実況パワフルプロ野球 聖ジャスミン学園if   作:大津

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第17話 練習試合 VSあかつき大付属高校 ④

 6回表、あかつきの攻撃は無得点で終了。

 3アウト目を三振で取られたバッターの麻生は、悔しさを滲ませながらベンチに帰って来た。

 

「……麻生、瀬尾のピッチングはどうだった? お前の言っていたような、並の投手ではなかっただろう?」

 

 この問いに麻生は「やれやれ……」と首を振ってから答えた。

 

「……正直、予想以上だった。最後の……ボクが空振りした遅いボールは失投だとは思うが……。それ以外の……得点圏にランナーを背負ってからの投球は見事だった。キミたちが言っていた彼のすごさというのは、ピンチの場面での勝負強さのことなんだね」

 

「少し違うな……」

 

 そう麻生の言葉を遮り、続ける。

 

「あいつが、まるで人が変わったかのようにレベルの高いピッチングをするのは『ピンチの場面』じゃない」

「……? 瀬尾があかつきの強力な代打攻勢を退けたあの時、確かに2塁に……得点圏にランナーがいたじゃないか!?」

 

 確かに、一見そう見える。あいつが平凡な投手から、支配的なピッチングが出来るほどの投手へと変貌する場面では、いつだって塁上にランナーがいるからだ。だが、厳密には違う。

 

「あいつが本領を発揮するのは、『味方のため』に投げようとした時だ」

 

「どういうことだ?」と言いたげな顔の麻生。説明が余りにも抽象的すぎたか……。

 

「例えば、チームメイトのエラーでランナーが出塁した時。例えば、自チームの投手がランナーを出して降板し、リリーフ登板した時。あいつは別人のようなピッチングを見せるんだ。仲間が失策を犯したことを、ランナーを残してマウンドを降りたことを気に病むことがないように。

 チームメイトが普段から積み重ねている努力が否定されないように。……その思いが、持っている実力以上のパフォーマンスを引き出すんだ。さながら『ゾーン』に入ったかのように……な」

 

 瀬尾だけが持つ特別な才能。仲間のために、そしてチームのために投げるという投手としての理想を体現した姿は初めて会った時から、今も変わらない。

 

 

「……そうか。確かに先ほどのイニング、三塁手の失策で先頭打者の出塁を許していた。それが瀬尾が『ゾーン』に入るきっかけになったわけか……」

 

 麻生は顎に手をやり、そうつぶやいた。だが少しして、頭に浮かんだのであろう疑問を口にする。

 

「そうだとすると 1つ納得出来ないことがある」

「……何だ?」

「瀬尾の実力はわかった。だが、それほど実力のある選手を、あかつきはなぜ手放したんだ? 普通にいけば、エスカレーター式に高校に進むはずだろう?」

 

 ……そう、普通ならばそうなる。ボクもそうなることを望んでいた。

 だが、そうはならなかった。

 ……その理由は軽々しく言っていいものではないはずだ。

 

 麻生の質問に答えあぐねていると、滑川がボクたちの方に歩いてきた。

 

「なぁ猪狩、教えてやったらどーだ? ……いい加減、お前も現実を受け止めるべきだ。お前の口から事実を伝えることが、その第一歩になるんじゃねぇか?」

 

 ……確かに、そうかもしれない。認めたくないことでも、時が経てばそれはただの事実となる。それだけの時間は流れたはずだ。自分の認めたライバルが、傷つき、苦しみ、大好きなものを諦めて。……そしてまた戻って来るくらいには。

 

「……わかった。言うべき時が来た、ということだろう……!」

 

 俯いていた顔を上げ、麻生の方に向き直る。

 

「瀬尾があかつきを離れ、ボクたちの敵として戦っている、今この時が訪れた理由。それは……」

 

 ☆

 

「えっ……!」

 

 自分でも驚くほどの動揺。何があっても平静を保とうとしていた。

 しかし、そんな決意は瀬尾の言葉により崩れ去った。

 

 

「血行障害……!?」

 

 その言葉を反すうしながら、瀬尾の右手の指先に目をやる。

 

 指の血行障害はプロ野球選手、特に投手に多い障害。指先の血行に障害が生じ、自由に使うことが出来なくなる、というもの。痺れや冷えなどが症状として挙げられる。症状の重さは人によって差があるものの、ひどいものになると投手としてプレイすることは難しくなる。プロ野球の名だたる投手の中にも、血行障害によって引退に追い込まれた者は少なくない。

 

 

「そう。それが、俺があかつきを追われた理由だよ」

 

 瀬尾は重い口を開き、話し始めた。

 

「……最初はこんなにひどくなかったんだ。1試合投げきっても、大きな問題はなかった。試合後に、指先に少しの……ほんの少しの痺れがあっただけだったんだ。でも痺れがくるのが段々早くなって、痺れもひどくなった。……時には30球で、まともに投げられなくなることもあった」

 

 私は黙って話を聞いた。聞いているうちに、表情が険しくなっていたのだろうか。

「……まあ、そんなわけなんだ」と瀬尾は私に微笑みかける。

 

 そうだったんだ。全然気づかなかった……。

 ……これが、瀬尾が投手をやりたがらなかった理由。そして、野球から遠ざかった理由。

 ……でも。

 

「何で私にだけ教えてくれたの? 他のみんなは、このこと知らないんでしょ?」

「……小鷹さんなら、このことを知っても冷静に対処してくれると思ったんだ。それに……」

「それに……何?」

 

 この問いに彼は笑顔で答える。おそらくは彼本来のものであろう、闘志を宿した瞳を輝かせて。

 

「俺はまだマウンドを降りるわけにはいかないんだ。もうだめだ、投げられないって、そんな言い訳をしていい立場じゃない。……なんだかんだ言っても俺は、このチームのキャプテンだからね!」

