「……我ながら、随分とド派手にやったものだな」
クーデター終結後の風景を見て、女王エリザードが言った。
カーテナ=オリジナルの破壊と同時に『
エリザードは一度は投げ捨てた『カーテナ=セカンド』を拾い上げる。いっそあの右手でスッキリと砕いてもらおうかとも考えたところで、
「そもそもの発端が私にもあるため、心苦しいのですが……これから、いかがなさいましょう」
「いつまでも終わったことを前にくよくよするな、馬鹿者め。貴婦人の前では死ぬほど強がるのが我が国の騎士道精神ではなかったの?」
そういう姿は、とてもクーデターの主犯格を前にした一国の女王だとは思えなかった。
この先、ほとんどの人は魔術というものの正体に気付きはしないだろう。後世に伝える良き思い出として、自分の心の中に残るだけだ。
しかし、その中から魔術について思い至る者が出てくる可能性までは、否定できない。
「その時はその時だ」
だが、エリザードはそのことまできちんと考えた上でそう言い切った。
「もしそうなったら、認めてやればいい。この世界には魔術というものがあり、それは日々お前たちを影ながら守っているとな。魔術国家イギリスの新生とでも言うべきか」
歴史など、すぐに変わるものだ。魔術がこのまま永遠に人目につかない場所にあるという保証もない。実際に、アフリカの部族の一部では、魔導士の一種が部族の意思決定――政治のかじ取りを任されていたりもする。決して不可能なものではない。
歴史にちょっとした『もしも』が起これば、いつでも実現するかもしれない変革程度のものなのだ。そのことは、先ほどのクーデターではっきりと示されている。
エリザードが言うからこそ、その言葉はおそろしく現実味を帯びていた。
「……さて、吹っ飛ばされたキャーリサを回収しに行かなくてはな。ん? 表彰モノの少年2人はどこに行った?」
第三王女ヴィリアンは、クーデターを収めた『清教派』や『騎士派』の集団から少し離れたところで、きょろきょろと辺りを見渡していた。人を探しているのだが、どうやら見つからないようだ。
「……やはりウィリアムは、一言も言わずに去ってしまったのですね」
その表情には、落胆が明確に見て取れた。傍らにいた騎士団長が、頷いて言う。
「ローマ正教圏に大きな動きがあるようです。今、魔術と科学が正面からぶつかり合っている、この大きな戦に関わる重大な動きが。ウィリアムが共に『神の右席』を抜けた仲間からの情報を基に、イギリス清教とは別の方向からこの争いを止めるために行動するそうです」
「仲間、ですか」
その言葉に、彼女は反応した。
10年という歳月の中で、他の人々は色々なものを手に入れたいたのだ。先ほどの『仲間』というものが、特にそうであろう。自分だけが取り残される感じが、ヴィリアンの心にのしかかった。
そんな表情を見て、騎士団長は顔色に苦いものを混ぜる。
「(……まったくあの野郎。傭兵という身軽な立場を利用して、この私にこんな厄介な役目を押し付けやがって……)」
「?」
独り言が途中から口に出ていたのか、小さく首を傾げるヴィリアンに騎士団長は慌ててかしこまった表情を作り、それから改めて口を開く。
「とある傭兵から伝言があります。他の者に聞かれぬよう、必ずヴィリアン様が一人の時に伝えてくれと前置きされたものですが」
「なん、でしょう……?」
ヴィリアンは、かすかな期待と共に、その内容を尋ねた。
――いつか、この戦争が終わって世界が平和になったら、イギリスに帰りたい。願わくば、その時にバッキンガム宮殿の廊下に飾られるはずだった
「まあ、あの傭兵が誓いを立てるに足る姫君に成長してほしいという、あの男なりのプロポーズではないでしょうか?」
「……ッ」
第三王女ヴィリアンは目をまん丸にして驚いていたが、実はこのセリフには、騎士団長が勝手に、本人が告げてない台詞を織り交ぜてしまっていた。
内心で、彼は考える。
(この私の人格を熟知した上で、なおクサい伝言を頼んできたのだから、どういう風に伝えられるかは分かっているだろう、ウィリアム?)
