東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land. 作:かぶらや嚆矢
かつて箒たちと相対した際に霊夢が披露していた弾幕は、ワープしたりホーミングしたりとまさしく縦横自在の攻め方を見せたものである。かかる攻撃がいかに苛烈なものであるか、当時地上にあって督戦することしか出来なかった一夏からでも、容易に見て取れていた。
だからこそ一夏は、覚悟を決めて弾幕回避訓練に臨んでいた。
しかしながら彼女の眷属と呼ぶべきアーマード陰陽玉による弾幕は、あくまで練習用であるためか、霊夢が以前見せた弾幕ほど常識に囚われないものではなかった。むしろ、単調な攻撃だと言い切ってしまってもよかっただろう。
それゆえ、張られた弾幕を避けること自体は、訓練前に思っていたほど難しいものではない。
ただ、反撃を行うため弾幕をかいくぐって懐まで潜り込むとなると厄介だった。
まして、基本的に雪片弐型による突貫戦法しか採れない白式では――予想はしていたが――有効打を与えることはなかなか困難だった。
白式を展開して滞空している一夏の視線の先、激しい明滅を放つアーマード陰陽玉が、四方八方へと景気よく大量の粒状光弾をばらまいてくる。十分な間隙を確保していることもあってか、降り注ぐ雹のごとき弾幕を、いくばくか被弾しつつそれなりにうまく回避する一夏。程なくして弾幕が薄れたと見るや、いざ反攻に転じようと欲してスラスターに火を入れるも、第二波として放たれた陰陽玉を避けきれず、そのひとつに真正面から激突してしまう。
「あいてっ!」
「一夏さん! めちゃくちゃに突っ込まないで、パターンをちゃんと先読みする!」
途端、弾幕の射程外から一夏の訓練風景を見守っている霊夢から檄が飛んでくる。
「弾幕を見るんじゃなくて視るの!」
「ん、んなこと言われても……見るのか見ないのかどっちなんだよっ」
アドバイスの意味を掴みかねて首を捻る一夏へと、さらなる弾幕が浴びせかけられた。
巨大陰陽玉を着火点として扇形の範囲にじわじわと拡がっていく、紅白二色の陰陽玉を模した光弾がぶち撒かれ、あっという間に視界を埋め尽くす。体を捻ったり、ストップアンドゴーを繰り返してこれをやり過ごした一夏はいったん体勢を立て直した後、片方の手を握ったり開いたりして感覚を確かめた後、雪片弐型を翻して一気に突貫を仕掛けようとするが、
「うわっ! ――っと、危ない危ない」
また新たに投擲された弾幕――高速回転し、何もない空中で跳ね返ったようにいきなり軌道を変えてくる無数の大きな陰陽玉に進路を遮られてしまい、慌てて急制動をかける。
(くっそー……あのでかい陰陽玉が厄介だな。つかあれ、回転してるから当たると何気に痛いし)
見るとか見ないとかいう霊夢のアドバイスは脇に置くとしても、彼女の言うとおり、どう弾幕を張ってくるか先読みしない限り、千日手に陥りそうな気配があった。
やや上段気味の青眼に構えていた得物をいったん下ろした一夏は、クールダウンの意味も兼ね、これまで浴びせられてきた弾幕を脳裏に思い浮かべてみる。
(白い粒弾を全方位にバラまく弾幕。紅白の小さい陰陽玉を扇状に拡散射撃してくる弾幕と、逆に2方向に撃って左右から挟み込むように迫ってくる弾幕の2つ。あとは黒白のでかい陰陽玉を複数まとめて投げてくる……これも弾幕っていうのか? ともかくあいつの攻撃方法はこの4つだな)
遠間からでもお構いなしに放たれてくる白い粒弾をごく小さい動作で回避しつつ、指折り数える一夏。規則的にローテーションするわけではないが、攻撃パターンが限られるならば山を張るのは難しくない。しかしながら、アーマード陰陽玉はほとんどシームレスに攻撃を仕掛けてくるため、反攻に転じる隙を簡単には見つけられなかった。
