「ここか…」
俺は、とある和風建築のお屋敷の前に立っていた。
「これが小山君の実家か…」
この辺りでは名家として知られる小山家。
そのお屋敷は四方が高い塀に囲まれ、正面にある門は、まるで来るものを拒むようにそびえ立っていた。
外観だけで言えば、昔の任侠映画に出てくるヤクザの組長でも住んでいそうな、そんなイメージを抱いた。
もちろんインターホンも呼び出しのベルもない。
招かれた者以外入ることを許さないような、他を隔絶する異様な雰囲気。
しかし俺は意を決して門を叩いた。
ためらいがなかった訳ではない。
ただ、それよりも大切なものがあるのだ。
「待っていてね…小山君」
☆
話は数日前に遡る。
冬休みが終わり、迎えた始業式の朝。
いつものようにグラウンドに集まった俺たち。
しかし、いつもと違うことが1つあった。
小山君が姿を見せなかったのだ。
彼の身を案じる俺たち。
そこに一通のメールが届く。
『しばらく学校を休みます。
理由は言えませんが、体調を崩したわけではないので心配しないでください。
…野球部の活動にも参加できるかわかりません。
なので、もう僕はいないものと思って、新しいメンバーを探してください。
急なことで迷惑をかけてしまってごめんなさい。
でも、僕はみなさんの夢を心から応援しています。
今までありがとう、そして……さようなら。
小山 雅より』
…目の前の事実に頭が追いつかない。
だって彼は野球が上手くて、チームの主力で……そして何より野球を愛していたはずだ。
野球部がチームとして成立するかわからない時に…今の俺たちの姿など想像もできない頃に。
力を貸してくれた人なんだ。
それなのに、どうして…
そこに俺たちを呼ぶ大きな声が飛び込んできた。
『みんな〜〜っ!!!』
声の主は、野球部の顧問である三ツ沢 環(たまき)監督だった。
「タマキちゃんでやんすっ!
大変なんでやんすよ〜!!」
矢部君が手を大きく振り、監督を呼ぶ。
駆け寄ってきた監督は矢部君にこう答えた。
「うん、わかってるよ。
小山君のことだよね。
私の方にも連絡が来たんだ…小山君の保護者の方から。
小山君は『家庭の事情でしばらく休ませます』って。
それに…『通う高校を変える…転校する可能性がある』とも言っていたんだ」
「転校っ!!?」
みんなは互いの目を見合わせ、驚きを隠せない表情で固まっている。
「どういうことなのっ!?
ミヤビンはどうなっちゃうのさっ!!」
夏野さんが、感情をあらわにして声を荒げる。
いつもマイペースでひょうひょうとしている彼女からは想像もつかない姿だった。
だが、無理もない。
小山君と二遊間コンビを組む彼女は、普段からも小山君と仲良くしていたから。
ショックも大きいに違いない。
「落ち着いて、夏野さん。
この話はまた後でもう一度集まって話しましょう」
監督が夏野さんを諭す。
「…そうですね」
俺たちは戸惑いながらも、始業式が行われる体育館へと向かった。
☆
放課後。
野球部の部室で緊急のミーティングが行われた。
議題はもちろん小山君のことだ。
「小山君が転校…」
「何があったんだろう…?」
「こんなの急すぎるよ!
ミヤビン、こんなことになるなんて一言も言ってなかったよ!!」
みんなが冷静さを失い、正常な判断ができなくなっている、そんな中。
ある意外な人物が声を上げた。
「みんな落ち着くでやんす!」
俺たちの視線が矢部君に集まる。
「まず状況を整理するでやんす。
タマキちゃん、タマキちゃんは雅ちゃんの保護者から、雅ちゃんはしばらく学校を休む…場合によってはこの学校を去る。
そう連絡を受けた…そうでやんすね?」
「う、うん」
「それは何時ごろのことだったでやんすか?」
「う〜ん…職員室に着いてしばらくしてからだったから7時20分くらいだったかな。
怖そうな男の人の声だったから、多分あれはお父さんなんだろうね」
「そして、オイラたちのもとには雅ちゃんからメールが届いた…」
「そうだね。
メールが届いたのは…」
俺がその時間を思い返すよりも先に、猫塚さんが自信を持って言い切る。
「7時43分にゃ!
