ここまでの大盤に乗れたのはひとえに読者様のおかげです。
この小説を読んでいただき、誠にありがとうございます。
廊下を歩いていたグリムジョーはふいに立ち止まり、虚空を睨みつける。
アーロニーロが死んだ。それは、二度のうち最初の認識同期から予感はあった。なにしろ彼自身が劣勢を予想し、そしてニルフィについても語ってあったからだ。それを聞いたどこかの雑魚である
そして二度目の認識同期。これが端的に事実を伝え、朽木白哉という死神のデータと、他にも隊長格の死神が
グリムジョーはさほどアーロニーロと交流したことはない。
とはいえ出不精なアーロニーロが最近出歩くせいか、暇を持て余して散策しているグリムジョーと出くわすことも多かった。そんなときの会話の内容もとある少女についてだし、互いにそれなりの苦労をしているな、というどちらにしても不本意な終わり方で共感を覚えたのは、まあ、余計だろう。
「……勝手に死んでんじゃねえよ」
聞こえるはずもないつぶやきが誰もいない通路に響いた。
それがどういった意味があるのか、深くグリムジョーは考えない。
あの悪食の権化も変わったのだろう。
でなければ、わざわざニルフィに対しての気遣いともいえる行動をした理由にはならない。以前までの彼ならならば少女を単なる食料にしか見れなかったはずだ。
それが良かったのか悪かったのか。すべてはアーロニーロだけが答えを知っている。
だからグリムジョーは口出ししない。
アーロニーロが答えを見つけているのなら、それに反発するつもりもなかった。
「あのバカが」
そして次の問題だ。
ニルフィが霊圧を撒き散らしているのがここからでも分かる。あの空気のように頼りないはずの霊圧が壁のようにグリムジョーの体を押そうとしているのだ。それがどれだけ高密度かは、言わなくともわかるだろう。ディ・ロイあたりならば気絶しないまでも膝を突くほど。
霊圧に触れたからこそ知った。
これは怒りだ。表面こそ静かだが、深くなればなるほど殺気が凄まじい。
かつてルピにむけていたものがほんのさざ波に思える。
「なにを廊下で突っ立っているんだ」
「……ウルキオラか」
一定間隔で靴音を響かせながらやってくる無表情な男にグリムジョーは気づいていた。
「リーセグリンガーのことか」
「…………」
「おまえが四六時中あいつのことを考えているとは思っていない。今はただ、あいつの癇癪があるのに気づいたからだ」
「てめえ、喧嘩売ってんのか?」
ものすごく不名誉な言われ方をした気がした。
「売ったつもりはない。並べ立てた言葉におまえが勝手に価値を付け、そして勝手に奪い取るも同然で買おうとしただけだ。おまえにしてはよく持った方だと思うぞ」
「てめえ……ッ!」
「変わったな」
「あァ?」
「年単位で以前のお前なら、いまの俺の言葉でその拳を振り抜いていた。だが、していない。これは変わったといえるはずだ」
いまだに怒りは収まらない。だが、ウルキオラの言い方が気になった。いつもの淡々とした言葉だけならば流しただろうが、今のウルキオラはなにかに疑問を抱いているように思える。
「それは、リーセグリンガーの影響なのか?」
あたかも自問するかのようにウルキオラが続けた。
「
言葉が途切れた。それでも頭の中でウルキオラは考えているようだった。
グリムジョーは答えるわけでもなく言う。
「よく、喋るようになったな」
その声に、ウルキオラが初めてグリムジョーの目を見た。
「これは、俺の変化といえるのか?」
「知らねえよ。自分で考えやがれ」
「……お前なら答えを知っていると思った。答えの一番近くにいるのがお前だと考えたからだ。だがこの考えもおかしい。俺はなにを根拠に、お前が答えの一番近くにいると考えたんだ」
相も変わらず淡々とした口調が疑問に彩られた。
