ヒーローたちの戦争
白い雪で覆われた大地に、1台の自動車が走っていた。
その周囲には何もなく、平べったい雪原だけが広がっている。おざなりに作られているはずのアスファルトの道路でさえも、完全に白に覆われてしまっていた。
日本の光景ではない。北海道の規模よりもはるかに広大なこの場所は、ロシア西部の平原であった。
しかし、その自動車を運転するのは、ロシアの平原とは裏腹に、極めて日本らしい顔つきをした少年である。否、らしい、というのは間違っているだろう。彼は正真正銘の日本人であるのだから。
10月30日。
ロシア連邦大統領、ソールジエ=I=クライニコフにより、ロシア連邦とイタリア共和国・フランス共和国が、学園都市とグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国――すなわちイギリスに対して行った宣戦布告から、12日が経過していた。
そんな中、学園都市に住む元スキルアウトの不良、浜面仕上は、この敵国の中を盗んだ乗用車で走っていたのである。
(……盗んだものだから文句は言わねえが、くそっ。暖房がどうのこうのじゃなくて、根本的に服装が間違っているのかもしれねえな。防寒具に求められるレベルが、日本とは段違いだぞ……)
しかし、そんな泣き言を少年は口に出さない。彼は、1人でいるのではないからだ。助手席には、1人の少女が座っていた。否、座っていると言っていいのかは分からない。彼女はただ、ぐったりとした様子で、シートの背もたれに体を預けていた。その顔は明らかに赤みがかかっており、普通の様子じゃないことをうかがわせている。
名前は滝壺理后。
『体晶』という学園都市の薬品(のようなもの?)によって、文字通りの重病人となっていた。すぐにでもどこかの病院に運んでやりたいが、それは意味がないことを知っている。学園都市の薬品による副作用である以上、技術が20年、否、恐らくはそれ以上にかけ離れている『外』の病院が頑張ったところでどうにかなるものではない。仮に、そこに『外』では屈指の名医がいても、意味はないのだ。
つまり、彼女に対する有効な治療方法を持つのは、学園都市だけ、ということになる。だが、彼らはその学園都市から逃げていた。
(……このロシアで逃げている間に『何か』を見つけて、それを取引材料に交渉する)
浜面の作戦は、それしかなかった。
「はまづら、どうかしたの?」
「なんでもねえよ」
彼は笑って答えた。
「……ここで何をするにしても、金が要るなと思っただけだ」
盗難車をやすやすと売らせてくれるディーラーなど、そう簡単に見つかるわけがない。仮にここが学園都市の中であれば、心当たりがなくもないが、ここでは事情が違った。ロシア語にも詳しくはないし、ここで日本語など話してしまったら、どんなことが起こるか分からない。
「やっぱ盗むしかねぇよな。強盗だ」
「はまづら、それは……」
滝壺は言い淀んだが、これしか方法がないのも分かっていた。そして、そんな彼の決意に応えるかのように、車の前方にガソリンスタンドを併設した商店が見えてくる。
「ここで待ってろ。ちょっと稼いでくるから」
彼はそう言うと、ポケットの中の拳銃を確認しながら、外に出た。ガソリンスタンドに近づきながら、パーカーのフードを目深にかぶり直し、盗難車の中にあった手袋をはめる。
(絶対に、店員さんは傷つけない! 威嚇射撃をするときには、銃口を真上に上げてから!)
