東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land.   作:かぶらや嚆矢

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二ノ終・

「織斑のその申し出は有り難いのだがな……白式と紅椿は後付装備を搭載できる領域がないため、オルコットたちと同じように弾幕装備を使うことが出来ん」

 

 お前たちが出る幕はない。婉曲的な言い回しでもって千冬にそう断じられ、箒も一夏も落胆を露わにしてがっくりうなだれる。ただ、それぞれが抱いている感情は微妙に違っていた。一夏は千冬から戦力外通告をはっきり出されたことに対して絶望し、箒はというと、千冬の役に立てない自分自身の無力さ加減に対し、そして、用なしであると改めて告げられたことに対して、怒りにも近い脱力感を覚えていた。

 羨望、妬み嫉み、諦観、苛立ち。

 

 そういったネガティブな感情が意味を成さない言葉の羅列となって渦巻いている箒の中で、唯一意味を成していたのは、こんなセンテンスだけであった。

 

(もっと、もっと私に――紅椿に力があれば)

 ショックを受けて正常に思考できなくなっている頭の中で走り回る言葉の列は少しずつ途切れ、バネが切れたオルゴールのように弱々しい物となっていき――それと入れ替わるようにして、思い出したくないが忘れられない女性の顔が浮かんでくる。

(そうだ。前みたいにあの人に相談したら……)

 

 篠ノ之束。求めに応じて紅椿を製作し、ぽんと譲り渡してくれた箒の実姉。

 ――この話が終わって独りになったら、姉さんに電話して事情を話してみようか

 千冬と伍する力を得るために、千冬からしてみれば最悪手でしかない軽挙を実行することを、箒は真剣に考える。少なくとも前回は、束は事情も何も訊かずにこちらの意を汲んで紅椿を譲渡してくれた。きっと今回も力になってくれることだろう。そして――もしも、もしも千冬がこのように続けなければ、箒はあるいは本当に束へ連絡を取り、何もかも打ち明けてしまったのではないか。だが結果として、箒が束におねだりをするという事態には陥らなかった。なんとなれば千冬からのオファーにはそれだけの、箒の切迫した考えを跡形もなく消し飛ばすほどの衝撃があったからだ。

 

「それに織斑と篠ノ之には、することが別にある――お前たち2人は明日からの放課後、この第6小アリーナで私と共に弾幕を避けるためのトレーニングを行え」

 

「ち、千冬姉と、じゃなくて織斑先生と一緒にトレーニングだって? しかも弾幕を避ける?」

 

「そうだ」

 

 うろたえて訊き返す一夏に、短く答える千冬。未だに自分の内に閉じこもって黙考を続けていた

箒もまた、ちらと顔を上げ、胡乱げに千冬を見る。

 

「なんで俺たちが弾幕を避けるんだ? そんなことで先生のための手伝いになるのか?」

「私のためというよりは、むしろお前たちのためだ。先に話したとおり月末の競技会でデモンストレーションを披露するわけだが、その際、織斑と篠ノ之にはツーマンセルで私の対戦相手になってもらうからな。そのための弾幕の回避訓練だ」

 

「!?」

 

「はあああぁぁっ!? きょっ、競技会の日に俺と箒が、千冬姉と勝負ぅ!? 本気かよっ!?」

 

 千冬の宣言と同じく、何の前触れもなく発せられた一夏の大音声は、完全に裏返っていた。彼は世界の終わりでも目にしたかのような顔でもってほとんど凝視するように千冬を見、箒は箒で動揺のあまり、手にしていた紙コップを取り落としてしまった。どちらかといえば表情が硬いだけに一夏少年ほど驚愕が顔に出てはいないが、それでも許容量を突き破るほどのショックを受けたため、先ほどまで何を考えていたかも思い出せないほど、頭の中が真っ白になっている。傍観者になっているセシリア、シャルロット、ラウラの3人でさえ絶句しているのだから、当事者たる箒と一夏の2人が驚きを通り越してほとんどパニック寸前に陥っているのも、無理からぬところだろう。