その激しい投射攻撃に退き時だと判断した一夏はスラスターを操作すると、いったん射界から離脱し、霊夢にほど近いあたりまで後退する。
「うーん。反撃自体は荷電粒子砲を使えば簡単なんだが、それじゃ訓練にならないからなぁ」
「だからって弾幕張ってる最中に突っ込むのはさすがに無茶よ。タイミングを読んでいかないと」
「俺なりにタイミングを計っちゃいるんだが、うまく合わないんだよ……」
「残り時間は?」
「47秒――やばいな、いつの間にか半分切ってるわ」
視界の隅に映るハイパーセンサーに表示された数を、舌打ちとともに読み上げる一夏。
規則的に明滅する数値は45/99。それなりに多く被弾もしたにも関わらずシールドエネルギーがほとんど減少していないのはありがたいが、与えられた制限時間は折り返し地点を過ぎており、弾幕を見定めたり、行動を取捨選択していられる時間の余裕がなくなりつつあった。
「本番じゃないし、無理して勝ちに行く必要はないからね」
「分かってるって……とは言うものの、これだけ食らって未だに一太刀も振るえてないっつーか、間合いにさえ入れてないのが、すっげえ悔しいんだよな」
アーマード陰陽玉へ視線を戻し、いかにも不服そうに吐き捨てる一夏。
霊夢の言うとおり、これはトレーニングだから無理に勝負する必要はどこにもなかった。むしろ勝ち負けにこだわらず、まずは弾幕を見て覚えることに終始した方が賢明だろう。それは分かっているがしかし、霊夢から離れて再び弾幕の渦中へ舞い戻った一夏はことのほか負けず嫌いであり、男らしく振る舞うことに価値を見出す性分でもある。
(そう、こいつは訓練なんだ――)
そもそも互いのホットゾーンが違いすぎているため、こうして自分の間合い外から隙を窺っているだけでは、事態を好転できようはずもない。
遊弋しながら弾幕を乱射するアーマード陰陽玉をきっと見据え、距離を保って周回――その間も2発被弾してしまった――していた一夏は腹をくくった。
(――訓練で出来ないことが、本番で出来るはずないよなっ!)
白い粒弾を避けつつ、そして大きな陰陽玉の投擲を警戒しつつ、突撃を仕掛けやすいポイントまで移動する一夏。そしてアーマード陰陽玉が弾を撃ち尽くしてから次の砲撃に移るまでのインターバルを突くと八相に構えた雪片弐型を翻し、イグニッションブーストでもって、一擲乾坤を賭した突貫を仕掛ける。次は左右から挟み込んでくる攻撃だと山を張り、敵と自分とを一直線に繋ぐ突入路が開けているわずかな隙をフルに活かしての速攻を図ったのだ。
果たせるかな、小さな陰陽玉でもって左右両方向から挟み込んでくる砲火をアーマード陰陽玉が仕掛けてくるが、一夏は火線が交わるより早く自分の間合いまで飛び込むと、
「おらあぁぁっ!!」
袈裟斬りに振り抜いた雪片弐型の一閃でもって、アーマード陰陽玉を斜めに両断してしまう。
シャボン玉のお化けめいたバリアーごと真っ二つにされたアーマード陰陽玉は、砂浜に作った城が風に吹かれて崩れるようにしてその姿を粒子状に崩壊させていき、やがて完全に消え果てた。
「っしゃあ!」
「おおっ……すごいわね。たった一太刀で終わらせちゃうなんて、あの物騒な庭師も顔負けだわ」
握り拳を引くガッツポーズを取る一夏に、ぱちぱちぱちと拍手と併せて称賛を送ってくる霊夢。
彼女の言葉に一夏はさらに気を良くするがしかし、彼女はストレートに褒めると同時に、改善点の指摘もまた直裁であった。
「でも、打つ手がなくなったときに逆転狙いの大技に走るのはどうかしらね――ああ、別にそれが悪いって意味じゃないけど、千冬が相手だったら、間違いなくそこを見越して罠を張ってくると思うから」
