東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land.   作:かぶらや嚆矢

24 / 31
三ノ参・

 ラファール・リヴァイヴに未だ搭乗したまま、憮然としたような戸惑ったような面持ちで、地面に倒れ伏す教え子たちを見やる千冬。いつもより少し上気して赤らんでいる顔を汗がゆっくり滴り落ちていくが、呼吸は穏やかである。一般女性が日課のウォーキングを終えた後、とでも表現するべき風情だった。

 

「あんたのペースに付き合わせたら鬼だって倒れるっての。初日からハードル上げすぎよ」

 

 ふよふよ浮かぶ陰陽玉に腰かけたまま付いてきていた霊夢が発した指摘は、今の箒たちにとって干天の慈雨と呼ぶべきものだった。

 

 ふむ、と困惑を滲ませた口ぶりで呻いた千冬だったが、箒たちをダウンさせたことに負い目を感じてもいたのだろう。小さく嘆息した千冬、ついでいわく、

 

「確かに、あまり無理をさせるのも考えものか」

 

「い、いやち、千冬姉。俺はまだごほっ! まだ、やれるぞっ……」

 

「わ、私もですっ! 私もつづ、つ……続けま、す……!」

 

「その姿勢は買うが無理をするな。もっとも、付き合わせておいてそう言うのもずいぶん勝手な話ではあるが――ともかく、私はもう少しメニューを消化してくる。その間2人は休んでいろ」

 

 彼女にしては珍しいことに、かかる言葉には気遣いの念が感じられた。だが次の瞬間には真顔に戻り、いつもの声音でもって言葉を続けてくる千冬。

 

「お前たちを気遣ってここで訓練を終了することが、年長者としてのあるべき姿なのだろう。だが

2人が望むなら訓練は継続する。息が整ったらまた回避訓練から再開するが、付いてこれるか?」

 

「当たり前だ! すぐに回復してげほっ、ち、千冬姉に食らいついて、やるからな……!」

 

「お、お望みでしたら、すぐにでも……」

 

「だからお前ら、意気込みは評価するが無理をするなとさっきから言っているだろう」

 

 未だに肩で息をしながらも一夏と箒は気を吐き、強がりを口にする。千冬としてはもはや何をか言わんやといった心持ちだったろう。

 

「――まぁ、それだけ意地を張れるようならば、私のパートナーは問題なく務まりそうだが」

 

 苦笑とも微笑とも取れるアルカイックスマイルとともにそんな言葉を残した千冬は霊夢を伴い、再びランニングへと戻っていった。かかる2人を目を丸くしたまま見送っていた箒だったが、少しの間を置いた後、どこかぼんやりした一夏の呟きを耳にしてはっと我に返る。

 

「今の、ひょっとして。千冬姉、俺たちを対等に、扱ってくれたってこと、か……?」

 

「たぶん……」

 

「は……ははっ。そう言わせただけでも――よっこいせっと。無理した甲斐があるってもんだぜ」

 

 大の字に倒れ込んだ格好から上体を起こした一夏は、まだ血の気の引いた表情ながら、いかにも嬉しそうに会心の笑みを閃かせた。

 

 ついで一夏は、千冬が駆るラファール・リヴァイヴがアリーナ外壁に沿って一定のペースで走っている姿をしばらく見つめていた。箒も口を閉ざして彼の視線を追っていたが、ほどなくして、改めて感じ入った様子で一夏が呟きをこぼす。

 

「それにしてもマジですげえな。いくら軽量化してるっても、どうやったらあんな重いIS装備したまま楽々と走ってられるんだよ。俺なんて10秒に1回の割合でコケてたってのに」

 

「確か暮桜も、白騎士も、最低限にしか重力管制されていない初期のISだったと聞く。だから機体の扱いが上手いのは分かるが……それよりも私は、千冬さんの膂力やスタミナに驚かされるな。まるで衣服と変わらない程度の感覚で、ISを扱っているではないか」

 

「しかも素手でIS用の武器を使ってたことあるしな……千冬姉人間じゃねえわ。いやホント」

 

