東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land. 作:かぶらや嚆矢
競技会を翌週に控えた日曜日は天候に恵まれず、ぐずついた曇り空が朝から続いていた。
それも薄い雲が膜状に広がった曇天ではなくて、黒く分厚い雲が降雨の近きを感じさせるような
どんよりした天気である。そんな空模様だったから、IS学園生徒の大多数はいつ雨が降るかと憂いながら外を歩くより、屋内に引きこもって休日を過ごすことを決めたようだった。ある生徒は積み上げたままだった雑誌を一気読みし、またある生徒は撮り溜めたドラマを1話から消化していく。仲間内で集まって騒いで過ごす者もいたし、天気にかこつけて二度寝を決め込む者もいた。
出かける用事がない以上、見ているだけで気が滅入ってきそうな薄暗い屋外にわざわざ目をやる必要はない。
だから、部屋の外で何か起きていたとしても、それが直接自分に関わるものでない限り、関心を示すこともない。
まして、篝火ヒカルノを頭領に据えた倉持技研の面々と一部の整備科生徒、少しの時間を置いて織斑千冬と彼女の教え子である代表候補生たち、と順番に入場していった第6小アリーナに意識を向ける者など、誰もいなかった。
(傘はいらないかな。そこまで遠くないし)
向けているのはただ1人。茶道室から出るなり空を見上げ、雨が降っていないことを確認すると左袖を手でぽんぽん叩いて中の感触を確認し、急ぎ足で歩き出した博麗霊夢だけである。
時刻はまもなく午後3時になろうかという頃合いだった。目的地である第6小アリーナは中から物音こそ漏れ聞こえてこないが、大勢の人間が内部にいる気配を感じさせる。
アクセス制限されている鉄扉の前に立つと、慣れた所作で認証をクリアする霊夢。
斜めにスライドして割り開かれた入場口をくぐると、人気のないエントランスを抜け、奥の方からざわつきが届いてくる右手側の回廊――観客席ではなくピット前を経由してアリーナ地面へと繋がる連絡通路――へと足を向けた。
その道程、IS学園制服を着た女子たちがひしめき、怒号と指示と作業音が飛び交うピットの中を覗き見て霊夢は思わず顔をしかめてしまう。
――さっき出力したデータっていま誰か使ってるか? 急ぎで必要なんだけどさー
――はふぅ、プライヤーはどこ置いたかしらぁ。京子持ってないぃ?
――ねえ薫子薫子ー。BT66HBのアタッチメントのストックあったら、こっちにも回してよ
――ピット4から観測1。さっき送っていただいたプログラムですけど、このシンタックスだと 出力がだいぶ上がっちゃうみたいで……はい、はい。分かりました。じゃあ差し替えますね
――早く付け替えてってば! そう、そこのパーツ! もうすぐオルコットさん取りに来るよ!
――はいは~い。でゅっちー用のマシンガン調整し終わったよ~、おやすみなさ~い
――もおお誰よ白式のファイル上書きした奴! また演算のやり直しじゃないのバカー!
――誰か手ぇ空いてない!? こっち速攻で組み立……こら本音逃げるな!
「……修羅場ね」
かたや名前も用途も分からない機器を自在に操って、ISによる弾幕用銃器に手を加える者。こなた、コンソールに向き合い猛烈な速度でタイピングする者。プリントアウトされた紙束を手に慌ただしくピットを出て行く者もおり、逆に、回収してきた銃器を抱えて駆け戻ってくる者もいた。その大半は自分の両手で何らかの作業をしていたが、中には谷カッパが使うようなメカニカルなアームを駆使する者の姿も見受けられる。
この第6小アリーナで初めて弾幕測定を行った際の騒がしさは、ついぞ感じたことがないものであった。当時のことを霊夢は驚きと共によく覚えているが、今日のやかましさは先日のそれに輪をかけてひどかった。
霊夢は首を振った。
誰もが三々五々に自分の仕事に打ち込む光景は見ていて清々しいが、このやかましさには辟易する。もとより、騒がしいのは体質に合わないのだ。何だか頭痛も感じ始めた霊夢は慌ててその場を離れると連絡通路を突っ切り、アリーナへ足を踏み入れる。
「おー、やってるやってる」
壁面に沿って、ずらりと大型機械が並べられたメインアリーナ。それらの間隙を縫って倉持技研の研究者が行き交って各々の仕事をこなす。ここまでは以前の弾幕計測と同じである。ただし彼らは霊夢ではなく、アリーナ上空を色とりどりの光弾で埋め尽くし、天の川のごとく煌びやかな空間を飛び交う3機のISをターゲットに作業を行っていた。