 

 ……。しばらく間が空く。返事のない私に対し、瀬尾は「どうかしたの?」という声をかけた。それで、私は我に返る。止まっていた思考が動き出し、景色や音が頭の中に流れ始める。

 

 まだ試合中なのに、ぼーっとするなんて私らしくもない。……瀬尾のせいだ。瀬尾がらしくないことを言うからびっくりしたのかしら? 頭はぼーっとしてるし、頬は何だか熱いし、胸の鼓動も普段より激しくなった気がする。こんなの私らしくないわ……本当に。

 

 照れ隠しに「コホンッ!」と咳払いをする。そして平静を装って会話を続ける。

 

「で、でも実際ピッチングに影響が出てるんでしょ? そんな状態で、これ以上あかつき打線を抑えられるの?」

「……絶対に大丈夫とは言い切れないけど、まだ試してみたいことがあるんだ。……けど、それには小鷹さんの力が必要なんだ。力を貸してくれるかな?」

 

 ……何言ってるのよ。私の力なんか、頼まれなくたって貸してあげるわよ! 

 

「どうしたらいいの? 言ってみなさいよ!!」

 

「……うん! あのね……」

 

 ☆

 

 イニングは移り6回裏。

 あかつきは代打で出た3人に代わり、7番にファーストの小林、8番にサード田中、9番ライトには森が入った。

 

 聖ジャスミンの攻撃。

 

『3番 ピッチャー 瀬尾君』

 

 俺はバッターボックスの土を足で慣らし、打席に入る。ここまでの猪狩の俺に対する配球は、ストレートを中心に時折スライダーを織り混ぜている。どうやって攻めてくる? 今まで通りか、それとも俺に対して投げていないカーブを使ってくるか……。とにかく、センター返しを意識してシャープなスイングをするしかない。

 

 1球目。

 外角、ストレートが外れて1ボール。

 

 際どいコースを見送れた。

 ……やっぱりまっすぐには、目が慣れてきている。あとは変化球への対応なんだけど……。ストレートを待ちながら変化球にも対応しようとすると、実際よりも変化球がすごいボールに感じて、打ちあぐねてしまう。

 だけどその逆、変化球を待ってストレートにも対応、なんていうのは理想論でしかない。出来ないものは出来ないんだから、狙い球を絞る。

 今一番打てる可能性が高いのはストレートだ。変化球は無視。まっすぐ一本に絞る。

 

 

 そして2球目。

 低めへのスライダー。決まってストライク。

 

 この球じゃない。今は我慢だ。

 

 3球目。

 猪狩が投じた、ブレーキの効いたボールは大きく弧を描き、向かってくる。内角に曲がってくるカーブだ。これがストライクになる。

 

 112km/hの遅いボール。まっすぐとは30km/h以上の球速差がある。

 なら、この次は速い球がくるか? 

 

 4球目。

 ここで猪狩が投じたのはまたしてもカーブ。

 

「くっ……」

 

 なんとかバットを出し、ファウルにする。

 だがここで、カーブを続けてきた。

 正直予想外。緩急を活かしてのまっすぐ、もしくはスライダーを予想していたんだけど……。遅い球をもっと意識させようとするだけなら、カウントも余裕があるしボール球でもよかったはずだ。なのにストライクになるカーブを投げたということは、もうまっすぐは投げないということか? 

 

 ……どうする? 狙い球を変えるか、それとも……。

 

 いや、虚をついたカーブで打ち取れなかったなら、ここは素直にまっすぐだろう。狙いは変えない。まっすぐ狙いだ。

 

 カウントは1ボール2ストライクと変わらず迎えた5球目。

 力感のあるワインドアップから、猪狩が投じたのは……。

 

「カーブ!?」

 

 だめだ、完全にタイミングを崩された! 引きつけて打つのは無理! 

 

 なら……! 

 

 左足をバッターボックスの外寄りに踏み出し、バットに角度をつける。

 そして、打つポイントを前にして、腰の回転で……引っ張る!! 

 

『カキィン!』

 

 手応えあり。ライナー性の打球はサードの頭上を越える。レフト前ヒット。

 

「っよし!」

 

 猪狩がピッチングのギアを上げてからは、初めてのヒット。なんとか強い打球を打てた。

 

 続いて4番の大空さんが打席に入る。ここでチャンスを広げておきたい。

 

 初球は内角へのストレート。そのボールに手を出しかけて、スイングを止めた。

 

『ボール、ボール!』

 

 今のはよく見た。

 

 2球目はスライダー。

 連続三振を奪われたこのボールにも、徐々に適応を見せる。手元で鋭い変化をするこのボールに対し、大空さんは高速のスイングスピードで迎え撃つ。ぎりぎりまで引きつけてのスイングで、本気になった猪狩のスライダーに初めてバットを当てた。

 

『キン!』

 

 打球は一塁線へのファール。しかしこれは大きな進歩だ。凄まじいスイングを誇る大空さんに、対応され始めたスライダーを投げ続けるのは怖いだろう。それに、大空さんは配球を考えて打撃をしているわけではない。打てるボールを打っているだけなのだから。

 

 この後、ボール球を2球続けた。

 そして、5球目。

 

 あかつきバッテリーの選択はカーブ。スピードを殺した、大きな弧を描く変化球を捉えられず、大空さんは大きな空振りの後尻もちをついてしまう。

 

 まずい……。進君はバッターの苦手なボールがわかるとそれを執拗に突いていく。このままだと……! 

 

 弱点を露呈した聖ジャスミンの4番は、カーブの前に空振り三振に倒れる。

 

 1アウト、ランナー1塁。

 ここで、変化球への見事な対応が光る美藤さんに回る。

 

 美藤さんの場合、ストレートに押し負けないことが重要になる。猪狩の直球を打ち返せるか……? 

