東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land. 作:かぶらや嚆矢
金を払って入場した遊園地にアトラクションがひとつもなければ来園者は怒り狂うし、有り金を注ぎ込んで購入したくじが、実は天文学的確率でしか当たらないと知れば、誰もが不満を抱く。
代金とサービスのバランスが崩れていれば反発が生じるのは当然のことだがしかし、こと学校という場所は例外だった。かかる特異点に通う生徒たちは入学金を納めて学校に行き、授業がない日には、大いに活気づくのだ。
IS学園2年生全員を対象にした、IS稼働実績を実技形式で発表する競技会当日。
雨天と晴天が交互に訪れるような不安定な空模様が何日か続いた末に迎えた競技会の日は、まさしく日本晴れと呼ぶにふさわしい、爽やかな日和だった。
澄み渡って高い秋の空には雲ひとつなく、海の方から吹いてくる風は穏やかである。赤や黄色に染まり始めている木々の色や優しい日差しに、誰もが心を浮き立たせずにはいられないだろう。
モノレールで、プライベート機で、専用車などで続々とIS学園を訪れ、競技会の会場である第1アリーナへ案内されていく来賓たちが、みな一様に興奮を抑えきれないような顔をしているのは、今日が外出するには好適な日だからという理由ばかりではなく、これから挙行されるイベントそのものへの期待感もあったかもしれない。
IS学園と関係のない一般人やマスメディアの入場は拒まれるが、各国の政府関係者や企業のスカウトたちが列席するこの手のイベントは1日かけ、また、IS学園をあげて大々的に行われるのが常であった。
全教職員はイベント全体の監督および司会進行として。
主役である2年生は、競技会参加者として。
1年生および3年生の有志は会場整理、来賓の誘導、教職員のサポートや資料の手配などを行う手伝いとして、それぞれに割り当てられた作業を忙しくこなす。
IS学園に在籍する者は、かくのごとく誰もが慌ただしく動き回っていたが、同時に、生徒たちはみなイベントへの高揚感に沸き立っている。そしてそんな彼女たちの間には、競技会に対する盛り上がりとは色合いが異なる、期待感というか落ち着かなさというか、いわくいいがたい雰囲気がある噂話とともに膾炙していた。
――この競技会で何かが起きるかもしれない。どうやらそれには、千冬様と1年1組の生徒が関わっているらしい
出所が分からなければ根拠もないし、具体的な詳細もまったく聞こえてこない。
内容自体も、ただでさえ有名どころの1年1組がどうしたこうしたという、今さら耳目を集めるには値しないはずの、ありふれた与太話だ。
しかし、ただのデマだと笑い飛ばすには耳に入ってくる機会があまりに多すぎた。それに先日、第6小アリーナ周辺で千冬が何か怪しい動きをしていたという目撃情報もあるし、1組の生徒たちもみな固く口を閉ざしているという事実もある。だから、大雑把に過ぎる噂話は、もしかしたら真実なのかもしれない。
否、真実であってほしい。
そんな空気が蔓延しているせいだろうか? 競技会の開会宣言を終えて各プログラムへ移行し、
全日程の3割ほどを消化し終えた現時点までずっと、第1アリーナには、IS学園生徒たちが着席している西側観客席を中心に、独特な緊張感が充ち満ちている。
その様子は、メインアリーナ上空にあって観客席を見下ろしているセシリア・オルコットからも容易に感じ取ることができた。
(みなさん、明らかに浮き足立ってますわね)
片方の手で風にたなびくブロンドヘアを押さえ、もう片方の手ではレーザーライフルを提げている格好で、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるセシリア。
専用機ブルー・ティアーズを装備した状態で、セシリアは、メインスタンドに設置された、各ISの数値データや、競技中のISや操縦者のアップ映像が表示され続けている大型映像装置付近で滞空していた。
会場全体を俯瞰できる場所に留まる彼女は、アリーナとその周辺の監視任務と、有事の際には各所に配置されている各国代表候補生たちに指示を飛ばす、司令塔の役割を与えられていた。
