獲物が、馬鹿なエサがやって来た。
周囲のものを下し、切磋琢磨し、かつての栄光に返り咲かんことを夢見て。
逆に言えば、そんな肉体言語上等な場所に足を踏み入れれば、どうなっても保証しかねないということだ。
今しがた逃げている、迷い猫のようにやって来た少女すらも。
「うひゃあっ!?」
寂れた廊下を駆ける少女の背後で爆砕音。さっきまで少女が立っていた床が、幅広の
住人達は遠巻きに、その逃走劇を観戦していた。
「......逃げるな」
「やだよ! 死にたくないもん!」
「......平気だ。戦えば生き残れる」
「どこが平気なのか問い詰めたいね!」
住人達が知っているのは追跡者のほうだ。
破面・No.101、グリーゼ・ビスティー。
それでも、ワイヤーを束ねたような筋肉の鎧や、口元を隠した昆虫のアギトのような仮面が、彼の威圧感をこれ以上ないほどに引き立てている。
住人たちでさえおいそれと襲い掛かれない人物だった。
「ひうっ! あ、あぶない。さっきのは危なかったよ!」
そしてひょいひょいとグリーゼの斬撃を避けていく獲物のほうは、住人達でも知らぬ小さな存在。その珍しい容姿が記憶にないことから、新人なのだろう。
腰辺りまで流れる鴉の濡れ羽色の髪は、彼女が一歩床を蹴るたびに跳ねまわった。無垢と無邪気の光を凝縮させたような金色の双眸がせわしなく動く。柔らかそうな真珠色の肌や、細見に加えて華奢な体躯から、とても荒事に向いているようには見えない。
仮面の名残は、耳の上から髪を掻き分けて後頭部にまで沿うように伸びる大きな角だ。
細身の斬魄刀は柄が右上になるように腰の後ろにひっかけられていた。
これでも珍しい容姿なのだが、ここまではまだ、いい。
気になるのは、少女の姿が幼い少女のそれということだ。男型なら若くとも青年のような姿で、女型でも同じくらいなのが普通である。
しかし当の少女は、現世のものと比べれば、12、3歳ほどにしか見えない。
腹部で開いたパーカーのような死覇装が包み込む肢体は、まだ膨らみかけで、ひどく背徳的な色香を漂わせている。けれど
「うわっ、ヤバっ」
少女の脳天めがけて大剣が振り下ろされた。
小さな影が掻き消える。
一瞬のこととはいえ、住人達はその姿を見失った。けれど少女は少し前方に現れると、すぐに逃走を続行。グリーゼもそのままあとを追った。
そこでようやく、住人達は疑問を抱く。
なぜ、グリーゼが少女を追っているのかと。
怒らせたのかと思えば、グリーゼの表情は冷静だ。彼はこれといって同族に襲いかかる危険な性格ではなく、それが不思議に思う原因だった。
「なんで追ってくるの!? 私はニルフィネス・リーセグリンガー! きっと人違いだと思うな!」
「......本気で俺と戦え。そうすれば用は済む」
「やだよ、そんなの。勝てるワケないもん」
「……勝てたのなら、俺はお前の配下になろう」
「いらないよ! キミみたいな大きい人なんて養っていけない!」
たしかに、このニルフィネスという少女は客観的にグリーゼに勝てそうではない。容姿もそうだが、
「......戦えば、すべて分かることだ」
「死にたくないから却下!」
「......あくまでしらばっくれるか」
グリーゼはふいに連撃を止めた。
怪訝そうに立ち止まった少女が見守る中、グリーゼが大剣を床に突き刺す。
そして紡ぐ。
「踏み
霊圧の波が、崩れかかった柱を吹き飛ばした。
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晴れて
ならばとウルキオラの背を追ってニルフィが付いていくと、
「どうしてお前が来る」
彼の自宮の前でつまみだされる。首根っこを掴まれてひょいっと。
この
そうしてワクワクしながら入って行ったのだ。
そこが
いたのはやる気、じゃなくて殺る気満々な先輩方。出会うたびに彼らが襲い掛かって来たのには驚いた。情けない悲鳴を上げながら背を向けるほど驚いた。
--違う。たしかに遊びだろうけど、私はここに遊び心を見いだせないよ......。
逃げまくっているうちに追跡者は一人となる。彼はグリーゼ・ビスティーと名乗り、ニルフィを追っていたほかの
「......本気で俺と戦え。そうすれば用は済む」
「やだよ、そんなの。勝てるワケないもん」
「……勝てたのなら、俺はお前の配下になろう」
「いらないよ! キミみたいな大きい人なんて養っていけない!」
ニルフィは見ていた。仮にも元
「......戦えば、すべて分かることだ」
「死にたくないから却下!」
そもそも自分の正確な実力をニルフィは量り兼ねている。ここの住人達と比べて霊圧が勝っているのは、
「......あくまでしらばっくれるか」
なにやら勘違いしているらしいグリーゼが、ふいに斬撃を止め、得物を床に突き刺す。
--諦めてくれた?