 

 そんな心配をよそに美藤さんは、初球の外角ストレートをあっさりと流し打つ。

 レフト前ヒット。

 

 お見事! ストレートに狙いを絞ったのであろう、迷いのないスイングで直球をまともに弾き返した。

 

 1アウト、1・2塁。ここでバッターは……。

 

『6番 キャッチャー 小鷹さん』

 

『読み打ち』の上手い小鷹さんだけど、猪狩のボールにどこまで食らいつけるか……。

 でもここはどうしても点が欲しい。頼んだよ、小鷹さん……! 

 

 ☆

 

 さあ、この場面。

 あの猪狩から打つためには、球種を読むしかないわけだけど……。

 厳しいわね……! 特にクセがあるわけじゃないから、フォームから球種を予測するのは無理そうだし……。

 まあ、投げてくるとしたらストレート……かしらね。うちのクリーンアップは簡単に打ち返しているけど、あんな速くてノビもある球を打つのは簡単じゃない。……時折見せる変化球を打つしかないわね。

 

 バットを短く持って打席に入る。とにかく難しい球はカットして、打てる球を待つしかない。

 

 初球、外角へのストレート。これにバットを合わせる。

 

『カン!』

 

 当てただけの力のない打球は、コロコロと勢いもなく一塁線を転がる。

 

『ファウル!』

 

 うわぁ……これは厳しいわ……。

 でも一応バットに当てることは出来た。これで相手に、ひょっとしたらと思わせられれば儲け物ね。

 

 2球目もストレートを続けてくる。

 今度はインコース。

 これもバットに当たったものの、打ち返すには至らずファウルチップ。

 ボールはキャッチャーのミットに収まった。

 これで2ストライクと追い込まれた。

 

 ……徐々にタイミングが合ってきてる。

 私はキャッチャーの方をちらっと見る。打者が少しずつ対応してくるのは、嫌なものでしょ? この状況で、あんたは何を要求する? 

 

 3球目。

 内角、ストライクからボールになるスライダー。見送って1-2。

 

 やっぱり様子を見てきたわね。

 ボール球はまだ投げられるし、振ってくれればなお良しって感じかしらね。

 

 このまま探り合いに持ち込めば……。

 

 そして4球目はストレートをファウル。

 5球目はスライダーを見極めて、カウント2-2。

 

 ……私みたいな非力なバッター相手には遅いボールは投げたくないでしょうね。もしそれで打たれたら悔いが残るから。でもこれだけ粘れば、あんたたちバッテリーの選択肢も限られてくるはず。

 

 6球目。

 猪狩 守はサインに首を振る。この試合を通して見ても珍しい光景。再度サインの交換が行われる。そして、ピッチャーは渋々といった態度で頷いた。

 

 猪狩 進はミットを構えると『低めに投げろ』とジェスチャーで伝える。

 ……そんなことしなくてもピッチャーの制球は安定してる。なのにプライド高そうな兄貴にそこまでしてコントロールを意識させようとするなんて、弟君、今までと違うボールを投げさせる気ね? 

 

 ピッチャーが投球モーションに入る。

 

 ……本当のことを言えば、まっすぐやスライダーなら多少コントロールを間違えても打てる保証はない。

 だけどカーブは違う。甘いコースにくれば球速が遅いぶん対応出来る可能性は高まる。あんたたちバッテリーはそれがわかってるってことでしょ? 

 

 ボールはストライクゾーンに曲がってくる。カーブだ。

 

 ……来た! コンパクトにバットを振り抜く。

 

『キィィン!』

 

 いい当たり! 打球は三遊間、遊撃手寄りのところにライナーで飛んでいく。よし、ヒットだ! 

 

 そう思い1塁に向かう。

 しかしショートの滑川が長い腕を伸ばし、高い跳躍を見せる。そして、ボールは滑川のグラブに収まった。

 

『アウト〜!』

 

 超ファインプレイ。ランナーはそれぞれ帰塁する。

 

 ……えぇぇぇ〜っ!?

 何よあれ!! あの打球ならヒットでいいじゃないの!! 

 

 こうして私はショートライナーに打ち取られ、次の打者だったヒロは三振。チャンスの場面は無得点に終わった。

 

 ☆

 6回裏の攻撃が終わり、7回表。

 あかつきは1番からの好打順。バッターはリードオフマンの中川。

 

 ……まずは、血行障害の影響がどれほどなのか確かめないと。

 初球のサインは外角ストレート、ボール球……か。

 

 ロジンバックを手に取り、ポンポンと手の上でバウンドさせる。そしてロジンを置き、投球動作に移る。

 

「くっ……!」

 

 リリースの瞬間、違和感を感じた。やはり指先に力が入らない。

 

 スピンのかかりきらないボールは、真ん中高めの明らかなボール球になる。小鷹さんはそれを立ち上がって捕球した。球速は121km/h。しかし数字ほどの球速が出ているようには感じない。

 

「大丈夫よ! 落ち着いていきましょう!」

 

 そう声をかけてくれる小鷹さん。彼女からの返球を受け取る。

 

 ……ストレートは使えない。なら変化球はどうだ? 

 

 2球目はスライダー。

 これも投げる時にしっくりこない。

 

『カーン!』

 

 外角低めにいったものの、変化が小さく簡単に打ち返される。レフト前へのヒット。

 

 だめだ……まともにカウントを稼ぐことも出来ない。

 いくつかある秘密兵器はまだ未完成だ。何球も見せられない。それにクリーンアップとの対戦に取っておきたい。

 

 次の打者は2番の松井。松井との対戦でも、やはり制球は定まらない。

 2ボール1ストライクとボール先行で迎えた4球目。

 小鷹さんから今までとは違うサインが出る。

 

 ……大丈夫? 小鷹さんが要求しているそのボール、俺としては投げるの不安なんだけど……。

 

 しかし頑としてサインを変えない小鷹さん。

 ……ええい! どうにでもなれ!! 

