とある神谷の幻想創造 神の右席編   作:nozomu7

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新たな星と日蝕の下で

「サーシャ=クロイツェフ……?」

 

 当麻は自分に突如として襲い掛かり、馬乗りになっている少女を見て、ポツリと呟いた。

 

 彼女はわずかに首を傾げると、

 

「第一の質問ですが、あなたはなぜ私の名前を知っているのですか?」

 

 当麻はそれに答えることができず、結局L字のバールを引き抜かれて、頭から血が引いていく感覚を味わうこととなった。

 

「わあ! ミーシャになってもサーシャになってもこんな感じか!? 大体、あの天使は何なんだ!? 本当にお前とは関係がないのか?」

 

 ほとんどパニック状態で当麻はそう口にしたが、その言葉に彼女は沈黙した。

 

 この少年は、何か自分の身に起こったことについての情報を持っているのではないか、と思ったからだ。

 

 というのも、8月の終わりに、彼女は他者の魔力や礼装に近づくと、胸に奇妙な圧迫を覚える、という体質を得た。

 

 ロシア成教の分析班の話によれば、自分の体内に大天使に匹敵する天使の力(テレズマ)が存在していた痕跡があったらしいのだ。

 

「右方のフィアンマってやつを知っているか?」

 

 サーシャが考え事をしていると、当麻が質問を重ねてきた。

 

 その後にも追加された質問によれば、そのフィアンマという男はエリザリーナ独立国同盟にいたサーシャを攫い、あの大天使を召喚するための触媒にしたらしい。

 

「フィアンマが召喚の魔術……この場合は儀式っていうのか? とにかく、アクションを起こした場所を教えてほしい。あと、大雑把でいいから手順や使われた道具も」

 

 サーシャは、当麻のことなど覚えていない。

 

 しかし、少なくとも利害はある程度一致しているようだ、と結論付けたのか、彼女も当麻の質問に回答してくれた。

 

 彼女が気が付いた時には、儀式は終了しており、その場には首謀者であるフィアンマの他に、ロシア成教の魔術師が複数いたらしい。しかし、難事を終えた後に一瞬の隙をつけたことで、彼女は脱出に成功した。

 

 もっとも、あのフィアンマは超遠距離を一瞬で移動できるようなので、用済みであったのかもしれないが。

 

 儀式場は十字教の術式で構成されていたが、基本的な儀式魔術とは異なり、四大属性をバランスよく並べるのではなく、『火』を集中的に運用する奇妙なつくりをしていたという。

 

 しかし、本来『火』に対応する大天使は、天使長『神の如き者(ミカエル)』だ。にもかかわらず、この場に召喚されたのは『神の力(ガブリエル)』である。

 

「――ひゃわんっ!?」

 

 そこまで説明した時、サーシャは奇妙な声を上げた。

 

 当麻の右手が彼女のほっぺたまで伸びたからだ。

 

 小刻みに震えるサーシャの様子には気づかず、当麻は頭、肩、腋、お腹、太股などをぶつぶつ言いながら順に触っていく。

 

 さすがに耐えかねたサーシャは、L字のバールをぶん回して、その直角に折れた角の部分を、当麻のこめかみにクリーンヒットさせた。

 

「第二の質問ですが、あなたはワシリーサと同じ魂を持つ者ですか?」

「ぎゃぶっ!? 何、こっふ! わしりーさ?」

 

 そんな一幕があったものの、サーシャは説明を続けた。

 

 その儀式上は高級なものではあったが、使用されている霊装は非常にポピュラーなものであった。

 

 ただし、そこにはひとつだけ、奇妙な霊装があったという。

 

 火の象徴武器である、先端を赤く塗り棒磁石を差し込んだ杖ではなく、ダイヤル式の南京錠のような円筒形の霊装を、儀式場の中央にはめ込んでいたらしい。

 

 その霊装には、心当たりがあった。

 

 インデックスの10万3000冊の知識を引き出す、遠隔制御霊装。

 

 しかし、彼はすでにその霊装を使いこなしていたはずだ。それをさらに改造するということは……。

 

「まさか『遠距離から他者を操る』霊装そのものの効力を応用して、ミーシャ=クロイツェフを制御しているっていうのか……?」

 

 

 

 

 

 白い雪原の上で、御坂美琴は頭上を見上げていた。

 

 こうしている今も、あのツンツン頭の少年を乗せた巨大な要塞は、高度を上げていた。

 

(……ええい! ここまで来ても蚊帳の外とか絶対にありえない!)

