とある神谷の幻想創造 神の右席編   作:nozomu7

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それぞれの作戦会議

 ドーヴァー海峡は、イギリスとフランスの間にある、30キロ程度の海峡である。なお、ドーヴァーはイギリス側の名称であり、フランスではカレー海峡と呼んでいる。

 

 ヨーロッパではこの海峡を挟んで、イギリスとドイツ、イギリスとフランスがそれぞれ激しい戦闘を繰り広げてきた歴史が存在する。そんな、血塗られた海峡であった。

 

 現在その海峡には、多数の木の帆船が浮かんでいた。昔の海戦の風景を連想させるその光景は、全て魔術によって生み出されたものであった。

 

 この異様な光景は、今回のこの海峡での戦いが、かつての戦争とは異なるものであることを示していた。

 

 すなわち、魔術師による大規模な戦争である。

 

 帆船のうちの1隻の上に立ち、神裂火織とアニェーゼ=サンクティスはその光景を見つめていた。

 

「ここを抜けられれば、あとはロンドンまで一直線です。可能な限り交戦は避けたいですが、フランス勢力が攻めてきた場合には、なんとしても守り切らなければ」

「ほぼ100%来ることは分かっちまってるんでしょう?」

 

 アニェーゼの言葉に、神裂は否定できなかった。

 

 クーデターの発生よりもはるかに前から、フランスはローマ正教の尖兵として動いていた。フランスがローマ正教の指示に従ってのことであるのか、それともイギリスとの歴史的・魔術的な因縁に決着をつけたがってのことであるのかは分からないが。

 

 と、その時。

 

『フランス側からの干渉を確認! 警戒してください!』

 

 通信用霊装から修道女の声が聞こえると同時に、周囲の……海面の様子が変貌した。

 

「塩!?」

 

 海の塩がその表面を固めていく。それは、戦闘のための足場を提供すると同時に、彼らの帆船の動きを止める機能も持っていた。

 

 その白い足場の上を、遠くから矢のような素早い動きで急接近してくる影が見えた。。10や20ではなく、100、あるいは1000を超える敵が、砂浜に打ち上げられたクジラに向かって剣を突き立てるために走り迫る。

 

 慌てて神裂たち、接近戦を得意とする新生天草式十字凄教の面々が船から飛び降りるが、その直後に神裂が慌てて動いた。海の上を覆い尽くす塩の足場に、穴が空いていたからだ。

 

 船の上でも、塩の大地の上でも、彼らはその機動力を奪われる。相手は、確実に有利な戦況を築こうとしていた。

 

 そこへ。

 

 

 

「この程度でうろたえてどーするの。お前たちはこのイギリスを守るための戦力だろーが」

 

 

 

 再び、足場が新たな白に染まった。しかし、今度はフランス側からイギリス側に向かって来たのではなく、イギリス側からフランス側に広がっていく。

 

 自らが作り直した足場に立った赤いドレスの第二王女は、その両目で眼前の敵を睨んでいた。

 

 

 

 

 

 今回のこの大戦の黒幕は、考える間もなく右方のフィアンマだ。

 

 彼はローマ正教の最暗部組織『神の右席』の実質的なリーダーであり、ローマ教皇が意識不明の状態である今、実質的な権限の全てを握っていた。その言葉に反抗はおろか、口をはさむことさえ、誰もできない状態であろう。

 

 だが『神の右席』のリーダーとはいっても、現在は4人いたメンバーの内、2人が脱退、1人が死亡という結果になってしまっているため、ローマ正教は大幅にその戦力を削がれてしまっていた。

 

 そのため、欠けた戦力を補うためにフィアンマが目を付けたのが、ロシア軍だったのだ。

 

「当然、フィアンマに仲間意識なんてないだろうさ。せいぜい、『自分の計画』を邪魔されないように時間を稼ぐ、防波堤ぐらいの考えしかないかもな」

 