「う。そうなのか?」
「そうなの。あいつ、真っ向から正々堂々と戦いつつ裏ではそういう仕込みをきっちりしてるから油断ならないのよね。こういう千冬みたいな戦い方って、専門的な言葉でサソイウケって呼ぶんでしょ? 倉持技研までお使いに行かされたときにヒカルノから教えられたんだけど」
「い、いやそれは全然違うっつか、あのヒト、博麗さんになんつー専門的すぎる言葉を教えてんだよ……まぁそれはともかく、千冬姉は意外と嫌らしいスタイルで戦うんだな。初めて知ったよ」
奇矯な女研究者の入れ知恵に鼻白みつつ、実姉の知られざる側面を教えられた一夏は驚きの声を漏らした。
ついで、自分たちがいるアリーナ上空の向こう正面、その千冬に指導を受けつつ、霊夢の幻影が繰り出す弾幕を回避し続けている箒の方へと視線を向けてみる。
紅椿をまとって滞空する箒もまた一夏と同じように、札弾と粒弾、大きな陰陽玉――山なりの軌道で緩やかに迫ってくるものだった――を避けつつ雨月と空裂による反攻をときには投射攻撃で、ときには接近して斬撃で繰り出している。そして自身の後方に控える千冬の方を時おり振り返っては、何か助言を受けているようだった。
(千冬姉直々のコーチングか……)
あっちはどんな会話をしているのだろう。気になった一夏は、反撃の手を止めた箒が千冬の方へ向き直って話し始めたタイミングに合わせてオープンチャネルを開き、聞き耳を立ててみる。
『個々の光弾に反応するな。回避は最小限度で行いつつ溜めを作り、突破口が開くか、もしくは最短距離で突貫できるポイントに到達するまで耐えろ。そして機を見て全速で行け』
『た、溜めを作る、ですか? ……す、すみません千冬さん。どうもイメージが沸かなくて……』
『ふむ――では言い方を変えよう。お前は弾幕に対していちいちピクッと動くから、まずギュッとさせろ。そうすると自然にドシンとなる。そして前方がすかっとした瞬間、ズドンと行くんだ』
『ああ、そういう意味でしたか! なるほど、だから最初に被弾してからペースを掴めず……ありがとうございます千冬さん、理解しました!』
(……な、何言ってるか全然分かんねぇ……)
思わず言葉を失うが、以前ISの操縦について教えてくれた時も、箒はそんな擬音交じりの表現方法でレクチャーしていたことを一夏は覚えていた。
いわく、ぐっとする感じだ、とか、ずかーんという具合だ、とか。
その時そばにいて聞いていたセシリアの呆れ顔を思い出し、一夏は苦笑を浮かべたものである。
かくのごとき動物的感性を持つ箒が一発で理解できる教え方をした千冬の指導力に感心し、それと同時に、オノマトペを満載した解説を千冬が真顔でしている光景を思い描いて、再び吹き出してしまう。ただ笑いはしたが、一方、的確なアドバイスを受けた箒がさらに実力を伸ばしてくるであろうことに、何となく焦りを感じもしたのも真実であった。
「なぁ博麗さん。俺が弾幕ごっこで千冬姉に勝つには、どこを鍛えればいいんだ?」
「そうね……まず弾幕に慣れる。といっても何度も繰り返してれば自然に慣れるから気にしなくていいか。次に目を鍛える。これは訓練しだいって感じかしら。見たとこ一夏さんのあいえすだったら一撃で勝負を決められるから、攻撃面は合格かな」
「ああ」
「となると、一夏さんが千冬と戦うにあたって第一に気をつけた方がいいことは……」
顎に指先を添えた格好で、霊夢がまっすぐ視線を向けてくる。彼女の澄んだ黒瞳は一夏の双眸を通して、その内面を見透かしてくるかのようだった。
凪いだ湖面に映る月のように静かな眼差しをたたえたまま、霊夢が言葉を続ける。
「平常心でいること、かな?」
そう言われて一夏はぎくりとした。