(来賓席側には特に動揺は見られない。おかしなざわつき方をしてるのは生徒席側――)
セシリアは顔は動かさず、視線だけ巡らせてメインアリーナと東西の観客席を見渡してみた。
アリーナでは模擬戦であったり、キャノンボール・ファストのごときエアレースであったりと、様々な発表形式でもって、2年生たちの日々の修練の成果が披露されている。
その光景を観戦している来賓席の方は、展開と観客の反応がリンクしていた。誰かが目覚ましい活躍を見せたり、名の知られたIS学園2年生が登場すれば歓声が上がり、肩透かしを食えば落胆の吐息が漏れる。
だが、IS学園生徒たちが詰め込まれているアリーナ西側の観客席では、盛り上がるタイミングがずれていたり、反応が鈍かったりするのだ。
察するに、おしゃべりに夢中で、競技会をまともに見学している者が少ないのだろう。
それでは、いったい何の話題が彼女たちをそこまで熱中させているのか? セシリアには、その見当が付いていた。
(織斑先生がデモンストレーションを行うことは、現時点では、関係者を除いて誰も知らないはずですが……人の口には戸を立てられない。結局そういうことなんでしょうね)
どこから情報が漏れたのやら、と嘆息するセシリアの耳に、短い電子音が入ってくる。
『こちら東側連絡路。異常なーし』
それから、オープンチャネルを介して少女の声が聞こえてきた。セシリアから向かって右方奥、来賓観客席エリアにあたるアリーナ東側を警備しているシャルロット・デュノアからの報告だ。
「アリーナ上空A空域です。観客席およびアリーナ周辺、異常ありません」
『了解。――ここからも見えてるけど、セシリア、手持ち無沙汰みたいだね』
「分かりますか? 目当てにしていたウェルキン先輩の出番も終わってしまって……もちろん他の先輩方の動きも十分勉強にはなりますが、できれば、話し相手が側にほしいところですわ」
ぷう、とむくれてみせたセシリアは顔を上げると、東側空域と西側空域に分かれ、彼女と同じく専用機を展開してアリーナを警備している仲間たちの姿を見た。
第1アリーナは、IS学園において最大規模の施設である。大規模スタジアムに設置されているスクリーンのような大型映像装置があり、日差しを遮る屋根を備えた観客席もまた、かなりの座席数がある。それだけに警備にも人手がいるのだ。アリーナ東側の空域は1年2組唯一の専用機持ちであり中国代表候補生である鳳鈴音が、それに対面する西側では、1年4組でただひとり専用機を所有している、日本代表候補生の更識簪が、それぞれ哨戒任務に就いていた。
そこにセシリアを加えた3名で三角形を描く格好でアリーナ上空を警備しているが、平穏無事な状態が続いている現在、クラスメートと離れたところで孤立しているのと大差ない。
お祭り好きな鈴音は一番近いところで模擬戦を見られてご満悦のようで、盛んに声を張り上げて観戦している。簪は簪で携帯端末を駆使して、2年生の動きをデータ化および分析していた。2人とも充実した時間を過ごしているようだが、セシリアにとって、近くに誰もおらず独りでぽつねんとしている現状は、どうにも面白くなかった。
もっとも、こうしてシャルロットが気を遣い、定期報告にかこつけて話を振ってきてくれるので多少は救われているが。
「霊夢さんがいらっしゃるんでしょう? わたくしも、そちらの警備に回りたかったですわ」
『まあまあ……でもその位置は、もし何か起きても一番最初に対応できる重要なポジションなんだからさ。指揮官としてそこを単独で任せられるくらい、セシリアが頼りになるってことだよ』
「もう、調子のいいことばっかりおっしゃって。でも、ありがとうございます」
『……このまま、何も起きないといいんだけどね』
「そうですね――叶うならデモンストレーションまで無事に進行し、織斑先生が登場したところが本日最大のハイライトになってくれるといいですわね。何も知らされてない2年生の先輩方には、少しだけ申し訳ない気も致しますけれど」
『あはは。確かにそうかも』
「そのあたりは、織斑先生がきっとうまくフォローしてくださることでしょう。それよりもわたくし達が気をつけないといけないのは、望まないお客さまがお見えになること、ですわね――」
*
セシリアの言葉は、シャルロットの考えと一致するところだった。
