『4番 キャッチャー 高木さん』
2回表、恋々高校の攻撃。
4番である幸子が打席へと向かう。
チームの司令塔である捕手でありながら4番に座る彼女は、野球未経験者が多い恋々高校にとってチームの軸となる選手だ。
事実、恋々の得点の多くが彼女のバットにより稼がれている。
絶対に乗せる事はしたくないバッターだ。
「…よろしく、小鷹」
「こちらこそ」
私が掛けた声にそう返事をすると、幸子はバットを構えた。
(じゃあ最初は…これで)
私の出したサインに頷いたヒロは足を高く上げ、威力のあるボールを投げ込んだ。
初球はストレートをストライクゾーンへ。
コースはやや甘めの真ん中外寄り。
幸子は手を出したものの力のない打球が一塁側ファウルゾーンに飛んでいった。
これで1ストライク。
「いい球だね。
これは、長打を打つには外野の間に打つしかないかな。
ホームラン狙いはやめておく事にするよ」
…何を言っているんだか。
そもそも一発なんて狙ってないでしょ、あんた。
彼女はバットをブンブン振って長打を狙うタイプの打者ではない。
そもそも私を含めた大多数の女子選手は非力さからその選択肢を選び得ないのだ。
幸子もご多分に漏れず、コンパクトなスイングで安打を重ねる「典型的」な女子選手だ。
それだけに下手に精度の低い変化球で攻めると上手くボールをヒットコースに運ばれる可能性がある。
今日のまっすぐの走り、そして試合はまだ序盤である事を鑑みてもこの状況なら迷わず力勝負を挑むべきだ。
私は2球目もストレートを選択。
初球とは逆の内角へと要求した。
『ズバンッ!』
『ストライーク!』
内角の高めいっぱいにまっすぐが決まった。
これは手を出してもヒットにはならないであろうナイスボールだった。
これで追い込んだ。
次はどうする?
一球外すか、それとも…
そう考えを巡らせながらマウンドのヒロの方を見るとバチッと目が合った。
『いや、ここはまっすぐで3球勝負でしょ!』
ヒロの目はそう言っているように見えた。
…そうよね、あおいがあれだけのピッチングをしているんだもの。
あんたも負けたくないわよね。
3球目。
ヒロは力を込めたストレートを2球目の対角線、外角低めへと投げ込んだ。
いい球!
これなら打ってもゴロかいいとこポップフライ!
そんな感想が頭をよぎった瞬間。
幸子は外角へと足を踏み込み思い切りボールを引っ張った。
『キィィン!!』
強い打球がレフト線へと飛ぶ。
それと同時にスイングのフォロースルーが目に入った。
幸子はそれまでの2球に比べてバットを長く持っていたのだ。
「…やられたっ!」
強気に行き過ぎた。
投手を乗せるのが捕手の仕事だ。
逆に乗せられて冷静さを失ってどうする!
長打を覚悟した、その時。
打球の行方を追っていた視界に人影が飛び込み、そして打球を掴み取った。
『ア、アウト〜、アウト〜!!』
「ちーちゃん!!」
見事な横っ飛びで二塁打をアウトに変えたちーちゃんは、ボールを内野に返すとユニフォームに付いた土をぽんぽんと払うとチームメイトの声に応えていた。
「美藤さん、ナイスキャッチ!
ファインプレイだよ!」
「ふっ、そうだろう!!
いいか瀬尾、ライン際の打球はこう捕るんだ!
私をよく見て参考にするんだな!」
どうやら乗っている選手はもう一人いたようだ。
…乗せといてよかった。
私がそう安堵していると幸子は「やられたよ」と苦笑を浮かべていた。
それはこっちのセリフだ。
ヒット狙いと言っておきながら、力勝負を挑まれたらあのマン振り…
やっぱりこの子、気ぃ強いわ…
☆
『アウト!』
…先頭バッターを打ち取った太刀川さんは、後続も危なげなく抑えこの回を終えた。
「よし、次はこちらの攻撃だ!」
ファインプレイでピンチの芽を摘み取った尾藤さんは、足早にベンチに戻るとすぐにバットを手にした。
そしてバットをブンブンと振りながら、
「ミヨちゃん、塁に出ろよ!
私が返してやるからな!!」
ハッハッハ…と高笑いを上げている。
と言うより、この試合中ずっとこの調子だ。
どうやら美藤さんのモチベーションはかなり上がっているようで、それが先程の守備の呼び水となったのだろう。
そうなるとバッティングでも期待が持てそうだ。
『ブンッ!』
『3ストライク、アウト!』
先頭バッターの大空さんは空振り三振に打ち取られ、遂に美藤さんに打席が回る。
「すいませーん…」
「はっはっはー、気にするな!
ランナーが出なければホームランを打つだけだ!」
『5番 レフト 美藤さん』
「さあ、来い!!」
初球、外角へのストレートを見送り1ボール。
「ナイセン!
ボール見えてるよ!」
ふふふ、そう騒ぐな。
歓声はもう少し先に取っておくといい。
…とばかりにベンチに目をやると、美藤さんは再びバットを構える。
続く2球目もストレート。
美藤さんは足を上げ反動をつけた強振で積極的に打って出る。
『キィン!』
『ファウル!』
打球はライトファウルゾーンへの痛烈なライナー。
やはりタイミングは合っている。
そして3球目。
恋々バッテリーが選んだのは外角低め…ストライクゾーンへのシンカー。
『ブンッ!』
これにはタイミングを外されて空振り。
カウントは1ボール2ストライクとなった。
「ああ!
