実況パワフルプロ野球 聖ジャスミン学園if   作:大津

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第29話 在りたい場所と在るべき場所3

「さあ、行きましょうか」

目の前に立つ老齢の女性にそう言われ、俺はひどく動揺する。

 

「ど、どういうことですかっ!?

小山の家とあなたには何か関わりがあるんですか?

…あなたは一体?」

 

俺の言葉に彼女は微笑んで答えた。

 

「やぁねぇ、何者でもないわよ。

私は、ただのお芝居が好きなおばあさんですよ」

 

ギィィ…

小山家のお屋敷の門がゆっくりと開く。

その先には何人かの若者、おそらく付き人と思われる人々が出迎えていた。

 

「おかえりなさいませ。

…大奥様、そちらの方は?」

 

おかえりなさいませ…?

大奥様…?

やはりこの人は、小山の家の人間だ。

「大奥様」ということは…?

 

思考を巡らせながら、彼女の方に視線を送る。

そうすると視界の中に付き人たちの表情が入り込んでくる。

 

ジロッ……

 

まとわりつくような視線。

明らかに俺の存在を快く思っていないことがわかった。

俺は招かれざる客ということか…

 

付き人の、俺が何者かという問いに、俺の前を歩く「大奥様」と呼ばれた女性は答えた。

 

「お客様よ。

大事な大事な…ね」

彼女は付き人たちにそう告げると、俺の手を引いてこう言った。

 

「じゃあ坊や、早速行きましょうか」

 

 

俺は女性に連れられ屋敷の中を進んでいく。

しばらくして、ある部屋の前で女性は止まった。

 

「さあ、ここが目的地よ」

 

そう言って女性は廊下とその部屋を仕切っているふすま障子に手をやる。

「雅ちゃん、入るわよ?」

 

『ガラッ!』

障子が開け放たれたその先。

そこには、俺たちの前から突然姿を消した友人が、そこにいるのが当たり前のように座っていた。

 

「…おばあさま、何か御用ですか?」

 

必要最低限の物しか置かれていない殺風景な部屋。

その中で1人、彼は静かに佇んでいた。

 

小山君は、俺の前にいる女性をおばあさまと呼んだ。

やはり、この人は小山君の祖母なのだ。

 

しばらくの間を置いて、小山君の視線はこちらに向けられた。

そして、確かに俺の姿をその目で捉えた。

 

「………あれ?

瀬尾君、来てくれたの…?」

 

硬かった表情は緩み、目に涙を湛える姿を見て、俺は正直安心していた。

彼は望んで俺たちから離れたわけではなかったのだ。

 

だからこそ聞かせて欲しい。

君の事情と、君の居る場所のことを。

そして、俺にとってはそれ以上に大切な、君がどうしたいかを。

君の居たい場所を。

 

「小山君っ!!」

 

俺が身を乗り出し、彼の真意を聞こうとしたその時。

誰かに肩を掴まれ、後方に引きづり倒された。

 

「なっ……っ!?」

 

驚きをおさえながら、俺を力づくで引き戻した人物の方に目をやる。

 

険しい表情、刺すような視線。

そしてはっきりと感じる敵意。

 

彼の素性については小山君の上げた、悲鳴にも似た声で知ることができた。

 

「父さん…っ!?」

 

「この人が小山君のお父さん…!?」

「お義母さん…困りますね。

部外者を敷地の中に招き入れるなど、あってはならないことです」

 

小山君の父…双厳は、そう言ってこちらをにらみつける。

その視線を遮るように、老齢の女性…小山君のお祖母さんは前に出た。

 

「あら、この子は私のお友達なの。

あなたから見ればお客様よ。

その態度は失礼なんじゃないの?」

「お客様…ですか。

とてもそうは見えませんが」

 

彼はこちらに向き直る。

 

「…あなたは?

義母の友人にしては随分とお若いですが…」

 

俺はこの問いに迷いながら答える。

 

「…僕は瀬尾 光輝と言います。

小山君と同じ、聖ジャスミン学園に通っています」

 

「小山"君"か…」

この返答に彼は静かに微笑む。

その笑顔はどこか寂しげに見えた。

 

「君のことは知っているよ。

野球部のキャプテン…息子の元チームメイトだろう?」

 

「……」

…俺のことを知っている。

調べたのだろうか?