だがグリムジョーにわざわざこの
「知るかよ」
切り捨て、己の失態に舌打ちをする。
ウルキオラが進路上にわざわざ立ちふさがったからだ。いつもならば用事がない限り素通りを許すのに、はじめて私用でウルキオラが足止めをしてきた。
「もしかしてだが」
「…………」
「定期的にリーセグリンガーから与えられた駄菓子を口にしたからなのか?」
「どうすりゃその考えになんだよ」
もはやウルキオラは思考の迷路にはまっている。普段ならば考えられないほど内心では混乱しているのだろうか。
そうしているうちにも、ニルフィの霊圧がさらに高まった。
ふと、ウルキオラがガラス玉のような目を、戦いが起こっているであろう方向へと動かす。
「俺はいま、戦いに介入するべきかと考えた」
「勝手にしてろ」
「だが、なぜだ? 他の奴らが戦っていてもこうは思わなかった」
虚無を司る
「これを表す言葉は俺の中にはない。れっきとした形があるわけでもない」
最後に、ひとつ。
「ーーこれが、心というものなのか?」
独白を残してウルキオラはグリムジョーの横を通り過ぎた。
なんとも調子が外される。苛立たしげに頭を掻いたグリムジョー。
ーー動くな、こりゃあ。
この戦いをきっかけにすべてが動こうとする。善も悪も一緒くたにごちゃまぜとなり、重ねた積み木を子供が無邪気に破壊したような、そんな結果になるだろう。
グリムジョーは歩みを再開させる。
一人だけの足音が廊下にこだました。
ーーーーーーーーーー
落ちる。落ちる。
朽木白哉は
戦闘区域を変えるために、まず白哉は塔から飛び降りた。敵しか目に止めていなかったニルフィはそれを追ってくる。それでいい。あのまま戦っていればルキアの体は挽き肉も同然になっていただろう。
あとは目の前の戦いだった。
壁を黒が伝う。
弾丸を超えた速度で地面と垂直になっている足場を駆け抜ける少女の姿があった。視線が合う。少女が大きく跳んだ。そこへ白哉が刃を幾重にも殺到させる。だがニルフィは何もない空中を蹴り、飛ぶ。幾度も繰り返し、ジグザクな軌道を描く。三次元的な回避行動をとったニルフィを花弁が追いすがった。ニルフィは曲芸じみた動きで桜の中をくぐり抜け、数人に分裂。
銃をかたどった指を突きつける。
量には量で。巨大な柱となった極光が放たれた。
それを白哉が卍解を操作し、砕き、散らしていく。余剰の霊子が雪のようにはじけた。
かなりの高さから落ちてきたのに地面がすぐそこだ。体勢を立て直そうと、白哉が攻撃の手を一瞬緩める。
ニルフィの姿は白哉の真上に。
「シッ!」
体を捻り、強引に回転したニルフィが手足を振るう。
四肢から霊子の刃を雨あられのように降らす。それを花弁でなぎ払い、いくつかの霊子でつくった足場を踏んで衝撃を殺す。
上を見上げた。いない。声はうしろから。
「破道の九十一」
ニルフィの背後から長細めの三角形の光の矢が、無数に白哉へ降り注ぐ。
それも圧倒的な量の花弁で防ぎ、足を止めたニルフィに押し寄せさせる。為すすべもなくニルフィを飲み込んだ……が、手応えがない。
乾いた拍手がどこからともなく響く。
「やっぱりすごいね。アーロニーロからデータも貰ってるけど、見るのと体感するのじゃ全然違うよ。ここまで攻防一体の強い卍解だから隊長格になれたんだろうね。もっと優れた使い手がいてくれたらその斬魄刀も報われてただろうけど」
「なにが言いたい」
「え? だって、そうでしょ。たしかにキミは自力でも優れてるけど、
いまだに右腕は動かない。
そして油断していた、もしくは卍解ならば楽に倒せるだろうと予想していたのも、その一因だろう。なにしろ現世でニルフィは隊長格を一人、そして副隊長格に近いもの二人を秒殺しているといってもーー弱そうなのだ。もはや本能的に、コレは惰弱な生物だと認識してしまう。それだけの容姿と霊圧の不安定さがあった。