そんな決意で店に飛び込んだ彼であったが。
ダクトテープで両手足を縛られ、ムームー唸っている店員さんと。
ナイフを持った複数の大男の姿を店の中で目撃することになった。
『誰だ、お前?』
男たちはロシア語でそんなことを言うが、ただの不良の高校生に分かるわけがない。その代わり、用意していた日本語だけを言い放ち、銃口を向けた。
「強盗だ。両手を上げろ」
連邦横断鉄道。
世界最長の路線は、ユーラシア大陸を東から西へと、アジアとヨーロッパの北部を横断する大国家ロシアにしかないものであった。始発から終着まで本来ならば2週間はかかるものであるのだが、軍用物資を搬送するために通常のダイヤは放棄され、安全規定を無視したハイスピードで走っていた。
(戦争、か……。くだらねェ。あのクソッタレの学園都市が画策しているかどォかはさておいて、何か裏があるって可能性までは否定できねェか)
通常、このような大ごとになる前に、裏の世界だけでケリをつけてしまうのが、学園都市のやり方であったはずだ。一方通行もまた、かつてアビニョンで『爆撃』を行ったという経験を持つものの、あれもまたイレギュラーの一種であることを、彼はそれまでの経験で感じ取っていた。
つまり、この戦争を起こしてでも手に入れたいものが、学園都市にはあるということなのだろうか。
もっとも、今の一方通行にとっては、学園都市の思惑などよりもはるかに重要なことがあった。それは、彼の傍らにいる1人の少女である。
第三位の
しかし、彼女は今エイワスと呼ばれる正体不明の怪物をこの世界に出現させるために利用されており、その脳に重大な負荷がかかってしまっている。おかげで自由に歩き回ることもできず、ぐったりとした様子のままであった。
「……ここどこ? ってミサカはミサカは辺りを見回してみたり」
「列車の中だ」
「ヨシカワやヨミカワは? ってミサカはミサカは質問してみる」
「今はいない。でも絶対にすぐに会える。絶対にだ」
その言葉に、彼女は少し残念そうにするが、それでも一方通行に向かって手を伸ばす。無邪気そうに、黄泉川の煮込みハンバーグの話を、『日常』の話をしながら、久しぶりに見ることができた一方通行に笑顔を向ける。
この戦争には、多くの人が参加している。それぞれが皆、大切な人たちのために戦うのだろう。しかし、何も悪いことをしていない打ち止めのために戦ってくれる人は、1人もいなかった。
そのことに、一方通行は強い憤りを感じる。
ベコン! という音が、天井から聞こえた。立て続けに、周囲から同じ音が連続する。貨物列車のコンテナが歪んだ音であろうが、その後には怒鳴り声と銃声が続いた。
確認するまでもない。時速500キロオーバーの列車に飛び移ることができる相手など、限られている。
ついに、彼らの下に学園都市がやってきたのだ。
「どうしたの、ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
「何でもねェよ」
一方通行はハンカチで少女の両目を覆うと、首筋にある電極のスイッチを入れ替えた。それは、学園都市最強の怪物としての力を振るうためのスイッチだ。
ドゴン! と音を立てて、彼は鋼鉄の天井を突き破り、高速で走る列車の屋根の上へと飛び乗った。
少年が周囲を見渡すと、そこには数機の白い
本来、戦争で使用される駆動鎧は、運動性能と防御能力を重視しているはずであるが、これは明らかにその一点に特化しており、そのために採算を度外視している節すらある。どうやら、彼らを指示している上層部は、どうあってもこの作戦を成功させたいようであった。
「……ゴミクズが。俺の癇に障ってンじゃねェよ」
「チッ、この程度じゃ死なねェか」
高速列車に飛び乗ってきた白い機械の兵隊を難なく蹴散らした怪物が、そんな言葉を呟くのを聞いて、ロシア兵は恐怖に震えていた。日本の学園都市では科学的に超能力が開発されていることは知っているが、実際にそれを暴力という形で目の前にするのは、また別問題である。
しかも、この怪物の話す日本語からして、時速500キロを超える列車から蹴り落とされたにも拘わらず、あの兵隊たちは死んでいないようだ。どちらもまともではなかった。
諦め悪く再度列車に飛びついてきた白い兵隊を、怪物は片手を振るう程度の仕草で吹き飛ばした。そして、怪物は次に、彼らから強奪したジュラルミン製のトランクを開封する。それは鎖のついた手錠のようなもので白い兵隊の手首に繋がれていたが、怪物が指先で触れるだけでちぎったものであった。鍵がかかっていたはずだが、力技でこじ開けたのだろう。
「……なんだこりゃ?」
そこから出てきたのは、数十枚の羊皮紙であった。
くだらないガセだった――そう考えるのは簡単だ。しかし、その程度のものをわざわざ『手錠付きのトランク』で運ばせるのだろうか。
ロシア兵は考えた。はたしてこれは、ロシア上層部の陽動作戦に、学園都市が嵌まったのだろうか。それとも、この羊皮紙には何か重要な情報が込められているのだろうか。
その混乱の中で、白い怪物が呟いた。
「……面白れェ。この俺と、学園都市最強の