(なんか神霊廟内に入った時を思い出すわー。ここみたいな薄暗い空間に極彩色の光弾、じゃなくて神霊が集まりすぎてて、星空みたいになってたっけ)
幻想郷を離れて2ヶ月ほどになろうとしているため、ひょっとしたら、里心がつき始めているのかもしれない。意外といえば意外な心持ちに思わず苦笑いをこぼした霊夢は、改めて、弾幕を展開するISたちを見やった。
矢継ぎ早に放たれる弾幕から逃げ回っている白いISは一夏で、青いISはセシリアだろう。オレンジのISはシャルロットだ。残る黒色のISはたぶんラウラのものだった気がする。一夏以外の3機がそれぞれISによる弾幕ごっこ用の銃器を手に、集中砲火を浴びせかけたり射撃位置を変えたりし、
火線に晒される一夏はただひたすらそれを回避する。ただ、それは回避訓練というよりも、一夏が袋だたきに遭っているように見えるのは気のせいだったろうか。
よくよく耳を澄ませてみれば、射撃音の合間、何やらセシリアたちが大声で喚いている声も聞こえてくる。どうも一夏さんを罵ってるようだけど……聞き耳を立てる霊夢だったが、
「おーい霊夢ちゃーん、そこは危ないよー。こっちおいでー」
出し抜けに遠くから、そして聞き覚えがある声で呼びかけられた霊夢はそちらへと目をやった。それと同時に、渋い顔をしながら言い返す。
「だからっ、ちゃん付けで呼ばないでってもう何回も何回も、なんっかいも言ってるだろ!」
「あっははは、相変わらずいいツッコミしてくれるねぇ。これだから霊夢ちゃんと話すのはやめらんないんだよ」
アリーナ地面の一角。壁際にあって雑然と並べられた計測機器がパーティションとなり、さながらブースのようになっている一角にあって声をかけてきたのは篝火ヒカルノである。小間物屋でも開いているのかと思えるほど雑多な電子機器が乗せられた長机に向き合う女研究者のもとまで歩み寄るなり、霊夢は半眼になって凄んでみせた。
「ほんっとにあんたも懲りないわね。またひっぱたかれたいのかしら?」
「出来ればご勘弁。あ、でもここ最近ずっと徹夜続きだったから、結構いい気付けになるかも」
カモーン、と手招きするヒカルノに霊夢は呆れきったため息をこぼし、そののち後悔する。脅して怯えるような手合いでないと分かっているのに、なぜ挑発に乗ってしまったのか?
「もーいい。ちゃん付けしてきても、もう一切無視することにする」
「んじゃ私は霊夢ちゃんが反応してくれるまでちゃん付けで呼ぼっかな――それよっか今日はどしたの? もしかしたら来ないかもって織斑さんから聞いてたけど別々に来るなんて珍しいじゃん」
「まぁね。特に急ぎじゃないんだけど、できれば今日中に片付けたいことがあって」
「なんか取り込み中?」
ちょっとね、と言葉を濁しつつ、何となく気恥ずかしさを覚えた霊夢は左袖を体の後ろに回して
ヒカルノの視界から隠してしまう。
「ふむ、なにか隠し事があるようだね。やっぱりいい女ってーのはひとつやふたつくらい隠し事をしてないと――ま、突っ込んで訊いたりはしないから安心しなよ」
「何言ってるか分かんないけどお礼は言っとくわ……それより、どう? あいえすの弾幕ごっこ」
「えっへっへ、おかげさまでバッチリさね。霊夢ちゃんに足しげく研究所まで来てもらった甲斐もあって、なかなかの完成度だよ。今は一夏くんが的になって、より実戦的な形で、1被弾あたりの
被ダメージ数値および被弾者への影響をチェック中。あと、他の代表候補生の子らにも銃器の使用感とかを試してもらってるよ」
言いながら、長机に乗せられたモニタをぺしぺし叩くヒカルノ。
霊夢もモニタ画面を覗き込んでみるが、すぐに興味を失って顔を背ける。表示されている数値や文字をまったく理解できないからだ。代わりに、モニタリングされている一夏たちの方へと視線をやった霊夢、訝しげに問うていわく、
「あれ、テストしてるだけなのよね? なんか、一夏さんがセシリアたちに袋叩きにされてるように見えるんだけど……」
「そんな感じだねぇ。なんか写真がどうとか膝枕がどうとか言ってるのがちらっと聞こえたけど、
痴話喧嘩のたぐいかな? このご時世にあんだけ女の子に追い回される男ってのも珍しいやね」
けらけら笑うヒカルノとは対照的に、霊夢は複雑な面持ちで黙り込んでしまう。