その通り、と応じてからもシャルロットはしばしセシリアと四方山話を続け、ひとつだけ言伝を受け取ったところで終話した。
来賓観客席最上段と連絡通路をつなぐ短い階段を降り、建物内へと入っていくシャルロット。
来賓用の通り道とは別の、関係者のみが利用する狭い連絡通路では、シャルロットと共にアリーナ東側を警備しているラウラ・ボーデヴィッヒが、他の警備ポイントを任されている仲間と通話しているところだった。戻ってきたシャルロットの姿に気付いたラウラは片手を挙げ、異常なしのハンドサインを送り、それと前後してオープンチャネルを切断する。
彼女のところへ歩み寄りつつシャルロットいわく、
「A空域は異常なし。一夏と箒が立ってる西側観客席も異常なし。まあ、ちょっとでも目を離すと一夏に言い寄ってくる上級生が現れるから油断ならない、って箒が文句言ってたくらいかな」
「よし私が行ってこよう」
「どこに。割り当てのポジションを守らないと、織斑先生に怒られるよ」
「む、そうか――こちらも異常なしだ。B、C空域とも現時点では問題はない」
そこで一度言葉を切ったラウラは、ただ、と前置くと腕を組み、倒れ込むようにして背後の壁にもたれかかった。ついで、困ったように眉根を寄せると、頬を指先でかきかき話を続ける。
「鳳鈴音も更識簪も、うすうす私たちの隠し事に感づいてるかもしれないな。最近付き合いが悪いが何を企んでるのか白状しろ、と迫られた。2人とも意外に食い下がってきたため、ごまかすのにずいぶん苦労したぞ」
「うーん……今はまだ、僕たちだけの判断では2人に説明できないのが辛いところだね」
「まったくだ。あともうひとつ――そこにいるのは誰だとも訊かれたな」
シャルロットとラウラが、ほぼ同時に、同じ方向へと顔を向ける。
「なによ」
観客席側からは姿が見えない死角にあって柱に体を預けて立っていたのは博麗霊夢だが、彼女はいつもの紅白装束ではなかった。
千冬が手配して貸与されたIS学園制服を着て、リボンも髪飾りも外してストレートヘアに変え、赤いオーバルフレームの伊達眼鏡をかけて変装している。いつもは手に携えたり袖の中にしまっているお祓い棒と神具を箒から借りた刀袋と合切袋に収めているためか、霊夢はどこか落ち着かない様子だった。
「似合ってないって言いたいんでしょ? 分かってるわよ。くそ、なんだってこんな格好しなきゃなんないのかしら」
「織斑先生も言ってたけど、いつもの霊夢の格好だとどうしても目立っちゃうからさ……だけど、似合ってないなんてことない。すっごい可愛いよ。ねえラウラ?」
「ふん。少なくとも、IS学園生徒には見えるな」
「はいはいどーも」
「うう、そんな邪険にしないで機嫌直してよ……ほら、頑張ってくれたら、この前みんなで行った抹茶カフェの最高級玉露とお団子をセットでごちそうするからさ。ね?」
「食べ物で釣られるほど子供じゃないわよ! ……おはぎは追加していいの?」
「あんこでも黄粉でも、好きなだけどうぞ」
「私は抹茶わらび餅だ」
「なんでラウラまで乗っかるの!」
「だったらちょっとは頑張ってあげようかな――ま、それもこれも千冬が言ってた、ゴーレムとかいうあいえすだっけ? そいつが来なかったら空回りだけどね」
手をひらひらと振りながら、それほど関心なさそうに霊夢が言うと、シャルロットとラウラはしかし表情を引き締める。
本来であれば人目につかないところに置いておくべきである霊夢がここにいるのは、ひとえに、何かアクシデントが――具体的には無人機による襲撃が――起きた際、迎撃戦力として彼女をアテにしているからだ。
事情を知らない生徒や来賓に姿を見られることはIS学園としても避けたいが、たった1人で専用機4機を退けるほどの力を持つ霊夢を手持ち無沙汰にしておくのは、あまりにもったいない。もちろん襲撃者たちと正対し、シャルロットやラウラたちと肩を並べて戦うことはさせられないが、遠方から支援砲火を行ってもらうだけでもだいぶ違う。
先に交戦したゴーレムⅢに比肩ないしそれ以上の火力を持つ無人機が襲撃してきた場合、霊夢からフォローを受けられることは実に頼もしかった。
だからだろう。迎撃部隊として配置されているにも関わらず、シャルロットたちにはどこか弛緩した気配が漂っている。