 

 5球目に投じたそのボールは、グラウンドに思い切り叩きつけられる。

 

「うわっ!!」

 

 大きくバウンドしたボールは、さすがの小鷹さんでも止められずワイルドピッチとなり、ランナーは2塁へ。

 

 大暴投。

 だがそれとは裏腹に投げた感触は悪くなかった。これなら他の球種に比べて指先の痺れの影響は小さい。

 

 3ボール1ストライクからの5球目も、同じボールを続ける。

 

『ボール! フォアボール!』

 

 今度も外れた。だが小鷹さんの捕れる範囲には投げられた。修正出来てきている。この打席を犠牲にしてでも、実際に投げてコントロールを修正出来たのは大きい。

 なぜならこの後は、

 

『3番 ショート 滑川君』

 

 同世代屈指の好打者を相手に投げなくてはいけないのだから。

 

 ☆

 

 何回か素振りをして打席に入る。力のないボール、乱れるコントロール。……瀬尾、苦しんでるみたいだな。

 

 血行障害になってから、お前は変わった。試合でボコボコに打たれては死にそうな顔して落ち込んで、チームメイトに陰口をたたかれては本気で傷ついてよぉ……。ついには野球をやめちまった。

 

 そんなお前が、女だらけの野球部で野球をもう一度始めたって聞いた時は驚いたぜ? そんで……腹が立った。それなら……野球をやるなら、頼み込んででもあかつきでやれよってな。

 

 でも、お前の顔を見てわかったよ。あかつきとの決別は、お前がお前自身を取り戻すために必要なことだった。いつだって誰かのために野球をやってるお前には、最高の環境だったんだろうな。

 

 だったら見せてみろよ。野球への熱意も、野球をやる理由も取り戻したんなら。

 お前のピッチングを! プレイヤーとしての輝きを! 俺にも見せてみろ! 

 

 1球目。

 セットポジションからの投球。

 投じられたのは、瀬尾の投げる最高の球とは比べるまでもない、死んだボール。

 

「これじゃ……ねぇよ!」

 

 全力のスイング。金属バットがボールを捉えた。打球はライト方向へ。

 

『ファウル、ファウル!』

 

 引っ張ろうとしたのに、差し込まれた……? ボールを見すぎたか? 

 

 ……いけねぇ、いけねぇ。

 バッティングの基本はセンター返し……だよな。今度はシンプルに打ち返す。

 

 2球目。同じ球を続けてくる。

 ……だから、その球じゃ抑えられねぇよ! 

 

 余計な力の入っていない理想的なスイング。

 今度こそ、捉えた……! 

 

『ブン!』

 

 しかし、バットは空を切る。

 

 なっ……! 空振り……!? 

 

 キャッチャーがボールを捕球した、ミットの位置を確認する。……ショートバウンドを逸らすまいと、ミットを地面に直角に立てている。ということは、手元で落ちたってのか? しかし、打ちにいく寸前まで変化しなかった。ボールが落下するポイントが、今まで投げていたフォークとは違った……ということは、新球……か? 

 

 その球をここまで温存してたのか……。それとも何かの拍子に投げられるようになったか? どちらにしても、この場面で今まで投げていないボールを 投げてくるとはな。

 ……やるじゃねぇか、瀬尾。

 

 だがそれだけの話だ。他の球種が使えないことはわかってんだ。今のボールを投げ続けるしかないんだろ? 

 

 バットを構え直す。

 そして、3球目。

 

 ……さっきと同じ球か。芸がねぇなぁ!! 

 

『キャン!』

 

 擦ったような打球音。ボールはバックネットに飛んだ。

 

 ……タイミングは合った。後はバットを出す位置の微調整。

 瀬尾……次で終わりだ。

 

 ☆

 

 ……追い込まれた。カウントの上ではツーナッシングとこちらが圧倒的に優位に立っている。

 だけど、もう確実に滑川を打ち取る手段がない。使えるボールを探すためのキャッチボールで手応えを感じた『浅く挟むフォーク』もすぐに対応された。他の球種で打ち取ろうにもコントロールがきかない。それにストライクになる球を投げられたとしてもファウルで逃げられたら、次もストライクを投げられる保証はない。どうする……? 

 

「タイム!」

 

 小鷹さんがタイムをとって、マウンドに向かってくる。

 

「瀬尾、腹くくりなさい……! 

「あれ」を使うわよ!!」

「えっ!? ちょっと待って! あのボールは実戦で使えるようなレベルじゃないよ! 思いつきで試してみただけなんだから……」

「でもボール自体は悪くない……でしょ? それに試合で投げる緊張感がいい方向に作用するかもしれないじゃない!」

「だけど……」

「あ〜もう! じれったいわね! 男なら腹くくりなさい!」

 

 小鷹さんはそう言ってミットで俺の胸をポンと叩くと、

 

「大丈夫よ。あんた、自分で思うより肝が据わってるんだから」

 

 と先ほどとは打って変わった優しい笑みを浮かべると、自分の守備位置に戻って行った。

 

「やるしかない、か……」

 

 左手にはめたグラブに、ボールを「ぱしっ、ぱしっ」と何回か投げつける。そして大きく深呼吸。

 

 よし……いくぞ。

 

 セットポジションから小鷹さんが構えるミットへ。

 ……渾身のボールを投げ込んだ。

 

 ☆

 

 見るからに力が入っている。

 

 それが瀬尾の様子を見ていての印象だった。先ほどまでと同じセットからの投球なのだが、表情は強張り、肩には力が入っている。緊張からか、身体も硬くなっているようだ。

 

 あれだけ力が入っているということは、次に投げるボールは変化球ではないだろう。おそらくは、苦し紛れのストレート……か。万策尽きたって感じだなぁ、おい。まあ、そんなことはどうでもいい。俺の仕事はランナーをホームに還す、それだけだ。さあ……来い! 

