「……まあ、だから一か所にまとまらずに別行動であいつらの取れる選択肢を狭めていくわけだが」
通信を切った駿斗は、ロンドン市内を駆けていた。正確には、建物の屋上から屋上へと跳んで移動していたのだ。
(その気になれば音速を出すこともできるけど、無駄に力を消耗する必要はないし)
そして、もしも相手が猪の霊装を使ってくる場合は、それなりの対応をするつもりだ。
そんなことを考えていると、1人の魔術師の少女を発見した。
「発見、と。あの槍の形をした霊装からして、間違いなさそうだな」
しかし、その少女は市内を流れる河川……というか水路の中に飛び込む。
(――まずい!)
駿斗は思いきり少女めがけて突進した。屋上の高さは7,8メートルほどあったのだが、
そして、駿斗が着水すると同時、ドッ! という音と共に2つの影が水中を駆け抜けた。
スリーズルグタンニ。あるいは、グリンブルスティとも呼ぶ。
黄金に輝く猪なのであるが、豊穣神フレイの乗り物とされるそれは、水中や空中に限り、どんな馬よりも速く駆け抜ける。
(『ヒルディスヴィニ(フレイの双子の妹である豊穣神フレイヤが持っていた猪)』を持っていなかったのは、恐らく陸上だと道を封鎖されている可能性を考慮したんだろうが……この霊装、予想外に早いな!)
それに対して、駿斗は今まで水中での活動などほとんど経験がない。
もちろん、その気になれば
相手の行動を妨害するには……攻撃するしかない。
(水中なのだから本来は雷系統の術式を使いたいところだが、あいつらの使う武器は雷神トールの霊装だということだからな……だったら!)
駿斗の周囲にある水が蠢く。それが魔術的な意味のある形を成し、そして水中であるために視認不可能となった、水の刃が高速で発射された。
それに対し、敵の少女も慌てて霊装を操り回避する。どうやら、防御や反撃にまで気を回す余裕はないらしい。
(……唯一の幸いは、空を飛ばれる可能性がないことか)
現代の魔術師は、空を飛ばない。
正確には、飛行術式というものは山ほど存在する。箒に乗って空を飛ぶ魔女然り、空を舞う魔法の絨毯然り、他にもドラゴンやペガサスなど、空を飛ぶ架空の生き物というものも多く存在するので、空を飛ぶための霊装であるならば、それこそインデックスの知識でも借りれば数百種類、いや、下手をすれば数千種類は作れてしまうだろう。
しかし、仮にそれらを作ったところで、敵の前で飛んだら視界に入った瞬間に落とされるのがオチだ。
十字教における有名な話の1つ。
聖職売買で有名な魔術師シモン=マグスと対決した十二使徒のペテロは、ただ祈るだけで敵を落として見せた。その上、地に墜ちたシモン=マグスはそのまま息絶えたと言われている。
そのために、シンプルで強力な撃墜術式が広まっているのだ。つまり、魔術師は簡単に空を飛ぶことができるものの、簡単に地に落とされてしまうという不毛な運命を課せられることとなった。
第十位の『聖人』は、例外的に宙を舞うことが可能らしいが……駿斗は実際に会ったことがない。
それはともかく、彼女はこのまま水路を移動するしかないのだ。地面になど出れば、一発で追いつかれてしまうのだから。
(……曲がり角!)
水路は当然ながら、どこまでも一直線、という訳にはいかない。したがって、時々その方向を変える必要がある。さすがにイギリスで暮らしているためか、敵は駿斗のスピードに少し顔を引きつらせながらも、自由自在に曲がっていく。
しかし、当然ながら限界はある。
そもそも、魔術師はどのようにして魔力というものを持っているのかと言えば、何らかの方法で体のパラメータ(脈拍とか)を強引にいじることにより、自分の
方法としては、瞑想や食事制限など様々なものがあるが、その中でも最もポピュラーで多くの魔術師が使っているものが、特殊な呼吸法なのだ。
水中移動術式を使用すれば、当然ながらある程度息も苦しくはなくなる。しかし、流石に陸上と同じように、とまでいくのは、それによほど慣れていなければならない。
要するに、彼女たちは水中に入ってから、魔力の精製ができないか、あるいはその質が落ちてしまい、陸上と同じような実力を発揮できない、ということだ。
対し、駿斗は万象再現1つで魔力から
ドドドドドッ! という音が連続し、少女の体が空中へと放り出された。