 その中で平静だったのは千冬と霊夢だけだった。霊夢はにやにやしながら箒と一夏の驚きぶりを見比べて楽しんでおり、千冬はというと弟の発言を拾いつつ呆れたように言葉を返す。いわく、

「何を言っている織斑。競技会終了の1週間後に私と博麗が冗談で勝負しても意味がないだろう」

 

「い、いやそりゃそうだけど……ってそういう話はしてねえよ! 千冬姉が何を言ってんだ。俺はてっきりソロで弾幕ごっこを披露するか、それか、千冬姉と博麗さんが何かするもんだと思ってたのに。ISなしでも空を飛べるし、箒たちと戦って余裕で勝てるぐらい強いんだからさ」

 

(よ、余裕と付けられるほどの惨敗はしてないぞ! 一夏め、あとで覚えてろよ……)

 

「織斑先生と呼べ――そして順番が逆だ。篠ノ之たちに勝てるほど強かろうが自力で空を飛べようが、博麗はISを装備しておらんのだぞ」

 

「あぁそっか。どうやって空飛んだり弾幕張ってるんだって話になるよな」

 

 まだショックが抜けきらない影響か、一夏は真面目な顔でとんちんかんなことを言った。かくのごとき勘が疎い少年に一から十まで説明しなければならない千冬にしてみれば、極めて頭が痛いシチュエーションであったろう。

 そんな彼女の苦労を慮ってか、少しばかり鼻白みながらもラウラが一夏に説明してみせる。

「あ、あのな一夏……それも間違いではないが、たとえばISを装備した教官と霊夢が戦い、まぁ当然のことだが教官が勝ったとする。だがその結果として霊夢の生死に関わる事態が発生した場合、何が起きるか考えてみろ」

 

「そりゃ……ISを良く思ってない連中とか、人権団体とかがどっと押し寄せてくるよな」

 

「その通り。そうでなくとも生身の人間にISを向けただけでもアラスカ条約に反し大問題になる。よしんば命を奪ったとなれば、IS学園の評判は間違いなく地の底まで失墜するだろう。だからこそ競技会の日に霊夢を相手にする訳にはいかん、と、そういうことだ」

 

 かかる説明を受け、ようやくにして一夏は得心したらしい。それはそうだ、と言いたげな面持ちでうんうん頷くと一夏、晴れやかに笑んでいわく、

 

「よく分かった。教えてくれてありがとなラウラ」

 

「い、いや礼には及ばない。だが、ど、どうしても礼をしたいというのなら私とだな……」

 

「え、何だって?」

 

 歯切れ悪く、何事かをもごもごと呟くラウラ。不思議そうに一夏が尋ねると、何でもない! と吠えるように言い捨てて顔をぷいと背けてしまう。一方の箒、セシリア、シャルロットの3人は無表情を保ったまま相互に視線を交わし合い、タイミングを同じくしてひとつ頷いていた。そのときの彼女たちの中で共有されていたのは、表現に微妙な違いこそあれ、このような言葉である。

 ――シュバルツェア・レーゲンで霊夢を殺そうとした貴様が大問題とか言うな!!

「誰が誰に勝つって? なんか馬鹿にされてるっぽいけど誰が相手でも負けたりしないわよ。私」

 

 箒たちのそんな指摘はともかく、ラウラの言を聞き咎めた霊夢はいかにも得意げな面持ちで言い返すと薄い胸を反らしてみせる。調子に乗るな、と霊夢をたしなめる千冬に、一夏はおずおずとだが言葉を続けた。ラウラのフォローによって失点は最小限に留められたものの、彼としては面目を取り戻そうとして発言したのだろうが、どういうわけか、一夏少年は口を開くたびに突っ込まれる要素を増やす羽目になってしまう。

「でも千冬姉、じゃなくて先生。それじゃなんで俺と箒が相手に選ばれるんだ? 2年生メインの競技会なんだからフォルテ先輩とかサラ先輩とか、それに学園最強の楯無さんとかいるじゃんか」

 

「……一夏……まさかお前、怖じ気づいたのではないだろうな……いくら上級生といえど女の陰に隠れるなど、軟弱にも程があるぞ……」

 