 

 瀬尾は足を上げ投球を開始する。鋭い腕の振り。やはり、ストレートッ!! 

 

 ……しかしストレートだと判断したその球は、なかなか手元までやって来ない。俺のバットは、ミート狙いのスイングだったのにもかかわらず完全にタイミングを外され、空を切った。

 

『ストライク! バッターアウト!!』

 

 この俺が、満身創痍の投手のボールで三振……だと!? 今の……あの状態の瀬尾にそんなボールが投げられるはずねぇだろ!? 

 一体何が起こったんだ……!? 

 

 ☆

 

 ……滑川が三振を喫した、あのボール。

 ネクストバッターズサークルから見た限りでは、おそらくチェンジアップだろう。しかもストレートを投げる時と同じ腕の振りから投じられる一級品のボールだ。

 

 悔しさを露わにしてベンチに向かう滑川を呼び止め言葉を交わす。

 

「……何だよ、猪狩。チャンスをものに出来なかった3番バッターに嫌味ですか〜、あぁ?」

「そんなに苛つくな……。ボクは、お前が三振を奪われたあのボールについて聞きたいだけだ。ボクの打席では間違いなく投げてくるだろうからね」

「……正直なところよくわかんねぇ。全く予想していないボールだったからな。ストレートと同じフォームで投げる緩い球……チェンジアップを投げてくるなんてな」

 

 そう言うと滑川はベンチへと戻って行った。

 

 ……確かにな。

 チェンジアップは、瀬尾が中学時代に習得しようとして上手くいかなかった球種だ。高校に上がってから覚えたのか? 

 

 ……いや、違うな。

 聞いた話だと瀬尾は高校生になってから、投手の練習を積極的に行っていない。投げ込んで覚えた、ということはないだろう。だとすると、この試合が始まってから何かがきっかけとなってチェンジアップを投げられるようになったと考えるべきだ。

 

 ……だが、所詮は付け焼き刃のボールだ。それでどこまでやれるかな? 

 

『4番 ピッチャー 猪狩守君』

 

 さて……ボクの出番だ。

 

 数回素振りをしてから打席に入る。スパイクでバッターボックスの土を慣らし、踏み締める。そしてバットを構える。

 

 この状況……。こちらにしてみれば得点する又とないチャンス。そちらにすれば絶体絶命の大ピンチ。ここでエースと4番の対戦。お互いの真価が問われる場面だ。

 

 瀬尾が投げてくるであろう球種は2つ。まっすぐに近い軌道から、バッターの手元で少し落ちるボール。そして先ほどのチェンジアップ。

 その他の球種は候補から外しても構わないだろう。いいコースに決まるとは思えないし、運よくコースに決まったとしても続けて投げられなければ意味はない。わざわざそんなリスクを背負うとは思えないしな。

 

 バットを構えて、迎えた1球目。

 

 瀬尾が投じたボールは手元で小さく落ちる。空振りこそしなかったものの、バットの芯を外した打球は三塁線へ力なく転がる。切れてファウル。

 

 落差もスピードも特別優れたボールではない。ただ変化させる位置が絶妙だ。バッターが球種を判別するポイントを越えた時点で変化を始めるため対応が遅れる。今は狙って空振りを奪えるボールではないだろう。

 だが変化球としての精度が向上すれば……。強力な武器になるに違いない。

 

 瀬尾は投球動作に入った。

 2球目。

 初球と同じ、落ちるボールを続けてくる。真ん中低め、ストライクからボールになる球。これを見極めバットを止める。

 これで1ボール1ストライク。

 

 次は何でくる? 

 3球連続で同じボールを投げるとは考えにくい。

 となれば……チェンジアップか。

 

 狙いを絞って打席に立つ。

 

 そして3球目。

 狙い通りにチェンジアップが投じられる。

 

 狙い澄ましたフルスイング。

 しかしタイミングが合わない。

 

 ……振るのが早すぎたか。思った以上にボールが来ない。緩急という点では一級品のボール。

 だが変化が小さく、配球を読まれれば空振りするボールではない。

 そのボールの軌道はこの目に焼き付けたぞ。

 

 瀬尾はロジンバックを手に取り、付きすぎた粉を、「ふっ」と息で払う。

 そして集中力を高めた表情で、こちらを見据えてきた。

 

 4球目。

 投げてきたのはスピードを殺したボール。もう一度チェンジアップを続けてきた。

 

 ……先ほど見たボールの軌道は、はっきりと覚えているぞ! 

 

 鋭い腕の振りに騙されるな。緩急の揺さぶりに惑わされることなく踏みとどまれ……! 

 

 軸足に体重を残しボールを引き付ける。

 ……タイミングは合っている。このまま弾きかえす……!! 

 

 バットを振ったその時、瀬尾が投じた遅球は『すっ……』と大きく沈んだ。

 

『っ!!』

 

 先ほどまでとは比べ物にならない、想定を上回る落差。小さい変化を想定していたスイングは、その落差を捉えることが出来ず空を切った。

 

『ストライク! バッターアウトォ!!』

 

 空振り三振。

 ……瀬尾。お前はあのチェンジアップを……。ブレーキ性はそのままに、フォークボールと比べても遜色ない落差を備えたウイニングショットに昇華させたというのかっ!? 

 

 ………………フフッ。

 

 不思議と笑みがこぼれる。

 何という成長速度。身につけた技術をより良いものにつくり変える創造性。そうだ、それでこそ瀬尾 光輝だ。それでこそボクのライバルに相応しい! 