 しかし、ロシア国内で『計画』を進めるのであれば、元々ロシアにいた人間が動いた方がやりやすいし、見た目も『自然』だ。

 

 彼の目的は、8月の『御使堕し(エンゼルフォール)』において、その身に正真正銘の大天使『神の力(ガブリエル)』を宿したロシア成教の少女、サーシャ=クロイツェフである。

 

 しかし、ここまでレッサーに話した当麻はこう続けた。

 

「でも、本当に『それだけ』なら、フィアンマ自身が入国する理由にはならない」

 

 これが、駿斗と当麻の2人で話し合って結論付けた予想だ。

 

 フィアンマは今や、ローマ正教の実権を全て握り、ロシア成教とも同盟を結んでいる。その気になれば、大勢の魔術師を動員して、サーシャを探し、拘束させることも可能なはずだ。

 

 しかし、実際には自らの足でロシアに入国しているということが分かっている。

 

 それは恐らく、フィアンマが自らロシアに入国しなければ、できないことがあるから。

 

「駿斗が言うには、恐らくロシア国内の霊装とかの魔術的な要素のあるものを集めている可能性が高いんだと。それを使って、恐らくあの時『未完成』と言っていた『右腕』の術式を完成させるらしい」

 

 その正体までは、科学・魔術の両方において大きな力を発揮する駿斗にも、分かっていない。

 

 駿斗があの少しの間で解析した限りでは、あの『第三の腕』は『神の如き者(ミカエル)』が堕天使の長『光を掲げる者(ルシフェル)』をねじ伏せた右腕の術式であると同時に、十字教における『奇跡を起こす右腕』という意味があるらしい。

 

 予想の範疇ではあるが、フィアンマは『神の如き者』の力を扱いながら、同時に『神の子』と『神』の力の一端を扱えると考えられる……と駿斗は言った。

 

「でも、今は第三次世界大戦の真っ最中ですよ?」

 

 先ほども述べた通り、ロシアの国土面積は広大だ。その上、中国もインドも学園都市側についてしまったために、あちこちに戦力を分散させている。

 

 一見すると、その中からフィアンマにかかわりがあるものを見つけ出すのは難しいように感じるが……。

 

「フィアンマは、ロシア軍を利用しながら、ロシア軍には作戦の内容を秘密にする」

 

 そのために、魔術を知らないロシア兵に対して、いちいちもっともらしい理由をつけて動かす。ロシア成教の魔術師に対しても、本当の理由を伏せたまま行動させようとする。

 

 そこで、不自然さが浮かび上がるはずだ。

 

「……待ってろよ」

 

 

 

 

 

 駿斗は、その辺りの銀行で、大胆にも学園都市の貨幣をロシアのルーブルとカペイカに替えてもらっていた。ちなみに、100カペイカで1ルーブルである。

 

 当然ながら、単純に銀行に入り窓口で学園都市のお札を差し出したわけではない。単に外見上ではそう見えたかもしれないが、相手が一切の疑問や敵愾心を持たないように幻術系の魔術を複数使用した。

 

「意外とためらわずにこういうことができるのですね。一般的な日本人て、もっと平和主義なのかと思っていたの、ですけれど」

 

 丁寧な口調でありながら、少し文章の区切りがおかしい日本語でそう話すのは、駿斗が先ほど助け出した少女ユリヤである。

 

 綺麗な白髪を背中まで延ばした、14歳ほどの少女だ。彼女はロシア成教どころか、どこの魔術組織にも属さない、完全にフリーの魔術師であるらしい。もっとも、集団よりも個を重んじる魔術師にとっては、フリーランスも別に珍しくはないようだが。

 

「今は緊急事態だから。別にこの戦争がなければどうってことない取引だろ? 交換レートは誤魔化していないんだし」

「別に、責めているわけ、ではありません」

 

 彼らは、適当にその辺りでホットコーヒーとブリヌイ(ロシア風のクレープ。ペーコンやジャム、魚の燻製に生地が巻かれている)を購入した。

 