「そっ、そうじゃねぇよ! なんで1年生の俺たちが指名されたのかが気になっただけだ!」

 

 疑わしさを露わにした半眼で箒が呟くと、かっと顔を赤くした一夏が食ってかかる。

 かくいう箒もいまだ動揺の渦中にあり、そして胸を張って千冬に挑戦状を叩き付けられるほどの覚悟も決まってはいなかったが、少なくとも、この大役を誰かに譲り渡そうというような考えはなかった。それだけに――蔑むつもりはないが――自分と一緒に千冬に挑戦してほしいという一夏への願望ゆえにそう指摘していたのだ。だがそんな箒の言葉を一夏は曲解したらしい。慌てて弁解の言葉を並べ立てようとするも、千冬に制されたため、ぐっと言葉を飲み込んで引き下がった。

 

「一応、織斑が抱いた疑問はもっともではある。2年生のための競技会である以上、指摘の通りにデモンストレーションの相手も2年生から選抜するのが道理だろう」

 

 弟の言の正しきを認めた上で、しかしながら、と前置いて人選の論拠を話し始める千冬。

 

「なぜ2年生でなく織斑と篠ノ之を選抜したか、理由は2つある。1つ目は、情報漏洩のリスクを下げるためだ。当学園は外部からの干渉には強いが内側からのリークには極めて弱い。それゆえ、今日出席した会議で議決されたことだが、弾幕ごっこおよび博麗霊夢の存在に対するIS学園の見解としては情報統制を敷き、1年1組と一部の整備科生徒以外にはこれを秘匿する方針だ。むろん競技会の日までではあるが、これにより、私のクラス以外から対戦相手を選出する理由は消える」

 

 一度コーヒーに口をつけて間を取った後で、千冬は説明を続けた。

 

「では私のクラスから選ぶなら誰にするか? オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ。ISと弾幕ごっこの親和性という観点で考えるならこの3人が適格だが、それでは具合が悪い――繰り返しになるが3人とも国家代表候補生に選ばれているからであり、それこそが2つ目の理由になる。普段の競技会ならともかく、弾幕などという未知の存在の前に立たせようものなら、国家の未来を担う代表候補生を何と心得る、と所属国から難癖をつけられかねんからだ。なお悪いことにイギリス、フランス、ドイツは欧州統合防衛計画の関係で互いに並々ならぬ対抗意識を抱いているため、選んだら選んだで煩わしいし、選ばれなかった側も、抜け駆けだなんだと騒ぎ出すことだろう……わざわざ藪を突いて蛇を出すこともない。そう判断し、候補から除外した」

 

 反吐が出るほど下らん政治的判断だな。そう嘆じた千冬は、口内に残る苦々しいものを嚥下するようにコーヒーを飲み干すと、紙コップを握りつぶし、無造作に投げ捨てた。千冬の手から投じられた紙塊は放物線を描きながら、自販機脇に設置されたダストボックスの小さな投入口にすっぽり飛び込み、箒と一夏は思わず、おお、と感嘆の声を漏らしてしまう。

「さて。消去法でいくとクラスにはあと2人、専用機持ちが残る。こいつらは世界でも類を見ない最新鋭のISを所有し、その一挙手一投足は常に世界の耳目を集めている。しかしながらどこの国の息もかかっていない――会議でどんな結論が出されたか、これ以上は語る必要もないな?」

 

 最後の確認は箒たちにではなく、むしろセシリア、シャルロット、ラウラの3人に向けられている印象だった。

「確かに私たちが出場したら、国から何を言われるか分かりませんからね……ここはやはり一夏と箒が選ばれるのがベストだと思います」

 

 シャルロットの言葉は、セシリアとラウラの考えをも代弁していた。事実、そういう理由ならば自分たちが選ばれないのも仕方ないといった面持ちで2人とも頷いている。

 翻って箒と一夏は、納得はしたが、どこか物足りない様子でいた。

 千冬の説明を受けて理屈としては理解した。ただ、出来ることなら千冬に「お前たちが必要だ」とか「実力を鑑みて選抜した」という言葉を言ってほしかったのだ。もっともそう望む反面、それが分不相応な願いであることは2人とも十分承知している。自分自身ではなくISによる部分が大きいとしても、目標と定めている人物と対等の地平に立つ機会に恵まれたことにまず満足するべきではないか。そのうえで千冬から賛辞を引き出せるかどうかは自分たちの努力次第であり、現時点でそこまで求めるのは、明らかに強欲というものだろう。