勢いに任せて突撃をかけたり、勝つ必要がない勝負でも勝ちに行ったりと、つい熱くなりがちな点は自分でも自覚していたからだ。
「私の知り合いに変わった奴がいるのよ。そいつは実力的にはそこそこなんだけど、テンションに
比例して自分のポテンシャルを上げてくる奴でね。悪く言えば勢い任せ、よく言うならノリでどこまでも強くなるって感じで……もしかしたら、一夏さんとちょっと似てるタイプかも」
「ははっ。テンション上がると強くなるってのは、俺も確かにそうかもしれないな」
「東風谷早苗っていう名前の女の子なんだけど知ってる?」
「え、何だって?」
「だから東風谷……あー、まぁいいや。もうあいつもこっち側の人間なんだし、あんまりペラペラ話さない方がいいかもしれないし」
えへん、と咳払いした霊夢、続けていわく、
「話を戻すけど、平常心でいないと弾幕は避けられないのよ。それに加え、次の一手を読む。弾をひとつひとつ見ずに、ひと繋がりの塊として視る。弾幕から逃げるんじゃなくて流れに乗る。頭で考える動きを体の隅々まで精確に再現する――これだけできれば十分ね」
「ふむふむ」
「そうすると、ある時ふっと、自分と相手と弾幕全体をはるか上空から見下ろしてるような感覚に包まれる瞬間がくると思う。これをパターン化って呼ぶんだけど、こうなったらもう、目を閉じてたって弾幕を避けられるわ」
「め、目を閉じててもか……まるで仙人かなんかみたいだな」
「言い得て妙ね。ともかく、どれだけ早くそこまで辿り着けるか? 言い換えれば、パターンを作れるか? 繰り返しいろいろ試してみるといいんじゃないかしら……といっても、弾幕ごっこはあくまで遊びだからね。自分への挑戦と思って取り組むのはいいけど、あんまり目を血走らせるのもナンセンスよ」
苦笑とともにそう結ばれた霊夢の説明を受け、一夏はどこか、肩の力が抜けるのを感じたものである。そもそも弾幕ごっこに勝った負けたという思考を持ち込むこと自体、もしかしたら的外れな姿勢なのかもしれない。
「アドバイスありがとな博麗さん」
「どういたしまして」
「弾幕ごっこはあくまで遊び、か……なぁ、もう一回挑戦してみてもいいか?」
「もちろん。何回挑戦してもらっても構わないわよ――少なくとも、私が疲れてない間だったら」
くすっと笑ってみせた霊夢は、いつの間に手元に戻ってきていたのか、再びアーマード陰陽玉のスペルカードを取り出して宣言を行う。
「頑張って。あ、それと、倒せば倒すほど弾幕が激しくなるから気をつけてね。勝ちにいくのは別にいいけど、無理してもあとあと辛くなるわよ」
「マジでか」
「ちなみに前回のはレベル3ノーマル。最大だとレベル16ルナティック」
「あれでまだレベル3かよ! つかルナティックって、名前からしてすげえ怖いんですけど……」
やっぱ勝負事だと思わず気楽にやった方がいいかも、と、一夏は思わず肩をすくめる。
(とはいえ……どうしても勝ちたいって意識しちまうな――よしっ。まずはこの、すぐに逸ったり突っ走ったりする気分を抑えることを課題にしてみるか)
自分の在り方を変えるというのもなかなか難しい。それだけ、自分が精神的に未熟だということだろう。弾幕の洗礼を浴びてまだ間もないが、自分の問題点がはっきりと分かり、かつそれと正面から向き合って克服する機会を与えられる弾幕ごっこを、一夏は大いに気に入ったものである。
アーマード陰陽玉を挟んだ向こう側なお遠く、霊夢の幻影を相手取った箒が弾幕をかわし、時には反撃を繰り出している様子も、千冬が箒に適宜アドバイスしているところも、一夏は意識の外に閉め出した。彼はただひたすら、倒せど倒せど復活し、そのごとに強度を増してくるアーマード陰陽玉が張る弾幕を通し、自分自身と向き合うことだけに専心し続ける。
*
