東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land.   作:かぶらや嚆矢

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一ノ漆・

 停戦勧告を受けた箒、セシリアの両者とも戦闘態勢を解いてグラウンドへと降下していったことに倣い、霊夢もまたスペルカードアタックを中断した。ついで2人にやや遅れて高度を下げていくが、彼女はこれまでになく不機嫌な顔をしていた。

 

(まったくもう。あいつ、どういうつもりで口を挟んできたのよ)

 

 この場合のあいつとは篠ノ之箒でもセシリア・オルコットでもなく、スペルカード宣言中だというのに横合いから水を差してきた織斑千冬のことである。

 

 先に降りていった箒たちについていく必要もなければ、そもそも千冬の呼びかけに応じて弾幕を止める理由もない。だというのに霊夢が停戦したのは、相手がいなくなれば弾幕を張っても仕方がないことに加え、度重なるルール無視および予告のないセルフルールの押しつけに、それほど長くもない堪忍袋の緒がいいかげん切れかかっていたためだ。

 

 箒とセシリアに続いてグラウンドに足を付けた霊夢はずかずかと千冬の方へと歩み寄り、彼女の前で面目なさそうにしていた箒たちを押しのけ、硬い表情でいる女性の真正面に立ちはだかった。

 

「ちょ、ちょっとあなた何を――!」

 

 慌てて咎めてくるセシリアには構わず、霊夢は正面切って千冬を糾弾してみせる。

 

「あんたらねぇ、いったいどういうつもりなのよっ! 条件提示なしでいきなり襲ってくるわ直接攻撃するわ、連戦するわ二対一だわ、挙げ句の果てには部外者のくせにスペカ宣言の妨害! 無視したルールを数え上げたらキリがない! しかも先に喧嘩吹っかけて来たのはあんたらの方だってのに、いい加減にしとかないとこっちにも考えがあるわよ!」

 

 口角に泡を飛ばす霊夢とは対照的に、千冬はどこまでも落ち着き払っていた。霊夢の追求を聞き流している様子はないがしかし腕を組んで泰然とし、頭ひとつ分ほど高い位置から、眉ひとつ動かさずに霊夢を見つめ返している。

 

 周りが味方ばかりだから余裕ぶっているのだろうか、と、霊夢は視線だけを周囲に巡らせ、自身が置かれている状況を顧みた。霊夢のすぐ後ろにはISを待機状態に戻している箒とセシリアがおり一夏やシャルロット、真耶をはじめ幾人もの女子生徒が人垣をなして周りをぐるりと取り囲んでいる。言ってみれば敵陣の真ん中で十重二十重に包囲されている恰好だ。千冬以外の誰もがはらはらとした表情でもって状況を見守っているが、ひとたび千冬がかかれと命じれば、全員が一斉に襲いかかってくる事態に陥ることは想像に難くない。

 

 そして霊夢はむしろ、そういう荒っぽい乱痴気騒ぎになることを望んでいた。

 

 千冬が開き直ったり難癖を付けてきてくれれば、遠慮なく彼女を叩きのめしてやれる。もともとルールを破ったのは向こうなのだから、こちらが無法を働いたところで、非難される謂われなどこれっぽっちもないだろう。

 来るなら来なさいよ。お祓い棒を握る手にもつい力が入ってしまう霊夢だったが、結果的に彼女の懸念は徒労に終わった。確かにお前の言うとおりだ、と千冬が霊夢の正しきを認めてあっさり頷いてしまったからである。

 

「よぉしよく言った! そんじゃさっさとかかって――うぇ?」

 

 挑発をされたり意見が対立したり、望まない要求を突き付けられたら力ずくで自分の道理を押し通そうとする幻想郷の面々しか知らない霊夢にとって、千冬の言葉はまったく想定外のものであった。まるで期待もしていなかった真摯な対応に思わず間の抜けた声を漏らしてしまう霊夢。ついで千冬は自ら非を認めていくがうろたえきっている霊夢はすっかり混乱してしまい、必然その返答もおかしなものになっていく。