 

 悔しさと喜びの入り混じった複雑な感情を抱えつつ、打席を後にした。

 

 ☆

 

「オーライ!」

 

 小山君が手を上げて飛球の落下点に入る。

 

『アウト! スリーアウト、チェンジ!』

 

 進君からこの回3個目のアウトを奪い、3アウト。

 チェンジアップでショートフライに打ち取った。

 

 ピンチになってからクリーンアップを3連続アウト。

 スタンドに座る記者と思われる人たちや、僅かながらの観客からは、「おぉー……!」という歓声が聞こえ、ぱらぱらと拍手が起こった。

 

 ……いい感触だ。このチェンジアップは使えるぞ……! 

 

 このチェンジアップはボールを鷲掴みにして投げるから血行障害の影響が気にならない。逆に『すっぽ抜ける』ことがいい方向に作用している。思い切り腕を振って投げても、自然とボールは抜けてくれるのだから。

 

「何よ! 何だかんだ言っても、あのチェンジアップ効果テキメンじゃないの!」

 

 小鷹さんが駆け寄ってくる。

 

「うん! 思った以上にストライクゾーンに投げられるし、負担も少ない感じだよ!」

「そうね……。小手先の技術がなくても、理にかなった投球メカニックをものにしていれば、自然とストライクへ投げられるはずだもの。あんたの場合、投球フォーム的には何も問題ない……理想的なフォームと言っても過言ではないんだから」

 

 いつもボールを受けてくれているキャッチャーにそう言ってもらえると素直に嬉しい。

 

 クリーンアップとの対戦は乗り切った。

 このチェンジアップがあれば残りのイニングも切り抜けられるはずだ。

 あとは点を取らなくちゃいけない。

 好投を続ける猪狩から……! 

 

 

 7回裏、聖ジャスミンの攻撃。

 先頭バッターの太刀川さんは疲労もあり、変化球を打ち返すことができず三振で1アウト。

 

 続く8番バッターは川星さん。

 

「ラッキーセブンッスよ〜! この回で決めるッス!!」

 

 意気揚々と打席に立った川星さんだったが、変化球を多投されサードゴロに打ち取られた。2アウト。

 

 次のバッターは……。

 

『9番 センター 矢部君』

 

 矢部君は打席に向かう。

 

 猪狩の初球はストレート。

 矢部君が手こずっていたボールだ。

 それに対し矢部は、セーフティバントを選択した。

 

 3塁線、絶妙のところに転がる。あらかじめ浅めに守っていたあかつきのサードが、素早くボールを捕球し1塁に送球する。

 

 ……だが、矢部君の足が上回る。

 

『セーフ!!』

 

 快足を飛ばし1塁ベースを駆け抜けた矢部君は、味方ベンチに向かってガッツポーズ。俺たちも笑顔でそれに応える。

 

 打順は1番に回り、小山君がネクストバッターズサークルから打席に歩き出す。

 

 そして、小山君への1球目。

 

「走った!」

 

 矢部君が最高のスタートを見せる。進君の強肩も、これでは意味がない。

 

『セーフ!』

 

 ベンチがワッと湧く。これだよ、これ! これこそジャスミンの韋駄天、矢部 明雄だ!! 

 

 盗塁成功で1アウトランナー2塁。

 そして、1ストライクからの2球目。

 猪狩が投球に移った瞬間、再び矢部君は動いた。

 

「また走ったぞ!」

「くっ……!」

 

 バックの声で矢部君のスタートに気づいた猪狩は、投球を瞬時にボールゾーンへと外した。

 

「んっ!」

 

 突然のピッチアウトではバットが届かないところまでは外せない。

 そんな外角のボール球に腕を伸ばしてバットを当てる小山君。

 打球はベースに入っていたサードの横を力なく転がる。

 これをショートの滑川がフォローに入るが投げられず内野安打となった。

 3塁上で矢部君も手を叩く。

 

 これで2アウトながらランナー1、3塁の場面。

 迎えるバッターは2番の夏野さん。

 

 ここにきて猪狩のピッチングが突如乱れ始めた。この試合初と言ってもいい、ボール先行の投球。

 そしてカウント3-1となって迎えた5球目。

 

「っ!!」

 

 明らかな失投が、右打席の夏野さんに向かっていく。

 彼女は腰の辺りに来た危険なボールを「うわわっ!!」と体をくの字に曲げてかわす。

 

『フォアボール!』

 

 1塁に向かう夏野さんは、ネクストで準備をしていた俺に拳を掲げる。

 

 うん、わかってる。……このチャンス、無駄には出来ないよね! 

 

 

『3番 ピッチャー 瀬尾君』

 

 このコールを受けて打席に立つ。

 ……この回の猪狩は今までとは明らかなに違う。太刀川さん、川星さんに対する猪狩らしくない徹底した変化球攻め。矢部君には、今までの打席でバントすらさせなかったストレートを、あっさりと3塁線に転がされた。

 

 そうだ……。いくら猪狩が超高校級の選手だとしても、1年生なんだ。

 体力にも限界がある。それに、あいつは3年のいたチームではほとんどリリーフでの登板しかしていない。練習試合とはいえ、実戦で先発登板する疲労は今までとは比べ物にならないだろう。

 

 だからこそ今がチャンスだ。ここを抑えられて立ち直られると、正直勝ち目がなくなる。

 

 深く息を吸って気持ちを落ち着かせる。

 

 1球目。

 低めのスライダー。

 見逃してボールとなる。

 

 ……表情には出していないけど、やっぱりボールのキレは落ちてる。

 これなら見極めは難しくない。

 

 2球目は外角へのストレート。

 これはいいところに決まり手が出ない。

 

 1ボール1ストライク。

 

 そして3球目。

 

「えっ!?」

 

 内角へ投じられたボールは、力のない失投となった。ストライクになるその球をフルスイングで捉える。

 

『カキィーン!!』

 

 引っ張った打球はいい当たりだったものの、早々にファウルスタンドに飛び込む。

 

『ファウル!』

 

 〜〜〜っ!! 