 そう。評価が得られるか否かはこれから何をするかで変わってくるのだ。だからこそ箒は決然として顔を上げると、

「――私はやるぞ、一夏! せっかくの機会、少しばかり変則的な形ではあるが千冬さ……いや、織斑先生に挑戦できるチャンスなど、滅多にないんだ。たとえ織斑先生が相手だろうと、やるからには勝ってみせる! そして今度こそ紅椿だけでなく、私自身の力をみんなに認めさせる!!」

 

 高らかに宣言し、千冬を正面から見据えた。

 宣戦布告どころか勝利宣言まで叩き付けられた千冬は片眉を上げて驚きを表現した後で、にやりと――ガキが一丁前の口を利くじゃないか、と言いたげな笑みを浮かべることで、箒の挑戦を受け止めてみせた。そんな、格の違いはあれども火花を散らし合う2人の傍らにあって、

「千冬姉と戦う、か……今まで考えたこともなかったが、そうだな、千冬姉を越えたいってんなら普通に考えりゃ避けて通れない道だよな……」

 などと自分自身に言い聞かせるように呟いていた一夏もまた、

 

「おっしゃあ、勝負だ千冬姉!! 箒のセリフじゃないが俺だって簡単には負けねえからな!」

 

 と、びしっと千冬に人差し指を突き付けて明言してみせる。

 かかる決意表明を受けた千冬は一夏の方に目を向けるとまた笑んだがしかし、今度のそれは箒に見せたものとは異なる、鼻で笑うような仕草だった。億劫そうに首を振った千冬、冷え切った声音でもって一夏へと答えていわく、

 

「情けない……これが男のセリフか。『5秒で殺す!』くらい威勢の良いことをどうして言えん」

 

「うぐっ――分かった、分かったよ! 千冬姉なんざ5秒で殺す!」

 

「言ったな? よし、ここにいる全員が証人だ。5秒以内に私を殺せなければ、織斑一夏は真顔で女に嘘をつく最低な男だという噂が広まると思っておけ」

 

「なにっ!? だ、騙しやがったな千冬姉! 卑怯だぞ!」

 

「人聞きが悪いことを言うな馬鹿者。騙すというのは、嘘をもって虚偽のものを信じ込ませることを指す――肝心な要点を後出しした今回の場合、騙したではなく引っかけたと言うべきだ」

 

「意味分かんねえ! ってか引っかけた張本人がいけしゃあしゃあと言ってんじゃねーよっ!!」

 

 一夏が血を吐くように吠えてよこした返答に、彼を除いてその場にいた誰もが大笑いをしたものである。普通、千冬のごとき鬼教師の前では声を出すのもはばかられるほど緊張するのが常だが、

姉弟の間で交わされたやりとりは実にリラックスしたものだったため、箒たちも自然に笑えていたのだった。

 

 ひとしきり笑った後で、最後に、と前置きを発することで千冬が場を仕切り直す。

「デモンストレーションがどういうルールで行われるか、説明する。弾幕ごっこを披露することが主旨ではあるが、白式と紅椿では弾幕用装備を使用できないため、2人は今の装備で構わん。私が弾幕を張り、お前たちは、それをかいくぐって私に攻撃する。所定の回数だけ弾幕に被弾するか、先にシールドエネルギーを使い果たした方が負け、というわけだが」

 

「だが……何でしょうか?」

 

「弾幕用装備はエネルギーを膨大に消費するため、シールドにエネルギーをほとんど回せんということだ。シールドエネルギーを使い果たしたらと先に言いはしたものの、私の方は一撃二撃も食らえばそれで試合終了となるだろうな」

 

「おいおい、いくら千冬姉が強いっても2対1で、しかもワンヒットマッチじゃハンデ付けすぎだろ。これじゃ俺と箒が有利すぎるし、ここはハンデなしってことで」

 