 

 今の状況を見る限り、どう考えてもあいつともうひとりの少年は、この騒乱の中心にいる。第三次世界大戦の中心にいるだなんて、どんだけスケールが違うんだあの馬鹿と思わなくもないが、説教をするのは安全な場所まで引きずり込んでからだ。

 

 彼女の妹は、ロシア製のアサルトライフルをぬいぐるみのように抱えながら、

 

「どうにかしてあの人へ支援をしたいのですが、とミサカは議題を提案します」

「……それはそうだけど、具体的にどうやって近づくかが問題なのよね」

 

 妹達(シスターズ)はぐるりとあたりを見渡すと、半壊したロシア製のミサイルランチャーを指さした。

 

「まずはあれを発射し」

「死ぬ」

 

 姉が即決で却下する。

 

 しかし、普通のヘリコプターなどでは届きそうにない高度だ。本気で行くのであれば、飛行機は必要になるだろう。

 

 その時、妹達がピクンと顔を上げた。彼女のヘッドセット状の無線装置に、連絡が入ったのだ。

 

「ロシア側の通信を傍受しました、とミサカは報告します」

 

 ニコライ=トルストイという人物の名前が何度か登場しているが、おそらくは独立部隊の暗号通信。どうやら上空の要塞に対し、地上から大規模な攻撃を行おうとしている模様なのだ。

 

「ふうん。まずいわね。あそこにいるあのバカも巻き込まれそうな雰囲気じゃない。で、そいつらの使おうとしている兵器は?」

 

 彼女の質問に対し、妹達は記号で答えた。

 

「Nu-AD1967」

「何よそれ?」

「アメリカ側の呼び名ですね。こちらでは『アパースナスチ』と呼ばれているようです、とミサカは通信の内容に耳を傾けます」

 

 事務的ではあるが要点を得ない答えを返す妹に対し、姉はもう一度訪ねた。

 

「だから何なの?」

 

 10777号は、その疑問に簡潔に答えた。

 

「旧ソ連製の戦略核弾頭です、とミサカは報告します」

 

 

 

 

 

 ロシアの大雪原の夜空に、蒼い光が浮かんでいた。

 

 ミーシャ=クロイツェフ。

 

 あるいは、大天使『神の力(ガブリエル)』。

 

 2メートル前後のその体は、神話の中で語られるように、女性の形をしていた。

 

 しかし、人間の姿をしていながら、そこには目も鼻も口もない。皮膚表面がすべすべとした白い布で覆われていて、その凹凸が、髪までを含めた、女性の形をつくっていた。

 

 ところどころに金色の葉脈のようなものが走ったその体からは、淡く青い光が放たれていた。

 

 その背中に生えるのは、100ほどもある氷の翼だった。

 

 その姿は、幻想的にも見えるかもしれなかった。

 

 

 

 だが、その大天使も今は、暴力の化身だった。

 

 

 

 戦車や駆動鎧(パワードスーツ)が密集する敵の中央に、上空から着弾すると同時に、周囲へ3桁にも上るその翼を乱雑に振り下ろす。

 

 そんな雑な挙動だけで、今までロシアの地を蹂躙してきた学園都市の部隊は、子供に蹂躙される蟻の行列のように吹き散らされた。

 

 その光景を、学園都市の戦車兵やロシア軍の歩兵が、雪原の上で見ていた。そして、己の死を待っていた。

 

 待つことしか、できなかった。

 

 しかし、

 

 

 

 ゴッ! という轟音が炸裂し、何者かが空中で大天使と衝突した。

 

 

 

 燃えるような赤いドレスの女は、右手に閃光の剣を手にして、大天使と上空300メートルで衝突したのだ。

 