ほのかな希望は、吹き荒れた霊圧によって砕かれた。
「踏み
「うわーーッ!?」
霊圧の奔流で、ニルフィの死覇装がはためく。
「私なんかに使うのか......」
なにをしたのか分かる。だからニルフィのほおは引きつった。
「グリーゼさん、そのぅ......ぶっちゃけ、土下座何回で許してくれる?」
「......それよりもやる気になったか?」
「なってたら土下座なんてしないよ!」
視界が晴れ、ニルフィの
そこにいたのは、おそらくグリーゼだ。
たとえ重騎士じみた装甲を纏っていようと、目の前にいるだけで剣圧によって切り裂かれそうな圧力を放っていようと、グリーゼなのだ。
彼の
これだけならばあまり脅威ではないかもしれない。誰があんな生物にやられるかと、鼻で笑うかもしれない。
しかし。しかしだ。人間も含め、すべての生物を同サイズにして戦わせた場合、その勝者に蟻という候補が必ず上がることも忘れてはいけない。
「それにしてもスゴいカッコいいね。こんな状況っていうか、私が相手じゃなければファンになっちゃいそうだよ。本当にそう思う」
「......光栄だ」
頭部すらも騎士じみた仮面に覆われているグリーゼがかすかに頭を下げた。
「だから、さ。見逃してほしいなぁ~って」
「......なぜだ? お前ほどの強き存在が戦いを回避する理由が分からん。見たところ、お前は
「それこそ買いかぶりだよ。だってさ、私って藍染様にまだ数字貰ってないんだよ」
「......なに?」
「戦力として期待されてないんじゃないかな。だからグリーゼさんの勘違いじゃないの? たしかに私は
「......かつてのネリエルと違い、単純に戦いたくないだけか」
口では言いつつも、グリーゼは剣を降ろさない。
「......だが、俺が認めよう。お前は強いとな」
ニルフィが片眉を上げ、続きを待つ。
「現にここの住人の攻撃を一度も受けていないな?