携帯にちゃんと履歴が残ってるでござるよ!!」
「ご苦労でやんす、ワトソン君」
矢部君はそう言うと俺たちに背を向けてあごに手をやる。
猫塚さんは誇らしげに胸を張る。
どうやらワトソン扱いを受け入れたようだ。
とすると矢部君はホームズということになるのだろうか。
「つまり時系列順で言うと、タマキちゃんに連絡が入ってからオイラたちにメールが届いた。
普通に考えれば学校に連絡を入れてから、友人のオイラたちに休むことを伝えるのはおかしいことじゃないでやんす。
しかしタイミングがあまりにも急でやんす」
これには俺たちも頷く。
小山君なら、こんな大事なことなら事前に教えてくれるはずだ。
それがこんな急すぎるタイミングで、メールでの連絡になった。
ということは、きっとこの事態は小山君自身も予期せぬ出来事だったのだろう。
自分の知らないところ進んでいたことを、思いもしないタイミングでそれを告げられたのだろう。
例えば…始業式の朝に。
「それに連絡手段にメール…というのも引っかかるでやんす。
大事なことをより正確に伝えようとするなら電話で話すのが普通でやんす。
それが業務連絡のような淡々とした文章を送ってそれっきり…おかしいでやんす」
「返信も送ったけど返事がありませんでした!
電話も繋がらないですにゃー!」
猫塚さんが「ハイッ!」手を挙げて情報を補足する。
もはやその姿は助手そのものだった。
「彼は、電話ができず、一方的なメールを送ることしかできない状況に追い込まれたということでやんす!」
…電話ができず、相手からの返信に答えられるような余裕のない中、言いたいことを全て伝えるためのある意味一方的とも思えるメール。
それを送るということは。
「謎は…………全て解けた、でやんすっ!」
矢部君はためにためて、そう宣言した。
あの自信に満ちた顔…キメにくるつもりだ!
「つまり彼は…飛行機に乗っているのでやんす!
携帯が機内モードなのでやんす!
ズル休みでやんす!
海外でやんす、バカンスでやんす、うらやましいでやんす〜!」
「このバカ探偵がっ!!」
小鷹さんが矢部君の頭をドカンと叩く。
その手は固く握られていて、いわゆるゲンコツだった。
そういえば俺は頭をグーで殴られる人物を矢部君以外に見たことがない。
幼稚園児が主役のアニメや、未来から来た猫型ロボットが活躍するアニメではよく登場人物が頭にたんこぶをつくっているが、現実に見る機会はほとんどないだろう。
だが、目の前の矢部君はまさしくそんな状態だった。
「やんすやんすうるさいのよ!
そんなわけないでしょっ!!」
矢部ホームズが頭をおさえてうずくまり、猫塚ワトソンが心配そうにそれを見つめている。
「大変にゃ!
すぐ冷やさないとダメですりん!!」
猫塚さんは冷却スプレーを手にする。
「た、助かるでやんす!
あとは自分でやるでやんすから、そのスプレーを貸して…」
『シューーーッッ!!!』
猫塚さんはスプレーを発射した。
ノズルの先端から冷たく細かい粒子が吹き出す。
矢部君はまだ帽子を取ってもいないのに、スプレー缶から噴出するそのすべてを、なぜか顔から受け止めていった。
「ぎゃーーっ!!
冷た…いやっ熱い!
冷たいはずなのに熱いでやんすーー!!!」
「冷却スプレーなのに熱いとは、これいかにっ!?
不思議でござる!!」
…駄目だ、この2人は…駄目だ。
探偵矢部の独演会は真実を明らかにするどころか、脇道にそれてガードレールに突っ込んでいってしまった。
その末路があれだ。
「う、うああ…痛い、冷たい、熱いぃ…
…ワトソン君、スプレーは患部に当てないと意味がないでやんすっ!!
それに小鷹さんもひどいでやんすよ!!
人間の頭にどれくらいの毛細血管が張り巡らされていると思っているでやんすか!?
今のでかなりの数が犠牲になったでやんす!!」
矢部君はスプレーの冷却効果でバリバリに凍ったメガネもそのままに、プンプンと怒っている。
「それは置いといて…」
「置いちゃダメでやんす!
