とある神谷の幻想創造 神の右席編   作:nozomu7

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新たなる敵たち

 テロリストが病院から排除されると、警備員(アンチスキル)たちによる現場検証が行われた。

 

 入院患者であった滝壺は問題ないが、病院への突入を強行した浜面、フレンダ、霧丘、最愛、海鳥はこの場にいると少々まずいことになる。そのため、彼らは滝壺の連れてこっそりと抜け出した。

 

「これからどうする? ひとまず、あの危険地帯から抜け出すことはできたけどよ、結局、あのヘリに関する謎は全く解けてないぞ」

 

 浜面の言葉に、全員が思案顔になった。

 

 彼の言うとおり、結局なぜ浜面たちが学園都市から襲われたのかは不明なままだ。

 

「ひとまずは、安全な場所を超目指しましょう。とりあえず、『アイテム』が使っていた超隠れ家がありますから、そちらに移動するべきです」

 

 最愛の言葉を聞いて、その場の全員が賛成した。そして、彼らは地下街を経由して移動を始める。

 

『暗部』の人間が6人、それも『アイテム』正規メンバーが3人というのは、かなりの戦力だ。大能力者(レベル4)が4人いる時点で、たいていの相手は敵にならないだろう。

 

 しかし、彼らとて物量で攻められれば、どうなるか分からない。しかも、大能力者が4人いてもその中の1人は能力がまともに使用できず、その上病人という明らかな足手まといだ。

 

 だから、安全を確保するべきであるという絹旗の意見はまっとうなものであった。

 

 最も。

 

 彼女たちはまず先に、自分たちがこの瞬間狙われているということを失念していた。

 

 

 

 ドバッ! という音と共に、先頭を歩いていた最愛の体が吹き飛ばされた。

 

 

 

 霧丘と海鳥はすぐさま反応し、一歩遅れて浜面も地面に伏せた。

 

 周囲の人々が一斉にパニックに陥るが、それでも銃弾を受けた本人である絹旗は冷静だった。

 

(一発あたりに二十発の散弾。一発あたりの大きさは5ミリ強――)

 

 その判断能力は、暗部で生きてきた彼女だからこそのものだ。

 

(これなら能力を超使わなくても、その場にあるもので盾にできるはずです!)

 

 受けた攻撃から威力を逆算した彼女は、近くに路上駐車してあった自動車の影に隠れる。同様に他のメンバーも他の車の影にそれぞれ隠れた。

 

 しかし、襲撃者の方はちらりとそれを確認すると、霧丘のいる車へ向かって銃口を向けた。

 

 そして、『フルオート』の弾丸が、車を貫いた。

 

「何!?」

 

 自動車はあっという間に遮蔽物としての役割をなくし、穴だらけの金属くずと化した。一番手前にあるドアを彼女の能力で硬化していなければ、その華奢な体はハチの巣にされていただろう。

 

 それぞれが武器を取り出しながら、彼女たちは慎重に相手を見定める。

 

「やっほー。霧丘愛深ちゃんでいいんですよね?」

 

 陽気な声が、地下街に響き渡った。

 

 その女は、ふざけたように大きな銃を持っていた。全長は1メートル以上あるだろう。150発から200発は入りそうなボックスマガジンが備わっている。人間というよりは陣地の制圧のために使用されるようなものだった。

 

 しかし、使用されている弾丸は明らかにカスタムの散弾銃のものだった。本来接近戦で使用されるべきその弾丸を、明らかに接近戦に不向きな大型の銃に搭載しているのだ。

 

 この女は、それを押し通すだけの速度と技量があるということ。

 

「砂皿緻密と言えば分かるんじゃないですか? あなたが爆殺しようとしたんですから」

 

 ね? とキュートな様子で同意を求める彼女は、

 

「私はステファニー=ゴージャスパレス。砂皿さんの仇討ちに来たんですけれど、覚悟を決めた方が良いんじゃないですか?」

 

 

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)達は、再び集合した。

 

 場所は第二学区。自動車や爆音など、とにかく実験の過程で大きな騒音が発生する分野の研究施設ばかりが立ち並ぶ施設だ。研究施設の建物に施されている防音設備だけでなく、学区の周囲を取り囲むように壁が建築されており、逆位相の音波を出すことで騒音を打ち消す設備まで備え付けられていた。

 

 軍事部門を司る潮岸にとっては、ホームタウンのようなものなのだろう。

 