 ミーシャの体が、クレーターを生み出さずに地面の上をはねた。そして、赤いドレスの女は、戦車兵のすぐ近くに着地した。

 

 パラシュートも何も使わず、ただ2本の足でふわりと。

 

「やはり、お前の武器無効化術式は通用しないの?」

「恐れながら、格が違いすぎます」

 

 ほかのイギリスの魔術部隊――つまりは『清教派』の『必要悪の教会(ネセサリウス)』であるが、学園都市とロシア軍双方の負傷者の手当てに回っている。そもそも、彼らは本来の役割に対して、今までが殺しすぎだったのだ。

 

『聖人』神裂火織がこちらにいないことが悔やまれるが、文句を言う筋合いなどなかった。

 

「行けるか、フランス人」

「私を使いつぶす気まんまんでしょう」

 

 そんな軽口を叩きながらも、彼女たちは不敵に相手に剣の先を突き付ける。

 

「来やがれ怪物。我が手にも同じ大天使の力が集約されていることを知らしめてやるの」

 

 

 

 

 

 低い震動が、断続的に続いていた。

 

 そこから感じられるのは、地上での戦闘の余波だ。空中にある『ベツヘレムの星』にそれが伝わっているという事実に、当麻は身がすくむ思いがした。

 

「……さらに高度が上がってるな」

 

 辺りの雲の様子を見て、当麻はそう言った。

 

 サーシャが言うには、『ベツヘレムの星』というのは、その星を見た預言者が『神の子』の誕生を確信したといわれるものであるらしい。

 

 それをもとにしたものが現在、上空へ浮かびつつある。その事実に、とてつもなく不幸な感じだ、と当麻は感想を漏らした。

 

 その大きさは、半径40キロほど。

 

 そして当麻がいたのは『後方』に近い場所だった。そして、サーシャが言っていた儀式場は『右方』の端にある。

 

「この要塞のサイズを考えると、フルマラソンのスケールだぞ。走り回るだけで体力なくなりそうじゃないか」

「第四の回答ですが、私もそこまで体力に自信はありません」

 

 そう言って案内されたのは、モノレールの車両だった。本当に移動目的しかないのか、一両しか用意されていない。

 

「……なんでこんな遺跡の塊のような場所にモノレールが?」

「第五の回答ですが、私に訊かれても困ります」

 

 モノレールはしばらく要塞の中を進んでいたが、やがてトンネルの中を飛び出すような感じで、その姿を天空の下へさらけ出した。

 

 崖の下には雲が広がっていたが、ぽつりぽつりと存在する切れ目から、赤いものが見えた。

 

 何かのテレビ番組でやっていたことを思い出す。衛星からみたアマゾンというものだった。大規模な焼き畑が行われている地域は、衛星写真でも赤く輝いて見えるのだ。

 

 ギリ……と奥歯をかみしめる当麻であったが、そこで分厚い雲が何かによって引き裂かれた。

 

「地対空ミサイル……ッ!?」

 

 起死回生の一手かもしれないが、このままでは当麻たちが乗るモノレールか、その線路に当たる危険性がある。

 

 当然、当麻たちに逃げ場はない。

 

 轟音がさく裂した。

 

 ミサイルが直撃したのではない。

 

 何者かが100もあろうかというそれらを撃墜し、その爆発による衝撃がモノレールを襲ったのだ。

 

 

 

 大天使ミーシャ=クロイツェフ。

 

 怪物が、走行車両に速度を合わせて飛行していた。

 

 

 

 大天使と視線がぶつかった。

 

(まずい……!)

