「よし…じゃあみんな、行こうか」
今日は夏の予選の5回戦。
左のサイドスローから繰り出すスクリューが武器の好投手、橘 みずき率いる聖タチバナ学園との試合だ。
俺たちは球場の入り口へと向かう。
すると丁度同じタイミングで聖タチバナのメンバーと出くわした。
「あれ…?
誰かと思ったら…久しぶりじゃない、ダーリン♡」
みずきちゃんは顔を合わせるなりニヤリと笑うと、まるで別人になったかのように甘い声でそう言った。
「っ!?
みずきちゃん、その呼び方はちょっと…」
「何よダーリン?
私がダーリンのことをダーリンって呼ぶのに何か問題でも……」
みずきちゃんは辺り一帯を見渡すと、「ああ…」と納得したような声を出した。
そして手で口元を隠しながら「ムフフ」と笑う。
「あら、怖い!
女の嫉妬ほど恐ろしいものはないわね〜」
「嫉妬…?」
「はあ、相変わらずニブイわね…」
彼女はそうため息をつくと、「まあ、いいわ」と続けた。
「いい試合をしましょう。
光輝君たちと戦うのをずっと楽しみにしてたんだから…がっかりさせないでよね?」
そう言うとみずきちゃんはチームメイトたちとともに球場内へと歩いて行った。
「あの子も相変わらずね…
茶目っ気があるというか、気が強いというか…
しかもうちの諸々の事情はわかっているみたいだし」
「うん、みずきちゃんならうちの戦力分析も当然済ませているだろうしね…」
小鷹さんのつぶやきにそう同意すると、彼女は額に手を置きながら「やれやれ」と首を振った。
「あんたと話してると、たまに会話が噛み合わなくて疲れることがあるわ…」
「全く同感だな。
ニブイというか無関心というか、センサーの感度が悪いというか…」
「わかるわかる!
たまにわざとやってるのかと思う時があるよね〜」
「頭の回転はそんなに悪くないはずなんスけど…
不思議ッスね〜」
「えっ?えっ?」
小鷹さんに続き美藤さんに夏野さん、川星さんまでもが加わり、身に覚えのないことについての文句を浴びせかけられる。
そうやって戸惑う俺の肩を、雅ちゃんが優しくポンと叩いた。
「…大丈夫。
少しずつ治していこう?
頑張ればきっと人並みにはなれるはずだよ?」
「何が治るの?
何を治すの!?
何でそんな優しい目で俺を見てるのっ!!?」
「……。
瀬尾君があそこまで「アレ」だとみんなが可哀相でやんすね…」
「あれっ?
てっきり矢部君は羨ましがるものだと思ったんですけど、意外ですねー」
「オイラも人のことを羨んでばかりいないでやんすよ?
あそこまで一方通行な状況を見ていると、同情したくもなるでやんす」
「ミヨちゃん、誤解してましたー!
てっきり矢部君は「恨み」「妬み」「嫉み」の三要素で構成されたどうしようもない存在だと思っていたけど…
そんな人間みたいな感情も持っていたんですねー!」
「えっ?
それはどういう……?」
…こうして俺たちはいつも通り(?)のリラックスした状況で試合に臨むことができた。
みずきちゃんがこれを狙っていたとは思わないが、対戦相手である俺たちを邪険に扱わないあたりに、彼女の根っ子の部分にある優しさが垣間見えたような気がした。
☆
そして試合が始まる。
先攻は聖ジャスミン。
1番バッターの矢部君がバットを手にして打席へと向かう。
マウンドではみずきちゃんがロジンバックをポンポンと手の平の上で跳ねさせている。
そして彼女のボールを受ける捕手は、みずきちゃんと同学年であり、彼女と同じく聖タチバナ学園生徒会のメンバーでもある大京が務めている。
…だが彼の本職は一塁手のはずだ。
おそらくは他の選手ではみずきちゃんのボールに対応することが出来ず、彼が暫定的に捕手を任されているのだろう。
新設の野球部で野球を始めて間もない選手も多い中、彼以外でキャッチャーをこなせそうなのは生徒会のメンバーでありチームの主力である原と宇津くらい。
だが原は内野守備の要。
ディフェンス面を考えればセカンドからは外せないだろう。
今日の試合ではライトでスタメン出場している宇津も本職は投手であり、リリーフとして登板することを考えるとそこまでの負担はかけられないのだろう。
つまりは急造のバッテリーでこの試合に臨んでいるという事だ。
それならこちらにも戦いようがある。
『キィン!』
初球、矢部君は外角のボール気味の球を強引に引っ張る。
それほどいい当たりではなかったものの、打球はサードとショートの間を抜けてレフトの前へと転がっていった。
ノーアウト、ランナー1塁。
そして2番の雅ちゃんが打席に立ち、彼女に向かって1球目を投じるためみずきちゃんが投球動作に入った、その瞬間。
矢部君は迷いなくスタートを切り、捕手がボールを投げるより遥か前に2塁に到達した。
「マジ…?」
「速すぎやろっ!?」
聖タチバナの二塁手、原は矢部君のスピードに目を丸くしている。
マウンド上のみずきちゃんは、唖然とした表情で塁上の矢部君を見つめていた。
機動力…これがバッテリーを揺さぶるには一番有効な方法だ。
矢部君ほどの俊足とスキルを持つランナーを急造の捕手が刺すことなど、まずできないだろう。
そして、相手の嫌がることができる選手は矢部君だけではない。
『コンッ…』
雅ちゃんはストライクゾーンにきたスクリューをバントで三塁線に転がした。
ライン付近を転がるボールに聖タチバナの三塁手は捕球するか見送るかの判断に迷いを見せた。
「その打球は切れないわ!!