「じゃあ、ユリヤは戦争反対派で、ロシアにいたフリーの魔術師の日本人を、国外に逃がす手伝いをしていたってことでいいのか?」

「ええ、まあ。私は、戦いが特に好き、というわけではありません、ので。助けられる命は助けたいですし」

 

 それでも、ばれてしまったために、あのように追われていたという訳だ。もっとも、彼女もそのリスクを覚悟して行動していた。ただ予想外だったのは、その日本人魔術師が無事にロシア国内を出て行った直後に、3人の相手に見つかってしまったということだ。

 

 その場はどうにか相手を撒いたものの、結局見つかってあのような状態になったらしい。

 

 一通り自分の事情を話したユリヤが、駿斗に尋ねた。

 

「それで、どうして日本人の魔術師がこんなところにいる、のですか? 天草式十字凄教は、イギリスにいると聞いていま、したが」

「いや、俺は天草式どころか、そもそも魔術師ではないんだ。学園都市の学生で、ちょっと事情があって」

 

 彼女は、怪訝な表情をする。まあ、自分は戦争に加担していないとはいえ、ロシアにとって敵である学園都市の学生がここにいるのだから、当然の反応だろう。

 

 もっとも、彼女が思っている以上に、駿斗はこの戦争の『当事者』なのであるが。

 

「……まあ、なんだ。はっきり言ってしまえば、俺が『幻想創造(イマジンクリエイト)』なんだよ。ローマ正教ならびに右方のフィアンマに目を付けられている」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ユリヤは思わず数歩後ろに下がった。

 

「わ、私、あなたと一緒、にいて大丈夫、なのでしょうか!?」

「別に、俺が君をどうこうするつもりはないんだけど……まあ、フィアンマ本人や、残り3人となった『十二使徒』と遭遇する可能性は否定できないかもな」

 

 まあ、その時になったら君だけでも逃がせるように、術式を用意しておくから。

 

 そんなことを簡単に言われ、ユリヤはこの上なく不安になっていくのであった。

 

 

 

 

 

 レッサーは白い雪の上を歩きながら、自らの霊装である『鋼の手袋:レッサーカスタム』……の残骸を、カチャカチャと音を立てながら組み直していた。

 

「……うーん。スペアパーツをかき集めても、レッサースペシャルカスタムは無理かー」

 

 彼女は今回の戦争に向けて、ありとあらゆるものを『掴む』ことが可能なその霊装を、遠距離でも掴めるように改造を施していたのだが、それは当麻が考えた『作戦』によって、ご臨終となってしまった。もっとも、それを考えた本人のほうは、そのおかげでロシアのエリザリーナ独立国同盟を襲うためにつくった基地建設計画によって、移動馬車霊装『スレイプニル』で強制輸送されていた人々を助けることができたので、ちょっと悪かったなー程度にしか考えていない。

 

 すると、壊れた霊装をいじるのをやめたレッサーが、雪の窪みにあるなにかを覗き込んだ。当麻もそれに倣って覗き込むと、そこには3メートル以上の空洞が空いている。

 

 Vの溝に合わせて魔術的に作られたトンネルだった。

 

「……触った途端に崩れて生き埋めなんてことにならないだろうな」

「さあ? 念のため、壁に触れるのは避けておいたほうが無難かもしれませんけど」

 

 その中をしばらく進んで行くと、そこには貨物列車があった。見たところ電線はないので、ディーゼルエンジンなのかもしれない。

 

 当麻とレッサーは、その中にこっそりと乗り込んだ。しばらくすると、複数の男の声が聞こえてくる。

 

 息をひそめて待っていると、列車が音を立てて動き出した。

 

 これで、一安心だ。あとは、3、40キロは先にある基地まで、勝手に敵が自分たちを運んでくれる。

 

 貨物列車が止まり、レッサーが声をかけてきた。

 

「降りますよ」

「え? 連中が立ち去ってから抜け出した方がいいんじゃないのか」

「変なところで抜けている人ですね」

 

