ニルフィはきょろきょろと周囲を見回しながら、さっさと先に行ってしまうウルキオラの背を追っていた。いくら興味深い場所でも、こんな巨大な場所ではぐれたら大変だ。
床は黒く、壁は異様に白い。ロクな光源がないはずなのに外よりも明るいとはどういうことか。
途中で牛のような骨を被った
「うろちょろするな。これ以上藍染様の命令の妨げをするのなら、勝手に連れていくぞ」
「だってすごいんだよね。まったく現実味がないっていうかさ。というか、無駄に大きすぎないかな? ここつくった人は、家が大きすぎれば逆に不便だっていうことを知らなかったのかもしれないけどさ。勿体ないねー」
「......騒々しい奴だ」
「ウルキオラさんは何か思わないの?」
「特にはな」
ずんずんと先に進んでいくウルキオラを見て、ニルフィは小さくため息を吐くと、黒髪をなびかせながらトコトコ付いていく。
あまりにも無感情すぎるとニルフィは思った。もしこの城があばら家のような場所でも、彼は不満一つ漏らさないだろう。もし
道を何度も曲がって上って下って、どれほど歩いたのだろう。ここの住人達はちゃんと地図なしで歩けるのかと心配になる。
「私たちはその藍染さんのトコに向かってるんでしょ?」
「ああ、そうだ」
「どういう人なのかな」
ウルキオラは表情を変えずに口だけを別の生き物のように動かす。
「この
「死神......? なにそれ」
「そこから説明が必要か」
馬鹿にされたような気がして、ニルフィはむっとしながらウルキオラに詰め寄る。ウルキオラは鬱陶しそうにニルフィの顔面を掴んで引きはがした。
「
「え、でもそれって」
「もちろん、俺たちの敵になる。だが藍染様は違う。今は反旗を
「それって......二股してた悪女役みたいだね」
「例えは分からんが、お前の語彙力が少ないことだけは理解できた」
いつの間にか足は止まっていた。ニルフィの目の前にある扉が、目的地であることを主張している。
一拍置き、ウルキオラが足を踏み出した。彼の白い死覇装のすそをニルフィが握った。
「なんだ」
「一応聞いておくけど、その藍染って人、強いの? えっと、たとえばここの人たちを総動員して立ち向かわせてみたりとかしたら」
ウルキオラは躊躇なく答える。
「藍染様が勝つだろう」
絶対的な自信に裏付けされた言葉に、ニルフィは反論しなかった。自分よりも先に藍染と出会っている人物の言葉に間違いはないと悟ったからだ。
ウルキオラがニルフィの目をのぞき込む。
「ニルフィネス、わかっていると思うが、お前は......」
「ニルフィ」
「......なんだと?」
「私のことはニルフィって呼んでって言ったよね。それにニルフィネスって仰々しいし長いと思わない? 効率重視したら愛称のほうがよっぽどいいと思うんだ。だからさ、ハイ、復唱」
「......」
深淵のようなウルキオラの黒い目は、しばらく金色の目を見返していたが、彼は目を一度閉じて言った。
「リーセグリンガー、わかっていると思うが......」
「なんか離れた!?」
「うるさい奴だな。とにかく聞け。藍染様の前では粗相がないようにしろ。あの方はそれほど甘くはない。少なくとも、いま俺と接しているような態度はやめろ」
「それってウルキオラさんが甘いってこと?」
「なにも思わないだけだ」
話はこれで終わりとばかりにウルキオラが扉を潜る。
ふむ、と扉の前で一瞬立ち止まったニルフィも、すぐに入った。
顔の想像は出来ない。ベタに強面かもしれないし、聖人のような顔して中身は獣同然かもしれない。
そんな不安なものは、すぐに吹き飛んだのだが。
室内に入った瞬間から重圧が、ニルフィの矮躯を押し潰そうと襲い掛かって来た。
発生源は三つ。
広大な室内の奥、その右側に立つ糸目の男だ。立ち方からして飄々とした雰囲気を醸し出し、蛇を連想させるような気配もする。張り付いたような笑みがこれ以上ないほどに嘘くさい。
左側に立つのは褐色の肌とドレッドヘアーが特徴の男だった。目隠しをしており、凛とした佇まいが薄暗闇の中で浮かび上がる。実直かつ生真面目な性格だと思う。