察するに、先日一夏が箒と写真を撮ったり膝枕をされていたことが、セシリアたちには面白くないのだろう。ただ、その矛先がなぜ箒でなく一夏少年に向くのか分からなかったが、おそらく口を挟まない方がいいということは分かった。それゆえ霊夢は、別の話題を口に上らせる。
「千冬と箒はどこ? 見た感じ、あの中にはいないわよね」
「うん。織斑さんだったらあそこ……ちょうど一夏くんたちと反対側の空域で篠ノ之さんと一緒にいるよ。ウチの連中が、織斑さん専用弾幕装備の微調整とチューニングをしてるとこ」
くい、とヒカルノが親指で示したあたりで、確かに千冬と箒のISが模擬戦を行っていた。その足下ではここと同じように機械溜まりがあり、白衣を着た研究者たちが盛んに行き交っているのが見える。
(箒以外にも近くに大勢いるのか……別にいいんだけど、できれば千冬1人のときを狙おう)
残念というか憮然として霊夢がそう考えてると、長机の上に置かれている計器のひとつが電子音を上げた。ちょいと失礼、と断ったヒカルノが端末を操作してアラームをオフにし、ついで、無線機とつながったヘッドセットを取りあげる。
「観測1からピット4。そろそろブルー・ティアーズがエネルギー切れでピットインすると思われる。すぐ換装できるよう準備されたい」
――ピット4から観測1。エネルギーパックの換装準備できてます
「了解。――観測1から紅椿。また白式のシールドエネルギーが尽きかけてるのよ。そっちも訓練中のところ悪いけど、また絢爛舞踏でエネルギー増幅してもらえる?」
――紅椿から観測1。了解。すぐ向かいます
(あ、箒の声だ)
ピットと箒に指示を出した後もヒカルノはモニターに映し出された数値や手元の資料をもとに、アリーナ各所や各IS操縦者に指示を出したり、逆に、報告を受けたりしている。さすがに責任者だけあって忙しそうであり、あまりここに長居するのも気が引けた。
「お仕事の邪魔するのもまずいよね。んじゃ私はこのへんで」
「ごめんねー霊夢ちゃん。もうちょっと話したいとこなんだけど、いろいろ大詰めだからさ」
「いいわよ別に」
「そうそう。今日持ってきた装備と一緒にIS版スペルカード……記憶媒体だからスペルチップっていうべきかな? そいつも織斑さんに渡しといたよ。たぶんあとで織斑さんから話があると思うけど、報告までに」
「分かった。いろいろありがとね」
申し訳なさそうに手を合わせるヒカルノの仕草に苦笑しつつ、霊夢はひらひらと後ろ手を振ってその場を後にした。しばらくの間、背後から見られている感覚を覚えつつも、霊夢は振り返らずアリーナ壁面に沿ってすたすたと歩き――数歩もしないうちに途方に暮れてしまう。
「と言ってみたものの、別にすることがあるわけじゃないのよね……」
はぁ、と嘆息した霊夢は足を止めると、背の高い壁に背中を預け、2ヶ所に分かれて弾幕用装備のテストが行われている上空を見るともなしに眺めた。
球型光弾だけだが色や大きさはバリエーションに富み、いかにも目に鮮やかだった。銃器から発射される時や着弾した時、あえてそうしてあるのか景気よく音が発生するようで、なかなか派手な対戦風景に仕上がってもいる。また、流れ弾が周辺物に被害を及ぼさないよう、アリーナの四隅に設置されたジェネレーターから精製されるバリアが、フィールドと外側との境界の役割を果たしているようだった。標的から外れてあらぬ方へ飛んでいった光弾はバリアに触れ、エネルギーを吸収して自己崩壊を起こす。
(……まさか本当に、弾幕ごっこが幻想郷以外で出来るようになるなんて)
かえすがえすも、霊夢としては驚きを禁じ得なかった。
もちろん厳密には弾幕ごっこではない。言うならば「弾幕ごっこ」ごっこだし、細かい点を突いていけば相違点はいくつもあるがしかし、こうして見た限りではISによる弾幕ごっこはうまく再現されている。
そして弾幕ごっこの醍醐味――スペルカードに替わる存在として、銃器に搭載することで自動的に弾幕を張るというプログラムをヒカルノが製作していた。もっともこれはデモンストレーションの対戦者である箒と一夏にも秘されており、その存在を知っているのは現時点では千冬と霊夢、倉持技研といった関係者のみである。
デモンストレーションの準備は、ヒカルノの言葉通りまさに大詰めの段階であり、また、時間を惜しんでブラッシュアップを繰り返さなければならない、総仕上げの時期でもあった。