「あいにくだがこれは変更のきかん仕様上の問題だ。望む望まざるに関わらず、私はこのハンデを背負って戦わねばならんのさ……それに織斑、何度も言うが順番が逆だ」

 

「逆って、何が逆なんだよ」

 

「お前たちに有利だったりハンデを付けすぎだったりに関わらず、私は強いんだよ。圧倒的にな」

 

 そう放言を返した千冬は今度は笑ってはおらず、その峻厳な双眸で箒と一夏を見据えていた。

 わずかに細められた黒瞳が放つ光は震えを催すほどに鋭く、思わず箒は氷刃で眉間を貫かれるような錯覚を覚えたものである。だというのに箒も一夏も、千冬から視線をわずかにも外すことすら出来なかった。

 目を逸らしでもしたら本当に殺される――千冬が放つ圧力の激しきによって、本能の部分がそう警告を発していたからだ。

「ブリュンヒルデの名を安く見るなよガキども。私を前にして少しでも気を緩めてみろ――5秒で殺されるのは果たしてどちらの方か、嫌というほど思い知る羽目になるぞ」

 

「お……面白ぇじゃんか!」

 

 殺気交じりの挑発を受けた一夏はしかし、俄然奮い立ったようであった。もっともそれは多分に虚勢も含まれていただろうが、少なくとも、千冬に対して闘争心を芽生えさせたのは間違いない。

そして彼の気炎に触発された箒もまた、打倒千冬へと意欲を燃やす。我知らず、爪が食い込むほど強く握り固められた箒の左手首に巻かれた待機形態の紅椿――赤い紐で結ばれた金と銀の鈴――もまた、世界最強のブリュンヒルドに挑めることを、そして覇気を漲らせる主の決意を喜ぶかのように、りん、と一度だけ澄んだ音を鳴らした。

 

「さて、時間を取らせてしまったが私からの話は以上だ。念押ししておくが、この話は少なくとも競技会終了までは誰にも決して話すな――では解散」

 

 あと1つ2つの切欠があれば、即座に場外乱闘へと発展しそうなほど濃密な闘志を孕んだ緊張感が充ち満ちていたが、千冬が解散を発したことで爆発寸前の火薬めいた緊張は薄れた。

 それを受けた一夏たちもまた緊張を解いたが、だからといって千冬の言に従って第6小アリーナから退出したわけではなかった。千冬の教え子たちは、未だ謎の多い来訪者をさっそく取り囲み、これからの作戦行動を円滑に進めるべく様々な分野での情報交換を広範囲にわたって行い始めた。要するに霊夢とのおしゃべりである。その中にあって箒は自分の中から込み上げてくる武者震いを抑えることで一杯一杯になっており動けないでいた。 

(よし、やるぞ……! 私はやるぞ。千冬さんにISで勝ってみせる――!)

 

 目を伏せ、今からコンセントレーションを高める箒は、千冬と競り合う自分自身の姿をイメージし、やるぞ勝つぞと繰り返し自分に言い聞かせる。一意専心して意識を研ぎ澄まそうとするが、心の片隅では、霊夢がかつて発した言葉がどうしても気にかかってもいた。

 

 ――千冬はね、あなたたち教え子さんたちに、昔の自分みたいになってほしくないんだって

 

 昔の自分とは、一体いつを指しているのだろうか。篠ノ之道場に通っていた頃か、それとも白騎士事件の頃か? 現役で活躍していた時かもしれないし1年ほど行方を眩ませていた時のことかもしれないし、ひょっとしたら先日までの千冬のことを言っている気もする。特定は難しいがしかし箒はひとつだけ確信していることがあった。

 霊夢がIS学園に現れる前と後とで、千冬は激変した。前者の千冬はブリュンヒルデとして知られていた時代の――箒にとって近付くことさえ恐ろしく、どちらかといえば避けて通りたい存在のイメージだったが、後者の千冬は、篠ノ之道場に日参して自身を鍛えつつ箒と一夏の面倒を見てくれていた、実姉である束よりも近しく感じていた姉貴分である。今日この第6小アリーナで顔を合わせた千冬は、まさに記憶の中にある後者の姿を強く感じさせた。千冬姉と一夏に何度呼ばれようと、言葉でそれを訂正するだけで一度も手を上げなかったことも、在りし日と姿を重ね合わせる一助となったかもしれない。