 

双厳は言葉を続ける。

 

「どうやって義母とのつながりを得たのか知らないが…

君が何をしようと、雅は君たちのところには戻らないよ」

「やっぱり、あなたが…

あなたのせいで…!」

「「雅がいなくなった」…か?

ひどい言い草だな。

雅が君たちのもとから去ったのは、それが必要なことだったから。

君たちのもとに戻らないのは、雅が自分の使命を理解し、それを果たそうとしているからだ。

…部外者がそれに口を出す資格は無い」

 

「なっ…!?」

 

小山君が俺たちと離れることを…野球をやめることに納得していると…

そうまでして果たさなければならない使命があるとでも言うのか?

 

…だけど、それが本当だったとしても。

俺はまだ納得できない。

だって…だって!!

 

「俺はまだ君の言葉を聞いていない…

君の気持ちを、君の決断を…!

俺は、それを君の口から聞きたいんだよっ!!」

 

俺は小山君めがけて言葉を投げかける。

 

「あっ…

僕は、僕は……!!」

 

小山君が、ゆっくりと… でも確かに、俺に自分の気持ちを聞かせようとしてくれたその時。

自分の息子が迷い、悩みながら一歩を踏み出そうとした姿を見ていたはずの父親は、冷徹に言い放った。

 

「… それは、雅にとって君たちがその程度の存在だからだろう?」

 

なんてことを言うんだ…

なんでそんなひどいことを、そんな平然と口に出すことができるんだ…

 

胸が締めつけられるように痛む。

奴の言うことが真実なのか?

いや、そんなはずがない…

 

心の中の葛藤が、目の前の状況を認めてしまいそうな気持ちとそれを否定したい気持ちが、どんどんと大きくなって複雑に絡まっていた。

 

双厳はそこに、まるでとどめを刺すかのように言葉を付け加えた。

 

「どうでもいいから何も言わないんだ。

雅に必要な存在ではないから、あの子も自分の秘密を…全てを打ち明けられないんだ。

君は知らないんだろう?

あの子が…」

 

「っ!!

やめなさい、双厳!!」

 

小山君のお祖母さんの静止を無視して双厳は続ける。

 

「雅が本当は…女だということを」

 

 

「どういうことだ…?」

 

頭の中がこんがらがって整理できない。

小山君が伝統芸能の後継者で、その道を極めさせるために彼を連れ戻したというなら、不条理で歪だけどわからなくはない。

 

…でも小山君が女?

あれ、でもだったら…?

女性は後継者にはなれないのではないのか?

 

動揺を隠し、その旨を尋ねると双厳はこう答えた。

 

「だからこそ雅は男として生きてきた。

女性であることを隠し、男としての立ち振る舞いを学んできたのだ。

その甲斐あって雅は立派に成長したよ…男としてね。

君も気づかなかっただろう?」

 

何だ…この人は何を言っているんだ…?

そんなことあり得るのか?

 

「…このことは小山の中でも限られた者しか知らない。

知らせるつもりもない。

新たにこのことを知るのは君が最後だ。

…いや、雅の妻となる者には伝えねばならないから、それが最後になるかな?」

 

双厳は勝利を確信したのだろうか。

勝ち誇るように、一方的に話し続けていた。

 

「それが小山の…雅の覚悟だ、決断だっ!!

