織斑一夏はテロリスト ―『お父さん』と呼ぶんじゃねぇ― 作:久木タカムラ
ドイツに乗り込むまでが長い……(汗
カポーン……と響いた音は誰も桶に触れていないので幻聴である。ここが大浴場だと言う事さえ理解していただければそれで良い。
陽も完全に落ちて、夜。
手早く夕飯を食べ終えて質問攻めから逃れた黒髪の少年と金髪の少女が、だだっ広い湯船の中で顔どころか全身を真っ赤に染め上げている。特に少女に至ってはフランス人自慢の白い地肌に朱が混じっているため、さらに艶かしく『薄桃色』と表現した方が的確かも知れない。
「い、良いお湯だね……」
「ああ、そ、そうだな……」
会話さえも何処かふらついていて危なっかしい。
わざわざ敢えて言葉にする必要もないほどに明白な事だが、彼と彼女の色彩異常は湯の熱による単純なものではなく、互いの背中に直接伝わる生々しい体温と肉感が原因だった。
女体特有の柔らかさに少年の心臓が破裂しそうなビートを刻み、少女も少女で硬い筋肉の感触に興奮を隠し切れず、思考だけがぽぽぽぽーんと体操競技の如く飛んだり跳ねたりの七転八倒。
二人の周囲だけ湯の代わりに砂糖と蜂蜜をぶちまけたような甘ったるい空気が漂い、かと言って背中を離す事もできずドロドロと深みに嵌まっていく。
どちらもまだ学生、男女七歳にして席を同じゅうせず――と故事成句にもあるが、そんなものは建前に過ぎないと言わんばかりに、生まれたままの姿の二人の心は急接近の一途を辿る。
「一夏や先生を見て決めたんだ。これからは自分に正直に生きてみようって。愛人の子どもだとかそんな関係ない、僕だけの、ほんのちょっとだけワガママな人生を歩んでみようって、ね」
「シャルル……」
「その名前も、女だって疑われないようにするための偽名なんだ。僕がお母さんに付けてもらった本当の名前は……」
そこで一旦言葉を区切った少女は少年の耳元にそっと紅唇を寄せると、まるでふしだらな秘密を共有させるかのように、
「――シャルロット」
ぞくり――と肌が粟立つほど色気のある声で囁いた。
はてさて、分かってやっているのか天然小悪魔なのか。
無自覚に告白された事は多々あれど、こうもあからさまに攻め寄られた事などない若干十五歳の少年にとってその魔声はどうにも抗い難く――例えるなら骨まで溶かしてしまう猛毒に等しい。
「ねえ一夏……僕の名前を呼んで?」
「……シャ、シャルロット」
「もう一度、お願い」
「シャルロット」
「…………はい」
いやはや、場の雰囲気とは恐ろしい。
あの朴念仁を体現した織斑一夏でさえ、少女の無垢な微笑みを受けこの有様なのだから。
本能に導かれるまま肩に乗せられた華奢な手を取り、指を絡ませ合い、張りのある双丘と突起を押し付けて瞳を潤ませる彼女の唇へと、引き寄せ、られ――
「はいそこまでー。そーゆーのは部屋に戻ってからにしようなー?」
「どわっはあああああああっ!?」
「ふきゃあああああああっ!?」
はーっはっはっは。
何っつーかデジャヴな光景だ。今回は少年が絶好調だけど。
実は氷風呂でした、みたいな感じで飛び上がる爛れた思考の若者二名。女とバレないよう咄嗟にデュノアを背後に隠した少年には及第点をあげたい。
「せ、先生何時から!? と言うかみ、見てっ!?」
「言っとくが先客は私だぞ? いくらデカい風呂に入れるのが嬉しいからって周りが見えなくなるくらいはしゃぐんじゃねーっての。てかお嬢さんも入ってくる時に気付きなよ」
「あわ、はわわわわっ!?」
さっきまでの大胆さは何処へやら、デュノアは少年の陰で小さく小さく縮こまってしまう。
「私としちゃ止めなくても良かったんだけどね? 少子化対策っての? でも流石に良いムードでおっ始めたのに『初めて』が私とかに見られながらってのは可哀想だと思ってさぁ。それに男子の使用時間だからって誰か来ないとも限らんだろ?」
「山田先生は『一番風呂ですよー』って言ってたのに……」
「そりゃこっそり入ったからねぇ。仮にも女子寮の共同風呂だし」
手拭いを頭にビバノンノンな私の言葉なんぞ聞こえちゃいない。
人間はここまで赤くなれるのかと心配になるくらい真っ赤も真っ赤。二人の前世は郵便ポストかトマトかハゲウアカリで間違いないのではなかろうか。
「とっ、とにかく誤解、誤解なんですって!」
「五回もするつもりか。デビュー戦にしてはハードだな。湯を汚すなよ?」