 

「前もって定められたルールを照会すらせず無視し続けたことについては、全面的に我々の手落ちだ。如何とも申し開きのしようもない」

 

「いやまぁ、その。でもルールって言ったってそんな厳格なものでもないわけだし」

 

「はなはだ手前勝手な理屈であることは十分承知しているが、勝ったほうが言い分を通せるという条件に従うならば、先の2人まで敗れてしまったのではお前から話を訊き出せる道理がなくなってしまう。それでは極めて不都合だ」

 

「そ、そうよそうよ。だから仕方なく、そう仕方なくルール違反しただけだもんね」

 

「これは我々の一方的なエゴに過ぎんし、すべての責任は私が負う。事が済んだ暁には好きにしてもらって構わん。憤りはもっともだが、ここは私に免じて一歩譲ってもらえまいか」

 

「いやいやいやいや! 大したことじゃないんだからそこまで深刻にならなくても!」

 

(って、なんで私さっきからこいつを庇ってるの?)

 

 頭の中が真っ白でちっとも考えがまとまらないが、会話がまったく噛み合っていない気がする。

 

 どうも自分は極めて頓馬な受け答えをしているのではないか? ふと我に返った霊夢は、ここに至るまでの経緯を改めて整理してみた。

 

 弾幕ごっこに興じていたのにルールを無視され続けて気に入らないから、とりあえず、首謀者と思しき千冬に直接文句を言いたかった。そして千冬は霊夢のクレームを受け入れて謝罪した。それどころか、どんな罰でも受け入れると白紙の委任状を差し出してきてさえいる。

 

(……ちゃんと非を認めて謝ってるんだし、もういいじゃんそれで)

 

 そう結論づけたところで、冷めたというか落ち着いてしまった。霊夢は根本的には単純で、あっさりした性分なのだ。ちょっとしたことで感情的になる一方、悲しみや怒り、恨みといった鬱々とした感情が長続きするタイプではない。衝動に任せた行動を取ることはあっても一度発散できれば延々と根に持つこともなく、済んだことをいつまでも引きずる湿っぽさもない。いわんや、相手が白旗を揚げたのをいいことにさらに殴りつけたり、理不尽な要求を突き付けるような真似など考えもつかなかった。だから、

 

「分かればいいのよ。よくよく考えてみればあんたらが弾幕ごっこのルールを知ってるはずないんだし、きちんと説明しなかった私も悪くないわけじゃないから、ここはお互い様ってことで」

 

 あれほど怒りを露わにしていたにも関わらず、一転して鷹揚な態度で矛を収めてしまう霊夢だった。これを懐が広いと言うか、お調子者と呼ぶかは判断しがたいところである。

 

「で、話を戻すけど勝負は私の勝ちでいいよね? それとも改めて、決着が付くまで続ける?」

 

「いや。こちらはすでに戦闘不能1名と投降1名、満身創痍2名だ。継続するどころか異論を挟む余地もない完敗だろう」

 

「そんな! 織斑先生、わたくしたちはまだ――きゃんっ!」

 

 ずいっと霊夢を押しのけて前に出るなり、そう反駁したセシリアを出席簿ではたく千冬。すぱーん、と音が響くはずのところが、ベギッという重い音がしたから相当強く叩いたのだろう。セシリアは打たれた頭を押さえ、涙目ですごすごと引き下がる。ついで千冬はちら、と箒を一瞥するが、電流を流されたように背筋を正し、直立不動の姿勢を取った箒が何も言ってこないことを確認すると、再び霊夢に向き直って言葉を続ける。

 

「負けを認めたうえで、図々しいがあえて願いたい。話を訊かせてもらえないか」

 

「うーん。ちょっと納得いかないけど、まぁこっちも好きに暴れて少しはスッキリできたんだし」

 

 視線をそらした霊夢は、指先でもって頬をかいてみせた。ついでいわく、

 

「仕方ない、付き合ってあげるか。それに、ここまで無理を通されると逆に清々しいわ」

 