……わかってもらえたかな?」

 

だめだ、気分が悪い…気持ちが悪くなってきた。

この人の言葉の中には小山君がいない。

小山君の気持ちが少しも含まれていないのだ。

それなのに人の気持ちを勝手に代弁して、押しつけて。

今までもずっとそうしてきたのだろうか。

 

小山君…いや、小山さんと言うべきか…

俺は彼女の方に目をやった。

 

「あっ…あっ…」

 

父親に何も言えず、ただうろたえるばかりの「彼女」の姿が、まるで籠の中の鳥のように見えた。

 

「…もういいでしょう。

お帰り願えますか?」

 

お客様がお帰りだ、と付き人を呼ぶ双厳。

だがお祖母さんがそれを遮る。

 

「双厳…この子は私のお友達だと言ったでしょう。

あなたがこの子の尋ねることに何と答えようと、あえて何も言いません、好きになさい。

でもね、この子を乱雑に扱うことだけは許さない。

…伝助(でんすけ)、伝助っ!」

 

「はいっ!」

付き人が姿を現す。

年齢は14〜15歳くらいだろうか。

はつらつとした動きでお祖母さんのもとに駆け寄る。

 

「この子を離れにお連れして」

 

「かしこまりました!

…さあ、行きましょう」

 

伝助と呼ばれた、その少年は俺を連れて、離れに向かい歩き始める。

 

「あの子には、離れで休んでいってもらいます。

あなたの話を聞いていて、気分が悪くなったみたいね…?

それくらい、いいわよね?」

 

お祖母さんのこの言葉に、双厳もしょうがないといった様子で首を縦に振る。

 

「雅…あなたもあとで来なさい。

…お父さんと一緒に、ね」

 

そうして俺たち3人は離れの屋敷に向かった。

 

 

伝助君の先導で、俺たちは離れに着いた。

そして、離れと言うには立派すぎるくらいの部屋に通された。

 

「ふぅ…さてと。

まずは謝らなければいけないわね。

瀬尾君…ごめんなさいね。

あんな話を急に聞かせて…」

「…いえ、俺が知りたいと言ったことですから。

でも、あれはあまりにも…」

「そうね…

あなたもショックだったでしょう」

 

お祖母さんは遠くを見ながら、誰かに呼びかけるように言う。

 

「双厳の言葉だけでは、真実を全て話したことにはならない。

…あなたには伝えなくてはね」

「伝える…?」

「…お話するわ。

もう16年近く前のこと…

雅が生まれた時のこと、そして雅の両親のことを」

 

 

16年前。

まだ雅がお母さんのお腹の中にいた頃のこと。

 

「撫子(なでしこ)、今帰ったぞ!」

「あなた、お帰りなさい」

「お腹の子の様子はどうだ?

動いたりしたか!?」

 

元々は小山一門の弟子で、婿入りという形で小山家の一員となった双厳。

そして双厳の妻となった小山家の令嬢、撫子。

 

2人は互いを尊重し、愛し合っていた。

その仲睦まじい姿は見る者まで幸せにする。

そんな夫婦だった。

 

そうして日々が過ぎていった、ある時。

撫子が双厳の子をその身に宿した。

その報告を受け、父親となる双厳はもちろん、小山家の皆が喜んだ。

子どもの名前も、もう決まっているという。

幸せな時が続いていく…誰もがそう信じて疑わなかった。

 

撫子が医師からある宣告を受けるまでは。

 

 

 

「奥様、落ち着いて聞いてください」

 

医師が神妙な面持ちで語りかける。

この言葉に、双厳の頭には、ある「いやな予感」が浮かんでいた。

 

撫子は生まれつき体が弱い。

これまでも、幾度も病に侵されてきたのだ。

双厳と撫子、2人の心が通い合ったのも、病に伏せる撫子の看病を弟子であった双厳が任されたのがきっかけだった。

 

そして、やはりと言うべきか、双厳の「いやな予感」は的中することとなる。

 

「このままの状態で出産をするとなると、母体に危険が及びます。

奥様の体には、長時間の出産に耐えられる体力はありません。

…最悪の状況も覚悟して頂かなければいけません。

その場合、奥様と生まれてくる赤ちゃん…どちらを優先するのか決めて頂きたいのです」

 

「そ、そんな…っ!?」

 

医師の宣告にうろたえる双厳とは対照的に、撫子の決断は早かった。

今選択をした、というよりは始めから答えを決めていたかのように。

 

「子どもの…生まれてくる赤ちゃんの命を一番に考えてください」

 

「っ!?