 結標は、黒塗りにされた防弾車に背中を預けながら、

 

「その潮岸ってやつの隠れ家は分かったのかしら?」

「親船の話によりゃあ、この学区で試験的につくられているシェルターのひとつだと」

 

 爆薬を扱う学区である以上、その耐久施設を行うためのシェルターもある。その中のひとつに、紛れ込ませてあるのだという。

 

 一方で、潮岸はシェルターの中で顔をしかめていた。

 

 彼にとっては『安泰』こそが最大の贅沢であり、そのために最大限の努力と時間を費やしてきた。その中でも最大たるもののひとつが、このシェルターである。

 

 しかし。

 

 ここにきて、その『安泰』が根底から覆されようとしていた。

 

「……同じ統括理事会のメンバーによる、同権限者視察制度の執行だと……?」

 

 彼ら12人の間には、確かにそのような取り決めがあった。

 

 統括理事会メンバー12人は、その力が均等でなくてはならない。誰か1人が余計な力をつけるようなことがないように、極めて民主的に議会を動かしていくために必要なのだ……という建前で設定されたものだった。

 こんなお飾りの制度など、本来使われることはない。それぞれのメンバーは、各々の得意分野で他のメンバーを出し抜こうとするのが普通だからだ。

 

 当然、それを突きかえすための策を用意していた。

 

 しかし、それは叶わなかった。

 

 改めて12人のメンバーそれぞれに確認をとってみると、個人間や少人数の中でそれぞれどうでもいい小さな条約が結ばれていた。それら1つ1つは大したことはないが、不思議と『同権限者視察制度』に干渉するようになっていたのだ。

 

 条約Aを用いて拒否しようとすれば条約Bが邪魔をし、その枷を取り払うのも条約Cが許さない、といった具合だ。

 

「あの女狐め……!」

 

 最も恐ろしいのは、ここに来るまでそれに一切勘付かせなかったことだ。軍需推進派の潮岸としては、それに反対する者の筆頭である彼女の動向は常にチェックしてきたにも拘わらず、である。

 

「いかがいたしましょう」

 

 杉谷がそう尋ねる。

 

 カメラの情報が正しければ、今の親船は一方通行たち『グループ』を手駒・もしくは共闘関係を築いている。視察を拒んでシェルター内に立てこもったところで、核兵器をも凌ぐその戦力で破壊されるのがオチだ。

 

 杉谷は、彼らがそこまで強硬的な手段にでることはないのではないかと口にするが、潮岸はその楽観的な意見を否定した。

 

「ことは『ドラゴン』に関わるからな」

「『グループ』4人ならともかく、親船最中にその意思はないのでは?」

「あの女こそ、行動理由の面では何より恐ろしいのだよ」

 

 彼女が見くびられているように見えるのは、今までは牙を抜かれていたというだけのことだ。もともと、名も知らぬ幼子が泣いているというだけで、国家にも立ち向かえるような女性なのだから。

 

「ヤツが動き出したのなら、こちらも武力で応じるしかあるまい」

「娘の親船素甘を取り押さえますか?」

「親船はともかく『グループ』には通用せん。余計なことに時間を潰している場合か」

 

 彼の主義としては、人質を取ったところで自分の喉元に刃がつけられることは良しとしないらしい。彼は、ここで迎え撃つことを決断した。

 

 そして、表にいる『グループ』の前には高さが7メートル近くもある大型の駆動鎧(パワードスーツ)や、砲塔を備えたアーム付きの遠隔操縦車が立ち並んだ。

 

 その様子を見た土御門は、思わず笑う。

 

「さすがは軍需部門の潮岸。手駒に配る兵器にも遊び心が溢れているな」

 

 さらに、ドーム状のシェルターの頂点部分からは、AIM拡散力場に干渉する装置が搭載されているということを、一方通行が知らせる。今の対象は、三次元的な制約を無視することができる結標だろう。

 

「戦闘結果から俺のAIM拡散力場のサンプルを入手すれば、そこからデータを算出して妨害電波みてェなものを放てるかもしれねェ。データ算出が進めば、最低でも俺と結標の2人は『能力の暴走』で吹き飛ばせるって寸法だ」

「どうするのですか?」

 

 戦闘とは無縁の親船が緊張した面持ちで質問してきた。

 

「決まってンだろ」

 

 一方通行は、首のチョーカーのスイッチに手を伸ばす。

 