「……やっぱり、また来るのかな。ゴーレム」
ラウラと同じく壁に背中を預け、その場にしゃがみ込んだシャルロットの呟きは特に誰へと向けられたものでもなかったが、かかる言葉を受けたラウラは、確信を持った面持ちでひとつ頷いた。
「間違いなく現れる。我々が考えなければならないのは来るか来ないかではなく、いつ、どのようにして現れるかだ。だからこそ教官も、いつどのように現れても対応できるよう私たちに周辺警備を任せたのだろう。それも、事前にブリーフィングを行うほどの念の入れようだ」
言葉を切ったラウラはシュヴァルツェア・レーゲンを部分展開し、誇らしげに宣言してみせる。
「もっとも、何が来ようとすべて返り討ちにしてくれるがな――教官の復帰戦に横槍を入れる者はこの私が許さん。現れ次第、片っ端からプラズマブレードの塵にしてくれる」
「その通りね。誰にも千冬の邪魔はさせないわ」
「うむ。教官を呼び捨てにするのは気に食わんが、お前がそう言ってくれると心強いぞ博麗霊夢」
「任せといて。いつもの格好じゃないからちょっと動きにくいけど、私ひとりで100人力よ」
「頼りにしよう――というわけでシャルロット。私はあと50ユーロ上乗せする」
「へえ? セシリアも80ユーロ追加するって言ってたし、なかなか強気だね。僕はこのままでいいけど」
「何の話よ?」
「私とシャルロットとセシリアで、デモンストレーションの勝者は教官か一夏・箒ペアかを賭けているんだ。この国では一般的ではないようだが、こういうときにベットを張るのは欧州では普通のことだからな……私は当然、教官の勝ちに賭けている。もし一夏たちが勝ったら文句のひとつでも言ってやるつもりだ」
「僕とセシリアは一夏たちの勝ちに賭けたよ。いくら織斑先生でも第4世代機2機が相手だと分が悪そうだからね。もし一夏たちが負けちゃったら嫌味のひとつくらい言わせてもらうけど」
「どっちに転んでも一夏さんと箒がロクな目に遭わないじゃないの」
「博麗霊夢も賭けるか? 特別にお前は掛け金不要で、勝ったら配当を人数割りにして構わんぞ」
「んー……面白そうだけどやめとくわ。私、こういうのって外したことないから」
「す、すごい自信だね。さすがというか何というか――ズバリ、霊夢はどっちが勝つと思う?」
「個人的には千冬を応援してるけど、番狂わせって意味では一夏さんたちが勝ったら面白いわね」
謎かけのような言葉ではぐらかすと、通用口の向こう側、アリーナの方を見やる霊夢。
沸き立つ来賓席の向こう側で繰り広げられている、ギリシャ代表候補生が参加しているIS同士の模擬戦はクライマックスを迎えつつあったが、おそらく彼女に見えているのは、それとは別の光景なのだろう。
*
「サファイア先輩の模擬戦も終わったか。これで、代表候補生や注目してた先輩が出場するプログラムはほぼ片付いてしまったな」
競技会の見所の1つといえる、フォルテ・サファイアの活躍に盛り上がるIS学園生徒たちが詰め込まれているアリーナ西側観客席の最上段。観客席と通用口をつなぐ階段の手すりにもたれかかる格好で観戦していた篠ノ之箒が、模擬戦が終了したタイミングを見計らってから、少しの距離をおいて隣に並んで立っている織斑一夏に話しかけてきた。
「国家代表だから出場する必要はないし、生徒会としての仕事もあるだろうが、できれば会長にも競技会に参加してほしかったものだ。型に囚われないあの人の動きはなにかと参考に――」
「……」
「一夏? どうしたさっきから難しい顔をして。緊張してるのか?」
「お、おぉ? あー。まあそうだな、うん。き、緊張してるかも」
自分に話しかけてきていることに気付かなかった一夏は慌てた様子で、箒の方に顔を向ける。
多層型構造をしている第1アリーナ観客席の最上段ともなれば、吹き付けてくる風も強い。時折吹く一陣の風が箒のポニーテールをざあっと揺らし、彼女の頭部を彩る白いリボン――臨海学校の最後の夜に一夏がプレゼントしたリボンが、晴れ渡った青空にたなびく。
(あー、くそ。どうしても意識しちまう……)
髪を押さえてこちらを見やってくる少女の眼差しを、どきどきしながら見返す一夏。