駿斗もまた水中から跳び上がり、宙を舞う少女へと、拘束術式によって輝く右手を伸ばす。
五和はベイロープに敗れたものの、それはある意味作戦に織り込み済みであり、彼女をきちんと確保することができた。
というのも、ロンドンという町はイギリス清教『
「すみません。こんな時間にお呼びしてしまって」
「あいにくと、私は規則正しい修道女じゃないんでね。既定の就寝時間なんざ存在しないわよ」
謝る五和に対してぶっきらぼうにそう答えるのは、シェリー=クロムウェル。ライオンのような金髪に小麦色の肌が特徴的な、ゴスロリの黒いドレスを着た魔術師だ。
かつて『虚数学区の鍵:
あの事件のせいで、当麻や駿斗たちにはゴーレム使いという印象が強いが、寓意画や宗教彫刻などの美術・工芸・霊装の中に隠された魔術的記号を解読する専門家である。
彼女は、ただでさえ乱雑な金髪を、適当に片手でかきあげながら、
「……っつっても、『清教派』の魔術師はともかく、『騎士派』のクソどもの利益にもつながるってのは気に食わねえけどな」
「は?」
事情を知らない五和は、その言葉に頭上に疑問符を浮かべたが、シェリーは「何でもねえよ」と返した。
20年ほど昔に学園都市とイギリス清教のそれぞれ一部で起こった、『新たな能力者を作り出す』実験の被験者であるその少年。『能力者に魔術は使えない』という常識は今でこそあるものの、それが明確になった実験がこれだった。
魔術と超能力を共に使いこなす者を作り出そうとしたが失敗は続き、最終的には『騎士団』の乱入により被験者はシェリーを除き全滅。
その際、エリスは彼女を逃がそうと魔術を行使するも、拒絶反応を起こし自爆、直後に騎士のメイスで殴打され死亡した、という壮絶な過去があるのだ。
だからこそ、彼女と『騎士派』の間には大きな溝がある。
気を取り直して、彼女は解析に取り掛かった。細かく解説してくれるのだが、五和にはイマイチ分からない。
「……ええと、つまりどういう事でしょう?」
「変形を前提に作られたカバンということよ」
正確には、元になった『何か』を折り紙のようにして『カバン』という形を作り出しているらしい。
「『新たなる光』の得意分野は確か北欧だったな、となると……」
「へえ、折り紙ですか」
その時、五和が何気ない手つきで四角い鞄の表面に手を伸ばす。
すると、パチンという音が聞こえた。試験場で『タコ殴り』にされた影響で壊れかかっていた鍵が、ひとりでに開いたのだ。
「わ、わわわわわわわわわわわわわわっ!?」
ボンッ! と四角いカバンが膨らんだ。何倍、というレベルではなく、何十倍、というか……自分が乗っていた棚を爆砕させ、図書館のように並んでいた棚を倒していく。
いや、それはもはやカバンではなかった。
大きなカヌーのようなデザインの船だ。
スキーズブラズニル。
北欧神話に登場する、主神オーディンを含むアース神族全員が乗ることができる、折り畳み式の船。しかも、それが複数見つかった。
単なるビックリ箱ではなさそうだ。
『新たなる光』の1人を速やかに拘束してイギリス清教送りにした駿斗は、再び捜索に移ろうとしていた。
「
最強の探知魔術により、ロンドン市内一帯が駿斗の探知範囲内に収まる。
(北欧系の術者……いや、豊穣神トールの記号を探した方が早いか)
トールの中でも『豊穣神』という魔術的記号を使用している者は少ない。そのため、それを使えばすぐに見つけられる。
しかし、その中で奇妙な……というか、見たことのある魔力を感知した。
いや、ここはイギリス清教なのだから、単に『見たことのある魔力』というだけならば無限に存在する。ステイル、神裂、オルソラ、シェリー、アニェーゼ……しかし、この魔力は異なっていた。
そもそも、この魔力と並の魔術師とはかけ離れた
駿斗はその場所へと急ぐ。
その人物は、やはりいた。
格好は、以前と同じだった。その手に持っているのは、棒だ。それも、単なる棒、霊装ではない。
縮絨棒と呼ばれる、十字教徒ならば重要な意味を持つ棒。
ある十二使徒の
「ジミー……だと!?」
「また、お会いしましたね。神谷駿斗」
アルファイの子ヤコブから発生した名前を冠するその若き青年は、駿斗の顔を見てもさして動揺も見せずに挨拶をした。
(どうして、こいつがここに!?)