「い、今のも5・7・5のリズムに聞こえたが、それも、辞世の句にするつもりか? ……ぷっ」

 

 呆れて突っ込もうとした箒は一夏の顔を見、思わず吹き出してしまった。

 

「な、なんだよいきなり?」

 

「はは、あはははっ……一夏お前汗と砂まみれで、ふふ、顔も体も酷い有様になってるぞ……!」

 

「し、仕方ねえだろあんだけ転んだんだからっ! つかお前だって胡麻よごしみたいになってるし髪もボサボサになっちまってるじゃんかよ!」

 

「本当か? むぅ、それはいかんな……訓練が終わったらすぐに洗い流さなければ」

 

「そうだぜ。せっかく綺麗な髪してるんだからもったいないぞ」

 

「なっ、ば、バカ一夏! いきなりなっ、何を言う――というかどこを見てるんだ!」

 

 不意打ちでかけられた賛辞に、思わず噛みついてしまう箒。

 

 目を丸くしている一夏からぷいっと顔を背け、まったく、と照れ隠しにぼやきながら、あちこち撥ねまくっているポニーテールの毛先を梳ってみせる。

 

 嬉しいときに髪の毛の先端を指先に絡めてほどくのは、昔から自覚している箒の癖だった。

 

 前髪はぴったりと額に貼り付き、ISスーツは水に浸したようにぐっしょり濡れている。先は一夏を笑ったものの、起き上がり小法師のように七転八起していた彼と同様、自分も数え切れないほど転倒したせいだ。もっとも箒は、汗や埃にまみれるのは嫌いではない。ただ、強化ファイバー製の屋根を透過して降り注いでくる夕方の日差しを浴びて汗が乾き、匂わないかだけが心配だった。

 

(これだけ一夏が近くにいて、匂わないといいが……)

 

「なぁ箒」

 

「ひあっ! な、ななな何だ一夏っ!?」

 

「なに焦ってるんだ? まあいいけど……それよりも、こうしてると昔を思い出さないか?」

 

「昔?」

 

 不思議そうに問い返した箒は割座――いわゆる女の子座りから、一夏のように足を伸ばしてくつろいだ格好に座り直す。

 

「まだ俺と千冬姉が箒んちの道場に通ってた頃さ、俺も箒も千冬姉のマネして同じ修行してたけどいつも先にへばっちまって。んで、俺たち2人を休ませて独りで打ち込みとか素振りを続ける千冬姉の背中を、汗まみれのまま並んで座って、よくこうして見てたじゃんか」

 

 過去を懐かしむ一夏の言葉を受け、箒の心は、過ぎて帰らない昔へと引き込まれていった。

 

 まだ大勢の門下生で賑わっていた板張りの道場にあって、知り合った当初は反りが合わなかった一夏と激しく罵り合う光景。数人がかりで箒をいじめていた上級生に一夏が殴りかかる光景。名前で呼び合うようになった彼と一緒にいたくて、2人して千冬の修行に付き合い、ともに力尽きてしまった光景。金欠ゆえに招かれた篠ノ之家の食卓ではしゃぐ一夏と、戸惑いながらも嬉しそうにしている千冬――

 

 テレビをザッピングしたように種々の映像が浮かんで消えるが、そのすべてが、今の箒を支えるかけがえのない思い出である。

 

「ああ――ああ、思い出したよ。そういえばそうだった……」

 

 相槌とともに発せられた述懐は、箒自身でも驚くほどに穏やかな声音をしていた。

 

「ふふ。どうかしてたな、あの頃の私たちは。全盛期の千冬さんに、小学生の分際で張り合おうとしてたんだからな」

 

「あんときは何とか、無理してでも千冬姉に付いていきたかったんだよ」

 

「そして私も、お前に張り合って千冬さんと同じ訓練を始めようとして。呆れきった顔をした千冬さんに言われたっけな。そんなに張り合いたいなら直接やれ、と」

 

「そーそー。んで、箒にぜんぜん勝てなかったんだよな俺。今日こそ勝つって挑んじゃ滅多打ちにされて、明日こそ勝つって負け惜しみ言ったらまた滅多打ちにされて、しかも、お前の明日はいつ来るんだって冷静に言われて……」