「違う違う違う違う! 絶対分かってて言ってるでしょ!?」
「それ以外の何だっつーの」
命の洗濯もそれなりに満喫したので湯船から出る。
古傷や手術痕だらけの私の身体に二人が息を飲むが、深い関係にあった女の子と昔の自分自身に見られたところで別に何とも思わん。てかデュノアちゃん、『わっ、わっ、わっ!?』と顔隠して指の隙間から覗くくらいなら堂々と観察して良いのよ? オジサンちっとも恥ずかしくないから。
「……やっぱり、俺なんかとじゃ全然鍛え方が違う
「必要なトコに必要な分がついてるだけさ。死に物狂いで生きてりゃお前さんもこうなる」
ま、そんな未来にならない方が幸せに決まっているのだが。
気付いたらこんなガタイになっちまってるような世界なんざロクなもんじゃない。
「……ところでお嬢さん、そろそろ少年から離れてあげなさい」
「えっ……ダメ、ですか?」
「ダメですかって……キミも良い感じに汚れてきたねぇ」
私はとある一点を指差し、至極残念そうなレディに簡潔に事実だけ教えてやった。
「少年の雪片が零落白夜」
「ぬわああああああああっ!?」
湯船から飛び出して冷水シャワーを浴び始める少年だが――まだまだ経験が足りないなぁ。
マイサンがスタンダップした程度で取り乱してたらこの先大変だぞ色々と。朝方に目が覚めたら鍵掛けたはずなのに隣に誰か(確実に女)が寝ていたりとか、上目遣いの『お願い』に根負けして明らかに夜型ハッスル系のおクスリが入った酒を飲まされたりとか。
『何してるの一夏、風邪引いちゃうよ!?』
『止めないでくれシャルロットー! 当たってる、当たっちゃってるから!!』
脱衣所と風呂場を隔てる曇りガラスの向こうで肌色の人影がくんずほぐれつ。
わーかいっていーいねぇ。オッチャンにゃあとても真似できねぇよ初心者向け過ぎて。
「ああ少年、私これからドイツに出張だけど土産はソーセージで良いよな? 小さめの」
『アンタ何処まで俺を追い詰めれば気が済むんだ!? と言うかいきなりドイツ!?』
「ベルリン行ってくるぅー♪」
『そんなコンビニ行くみたいな気軽さで!?』
「失礼、噛みました」
『噛みましたで済むレベル!?』
「ファミマ見た?」
『この辺ねーよ!!』
(ファミチキください)
『こいつ直接脳内に……!』
ほとんど条件反射で返してくれる。これだから少年をからかうのは止められない。
願わくばこれを励みに、私など足元にも及ばない強かな傑物になってもらいたいものだ。
「零落白夜、冷却中……クククッ」
『うっがああああああっ!!』
『一夏ーっ!?』
いやもう止めらんねぇわホント。
◆ ◆ ◆
「さてボーデヴィッヒのお嬢さん。準備が終わるまでここにぶら下がっててねー」
「その前に……この状況と格好について説明を」
「今から二人でドイツに日帰り旅行。それ防護服の代わり。OK?」
「なるほど分からん」
「まあそう言うなよ。ほれ、アメちゃんあげるー。何味がお好き?」
「……イチゴミルク」
仲良くチュッパ○ャップスをもごもごするラウラと変人を眺めながら、千冬は思う。
この男の本質は一体どちらなのだろう、と。
息をするが如く騒動を呼び込むエネルギッシュな変態トラブルメーカー。
世界中から自然災害並みに問題視される
しかし、固定観念を砕かれたセシリアと着ぐるみ仲間の布仏本音は言うに及ばず、一夏を一途に想い続ける箒や鈴、図らずも同室になった真耶、接する機会が多い一組の生徒達など、恋愛感情の有無に関わらず彼を『先生』と呼び父兄のように慕う者は多い。
無自覚ブラコン一級の千冬の目から見ても精悍な顔立ちで評価は高い方だし、ふと何かの拍子に浮かべる『年上の男』の表情と遠回しだが温かな優しさ、そして他を寄せ付けない類稀なる強さは女心をくすぐって弄ぶのが非常に上手い。不覚にも守ってもらいたくなるその厄介な毒性は千冬が誰よりも一番、小娘共なんぞ敵じゃないと自負するほどによぉーく理解しているつもりだ。
だからこそ、千冬の中で小さな小さな嫉妬心が渦を巻く。
軍時代の教え子に何を馬鹿なと自嘲するも、一度自覚してしまうとどうにも治まらない。
「……
「何でもない。気にするな」
アメをもらってご満悦なラウラも、遠からず自分と同じ感情を抱くのだろうか。
精神的に年頃の少女らしく育っている事を嬉しく思う反面、夫の関心を娘に独占されてしまった妻のようなモヤモヤと寂しさが――