同時に、それだけ霊夢が果たすべき役割がなくなってきているという意味でもある。
「……」
なんとなく疎外感を感じ、霊夢の表情が暗いものに沈む。
ISによる弾幕ごっこの実現が、千冬が抱く大願が少しずつ成就に近づいていることは、もちろん喜ばしい。だがそれは霊夢がこのIS学園に、より正確には千冬の側にいる理由がなくなりつつあることでもあり、霊夢個人の感情としては、千冬と自分とを繋いでいた絆が少しずつ解けてきているようで、どこか寂しくもあった。
「……競技会が終わった頃くらいが、幻想郷に帰るタイミングかなぁ……」
我知らずこぼれた呟きが、霊夢の心をひどく締め付ける。ついぞ感じたことのない、いわくいいがたい感情の発露に霊夢は驚き、戸惑い――どうしていいか分からず目を背けた。
(あーやめやめ! ひとりで考え事してたって気が滅入るだけだわ。外を散歩でもしてこよっと)
首を振った霊夢は壁から背中を離した。アリーナ通用口をうつむいたまま通り過ぎると、ピット脇の回廊を抜け、特段行くあてもないまま第6小アリーナを後にする。
見上げる空は相変わらずの空模様だったが、むしろこのくらいの方が、今の気分に似つかわしいように霊夢には感じられていた。ただ雨が降りそうで降ってこない、まるで決壊を無理に押さえ込んでいるようなところだけは、どうにも気に入らなかったが。
*
箒の協力を得て、自分専用に製作された装備のチューニングや微調整、誤差修正などを終えてからも、千冬は精力的に動き回った。
セシリア、シャルロット、ラウラの3人が試射を行うところを監督し、あるいは自身も銃を取り模擬戦を行うと同時に弾幕用装備の動作を細かくチェックしたり、高速飛行と射撃を並行して行う際の間の取り方などをコーチングする。翻って繰り出される光弾の的になっている一夏と箒には、いかにして弾幕を回避して反撃に転じるかについて手本を示す。
のみならずヒカルノのもとに赴き、デモンストレーションで披露する弾幕の構成について、サンプル映像を確認しながら最終打ち合わせを行い――ろくに休憩も食事も取らずに活動していた千冬がようやくにして一息つけたのは、アリーナ閉館時間を大幅に過ぎた、18時になんなんとする時間帯であった。
「しまった、時間を確認することを失念していた……まったく。閉館時間になった時に誰かが気を利かせて蛍の光ぐらい流してもよかろうに」
理不尽な責任転嫁に苦笑しつつ、全体作業の終了を宣言する千冬。
かかる号令を受け、アリーナ内に詰めていた面々はみな作業を切り上げ、撤収作業へと移った。
代表候補生たちは千冬に挨拶をしてから更衣室へと引き上げていき、倉持技研職員たちも、明日以降も使用する機械はそのまま据え置いて、めいめい後片付けを始めていく。彼らを代表して挨拶に訪れたヒカルノと世間話と今後のスケジュールについて言葉を交わして別れた後、千冬もまた更衣のためアリーナから離れた。
未だ作業が続けられているピットに一度顔を出してから、通用口をゆったりした足取りで歩く。
その道すがら、ぐうと腹が鳴った。
(疲れもそうだが、半日以上飲まず食わずでいるとさすがに腹が減るな……シャワーを浴びて着替えたら、霊夢を連れてどこかに食べに行くか)
ふと、チューニング中に遠くから姿を見かけた霊夢のことを思い出す千冬。
ヒカルノと二言三言話をしただけでアリーナを出て行ってしまったようだが、今はどこにいるのだろうか? よくよく思い返してみれば、どことなく浮かない顔をしていたような気もする。まずは着替えて、そののち探しに行って、と、これからの行動予定を計画しながら更衣室に入った千冬は、考え事に没頭するあまり、室内で彼女を待っていた人物の姿にまるで気付いていなかった。
「織斑先生」
「!? あ、ああ篠ノ之か」
腰を下ろしていたベンチから立ち上がって千冬を迎えた箒だが、呼びかけた千冬が虚を突かれて
驚いたことに彼女もまた驚かされたようで、目を丸くして千冬を見やっている。
「すまん。少し考え事をしていてな……それより、まだ残っていたのか?」
言いながら、更衣室を見回す千冬。倉持技研の面々や整備科の女子生徒たちはすでに全員退出している。箒もISスーツから普段着へとすでに着替えた後だったが、彼女を除いた他の専用機持ちはみな帰寮の途についたらしく、室内には誰もいなかった。
「はい。織斑先生にお話ししたいことがあって、ここで待ってました。先日、頼まれた件で」