第二王女キャーリサは、ロンドンの路上にぶっ倒れていた。
夜明けまでにはまだ少し時間があるのだろう。それに加えてクーデターが終結したばかりであることもあってか、大通りにも車はなかった。最も、バッキンガム宮殿から2キロ離れているのか、3キロ以上離れているのか。派手に吹っ飛ばされたので、そのあたりも曖昧だった。
右手を握りしめれば、その手の中には柄があった。未練がましく握られているそれは、折られたカーテナ=オリジナルだ。
考えるのは、9000万人の国民たちの力だ。それを実際に目の当たりにした彼女は、何が国民を守るだ、と吐き捨てた。結局、目の前の状況に対して最も怯えていたのは、キャーリサ自身だったということだ。
と、その時だった。
「ハハッ、こいつはすごいな。お前がそんな風に血と泥にまみれて地面に転がっている様なんざぞ、なかなか見られんものだと思っていたが……実際、目の当たりにしてみると予想以上に異様な光景だ」
男の声が聞こえた。
赤を基調にした服装の男。見た目からは対して鍛えているとは思えないが、その印象以上に不自然なまでの異様な重圧を与えてくる人間だ。
「誰だ……?」
剣の柄を握りしめてから、折れていることを思い出してそれを放り捨てた。
「お前は誰だ……?」
「右方のフィアンマって言えば分かってくれるかな? ここまでヒントを出しても分からんのなら、諜報系の部門を一度解体して組み直した方が賢明だ」
「っ」
右方のフィアンマ。
ローマ正教の暗部『神の右席』の最後のメンバーにして、最大の力を振るう者。記録によると、たった一撃で聖ピエトロ大聖堂を半壊させ、矛先を向けられたローマ教皇は今も予断を許さない状況にあるらしい。
「対応している天使は『
「んー? そっかそっか、そういうやり方もあったかもしれんなぁ」
フィアンマはふざけた様子だ。
キャーリサは挑発を放ち、相手からの反応を見る。
「だが、ここにあるカーテナ=オリジナルは、すでに機能を失ったし。クーデターの混乱を機に奪いに来たのなら、期待外れだったな」
「いやぁ、そいつは純粋に惜しかったな。もしかすると、そっちのほうが楽だったかもしれん」
彼は適当に呟いているようにも、真剣に感心しているようにも見えた。
「まあ、やっぱり無理か。無理だよな。力の質という部分ではクリアしているものの、おそらく容量の方がもたんだろう。俺様の力の移したとたんに剣の方が爆砕するのがオチだろうなぁ」
「何を……言ってるの?」
「くだらん世間話だよ」
彼の言葉からすれば、この混乱を機にイギリスを訪れたのは間違いないようであるが、その狙いはカーテナ=オリジナルではないらしい。
しかも、フランス政府をせっつかせて、このクーデターを誘発したこと自体、フィアンマの仕業であるという。
「なん、だと」
「ま、フランスとイギリスをガチで戦争させて、焼け野原になったロンドンから回収するって方向でもよかったんだが、その点ではお前は優秀だったぞ? 現実に、お前のくだらんママゴトのおかげで、この首都は略奪と凌辱の嵐にならずに俺様の目的を達せられることになったんだから」
カッ、とキャーリサの頭に血が上った。
カーテナがあったとしても、同質の力を自在に振るうフィアンマに勝てるという保証はない。ましてや、カーテナを失った今のキャーリサには、勝てる見込みなど、ゼロと言っても過言ではなかった。
その通り、飛びかかるキャーリサに対し、フィアンマは指も動かさなかった。ただ、轟音と共にキャーリサの体が100メートル以上吹き飛ばされた。
フィアンマの右肩から、何かが生えていた。不格好な翼のような形をしている『右腕』だった。
「チッ、やはり空中分解か。我ながら扱いにくいじゃじゃ馬を手にしているもんだ」
わざと靴底の音を立てながら近づいてくるフィアンマを、キャーリサは睨みつけた。
「カーテナすらも霞むほどの物品だと。わざわざ戦争を起こしてまでして隙を作り、その間に何を盗みだそーとしてたの!?」
「分からんか? ちょっとした『お宝』だよ。お前たち『王室派』がコソコソ作っていた、な」
その言葉に、キャーリサは心当たりを感じてギョッと身を強張らせた。
「実在……したのか……ッ!?」
「バッキンガム宮殿の中にポンと置かれていたから、俺も驚いたぞ。まあ、何しろ本当の意味で秘密の品だからな。いざというときに重要なものだけを持ち出すように指示されていた魔術師たちも、知らなかったのでは持ち出せないわけだ」
軽い調子で呟きながら、フィアンマは右肩を動かした。
「で、どうする? 諦めて生き延びるか、それともちょっと頑張ってみて死んじまうか」
「ぬ、かせ……」