 

「う。わ、私はそこまで愛想の悪い子供だったのか? 話を聞いてるとどうも一夏をいじめてばかりいたように聞こえるが……」

 

 うろたえながら抗弁する箒だがしかし、うっすらと思い当たる節があった。

 

 確か、またぞろ滅多打ちにされた幼い一夏が「覚えてろ」と捨て台詞を残して逃げ去ろうとした時、胴着の奥襟を引っ掴んで「ならば忘れないようにもう少し付き合ってもらおうか」と宣言して

さらに滅多打ちにしていたような覚えがある。往々にして、電車で足を踏まれた方はその事を忘れないが、踏んだ方はまったく覚えていないものなのだ。

 

 何ともいえない申し訳なさにとらわれて箒は小さくなるが、一夏少年がまったく気にした様子を見せないところが救いではあった。

 

「おー。あんまりボコボコにされるから千冬姉に泣きついたら「男だろう。悔しいなら強くなって見返してみせろ」って突き放されて……たぶんそれからだな、俺が真剣に稽古し始めたのって」

 

「ははは、いかにも千冬さんらしい」

 

「そこからはもう、箒と顔を合わせれば喧嘩の毎日だったな。今みたいに、まあ普通に話し合えるようになったのは――箒が上級生たちにからかわれてたのを俺がかばってからだっけ」

 

「そうだ。あの時のことはよく覚えてるぞ……なあ一夏。前々から一度訊いてみたかったんだが、あの時どうして私を守ってくれたんだ?」

 

「え? んー……何だっけな。千冬姉に言われてたし、箒に男らしいところを見せてやろうとしたんだったっけか」

 

「そ、そういう理由だったのか。……私を守りたかったからでないというのはちょっと残念だが、かえって一夏らしくて安心したというか……」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「気にするな。まぁ、立場が逆だったら私も同じことをしただろうし、昔から似た者同士だったわけだ……いや、今も同じようなものかな? こうして意地を張り合った挙げ句、結局2人して音を上げてるわけだからな」

 

 箒は言葉を切ると、いかにも楽しそうに笑ってみせた。

 

「ここに入学する前、世界で初めてISを動かした男性として一夏がテレビで取り上げられていたところを見た。当たり前だがお前は成長してて、昔と変わってしまったんじゃないかと心配になったものだが、話せば話すほどに昔通りだと分かって安心できる」

 

「そいつは、昔と比べて進歩してないって意味ですかね箒さん?」

 

「わ、悪い意味で取ってくれるな。私なりに褒めたつもりなんだぞ」

 

「でも箒も成長したよな。1学期に再会したとき、髪型が昔のままじゃなかったら分からなかったぜ。昔よりもずっと美人になってたし」

 

「そっ、そういう不意打ちもやめてくれっ。恥ずかしくなる……そうだ、覚えてるか一夏? 私が今の髪型をし始めたきっかけは、実は千冬さんに憧れてて、少しでもあの人に近づきたいと思って真似し始めたからなんだぞ」

 

「マジか――あ、そういえば千冬姉、昔みたいなポニーテールにしてるな」

 

「今さら気付いたのか……相変わらず鈍感だな。その様子だと」

 

 言いかけた箒は一瞬口をつぐみ、思わず出てきかけた言葉を飲み下す。

 

 そしていつもの箒であれば本音を吐露することを拒み、なんでもないと誤魔化していただろう。

 

 だが、心身ともに疲労して虚勢を張る気力ももはや尽きていたためか、それとも一夏と思い出を共有することで気軽に本音を打ち明けられる空気が醸成され、いつもより彼の存在を近しく感じていたためかは判然としないが、箒はまるで何かに衝き動かされるようにして心の深奥を打ち明けていた。

 

「その様子だと……私が今もこの髪型でいるのは、昔、一夏が褒めてくれたからだということも、気付いてないだろう?」

 

「そ、そうだったのか……悪い、全然気付かなかった」

 

「やっぱりか……ま、まあいいさ。一夏が鈍感なのは、別に今に始まったことじゃないしな」

 