そして問題が、中央の柱のはるか高みに座っている男だ。
一目で、ニルフィは彼が藍染という人物だと悟る。
うしろに髪を流して流麗な風貌なのが遠くからでもわかった。穏やかな海を連想させてくれるようだ。
特徴的なのはその双眸だ。目は人格を表すとも言われているが、この男に至ってはそれゆえに何を考えているのか分からなくさせる。光沢のない黒が凝縮したようで、見つめ続けると深みにはまってしまいそうだ。そして、そこに自分が映っているのかと疑問に思う。
得体のしれないものだけで体を構築され、運よく人の形に収まっただけにしか見えなかった。
「件の
ウルキオラの声でニルフィはハッと我に返る。どれほど藍染を見ていたのだろう。ほとんど一瞬とはいえ、あの呆けていた時間に襲われればひとたまりもなかった。
あの目は変だ。ウルキオラの感情がないことに起因するわけでもなく、無価値で無感動に風景も生き物も一緒くたに観察する目だ。揺れ動くことなく、驚愕という感情すら浮かばないのではないのだろうか。
「ご苦労、ウルキオラ。--さて、よく来てくれたね、ニルフィネス・リーセグリンガー」
「あははは、どうも、改めましてニルフィネス・リーセグリンガーです。名を呼ぶときは、どうかニルフィ、と。以後お見知りおきを~」
礼節なんて記憶から薄れているので、かなり緩い挨拶になってしまった。けれど藍染からはお咎めもなく、目隠し男は口元にかすかな満足げな笑みを浮かべている。セーフらしい。
まだ未定ではあるが、一応上司になる相手だ。粗相を働いて外にほっぽりだされるならまだいいが、堪忍袋の緒をぶちぎって消されそうになるのは勘弁である。いくら
「こちらこそよろしく、ニルフィ。さて、君はもう予想しているかもしれないが、私から提案があるんだ」
涼やかな声が続く。
「君には私の陣営に入ってもらいたいんだ。もちろん、タダとは言わない」
表面上はお願いでありながら、威圧感が言葉の端々に増していった。
「これを受けてくれるのなら、君は
そこらへんにはニルフィはあまり欲を見いだせなかった。力を得ても、結局のところ兵器扱いなのは変わりない。
「ありがたき幸せ」
「浮薄な嘘はやめたまえ。骨まで透けて見えてしまう」
おどけるように一礼したニルフィに向かって声が投げかけられた。上げられたニルフィの顔には苦笑が張り付いている。
「ま、そうですね。私としては力云々とかは、あって困るものではないですけど、なくてもいいんです。むしろ、記憶の方が大事ですね。思い出せないんですよ」
「ほぉ?」
はじめて藍染の目に興味らしい光が宿った。
しかし錯覚のようにニルフィが見返すうちに消え去る。
「ここに来たのも、このお城になにかピンと来たからなの......なんです」
「ふむ、なら空腹は耐えられるようになったのかい?」
「ええ、そうですね。......貴方は私の過去を知っているんですか?」
「さあ、どうだろうね。私はこの目で数多の
も記憶に残っているかもしれない」
嘘だ。そう言及しても、おそらく藍染は答えてくれない。
いろいろ考えてみればおかしい点もある。ウルキオラを遣わせるような準備のよさや、そもそもタイミングを見計らったようにニルフィの目覚めと同時の出来事。
この場の会話すらも手の平の上だと覚悟しておいた方がいいかもしれない。
「そうですか」
「ここでは飢えに困ることはないと言っておこう。現世からも、君の希望のものがあれば取り寄せてもいい」
「......新人に好待遇ですね」
「君を引き入れられるのなら代えがたい値がつく」
そこまで買いかぶられてもニルフィには困る。
彼女は記憶がないのだ。実力にはいまだにピンと来ていない。
ニルフィが無言のままうつむきがちになる。
「それでいい。これからゆっくり、自分を探して行けばいいさ」
ふらふらとニルフィが頷く。
藍染は立ち上がった。
「では、行こうか」
「行くって、どこに?」
「ああ、それはーーーー君の破面化のためだ。その実力を、これからは存分に振るってくれ」