「正面突破だ」

 

 学園都市最強の能力者が、ここに君臨する。

 

「強度が足りねェンじゃないのか。……核を撃っても大丈夫っていうキャッチコピーは、こォいうチカラに使うンだよ」

 

 学園都市の中でも特別製のシェルターが、一撃で砕けた。

 

 一方通行がやったことは、単に近くにあった乗用車を片手で掴んで投げ飛ばしただけだ。しかし、そこに『あらゆるベクトルを集中制御する』という異物が混じるだけで、それはシェルターを粉砕するほどの力となる。

 

「行くか」

 

 彼は電極のスイッチを切り替えると、杖を突いて歩き始めた。すなわち能力使用モードではなくなっているのであるが、先ほどの攻撃によって生じた衝撃波により、目の前にあった防衛力は全て無力化されている。

 

「面倒ね。そんな大技を連発できるのなら、さっさと遠距離から圧殺してしまえば良いのに」

「潰すのは『ドラゴン』について聞いてからだ」

 

 結標の言葉に、一方通行は舌打ちして言った。

 

 新手に対する足止めのために、土御門だけを外に残して一方通行と結標は施設の中へと踏み込む。親船は土御門が1人で残ることを心配しているようであったが、他の彼らは気にしなかった。もともと、戦術的な価値でしかつながっていない集団であるからだ。

 

 これでも一応は『視察』ということになっているので、潮岸とサシで話をつけることができるのは、権限的にも親船だけである。

 

 しかし、その時天井からギロチンのようにシャッターが下りてきた。そして、それは親船と一方通行・結標の間を隔ててしまう。

 

「結標!」

 

 一方通行が叫ぶよりも早く彼女は懐中電灯を振るうが、しかし何の現象も起きなかった。隔壁が落ちた直後に、親船の場所を移動させられたのだ。

 

 そして、そこに1人の男が現れた。

 

「手合せ願おうか」

 

 スーツの男、杉谷だった。

 

 第三学区で個室サロンを占拠していた元『迎電部隊(スパークシグナル)』の連中を大型の拳銃で皆殺しにした男だ。彼はスーツのポケットから葉巻を取り出すと、口に咥えた。

 

「二度と会わないことを祈っている、と言ったんだがな」

「オマエの方から仕掛けてきたんだろォが」

「そのための努力はお前の方でやれ、とも言ったはずだ」

 

 タバコに火をつけるために、彼は葉巻の箱と入れ替えにライターを取り出した。雰囲気からして高級なオイルライターでも出てきそうな感じであったが、彼の格好や印象とは裏腹に、それは百円均一でも売っていそうな安物だった。

 

「オマエは『ドラゴン』について知っているのか」

「あれはな」

 

 口に加えた煙草に火をつけるために、ライターを近づけながら彼は言う。

 

 少なくとも、一方通行にはそう見えた。

 

 

 

 しかし、パシュ、というガスの音と共に、結標の体が床に倒れた。

 

 

 

 恐らくは、封入しておいた高圧のガスで、小さな麻酔針を発射したのだろう。

 

「潮岸からのオーダーでな。単純に高破壊力の一方通行より、あらゆる壁を素通りできる結標の方が破壊の優先順位を高く設定されていた」

「何なんだ、オマエ」

「甲賀だよ。その末裔だ」

 

 自嘲するように杉谷は答えた。

 

 彼は大型の拳銃を取り出したが、それを一方通行に使うのかどうかは不明だ。いや、その思考の裏すらも突いて、あえて真正面から弾丸が来るのかもしれないが。

 

 油断せぬよう手足の先まで観察する一方通行に、杉谷は言う。

 

「親船は終わりだ」

 

 統括理事会2人による面会という場面は、完成してしまった。

 

 しかし、そこには護衛というものが一切ないのだ。したがって、何の装備も持たない親船と、学園都市特注の駆動鎧(パワードスーツ)に身を包んでいる潮岸との戦いは、火を見るよりも明らかである。

 

「統括理事会の親船さえ排除できれば、政治的な対等関係は排除できる」

 

 あとは、学園都市の総力を動員して『グループ』という反逆者をここからつまみ出し、そしてしかるべきルートにおいて打ち止め(ラストオーダー)などの『切り札』を確保してしまえばいい。

 

 すでに、勝敗は決したのだ。

 

 対し、一方通行が発した言葉は短かった。

 

「ここで殺すが、構わねェな」

「構わんよ。寝言1つで憤慨するほど、小さな器ではないのでな」

 

 2人は同時に前に出た。

 

 ベクトルを操って猛スピードで迫る一方通行に対して、杉谷はポケットから複数の改造ライターを取り出すと、タバコと共に前へ投げる。

 

 爆炎が通路を塞ぐが、そんなものは一方通行の壁にはならなかった。

 

 しかし、視界は封じられる。

 

(いない?)