「って誰と誰が夫婦だ!!」
「ふぐぁっ!?」
照れ隠しに、ワケのワカラン機械を弄っていた馬鹿の頭をブレードの峰でぶん殴る。
突然の奇行に驚くラウラの視線が痛い。
「何なんですかいきなり……」
「あ、いや……ほ、本当にラウラにアレを着せる必要があるのか聞きたかっただけだ!!」
「そんな理由で殴られたの私?」
「そうだ悪いか!? 文句があるのならもう一発見舞うぞ!?」
「ジャイアンもビックリな理不尽さッスな」
強引過ぎる誤魔化し方だが、質問自体は衝動的に口から出た嘘ではない。
彼が『防護服代わり』と言った代用になりそうもないその衣装――『代わりになるかっ!!』ともうはっきりツッコむべきそれは、例によって例の如く着ぐるみだった。
ナスである。
もう一度言う。
植物界・被子植物門・双子葉植物綱ナス目ナス科ナス属。浅漬けや天ぷらや煮浸しや麻婆茄子でお馴染みの、百人中百人が満場一致で断言するであろう――ナスだった。
「……どうもナスです」
「改めて言わんでも良い」
携帯のストラップ程度の大きさなら可愛らしいが、少女を飲み込んだ状態で木に吊り下げられた光景はユニークの一言では片付けられない。
顔しか出ていないラウラも不快ではなさそうで、ぶーらぶらと左右に揺れて暇潰し続行中。
加えて恐ろしい事に、ナスはもう一つ存在した。
「っかしいなぁ、部品がかなり余っちまった」
かなり不安になるセリフを吐いて頭を掻く変人の横。
ラウラ入りナスストラップに比べると材料の関係で随分機械的だが、それでもやはりナスにしか見えないシルエットの物体が芝生の上に鎮座している。こちらはさらに輪を掛けて大きく、全長は優に二メートル以上ありそうだ。
こんな馬鹿げた物を寮の裏手で、しかも地下区画から材料を失敬してプラモデル感覚でこっそり作っていたと言うのだから、呆れ果てて怒る気にもなれない。
「……何故ナスなんだ?」
「ニンジン型ロケットじゃ丸被りですから」
聞き間違いであって欲しい単語が出た。
「ロケット、だと?」
「スクラムジェットエンジンってヤツですよ。超音速燃焼を行うラムジェットエンジン」
「………………」
絶句する千冬に構わず、変人はマイペースに説明を始める。
「ジェットエンジンは吸入した空気を圧縮して燃料を燃焼させる事により爆発的な推力を得るのが基本なんですけども、ラムジェットエンジンはインレット部において高速航行に伴うラム圧により十分な空気の吸入・圧縮を行なう事ができる訳です。従って――ラムジェットエンジンの動作域は超音速などの高速領域に限られ、マッハ3から5の間が最も効率が良いとされています」
「ちょっと待て、もう少し噛み砕いて分かりやすく――」
「マッハ5を超えてしまうと吸入した空気を亜音速に減速させる事が困難になり、エンジン内部で減速と圧縮を行っても空気流は超音速を保ったままになります。そこでインテイクから吸入された大気を燃焼機に直接導く事で超音速燃焼を行い、燃焼ガスが超音速でノズルから噴射されるようにしたのをスクラムジェットエンジンと呼びます。このように、吸入から排気までのエンジン全域に渡って作動流体が音速以下に減速されないため、広いマッハ数域で高いエンジン性能が維持される結果に繋がり、マッハ5程度から理論値上限であるマッハ15まで、スクラムジェットエンジンは広い速度域での利用が期待されています」
「……ラウラ、お前は何を言っているか分かったか?」
「とにかくすごいエンジンだという事しか……」
「ですが――」
「「まだ続く!?」」
「スクラムジェットエンジンは超音速の気流内で燃焼させなければならないため、エンジン内部で燃焼が完了しなかったり、通常の燃焼とは違う意図していない化学反応が起こったりなど、実現が極めて困難でした。研究には高温衝撃風洞が一般に使われますが、この装置で得られる試験時間はほんの数十ミリ秒。数十秒オーダーの燃焼実験が可能な真空槽を用いた極超音速風洞は、大規模な施設のため実験コストだけでも非常にお高くなってしまいます」
「…………………」
「…………………」
「また、燃料に関しては燃焼速度の速さが要求されるので水素を用いる事が多いですが、その他の利点として、ケロシンなどの炭化水素系燃料は高温になると粘性が変化して供給が難しくなるのに対し、液体水素はエンジンの冷却も可能である事が挙げられます。反応速度を速めるため点火機も特殊なプラズマトーチが研究されています――byウィ○ペディア!!」