体を傾けながらも起こし、それでもキャーリサの眼光は衰えていなかった。
「ローマ教皇が、どうして最後までお前に抗ったのか……分かるよ―な気がするの……」
「そうかい。なら同じようにくたばるがいい」
足を引きずり、ボロボロになりながらも前に進もうとするキャーリサに対し、フィアンマがとどめとなる一撃を放つ。
そして。
ゴッキィィィィ! と。
突然横から飛び出した2人の少年が、フィアンマの一撃を防いだ。
正確には、1人の少年の右手が攻撃を受け止め、もう1人の少年が吹き飛ばされそうになるその右手と体を支えていた。
「何やってんだ、テメエ……!」
「当麻、この感じ……『神の右席』だ。気をつけろ」
駿斗の忠告に、ギョッとした様子で赤い男を見る当麻。その右手からは、動かすたびにゴキゴキと妙な音が生っていた。あまりの威力で、関節の様子がおかしくなったようだ。
「フィアンマだ……右方のフィアンマ。『神の右席』の実質的なリーダーだし」
「おいおい、自己紹介ぐらいは自分でさせてくれよ」
今まで以上に拳を握りしめる当麻。駿斗もまた、警戒心を最大限に引き上げている。
「しかし、さすがは俺様が求める希少な右手。近くで見ると、改めてその特異性に驚かされる」
「『求める』……?」
今まで、当麻を殺害しようとした魔術師はいたが、
すると、フィアンマの第三の腕が独立した蛇のように蠢き、のたうちまわり、今にも空気中に溶けて消えそうになっている。
時間切れか、とフィアンマは呟いた。
「驚くなよ。お前が持っている『右手』だって似たようなものなんだからな。俺様もお前も、その隣の貴様も未完成であることまでそっくりなんだが」
その時、フィアンマの右腕が再び蠢いた。それを見て、彼は初めて顔をしかめた。
「しかしまあ、欲を張るのは良くないな。今日はこの辺にしておくか。ここで殺すのは簡単だが、万に一つでも奪った霊装を破壊されてしまうリスクを負ってまで拘泥することでもない」
「霊装だと!?」
その言葉を聞いて、駿斗は一瞬カーテナ=セカンドのことを考えた。対応する大天使が一致している以上、その可能性が高いと思ったのだ。
しかし、フィアンマの懐からでてきたのは、全くの別物だった。
見た感じは、金属製の錠前だ。ダイヤル錠の数字に当たる部分に、26文字のアルファベットが強引に埋め込まれている。
その形を見て、駿斗は嫌な予感がした。そして、キャーリサの叫びがその考えを肯定していた。
「まずい、あれを使わせるな!」
しかし、その言葉を聞いた2人が行動に移すよりも早く、ダイヤルを回した。そして。
ドッ! という轟音と共に。
何か白いものがアスファルトの道路の下から飛び出してきた。
駿斗の背筋を、嫌な汗が流れた。
「『
襲いかかってきた彼女は、インデックスだった。そして、その姿はかつて自分たちの担任教師のアパートの部屋で見たような、あの姿をしていた。
「……イン、デックス……?」
驚く面々を見て、フィアンマが自慢げに説明した。
『自動書記』の外部制御霊装。『王室派』と『清教派』のトップが持っている秘蔵の品だ。
冷静に考えてみれば、10万3000冊を誇る禁書目録を、あの『首輪』のシステムを創り上げた最大主教が、科学の街に何の保険もなく預けるわけがない。
そして、インデックス自身も言葉を発した。
「はい、私は、イギリス、清教内……第零聖堂、区『
無表情に言葉を発していたインデックスの体が、その場に倒れた。
「「インデックス!」」
当麻と駿斗が叫ぶが、その様子を見てもフィアンマは首を傾げるだけだった。
「おや、もしかして『自動書記』にダメージでも入っているのかな。まあ、肉体の完全制御ができないのは残念だが、この程度ならなんとかなるか。……ちょっと霊装を細かく調節して『出力』を上げれば、10万3000冊の中から自由に魔導書の知識にアクセスできるだろうしな」
フィアンマの声色から感じられるのは、軽い失望だった。
それこそ、手に入れたおもちゃが思ったよりも面白くなかった、とでも言いたげのものだ。
「何をした……インデックスに何をした!」
大声で叫ぶ当麻に、フィアンマは両手を広げ、肩をすくめて答えた。
「知らんよ。整備不良はそっちのミスだろ」
「テメエ!」
「待て、当麻!」
走り出そうとする当麻の体を駿斗が抑えつけ、空気を圧縮して肩を固め、強引にその右腕をまっすぐに突き出させた。
その直後、フィアンマの『第三の腕』から莫大な閃光がほとばしった。
「そうだな。ちょっとロシアの方に行って天使を降ろした『素材』の方も回収しておかなくちゃならないし、それまでその右腕と肉体の管理は、お前らに任せておくか」
