゃん聖ジャスミン学園の生徒ですからー」
「えっ そうなの!?」
「改めまして
ミヨちゃんって呼んでくださいー!
1年生同士だから仲良くしてねー!」
「う、うん……」
番長ってくらいだから怖い人なのかなと思ったけど、話してみると普通の女の子だな。茶髪の長い髪はさらさらで、ほんわかした雰囲気もあいまって癒し系のような雰囲気を漂わせている。それにあの身のこなし、運動神経は抜群なんだから野球だってできるんじゃないかな?
「あの、野球に興味ないかな? メンバーが足りなくて困ってるんだ」
「えっ、えーと、どうしようかなー……」
「無理にとは言わないけど、興味があったら見に来てよ」
「う、うん……。じゃあまたねー!」
そう言うと、番長……じゃなくて、ミヨちゃんは去っていった。
☆
……初めてだったな、何かを一緒にやろうって誘われるの。
小さい頃からミヨちゃん、強すぎるから怖がられちゃって喧嘩を売ってくる不良の子としか関わることがなかったから。
「……」
自分に似合わない、おとなしい高校に進学してよかった。正体を見られちゃって、高校でもダメかと思ったけど。……まさか野球に誘われるなんて。
「野球……か。やったことないし、ルールもよくわからないけど。
……見学、行ってみようかな」
ひょっとしたら本当に好きなこと、やりたいことが見つかるかもしれないから。