 これは貨物列車なのだ。当然ながら、目的地に到着したら、その後で積み荷を降ろす。だから、その前に立ち去る必要がある。

 

 しかし、必要なことだと分かっていても、緊張することには違いなかった。これから先は、周囲の全員が敵なのだ。

 

「ポジティブに考えましょう。周りが騒がしければ、私たちが多少物音を立てても気づかれません」

 

 覚悟を決め、出口に向けて歩き始めたところで。

 

 

 

 ロシア成教の魔術師と鉢合わせた。

 

 

 

 荷物運び要員なのであろう。青年の両手が荷物でふさがっていたことが幸いした。

 

 対応が遅れたその一瞬で、レッサーが距離を詰め、敵の喉に腕を突き出した。その一撃で魔術師は倒れ、どさりという鈍い音よりも、大きな音を立てる可能性がある荷物の木箱を空中で掴んだ。

 

 最小限の音で全てが済まされた後に、当麻は小声で訊く。

 

「……し、死んでないよな?」

「殺した方が簡単ではありますがね」

 

 さらりと言うレッサーは、やはり当麻とは違う世界に住んでいるように感じられた。

 

 その後、階段を上って地上に出ると、そこは基地の敷地内であった。鉄柵で囲まれた10キロ四方のバリケードの中央7キロ四方程度が、なぜか盛り上がっている。

 

「普通、基地ってのは平べったくするのが定石なんだけどな」

 

 素人であるはずの当麻がそう思ってしまうほどに、その姿は異質であった。彼らは、盛り上がっている部分の端、20メートルほどの高さの壁の一か所に設けられた、その扉を開く。

 

 中は、西洋の城を思わせる内装をしていた。照明も電球や蛍光灯ではなく、一定間隔で取り付けられている蝋燭だ。その途中にある、わずかに開いた扉の前に来た時、レッサーの肩を当麻が掴んだ。

 

 そのわずかに開いた扉の先には、広大な空間があった。しかし、視界に移る部屋の風景の外側から、その声は聞こえてきた。

 

「(……フィアンマだ。まさか、いきなり大本命にぶつかるとはな)」

 

 その言葉に、レッサーもわずかに身を強張らせた。

 

 フィアンマは、他に誰もいない空間で椅子に腰かけ、その正面にある机の上で本を広げていた。霊装だろうか?

 

「必要なんだよ。ここは『空間』だ。座標と容積、その両方が重要って訳だ」

 

 絶対に忘れることができない声が、当麻の心をざわつかせる。

 

「それでも、計画を進めるうえでこの場所は外せんよ。『プロジェクト=ベツヘレム』という観点からすればな」

 

 努力をしなければ、すぐにでも叫び声と共に突撃していきそうだった。

 

 しかし、レッサーにその言葉を翻訳してもらっている中で、気づいてしまった。

 

 テーブルの上にある、ダイヤル式の南京錠のような霊装。インデックスの、遠隔制御霊装に。

 

 あれさえ、破壊することができれば。

 

「……エリザリーナ独立国同盟、か。確かに、それならロシア国内を探し回っても、サーシャ=クロイツェフを見つけられなかったわけだ」

 

 しかし、思わず身を乗り出そうとした当麻に、レッサーは鋭い一撃でその動きを封じた。脇腹に激痛が走るが、口を押さえつけられたので、咳き込む声は洩れなかった。

 

「……次、妙な出し惜しみをしてつまらん交渉事を行うつもりなら、俺様は容赦なくお前を切って別口を探す。分かったか?」

 

 フィアンマはそう言って通信を打ち切ると、遠隔制御霊装を掴み、鋼鉄の窓のような場所を開けてひらりと外に飛び出した。

 

 彼の姿が見えなくなると同時に、当麻はレッサーへ勢いよく振り返った。

 