「そんなの、ただの小手先だよ。だってーー」
ニルフィの眼前に突如として肉厚の刃が迫る。
息を飲んでニルフィが背後に大きくトンボ返りした。
剣は床に叩き付けられる直前に停止し、切っ先をニルフィに向ける。先端に霊圧が集束。
霊圧の奔流がニルフィを襲う。少女はグリーゼを中心とするように時計回りで疾走していく。それを追うように
ニルフィが半円ほど移動したとき、グリーゼが切っ先に霊圧を収束させながら、柄を握る手をひねる。
極太の閃光が空気を焦がす。
「問答無用かぁ」
気の抜けた声をポツリと漏らし、ニルフィはそれも回避した。真っ直ぐに飛ぶと分かっていたので、避けるのは容易い。
が、
直後、ニルフィの背後にグリーゼが出現した。彼女の首筋めがけて剣が突き出される。ニルフィがその場で跳躍。その間に体を半回転させ、そっ......と大剣の腹の上に右足を乗せた。
そして左脚の先がグリーゼの顔面に向けられる。
放たれた霊圧の塊がグリーゼを吹き飛ばし、ニルフィは羽のように床に着地した。しかし顔色はすぐれない。
「無傷って……」
「......やればできるな。久しぶりに傷がついた。」
グリーゼが煙の中からゆっくりと現れて悠々と剣を肩に担ぐ。彼の言う傷も、鎧の表面に髪の毛の先ほどの跡しか残っておらず、実質的に無傷だろう。
「......俺にはあまり派手な特殊能力が無くてな。ポテンシャルだけならそこそこあると自負している」
堅実ゆえに、崩すのが難しい。
「......そろそろ、戦い方というものを思い出してきたか?」
「まぁ、そうだね。思ったよりグリーゼさんとは戦えそうだよ」
ニルフィは手を握ったり開いたりして、深く頷く。
凛とした表情になり、グリーゼを見つめた。
「......おお、そうか。これでやっと、本気の戦いができるというわけか。ここには戦いしか楽しみがなくてな。より強者との戦闘が俺はなによりも好きだ」
嬉しそうに笑うとグリーゼは剣に霊圧を纏わせる。空気が鳴動し、塵がその場を引いていく。
先ほどまでは様子見。ここからだと、気を張っていく。
「......来い」
「わかった。行かせてもらうよ。これが私の本気の」
ニルフィが掲げた右手にまばゆいばかりの霊圧が込められ、
「--なんて言うわけないでしょッ!!」
振り下ろす。
攻撃ではない。音もしない。
しかし、無駄にキラッキラで気持ち悪くなるぐらい様々な色の光が乱舞し、周囲一帯を染め上げた。野次馬を含め、グリーゼの視界は完全に潰されるほど、その光量はすさまじい。
「人は言ったのさ。--逃げるが勝ちってね!」
捨て台詞を残し、ニルフィの気配が消える。
光の爆発はそれでもしばらくは続き、それが消えた後に残ったのは、あきれ顔のグリーゼだった。
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グリーゼを出し抜いたニルフィは、ふらふらと崩れた廊下を進んでいく。
あの戦いは茶番に成り下がったが、それでいいと彼女は思う。食事でもない限り命を奪うのは面倒だからだ。
「あれ、これって傲慢かな」
ニルフィは頬を掻く。自分は今、面倒だから殺さないと思ったのだ。それは上からの強者の思考であり、忘れないようにしていた卑屈さは微塵もない。自然にそう考えてしまった己を恥じる。
「ん~」
なんとなく、ニルフィは細くて脆そうな右手の人差し指を、壁に向けた。
グリーゼが使ったような轟音はなく、無音のまま放たれる閃光。けれどその威力は巨大は壁に穴を開け、遠くに見える塔を根元から粉砕した。やっちまったと思うものの、これでも抑えて撃ったのだ。
「ホント、
なんとも、強い弱いの位置づけがあいまいになる。
「
探してみれば、記憶にしろ力にしろ、なにかが見つかるかもしれない。
彼らはニルフィと同じように
「そうなったら善は急げ~......って、あれ?」
そこでニルフィは気づく。いまだに
「............」
グリーゼから逃げる時、来た方向とは逆に
疲れていたのだろう。主に精神面で。藍染と相対した時のプレッシャーは知らずにニルフィを緊張させ、彼の悪意のある助言でこんな場所に来てしまった。そしていきなり一方的に襲われ続け、止めてと言っても聞かれない。
気弱になっていたのだ。
その場でしゃがみこみ、体を自分の腕で抱くようにした。
しばらくフルフルと震えていたニルフィの大きな眼に、ぶわっと厚い涙の層ができる。
「--むおっ!? どうしたのかね、
そんなときだった。ニルフィがとある紳士と出会ったのは。
主人公の前に紳士さんがログインしました。
オリジナル技
霊圧のエネルギーを全て光エネルギーに強引に変化させた技。無駄なエネルギーを割かないので、無駄に効果時間も長い。主人公がその気になれば一日中は残る、非常に迷惑極まりない目くらましである。