あのまっすぐに変化球を混じえられたら打てっこないでやんす〜!」
「緩急に加えてあの曲がり幅…
シンカーだけを狙っていれば対処できるけど、まっすぐが頭にある状況では厄介ね…」
既にあおいちゃんと対戦して打ち取られている矢部君はそう嘆き、自分の打席に備え準備を進めていた小鷹さんは煩わしげにため息を漏らした。
続く4球目。
投じられたのは先程空振りを奪ったシンカーボールだった。
「くっ!
ストライクゾーンギリギリか!」
2ストライクと追い込まれフォームをノーステップに変更していた美藤さんはボールの沈む軌道に崩されるのを堪えボールを呼び込む。
そして手首をこねる事なく、逆らわずに流し打った。
『キィィン!』
打球はライナーでレフト方向ライン際へぐんぐん伸びる。
…これはフェアゾーンに入る。
二塁打は間違いないコースだ。
「くっ…レフト〜ッ!!」
高木さんのこの声に相手左翼手は直接捕球を試みる。
『ザッ!』
身体を真一文字に伸ばした文字通り決死のダイビングキャッチ。
しかし打球はグラブの先を越えフェンスに到達した。
「はっはっはー!紙一重だったな!
今の打球は
そう…先程の
美藤さんは長い台詞に長いルビを振りながら1塁ベースを周ると、打球がフェンスに跳ね返り左中間方向に転がっていくのを確認して2塁ベースも蹴った。
…私の守備を参考にして勉強するんだな〜!、と高笑いを上げながら。
そして打球に追いついた左翼手からの返球の間に3塁に滑り込んだ。
スリーベースヒット。
「ナイスバッティング!」
チーム初安打かつ初の得点圏のランナーとなった美藤さんにベンチから歓声が飛ぶ。
そしてジャスミンベンチを盛り上げた美藤さんは、
「あんまり相手チームを挑発するような事を言ってはいけないよ?」
「す、すいません…」
と三塁塁審から注意されていた…。
「ナイスジャッジ〜!」
「よっ!グッドアンパイアッ!!」
そしてなぜか恋々ベンチまでも盛り上げてしまった。
「何やってるのよあの子は…」
小鷹さんは遠い目をしながら一連の様子を見つめている。
…いや、小鷹さんが美藤さんを乗せ過ぎたというのも原因の一つだと思うだけど。
そんな決して口には出せない言葉を脳裏に浮かべながら、改めて恋々ベンチに目をやる。
…1アウト、ランナー3塁。
スクイズ、犠牲フライ、内野ゴロ。
様々な得点パターンが挙げられるこの状況で、あのベンチの明るさは何だ…?
それ程の信頼があおいちゃんにあるという事なのだろうか。
ただこちらもこの状況で最も期待出来るバッターに打席が回る。
そう、チーム1の曲者に。
「よっし、いくぞー!!」
自らを奮い立たせ夏野さんは打席へと向かった。
☆
『6番 セカンド 夏野さん』
響くウグイス嬢のアナウンス。
そして元気はつらつといった様子でチームのムードメーカーであるナッチが打席に向かう。
その間にボクは幸子を呼んで配球についての相談をしていた。
「ここで厄介なバッターに回ったね」
ナッチはジャスミン打線の上位と下位を繋ぐ潤滑油の役割を担っている。
エースやクリーンアップに比べれば地味に思われがちだが、ポイントゲッターになれる6番バッターは重要な存在だ。
スラッガータイプの少ないジャスミン打線においてはキープレイヤーの1人と言ってもいい。
「面倒なバッターではあるね。
でもあおいのボールなら心配いらないだろ?」
幸子は確信めいた笑みを浮かべながらボクを励ます。
…確かに今日はボールが走っているし、右対右の対戦では相手を完璧に抑えている。
だけどリスクはある。
先制点を奪われる事、だけではない。
試合は投手戦の様相を呈している。
僅差の試合になる事が想像される以上、先に点を取られるのは痛い。
だが、一番危惧するべきは、それではない。
彼女が打つ事でチームが乗る事。
そして、仲間が活躍する事で自身のポテンシャルを限界以上に発揮する、主砲でありリリーフエースでもある彼の覚醒。
それを促すような状況は絶対に避けなければいけない。
…チームの勝利の為に。
「……幸子。
このバッター相手には全球
「っ!?
まだ試合は序盤だよ!?」
そんな状況でアレを使うのはそれこそリスクだろう!
とっておきの切り札だと言っていたのはあおいじゃないか!!」
ボクは幸子の言葉に頷きながら、それでも続ける。
「うん、それでもだよ。
あの球を磨き続けてきたのは、この日の為だった。
ボクはもう決めているんだ」
それに。
ボクたちのウイニングショット…聖ジャスミンのみんなに見てもらいたくない?
「………」
この殺し文句を聞くと幸子は「わかったよ」とだけ呟いてホームの方に歩いていく。
幸子の口角がほんの少しだけ上がっていたのを見て、こちらも少しだけ笑みを浮かべる。
「ふふっ…!」
さあ、目を凝らしてよく見てよ!
『シュッ……ギュインッ!!』
放たれたボールはストレートに近い速度で進むと、浮き上がるような軌道から急激に変化しバッターの内角低めへと沈んだ。
これにバットは空を切る。
『ストライク!!』
「こ、これは……っ!?」
そう、これこそがボクの努力の結晶。
……