第6小アリーナに呼ばれて行った訓練初日のこと。千冬のウォームアップについて行けず倒れてしまい箒に介抱してもらったとき、箒が内心を吐露するのを聴いてしまってから、どうにもうまく彼女に接することが出来ない。
当時はとっさに狸寝入りを決め込んでやり過ごしたものの、今となっては、寝たふりをして受け流してしまったせいで、逆にぎくしゃくしてしまっている。
学校にいる時間帯は一夏と箒以外にも周囲に大勢の人間がいる――目を光らせている――し、訓練中は、少しずつ慣れてきたとはいえ依然ハードな千冬と霊夢のしごきに食らいつくのに精一杯で浮ついた考えを抱く余裕もなかった。だがこうして、何かの弾みで2人きりになると、どうしても箒を特別な目で見てしまうのだ。
かてて加えて、心の内を告白できて清々したのか、攻撃的な部分が薄れた箒が、平時に倍して親身に接してくることも悩みの種だった。
(確か人員配置したのって千冬姉だったよな……まさか何か知ってて、わざとこうしたとか……)
「一夏?」
「な、何て言うのかな! 落ち着かないから、早く出番が来ないかなって考えてて!」
「ふふ、やる気満々だな――まぁそれは分かる。私も一夏と同じ気持ちだ。早く出番が来ないかと思う一方でひどく緊張もしてる……だが、怖いとかそういう感じではないんだ。たぶんお前と一緒に戦えるからだろう」
くすくすと笑った後で一夏に歩み寄ると、白式を部分展開している肩部装甲にそっと手を触れてくる箒。寄り添うような位置合いから語りかけてくる箒の声は落ち着いていたが、それ以上に一夏への気遣いがはっきりと出ていた。
「頑張るんだぞ一夏。きっとこれが、千冬さんを超えるための一歩目になる。私にもその手助けをさせてくれ」
「あ。あああ、ありっ、ありがとな箒!」
うろたえて後ずさりつつ――階段のステップを踏み外して転げ落ちそうになってしまった――うわずった声を上げる一夏少年を、目をしばたかせ、不思議そうに見つめる箒。
(ま、間が持たねえぇ! 頼むから千冬姉の出番早く来てくれ! いや、もういっそのこと束さんのゴーレムでもこの際いいから!)
「一夏。その落ち着かなさ、ひょっとしたらお前……」
「ギクッ!」
「て、手洗いを我慢してるのか?」
「ちっ違えよ! 違うけど……あー、もういいやそれで……」
「違うのか? 何か他に理由があるのか?」
わざとやっとるんかいと勘繰りたくなるほど、箒は鈍感である。
だが一夏は、箒の唐変木ぶりを批判することはできなかった。いろいろ顧みてみれば、あれこれ好意を向けてくれる箒および自分の周りにいる少女たちのアプローチを、自分もこうして受け流していたのではないか?
仮にそうだとすると、一夏がいま感じているもどかしさを、箒はじめ多くの少女たちは、ずっと自分の中に溜め込んでいたことになる。
(……男として最低だな俺……)
今はまだ箒に抱く気持ちが確定していないし、恋愛についてもあまりピンとこない。それでも、箒のことを思うなら、少なくともあの場で何かの返事はするべきだったのだ。
立場が逆になってみて自分の鈍さに初めて気付き、一夏は自己嫌悪に陥ってしまう。
「我慢は体に毒だぞ。ここは私が見ておくから、い、今のうちに済ませてきたらどうだ?」
「そうします……」
特にもよおしているわけではないが、このまま後ろめたい気持ちで箒の前に立っているよりは、物言わぬ便器とでも見つめ合っていた方が今の気分にはふさわしいのではないか。重い気分で応じた一夏が、肩を落としてきびすを返した瞬間のことだった。
強烈な光が瞬き、一瞬だけ視界がホワイトアウトする。
ついで爆発音が轟き、弾かれたように向き直ったアリーナでは、にわかに沸き立った煙と砂塵が渦巻いているのが見えた。何が起こったかはまだ確認できないが、何らかの攻撃を受けたことは間違いないだろう。パニックに陥る生徒たちの悲鳴よりもけたたましく鳴り響くアラート音は、第1アリーナ全体に張り巡らされている遮断シールドが破壊されたことを示していた。
「無人機の襲撃か!?」
「間違いない! 白式を展開しろ一夏――すぐにでもセシリアたちの応撃が始まるぞ!」
ご高覧ありがとうございました。
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同話後編は、27日20時ごろに投稿いたします。