この男と会ったことがあるのは、つい先日、学園都市最大の地下街である第二十二学区で繰り広げられた戦闘だった。
後方のアックアに、他2名と共に率いられてきた彼は、当麻の右手と駿斗の肉体、というかその命を狙い、わざわざ学園都市とイギリス清教に古風な果たし状を送りつけてから襲撃してきた。
わずか3人で50人規模の旧天草式を蹴散らし、その後やってきた神裂火織さえも追い詰める。
警戒心を高める駿斗に対し、ジミーは肩をすくめて言った。
「気持ちは分かりますが、そんなに警戒なさらないでいただきたいものです。現在は『十二使徒』を抜けておりますので」
「抜ける、だと?」
「ええ。厳密には『十二使徒』に所属はしていますものの、学園都市とあなた方を攻撃する気は今のところありません。ウィリアム様が『神の右席』から実質的に離れている状態ですので」
そう言えば、今までの『十二使徒』と比べて、この男はローマ正教というよりも後方のアックアという男に対して忠誠を誓っているような口調であった気がする。
しかし、今、聞きのがせない言葉を彼は口にしていた。
「ちょっと待て、アックアが『神の右席』から離れているってことは、あいつはまだ生きているのか? あの時、確実に天草式の『聖人殺し』を喰らっていたし、俺もあの時あいつの力が離れていくのを確認していた!」
「あの方がおっしゃることには、とっさにバイパスを築いて、自分の持つ力を外へ放出することで被害を最小限にとどめたようなのです」
もっとも、そのせいで『二重聖人』から並の『聖人』にまで力が落ちているとのことですが、と彼はこともなげに言う。
一方で、駿斗は内心で冷や汗をかいていた。
(おいおい……あの時は正直、体の限界まで天使の力を行使して、翌日は五和たちが出て行ってから身体強化を1度切った後、体のあちこちが肉離れになるやら関節が痛むやらで大変だったんだぞ。目が覚めてから、さらに翌朝になるまで、使い慣れたはずの万象再現さえ使用できなかったくらいなんだから)
駿斗がそれだけ全力を尽くして死闘を繰り広げたにも関わらず、天草式の奥の手である『聖人崩し』すらも、ダメージは受けたものの凌いで見せたということか。
改めて『二重聖人』アックアの化物っぷりを見せつけられた思いであった。
「……だったら、どうしてお前たちはここにいるんだ?」
「騒乱の元凶を絶つこと。ウィリアム様の目的がそれである以上、私の行動も全てはそれにございます」
すなわち、『現在の』彼らにとって当麻と駿斗は『騒乱の元凶』とはみなさなくなったということなのだろうか。
(信用、できるか……?)
先ほどからジミーが「ウィリアム様」と言っている辺り、ローマ正教『神の右席』の一員『後方のアックア』としてではなく、1人の魔術師(あるいは傭兵)『ウィリアム=オルウェル』として行動しているような感じはする。
しかし、万が一のことも考えると、完全に仲間と考えることもできない。駿斗はとりあえず、偶然利害が一致しているだけ、と考えておいた。
「ウィリアム様は知り合いのところで、注文していた『武器』を預かってからいらっしゃるとのことでして。私が一足先に、騒乱の中心となるここにやってきたのです」
「『武器』、か」
つまり、『並の聖人』レベルになってしまった分、力を補うための行動と考えることができる。彼の言う『武器』というのは、十中八九『霊装』と考えることができるからだ。
『聖人』と『聖母』の両方の性質を併せ持ち『神の右席』という地位でそれを完成させている『後方のアックア』は、本来特別な霊装など必要がない。この街には水路が張り巡らされているため、彼が得意とする水の魔術も使い放題であるし、5メートルほどの鉄の塊である武器のメイスは、音速を超えて振り回されるだけで何よりも恐ろしい凶器となるはずなのだから。
しかし、1つだけ疑問があった。
「だったら、どうしてお前だけがここにいるんだ? レビとトマ、だっけか……そいつらは?」
アルファイの子ヤコブから派生した名を冠する彼はここにいるものの、硬貨袋を象徴物とするマタイに位置するレビや、腰帯をつけたトマはこの場にはいない。
やはり別行動をしているのだろうか……と駿斗が思ったところで、ジミーは驚きの答えをした。
「はい? 彼らならイギリスにはいませんよ。『十二使徒』として再びバチカンに戻りましたので」
「……どういうことだ?」
「ローマ正教を抜けたのは、ウィリアム様と私だけ、ということです」
それなら理由が分かるが、と駿斗は適当に考えた後、共に動き出した。
思わず武器を手に立ち話してしまったが、彼は『新たなる光』と追いかけっこを繰り広げている最中なのである。じっとしている訳にはいかないのだ。
しかし、すぐに通信が入る。
『駿斗さん!』
「その声……五和か?」
『はい!』
なんだか彼女の声が非常に慌てている雰囲気を出している。というか、緊張感を持っているかのような……。
「何かあったのか!?」
『い、いえ! 「新たなる光」の目的の一部が分かりました! 彼女たちの最終的な標的は、現在ユーロトンネルの調査のために、フォークストーンのトンネルターミナルへ赴いた、英国の王女たちです!』
その言葉に、駿斗はギョッと体を強張らせた。
「マジか……だとしたら、あいつらにとってはそれも計画のうちか!?」
バッキンガム宮殿には魔術的な施設はないものの、それでも王女たちを護衛する騎士や魔術師が多数存在するし、何より『カーテナ=セカンド』を持った女王がいる。
しかし、それらから離れた場所にいることは何よりも暗殺の好機となるだろう。さらに、五和は悪い情報を加えてくる。
『問題はそれだけではないんです。王室は公式には否定していますが、彼らには1つの噂があるんです。「王家の者」を発動キーとする大規模術式の存在ですよ』
その問題の大規模術式とやらは、様々なうわさがあるが、その中でも最も過激なものが『「王家の者」の死』を引き金にして発動される大規模術式。16世紀あたりに配備されたものらしいが、当然ながら、その標的はヨーロッパ諸国となる。
しかも、その反動でイギリスにも地殻変動や天変地異が襲い掛かる。文字通りの『最後の一撃』により、その反動でイギリス国民の大半も命を落とす。
今までの王家の者の死には『終油の秘蹟』という儀式によって、それが阻止されていた。しかし、下準備なしに突発的な死を迎えた場合、その術式が発動する……。
その言葉を聞いて、駿斗はすぐに調査にかかった。
(『幻想千眼』プラス
捜す。
ロンドンがだめなら、初歩的な使い魔を召喚する術式を利用して、さらに探知範囲を伸ばす。
(捜せ、捜せ、探せ……!)