撫子、何を言うんだっ!!」

 

双厳の言葉に撫子は首を振る。

 

「双厳さん、いいのよ、これで。

私は、あなたと私との間に授かったこの子がたまらなく愛おしいのだから」

 

それから彼女はこうも言った。

 

お医者様が言ったのは最悪の場合でしょう?

大丈夫よ、私もこの子も。

あなたのもとに、元気な姿で帰ってくるわ……と。

 

 

そして、突然その時は訪れた。

出産予定日の2週間前。

撫子が陣痛を訴えたのだ。

本人は以前から自宅出産を強く希望していたが、それでは緊急時に対応することができないからと断られていた。

それほど深刻な状況だった。

 

今から思うと本人も不安だったのかもしれない。

だから小さい頃から暮らしてきた、この世で最も安心できるあの家での出産を望んだのだろう。

 

それだけの不安を抱えながらも、撫子がそれを口にすることはなかった。

自宅での出産を希望したのは、言えなかったその思いを、私たちに心配をかけない形で伝えようとしていたのだと今になってわかる。

 

周りの人々は撫子のことを強い女性だと讃えていたが、サインは出ていたのだ。

 

撫子が分娩台に上がってからは長い時間がかかった。

短い間隔でやって来る痛みに耐えながら苦しむ彼女に私は何もしてやることができなかった。

 

そして…

 

「おぎゃあ! おぎゃあ!」

 

「おめでとうございます!

女の子ですよ!」

 

私たちの宝物がこの世界に生まれてきた。

本当に可愛らしい女の子だ。

 

しかしその直後、撫子の体に異変が起きた。

出産の衰弱から、急変を起こしたのだ。

 

『ピリリリッ! ピリリリッ!』

 

医療機器から警告音が鳴り響く。

私は、赤ん坊の雅を抱きながら、撫子の耳元で彼女の名前を呼んだ。

彼女は力を振り絞って私にささやく。

 

「ごめんなさい…約束を破ってしまって…」

 

「何を言うんだっ!?

大丈夫だ、君は死なない!

これから私たち親子3人の人生が始まるんだぞっ!!」

 

私の声が聞こえたかはわからない。

彼女は瞳を閉じて、独り言のように小さな声でつぶやいた。

 

「双厳さん…雅を頼むわね…

雅が立派な人間になれるように導いてあげて…

誰もが認めてくれるような、そんな人になれるように。

……ああ、どうか、あなたとこの子が…」

「撫子ぉ! 撫子ぉぉお!!」

 

 

「幸せでありますように」

 

 

…そうして彼女は、息を引き取った。

 

 

 

「お義母さん…お話があります」

「何かしら…?」

「雅のことですが、あの子は小山家の跡取りとして育てます」

「何を言っているの…!?

雅ちゃんは女の子でしょう!?

双厳、あなた何を考えているのっ!!?」

「…今言った通りです。

小山 雅は今日から男。

歴史ある伝統芸能、その後継者となるのです…!!」

 

 

 

「これが16年前に起きたことの全てよ」

「……」

 

…そんなことがあったのか。

これが、小山君が自分を偽ってきた理由。

お母さんの願いと…それを曲解した結果。

でも、小山君が男として、後継者として大成することが、小山 双厳の描いた「立派な人間」の姿。

「誰からも認められる人」になるための方法。

 

「でも、これじゃ…あまりにも…」

 

「…君はこの話を聞いてどう思った?」

お祖母さんが俺に尋ねる。

 

「…わかりません。

俺も、何をどうすればいいのか…

何が正しいのか…わからないんです」

 

「瀬尾君、私はね、これからどうするべきかなんて聞いていないわよ?

どう思ったのか、君の素直な気持ちが聞きたいの」

「で、でも、それじゃ…」

「一方的な意見でも、感情論でもいい。

願望でもいいわ。

君は雅ちゃんにどうして欲しい?