「そうか――お前も疲れているだろうに、気を遣ってもらってすまないな」
先日の件、といわれた千冬は箒が何を言わんとしているか察し、また、人目を避けて待っていてくれたことについて礼を述べる。
「わざわざ待っていてくれてなくとも、日を改めてでも良かったのだが」
「い、いえ。本当はもっと早くご報告をと思ったんですが、今日はなにぶん人の出入りが激しかったせいで……そ、それに、先日いろいろお気遣いをいただきましたし」
「特に何かした覚えはないがな。で、どうだその後は。もう夜這いくらいはしたか? 男子の部屋に女子が泊まるのは特別規則第1条違反で、反省文提出もしくは懲罰部屋送りだぞマセガキ」
「よっ、よば――!? そ、そんなことしてません! というかさせません!!」
「なんだつまらん。今日もまた他の面々が色めきだっていたのを知らんはずがないだろう。奴らに出し抜かれる前に既成事実を作ってしまえ」
「うう……もう勘弁してください……」
弱り切って俯く箒に、千冬は呵々と笑ってみせた。千冬としては、いずれ自分の義妹になるかもしれないなら、ここで「それが教師の言うことか!」と一夏少年ばりの突っ込みを入れてくるか、または「千冬さんも早くそういう相手が見つかるといいですね」くらい、しれっと言ってのけるほどの厚かましさがあってくれれば、将来何かと楽しくなるのだが……
「ならばこのくらいで勘弁しておこう――ただ、悪いがもう少しだけ待っていてもらえるか。一日この格好でいてさすがに見苦しい有様だからな。先に更衣を済ませたい」
分かりました、と応じる箒を再びベンチに座らせ、手早く脱衣してシャワールームへ入る千冬。
汗を洗い流し、髪をセットし、必要最低限の身だしなみを整えてからロッカールームに戻ると、その烏の行水ぶりに驚いてまたぞろ目を丸くしている箒に視線を向けられながらダークグレーのスーツに着替え、箒の隣に並ぶようにしてベンチに腰を下ろす。
「ず、ずいぶん早いんですね」
「そうか? 根が粗忽者だからかな、いつもこんなもんだぞ……それより、結果はどうだった」
「はい――昨日、土曜の夕方に連絡がありました。結果からお話ししますと、N県S市で神社が消失した事件は、昭和時代後期に実際にあったそうです。その神社はモリヤ神社と呼ばれていたこと、コチヤ某という家系が代々宮司を務めていたところまで調べられましたが、それ以上の情報は見当たらないということです。また失踪した少女についても、はっきりした情報がなく……」
「……モリヤ神社に、コチヤ。失踪した少女がそのモリヤ神社の関係者だとすると、姓はコチヤだが、少なくとも博麗ではないということになるな」
「そうなります。ただ、ただですね。それよりもお耳に入れたいことが」
「拝聴しよう」
「実は、霊夢についても調べてもらうよう併せて頼みました。といってもハクレイレイムという巫女が実在するか神職者名簿を照会してもらっただけですけど……回答は、該当する名前はないとのことでしたが、その代わり……見つかりました。博麗神社という神社が今も存在してるそうです」
「本当か?」
箒の独断はむしろファインプレーと呼ぶべきものだった。ぐぐっと身を乗り出した千冬にたじろぎつつ、はい、と答えた箒は、求めに応じて詳細を説明し始める。
某県の、人も踏み入れないほどの山奥にあり、倒れかけた鳥居に刻まれた博麗の文字や、御金と大書されたぼろぼろの賽銭箱、すでに枯れ果てて花も実も結ぶことのない桜並木、伸び放題になっている草むらのスキマから見え隠れする割れた石畳に、当時の面影を偲ばせるほどの荒れようで、とても人が住める環境ではないこと。起源は不詳で、建立されたのは明治時代前期とする資料もある一方で1000年以上昔からそこにあったという資料もあり、一定しないこと。
そして廃墟同然に朽ちているにもかかわらず、なぜか真新しいガラスのコップと酒瓶が賽銭箱の脇に転がっていたりと、何者かがいた形跡が見られること。
こちらの神社が霊夢に関係している場所であることは明らかだった。詳報をひとつひとつ頷いて聴いていた千冬の中からは、モリヤ神社およびコチヤ某に関する関心は急速に失せていた。
「在籍者や縁者や、何を祭っていた神社なのかは一切不明です。たぶん、まったく参拝者のいないことで寂れ、打ち棄てられた神社だったと判断されてます」