 

 当麻も『御使堕し(エンゼルフォール)』の一件の時に、天使という存在について、簡単に説明を受けている。

 

 細かいことは覚えていないが、あれは主あるいは召喚者の指示に従って動く、ロボットなのだと。

 

 右方のフィアンマならば、自分の『計画』に必要であるらしい当麻やサーシャに対して、過剰な攻撃はしないかもしれない。

 

 しかし、目の前の大天使に、その指示が伝わってはいなかった。そのまま『水翼』が振るわれる。

 

 巨大な岩をぶつけたような、すさまじい音がさく裂した。

 

 ただし、それはミーシャによる一撃ではない。

 

 

 

 隣から突如として飛来した何者かが、猛烈な速度で飛び蹴りを放ったからだった。

 

 

 

「だ、第二の質問ですが、いったい何が……ッ!?」

 

 大天使。

 

 そんな存在に有効打を加えられる存在など、当麻は親友や『聖人』以外には1人しか知らない。

 

 科学の天使。

 

 AIM拡散力場の集合体。

 

「風斬、氷華……ッ!」

 

 その姿は、9月1日に初めて知り合ったその時と異なり、紫電の翼と天使の輪を携えていた。その姿は、9月30日に暴走させられていた、その時と同じ姿だった。

 

 しかし、あの時と異なるのは、今の彼女は他者に操られた存在ではない、ということだ。

 

 一瞬、こちらにちらりと見せたその視線は、今までに知っていたような、気弱な視線だった。

 

 しかし、次に彼女が見せた視線は、今までには知らないような、強い意志を秘めていた。

 

 両者が、その手に翼と同質の剣を携えると、視界が遮られた。モノレールが、トンネルの中に入ってしまったのだ。

 

 しかし、ズゥゥゥゥゥゥン! という凄まじい震動が、起こったことを示していた。続けて、2回、3回とそれは続く。

 

(……何がどうなってやがる!?)

 

 

 

 

 

 風斬氷華。

 

 彼女が天空を舞うのは、これが初めてであった。にもかかわらず、その翼は彼女の思い通りに揚力を生み、その体を自在に移動させていた。

 

『友達』を守る。

 

 その想いではるか北の大地までやってきた彼女は、そこで見つけた。自分と同じような存在でありながら、モノレールに乗った彼女の恩人を殺そうとしている存在を。

 

 高度5000メートル以上の大空で、彼女は正面の敵をにらみつける。

 

 似た者同士だった。

 

 

 

 天使。

 

 

 

 そう感じた彼女の感想が、はたして相手に対するものだったのか、あるいは自分自身に対するものだったのか……おそらくは、両方なのだろう。

 

 両者は、互いに翼と同質の剣を生み出すと、そこで静止していた時間が動き出した。

 

 

 

 ゴッ! と。

 

 球場に広がる衝撃波が、世界を揺さぶった。

 

 

 

 

 その剣で鍔迫り合いを行いながら、互いの翼が動いた。

 

 氷の翼が振るわれ、紫電の翼がそれを引き裂き、紫電の翼が襲い掛かり、氷の翼に砕かれる。

 

 その中で、風斬には声が聞こえた。

 

「hbo……帰……fbyuo……」

 

 感情に色がついている。それが分かる。

 

「帰る。fr位置。正しい。座。uj。天界。元の。あるべき。qe場所」

 

 ブレている。

 

 その理由が、同じ存在である彼女には分かった。

 

「……違うフォーマットの力が、強引に混ざってる……?」

 

 火が見えた。

 

 水と油のように、互いに反発しあう存在。

 

 しかし、それは本来あり得てはならない、邪道なものだ。

 

「戻る。作業t。必要。行う。フィアンマ。利用。利害。接点。y計画。協力」

「……そのために私の大切な『友達』を傷つけるというのであれば、私は持てる力の全てを使ってあなたを止めます」

 

 今一度、大きな衝突が起こった。両者は、互いに距離を取る。

 

 その時、大天使がピクリと動いた。風斬とは別のものに意識を向けたのだ。

 

「捕捉」

 

 必要な言葉だけを、それは口にした。

 

「必要。情報。羊皮紙。入手」

 

 

 

 

 

 その姿を、神谷駿斗とユリヤが見ていた。

 

「大天使『神の力(ガブリエル)』……ここまでやるものか!?」

 

 3人を相手にしながら、駿斗はその惨状を感じていた。

 

 天災。

 

 それを体現するがごときミーシャ=クロイツェフの振る舞いに、駿斗は驚愕を禁じ得ない。

 

 8月の時のものとは、また別の感覚がした。それは、サーシャ=クロイツェフという媒体(アバター)を有しているか否かという差なのであろうか、駿斗には分からなかった。

 