まだ話は終わってないでやんすよ!」
「…あんなバカな結論はともかく、途中までは納得できるところはあったよね」
太刀川さんが矢部君の会話へのカットインをスルーしながら話を本題へと戻す。
「小山君自身、こんなことになるとは思わなかった…っていうのが本当のところなのかもね」
「家の都合じゃ私たちにはどうすることもできないし…」
「ミヤビン…」
小山君、みんな君のことを心配しているよ。
君は今、どこで何をしているの…?
☆
『ピンポーン!』
始業式の朝。
学校の準備に忙しい中、朝早くからインターホンの音が僕を呼びつける。
「はーい、今行きまーす!!
…もう、色々やることがあるのにな」
僕、小山 雅の朝は忙しい。
それは僕が野球部員で朝早くから練習があるから…
「…って、それだけじゃないんだけどね」
ともかく、僕は朝をゆっくり迎えることができない。
僕の迎える朝は、おそらく同い年の男子より、そして女の子よりも慌ただしいのだ。
ガチャッ
「どちら様ですか?」
僕はドアノブを回して扉を開けた。
でも、開けなければよかった。
目の前の人物の顔を見て、僕はすぐにそう思った。
「と、父さん…何で…?」
「雅…迎えに来たぞ」
「な…何を言っているの!?
だってあの時父さんは、僕が野球を続けるのを許してくれた…そうじゃないのっ!!?」
★
あれは大晦日の夜、久しぶりに親子で舞台に上がった後のこと。
「雅…野球を捨てろ」
「ッ!!
そんな…話と違います!
高校の3年間だけは、僕に自由をくれるって約束したじゃないですかっ!!」
「私の言うことが聞けないと…
雅、お前はそう言うのか?」
父の視線が雅に突き刺さる。
だが雅は、震える手を握りしめながら、言葉を絞り出した。
「…でも、でも…約束は約束です。
あそこは…野球部は、僕がやっと見つけた居場所なんです…!
どこを探しても見つからなかった…大切な場所なんです…!
それなのに、そんな大切なものを僕から奪うんですか…?
だったら僕は…私はっ!!
何のために自分を捨てて父さんの言う通りに生きてきたんですかっ!?
…行きていくんですか?」
雅の言葉に父は何も答えない。
父のその様子に雅も押し黙る。
そしてしばらくの沈黙を経て、父が吐き捨てるように言った。
「自分が何を選ぶべきか…何を捨てるべきか。
もう一度よく考えるんだな」
そう言うと父は去っていく。
自分の言葉が、気持ちが父に伝わっているのか。
それを考えると怖くて、雅は父の背中を目で追うことしかできなかったのだった。
★
「父さんがああ言ったから、僕は選んだんだよ!
僕は野球を続ける。
甲子園を目指す。
…夢を追う。」
「それがお前の選択か…
だが私はそれを否定する。
夢は…理想なんぞは、人を幸せにしない」
「父さんっ!!」
「おい…雅に身支度をさせろ」
「はい!
…坊ちゃん、出発の準備を」
だめだ、連れて行かれる。
引きずり戻される。
居場所なんてない、作られた自分を演じるだけのあの家に。
…こうして僕はこの町を去った。
☆
「監督、小山君の家の住所ってわかりますか?
一応行ってみようと思うんですけど…」
俺は監督にそう質問する。
返答にいちるの望みを賭けて。
「う〜ん、わかるけど、多分いないと思うよ?
お昼休みに行ってみたけど、やっぱり留守で…
アパートの大家さんに聞いたら朝一番で出て行ったって。
なんでも、人がたくさん来て、その人たちの車に乗ってどこかに行っちゃったって…
部屋の鍵も返されたみたい。
もう戻って来ないからって」
「そんな…」
落胆する野球部のメンバー。
その中で夏野さんが食い下がる。
「何か手がかりはないのっ!?
このままじゃミヤビン、本当にどこか行っちゃうよっ!!?」
そんな時、俺の携帯にメールが届いた。
「っ!!
小山君からだ!!」
「えっ!?」
「うそっ!?」
「み、見せて!!」
みんなが俺の携帯を覗き込む。
俺がメールを開くと、そこには文章らしきものは何も書かれていなかった。
ただ、どこかに繋がるURLだけが貼られていた。
「とにかく見てみよう」
俺は貼られたURLを開いた。
すると、どこかのサイトのトップページへと画面が移行した。
「ええっと…
『小山屋公式webサイト』って…
これ、大晦日に見たあの『小山屋』!?」
このサイトのアドレスを見ると『oyamaya.jp』とあった。
「『小山』君と『小山屋』…?