どうなることが君の理想なの…?」

「俺は…」

 

「その答えを、あの人に聞かせてあげて」

 

その時、障子の向こうに人影が映った。

小山 双厳と小山 雅の親子がやって来たのだ。

 

「失礼しますよ…

それでお義母さん、何のご用ですか?」

「ええ…

この子がね、言われっぱなしは悔しいから言い返してやりたいって言うから…」

 

「えっ!?」

 

「じゃあ、よろしくね」

 

俺は驚きを飲み込んで、自分の気持ちを話し始めた。

 

 

「あの…さっきお祖母さんに16年前の…小山君が生まれた時のこと、聞かせていただきました」

「……」

「それで思ったんです。

小山君のお母さんがあなたに託していったことは、本当にこういうことだったのかな…って」

「……なんだと?」

 

双厳の眼光が鋭くなる。

だが、いくら睨まれても、こっちだって引くわけにはいかない。

 

「僕には伝統芸能のことはよくわかりません。

でも…伝統を継承するってことが…その役目を任される人がすごいっていうのは、なんとなくわかります。

きっと僕だけじゃなくて、世の中の人みんなが、立派だって…すごいことだって認めると思います。

だけど、そうなることは…そうなるために何かを捨てることは、本当に「幸せ」になることにつながるんでしょうか?」

「……当たり前だ。

人の上に立ち、多くの者を導き、その功績を賞賛される…そのような立場になれることが不幸につながるはずがない」

「…それは誰の言葉ですか?

小山君がそれを望んでいるとは思えません」

「何…?」

「小山君には大好きな野球があった。

それに打ち込んでいた時間が今より不幸せだったとは思わない。

それを自分から手放すという選択が、幸せになることにつながっているとは思えないんです!!」

「私が間違っているとでも言うのかっ!?

お前のような若僧に何がわかる!!

この道こそが、雅が幸せにための最善の選択なのだっ!!」

 

 

「………」

 

 

その瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、遠い日の記憶。

悲しみのどん底にいた俺に、救いの手を差し伸べてくれた人たちの顔。

 

『あなたが光輝君ね?』

 

「…違う」

 

『私はあなたのお母さんの妹。

こっちにいるのが主人よ』

 

「そんなのは幸せじゃない」

 

『これから私たち、あなたのお父さんとお母さんに負けないくらいに、あなたのことを好きになるからね』

 

「幸せっていうのは…」

 

『一緒に…幸せになろうね』

 

「そんな…血の通っていないものじゃない!!」

 

 

「ぐすっ…ぐすん」

 

言いたいことをひとしきり言った後、ハッと冷静になる。

俺たちが言い合っている横で、小山君が涙を流していたのだ。

 

「小山君…!」

「雅!?」

 

小山君は涙を拭い、双厳の方を見据えた。

 

「やっぱり、私は…帰りたい。

瀬尾君の、みんなのところに帰りたいよ…っ!!」

「雅、今更何を言うんだ!?

お前も納得したはずだろう?」

「…だけど、もういやなんだ。

私は男として育ってきた。

そんな私を形作ってきたもの…

それが野球…友達…仲間。

私は今まで、それが自分にとって大切なものだって思ってた。

だけど、もう「それ」だけじゃないんだ。

女である自分を捨てた私にとって、空っぽだった私にとって…

私を満たしてくれた「それ」は、もう私の一部なんだよ!」

「……!」

「これ以上自分を捨てて、それと引き換えに得られる幸せがこんなに冷たいものなら…

そんなもの、私はいらないっ!!!」

 

「…双厳」

お祖母さんが双厳の肩に手をやる。

 

「……お前の考えはわかった」

「えっ…父さん…?」

「ならば抗ってみろ!

自分を幸せにしてくれる場所に、今までのように居続けることができるほどの強さをっ!!

…私に見せてみろ」

「それって…!!」

 

小山君がお祖母さんの方を見ると、お祖母さんは優しく頷いた。

 

「お帰りなさい、雅ちゃんの帰りたいところへ」

「……うんっ!!」

 

 

こうして小山君と俺はお屋敷を後にした。

 

 

 

「お義母さん…私はまたひとりぼっちになってしまいました」

「……そうね」

「…私は間違っていたのでしょうか」

「そうかも…しれないわね」

 

小山 雅が去った後。

双厳は自問自答を繰り返していた。

雅が生まれてから今まで悩み続けていたのと同じように。

しかし、いや…やはりと言うべきか、答えは出なかった。

 

抜け殻のようになった双厳のもとにある少年が駆け寄って行った。

 

「そ、双厳様っ!!」

「伝助か…」

「双厳様、雅様の代わりに、私に伝統芸能の技術を教えていただけないでしょうかっ!?」

「何…お前にか?」

「はいっ!