「そこもまた霊夢が前にしていた発言と合致するな――感謝するぞ箒。あとは、私の方で当たってみる。調べるのはここまででいいと伝えておいてもらえるか」
「ではそのように連絡します。あの、一応この話は?」
「うむ。すまないが他言無用で頼む」
分かりました、と応じた箒は、ベンチの下にしまってあったバッグを引き出し、立ち上がった。
「私が受けた報告は以上です。お引き留めしてすみませんでした。では失礼し――」
「ああ待て待て。今日この後、霊夢と合流して飯を食いに行くつもりだ。調べ物をしてもらった礼という訳でもないが、よかったらお前もついてくるか? とはいえ、その前にまず霊夢を探さねばならないのだが」
「本当ですか? 私もぜひご一緒したいんですが……ただ千冬さん、情報が漏れるリスクを下げるため、霊夢と一緒にいる時間を減らすと前に言ってませんでしたか?」
「本来ならな」
箒の指摘は、千冬を糾弾しているというよりもむしろ気遣いに近い印象であった。かかる言葉に
頷いてみせたあとで千冬いわく、
「今日見かけたあいつは、どことなく落ち込んだ顔をしていた。それが気になってな……たいていの憂さは飯を食って、愚痴を吐けば軽減される。力になれるか分からんが、話を聴くだけならしてやれると思ったわけだ」
「霊夢が落ち込んでる、ですか……でしたら、私はいない方が霊夢も話しやすいと思います。私も同席したいところですが、彼女、千冬さんを誰より信頼してますから」
困ったような申し訳なさそうな表情で、曖昧に笑ってみせる箒。意外によく見ているんだな、と千冬は言葉には出さず感心したものである。ついで千冬は箒を見送るために自分もまたベンチから腰を上げた。
「では千冬さん、私はこれで失礼します――もし霊夢に会えたら、悩みがあるならいつでも相談に乗るから元気を出せと私が言っていたと伝えていただけますか」
「分かった。必ず伝えておこう」
「あ、それと余計なことかもしれませんが……」
「なんだ?」
「わ、私はその、アレですけど、千冬さんにも早くお、お、お相手が見つかるといいですねっ」
千冬は何も言わず、その代わり、笑いながら箒のお尻を軽く蹴っ飛ばしてみせる。ひゃっと飛び上がって蹴られたお尻を押さえる箒もまた、年が離れた幼なじみとのフランクなやり取りに笑っていた。
箒とともに更衣室を出て、エントランスまで見送る。別れしな、丁寧に腰を折って挨拶してから生徒寮への帰宅の途につく箒。その背中が見えなくなるまでその場に残った後で、箒からもたらされた調査結果と、今後の霊夢への接し方について、千冬は考えを巡らせてみる。
(さて、どうしたものか。今の霊夢に博麗神社のことを尋ねるべきか、見送るか)
真実を知りたいという思いが強いが、さりとて、霊夢が気落ちしているところに付け込んでいるようで何とも後ろめたい。それに、こちらからは訊かないという約定もまだ有効になっているし、
何より、訊いたところで霊夢が答えてくれるとも思えない。ならばうかつに問いただして警戒心を持たせるようなことはせず、自然に向こうから話してくれるタイミングが来るのを待った方がいいだろう。
(まぁ急ぐことでもないしな……それよりも、いったい霊夢はどこにいるのやら)
まずアリーナ内を探してみるか。心当たりを付けながら千冬がきびすを返した瞬間、先ほど閉じたばかりの鉄扉に再び亀裂が入り、上下にスライドして開かれていく。予期せぬ入場者の方へ向き直った千冬は、そこで動きを止めてしまった。
「あ、いたいた」
霊夢が何食わぬ顔して現れたからだ。
「……さすがにそれは私のセリフだと思うが。お前、今までどこにいた?」
「みんな忙しそうだったからさ、邪魔するのもどうかと思って、臨海公園まで海を見に行ったりして時間潰ししてたの。それで戻ってきてみたら、倉持技研の人たちが帰ってくのが見えて、アリーナまで来てみたら箒も出てきたじゃない。それで、もう終わったんだなって」
「ならば私に声くらいかけて出ていけばいいだろう。どこに行ったかと心配したんだぞ」
「ごめんね。別に心配させたいわけじゃなかったんだけど……」
頬をかきながら視線をそらし、呟くような声音で霊夢が謝る。申し訳なく思っているのかふてくされているのか、表情からは判断が付かなかったが、少なくとも、霊夢がしゅんとしていることは間違いないようである。なんとなれば、千冬が霊夢と知り合ってから2ヶ月ほどになるが、彼女が千冬の苦言を聞き入れて素直に謝るところを見たのは、これが初めてだからだ。