「ど、鈍感って俺がか? あ、でも箒が今日付けてるリボンは臨海学校の日に俺がプレゼントしたやつだってことは、気付いてたぜ」

 

「気付いてるならなぜもっと早く言ってくれない……言ってくれれば、私をいつも見ててくれてると分かって安心できるのに、自慢げに言うなバカ」

 

「だ、誰がバカだっ――おおぉ?」

 

 箒がため息交じりに発した慨嘆に反駁して体を起こそうとした一夏だが、途端、脱力して尻餅を付くようにへたりこんでしまう。

 

「い、一夏!? 大丈夫かっ?」

 

「あ……ああ大丈夫だ。ちょっとくらっときただけで……もう少し休んでりゃ楽になるさ」

 

「そ、そうか。それならいいが……」

 

 ほっと安堵した箒は、ふと、一夏を見つめた。すでに呼吸は落ち着いているが、まだ少し顔色が良くない。そこまでではないとしても、どこか強がっている様子があった。それに気付いた箒は、照れからか、無意識のうちに少しぶっきらぼうになってしまった口調でもって一夏に呼びかける。いわく、

 

「――こ、こっちに来い一夏。私でよければ、その、膝枕してやるから、横になって休め」

 

「はぁ!? い、いやいいよそこまでしてくれなくてもっ。それに箒だって疲れてるだろうしさ!」

 

「わ、私なら大丈夫だっ。剣道で鍛えてるし、このくらい何ともない! それに、さっき言い過ぎてしまい悪かったと思ってるし、私が一夏に膝枕をしてやりたいだけだ! ……それとも、昔からいじめられてきたし、私みたいな奴に膝枕されるのは、ほ、本当に嫌だったりするのか……?」

 

「ばっ! そそ、そんなはずないだろ。別に嫌じゃないし、してくれるって言うならまぁ……」

 

「……」

 

「あー、そ、そうだなぁ! 箒さんが膝枕してくれると嬉しいなぁ! つか、してほしいなぁ!」

 

「よし」

 

 得たりと頷いた箒は足を折りたたんで正座すると、ぱぱっと簡単に砂汚れを払って落とし、一夏を受け入れる姿勢を作る。

 

(と、とはいうものの、この格好ではやはりちょっと恥ずかしいな……)

 

 生地が薄いうえ太股がむき出しになっているISスーツでは、素肌同士を触れ合わせるに等しい。

直接的なスキンシップは嬉しいもののやはり恥ずかしくもあり、せめてハンカチか手拭を用意しておけば、と箒は悔いる。汗まみれになったタオルを使うことは考えていない。もっとも、こんな事態になるとはまったく期待いや予想していなかったため、仕方ないところではあったが。

 

「さあ、わ、私はいつでもいいぞ! いつでも来いっ」

 

「お、おう。じゃあ失礼して――の、乗せるぞ? 本当に乗せるからな?」

 

「いちいち断らなくていいっ」

 

 半ばしびれを切らしたように箒が自身の太股をぺしぺしと叩いて催促してみせても、照れか戸惑いか、一夏はまだ躊躇しているようだった。それでも箒が再度促すと体勢を変え、おずおずとだが

箒の太股へと頭を乗せてくる。そして重みを預けきったところで、一夏が唸った。

 

「うええぇい。あー、極楽極楽」

 

「ふふっ、一番風呂に入る江戸っ子爺さんみたいな言い方をするな……一夏はときどき、そういう爺むさいところがある」

 

「鈴にも言われた気がするわ……それよりも箒婆さんや、飯はまだかね?」

 

「だ、誰が婆さんだ――はっ! そ、それはいわゆる、ともに腰が曲がるまでという意味……い、いやいや違う! ええい、とにかく私はその手のボケには突っ込まん。断じて突っ込まんぞ!」

 

「つか初っ端に突っ込んでたぜ。ほとんど条件反射で」

 

「う……」

 

 くっくと笑みを噛み殺している一夏の指摘に、箒の頬がかっと赤くなる。

 

「こっちは楽だけど箒、足痛くないか? あと、汗臭かったらごめんな」

 