早く一塁にボールを…」
みずきちゃんがそう指示を出しながらバッターランナーの方に視線を移す。
だがその時には懸命に走る雅ちゃんがファーストベースを駆け抜けていた。
『セーフ!』
ジャスミンベンチがわっと沸いた。
ノーアウト1塁・3塁。
そしてこのチャンスの場面で俺に打席が回る。
『3番 ライト 瀬尾君』
バッターボックスに入った俺はバットを構えた。
そしてマウンド上の投手・橘みずきの方を見据える。
…こうしてみずきちゃんと真剣勝負をするのは初めてかもしれない。
聖タチバナ、恋々とうちとの3校で一緒に練習をしていた時期もあったが、みずきちゃんたちが高校生になった頃からはそれぞれのチームでの活動に集中していった。
それ以来、俺は彼女の投げるボールを見ていない。
しかし、最後に見た彼女のウイニングショット…スクリューの軌道は今も目に焼き付いている。
右バッターから逃げるように鋭く、それでいて大きく変化するあの球は、彼女が中学生だったあの時点で既に一級品と呼べるレベルに達していた。
だがあのみずきちゃんの事だ…あの頃からさらに成長しているに違いない。
正直なところ、スクリューを完璧に打ち返す自信はない。
だけどこの先制点のチャンス…逃すわけにはいかない。
だから俺は、仲間の力を借りることにした。
1球目。
みずきちゃんが投球動作に入ったところで一塁ランナーの雅ちゃんがスタートを切った。
しかしスタートのタイミングが遅い。
それを見て、捕手の大京は高めのボール球を捕球すると、ランナーを刺すため二塁に向かってボールを投げようとした。
と、その時、二塁手の原が声をあげた。
「…っ!?
アカンッ!!
大京、投げるなっ!」
「えっ!?」
その制止も届かず、大京の手からボールが離れたのを見て三塁ランナーの矢部君が勢いよく走り出した。
「ディレイドスチール!?」
みずきちゃんはすぐにそれに気づいた。
だが送球をカットするには間に合わない。
原はベースカバーに入るのをやめ、前進しボールを捕球した。
そして本塁でランナーをアウトにしようとバックホーム。
それに対して矢部君はヘッドスライディングでホームベースへと滑り込んだ。
「……」
際どいタイミング。
主審は少しの間を置き、それから確心を持って判定を下した。
「セーフ!!」
「やった!」
「オイラの足の勝ちでやんす!!」
判定を聞いた矢部君はすぐさま飛び起きると、バッターボックスにいた俺とハイタッチを交わした。
二塁に到達した雅ちゃんもそれを見て手を叩いている。
1点先制。
そしてなおも2塁にランナーを置きチャンスは継続している。
「まだ1点よ!
切り替えていきましょう!!」
聖タチバナナインに動揺が広がるなか、マウンド上のみずきちゃんは気丈に振る舞う。
そして仕切り直しの2球目。
彼女の投じたスクリューは変化を抑えているように、思い描いていたよりも小さく曲がった。
これなら…打てる!
『キィィンッ!!』
快音を残して打球はあっという間にライトスタンドへと飛び込んだ。
2ランホームラン。
ジャスミンの猛攻はこれで終わらず、この回にさらに1点を追加。
その後は原、大京の連打で1点を返されたものの、順調にリードを広げ続け5回で11-1としてコールド勝ちを果たした。
☆
試合後、帰り支度を済ました俺たちは帰路につくために球場を後にしようしていた。
しかし俺にはどうにも心残りなことがあり、胸にもやもやとしたものを抱えていた。
「さあ、帰るでやんす!
…おや? 瀬尾君、どうしたでやんすか?
元気がないでやんすね」
「いや、えっと……」
何と言ったものか。
どう言葉にすればいいかわからないが、勝利を素直に喜べない自分がそこにはいた。
つまりはそういうことなのだ。
そうやって言葉に迷っていると、太刀川さんが優しく声をかけてきた。
「行ってきたら?
言いたいことが、伝えたいことがあるんでしょう?」
「太刀川さん…」
「あたしたちは先に行って…待ってるから」
太刀川さんはそう言うと手をひらひらと振った。
☆
球場内の通路。
そこに飛び出していくと、俺が言葉を届けたかった人物が通りかかるのが見えた。
「みずきちゃん、ちょっといいかな?」
そう声をかけると彼女は驚きながらもそれに応じた。
「えっ…?
