「みんな、準備はいい?」
「はいっ!」
俺達は今日、高校球児の聖地…甲子園に向けて出発する。
「ワクワクするッスね〜!」
「うん!楽しみですー!」
ダイヤモンドの両サイドを守る川星さんと大空さんがそう嬉しそうに話すのに対し、ジャスミンが誇る二遊間コンビ…夏野さんと雅ちゃんは意外と冷静に、
「甲子園か…。
どんな感じなんだろうね?」
「阪神園芸が整備してるくらいだから、手入れは完璧だろうけど…。
土のグラウンドである以上はイレギュラーの可能性はあるよね」
「うん、甲子園の『魔物』には気をつけなきゃ」
…と、内野での守備をイメージしていた。
矢部君は「オイラが甲子園のダイヤモンドを駆け巡ったら、みんなオイラにメロメロでやんす〜」と鼻息を荒くしている。
美藤さんは、
「浜風で飛球は左翼方向に流される…か。
左打者には不利な条件だが…面白い!
私の芸術的な流し打ちを見せてやる!」
「バースのように、もしくは掛布のようにな!ハッハッハ〜!」と高笑いをあげている。
既に脳内ではレフトポール際へとホームランを打ち込んでいるようだった。
太刀川さんと小鷹さんは、
「ちょっとヒロ、今から緊張してたら保たないわよ?」
「だ、だってさ…!
憧れの甲子園で試合が出来るって考えたら武者震いが…」
「…まあアンタの場合、マウンドに立てば勝手にスイッチが入るから別にいいんだけど。
睡眠だけはきちんと取りなさいね?
いくら楽しみだからって夜更かしは駄目よ。
体が資本なんだから」
とまるで親子のような会話を繰り広げている。
言うまでもなく親が小鷹さんで子供が太刀川さんという役回りになっているが…。
そんな扱いをされている太刀川さんもプレッシャーに呑まれた様子はない。
予選を勝ち抜いたという自信、そしてこのメンバーで甲子園の土を踏めるという喜びが彼女を一回り大きくしたように感じた。
「じゃあ、そろそろ出発しようかー?」
三ツ沢監督の言葉に部員みんなが頷く。
そして俺達はそれぞれの胸に希望と期待を抱きながら、甲子園に向かって出発した。
☆
「わぁ、ここが甲子園かぁ…!」
宿舎に到着し一泊した俺達は身体を休めると甲子園球場の入口を訪れていた。
『阪神甲子園球場』という看板の下には互いに離れた上下2段の窓が等間隔でずらっと並んでおり、その隙間の外壁にはツタが生い茂っている。
それに夏の太陽の光が当たり緑が眩しく光っていた。
「これこれ〜!
これぞ甲子園って感じだよね!」
「そうですねー!
甲子園ってツタが生えてるイメージでしたけどー…これが本物なんですねー!!」
キャッキャッと盛り上がりながら携帯で写真を撮る夏野さんと大空さん。
そんな中、川星さんが甲子園のツタについての豆知識を披露していた。
甲子園のツタは近年行われた球場の改装工事によって一度伐採されたのだという。
だがそれよりも以前に甲子園のツタの種を各地の野球部に配っていたそうで、その中で大きく育ったものを集め、改めて植えられたのが現在のこのツタなのだそうだ。
つまりこれは、伐採された『先代』の子孫に当たるツタなのだ。
『ツタの里帰り』という訳である。
「へぇ…」
感心のあまり声が漏れた。
さすが聖地だ。
ツタひとつとっても物語がある。
早くグラウンドに立ってみたいという気持ちに駆られるが、甲子園で練習が出来るのは明日になる。
それも20分程度の短い時間だ。
それまでの間は高野連が手配した別のグラウンドでの練習になる。
「早く甲子園で練習したいでやんすねぇ…」
「そうだね…。
でも、甲子園で実際に打ったり守ったりしたら感動するんだろうな…」
☆
そして甲子園での練習日、当日。
「うお〜っ!
憧れの黒土っすよ〜!」
「これが甲子園のマウンドか…。
早く投げたい!タカ早く受けてよ!」
「待ちなさい…。
まずはシートノックからよ。
その次がシート打撃、本気で投げるのは一番最後よ」
「ええ〜っ!?」
気がはやる太刀川さんを小鷹さんがたしなめる。
太刀川さんは既に『投げたい』というスイッチが入っているようだったがお預けを食う形となった。
俺は苦笑いを浮かべながら右翼手の守備位置に向かった。
どうやら練習の様子を記者や報道陣が取材しているようで、シャッターを切る音が聞こえたりテレビカメラを回す様子が見て取れた。
『カーン!』
と、そこでセンターへと飛球が飛ぶ。
「任せるでやんす!