 肩をすくめて承諾してみせる霊夢に、すまないなと詫びる千冬。話がそう決着したところで千冬は周りを取り囲んでいる人垣の一角へ顔を向けると、山田先生、と呼びかける。ついで彼女は淡々として――例えるなら感情を無理に抑えているような硬い声音でもって言葉を投げかけた。

 

「少しの間、彼女と話をしてきます。いつ済むかは分かりませんので、恐縮ですが実習についてはお任せします――今度こそは、生徒たちをきちんと統率していただきたい」

 

「は、はいぃぃ!」

 

 今度こそはと強調する千冬の形相に、というより彼女の手にある出席簿に目をやった山田真耶は震え上がって返事を返した。それを確かめたあとで千冬は一夏、箒、セシリア、シャルロットらを初めとする教え子一同を見渡し、反論を許さない強い口調でもって命令する。

 

「貴様らは全員でグラウンド整備を行ったあとで、山田先生がいいと言うまで外周を走ってこい。教師の指示には従えとあれほど言ったにも関わらず従わなかった罰だ」

 

「ええーっ、そんなーっ!」

 

「ひどいです、私たち何もしてません! ていうか期待してたイベントも何もなかったのに!」

 

「最初に抜け出したおりむーが悪いんだからみんなの分も走ってきてよ~」

 

「ラウラじゃなくて俺ひとりで全員分かよ!?」

 

 女子生徒たちは口々に不満を述べ立てるが千冬はいっさい耳を貸さず、出席簿を自身の掌に叩き付けて彼女たちを黙らせる。ついで、さっさと行かんか! と大喝一声、かくて少女たちは蜘蛛の子を散らすようにして駆け出していく。その先頭に山田某なる、統率しろと厳命されていたはずの女性の姿が見えた。ただし教え子たちを率いているという様子ではなく、いの一番に逃げ出したという風に見えたのは霊夢の見間違いだったろうか。

 

「場所を変えよう。手間をかけるが、ついてきてくれ」 

 

 そう促す千冬に先導され、霊夢はグラウンドの片隅、白亜の建物にほど近い辺りまで移動する。

 

 等間隔に植えられた広葉樹の梢が日差しを遮って地面へと影を落とし、ひんやりした涼風が吹き抜けていく、心地よい空間であった。木陰には数脚のベンチが並び、赤や黄色の合弁花が瑞々しく咲き誇る花壇を手入れしている男性用務員がいるほか、周囲に人影はない。真耶の指揮のもとグラウンドを走ったり整地したりしている少女たちの声が遠く聞こえてはくるが、話し合いに障ることはなさそうだ。

 

 遊歩道の脇に設置された自動販売機にICカードをかざして缶コーヒーを購入した千冬は、霊夢の方へ向き直ると、何か飲むかと尋ねた。ほんの短い間だけ考えたのち霊夢、答えていわく、

 

「お酒」

 

「聞き間違いをしていない自信はあるが念のためもう一度訊くぞ。何が飲みたい」

 

「お酒。日本酒がいい」

 

「緑茶でいいな」

 

 霊夢の希望をなかったことにした千冬は缶入りの緑茶を購入し、霊夢へと投げてよこす。

 

「わ、冷たい! ……へー、いつでも冷たい飲み物が出てくるなんて、便利なものがあるのね」

 

「お前、まさか自動販売機を知らないのか?」

 

「私の周りでは見たことないかな。香霖堂にこれっぽい物があった気はするけど」

 

 言いながら霊夢は千冬の見よう見まねでプルタブを空け、缶に口をつけてみた。馥郁とした香りを孕んだ翡翠色のお茶もまたよく冷えており乾いた口内を潤してくれる。どうやって冷やしているのか不思議で仕方ない霊夢は口に含んだ緑茶を嚥下した後で、おおー、と感心しながら缶をためつすがめつ眺めてしまう。

 

「……ふ。まったくおかしな奴だな」

 

 そんな霊夢に何とも言えない苦笑を誘われた千冬だったが、すぐに表情を元のポーカーフェイスに戻すと、お互いに飲み物を手にした状態で改めて霊夢と向き合った。

 