 それよりも大切なのは、今目の前の災害である。

 

「あれのおかげ、で雪の術式が使いづらい、です。『風』を中心、にした術式に改良、することで、強引にしのい、でいますが」

 

 ユリヤは、得意とする雪の術式が制限されている。そのため、より面倒なことになっていた。

 

「あそこ、まで純粋な天使を引きずり出す、には、何かしら特殊、な『媒体』を用意する必要、があるはず……」

「その件に関しては、おそらく簡単に解決する。ロシア成教のサーシャ=クロイツェフっていう魔術師を確保すればな」

 

 いや、すでに手遅れなんだけど、と駿斗は、迫る砂嵐を風で吹き飛ばしながら言った。

 

御使堕し(エンゼルフォール)という魔術が8月にあった」

「?」

 

 ユリヤはマシンガンのように繰り出される土の弾丸を雪の羽衣で防ぎながら、首を傾げる。

 

 あの魔術自体、そもそも一部の人間しか感知できなかったものである。イギリス清教やローマ正教などの大組織に所属しない、フリーの野良魔術師である彼女には、そのような情報に触れる機会がなかったのであろう。

 

「まあ、簡単に言えば『天使の魂を天界から人間界へ引きずりおろし、地球上の人類全員の魂+天使の魂ひとつが、肉体で椅子取りゲームをした』という感じだ」

 

 そしてその時、サーシャ=クロイツェフの肉体に入った大天使が『神の力』ミーシャ=クロイツェフなのだ。

 

「……なるほど。確かに、その理屈なら、『神の力』を狙って召喚することは、可能かもしれません」

「おまけに、今のフィアンマは、禁書目録10万3000冊の魔導書の知識をものにしているからな」

 

 必要な材料と、それを活用するための知識。

 

 その両方がそろっているならば、『神の右席』でも最強のあの男にできないことは、ほとんどないのかもしれない。

 

 だが。

 

「このまま、黙ってると思うなよ!」

 

 駿斗は、その背中から4枚の翼を生やした。

 

 純粋な天使の力(テレズマ)でできたそれは、赤・黄・緑の3色に輝く。

 

 権天使(アルヒャイ)

 

「……『神の力(ガブリエル)』に水を取られちまっているから、本来のものとはちょっと違うけどな!」

 

 だが、それでもいい。

 

 今、ここで重要なのは、あの大天使の横暴を少しでも止めることなのだから。

 

「……少しはこれで、おとなしくしやがれ!」

 

 幻想天軍(エンジェル・レビリオン)

 

 後方のアックアの必殺の一撃を受け止めた、堕天使の軍勢の砲撃。かつて『神の如き者(ミカエル)』に滅ぼされたその神話をここで使ったのは、駿斗が意図せずに皮肉な一撃となっていた。

 

 なぜなら、彼が狙ったのは『3人』ではなかったのだから。

 

(――まさか、大天使を!?)

 

 駿斗の執念の一撃が、『神の力』を襲った。

 

 

 

 

 

 エリザリーナから借りた乗用車はオートマ車であったため、片腕が使えない番外個体(ミサカワースト)でも運転に大した支障は出なかった。

 

「どちらまで?」

「コソコソ逃げ回ったって消耗するだけだ。一刻も早くケリをつけるためには、騒ぎのど真ん中に飛び込むのが手っ取り早い」

 

 不自然なほど真っ暗になった闇の中で、彼らの乗る乗用車はあっという間に小さな市街地を抜け、雪原へと飛び込んでいく。

 

「……それにしても、ここからでも分かるくらいぶっ飛んでる戦場だよね。非科学的にもほどがある」

 

 その暗闇の中には、巨大な要塞が浮かんでいた。かなりの距離があるはずなのに、それでも視界の空の一角を覆いつくしている。

 

 さらに、その要塞の近くでは淡く光る2体の『天使』が空中で激突を繰り返していた。

 

「が、あ……っ!?」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、突如として胸に強い圧迫感を覚えた。

 