オイラの見せ場でやんす!」
矢部君は俊足を飛ばすと華麗なスライディングキャッチを披露した。
『オオーッ!』
取材陣の歓声に「これくらい余裕でやんす」と矢部君は人差し指で鼻の下を擦った。
そんな矢部君に、
「こらーっ!カッコつけない!
今の普通に落下地点まで行けたでしょ!」
という監督の叱咤が飛んだ。
『オオー…ッ』
これには見ていた全員が苦笑を浮かべる。
はしゃぎ過ぎちゃったね、矢部君……。
「…これはこれで、オイシイでやんすね!」
我がチームのリードオフマンはこの程度でくじけないのであった。
☆
そして練習の最後に投手陣の投球練習となった。
「次の高校が待ってるから、1人10球から15球くらいね?」
三ツ沢監督の言葉に太刀川さんは「はーい…」と少しむくれながら返事をした。
らしくないその姿に思わず笑みがこぼれる。
そして、太刀川さんが最初にマウンドに立つと勢いよくボールを投げ込む。
『パシンッ!』
投げ込まれたストレートは心地よくミットを鳴らす。
調子はすこぶる良さそうだ。
そしてテンポよく15球を投げ切ると、次は夏野さん、美藤さんと投手もこなせるメンバーがマウンドに立った。
そして…。
「じゃあラストは瀬尾君だね」
そうして俺がマウンドに立つとシャッター音がひときわ大きくなった。
「わわっ…!」
雅ちゃんはこの音に驚きの声を上げていた。
「すごい注目度ッスね…」
「やっぱりあの記事のせいでしょうかー…?」
「まあ、アレで目立ってしまった事は確かだろうな。
大々的に取り上げられていたし」
そう女性陣が話している横で矢部君が下唇を噛みながら「羨ましいでやんす〜」と悔しがっている声が聞こえた。
いや、これ普通に投げづらいからねっ!?
「ふぅー…」
気を取り直してボールを投げ込む。
『バシッ!』
『パシャ!パシャ!』
1球毎にシャッターを切られる。
そんな様子を見ていて小鷹さんがニヤリと笑った。
『これでいきましょう』
小鷹さんがサインを出した。
俺はそれに頷き、そしてボールを投じた。
『シュ…グググッ!』
『バシンッ!』
投げた球種はチェンジアップ。
落差の大きさ、そしてそれを完璧に捕球した事に驚きの声が上がる。
「ナイスボール!」
小鷹さんはしてやったりの表情でボールを投げ返した。
…カメラマンを驚かしてやろうとしたんだな、小鷹さん。
こうして練習時間が終わった。
分かった事はマウンドの傾斜や土の具合…。
そして、思っていたよりもみんなの肝が据わっているという事だった。
☆
練習後。
甲子園での試合の組み合わせ抽選会が行われた。
全49校でのトーナメント戦となるこの大会。
会場には雑誌やテレビで見覚えのある有力選手の姿がそこかしこにあった。
その中には甲子園3連覇中の最強のチーム、強者の証である青のユニフォームを身に
「あれ、あかつき大附属でやんすよ!
1試合目で当たるのだけは勘弁でやんす〜!」
いい番号を引いてくるでやんすよ、と矢部君に肩を揉まれる。
『次は、聖ジャスミン学園』
「はい!」
た・の・む・で・や・ん・す・よ!
矢部君が声には出さず、口をパクパクさせながらそう両手を合わせる。
壇上に立って改めて矢部君を見てみると『弱いところ!弱いところ!』と強豪に当たらないように願いを込めていた。
…甲子園に出てる時点で弱いチームなんていないと思うけど。
そして視線をあかつきの席に移すと猪狩と目が合った。
他にもあかつきのレギュラー陣、進君や滑川の姿もある。
「フッ…」
そんな中、猪狩は不敵な笑みを浮かべている。
いつでもかかってこい…という事か。
「……」
番号の書かれている札から1つを選び手に取る。
トーナメント表の各ヤグラにはAとBのアルファベットが振られている。
Aが一塁側ベンチ、Bが三塁側ベンチを使う。
そして肝心の番号は…。
「聖ジャスミン学園、21番Aです!」
「やったでやんす!
あかつきとは正反対、決勝まで当たらないでやんす!」
矢部君は満面の笑みを浮かべている。
猪狩は猪狩でこの結果を受け、うんうんと頷いている。
「ボクとキミは決勝で戦うのがふさわしい」とでも思っているのだろうか?
……あいつの事だから、思ってるんだろうな。
これで初戦の相手が決まった。
対戦校は…雪国高校。
好選手、雪藤(ゆきとう)率いる強豪だ。
だが負ける訳にはいかない。
彼女達には長い夏を過ごして欲しいから。
…そして、いよいよ甲子園での戦いが始まる。