「……何で、レッサーがここにいるわけ?」
ようやくロシアに潜り込んだ当麻であったのだが、彼は一人ではなかった。冬の大平原に降り立ったしばらく後に、魔術師の少女と遭遇したのである。
ラクロスのユニフォームを連想させる服装に、ジャケットを追加していたような恰好をしている。
彼女は、イギリスの魔術結社予備軍『新たなる光』の一員として、第二王女キャーリサ率いる『騎士派』のクーデターに協力させられ、その挙句裏切られたはずだ。
「んー? 別にイギリス王室から命令を受けているとか、右方のフィアンマとやらに恨みがあるとか、上条・神谷勢力の一員になりたいとか、そういう意図はないんですけどね」
適当な調子でレッサーは答えているが、その後、次第に勝手な独り言モードに入ってしまった。クーデターの時から思っていたが、もしかするとこの子はとんでもなく自分中心な思考回路を持っているのではないかと思う。
「ま、その辺は利用し利用されるってくらいに考えてもらえれば。プロの魔術師が戦力として使えるって考えれば、そっちだって悪いものではないでしょ?」
「……レッサーって、そもそも強いんだっけ?」
当麻はそんなことを言うが『新たなる光』に所属する彼女たちが持つ霊装『鋼の手袋』は、北欧神話でも主神オーディンに次いで強い、雷神トールの伝説に出てくる、
もっとも、今回の戦争の中心にいるのは、そんな彼女たちですら『一介の』魔術師と言わざるを得ない、超一流の者たちばかりであるのだが。
「そっちだって、ロシア語の使える通訳をひとり置いておいたほうが、いろいろとやりやすいでしょ」
フィアンマによってインデックスが連れ去られた後、当麻と駿斗は確かにイギリスの人たちに、自分たちがフィアンマを追ってロシアに行くことを伝えた。しかし、具体的な日程や方法については、全く言わなかったはずだ。
「ははん。もしやロンドンの大聖堂で眠っているインデックスに悪いかなーとか思っているんですか? 彼女を助けるために俺は頑張るんだ―とか言っておきながら、開始一発目で他の女と合流してしまったことが」
「ぐっ……!」
図星である。情けないと思ったのは確かだ。
「ここで耳寄りなお知らせがあります。スカートの下から『尻尾』を伸ばしているわたくしレッサーですが、スカートの下はスパッツではなく直パンツです」
「その何の役にも立たない情報を渡されて、俺はどうしろってんだ!?」
こめかみに青筋を浮かべて手を頭に当てる当麻に対して、レッサーは気軽なものであった。
「そもそも、この広いロシアで、どうやってフィアンマを探すんですか?」
一通り当麻をからかったことで満足したのか、彼女はようやく本題に話を切り替えてきた。
誰もが知っている通り、ロシアは広大な面積を持つ国だ。
その領土の面積は1700万平方キロメートルを超えており、日本の国土面積の45倍を超える。居住地域で言えば、地球上の8分の1を占める大国家である。国内だけで、時差が最大10時間存在するほどだ。当然ながら、1人の人間をたった2人で探し出せるような広さではない。
しかし、その事実とは対照的に、当麻には自信があるようであった。
「……こっちが今までどんだけ魔術師と戦ってきたと思ったんだ。いい加減に、ああいう連中のやり方も少しは分かってきてんだよ」
「……ここがロシア、か。ロンドンもなかなか寒かったけれど、ここはあの場所の比じゃねえな……」
戦争している国の中に潜り込んだとは思えない、平和な発言をしているのは、駿斗であった。彼もまた、当麻とは異なるルートを使用して、この国に入り込んだのである。
とはいえ、決して彼が戦争というものを楽観視しているという訳ではない。どちらかというと、あまりに悲観的にならないようにするための、自己暗示に近かった。
彼も当麻と同じように詰襟の学生服を着用しているわけであるが、彼はその上からやや大きめの薄手のコートを着込んでいた。コートをいうよりは、マントに近いかもしれない。何しろ、その辺で死んでいた生き物の皮を魔術で加工して拵えたものであるのだから。
(当麻のほうは、大丈夫かねえ。ここまでの道のりで、どうしても厄介なことに巻き込まれる前に、俺が囮になって逃げたものの)
自他ともに認める親友同士である彼らであるが、いつも通り当麻の『不幸』に遭遇したため、その後始末をした駿斗は現在ひとりぼっちである。
それでも、周囲の人に自分が敵国の人間であると気付かれないよう『人払い』を応用した認識阻害の術式をかけており、それ以外にも探知術式などを常に複数展開していた。
(戦争、ね……)
携帯電話のニュースサイトを確認しながら、駿斗は世間の様子をチェックする。
(ロシアの人々も、別に全員が戦争反対派ってわけじゃない。だが、世論がその方向に制御されているから、始まってしまった戦争に、あまり大きな反対派閥ができていないってことか)
当然ながら、世間の一般人は魔術側の事情など知らない。魔術師であれば誰もが、フィアンマの差し金としてローマ正教とロシア成教が動いた結果であるということを知っているが、テレビ・新聞・インターネットのニュース以外の情報網を持たない一般人は、この戦争に十字教の派閥がどのように絡み合っているのか、あまりはっきりと分かっていないはずだ。