「さて。最初に名乗りを済ませておこう――私は織斑千冬だ。このIS学園で教鞭を執っている」

 

「博麗霊夢。とある神社で巫女をしてるわ」

 

「幣を手にしているからもしやと思ってはいたが、やはり神職者だったのか。神社には昔から縁があるが、空を飛ぶうえにオカルトめいた力を行使できる巫女を見たのはこれが初めてだ」

 

「他がどうかは知らないけど、もうひとり、私と同じような力を持った同業者を知ってるわよ」

 

 商売敵にあたる風祝の少女を思い浮かべながら、霊夢は答えた。彼女も霊夢同様に空を飛ぶし、弾幕も張れる。そのため霊夢は巫女、ないしそれに類する職に就く者であれば誰でもこの手の力を当然使えるものと思い込んでいたが、驚いている千冬の反応を見るに、巫女だからといって一概にそうとは限らないようだった。

 

(そういえば、あの子は外の世界から来たんだっけ)

 

 知った名前かどうか訊いてみようかとも思ったが、今はしかし、先に把握しておかなければならないことがある。雑談もそこそこに霊夢はさっそく切り出した。いわく、

 

「えーと、千冬だっけ? あんたに訊きたいことは色々あるけど、まず、さっき言ってたあいえす学園っていうのは一体なんなのよ?」

 

 そう問いかけられた千冬は、ふむ、と呟きはしたがすぐには答えなかった。シャープな顎に手を添え、しばらくの間霊夢を見つめながら、質問の真意を推し量るように沈黙する。

 その不躾とも言える視線に霊夢はあまりいい印象を抱かなかったが、それを言葉にすることはしなかった。向こうがこちらを判断しかねているのと同様、霊夢もまた千冬のことを名前以外に何も知らないのだ。今すぐ食ってかかったりせず、まずは情報を得る必要があった。そしてそのうえで幻想郷へ戻るにあたっての障害になるとか、なんとなく気に食わない奴だと判断したのであれば、改めてブチ食らわしてやれば良いだけの話である。

 

 そんな企てを知るよしもない千冬はしばらく霊夢を値踏みしたあと、本当に知らないようだなと結論づけた後でこう続けた。

 

「IS学園とは、IS操縦者ならびにISに関わる諸々に携わる人材の育成を目的とした教育機関のことだ。恐らくこれも知らんだろうから補足するが、ISとは博麗がさきほどまで交戦していた、人間が着用して飛行および無重力下での作業、高次元での各種戦闘を可能にするマルチフォームスーツのことを指す」

 

「どいつもこいつもゴチャゴチャしたもの着てるとは思ってたけど、ふーん、あれがあいえすって言うのか。一瞬で着たり脱いだりしてたし、ずいぶんと不思議な技術が存在するのねぇ。にとりが見たら泣いて喜びそうだわ」

 

「量販店の話か?」

 

「何のこと?」

 

「分からないならばそれでいい。ただ誰が見ても、博麗の方がISにも増して不思議な技術を持っていると思うのだが――そのオカルトめいた力、いったいどうやって身につけたんだ?」

 

「どうやってって言われてもなぁ。さすがにちょっとは修行したこともあったけど、空を飛ぶのも陰陽玉も弾幕も神仙術も、だいたいはいつの間にか使いこなせるようになってたし」

 

 真顔で尋ねられ、困ってしまう霊夢。

 

 彼女が有する空を飛ぶ程度の能力は生まれた時から備わっていたし、陰陽玉の使い方や弾幕の張り方なども、妖怪たちとの関わり合いの中で自然に身についていた。今や無意識で行使できる能力について由来を尋ねられても感覚的なものを説明するようでどうにも答えようがない。結局、まぁ特技みたいなもんねと霊夢はお茶を濁す。千冬の方も取り立てて追求するつもりはなかったのか、あるいは話しあぐねている霊夢の困惑を推し量ったのか、それで納得したようだった。

 