「いや、自由気ままなお前らしいといえばお前らしいか――とにかく私に対して変に気を遣うな。忙しかろうが何だろうが構わず呼べ。よほど手が離せないときでなければお前の用を優先する」
「分かった……えへへ、ありがと」
相好を崩し、照れたようにはにかんでみせる霊夢。
ともあれ無事に合流を果たした霊夢を改めて夕飯に誘うと、彼女は二つ返事で応じた。かかる少女をいったんエントランスで待たせて更衣室へ戻った千冬は自身の手荷物を回収すると、急ぎ足で取って返し、霊夢と伴って第6小アリーナを後にする。
いくらか雨が降ったらしくタイル敷きの路面が濡れてはいたが、それだけで雨雲は散らされたようだった。ところどころ雲が残っているが、白々と映える満月を戴き、黒羅紗の上で宝石箱をぶちまけたような星空が頭上に広がっている。出入り口の空間投影ディスプレイを操作する千冬が扉を電子施錠し、アリーナの照明を落としてしまっても、月の光を浴びて長く伸びた2人の影がくっきりと遊歩道に現れるほど明るく、また、IS学園正門の方へと並んで歩く2人分の足音も難なく聞き取れるほどに静かな夜であった。
「さて、今は……19時か。なんとも半端な時間だな。外に食べに出て行ったのでは寮の消灯時間に間に合わんか」
「えー、せっかく久しぶりに千冬と一緒のご飯なのに」
「ああ違う。消灯時間に間に合わんから真耶に連絡して、寮長を代行してもらわなければ、という意味だ。別に気忙しくするつもりはないぞ」
「そうなの? それならいいけど」
「それに、さすがの私も今日は疲れた。体と心を少しは休めんとこの先やっていけないし、霊夢としても、ゆったりできた方が話もしやすいだろう?」
「話って? 私が千冬に?」
「私もそうだが、箒も心配していたぞ。悩みがあるならいつでも相談に乗るから元気を出せと」
「悩み事? んー……まあね。悩み事っていうか、ちょっとあれこれ考えちゃってただけよ」
「そうか」
「――何も訊かないの? いや、答えられないかもしれないから、訊かれても少し困るんだけど」
「ああ、もし訊かれて話せるような内容なら、霊夢の方から話すだろうと思ってな」
「……ん」
そう霊夢が答えたところで、沈黙が落ちた。肩を並べて歩きながら、時おりこちらの表情を盗み見るよう視線を向けてくる霊夢は緊張した面持ちをしており、拒絶の意思表示こそ見られないが、それでも、この手の話をするのをあまり望んでいない様子である。あるいは、話そうかどうか迷っているというべきか。
先の言葉通り、少なくとも今は無理して訊く意思のない千冬は、それを再度口に上らせることで霊夢の憂いを取り除くことにする。
「正直言って、お前に関することは少しでも知りたいと思っている。だが、自分自身のことを伏せたいというお前の都合も知っている。だから私からは何も訊かんが、話せることや話したいことがあるならいつでも聴く。はばかりながら私は教師だし、少なくともお前よりも年長者だからな。そして、当たり前だが、秘密にしろと言われたことは決して誰にも話さん」
「うん――ありがと。ありがとね千冬」
霊夢は明らかにほっとした様子だった。肩から力が抜け、その表情から険が取れる。その一瞬後には再び神妙な表情に戻ったが、先のように強ばったものではなかった。
「私も正直に言うけど、千冬に、聴いてほしいことがあるの。だけど、今はまだ自分の中で言葉が決まってない感じ。でもいつか必ず、打ち明ける時が来ると思う――もしかしたらそれがあなたにとって理解できない話だとしても、最後まで聴いて、答えてくれると、私は嬉しい」
そう告白する霊夢の周囲、何やら得体の知れない気配が揺らめいたように感じられたのは千冬の気のせいだったろうか。千冬はしかし、怯まずにはっきりと宣言する。
「分かった。約束しよう」
「ありがと」
えへん、ともったいつけて咳払いをすることで空気を切り替えた霊夢は、ととっ、とステップを刻むように飛び出して千冬の真正面まで進むと足を止め、くるりと体ごと千冬の方へと向き直る。釣られて千冬も足を止めた。互いに手を伸ばせば触れあえる程度の距離を保って正面から向き合う形になったところで、霊夢は両手を腰の脇に添え、得意げな表情で胸を張ってみせた。それから、いかにも偉ぶるような口調でもっていわく、
「千冬は今日までいろいろと頑張ってきたし、私もここに来てから何かとお世話になってるので、ご褒美とお礼を兼ねてプレゼントをあげましょう」