これって…!?」
『間違いないでやんすっ!!』
大声に驚き振り向くと、そこには矢部君が自信に満ちた表情で立っていた。
これは…探偵矢部ホームズのお出ましなのだろうか。
「おそらくこれは小山君からのSOSでやんす…!」
「うん、そうだね…」
俺は矢部君に相づちを打つ。
きっと俺たちは同じ真実に行き当たったんだ。
「小山君は、この伝統芸能の興行を見に行こうと学校をサボったのでやんす!
そして知人に車で乗せて行ってもらおうとしたところをさらわれてしまったのでやんす!
大変でやんす!
誘拐でやんす!
このままじゃ男の娘な小山君がマニアックな変態にイロイロされてしまうでやんす!
助けに行かなきゃでやんす〜!!」
「やんすやんすうるさいのよ!
そんなわけないでしょっ!!」
「ギャアァァァでやんすーー!!!」
小鷹さんの肘が矢部君の顔にめり込む。
すると猫塚さんが冷却スプレーを手に矢部君のもとに走って行く。
…矢部君、何でそんな結論に至ったんだ?
「や、やめるでやんす!」
「まあまあ、天丼でござるよ、天丼!!」
「や、やめ…ギャアァァァッ!!!」
そんな悲鳴をBGMに矢部君と猫塚さん以外のみんなで話し合いは続けられる。
…良い子はまねしないでね。
「つまりミヤビンは、この『小山屋』の一員ってわけね」
夏野さんがサイトが表示された画面を見据えて言った。
「うん…
そして、この人が小山君のお父さん、この事態を引き起こした人だ」
…小山 双厳(そうげん)。
小山屋の当主であり、小山君の父親…
問題を解決するにはこの人と話さなければ。
「俺、行ってみるよ」
「えっ…それって…?」
俺は頷いて言う。
「もちろん、小山君が待っているところへ」
☆
そして現在。
俺は小山屋のお屋敷の前にいる…というわけだ。
目的地が定まってからはここにたどり着くのにさほど時間はかからなかった。
サイトの情報で近々予定されている興行が、小山屋が拠点を構えるこの街で行われると知った。
そして劇場の周りをうろついてみると、老齢の女性に声をかけられた。
髪は白く、顔には年相応にしわができていたものの、着物をびしっと着こなし、かわいらしい笑顔を浮かべる彼女を見て、若い頃はさぞかし美人だったに違いない、そんな印象を受けた。
「あら、若いのに古典芸能に興味があるの?
感心ねぇ」
昔からこの劇場に通っているという彼女に、一か八か小山屋の住まいはどこか尋ねてみた。
彼女は知っているそぶりを見せたものの、そう簡単には教えてくれない。
俺は説得を試みた。
最初こそ俺の言動をいぶかしんでいた彼女だが、小山君の名前や外見などを口に出し俺が彼の友人であること、その友人の家を尋ねたいことなどを伝えると次第に信用を得ることができ、ようやく教えてもらうことができたのだった。
「今回は特別よ?
いつもはこんなこと教えないんだから」
そう言うと彼女は手を小さく振り、この場所を後にした。
そうして運良くここまでたどり着けたわけだが…
インターホンもなければ呼び鈴もない。
意を決して門を叩いてみる。
ドンドンッ!
…
……
………反応がない。
…声を出して呼びかけてみるか?
しかしこの大きな門の向こうには広大な空間が広がっている。
そこまで聞こえるような声を出したら、付き人たちが驚いて飛んでくるのではないだろうか。
それだと話も聞いてもらえずつまみ出されるかもしれない。
どうしたものか…
う〜ん…
考えを巡らせながらお屋敷の周りをぐるりと一周。
「……」
しかし収穫は特になし。
そして、門の方に戻ると、そこには見知った顔が。
「あれ、さっきの…?」
そこに立っていたのは、先ほど劇場で会った老齢の女性だった。
「坊や…雅ちゃんに会いに来たんでしょう?
…付いておいで」
彼女は門を何回か叩き、「今帰ったわ」と告げる。
すると高くそびえる門がゆっくりと開いていく。
「さあ、行きましょうか」
彼女は俺に、笑顔でそう語りかけた。