「き、気にするな! 正座は苦にならないし、汗臭いのは私だって似たようなものだしっ」

 

「そうか? つか、いい匂いだけどな……懐かしいというか落ち着くというか眠くなるというか」

 

 一夏の言葉は怒るべきか喜ぶべきか、実にきわどいものであった。しかしながら一夏少年は本当にくつろいでいるらしく、瞑目したままリラックスしきった姿をさらしている。

 

(お互いに図体ばかり大きくなってしまったが……やっぱりお前は、変わってないな)

 

 いつまでも子供のままでいられる者は誰もいない。一夏もまた変わらなければいけないところは変わって――成長していたが、変わらないでいてほしいところは変わっていなかった。

 

 男はいくつになっても寝顔だけは少年のままというらしいが、安らいだ一夏の面差しは、箒もよく覚えている子供の頃のそれだった。その無防備な姿を見下ろしていると、何とも名状しがたい愛しさがこみ上げてくる。かかる衝動を抑えきれない箒が、砂汚れを落とそうとして彼の頬をそっと撫でてみると、一夏少年はくすぐったそうに身じろぎしてみせた。ただし嫌がる素振りは見せず、箒はくすっと笑んでしまう。

 

(私の気持ちだって昔のまま変わってない。私は一夏が――)

 

「一夏」

 

「ん?」

 

 私はお前が好きだ。

 

 意識して押しとどめなければ口をついて出ていただろう言葉を、箒は必死に飲み込む。

 

 いつかのように酒の力を借りるまでもない。今だったら間違いなく、そして驚くほど自然に告白できるだろう。だがこの――2人で思い出を共有し、離ればなれにされてからの6年間ついぞ感じることのなかった心穏やかな時間を濁すのはあまりに惜しかった。

 

 一歩踏み込むのを恐れていた、とも換言できる。

 

(男と女は友人にも恋人にもなれる。しかしその両立は絶対にできない――誰かから聞いたのか、何かの本で読んだのだったか)

 

 あれほど一夏と恋人同士になりたいと願っておきながら、この土壇場で怖じ気づくとは。自分の未熟さに呆れずにはいられない箒だったが、さはさりながら友人として、同じ過去を抱く幼なじみとして、今はただ彼と共にある時間を噛みしめていたい。

 

 それが偽らざる本心であった。だからこそ箒は、こう結ぶよりほかになかった。

 

「私たちはまだまだ未熟だな」

 

「……ああ」

 

 箒が言わんとしている意味とは異なるだろうが、一夏も即座に言葉を返してくる。

 

「もっと、強くならないと、なぁ……」

 

「それは千冬さんと千冬さんの名前を守るため、か?」

 

 問いかけに一夏少年からのレスポンスはなかった。その沈黙は箒の問いを肯定しているようであり、また、それだけではないと否定しているようでもある。願わくば後者であってほしいが。

 

 箒は更問いをしない代わりに、なぁ一夏、と呼びかけた上で静かに語り始める。

 

「お前が千冬さんを守りたいと願うなら、それはそれでいいと思う。今までずっと千冬さんに守られてきてるし、それで、誰かを守ることに憧れるのも理解できる。私もそうだったからな」

 

「……」

 

「でも私は千冬さんじゃない。私ではお前を守ることはできない……それに、お前を守ろうと私が出しゃばることは、きっと一夏にとって迷惑にしかならないだろう」

 

 言葉を切った箒はこの先を言っていいものかどうか逡巡するが、一度だけ深めに呼吸すると瞑目し、よし、と決意を固める。そして一夏が何かの反応を起こすのを待つことなく、噛みしめるようにして箒は言葉を発した。いわく、

 

「――だから私は守るのでなく、支えようと思う」

 

 そっと彼の額に右手を乗せ、左手で拳をきゅっと握り、静かに、しかし強い口調で続ける。

 

「千冬さんを守るため強くなろうとする一夏と、ISの在り方を変えようとする千冬さんがどこまでも己の意志を貫けるように、2人の後ろに立ってずっと支えていく」

 