見つからない。
これだけ大規模な、『聖人』にすら不可能な広範囲・高精度で探しているのにも関わらず。
これはどういうことだ?
発見されないように、魔術的な妨害がなされている? ――否。どんな術式を用いようが、それが魔術である以上『何らかの魔術で何かを隠している』ことは必ず駿斗にばれるはずだ。
そもそもロンドンやその周辺に存在しない? ――否。国家のすべてをささげる規模の魔術というのだから、ウィンザー城などの主要な施設を中心として魔術が構成されていなければおかしい。
それは、つまり。
「ブラフ、という訳でしょうね。かつてリドヴィア=ロレンツェッティが、『ペテロの十字架』を学園都市に持ち込もうとしたことを、架空の対聖人用霊装『
かつては自分と同じローマ正教の一員だった人間であるにもかかわらず、他人ごとのように言うジミー。
そのことに目を細めるが、すぐに気がついた。
『新たなる光』の目的は『今日、イギリスを変える』。
それはすなわち、ローマ正教の支配下から脱するということを大前提としているだろう。
探すことはできるではないか。『神の右席』にさえも太刀打ちできる可能性を秘めた、正真正銘英国最高の霊装を。かつての捜査が全て失敗しているからと言って、今回も失敗するとは限らないのだから。
そして、彼らは恐らく成功した。
「まさか、『カーテナ=オリジナル』……! となると、それを実行しているのは絶対に、『軍事』に精通した……」
駿斗の脳裏に、赤いドレスの王女が映った。
『新たなる光』のレッサーを追い詰めたところで、当麻とオリアナの目の前で彼女は言った。
「受け入れましょう。口封じをするなら、今がベストです」
当麻が思わずその肩を掴むと、そこから真っ赤な鮮血が噴き出した。
「狙撃!? 伏せなさい!」
オリアナが叫ぶが、当麻は身動きがとれない。
口封じ。
その言葉が真実だとするならば、これは断じて何かが当麻たちを援護したわけではない。明らかに、害意のある攻撃だ。
「くそ!」
当麻は辺りを見渡すと、コピー用紙の束をグシャグシャに丸めて傷口へと押し付ける。しかしレッサーには、出血量が多すぎてショック症状が起こり始めていた。
「救急車を呼べ、オリアナ! いや、お前の扱う魔術の中に回復系の術式はないのか!?」
「残念だけど……」
しかし、その時オリアナが、スチール製のデスクに刺さっている物に気が付いた。レッサーの体を貫き血がついているそれは、30センチほどの棒の先に矢じりのようなものを取り付けた、変わった形をした飛翔体だ。
ロビンフッド。
吟遊詩人たちに紡がれた物語の中で、アウトロー集団の首領で義賊でありながら弓の名手である、という設定が、物語の登場から何世紀も経った19世紀あたりから描かれるようになった主人公と同名の霊装だ。
そして、この霊装を使用しているのは……『騎士派』。その上、この霊装の開発したは第二王女『軍事』のキャーリサの直属部隊なのだ。
「……私たちが輸送していたのは、『カーテナ=オリジナル』……」
血まみれの顔に笑みを浮かべながら、レッサーが言う。
「……かつて歴史の中で失われた戴冠用の儀礼剣にして、王家の物しか扱えない慈悲の剣。……当然ながら……後世に作られ、現在の女王が持つ……カーテナ=セカンドなど、はるかにしのぐ、英国最大の霊装……。正真正銘、イギリスを変えるのにふさわしい剣です……」