閃光が晴れた時、既にその先にフィアンマの姿はいなかった。駿斗は自分の方へ振り返った親友に対して、何も言わずにゆっくりと首を横に振った。
路上に倒れているインデックスを、その傍らで駿斗が屈み込んで診ていた。
「呼吸や脈拍、その他ホルモン分泌に異常はなさそうだ。……分かりやすく言えば、意識だけ他所に持ってかれているような状況だな」
しかも、自分自身の意志すらなくした状態で、と駿斗は付け加えて言った。
「……どういうことだ」
そう言って最大主教ローラ=スチュアートに詰め寄ったのは、ステイルだった。
「どういうことだ! 一体……一体、どこまで他人を騙して、あの子を傷つければ気が済むんだ!」
上司と部下という立場を殴り捨ててローラの胸ぐらを掴み上げるステイル。そんな彼に横から口をはさんだのは、女王エリザードだった。
「やめておけ。禁書目録に複数の安全装置を取り付けることは、その子の基本的人権を保障する上でも必要な処置だった」
遠隔操作でロンドンから操ることができる仕組みを作っておかなければ、『禁書目録が何者かにさらわれる危険性』を考慮しなければならない。極端な話、
いざというとき、『これは制御できる安全なものだ』ということにしておかなければ、『禁書目録は危険だから殺してしまった方が安全だ』という意見が出た時に反論ができなくなる。そのような極論を封じるためにも、安全装置を複数用意することが必要だったのだ。
「くそっ!」
ステイルは吐き捨て、ローラを乱暴に突き飛ばした。
エリザードが言葉を続けようとしたが、それよりも先に、それまで黙って話を聞いていた駿斗が口を開いた。
「だが、『自動書記』を構成する中でも最も重要な因子である『首輪』が、当麻の『
今までになく厳しい視線を投げかける彼に、エリザードは頷いた。
「そうだ。この状態でフィアンマが禁書目録の知識にアクセスしようとすれば、そのたびにこの子の体に重大な負荷がかかるだろう」
イギリス側も、可能な限りフィアンマからの影響を遮断するように努めるが、しかし簡単にはいかないだろう。そもそも、そんなに容易く妨害が可能ならば、わざわざ霊装をつくった意味がないのだから。
「ステイル」
当麻は、赤い髪の魔術師に声をかけた。
「俺たちはフィアンマを殴りに行ってくる。その間、インデックスを任せられるか」
「……本気で言ってるのか? この子をこんな風にした人間を、このまま何もしないで見過ごせって言うのか、この僕にッ!」
しかし、殴りかかるような勢いで言ったステイルを、駿斗はその胸倉を掴んで引き寄せた。
「(……結局、女王様も最大主教も、いざというときは組織のトップとしての行動をしなければならなくなる。そこに、インデックスに対する愛情も何もないんだよ! つまり、これから先に『いざという時』が起こった場合、一体誰がインデックスを守るんだ!?)」
その言葉に、ステイルは歯を食いしばった。
続けて、当麻も小さな声で叫ぶ。
「(俺には魔術的な詳しい仕組みは分からないから、四六時中インデックスに張り付いていても、小細工を見過ごす危険性がある。この右手があるから魔術的な施設には入らないでください、なんて言われたら、本当にお手上げだ。駿斗は逆に、どんな魔術も分かってしまう以上、『清教派』の魔術的施設には入れてもらえない可能性も高い!)」
だから、彼らはステイルを選んだ。
たとえどんな状況に陥っても、組織の思惑だとか、どんなものにも振り回されずに、ただインデックスを守ることに全てを捧げてくれるようなこの魔術師を。
2人はステイルの元を離れると、女王の前へを歩み出た。
「……もちろん意図的な攪乱の可能性もあるけど、フィアンマの言葉が本当なら、あいつの次に狙いはサーシャ=クロイツェフらしい。『神の右席』ってのは天使の術式を扱う連中なんだろ。だったら、サーシャは旨味がありすぎる。……何しろ、かつて本物の大天使をその身に宿したんだからな」
「それに、一度その身に『
その言葉を聞いた彼女は言った。
「禁書目録の制御を奪われかけているという情報は、可能な限り隠しておきたい。となると、あの子を助けるため、という大義名分は成立しない。つまり……」
「「必要ねえよ」」
移動手段の提供でもしようと思ったのだろうが、2人はそれを乱暴な言葉で遮った。
ふつふつと胸の内から湧いてくる怒りの感情を、明確な形へと変えながら。
「アシは自分たちで確保する。ロシアまで行って来て、フィアンマのクソ野郎を殴り倒してきてやる」
「俺にも参加させろよ、親友。あの野郎を、そのプライドから顔面までボコボコにしてやらなきゃ、気が済まねえんだからよ」