だがそれを白哉は言い訳にするつもりはない。
ようやくわかった。
花弁を纏うように周囲に集めたとき、ニルフィが小首をかしげる。
「それに意味はあるのかな。なんで半径80から90センチよりも近くに寄せないの? もしかしてそれが、キミが自分の卍解に巻き込まれない場所なのかな。だったら私がそこに入っても余裕があるね」
見抜かれるのが早い。
ニルフィの言ったその領域こそが、この卍解の唯一の弱点といっていい。
「貴様が言ったとおりだ。私はそれを無傷圏と呼んでいる」
「無傷圏……?」
「千本桜の刃が絶対に通ることのない領域だ。それの意味することは、わかるな?」
「まあ、そうだね。間違って操作したりとか、ちょっと動いても回避できる安全地帯ってことか。でもそれって、私がそこに侵入したらどうしようもないよね。なんでわざわざ言ったのさ」
毅然として白哉が返した。
「貴様にこの卍解は破れぬからだ」
傲慢ともとれるその言葉をニルフィが肩をすくめてみせ、くだらないとばかりに言った。
「それはキミの卍解のハナシ。真正面から叩き潰そうだなんて、
「使えばいいはずだ」
「まさか。これを無傷でしのいだら考えてあげる」
来る。その直感は正しかった。
ニルフィの手足を蜃気楼のようなものが覆う。
背からは白い煙、否、
瞬く間に少女の姿を隠し、周囲一帯を覆うような濃度になった。乾燥した砂漠の湿度が上昇する。すぐに、白哉の死覇装は湿り気を帯びるほどだ。
移動は悪手。視界が潰されたまま行動しても、相手の思うツボである。
上に霊圧があった。そこへ刃を噴き出させる。手応えなし。左、右、ふたたび上と、ニルフィは白哉の防御圏の外を縦横無尽に動き回っていた。いっそのこと全方位攻撃に移ろうかと思ったが、それでは守りが薄くなり、隙が生じる。
白哉は
花弁をドーム状に集めた。
両の手を下げ、変化を待つかのように直立する。
ニルフィが
もう一人の
ならば、ニルフィは?
「む……」
時間として、瞑目していたのはほんのわずかだ。だが、神速で進んでいく状況の中で、それはとてつもなく長く感じられた。
白夜が目を開ける。
ーーこの守りは、突破される。
そしてすぐさま攻勢に移ろうとした。
しかしそれは、一瞬ばかり遅かった。
実態のつかめないナニカが固く閉ざされた刃の壁をすり抜けてきた。
下から突き上げるようなボディブローが白哉の腹を穿つ。背骨か内蔵が背後へ弾けとんだ錯覚がした。
「ぐ……ッ!」
再び、壁を突破するいくつもの気配。
無数の打撃が、先のボディブローで軽く浮いた白哉の肉体に襲いかかる。衝撃が骨の芯に届くほどのものだ。かろうじて、頭部を左腕で庇う。
間を置かずに上から特大の殺気が降りかかった。
トドメの一撃が白哉の首の骨を狙っていた。
肉体のダメージを無視して白哉が瞬歩を使い、その攻撃から逃れる。
直後、霧が吹き飛ばされ、視界がわずかにクリアとなった。
そして見た。不可視の打撃がさっきまで白哉の立っていた場所にクレーターを作っている。砂は波打ち、空気が波紋を描く。
「あっ、避けられた」
拍子抜けしたつぶやきが鼓膜を震わせた。
「ガンテンバインさんの高速パンチだったんだけどなぁ」
声が追ってくる。
「これはどうかな」
最悪な視界の中で少女が突きを入れる。
槍のような一撃は物理法則を無視したかのように、離れている白哉を捉えた。
左足のどこかの骨と肉がシェイク。
この霧の範囲内から抜け出そうと白哉は連続して瞬歩をしたが、ニルフィが追いすがるためか、霧は際限なく死神を追う。さっきまで白哉がニルフィにおこなっていたことの仕返しである。
「……霧か」
ようやく、ニルフィの
霧が媒介となっているのだ。伝えるのは拳打や足技の
骨身へ染みるような感覚や砂漠に波を生んだことから、ほぼ間違いない。