 語って聞かせたというよりもむしろ、自らが行く道を言葉に出して再確認した箒は一夏の表情を見ないままで告白し、再び自身の来し方を顧みる――先ほどまで回想していた、一夏や千冬と共にいた頃の温かい思い出ではなく、暗く冷たく濁った過去のトラウマを。

 

 千冬のように強くなりたいと願う一方、いつもその表現方法を間違えてきた。一夏をいじめてばかりいたこと。一夏たちと引き離されて以降、度重なるストレスから誰かを叩きのめしたいと思うあまり剣道大会へ参加し、己の醜さに気付かされたこと。過日の千冬やラウラ同様、力こそすべてと思い込む時期があったこと。自己を律することができず、力に溺れた自分が束を傷つける事件を起こしてしまったこと。

 

 紅椿を得て慢心し、視野狭窄に陥って突っ走るあまり一夏を失いかけたこと。

 

 ISに魅入られて力を誇示し続けた果てに一夏を危険にさらしたという、かつての千冬と同じ轍を

箒も踏んでいた。そして自身を糺すことがなければ、きっといつの日か、白騎士事件のような取り返しのつかない災禍を起こしてしまう可能性さえあるだろう。

 

 ――たとえ力を得てもその振るい所をたびたび誤っては失敗してきた私が、真に力を役立てたい場所はどこなのか? そもそも誰のため、何のために強さを求めるのか? 

 

 その答えを導き出すヒントは、すでに手の中にあった。

 

 銀の福音事件のときに萌芽し、周りからの助言と自省を繰り返して心が成長することで徐々にコツを掴み、キャノンボール・ファストでの騒動を経て完全に会得した、絢爛舞踏。一夏と共にありたい、一緒に戦いたい、彼の力になりたいと願うことで――武威を示すためではなく誰かを支えるためと自分自身の力の在り方を見つめ直すことで発現した、紅椿の新たなる単一能力。

 

 未だ霧の中から抜けられない印象だったがしかし、霊夢と接することで過去の自分と決別していく千冬を見、再び歩き出した彼女についていく一夏を見、箒もまた、自らが進むべき方向のようなものを、確かな手応えとともに見出しつつあったのだ。

 

「頑張って強くなれよ一夏。私もできる限り力になる。いつもは頼りなくて浮ついてて、優柔不断な一夏がひとたび目標を決めてひたむきになっているとき、そんなお前に、どうしようもなく惹かれるんだ。千冬さんや私と似てるお前が、私たちでは見つけられなかった答えをいつか必ず見せてくれる、と。私はそんな一夏を追いかけたい、力になりたい、一緒にいたい――好きでいたいと、心から思えるんだ」

 

 言ってしまった、というわずかな羞恥が箒の胸をよぎるが、後悔はなかった。

 

 自身の想いをストレートに告白するには、もうその言葉しかなかったからだ。偽らざる気持ちを打ち明けた箒はふう、と軽く嘆息してから薄く目を開いて一夏の反応を窺うが、やはり一夏からのいらえは何もなかった。それもそのはず、いつの間にか彼は寝入っていたからである。

 

 そのことに気付いた箒の感情は怒りでも落胆でもなく、むしろ安堵だった。

 

(もしかしたらそうじゃないかと思ったが、やはり眠ってたのか……)

 

 そう予想していたからこそ、自身の気持ちを素直にさらけ出せた。むしろ起きて聴かれていたら

恥ずかしさのあまり、訳の分からないことを叫びながらアリーナを飛び出していたかもしれない。そういう意味では安心しもしたが、自身の心の内を聞いてもらえる千載一遇のチャンスを逃したことを惜しむ気持ちもあった。

 

「まだまだ道は長そうだ……でも、もう焦って答えを求める必要もない。私もお前もな。少しずつ前に進んでいこう――そしていつの日か、側にいてほしい存在として、守りたい存在として一夏が私を選んでくれると、嬉しい」

 

 愛しい少年の寝顔を見下ろしながらそう呟き、箒は穏やかな微笑を漏らしたものである。

 

 

                      *

 

 

「……2人ともなんだかいい感じじゃない」

 