(でも、気になることもあるんだよな……)
それは、先日イギリスで起きたクーデター。
イギリスの失われていた選定剣カーテナ=オリジナルを手に入れた第二王女キャーリサが起こしたそれは、最終的に女王エリザードが発動した国家規模の大魔術『
魔術というものは本来秘匿されるものであり、それは魔術大国イギリスにおいても変わりがない。しかし、女王は自国の変革のために、その禁忌《タブー》を破ったのである。
しかし、国民に対し魔術についての詳細な説明がされたわけではないため、世間では『ブリテン・ザ・ハロウィン』という言葉で、世界の神秘のひとつ、ナスカの地上絵やネッシーなどと同じような扱いになってしまっているらしい。
しかし、『連合の意義』はこれまでの曖昧な不思議写真や、長い歴史で風化してしまった風景の中から発掘されたものではない。この現代において、現実に起こったできことなのである。その気になれば、あの騒ぎに参加した人々の生の声を聞くことだって可能だ。実際、取材を試みるマスコミだって少なくない。もっとも、当の本人たちが自分の身に起きたことを覚えてはいても理解していないため、単なる心霊体験の延長のようなもので片づけられつつあるが。
だが。
人々が納得してしまう下地には、もっと別のものがあるのではないか、と考える者もいるのだ。
つまり、学園都市。その特色たる、超能力開発。そのような不思議な力がこの世の中にはある、という事実が、人々の認識の底に存在するためだったのではないか。
だが、これは非常に危ないものを、幾ばくかの人々は感じ取っていた。科学サイドの常識が、魔術サイドの安定を支えているのだ。
(9月30日のことといい……学園都市は、次第に魔術サイドを追い詰めていっているように感じるんだが)
そのことが、駿斗に警戒感を抱かせていた。
と、
「どうやら、ゆっくり考え事をするのも、これまでのようだな」
魔力の気配を感じた。この様子からして、既に戦闘が始まっているようだ。
今の情勢からして、少なくとも片方はロシア成教の魔術師だろう。しかしもう片方は、何者なのだろうか。どこか特定の十字宗派に属さない魔術結社か、あるいはフリーの魔術師か。どちらにしろ、ロシア成教と対立している組織であることには違いない。
近くに行くと、そこでは予想通り魔術が飛び交っていた。
(妖精の類、人外の存在をモチーフにした魔術が多いな……そういえば、ロシア成教の特色だったっけ)
十字教の宗派には、それぞれに特色がある。
最大宗派であるローマ正教は『世界の管理と運営』。
イギリス清教は『ローマ正教からの支配から脱し、イギリスの人々を悪い魔術師から守る』ことに特化した結果、魔女・異端狩りや宗教裁判などの対魔術師組織と化している。
対して、ロシア成教では『心霊現象の解析と解決』を目的としており、そこに端を発して『在らざるモノ』である幽霊・亡霊・悪霊・妖精といった分野を専門とする。そのため、彼らが扱う魔術もそれらに関したものが中心となる。
駿斗は辺りで飛び交っている攻撃や、仕掛けられている魔術的なトラップに注意しながら、その中に飛び込んで行った。
「……さっそく発見したよ」
彼の視線の先には、一人の少女がいた。
白髪赤眼の少女であった。恐らく年齢は13か14。もっとも、才能がある人物ならば十分に一流と呼べるだけの魔術師になっている年齢であるが。
どうやら少女は、3人の魔術師に追われているようであった。少女の魔力でつくられた吹雪が、遠目ではあるが確認できる。視力を強化すると、彼女の手には、杯の外側に老人の髭のようなものが付けられている、奇妙な霊装があった。
(恐らく、ジェド・マロースか?)
ロシアの昔話に登場する霜の精だ。
連れ子ばかり愛する継母に虐げられていた従順な娘は、ジェド・マロースの吹雪を受けても「暖かい」と答え、毛布と食料を手にする。その一方、その奇跡を求めて外の放り出された連れ子は「寒い」と答えたために何も与えられずに凍死する。
恐らく、自分自身に加護を与えながら、同時に相手に冷気を使って攻撃するのだろう。
しかし。さすがに1人で3人の魔術師を相手にするには実力が足りないのか、少女は次第に疲弊している。3人の魔術師は、それぞれロシア成教であることに間違いないようであった。彼らの特徴的な、魔術の構造をしている。
故に。
駿斗は、少女に迫っていた魔術師3人に大量の雪の槍を放った。
『何だ!?』
『奴の仲間が潜んでいたのか?』
ロシア語が聞こえるが、駿斗にはその内容が分からなかった。しかし、相手を容赦なく無力化していく。
『あの……』
「すまん、話は後だ」
ロシア語で何か言いかけた少女に対して、駿斗はジェスチャーを交えながら日本語でそう言った。あいにく、ロシア語など何一つ知らない。
(たまたま見つけたから勝手に手助けしちゃったけど、あの子、日本語話せるかなあ……)
駿斗は敵を3人とも無力化すると、ため息をつきながらそんなことを考えた。
どうやら自分もまた、親友の体質を笑えなくなっているようである。