物理的でありながら壁をもってしても防げない攻撃だった。かなり相性が悪い。いや、だからこそか。
上段・中断・下段の三種の蹴りが、どこからともなく襲いかかってきた。
あばらが砕かれる。膝はつかない。その膝も、いつ砕かれるかわかったものではなかった。
「ねえ、考えてくれた?」
霧が意図的に晴らされた。
驚くほど近くにニルフィが立っている。
なかば反射的に仕掛けるが、その極小の刃をことごとく
「ここで大人しく
「断る」
「そうかな、べつに悪い条件じゃないと思うよ。ビャクヤさんが執着してた、あのルキアさんって死神。もう死んじゃってるけどオリヒメさんに頼めばひょっとしたらってことも起こるかも」
「……それでもだ」
「返事に間があったね。これだけはわかるよ、キミの気持ち。すぐに消えてなくならないからオリヒメさんならもしかしたらって思っちゃう」
むしろ穏やかな表情でニルフィが語った。
「大好きなヒトが死んじゃったら悲しいもんね。生き返るなら生き返ってほしいよ?」
霧によって少女の髪は濡れ、幼さに似合わぬ色っぽさがあった。薄手のインナーもより体に張り付き、へその陰影や控えめな胸の立体感が増している。ただそこにいるだけでなにもかも狂わせるようだ。
「キミがホントにルキアさんを愛してるかはわからないけど、このままプライドを捨てて私に懇願してくれればすぐにでも実現するのさ。……それで、どうかな。キミは頷いてくれる?」
圧倒的な力を見せつけてからの甘い言葉。
誰であろうと、気の迷いで一瞬でもすがりつきたくなるようなものだ。
一方的な押しつけでありながら、それを選択させることでまるで自分の意志のように感じ、そしてニルフィ自身が願っているかのように思えてしまう。
「…………」
だが、それでもだ。
長い沈黙の末、白哉は口を開いた。
「貴様の誘いという名の
ニルフィの目をはっきりと見て理解できる。これはただの悪質な問答でしかないと。たとえ白哉が頷いても、ルキアが生き返るかもしれないのは本当だろうが、その後の彼女の身の保証などまったくしていない。アーロニーロを殺した白哉を赦すつもりもないからだ。無様に手足を折られた白哉の前で、生き返ったルキアを拷問にでもかけるだろう。
金色でありながら、それだけ少女の目はドス黒かった。
そしてそんな相手に、死神が屈してはならないことだ。
千本桜を操りながら白哉がニルフィを睨む。
「私の誇りにこれ以上手をかけさせるつもりは無い。貴様はここで、消す」
その答えを予想していたようで、なんら落胆もなくニルフィが笑った。
「どっちも悪役だってことを忘れないでね。キミがいくら正義を掲げようが、虚しくて押し付けがましい自己満足なだけだから、さ」
笑みが姿ごと消える。霧がたちこめた。
一撃は、つながれて、連撃に。威力も相まって、もはや災害と遜色ない暴力の嵐だ。
そのどれにでも隠し様のない殺意がにじみ出ていた。
ーーーーーーーーーー
ニルフィは駆ける。地であろうと宙であろうと、神速と化して
花弁に捕らえられる蝶ではない。イタチなどの捕食者としてだ。
視線の先にはもはや殺すことを確定している死神がいた。もう満身創痍で、立っているのが不思議である。
それに苛立ちはない。なにしろ、ずっと耐えるのならずっと甚振り続けられるから。
「…………」
けれどニルフィの心が晴れることはないだろう。白哉を殺してもアーロニーロが戻ってくるわけではない。
アーロニーロがニルフィになにを望み、なにを託してくれたのか。
それがわからないニルフィではなかった。
だが、それでも。子供じみた言い訳が頭を支配する。このまま白哉を殺さないままでは、気が狂うような感情があった。白哉は奪ったのだ。ニルフィがもっとも失いたくないものを。
ーーなんで、居なくなっちゃうの?