…どうかしたの?」
「…今日のみずきちゃんのピッチングについてなんだけど」
「ごめん、先に行ってて」
みずきちゃんはチームメイトに先に行くように促してから、質問の続きを待った。
「……続けて?」
「…今日の試合、スクリューの変化…抑えてたよね?
それだけじゃない。
まっすぐの勢いも心なしか弱いように思えた」
この問いにみずきちゃんは「あはは…」と苦笑いを浮かべる。
「やっぱり光輝君にはわかっちゃうか。
…そう、私はこの試合で投げたすべての投球で力をセーブしてた。
キャッチャーが捕れるくらいまでレベルを落としていたんだ」
彼女の言葉を聞いて、俺は帝王との試合での山口の投球を思い出していた。
彼は自らの武器であるフォークボールの落差を捕手が止められる程度に抑えていた。
それにあかつきとの練習試合の時もそうだ。
あの試合、猪狩はキャッチャーが自分の全力投球を捕れないため加減をして投げていた。
試合途中から進君がマスクを被ったおかげでその後は100%の力で投げることができたが、そうでなければ猪狩は力加減をしたままで1試合を投げ抜かなければならないところだった。
『自らが投げたボールを捕れるキャッチャーがいない』というのは、優れた実力を持つ投手に共通した悩みなのかもしれない。
それは選手層の薄いチームであるなら尚更だ。
「でもそれは今年までの話だから。
来年になればあの子がうちに入ってくる。
そうなれば、もう加減して投げる必要もなくなる」
「あの子って…」
「もちろん私のことだ」
その声の主はみずきちゃんの後方から静かに現れた。
六道 聖。
凛とした表情と声、こちらを見据えるまっすぐな眼差し。
飛び抜けた実力を誇る女性捕手。
彼女の姿を目にして俺は納得していた。
中学生でありながら、みずきちゃんの相棒を務めるだけの実力を持つ彼女がチームに加わればみずきちゃんも全力を出すことができるようになるだろう。
「じゃあ俺たちは六道さんがまだ高校生ではないことを幸運に思わないといけないね」
「ああ。
私が捕手を務めることになればもうお前には打たせない。
今日の一発がお前がみずきから打てる最後の本塁打になるだろう。
記念として心に留めておくといいぞ」
「…まあフツーに光輝君にタメ口使ってるのはアレだけど…
聖、よく言ったわ!
でもまだ夏の大会が終わっただけで秋の公式戦は聖抜きで戦わないといけないんだけどね〜」
「むむっ…そこは何とか乗り切ってくれ。
それにタメ口に関しては、前に合同練習をした時に許可をもらっているし、そもそもみずきも使っているだろう。
人のことは言えないぞ」
「確かに…」
「まあねぇ…
でもいいんじゃない?
光輝君、女の子には甘いし♡」
「あはは…」
俺が苦笑いを浮かべていると、みずきちゃんは会話が途切れたタイミングを見て、
「それじゃあ私たちもう行くね」
と言ってこの場から立ち去ろうとする。
そんな彼女に俺は、最後の質問を投げかけた。
「みずきちゃん、これだけ聞かせてくれないかな?」
「…何?」
「どうしてみずきちゃんは自分が全力を出せないと知りながら、この予選に挑んだの?」
みずきちゃんは一瞬間を置いて、先程までとは打って変わった真剣な口調で話し始めた。
「…だって、せっかく試合ができるんだよ?
そりゃ、力を出し切れずに負けるのは悔しいけど、私はずっと試合がしたかったんだもん。
それに女子である私が公式戦に出られるのは、光輝君が…聖ジャスミンのみんなが頑張ってくれたおかげでしょう?
だったら、あなたがくれたこの機会に感謝して、どんな状況でも喜んで戦うべきだって思ったの」
「……」
彼女の言葉を黙って聞いていると、みずきちゃんは何だか恥ずかしくなってきたようで、
「あはは…
柄にもなく熱く語っちゃったな〜!
じゃあ本当にもう行くね!!
ほら聖、急ぐよ!」
そう言ってチームメイトたちのもとへと駆けて行った。
☆
翌日。
三ツ沢監督がみんなを部室に集めた。
「さあ、ベスト4がとうとう出揃ったよ」
「僕たちと反対のブロックを勝ち抜いたのは、下馬評通りの強さを見せた西京高校と春季大会でも戦った、そよ風高校ですね」
雅ちゃんがホワイトボードに貼られたトーナメント表を見てそう言うと監督は頷き、続けて俺たちが次に戦うチームを指差した。
「そして私たちが次に戦うのは…恋々高校。
エースの早川さんが急成長を遂げ、ここまでのすべての試合を1失点以内に抑えて勝ち上がってきたチームだよ。
彼女からはそう簡単に点は取れない。
苦しい試合展開になるはずだよ。
だから…」
監督は太刀川さんと小鷹さん、そして俺を順に見つめ、「次の試合、キミたちにかかっているからね」と言った。
それに俺たちは力強い返事で答える。
『はいっ!!』
夏の予選もいよいよ準決勝。
相手はあおいちゃん率いる恋々高校だ。