「話を戻すが、ISは人知を越えた性能を持っている。小国の軍隊程度ならばたった1機で苦もなく壊滅させうるほどにな。そして強力であるために、よからぬ野心を抱く者が引き寄せられがちだ」

 

「蝿とおんなじね。あいつら、食べ物の匂いが強ければ強いほどたくさん集まってくるし」

 

「他人事と思って軽口を叩いているようだが、現状ではお前もその蝿の中に含まれているんだぞ」

 

「なんでよ!」

 

「当たり前だろうが。お前が何者でどこから来たのか、また何が目的で、誰の意を汲んで来たのかまるで分からん。先の戦闘を鑑み、こうして話をしている限りでは当学園に対する害意は感じられないが、敵なのかそうでないのか判断するには、まだ不明点が多すぎる」

 

「敵もなにも、私はあんたらが何をしてるかも知らないっつーの」

 

「機密に触れる部分もあるので多くは語れんが、先に言ったとおり、将来ISに関わる者にならんとして学園の門を叩いたひよっ子どもを教育するのがここの存在意義だ。かかる場所に、どうもISについてまったく知識がないと見えるお前が、いったい何を目的として来たのか」

 

「別に来たくて来た訳じゃない。最初に言ったけど、有無を言わさずここに放り込まれただけよ。私としては早く帰りたいんだけど迎えが来ない以上は帰りようがないし」

 

「ならば自分の意志ではなく連れてこられたという前提で話を進めよう。お前はどこから来た?」

 

「もうこれも言ったけど、どこから来たかは教えない。一応この国のどこかで、裏手に池と温泉があって、参拝客が来ない神社とだけ答えておくけど、これ以上は訊かないでね。隠したいっていう理由もあるし、千冬たちでは絶対に見つけられない場所だから訊いたって意味ないわよ」

 

「なるほど……不可解ではあるが訊くなと言うなら仕方ない。今はそれでよしとしよう。では連れてこられたと言うのであれば博麗をここまで導いた人物ないし組織が存在することになるが、それらは何者で、何が狙いでお前を派遣した?」

 

「組織ではないわね。私がここに放り出されるのに関わったのは1人だけよ。まぁ何か企みはあるんでしょうけど、いつもくっだらないイタズラばかりして喜んでるような奴だから、大した目的はないと思う。だいたいそいつ、ちょっと前まで花見してて大酒飲んでたんだから」

 

「花見だと? いささか時季外れなように思えるが――まぁそこは問題ではないか。その者とは恐らく日本人だろうと推察するが、いかん」

 

「当たらずとも遠からず。ご想像にお任せするわ」

 

「なかなか便利な言葉だな。いいだろう。その者と博麗はどういう関係だ?」

 

「ちょっと説明しにくいわね……私とは相容れない存在ではあるけど、いろいろ利害が一致してる面もある。現に私はそいつからある物を任されて管理してる立場だし。今は私がそこにいないからそいつが私に代わってある物を管理してるんでしょうけど」

 

「そいつとかある物とか代名詞が頻出するのは、私には教えられない機密だからか」

 

「ご明察」

 

「ならばそこは追求しないが、その者はどういう立場に就き、普段はどこで何をしている?」

 

「立場は賢者っていうか、監視者? ご意見番って感じかしら。普段は仕事を手下に押しつけて、どこにあるかも分からない自分のアジトで昼寝ばっかりしてるわね。もしくは私の神社に暇潰しに来るぐらい。深夜になると、今日も一日が始まるとか言いながら寝床から出てくるわ」

 

「まさかその女、1日を35時間生きるなどと自称してはいないだろうな」

 

「女だなんて一言も言ってないけどね――まぁいいわ。女だってことは間違いないから。でも普通1日って24時間でしょ? そいつは1日12時間は寝てるって自分で言ってたから、合計するとある意味35時間くらいにはなるのかも」

 

「……ひとつ気になるのだが、そいつはそもそも人間なのか?」

 

「人間以外って感じかなー。私と互角ぐらいの腕前で冬になると冬眠するし、紫色だし」

 