「(……何のつもりだ!? あと少しだったのに!)」

「(あなたこそ何のつもりだったんですか? 室内には200人以上の魔術師がいるっていうのに)」

 

 その言葉にぎょっとして振り返ると、広い空間を満たす闇の中に、光る眼のようなものがあちこちにあった。単に、命令のために待機しているのか、それとも何かの作業をしているのかは分からないが。

 

 今優先するべきなのは、どちらにしろサーシャ=クロイツェフ。それは両者にとって、同じであるようだった。

 

 

 

 

 

「そもそも、だ」

 

 腹ごしらえも済んだところで、駿斗は話を切り出した。

 

 話の内容は、この戦争のことももちろんであるが……今回駿斗が戦いことになるであろう『十二使徒』のことだ。

 

「十二使徒というのは、『神の子』によって選ばれた12人の高弟のことだ。神話上の表記揺れというべきかどうかわからないが、福音書によっても異なるようだが」

 

 そのため、マルコやマタイの福音書に準ずるものであるのか、ルカの福音書か、使徒言行録なのか……それは分かっていない。バルトロマイが出てきたので、ヨハネの福音書ではないだろうが。

 

 残るはタダイとヤコブの子ユダ、イスカテリオのユダ、マティアだ。ちなみに、裏切り者として有名なユダは後者であり、マティアはその欠員を埋めた存在と言われている。

 

 ローマ正教がどれを採用しているのかは分からないが(案外、こだわっていないのかもしれない)、いずれにしろ、その神話に対応した特異な術式を扱い、強力な敵になるだろう。

 

 と、ここまで話したところで、2人は立ち止まった。

 

「……結構、数がいるな。40人くらいか?」

「人数、まで分かるんで、すね。やはり、ローマ正教の敵でしょうか」

 

 2人は、小さな街の曲がり角に身を潜めて様子をうかがう。

 

 3人組の男たちが、大型バスの周りで何か話していた。その後ろには、鋼鉄の馬車がある。馬まで金属でできていた。

 

「スバジルファリか? 伝説では、馬車ではなかったはずだが」

 

 山の巨人が美の女神フレイヤとの結婚を報酬に、壁を立てる約束をしたときに使った馬である。

 

「改造され、ているみたいですね。ロシア成教ではスレイプニル、なんかも用いられ、ているみたいなんですけれど。重い荷物でも運んでいるので、しょうか?」

「まさかあの中身、戦車や自走砲の砲弾なのか? ……いや」

 

 駿斗は、自分の言葉を取り消した。

 

 超音波で中身を調べたら、分かってしまったからだ。その中に、大勢の人々が乗せられていることを。

 

「ユリヤ」

「はい?」

「とりあえず、まずはあいつら……あの馬車に閉じ込められている人たちを助け出すぞ」

「それ、は気持ちと、して分かりますけれど……」

 

 彼女もそこまで言うが、一度口をつぐんだ。

 

「ですが、簡単なこと、ではありません、よ? 必ず見張り、が付いているはず、ですし」

「そこは、俺がなんとかするさ。俺が最初に奇襲をかけるから、ユリヤは中の人たちを頼む」

 

 駿斗はそれだけ言うと、さっさと攻撃の準備を始めた。もっとも、ユリヤとしても困っている人を放ってはおけないので、協力するのであるが。

「……行くぞ!」

 

 駿斗の言葉と共に、一斉に雪でできた槍が、雨のごとく敵に降り注ぐ。

 

 ユリヤも得意とする吹雪の術式で敵を凍り付かせると、案外すんなりと制圧が完了した。

 

 

 

 

 

 エリザリーナ独立国同盟に、当麻とレッサーは侵入した。地続きの国の国境というものは、結構あっさりと抜けられるものらしい。

 

「射殺させるための人員を配置する余裕もないんでしょうね」

 

 エリザリーナ独立国同盟というのは、複数の民族が入り混じっている。もともとは、ロシアの国のやり方に賛成できない地域が集まって独立した国々だ。同盟の全方位をロシアに囲まれないようにするために、領土の形が東西に長く伸びていた。長さはおおよそ300キロ程度だ。