 感覚としては、海原に近づいた時のものに近い。しかし、それを何十倍にも増幅させたような『圧迫』。

 

 その感覚に呻きながら、一方通行は言った。

 

「オマエ、本当にあれに心当たりはねェのか?」

「それはどっちの天使について?」

「……」

「ついでに言えば、学園都市にいるからと言って、それが必ずしも科学的とは限らないとも思うけどね」

 

 番外個体の言葉の意味。

 

 ……それが事実だとするならば、『それ』に深くかかわっている打ち止め(ラストオーダー)を助けるためには、科学『だけ』では地力が足りなくなって当然なのかもしれない。

 

 懐の羊皮紙。

 

 そこに書かれているのは、落書きのような呪文や魔法陣だ。

 

 だが、これは今までの一方通行には存在しえなかった、セオリーの通じない解決方法だ。それを利用するのは、大きな賭けに思える。

 

 しかし、そんなことを考える暇を与えてはくれなかった。2匹の天使が、この車の方へ一気に急降下してきたのだ。正確には、一方が彼らを狙い、その後をもう一方が追っているようだった。

 

「……この羊皮紙の『匂い』につられて来やがったか?」

 

 怪物同士の戦いに、さらなる怪物が追加された。

 

 

 

 

 

 グリッキンは、雪の森を歩いていた。

 

 プライベーティアに襲撃されていた集落を守るため、浜面、ディグルヴと共に高射砲を操っていたロシア軍の兵士である。

 

 現在の集落には、学園都市の部隊が駐留している。それによって、集落の人々はその恩恵を受けることができた。

 

 しかし、グリッキンは元々ロシア軍の人間だ。プライベーティアと彼が交戦した時点で、彼は軍での居場所を失った。

 

 したがって、彼はこれからの行き先として、エリザリーナ独立国同盟などを考えているのだが、今はそれよりも迷子を捜していた。

 

 無理もないことだ。プライベーティアの襲撃によって、大人も含めて誰もが極度の緊張に陥っていた。そこから解放されれば、遊びたがるのが子供というものだ。大人でさえ、酒盛りの雰囲気になっていたのだから。

 

 そんな折、10歳くらいの女の子が姿を消した。

 

 ロシアの冬は厳しい。しかも、この戦争の中、砲撃や爆撃の轟音で、冬眠から目を覚ました肉食獣と遭遇してしまう危険性もある。そのうえ、この辺りには地雷があるという話もあった。

 

 集落から3キロほど歩いたところで、彼は戻ろうとした。子供なら、ここまで遠くまでくれば、不安を感じて元の道を戻っている可能性が高い。

 

 その時、吹雪の向こうにふらりと人影が揺らめいた。.

 

 ただし、子供にしては大きすぎる。

 

「!?」

 

 とっさに樹木の影に隠れた彼は、熊か何かを発見してしまったかと思った。

 

 だが、あれは人影だ。

 

 しかも、極寒仕様の白い戦闘服とその意匠から、ある非公式戦の工作部隊であることが分かった。

 

(『東側の死神』って呼ばれていたヤツじゃねえのか!)

 

 他国の要人の暗殺や、時にはロシアに不都合な国同士の戦争を誘発させることすらやってのける部隊だ。

 

 なぜここにいる。

 

 しかも、車を降りて徒歩で移動している理由は何だ。

 

 一刻も早く、ここを離れて集落に戻る必要がある。そう考えた彼は、樹木の影から一歩踏み出した。

 

 

 

 しかし、二歩目を踏むよりも早く、相手の視線に捉えられた。

 

 

 

「ちくしょう!」

 

 アサルトライフルの銃撃は、幸いにも背を向けて走るグリッキンの頬を浅く裂くだけに留まった。

 

 しかし、その幸運をかみしめている暇もなかった。まず間違いなく、無線で連絡される。その後は、部隊に囲まれて逃げられなくなる。しかも、不幸はそこだけにとどまらない。

 

 足元の雪がライフル弾に吹き飛ばされ、グリッキンは足を絡めて雪の上に倒れ込んだ。そこに人影が姿を現す。工作部隊の男ではない。

 