ーーなんで、奪っていくの?
ニルフィはただ、みんなと一緒に生きていきたいだけなのに。
それを邪魔するのならば、
「ーー潰してやる」
あらゆる負の感情を込めたつぶやきが戦闘の騒音のなかに消えた。
身を捻り、掌底を放つ。当たり前だがそれは白哉に届くようなリーチはなかった。
しかし霧がそれを伝えてくれる。圧倒的な攻撃力こそないものの、相手を
今でさえ、
白哉の声が遠くから届く。それに合わせ、ニルフィも言葉を紡いだ。
「破道の四」
「破道の四」
白い線が衝突して相殺した。相殺させた。他でもないニルフィが。
絶え間なく槍のように突き出される刃の群れ。それをふわりふわりと回避しながら、この戦いにどこか虚しさを感じていた。
アーロニーロは生き返らない。
もはや大団円などは叶わないのだ。それもシャウロンたちが死んでからわかっていたことだ。隊長格をここまで簡単にあしらえる力があるというのに、大事なときに大切なモノを守ることができなかった。身が震えて歯の根が噛み合わないような、そんな気持ち悪い感覚がある。
ーー鬼道の練習に付き合ってくれるって約束してたっけ。
ーー二人で一緒にお菓子食べたりとか。
ーーたまに遊びにつきあってくれたし。
ぽつぽつと思考が離れていく。もはや手にすることができない時間が頭に浮かんでは消えていった。
ーーねえ、アーロニーロ。
ーーどうしたら、キミは喜んでくれるの?
仇討ちなど望んではいなかったであろう仲間のことを想い続けているうちに、ニルフィの
白哉とは違う死神のものだ。グリムジョーの独断である現世侵攻を止めに行った時、わずかばかりの覚えがあるものだった。
この戦いに乱入するつもりだろうか。
たしかに恋次の上司にあたる白哉が卍解を解放したまま、一方的な攻撃で霊圧を大きく揺らしているのだ。援軍としてやって来るのも不思議ではない。
さほど注意を払う相手ではなかった。
しかし邪魔をされるとなれば話は別だ。このまま白哉を逃がすつもりもない。
ニルフィは霧の範囲を広げる。
そしてふいに、千本桜の刃に大きな動きがあった。
「……へぇ?」
道ができていた。刃の壁に囲まれた、白い砂がレッドカーペットの代わりに敷かれたような道だ。
もちろん遮蔽物もなく、ニルフィの先には白哉が立っている。
「まあ、間違ってない戦い方だと思うよ。このままだとキミはジリ貧で死んじゃうし、なにより、いま近づいてきている部下さんを殺すことを邪魔できるもんね」
白哉の姿は普段と変わりないように思える。
しかしそれは外面だけで、死覇装の下の肉体はひしゃげており、左腕はかろうじて動かせるかというところだ。
短期決戦。これしか、白哉に取れる策はなかったのだろう。
それを表すかのように、壁は白哉の元へと一点に集まっていく。
「……いまこの場に来ようとしている者は、いくら止めようとも介入してくるだろう。それを望まないのは、貴様も同じはずだ」
「たしかに、そこだけは気が合うね」
道は開けた。そこを狙うほかはない。
エサがぶら下げられた罠だと声高に言っているのと同じことだが、問題はなかった。
ーー来る方向がわかっていれば、ってところかな?