対戦相手を交代したり指導者を入れ替えたりしながら続けられた弾幕回避の訓練は、数十度にわたってスペルカード宣言をさせられたことで霊夢が疲れ切ってしまい、そこで切り上げとなった。
およそ2時間近くスペルカード宣言を休みなく続け、一夏と箒にアドバイスし、時には自ら弾幕の矢面に立って回避の手本を示したり、自分が弾幕を張ったりしていれば疲れもするだろう。先にアリーナ地面へと足を付けていた千冬たちに遅れ、風に吹かれた塵紙のようにへろへろと頼りなく降りてくる霊夢は、ラファール・リヴァイヴから降機している千冬の背中におぶさる格好で着地を果たした。
「おい。なぜ私にのしかかる」
「あーもう疲れたああぁ。動きたくないいぃ」
「情けない。これくらい、いつも私との訓練で軽くこなしているだろう」
「あんたに付き合うのとは勝手が違うわよ……教えるの苦手だって言ってるのに、2人にアドバイスしたり避け方の手本見せながらスペカ宣言し続けてりゃ、くたびれもするっての……」
箒から見ても、霊夢はいかにも疲れているようだった。それは疑いないが、ぐでっと千冬の背中でとろけている様はどうにもわざとらしく映る。例えるなら、学校を休みたい子供がわざとらしく咳をしたり、熱があるような仕草をしている感じだ。その屈託のない振る舞いに、箒も一夏も思わず笑みを誘われてしまう。
(実力はもちろん観察眼も極めて鋭いというのに、ひとたび気を抜けばこの体たらく。まったく、憎めんというか何というか)
――攻めに偏りすぎ。弾幕ごっこは防御主体で行うものよ。あと、エネルギー切れの心配がないからかな? 被弾するのを覚悟してでも自分が攻撃しやすい位置に入りたがるクセがある
千冬と交代した霊夢に弾幕回避のコーチをしてもらった折、アーマード陰陽玉と一戦交えるのを一度見ただけで霊夢に言い当てられた、箒の欠点である。その分析力に箒は大いに感心し、霊夢は実は教えるのは苦手でなくてただの面倒くさがり屋――そのくせお人好し――ではないかと思ったものだが、どうもその仮説は正解であるらしかった。
千冬も霊夢にいろいろ苦言を呈していたが、霊夢は頑として動かない。はぁ、と嘆息した千冬は背中にとりついて離れない少女をいないものとして、話を進めることにしたようだった。
「こいつはこういう奴だ。いくら言っても耳を貸さん――という訳で、このまま訓練を継続する」
「は、はい。千冬さんさえ構わないのでしたら、それで……」
「ただ、どーも緊張感に欠けるんだよなぁ。真面目な子連れ狼って感じでぐはっ!」
「忠告してやる一夏。後先考えず迂闊なことを口走ると痛い目に遭うぞ。よく覚えておけ」
「痛い目に遭わせてから言うのは反則だと思うぜ……」
「下らん冗談をほざくからだ馬鹿者が」
(冗談というより、子連れという単語を使ったことが逆鱗に触れたような……)
そう思いつつも、箒は口を閉ざしていた。たった一言の代償として、一夏少年のごとくつむじに鉄拳を落とされるのでは、あまりにも割に合わない。
「さあ、与太話はここまでだ。始めるぞ」
そう仕切り直した千冬はパンと手を打って再開を宣言した。ついで、おんぶおばけだぞー、と、
あくまで千冬の背中に居座る少女を片手でひっぺがし、ゴミを放るように投げ捨ててしまう。ポイ捨てされても霊夢はまるで慌てず、陰陽玉を呼び出すと同時にくるっとトンボを切り、どこからか現れたバランスボール大の陰陽玉に、ローリングセントーンの要領で飛び乗ってみせた。
「千冬はもう少し、私を大切に扱うことを覚えるべきだと思う」
「すでに弾幕回避訓練をした後ではあるが、改めて、軽くウォーミングアップしておくぞ」
「無視するなぁぁ」
霊夢の訴えを聞き流した千冬は、自らが見本を示す形で箒と一夏に訓練内容を告げていく。