 くそ、力み過ぎた……! 

 

 これで2ストライクと追い込まれた。

 

 4球目はカーブが外れてボール。

 ストライクからボールになる球で空振りを誘ってきたが、これには手を出さない。

 

 カウント2-2となってからの5球目。

 猪狩は進君からのサインに首を横に振る。それから、何度も何度も繰り返されたサイン交換の末にようやく猪狩は頷く。

 

 ……そして、大きく振りかぶった。

 

「ワインドアップ!?」

 

 ──わざわざ振りかぶるってことは、投げるのは変化球じゃない。

 おそらくは、猪狩の真骨頂であるストレート。

 全力を込めた、最高のボールのはずだ。

 

「オォォォ──!!!」

 

 叫び声とともに放たれたボールは、強烈な縦回転のかかったストレート。それがストライクゾーンに向かってくる。

 

「負けるかぁぁぁ──!!」

 

 強振で迎え撃つ。唸りを上げるストレートは真ん中高めへ。そのボールからは『ゴォォォ』という風を切る音が聞こえるようだ。

 

 スイングを開始する。しかしバットがボールを捉える寸前に、猪狩のストレートは僅かにホップした。いや、そう感じただけなのだろうが……。コンマ数秒の間に球種やコースを判断する打者にしてみれば、そんな感覚がするだけで、実際に浮いているのと同じようなものだ。

 

 やばい! このままだと打ち上げる……! どうする……? 今更カットするのは無理だ。

 

 なら……っ!! 

 

 上げていた左足を強く踏み込む。そして、体の回転を意識して遠心力でバットを強く振った。

 

 バットはボールの下側に当たる。そのミートの瞬間、ボールにバックスピンをかけるように手首を返した。

 

『キィィ──ン!!』

 

 打球は伸びる。伸びて、伸びて、前進守備を敷いていたセンターの頭を越え、本来守っている定位置まで越えて、フェンスに当たった。

 

 その間に3塁ランナーの矢部君はホームイン。

 中継への送球の間にスタートしていた小山君も生還した。

 2点タイムリーツーベースヒット。

 これで3対5と勝ち越した。

 

 全員が立ち上がり、歓喜に沸くジャスミンベンチ。

 喉から手が出るほど欲しかった勝ち越し点をついにもぎ取った。

 

「やっぱり……やっぱり瀬尾君はすごいでやんす!」

「さすがだよ、瀬尾君!」

 

 仲間たちの誰もが笑みを浮かべている。

 それとは対照的に、マウンドでは猪狩が悔しそうに唇を噛んでいた。

 

 ☆

 

 続く大空さんは初球を上手く捉えたもののレフト正面へのライナーに倒れた。これで3アウト、チェンジ。

 

 8回表、あかつきの攻撃。

 下位打線に差し掛かる6、7、8番を三者凡退に打ち取り3アウト。この回のピッチングでもチェンジアップを効果的に使い切り抜けた。

 

 裏のジャスミンの攻撃では美藤さんがヒットで出塁。だが後続のバッターが打ち取られ無得点に終わる。疲れていても猪狩には投手としての地力がある。だからこそあれだけ苦戦したんだ。

 

 そして9回表。ここを抑えれば試合終了となる、あかつきの攻撃。

 

 先頭は9番の森。

 森に対しては浅く挟んだフォーク2球で追い込み、チェンジアップで三振を奪った。

 

 簡単に1アウト。だが次の打者からが最後の山になる。

 

『1番 セカンド 中川君』

 

 あかつきのリードオフマンが打席に入る。

 

 ここからは俊足巧打の1、2番が相手だ。攻め急いではいけない。

 

 初球、2球目と低めのフォークでスイングを誘ったものの、バッターは食いつかない。

 

 3球目はチェンジアップを見逃し、2ボール1ストライク。

 

 4球目に投げたフォークはファウル。2ストライクと追い込んだ。

 

 5球目、ジャスミンバッテリーはチェンジアップを選択した。

 ストライクからボールに逃げるこのボールに中川は手を出しかけるが、直前でバットを止める。カウント2-3。

 

 ……いい選球眼だ。あかつきの上位打線に選ばれるだけはある。だけど全てのボール球を見極める余裕はあるか? 

 

 6球目。

 ストレートを高めに投げ込んだ。

 僅かに外れたものの、バッターはこれを空振る。

 

『ストライク! バッターアウト!』

 

 2者連続三振。

 ストレートのコントロールはほとんど制御不能。だが小鷹さんのサインを信じて投げ切った。あの遅いボールの後に、速いストレートを投げればバッターは振ってしまう。

 

 ……そしてとうとう最後の打者が打席に立つ。

 

『2番 センター 松井君』

 

 あかつきベンチからは「なんとか繋げろ!」と叱咤の声が飛ぶ。

 

 1球目。

 小鷹さんのサインはチェンジアップ。

 これが外角に決まった。1ストライク。

 

 2球目も同じコースにチェンジアップを続ける。

 松井はこのボールをバットに当てる。

 しかし打球はファウル。

 

「死んでも塁に出ろぉ! 俺に回せぇぇ!!」

 

 ネクストバッターズサークルの滑川から怒声に近い声が響いた。

 

 そして3球目。

 小鷹さんがサインを出す。

 強い意志を秘めた瞳でこちらを見据える彼女のサインに俺は頷き、そして腕を振った。

 

 投じられたボールは、遅いスピードで打者に向かい、手元で大きく沈む。

 ……そのボールに松井のバットは空を切った。

 

『ストライク! バッターアウト! ゲームセット!!』

 

 俺は両手を天に掲げる。

 勝った! あかつきに勝ったんだ!! 