このまま霧の中で殺すことをしてもいいがそれでは芸もないだろう。
そもそもこの戦いはどちらに転んでもおかしくはなかった。耐久力が
殺すのならば、この手で、
「じゃあ、いくよ」
あえて、誘いに乗る。
そして死神に完全な敗北の二文字を刻もう。
正面から真っ直ぐに、狩る。
ニルフィは前かがみとなりーー消えた。
このままでは敗北となることを白哉は理解していた。
慢心は捨てた。傲慢も捨てた。
それでも届かない。想定以上の強さだった、という言い訳はできてもそれで命を守れるわけではない。
最後の、最後の一撃にすべてを賭けた。
千本桜景巌の全ての刃を圧し固め、一振りの刀となったものを左腕で掴む。
すると霊圧が牙を剥く鳥獣に変化するようだった。
それを見たニルフィが前かがみになるような姿勢を取ると、消える。否、白哉へと凄まじい速さで間合いを詰めた。やはり速い。やはり目で追えない。
それでもいい。
踏み込む。
白帝剣を振り抜き、下から上へと白い斬線を奔らせた。
そこから吹き出した閃光が前方すべてを飲み込み、塵へと帰す。炸裂した光が縦横無尽に破壊を撒き散らした。
たとえどれほどの防壁を張ろうが防ぐことなど敵わない威力。
それは一瞬の合間に起きたことだった。
そしてその一瞬のうちに、すでにニルフィが白哉の背後を取っている。
避けられた。まともに戦うのではなく、ニルフィはただ白哉を殺すためだけに動いていた。
霊子の刃に覆われた手刀が裏拳のように振るわれる。
「ーーなッ!?」
声をあげたのは、ニルフィのほうだった。
白哉は動かないであろう右腕を強引に背後へと振り抜いている。それ自体にニルフィを止める力はない。しかし、その手に握っていた千本桜の刃が少女の喉元に食らいつこうと飛来させたのだ。
完全に意表をついた、白哉にできる最速の一撃。
ニルフィは自分から飛び込んだようなものだ。いくら速かろうと、そして体術に才能を出してあろうと、不安定な体勢からの
ほぼゼロ距離の攻撃から、とっさに身を引こうとする。
「……ッ、あ」
数枚の刃が少女の
壊れた水道管のように、ニルフィの細い首から赤い液体が勢いよく噴出した。
血しぶきが降りかかったのは、白哉と当事者の少女……そして、
幻像の血で顔を濡らしながらニルフィは“溜め”をつくる。
白哉が目を見開きながらそれに気づいた。
だがもう遅い。完全な、ニルフィの間合いだ。
左足を踏み込む。
浅く。
鋭く。
重く。
そして
力の限り踏みしめる足から、一時的に増した体重を拳に込める。
余すことなく渾身の威力を込めた衝撃が、白哉の
変化は、劇的に。
赤い液体の詰まった風船を破裂させたかのように、白哉の全身から血が噴き出した。
塔をも崩す破壊力が人体のなかで暴れまわった結果だった。内臓は破裂し、肉はミンチになる。ニルフィの
「色々壊しちゃっただろうけど、ヒトの形のまま死ねてよかったね」
血を一身に浴びながらニルフィが言った。
首から血を溢れさせているニルフィが消えていく。本体のニルフィも一瞬前までそこにいたのだ。しかし、白哉がニルフィの動きを予想していたように、ニルフィもまた死神の動きを察していた。
なにしろ大切なモノを傷つけられたのは白哉も同じだから。
破壊された右腕を使ってなにかをするくらい、ニルフィにも考えつく。
そして決めていた。正面から、狩ると。
「仇討ちって……虚しいや」
やっぱりアーロニーロが生き返るわけでもなく、達成感も皆無だ。
ドロドロとした殺気が嘘のように消えて体を崩れ落としてしまいそうな脱力感がニルフィを襲った。
そしてそれは、
「ーーえ?」
紛れもない隙であった。
下ろしかけた右腕を白哉の右手がつかむ。そんなはずはない。なにより、もう白哉の体は表面だけしか人の形をしていないはずなのに。
白哉の手を振り払うよりも先に、彼の視力が残っているかもわからない目を見上げた。
肉体が死を迎えようとしているのに光は死んでいなかった。自身の霊圧で強引に動いているようなものだ。
「ーーーーーー」
白哉がなにかを言った。
肺を破裂させられてまともに喋れるハズがない。しかしニルフィには、なぜか『ようやく捉えた』と言ったように思えた。
白哉の左手から
ニルフィの失敗は二つ。
明確な失敗は戦いの最中で気を抜いてしまったこと。
そしてもう一つは、白哉の覚悟を侮ってしまったことだ。
それが一気に解放された場合、どうなるか?