(霊夢と関わったことで千冬さんが変わったのだとすると、霊夢や弾幕ごっこを通して私や一夏もまた、何か変わったりするのだろうか……私たち自身か、それとも私たちの関係が)

 

 それが楽しみであり、また、少し怖くもある。

 思考のベクトルが別方向に向けられたことで少しばかり冷静さを取り戻し、ようやくクールダウンできた。足下に落としたままだった紙コップをかがみ込んで拾った後で、箒は自身のクラスメートたちに囲まれて歓談している霊夢の方へと視線を送る。

 取り立てて人当たりが良いわけでなく、言いたいことをずけずけ言ってしまう霊夢だが、彼女は一方で、その場の雰囲気に容易に溶け込めるという特殊な才能を持ってもいるらしい。そのうえ、人心の機微に聡いシャルロットが潤滑油の役割を果たしているためか、次から次へと言葉が口をついて出てきているようであった。霊夢が軽口を叩き、それを真に受けたセシリアが反駁し、シャルロットが仲裁に入る。ときにはセシリアがビックマウスを披露したり霊夢の直言がシャルロットを捉えることもあったが会話は大いに盛り上がり、そのあまりに楽しそうな様子に、ラウラや一夏も途中から加わっていくほどだった。

 今は何が話題になっているのだろう。心惹かれた箒も輪の中に加わろうとするが、

「箒」

 

 と、声を潜めて発せられた千冬からの呼びかけによって止められてしまう。

 箒と呼ばれたことが示唆する意味を考えつつ、返事とともに向き直った箒は、ひそひそ話がしやすいように千冬の方へと歩み寄った。

 

「篠ノ之神社の夏祭りに戻ったそうだが、師匠たちがいずこにおられるかは知らされないままか」

 

「は、はい……まだ何も」

 

 浮かない顔になった箒がそう答えると、首肯を返した千冬もまた神妙な顔をしてみせる。

 重要人物保護プログラムによって父、篠ノ之柳韻をはじめとした家族たちと引き離されてから数年。折を見て実家である篠ノ之神社へと帰省して家族の消息を辿ろうとしたが、所在はおろか老病生死さえ杳として知れず、箒はいつもやきもきしていた。そしてそれは箒から見て姉弟子に当たる千冬も同じであったのだろう。

 

「神社や道場には、特に変わりなかったか?」

 

「ええ。雪子叔母さんや、父の知り合いの方が道場を維持してくれているおかげで、何もかも昔のままで……」

 

「それは何よりだ。しかし――道場か。ずいぶん懐かしいな」

 

 穏やかな表情で目を伏せ、感慨に耽るように短く呟いた後で千冬、続けていわく、

 

「私も無沙汰が続いているのでいい加減顔を出したいが、思うように暇を作れなくてな。また帰省する機会があったらよろしく伝えてくれ――で、どうだった。巫女装束で売り子をした感想は」

 

「な、なぜそれを!?」

 

「ははは、やはりか。私もちょうどお前くらいの頃に、月謝を免除する代わりに売り子を手伝えと師匠に無理やり装束を着せられ絵馬を売らされたものだからな。まあ当時の私は飯も満足に食えていなかったから、箒ほどには乳も尻も腫れあがってはいなかったが」

 

「腫れあがってって――ちっ、千冬さん!」

 

 遠慮のない物言いを受けた箒は顔を真っ赤にし、クラスメートたちから「スイカ」と揶揄されるほどのバストを両腕で隠して千冬を睨み付けた。

 朱に交われば赤くなるというか、悪貨が良貨を駆逐したというか、霊夢と友誼を結んでからというものの千冬はいくらか口が悪くなったような気がしてならない。とはいえ千冬は機嫌がいい時、あるいは酒が入っている時は、決まってセクハラ同然の放言や行為でからかってくる悪癖が昔からあった。そのためか箒としては辱められたことに怒るより、姉に等しい女性が上機嫌でいることを喜ぶ気持ちがほんの少しだけ勝っていた。だからこそ、