PNFストレッチから始まり、アリーナ内をランニング5周。ついでコンテナから取り出した機材を使った、種々の筋力トレーニング。ランダムに文字が書かれたボールや、タキストスコープなどの道具を用いてスポーツビジョンの鍛錬。そして徒手および竹刀を用いた組手を数本――ここまでを1セットとして、合計5巡するという内容であった。
箒も一夏も専用機持ちであり、そしてIS学園生徒として鍛えられているため難なく千冬についていけた。それに弾幕回避訓練を経て集中力が極限まで高められて昂揚した状態にあるためか、普段より体のキレがよく感じるぐらいである。
だからだろうか、課せられたメニューはむしろ拍子抜けしてしまうほどに簡単であり、肩を並べてメニューを消化している一夏と軽口を叩き合う余裕すらあった。
「なんつーか、思ってたよりもずっと楽な訓練だよな」
「確かに……だがまだ1巡目だろう。今から油断していると、後で泣くかもしれんぞ――はっ!」
「おっと! ……016か?」
「正解だ。では次を投げるぞ!」
アリーナ壁面から1メートルほど離れ、一夏は壁に向き合って立ち、箒がその背後から壁めがけて全力でボールを投じ、跳ね返ったボールを一夏がキャッチする。そんなトレーニングを、2人はコンビを組んで行っていた。
ただしボールといってもごつごつと角張った多面体に近いものであるため、上下左右どの方向へ跳ね返るか分からない。そのうえ、ボール各面に書かれたいくつかの文字のうち、どれかひとつをキャッチする前に読み取って言い当てなければならない。キャッチと判読の2つに成功して1点とし、100投するうちに何点取れるか、という競争方式でスポーツビジョンを強化するトレーニングであった。
――ボールが壁に当たった瞬間の角度や強さで、跳ね返る方向を予測して飛び出す。これが眼と手足の協調を磨き、ボールに書かれた文字を判読することが集中力と動体視力を強化する
とは、かかる壁キャッチがもたらす効果について語った千冬の言である。
「ほい楽勝! ――んー、品行方正?」
「ふふふ、外れだ。またちらっと見えただけで答えたな? ボールをよく見てみるがいい」
「し、品川方面!? なんだよ、ひっかけかよー」
嫌な顔をして、キャッチしたボールを箒へと投げ返す一夏。再度壁に向き合い、いつでも、かつどの方向にも飛び出せるように前屈みになり、コンセントレーションを研ぎ澄ませる。
かくのごとく続けられる訓練はレクリエーションに近いものがあり、メニューの最後にあたる組手を――箒が勇んで一夏の指導を行ったため組手の体を成していなかったが――をこなした後も、その印象は変わらなかった。
1巡目を終えたところで、千冬によって短いインターバルが与えられる。
多少息が上がる程度の運動量であったが、きちんと汗を拭かないと体が冷える原因になってしまう。脇にどけられたバックパックから取り出したタオルで汗を拭っていると、同じように自分のバッグをまさぐっていた一夏が、何かを思い出したように顔を上げて千冬に呼びかける。いわく、
「なあなあ千冬姉、ちょっといいか?」
「なんだ?」
「いや、実は今日デジカメ持ってきてるんだけど……ほら、なかなかある機会じゃないし」
遠慮がちな申し出だったが、千冬には得心するところがあったらしく、ああ、と応じてみせる。
そしてそれは箒も同様だった。
一夏は、というより当初は千冬が始めたものだと聞いていたが、2人には、定期的に写真を撮る習慣があった。姉弟以外の人物を写真に収めることで自分の側に誰がいたか忘れないようにするためらしいが、来る者拒まず去る者追わずといった雰囲気に見える千冬が持っている意外な側面に、箒は大いに驚いたものだった。