「ッ!!」
即座に
しかし足元が突如として崩れた。
「…………ぁ」
幻影の喉元を切り裂いた数枚の刃が砂の中を移動したのに気付かなかった。
体が横に落ちようとする。それに耐えるために一瞬だけ体が硬直した。
その一瞬こそが戦いの中で一番の隙となった。
洪水のように溢れかえった刃の海にニルフィは飲み込まれた。
ーーーーーーーーーー
「霧が、消えた?」
白哉の戦っている霊圧を感じてやって来たが、途中から霧のせいで足止めを受けていたのだ。しかしそれが突然消えた。薄れていくのではなく、まるで幻であったかのように急に消え失せた。
「ッ、隊長!」
怪しげな霧が無くなったのなら立ち止まる理由もない。
「ま、待つでヤンス! ペッシェたちを探すのはどうするでヤンスか!?」
「今は隊長と合流するほうが先だ。あの人がこれからどうするか聞いてからでも遅くねえよ。……いや、お前って
「こんな怖いところに置いていかないでほしいでヤンス! それに、その隊長がもしかしたらペッシェかもしれないでヤンス!」
「ねえよそんな可能性ッ」
恋次のあとを付いていくのは、
「オラ、さっさと行くぞ」
「ほ、本当に行くでヤンスか……? 嫌な予感がビンッビンにするでヤンス!」
「なにいまさらビビッてんだよ。付いてこねえならそこらへんで隠れてろ」
「その隊長は知らないでヤンス。けど、けど。戦ってる相手みたいなヤツは……知ってるでヤンス。アレはきっと……って、置いてかないでほしいでヤンス~!」
「話長いんだよボケ!」
やたらと騒がしい二人組は砂漠の上を駆けていく。
そんななかで、恋次は違和感を感じた。
ーー隊長の霊圧が、無えだと?
おおよその場所の目星はついている。しかし霊圧が感じられないとなれば、相手を片付けてすぐに移動してしまったのか。だとすれば困る。ただでさえ同行者がこうなのだ。心もとないにもほどがあるだろう。
「こりゃ、スゲエな。さすが隊長だ」
戦場となった場所は凄惨たる有様だった。まるで巨大な獣が数十頭も暴れまわったかのような削れ方をしている。恋次ではここまでの光景を作り出すことはできない。
「恋次!」
「くだらねえ事言ったら蹴り倒すぞ」
「違うでヤンス! あれを見るでヤンス」
ドンドチャッカの指差す方向を見やる。さして離れてもいない。
近づいてみると、仰向けに倒れている少女がいた。全身に切り裂かれたような傷がある。薄手の布もボロボロになっており、血でかろうじて肌に張り付いているようなものだった。
傷ついてなお可愛らしく整った顔立ちを見せる黒髪の少女。
今こそ眠るように倒れているが、頭の両側に付いた角のような仮面の名残から、警戒指定されている
「……ぅ、…………ぁ」
細指が少し動いた。生きている。弱々しい呼吸音が二人の耳に届いた。
「こいつがニルフィネス、だよな?」
情報通りの容姿からそう推測する。
そして恋次の頭の隅に思い浮かぶのは、殺せるのならば殺せという指令でもあった。死神を死の淵に追いやるほどだからだ。危険性も考慮してついでという現実的ではない命令でもあったが、弱っている少女ではロクな抵抗もできないだろう。
白哉が仕留めそこねたとは思えない。しかし少女は虫の息であれ、こうして生きている。
「れ、恋次?」
斬魄刀の柄を握り直したのを横から見たドンドチャッカが困惑気味に名を呼んだ。