 今まで迷子になっていた女の子だった。

 

 雪の森に響いた轟音を聞いて、こちらにやってきてしまったのだろう。ただでさえ、ひとりでも逃げ切れる保証はない。しかし、この子を置いていくこともできない。

 

 グリッキンが少女を抱え、走り出したところで再びその足を取られた。雪の上を転がる彼らに、工作部隊のアサルトライフルが向けられる。

 

 そして。

 

 

 

 タァァン! という銃撃が雪の森へ響き渡る。

 

 

 

 だが、それはグリッキンと少女に向けられたものではなかった。

 

 工作部隊の頭上には、木の上に積もった雪があった。その雪を支えていた幹が他の人間に狙撃されたことで折れ、10キロ近い塊が男を上から押しつぶしたのである。

 

 続けて、2人の少女が飛び出してきた。12、3歳ほどの少女たちが、倒れている男から武器を取り上げ、手慣れた様子で縛り上げていく。

 

 その少女たちは、彼にも見覚えがあるものだった。

 

「グリッキン!」

 

 浜面仕上が走ってくる。彼の手には拳銃があった。

 

「……何で……? いや、とにかくここを離れよう。お前らが今縛ったのは、ロシア軍の工作部隊だ。囲まれる前に逃げねえと」

「俺もそいつらに用がある」

 

 その後から、以前は病人のようだった少女がやってきた。どうやら、体調がかなり回復したらしい。彼女は迷子になっていた女の子の手を取ると、自然な様子で距離を取った。

 

「クレムリン・レポートだ」

「なんだって?」

「この集落の近くに、使われなくなった核発射用サイロがある。学園都市上層部に奪われることをロシア軍上層部は危惧していて、先手を打つために辺り一帯に細菌兵器をばらまくつもりらしい。そういったマニュアルが、事前に設定されていたんだと」

「……クソッたれ……」

 

 呻くようにグリッキンがそう漏らしたのは、先ほどの工作部隊のことだ。彼らの存在が、浜面の言葉に信ぴょう性をもたらしていた。

 

 滝壺がロシア語のレポートを読んだ限りでは、細菌兵器をばらまく際には、湿度の状態が重要になる。冬のロシアの寒さでは、ダイヤモンドダストと化して有効に機能しない可能性が高いのだ。

 

 しかし、要するに湿度を高めればよいのだから、水である必要はなく、融点が低い保湿用のジェルで代用できる。

 

 そのジェルを放つための加湿器、スチームディスペンサーを、工作部隊が行動を起こす前に、どうにかして破壊する必要がある。

 

 しかし、その『どうにかして』が問題だった。

 

 すると、浜面はグリッキンに女の子を集落に連れ帰ることと、学園都市の人を説得して、集落全体を避難させるように言ってきた。

 

「ああ、分かったよ! クソッたれ、俺は何があっても集落の人を守ってみせる。だからお前も絶対に死ぬんじゃねえぞ!」

 

 互いに携帯電話の先を突き付けあい、連絡先を交換する。そして、互いの掌を軽くたたいた。

 

 その後は、互いに言葉を交わさなかった。グリッキンは滝壺が預かっていた少女の手を取って、集落の方へ向かった。そして、浜面は自らの仲間たちの方へ戻っていった。

 

「話が終わったなら、さっさと行くぞ」

 

 海鳥の言葉に、浜面は頷いた。

 

「レポートにあった気象や地形のデータから考えると、たぶん、ここから500メートルほど進んだところが怪しい」

「そちらの方向には、小さな山があります。そこから風が超降りてきて、その先に核発射サイロを挟んで集落が超存在するって具合です」

 

 滝壺の言葉を、最愛が捕捉した。

 

「相手側も、時間がないはずです。できるだけ(ふもと)に近い位置で、超設置したいでしょう」

 

 浜面は、兵士のアサルトライフルを回収して背負った。これからの大仕事には、拳銃ではあまりにも心もとない。

 

「はまづら。早く終わらせよう。もうこんな戦争はうんざりだよ」

「それにしても、嫌な日蝕だぜ。どうせなら、オーロラでも見せてくれればいいのに」


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