「何を話しているかは聞こえんし聞く気もないが、見ているだけで血糖値が上がりそうだ」

 

「このままチューしちゃったりするのかしら?」

 

「その時は注意するべきなのだろうが、あの空気に割って入るだけの胆力はさすがの私もないぞ」

 

 遠目からでもそうと分かるほど雰囲気を発している箒たちから離れたところ。浮遊する陰陽玉に乗って千冬と並走する霊夢は多分に冷やかしを含んだ声音で言い、PICを停止したISという超重量のウェイトをつけたまま涼しい顔でランニングを続ける千冬は、さして関心なさそうに応じる。

 

「それにしても珍しいな、霊夢。お前、人間関係にはまるで興味が沸かない性格だと自分で言っていなかったか?」

 

「それはそうなんだけど、あそこまで突っ込みどころが満載だとね……箒って一夏さんのこと好きなんでしょ? セシリアもシャルもラウラもそんな感じだったし」

 

「連中の名誉のためにコメントは控えておこう」

 

「あんたってば相変わらずクールねー。それとも関心ないフリ? さっき挙げた誰かが義理の妹になるかもしれない千冬としては無視できない問題でしょうに」

 

「もう少し言葉を選べよ……」

 

「箒と一夏さんがくっつくようにいろいろ仕向けてるのも、そのあたりの理由で?」

 

「他人の心の中まで踏み込むときはせめて靴の泥を落としてくれ……」

 

「あははははっ、柄にもなくうろたえてやんの! それだけ一夏さんが大事ってことよね」

 

「死人に口なしという言葉が真実かどうか教えてやろうか……」

 

 色恋沙汰と一夏の話題が出ると、千冬はめっぽう弱い。両方セットになっていれば尚更である。飢えた狼のような目で睨んでくる千冬はその剣呑な表情とは裏腹に困り切っており、霊夢はますます笑いを誘われているようだった。

 

「でも、ちょっとうらやましいかも」

 

「何についてそう言っている」

 

「一夏さんがよ。箒もそうだけど、何より千冬みたいな一番心配してくれる人が側にいるっていいなって思って。私、そういう家族が誰もいないから」

 

「――!」

 

 さらりとした霊夢の告白は、しかし千冬をこのうえなく動揺させた。切れ長の双眸を大きく見開き、規則的なフラット走法を保っていた足運びが急に乱れる。前につんのめるように傾いだ体勢をすぐに立て直した千冬は、何事もなかった風を装ってランニングを再開しつつ、少しの間を置いてから、霊夢の方を見ないままぽつりと尋ねてみせる。

 

「……そ、そうだったのか?」

 

「うん。私も千冬や一夏さんと同じで捨て子なのよ。お父さんもお母さんも顔どころか名前も知らない。っていっても別に今さら会いたいわけじゃないし、会ったところでこっちも向こうも戸惑うのがせいぜいだろうし。どこかで元気にしててくれればそれでいいや、くらいにしか思わないけど……あ、でも私がお父さんとお母さんのどっちに似てるのかぐらいは知りたいかな」

 

「そうか……強いんだなお前は。……両親を恨んだりはしていないのか?」

 

「んー。そもそも私を捨てたのか私を遺して死んじゃったのか、それとも2人とも健在で、私だけ

どこかからさらわれてきたのかハッキリしないもの。恨もうにも恨みようがないわ」

 

 あっけらかんとして語る霊夢に、千冬は言葉もなかった。

 

 自分を、というより一夏を捨てた両親を未だ許せず、口にするのも忌まわしい――その憎念は一夏にも伝わっているらしく彼も決して千冬の前で両親の話はしない――存在だと唾棄している千冬とは異なり、霊夢は、自分の中で完全に気持ちを割り切れているらしい。

 

 幸いにして、千冬と一夏は篠ノ之神社という身を寄せるところを見つけられたが、霊夢はひとりきりでどうやって生きてきたのか? この先もずっとひとりで生きていくつもりなのか? 千冬としては大いに興味があるところだが、さすがにそこまで訊くのは、無神経に過ぎるだろう。彼女の深い部分まで立ち入ることはせず、すまなかった、と詫びたうえで千冬は言葉を続ける。