「……わかってる」
だが、止まるつもりはない。この少女が日番谷たちを完封できるほどの実力があるのを知っていた。このまま待っても死にそうだが、仮に見逃したところで万が一にも生きながらえれば、大きな脅威となるだろう。
ーーああ、クソ。
ーー気が進まねえな。
かといって、恋次が冷血漢なのかといえば否だろう。
たとえそういったことを
つくづく嫌な仕事だと思う。
脅威を消すと考えても他にやりようがあれば、と。
斬魄刀を始解の状態にして振り上げた。
これ以上苦しませないようにするのだと自分を納得させて、振り下ろす。
「ーーあ?」
肉を断つ音は聞こえなかった。始解の『
少女に、ではない。さっきまで気配すら感じなかった
それがおかしい。たかがそんな軽い仕草で受け止められるような柔な斬撃を放たなかった。
「あ、あ、アワワワワワ、ワワワワワ……ッ!!」
恋次の背後でドンドチャッカが恐怖に支配された声を出して尻餅をついた。後ずさろうとしても手が虚しく空を切っている。
その理由はわからない。だが、これから知る事になるのは理解できた。
女が俯きがちのまま口を開く。
「……いま、この娘を殺そうとしたわね?」
身を灰にされるような殺気が恋次を襲った。勘に従って大きく飛び退いたのが唯一の幸運だった。
あと一瞬でも遅れていれば手に持った斬魄刀と同じように、体の上半分を消滅させられて、いや、本物の灰にされていただろうから。
炎が一面を支配した。
それも情報通り。この女、アネットのことは知らされている。以前、自分の腕を斬り飛ばしたグリーゼと同じ
思わぬ地雷を踏んでしまったことに、そして重力が倍加したかのような圧力に、ドッと全身から汗が噴き出した。
ーー聞いてねえぞ!?
ーーホントにコイツが
少女を優しく抱き上げたアネットが、その傷だらけな矮躯を見やる。切れ長のルビーのような目を細め、己の白い手で少女の顔についた血を拭う。
「そうね。アーロニーロが死んでから嫌な予感がしてたんですよ。この娘なら、自分から危険に突っ込んでいっちゃうし、技術は得ても殺すことなんて最近あんまりしてないから勘も鈍ってるかも、って。それに、これはあなたがやったワケじゃないってのは頭では理解できてるのよ」
一歩、女が右足を踏み出す。出した脚の周辺の白砂が灰となって舞い上がり、羽のようにアネットの周囲をまわる。
「まあ、こういう時は『なんでこんなことを?』とか、『仲間を傷つけないで』とか言うのが主流なんでしょうけどね。ああ、ダメ。そういった気の利いたこと、いまのアタシじゃ言う余裕もありませんね」
とばっちり? 単なる間の悪いさ?
そんなものなど、女には関係なかった。行き場のない怒りのまま暴れるだけの力があったからだ。
女は口にする。
「とりあえずーー殺す」
死刑宣告を。
後日、部分的に修正する可能性があります。
侵入者が戦ってる時の
「うわー、メンドい。他の奴らで勝手にやってろよ……」
ニルフィが倒れた時の
「…………よし、動くか」
『ニルフィの
夜一さんの
ニルフィの
表面だけ硬くても打撃が浸透してくるので、物理的に霧を空間内に入れないことだけが対応策である。
最硬と自称してるノイトラさんでも、
「俺が、最きょグェッフォ!?」
などと普通に腹パンが可能。
……活動報告をチョロッと更新しました。