「ずいぶん居丈高だな」
「うっさい」
まるで家臣に褒美を与える王様のような振る舞いに千冬は笑い、その混ぜ返しに霊夢は渋い顔をしてみせる。ついで彼女は左袖の中へと右手を差し込むと何かを取り出した。掌で包み込めるくらいの大きさであるそれを改めて両手で持ち直すと、はい、と千冬に手渡してくる。
「裸のままで申し訳ないけどね」
「これは……お守りか?」
「そう。千冬から貸してもらった電子マネーでお買い物して、暇を見つけてこつこつ作ってたの。
お裁縫はまぁまぁ得意だしね――滅多に作らない貴重品、博麗の巫女謹製の弾幕お守りよ」
受け取った小さなお守りをじっと見つめる千冬。まだ真新しいそれが神社で販売しているようなものでなく、言葉のとおり霊夢の手作りであることは一見して分かった。
紅、白、紅の配色がされ、中央に博麗の銘が入れられた守り袋。九十九折模様の両側に互い違うようにドットが打たれたデザインは、霊夢のリボンやカラーにあしらわれているそれと同じもので境界を意味する博麗神社の象徴だと聞いていた。そして二重叶結びのされた紅白二色の紐は、鈴の代わりに小さな陰陽玉で留められている。守り袋の中には札以外のものが納められているのか硬い触り心地とわずかな重量感があり、手に乗せているとじんわりと温かく、心が落ち着いてくるようだった。
「内府は封魔針と博麗アミュレット。簡単にだけど、ちゃんとお祓いしたやつね。あとは私が手ずから記したお札――千冬と引き分けた夢想封印 瞬のカードを燃やした灰を混ぜた墨で記した、特別に力ある逸品よ。分かってると思うけど、御利益がなくなるから絶対開けちゃ駄目だからね」
「御利益か……確かに、ただこうして持っているだけでも不思議な力を感じるようだ」
噛みしめるように呟いた千冬は、掌に乗せられたお守りを軽く握ってみた。
無造作にポケットへ突っ込むような軽々しい扱い方は間違ってもしないが、肌身離さず持ち歩くか、それとも教員寮の自室に大切に飾る――その前に部屋の整理整頓をする必要があるが――かは思案のしどころである。
「そうね。ただ――お守りを渡しはしたけど、これを気休めにしてもらうのは困るのよ」
柄じゃないけどたまには巫女らしいアドバイスをさせてもらうわ、と前置いてから表情を改めた霊夢、続けていわく、
「窮地に立たされたときに神様に助けを求める暇があったら、とことんまで足掻きなさい。奇跡を一山いくらで安売りしてる不届き者も中にはいるけど、奇跡は本来、それをアテにしない人間のためにだけ起きるもの。神様はいろいろ忙しいから、助けを求める人に誰彼かまわず手を貸して回るなんてことはしてないの」
でもね、と続けられた神託ともいえる霊夢の言葉を、千冬は背筋を伸ばして聞き入る。
「自分がやってきたことを信じ、途中で投げ出さず、全霊と全力を振り絞って手を伸ばし続けて、それでも紙一重で手が届かなかったそのとき――最後の、本当に最後の瞬間に神様がやって来て、ほんの少しだけ背中を押してくれるのよ。お守りは、そのための約束手形みたいなもの」
「我は諦めずに挑戦する。されど、どうしても力が及ばなかった時はどうか守りたまえ……ということか。襟を正して謹聴するべき至言だな」
「そういうこと……いよいよ来週。ここまで頑張ったんだもの、ISによる弾幕ごっこ、絶対に成功させてよね」
「もちろんだ。絶対に成功させてみせる――たとえ誰がどんな邪魔をしてこようとも、な」
決然として頷いた千冬。彼女の気迫に触れたせいか、霊夢もまた力強く頷いてみせた。お守りを丁重にしまい込んでから霊夢を伴って再び歩き出した千冬だが、数歩進んだところではたと足を止め、霊夢の方へ向き直る。
「ああそうだ。私としたことが、まず第一に伝えなければならないことを忘れていた」
「?」
不思議そうに首をかしげる霊夢。
「ありがとう霊夢。お前からもらったお守り、自分の半身だと思って生涯大事にさせてもらうよ」
「願い事が叶ったときに手放すか、1年経ったら処分するのが正しい作法なんだけどね。まあ千冬がそうしたいっていうなら、それもいいか」
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今回投稿からまた書き溜めに入りますので、お時間をいただきますが、投稿再開は5月ごろになる見込みでございます