 

 そんな俺のところにチームメイトが駆け寄ってくる。

「やった、やったね!」

「か、勝ったッス〜! 信じられないッス〜!!」

「でも夢じゃないのよね〜これが!!」

 

 歓喜の声。それに少し遅れて、足を引きずる太刀川さんと、彼女に肩を貸す美藤さんが輪に加わる。

 

「ありがとう……! ありがとう、瀬尾君! みんな!!」

 

 目を潤ませる太刀川さんにみんなは笑顔で答える。

 

「何言ってるの! この勝利はあんたのおかげでもあるのよ、ヒロ!!」

「……タカ!」

「そうだよ! ほら、涙を拭いて?」

「ナッチ……!」

「よかったね、太刀川さん。これできっと夢への第一歩を踏み出せるよ!」

「〜〜瀬尾……君!!」

 

 ……太刀川さんは涙が止まるどころか、肩を震わせ泣き始めてしまった。

 

「あ〜あ〜、い〜けないんだ、いけないんだでやんす!」

「えっ!? 俺のせいなの、矢部君!?」

 

 俺をからかう矢部君。

 それを見て笑うチームメイトたち。

 

 そこで小山君が声をかける。

 

「みんな整列だよ! 喜ぶのはその後にしよう?」

「うん、そーだよー? 後で盛大にお祝いしましょー!」

「そうだな。そのためにも早く整列だ!」

 

 その声に俺は応える。

 ────うん、今行くよ! 

 

 ☆

 

 試合終了の挨拶を終えると猪狩と麻生、そして滑川が俺のところにやって来た。

 

「……瀬尾、今日のところはボクたちの負けだ。だが……楽しかったよ」

「猪狩……」

 

 猪狩は「次……があればだが」と言葉を続ける。

 

「次は完成したウイニングショットをお見せするよ」

「それって、俺の打席でのあのボールか?」

「ああ。ワインドアップからの一連の流れからでないと投げられない未完成のボールだがね。それに……君のピッチングを見てやってみたいことが思い浮かんだ。ボクが真価を発揮するのはまだこれからだ!」

「それは……楽しみだな」

「……」

「……」

 

 それからは言葉にならない感情が胸に渦巻く。気づいてしまったんだ。

 眩しくて目をそらしていたあいつの『輝き』が、本当は俺を優しく、暖かく照らしていてくれたことを。

 

 そうしてしばらくの間無言だった俺たちの間に、麻生が割って入る。

 

「やあ、瀬尾! ボクのことを覚えているかい? ま、まあ別に? 覚えてないなら覚えてないで、ボクは別に気にしないけどね!」

「……いや、覚えてるよ。中学の時何度も対戦したじゃないか、麻生。見違えたよ、いい選手になったな」

 

 俺の返答に驚いた後、慌てて平静を装う麻生。だがその顔は……。

 

「何か嬉しそうだな……」

 

 麻生が代打で出てきて思い出した、ということは黙っておこう。

 

 続いて長身の男が話しかけてきた。

 

「よぉ……瀬尾」

「滑川……」

「女だらけの野球でお遊びのナメた野球やってんのかと思ったら……」

 

 滑川はくるりと後ろを向く。

 

「ガキの頃と変わらねぇ。あの時のままだ。お前はずっと変わらず、俺の……」

 

「? 滑川、何て言ったんだ?」

「いや……何でもねぇよ」

 

 そう言うとこちらを見ることなく、後ろ手に右手を振ると去って行く。そして猪狩と麻生もそれに続いて、チームメイトのもとに帰って行った。

 

 ☆

 

 帰り支度を終えた俺たちの前に早川さんと高木さんが現れた。

 

「みんな、いい試合だったね! 瀬尾君もナイスピッチングだったよ!!」

「あんたら、そんじょそこらの野球部より遥かに強いじゃないか! 公式戦では戦いたくないもんだね」

 

 そんなことを話していると、この試合をするきっかけを作ってくれた橘さん、そして六道さんもこちらに歩いて来た。

 

「あんたたち、やるじゃない! 正直ボロ負けすると思ってたわ!!」

「手に汗握る好勝負だった……ぞ」

 

 辛辣ながらも賞賛してくれる橘さん。

 だが彼女は早川さんたちに気づくと態度を一変させる。

 

「あ、あれ? あなたはひょっとして……」

「……えっ? ボクがどうしたの?」

「やっぱり、その『ボク』って呼び方……! あなた、伝説の少女野球チーム、おてんばピンキーズの『キューティーサブマリン』こと早川 あおいさん……ですか?」

「ちょ、ちょっと待って! 何でその名前をっ!? ……っていうか、その名前で呼ばないでぇーっ!?」

 

 ……おてんばピンキーズにキューティーサブマリン? 

 

 何だか知らない単語がいろいろ出たな……。

 

「……」

 

 橘さんは早川さんを見て目を輝かせたかと思えば、急にうつむいて押し黙る。

 

「どうしたの、橘さん?」

「……を見る目、やっぱりそうなんだ……」

「えっ?」

「………………決めた」

 

 小さい声で何かをつぶやくと、急に俺の腕に体を寄せ上目遣いでこちらを見つめた。そしてイタズラに笑うと、

 

「頑張ったご褒美よ! あんた、私のフィアンセにしてあげる♡」

 

 …………えっ? 

 

「えぇ〜〜〜!!」

「えぇ〜〜〜!!」

 

 この場にいたみんなの声がシンクロした。俺は恐る恐る周りを見回す。

 するとどうだろう。共に戦ったチームメイト、賞賛をくれた恋々バッテリー、そしてフィアンセ宣言をした橘さんの友人である六道さんまでもが、ジト目でこちらを見ているではないか。

 

「瀬尾君、これはどういうこと!?」

「瀬尾、あんたどういうつもりよ!!」

 

 ……すいません、俺にもわかりません。

 

 胸ぐらを掴まれながら、俺は思った。これからどうなるのだろう、と。


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