「無駄に詳しいと思ったらただ丸読みしてただけだったのか!?」
道理で説明の最中に携帯を見ていた訳だ。
それに気付かず最後まで拝聴してしまった自分が情けない。
「むぐぎぎぎ……私の時間を返せー!!」
「なーっはっはっはっは」
胸倉を掴んで揺さ振るが、変人は堪えた様子もなくヘラヘラと笑う。
何時だってこうだ。
人を食ったような態度で自身すらも俯瞰し、悩んでいる他人の心にはズカズカ上がり込むクセにこちらから歩み寄ろうとすると壁を作って距離を取る。
目の前にいるのに、そこにいない――触らせてくれない。
まるで蜃気楼を相手にしている気分になってしまう。
「…………ハァ。もう良い、さっさと行って野暮用を片付けてこい」
「そーしましょ。織斑先生と山田先生へのお土産はバウムクーヘンで?」
「ビールも忘れるな。一番高いのだぞ?」
「
敬礼を返し、嬉々として黒鎧を纏う変人。
ナス型ジェットエンジンをリュックサックのように軽々と背負うのを見て、あの格好のラウラをどうやって連れて行くんだろうと疑問が浮かぶ。
「まさか、ドイツまでラウラを抱きかかえて飛ぶつもりか?」
「いやいやいやいや。確かにお嬢ちゃんが着てるそのナスぐるみはISスーツよりも頑丈な素材で作っちゃいますが、流石に超音速航行には耐えられませんて」
「ならどうする?」
「こうします」
バシュゥゥ、と空気の抜ける音と共にランスローの胸部装甲が開く。千冬の前でパーツの一部があっと言う間に組み変わり、ラウラ一人くらいなら楽に入れる空間ができあがってしまった。
まだどの国も実現に至っていない展開装甲――その応用。
つくづく馬鹿げた性能の機体である。
「言うなれば、世界一狭くて小さい核シェルターってトコですかね。紛争地帯で逃げ遅れたガキを抱えてチャンバラする訳にもいかなかったので、だったらいっそ中に入れちまえば安全だし両手も空くじゃんと判断しまして」
「……もう驚かん、驚かんぞ」
「そんじゃま、パイルダーオンだぜぃ」
「だ、だぜぃ」
立て続けの初体験にワクワクしているラウラが収納され、今度はゆっくりと、銀髪や着ぐるみの生地を噛まないよう細心の注意を払いながら閉じられていく。閉まり切ると同時にセンサーアイがギュピーンと閃光を発し、
「フハハハハハハハハハハ!!!! 爆誕!! プァーフェクトゥ・ルァンスルォー!!」
時代を駆けるマルチフォーム・スーツ――インフィニット・ストラトス。
その研究開発の最先端であると同時に、少女達の未来を育む教育機関――IS学園において。
背中には巨大なナス、胸部には少女の顔が覗く滑稽な姿のまま決めポーズを取る馬鹿がいた。
「本当に…………どうしてこんな奴に惚れてしまったんだろうな……」
「何か言いましたー?」
「うるさい早く行け!!」
「おお怖い怖い。では――点火!」
冗談としか思えない花火のような導火線にチャッ○マンで火を点け、
「………………」
「………………」
「………………あら?」
導火線が完全に燃え尽きてもウンともスンとも言わない事に首を傾げ――虚を突く形でいきなり炎を噴き出したロケットに引っ張られ、
「にゃああああああああああっ!?」
錐揉み回転を繰り返しながら、ラウラの叫びを残してそのまま夜空へと消え去った。
馬鹿はともかく……ラウラはまあ、大丈夫だろう、多分。ドイツで何が起ころうと後は知らん。
「……………………一杯やって寝よ」
お疲れ様でした。
出典:Wikipedia スクラムジェットエンジンのページより。
次回は塩素系漂白剤と酸性洗剤みたいな二人+αの報復に燃える珍道中です。
ついでに、ラウラ入りのナスの着ぐるみは『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』が元ネタです。分かる人には分かるネタですな。
今回のリクエストは、
クーマンさんより、
・(ファミチキ下さい)「コイツ、直接脳内に!?」
zeke01さんより、
・MGS3のシギント風に解説をする。
kuroganeさんより、
・「フハハハハハハハハハハ!!!!」(無双シリーズ:司馬懿)
でした。
二巻が終わらなーいー。