 

 炎の壁を突破したその先で目標を見失い、一方通行は靴底で急ブレーキをかけた。

 

「確か、木原数多はインパクトの直前に拳を引くことで『反射』の壁を破っていたな」

 

 後ろから聞こえた声に、彼は慌ててそこから飛び退くが、その声と拳はピタリとその動きに追従してきた。

 

「そして、垣根帝督はこの世には存在しない物質を使って、この世界に存在しないベクトルを生み出していた」

 

 ゴッキィ! という大きな音と共に、一方通行の顔面にビリビリとした痛みが走った。

 

「なるほど」

 

 対し、杉谷の手もねん挫したようにその手首が大きくはれ上がっている。しかし、素手で一方通行にダメージを与えることができたという事実が、彼が一流の技術を持っていることを示していた。

 

 しかし、そこまで冷静に分析して、一方通行は告げた。

 

「三下だな。そこそこの腕を持っていたとしても、実行できるのは腹黒ジジィの命令に従うだけか。潮岸の野郎が、善人に見えンのか」

「……確かに、善なんて言葉はいつでも権力者に利用される」

 

 杉谷は一方通行の糾弾を一度受け止め、そして認めたうえでこう告げた。

 

 

 

「だからと言って、全てを悪に委ねれば、地球上の問題は一つ残らず丸く収まるのか?」

 

 

 

 悪の視線を真正面から受け止め、善は糾弾する。

 

「お前たちがやっているのは、善がとりこぼした残飯を漁っているだけだ。二、三の悲劇を食い止めた程度で、百、千の悲劇と常に立ち向かっている我々に勝っているつもりなのか?」

「クソ野郎が。その残飯を卑しいと思っている時点で、オマエの善は本物なんかじゃねェよ」

 

 一方通行は、こう返した。

 

 彼からしてみれば、8月15日や8月31日に、あの少年少女たちや、1人の女性研究者に見せてもらった善に比べて、彼のそれは陳腐すぎる。

 

 数じゃない。質でもない。

 

 その結果、誰かの日常にある笑顔を守れているのかどうか、というそれこそが、本人にとって最優先事項だという事を、この男は忘れているのだろうか。

 

「お前のような悪党が、本物の善を知っているとでもいうのか」

「……、」

 

 驚くような潮岸の問いに、わずかな沈黙をはさんで一方通行はこう答えた。

 

「知っているさ。……思い出すだけで頭にくるぐらいにな」

「そうか。……だが、その善人とも会うことはもうないだろう。ここで死ぬのだからな」

 

 直後、一方通行の体が崩れ落ちた。

 

 潮岸がポケットの中にあるボタンで、一方通行の電極を遠隔操作したのだ。

 

 

 

 

 

 統括理事会2人は、間にテーブルをはさんで座っていた。

 

 その雰囲気は、上級階級らしい和やかな雰囲気に包まれていた。紅茶とお茶菓子がないのは減点だが、それでも一方通行が天井に空けた穴から除く星空すらも、インテリアのひとつとして許容できそうなくらいではあった。

 

 親船と潮岸。

 

「ええ。私から要求したいことは本当に簡単なものなんですよ。それは、お金でも、権限でも、ましてやあなたの生命でもありません」

 

 それは、今後潮岸が実行する全ての計画・作戦から『潮岸自身以外の生命を勝手に組み込み消費する』という条項を永久削除してほしい、ということだ。

 

 しかし、口で言われているだけにとどまらず、親船はそれは『徹底』するはずだ。つまり、口約束に留まらずに、それが実行可能になる戦力である、潮岸の持つ部隊なども含めて、完全に解散させるのだ。

 

 それは、潮岸の力のすべてを丸ごと奪うことと同義だ。

 

「そうそう、『ドラゴン』についてもお聞きしましょうか」

「君にそれが必要かね?」

「私にというよりは、協力者である『グループ』の方々から頼まれていましてね」

 

 潮岸はわずかに沈黙し、そして口を開いた。

 