「いいかもしれんな。私も家を空けがちだったし、長らく写真を撮った覚えもない」
「だろ? 俺もここ数年まったくご無沙汰で、中2の頃に撮ったやつが最後になってたからさ」
「写真撮るの? 隠し撮りとかじゃないんなら、私は構わないわよ」
「お、おい一夏っ。い、今ここで、こんな格好で撮るのか?」
うろたえながら応じる箒。特に気にせず承諾した霊夢はいつもの紅白衣装でいるからいいだろうが、箒も千冬も、ボディラインがくっきり表れるISスーツを着用している。ということは水着で写真撮影をするのとほぼ大差なく、どうにも恥ずかしさが勝ってしまうのだ。
「なんだよ、別に他の誰かに見せるわけじゃないしいいだろ」
「あ、当たり前だ! もし誰かに見せてみろっ。一夏貴様、ただじゃおかないからな! い、いや一夏個人が見る分でもその、も、目的によっては困らないというか困るというか……」
「目的?」
「そ、それにほら、アレだ! 確か霊夢の存在は今後とも伏せられるんだろう? だったら写真に霊夢が写っているのはいろいろと、そう、都合が悪いのではないかっ?」
「私を幽霊かなんかみたいに言うな」
「見られないよう厳重に保管し、万一見られたときは適当に言いつくろえば特に問題ないだろう」
「ち、千冬さんまでそんな……!」
「何を見たか思い出せないようにするか、口外できないようにするという手でも一向に構わんが」
「千冬姉怖えよ!」
物騒きわまる発言に一夏が突っ込むが、2人とも撮る気満々である。そして霊夢も撮られることを特に厭う意思はないらしい。1対3ではいかにも分が悪く、結局、箒も折れることにした。
それに、よくよく考えてみればこれはチャンスでもある。
箒の生徒手帳には自分と織斑姉弟、そして束の4人で並んで映っている写真が挟まれているが、一夏と2人で写っている写真は1枚も持っていないのだ。クラス代表決定パーティのときにはセシリアとクラスメートに邪魔をされ、IS専門誌によるインタビューの一環として一夏とともにドレスアップして撮られた写真は、一夏の晴れ姿を見たりスキンシップがあったりしたことによる興奮のあまりパニックに陥ってしまったせいで、結局今の今まで受け取れていない。
それゆえ昔の集合写真の両端を折って千冬と束の姿を隠し、強引に一夏とのツーショットに捏造している始末だった。
(で、出来ることなら一夏とのツーショットと、一夏だけが写っているものが欲しいが……)
撮影の意図からして、前者はともかく後者は難しいかもしれない。嬉々としてアングルを決めている一夏を眺めつつ、箒は内心で残念がったものである。
「こう乗っけて、タイマーは……こんな感じかな?」
箒、千冬、陰陽玉からいったん降りた霊夢が集合しているところにピントを合わせ、跪いた格好で固定されているラファール・リヴァイヴにデジタルカメラを乗せ、三脚代わりにする一夏。
「霊夢、なぜ隅の方へ行く?」
「え? あー、だって写真の真ん中に入ると魂を抜かれるって」
「いつの時代の迷信だ馬鹿者――この面子だったらお前が中心になるに決まっているだろう」
「おーし、んじゃみんな撮るぞー! タイマーは5秒なー!」
箒も思わず吹き出す放言を発してむずがる霊夢だが、結局、千冬に肩を掴まれて強制移動させられてしまう。真ん中に押しやられた霊夢の右隣に千冬が寄り添い、タイマー撮影をセットして戻ってきた一夏が千冬の左に立った。かくて4人が収まった集合写真が撮られ、続いて、それぞれ2人組になったり3人組になったりして写真が撮られていく。
そして箒もその流れの中にあって、一夏のブロマイド入手こそ叶わなかったものの、念願のツーショットを手に入れる願望を果たしていた。
(やった、やったぞ! これは私の宝物だ……!)