 むぅ、と呻いた千冬は眉を潜め、いわく言いがたい複雑な表情で黙り込んだ。口元を隠すように拳を当てた格好で、先ほどとは少し意味合いが異なる、何かおかしなものでも見るような眼差しでもって霊夢をしげしげと凝視してくる。

 

(別に嘘は言ってないもん)

 

 訝しんでいる気配を隠そうともしない千冬に向かって、霊夢は心の中だけで舌を出してみせた。

 回答をわざと曖昧にしているのは、次から次へと矢継ぎ早に質問を投げかけてくる千冬への意趣返しという側面もあったが、それ以上に、外の世界で忘れ去られた存在が流れ着く場所と定義されている幻想郷について、あまり詳らかにするわけにはいかないからである。そのため、先ほど引き合いに出していた人間以外の紫色、八雲紫が得意とする話術――本当のことを嘘っぽく聞こえるように並べ立て、どの話のどこまでが本当かを分かりにくくする手口を真似て、千冬を煙に巻こうとしたのだ。

 なんとなれば千冬は、霊夢自身よりも、むしろ彼女の背後にいる存在について興味を持っているように感ぜられたためである。

 

(しかもこいつ、私の後ろにいるのが誰なのか予想が付いてるみたいな訊き方をしてきたわね……

まさか紫の知り合いってことはないでしょうし、ひょっとして、カマをかけてきたのかしら)

 

 うまくごまかせてるといいんだけど。そう、霊夢は内心で独りごちる。

 翻って、霊夢にのらりくらりとかわされた千冬は眉間に皺を寄せて目を伏せ、内心で何やら格闘する事態に陥っていた。察するに、霊夢の言葉の真偽を推し量っているか、霊夢が敵かそうでないかを判定しているのだろう。

 

 きっと後者に違いないと霊夢はあたりをつけ、冷たいお茶で口を湿らせながら千冬からの言葉を待つ。澄まし顔でいる霊夢と言葉なく考え込んでいる千冬。両者の間に沈黙が落ちること1秒、2秒、3秒。ややあって目を開いた千冬が、ふぅ、と嘆息して結論を述べたのは10秒ほどかかってからのことだった。

 

「――分かった。いまいち要領を得ない話ではあるが、博麗とその背後にいる存在がこのIS学園に敵対する者ではないという点はとりあえず信用しておく」

 

「うん? 自分でも胡散臭い話だと思ってたのに、意外とあっさり信じるのね」

 

「確かに話の内容はいささか信じがたいし、判断のつかない点が多すぎる。しかし口から出任せを並べている様子ではないように感じた。単に私の理解力が追いついていないだけで、恐らく博麗は本当のことを打ち明けているのだろう」

 

「だから私を信用してくれたの? ずいぶん人が良いことね」

 

「さて、何と言えばいいのか……博麗は話の内容でなく、むしろ態度や雰囲気で嘘を言っているかどうか判断すべきタイプだと踏んでな。見るに、取り繕っているような印象も後ろ暗さもない風に感じたから、話の内容も額面通りに受け取ってよかろうと思ったのだ」

 

 ちなみに、と付け加えた千冬は唇の端を吊り上げ、ニヤリと笑った。ついでいわく、

 

「どちらかというと私も嘘をつくのが下手な方でな。嘘はつかんが、本当に知られたくないことを訊かれたときは何も答えないか、嘘にならん範囲で適当にごまかすようにしている」

 

 少なからぬ驚きをもって霊夢は千冬を見やった。してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべて霊夢を見やっている千冬だったがしかし、霊夢一流のごまかしを見破っていたからといって、そのやり口を糾弾するような気配はなかった。

 この女、もしかしたら私より一枚上かもしれない。あっそうと素っ気なく応じつつも、霊夢は、千冬についての人物評を改めておくことにしておいた。

 

「私の質問はここまでにしておこう。博麗の方から、何か私に訊きたいことはあるか?」

 

 表面に水滴が浮き始めている缶コーヒーに口をつけた後、千冬がそう話題を変えてくる。

 




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