 

「とにかく、フィアンマよりも先にサーシャとコンタクトを取らないとな」

 

 肝心なそのやり方が分からない当麻であったのだが、そのとき周囲から視線を感じた。見渡すと、周囲を行き交う人々の中に、4、5人の迷彩服の男たちが2人をじっと見据えている。

 

「国境警備隊です」

 

 どうするんだ、と焦る当麻に対して、レッサーは平然と言った。

 

「決まっています。彼らに尋ねるんですよ」

 

 サーシャはこの国に逃亡しているため、フィアンマはすぐにここへやって来る。戦争の首謀者である、あの男が自ら。

 

「彼らにとっても、無視のできない『交渉材料』にはなりませんかね?」

 

 そんなわけで、彼らは複数の屈強な軍人たち(全員拳銃を持っている大男)に囲まれた状態で移動させられることになった。

 

 彼らが連れていかれたのは、広場の近くにある四角い石の建物だ。もともとは大きな教会が持つ建物のひとつであるようだが、今は臨時の軍事施設として機能しているようだった。

 

 その中にいたのは、1人の金髪の女性だった。ただし、あまりにも不健康そうな、痩せ細った体をしている。

 

「右方のフィアンマが、こちらに来るそうね」

 

 彼女が、エリザリーナ独立国同盟の名前の由来となった女性、エリザリーナである。

 

 不法入国者へいきなりそんな大物が直接顔を合わせるということが、フィアンマという名前の価値を示していた。

 

「国境の向こう側に隣接しているロシア軍の基地で、当人の口から直接出た言葉だからな。多分間違いないと思うけど」

 

 そこまで口にしてから、当麻は気付いた。

 

「ちょっと待て。その、エリザリーナさんは、右方のフィアンマっていうのが何を指しているのか分かるのか?」

 

 彼女は、表向きには政治的・経済的な国家としての基盤を整えた功労者であるが、裏ではオカルト的な工作を行おうとするロシア成教の魔術師たちを片っ端から押し返した実力者でもある。

 

 ロシアという国から領土が分離されるという事は、政治的な意味合いだけではなく、魔術的にも不利益が生じるのだ。特に、ロシア成教にとっては。

 

「そこまで大それたことではないわ。『フランスの姉さん』に比べればまだまだよ」

 

 それに、実際にフィアンマが攻めてきたら、同盟内の戦力全てをかき集めたところで、あの男に勝つことはできない。

 

 十字教最強の天使長『神の如き者(ミカエル)』の力の一端を振るう、フィアンマには。

 

 だから。

 

「一度俺たちやフィアンマをエリザリーナ独立国同盟の外……ロシア国内に送り返した後に、対フィアンマ用の作戦を実行するって訳か?」

「そうよ」

 

 エリザリーナは頷く。

 

「冷たい人間だと思ってもらって構わないわ。でも、事態はそれぐらいデリケートなこ

とになっているの。多くの無関係な人たちが殺されるかもしれないほどにね」

 

 それでも、当麻にとっては十分だった。

 

「問答無用で手錠をかけられなかっただけでも感謝できるさ」

 

 希少な右手を持っているとはいえ、高校生の一人でしかない当麻と、同盟国の柱となっている彼女では、その手に抱えているものの規模や程度が違うだろう。しかし、それでも彼らには、互いに守るべきものがある、ということは一致していた。

 

「それで、具体的にどう動く」

「こちらへ。……とはいえ、急なことなので、勝算は確約できないわよ」

 

 エリザリーナが、部屋にあるホワイトボードの方へ動こうとしたその時、声が聞こえた。

 

『そうだな。この段階で作戦会議をしている時点で、もう遅すぎるな』

 

 そして。

 

 長さだけで30キロ~40キロはありそうな、巨大すぎる光の剣が、作戦会議室を切り裂いた。


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