「親船クン。君は『ドラゴン』についてどの程度知っている?」

「知りませんよ。私の権限が書類通りなら触れる機会もあったでしょうけどね。そうでなかったのは、あなたが一番分かっているはずです」

「あれは人の目に触れてはならないものだ」

 

 潮岸は自分が非難されていることにも気づかずに、そう言った。

 

 あるいは、本当にそれだけの危険性が『ドラゴン』にはあるのか。

 

「私は学園都市を守るために必要な事を果たしているにすぎないのだよ。君は私を野蛮と称するだろうが、それは『ドラゴン』について知らないからだ」

「私もまた同様ですよ」

 

 潮岸の言葉に対しても、親船は柔和な笑みを崩さなかった。

 

 必要とあれば、『野蛮』と称されるような行動だって起こす。大切な人々を魔手から守るためには、危険な『ドラゴン』の真相に迫ることもやむなし。

 

「決裂かね」

「私たちの守りたい『学園都市』とは、別のものを指しているのでしょうね」

 

 そうか、と潮岸はヘルメットの中で言った。

 

 これで、言葉による交渉は平行線のまま終わりだ。そして、それが終わったならばやることは決まっている。

 

 

 

 轟! と。

 

 直後に、駆動鎧の全出力を費やして、潮岸は親船へ超合金の拳を放った。

 

 

 

 潮岸のつけている駆動鎧は、学園都市で軍用に採用されているものを、他の兵器との相性を下げる代わりに防御力や耐久性を中心にグレードアップした特注品だ。それはつまり、その拳がどれほど頑丈であるのかを示していた。

 

 建設重機とも比べ物にならない力で、老女の体など粉みじんになってしまう。

 

 それが、正しいはずだった。

 

 しかし、

 

「……少しは考えなかったんですか?」

 

 親船の顔には、傷一つ付かなかった。なぜなら、潮岸の拳がその途中で不自然に停止していたからだ。

 

 そう、彼はその考えを思いついていなかった――駆動鎧に身を包む潮岸と同じように、親船もまた、自分の命を守るための策を用意していた可能性について。

 

 老女の手に握られていたのは、黒曜石のナイフ。

 

 トラウィスカルパンテクウトリの槍。

 

 アステカ神話由来の魔術。そんなことができるのは、当然彼しかいない。

 

 親船の顔がはがされていき、そして一瞬だけ褐色の肌を見せたものの、次の瞬間には別の顔が貼り付いている。

 

「海原、光貴……!」

「おや、その名前でいいんですか? てっきり、エツァリと呼ばれるものかと思っていましたが」

 

 駆動鎧のあらゆる歯車やモーター、ネジといった部品がバラバラになって床に落ち、礼服姿の老人が現れるまで、そう時間はかからなかった。

 

「親船は……結局、あの腰抜けは安全地帯から高みの見物をしているということか……!」

「どうなんでしょうね」

 

 彼の魔術はあらゆる人物に姿を変えることが出来るが、その条件として、まず人間の皮膚を切り裂いて護符とする必要がある。しかし、親船は10センチ大の皮膚を必要とされることを聞いても、一瞬も迷わなかったそうだ。

 

「『ドラゴン』についてお聞きしましょうか。それとも、腰抜け呼ばわりした親船さんが、どれほどの痛みに耐えたのか試してみます?」

「……ッ! 美濃部!」

 

 潮岸は叫ぶと、礼服の中に入れていたボタンのスイッチを押した。隔壁が上がり、そこから2人の大男が現れる。

 

 彼は手駒の警備組織を常に『杉谷班』と『美濃部班』に分けている。そうすることで、片方に裏切られたときにもう片方を殺し合えるようにするのだ。そして、今は予備戦力として残りの半分を機能させたということだ。

 

 しかし、出口の辺りで彼は立ちどまった。

 

 それこそ、彼は逃げることも忘れて振り返った。

 

「なぜ、お前たち2人以外の警備が皆殺しにされている!」

 

 大男は、その疑問に答えることなく、海原にこう言った。

 

 

 

「割と早かったな、エツァリ」

 

 

 

 どす、という鈍い音と共に、潮岸が黒曜石のナイフによって倒れた。

 

 投げた本人である大男は、魔術による変装を解除する。そして、その隣にいる男も。

 

 現れたのは、1人の男と1人の少女。

 

「テクパトル……それに、トチトリ!」


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