 

「他人に軽々しく話す内容ではないから知らなかったといえ――霊夢もまた、私たちに似た境遇にあったとはな。さすがに予想していなかった」

 

「それどういう意味よ?」

 

「ああ、悪い意味ではないぞ。そんな境遇にあってなお純粋さを失わないでいるお前に感心したんだよ。私などは拠り所があったにもかかわらず、ずいぶんひねくれてしまったからな」

 

「あんたも苦労人だからなぁ。しかも一夏さんがあの調子じゃ安心できるのは先になりそうだし」

 

「……どうにも反応に困るところだ。今のは私を慰めたのか? それとも皮肉か?」

 

 一応慰めたつもりなんだけど、と霊夢は首をかしげる。そののち彼女は陰陽玉に乗ったまま千冬の方に寄ると、肩部装甲越しに千冬の肩をぽんと気さくに叩いてみせた。ついで、にっこりと邪気なく笑みかけながら霊夢いわく、

 

「ま、でももう気を張りすぎなくていいんじゃない? 一夏さんには箒がいるし、あんたには私がついてる。大丈夫、私の勘だとこれから先きっといいことばっかりよ。いろいろとね」

 

「ありがとう霊夢。だがそこまで気を遣ってくれなくても私はもう大丈夫だよ……ふっ、これではまるでお前の方が年長者のようだな」

 

「どう考えても千冬の方が年増で――痛い! なんで叩くの!?」

 

「混ぜ返すな馬鹿者……ただ、本当に感謝しているぞ。お前には改めて気付かされること、新たに教えられることばかりだ」

 

「や、やめてよ水臭い。私はただ、お世話になってる恩を返してるだけなんだから」

 

「ほう、そうだったのか? 霊夢が私によくしてくれるのは、あくまで義理でしかないと」

 

「……千冬。あんたにはひとつだけすっごい欠点があるんだけど、教えてほしい?」

 

「目下の者をからかって喜ぶところだな? 分かっているさ。箒にもそう指摘された記憶がある」

 

「千冬はもう少し、私を大切に扱うことを覚えるべきだと思う」

 

「ははは、それはすまないな。一夏しかり箒しかり、どうも私は、自分にとって可愛くて仕方ないものはつい構わずにはいられない性分のようだ」

 

「はいはい。もう好きにしなさいよ……」

 

 機嫌良く笑う千冬とは対照的に、呆れきったような面持ちで溜息をこぼす霊夢。

 

 彼女は口が減らず、そのうえ絡みたがりというなかなかに困った気質だが、その一方、からかわれたりストレートに好意や感謝を示されることに実に弱い。

 

 ぷいと顔を背けると、もう話すことはないと言いたげに手をひらひらさせてみせ、打たれた頭をおずおずと撫でている霊夢が渋い顔でいるのは、必ずしも、拳骨を落とされた箇所が痛むからだけではないだろう。

 

 気の置けない会話は、そこで途切れた。ただ、言葉はもう必要ないほど心が通じ合っていることを確信できる、温かで居心地のいい沈黙を保ったまま千冬はトレーニングを続けていく。

 

(そう。一夏には箒がついており私には霊夢がついている。ISによる弾幕ごっこの普及もその先に広がる未来も、きっとうまくいくことだろう)

 

 不思議なことに、霊夢の言葉にはそうと信じさせるだけの説得力を感じさせる。だが、そう信じる千冬の心の奥底にはわずかな違和感というか、ギャップがあった。何に対してそんな割り切れない感情を抱いているのか、千冬にはその理由が分かっていたが、だからといって、どうすることでそのズレを矯正できるかは、未だに確信を持てないでいる。

 

 そして遠からぬ将来、このズレを正さなかったゆえに、避けては通れない問題が生じるであろうことにこそ、千冬は強い確信を持っていた。

 

 

 




ご高覧ありがとうございました。
ご意見ご感想、誤字脱字のご指摘等々お待ちしておりますm(_ _)m
次回投稿は、2月14日0時に行います。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。