小躍りして喜ぶ箒だが、それとは別に、ベストショットと呼べるものがあった。
千冬に撮ってもらった、霊夢と一夏の3人で並んで写っている――真ん中に立つ霊夢がいきなり一夏と箒の首に腕を回して強く引き寄せ、不意打ちで引っ張られてバランスを崩した箒たちが驚いている瞬間を撮られた1枚である。
画像の中にいる霊夢はいかにも屈託のない、いたずらっ子のような表情で、見ているだけでこちらの気分も華やぐほど無邪気な笑顔をしていた。
(ふふっ。霊夢もだが、私も一夏も子供みたいな顔をしていたな……あの1枚も大切にしよう)
現像されて手元に届けられるのが待ち遠しい。気の置けないひとときの余韻に浸る箒だったが、ぱんぱんと手を打った千冬が撮影会の終了を宣したことで、現実に引き戻される。
「――さて。いささか時間を取り過ぎたが休憩は終わりだ。残り4巡の消化に戻るぞ」
はいよ、と気楽に応じる一夏。自らも心を切り替え、そして彼の気の緩みをたしなめる箒だったがしかし、これまでの内容が大してハードでなかったため、彼女もさほど緊張してはいなかった。かかる2人が顔面蒼白になったのは、なお、と前置いた千冬が、これ以降のメニューはISを展開して、かつPICをマニュアル制御に切り替え、補助動力も最小限の出力に抑えて消化するようにと命じてきた瞬間である。
ISの機動力は反重力システムであるPICをはじめ、各部に搭載された補助駆動装置およびパワーアシスト、操縦者の肉体動作を先読みするDMSといった諸々の機能に依存するところが大きい。
それらを停止すれば、ISはたちまち巨大な手枷足枷となる。箒はかつて、何かの罰としてPICを停止した紅椿を装備したままでIS学園のグラウンドを10周することを命じられた――命じたのは千冬だった――経験があるが、夕方から始めて真夜中までかかってようやく走り終えた挙句、その翌日からしばらくの間、壮絶な筋肉痛に苦しめられるというオチまで付いてきた。
そして一夏もまた、各種機能を停止したISに近い操作性であるEOSに搭乗した際、ラウラに為す術なく弄ばれた苦い記憶と共に、その操縦の難しさと疲労感を思い知っている。
「……いやー写真撮っといて良かったわー……」
「もし途中で力尽きても遺影を選ぶのに困らないから、か……?」
「いえーい……」
「頼むから、冗談ならもう少し笑えるやつにしてくれ……」
箒と一夏は血の気が引いた表情で軽口を叩き合ったが、その目はわずかにも笑っていない。楽勝だとパートナー相手に高をくくってしまった手前、まさか白旗を揚げる訳にもいかないからだ。
仮に倒れるとしてもコイツよりは粘ってみせる。どちらも負けず嫌いで意地っ張り、そのうえ競争心が強く、かてて加えて互いにライバル視し合っているという四重苦を抱えていた。
結局、リタイアすることを潔しとしなかった2人はなかば捨て鉢になったかのようにして、先にランニングを始めた千冬の後に続いて覚束ない足取りで走り出し――そして5巡目まで消化し終えた頃には、ともに疲労困憊の極みというべき状態に陥ることとなった。
「こっ、こんなの。人間が、こなす、メニューじゃ、ねえよ……!」
「さ、さすがに……けほ、けほっ……これ以上は、休んでからで、な、ないと……」
最後の組手を終えてすぐ、箒は紅椿を収納するや否やアリーナ地面にへたりこみ、むせ込みながら荒い息をつく。遅れて白式を収納した一夏もまた崩れ落ちるように倒れ込むと、酸素を求めてぜいはあと苦しそうに喘いでいた。そのどちらも、まるで爆ぜそうなほどに激しく脈打つ心臓の音と荒々しい息継ぎで聴覚を支配されていたため、ぽつりと発せられた千冬の呟きはまるで聞こえていなかった。
「――先に言ったとおり、私にとってはここまでがウォームアップなのだが」
ご高覧ありがとうございました。
ご意見ご感想、誤字脱字のご指摘等々お待ちしておりますm(_ _)m
次回投稿は、2月7日0時に行います。