私は双厳様に拾っていただいたあの日から、双厳様のことを実の父のように思っています!

ですから、雅様が受け継がないと言うのなら、双厳様のその技術を私が受け継ぎたいのですっ!!」

 

「……お前に教えられることはない」

「そ、そんなっ…」

「……まずは基礎を学んでから、話はそこからだ」

「は、はいっ!!」

 

自分に付いてくる少年の姿を見た双厳は思った。

人に何かを教えることで自分自身を見つめ直さなければならない。

もう一度あの子の前に親として立てるように。

 

 

「瀬尾君…ありがとうね」

 

あの後、俺と小山君は聖ジャスミンに帰るために、駅のホームで電車を待っていた。

 

「いや、俺は結局何もしてないのと同じだし…

漫画の主人公みたいに、ヒロインをかっこよく助けられたらよかったんだけど…」

「ううん…瀬尾君は僕を助け出してくれたよ…

まるでヒーローみたいに…

僕の気持ち…わかってくれて嬉しかった!」

 

面と向かって言われるとなかなか照れくさい。

まあ、気持ちがわかったというより、自分の理想や考えを言っているだけだった気もするが。

 

「それにしてもびっくりしたよ。

急に「さよなら」なんてメールが来たから…」

「ああ、あのメールね…」

「すごくお堅い文章だったし」

「…あのね、僕、始業式の朝に急に連れていかれちゃって、その時携帯も取り上げられたんだ。

それでね、連れていかれてる途中に伝助にお願いしてメールを送らせてもらえるように計らってもらったんだ」

「じゃあ、あの文章は…」

「うん、父さんにメールの内容を確認されてたから、あからさまなSOSは送れなくて…」

「そっか…」

 

んっ?

あれ、そういえば…

 

「小山君?」

「うん? 何かな?」

「小山君はもう男のふりをしなくていいんだよね?」

「そうだね」

「じゃあ、自分のことを「僕」じゃなくて「私」って言ってもいいんじゃないの?」

「あっ、そっか!

…って瀬尾君だって僕のこと、まだ君付けで呼んでるじゃない!」

「…あっ、本当だ!」

 

「はははっ」

「うふふっ」

 

俺たちは顔を見合わせて笑い合う。

 

「ねえ、瀬尾君はさ…

僕も女の子らしくした方がいいと思う?」

「えっ、どうして?」

「いや…そうした方が女の子として見てもらえるかな〜なんて…」

「う〜ん…小山君は小山君らしくしてるのが1番だと思うけど…」

「そっか… 僕らしく…か。

…でも少しずつ頑張ってみようかな。

今までやりたくてもできなかったことだし」

「…うん、応援するよ!」

「だからさ…」

「えっ?」

「僕も頑張るからさ…その代わりに、僕のことを女の子っぽく呼んでくれないかな?」

「………雅ちゃん、とか?」

 

「……ふぇ?」

『雅ちゃん』と呼ぶと彼女の口からは呆気にとられたような、言葉と呼べるかも曖昧な柔らかな音がこぼれた。

 

「あれ、いやだった?」

「う、ううん!

そんなことないよっ!?」

 

首をブンブンと振ってそう答える彼女の顔は、ほんのりと赤くなっているように見えた。

やっぱり恥ずかしかったのだろうか。

 

「ならいいんだけど…」

 

そうしているうちにホームに電車が来た。

自動ドアがプシューと開く。

 

「じゃ、じゃあ瀬尾君、乗ろうか?」

 

雅ちゃんが電車に乗り込む。

俺もそれに続いた。

 

 

…こうして、小山 雅失踪事件は幕を閉じた。

 

その後の雅ちゃんからの報告で、野球部のみんなが彼女が女の子であることを知り大騒ぎになったのは…言うまでもない。

 


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