 

「か、からかうのはやめて下さいっ! ……恥ずかしいです……」

 

 そう抗弁するだけに留めておく。

 千冬の方も恥じ入る妹弟子の様子に満足したのか、それ以上箒を辱めてくるということはなかった。ひとしきり愉快そうに笑った後で千冬、表情を改めていわく、

「早く消息が分かるといいな。お前や一夏が息災であり、そして篠ノ之の剣がお前たちにも連綿と受け継がれていることが、競技会当日のデモンストレーションを通して師匠たちの耳に届いてくれれば、きっと安心されると思うのだが」

 

「千冬さん……ひょっとしてそういう理由もあって、私たちを相手に選んだんですか?」

 

「もののついでというやつだ。分かっているだろうが一夏以外の奴に話すなよ。強権というものはこうやって有効活用するべきだが、身内に甘い顔をしたと陰口を叩かれるのは不本意だ」

 

 言いにくそうにしながら、殊更にぶっきらぼうな態度を取ってみせる千冬。

 こういう不器用に、そして自分の不利益も顧みずに優しさを見せてくれるところは千冬と一夏はとても良く似ていた。元より憎からず思っていたが、自身が想いを寄せる少年と同じ心根を千冬の中にも見出したことで、この幼なじみの年長者に対して箒はますます心惹かれたものである。

「お気遣いありがとうございます。私も千冬さんのために、出来る限りのことをしますから」

 

「そう言ってもらえると助かる。これもまたもののついでというか何というか、ちょうど箒の手を借りたい事案を抱えていたところだからな」

 

「私の手をですか?」

 

「ああ――博麗霊夢のことで、お前に少し探りを入れてもらいたいことがある」

 

 霊夢のこと? 輪の中心にあって談笑している霊夢の方へ肩越しに目をやった箒は首を傾げた。

 千冬であれば箒よりは霊夢の人となりについて知っているだろうし、霊夢の方も、恐らく箒よりも千冬の心の中に入り込んでいるはずだ。少しばかり悔しいが。だというのに、今し方霊夢を紹介されたばかりなのに何を頼むことがあるのだろうか? こうして人目をはばかる頼み方をしてくるあたり、秘密裏に調べたいという千冬の意図くらいは読めるが……

「どういう意味でしょう?」

 

「うむ――昭和の頃、N県S市に空を飛び、不思議な力を行使する少女がいたらしい。その少女は神社の生まれだそうだが、ある日突然神社ごと行方不明になったという。荒唐無稽な話だと分かってはいるが、私には、この失踪した少女が霊夢本人ないし血族とかの形で霊夢と何らかの繋がりを持つ人物であるように思えてならんのだ」

 

「じ、神社ごと行方不明ですか!? それはまた面妖な……ただ、お話は理解しました。そういった現象が起きた神社が過去にあったか、そして同時期に失踪した少女がいたかどうか調べればいいんですね?」

 

「該当する事案はおそらく見当たらんだろうが、白黒だけはつけておきたくてな……頼めるか?」

 

「大丈夫です。少し時間はかかると思いますけど、うちの神社経由で調べてもらいます」

 

 そう承諾した箒に、すまんな、と言葉を返して千冬は感謝を示す。

 ある種の憧れにも似た思いを抱いている人物から頼られるというのは、決して悪い気がするものではなく、たとえ徒労に終わるとしても箒は奮い立ったものだった。昔みたいな才気煥発とした気風を取り戻している千冬の姿に触発され、色々なことをポジティブに取り組んでみようと積極的な姿勢になっていたという側面もある。千冬さんの役に立つならやってみよう。そう決心した直後、箒はこの世の真理についてふたつ知ることになった。ひとつは情けは人のためならずという言葉は意外と真実であること。もうひとつは、いい出来事というものは狙って起こせない代わりに起こる時には立て続けに起こるものだということである。

 

「頼みを聞いてもらった見返りというわけでもないが、謝礼として、一夏との仲を取り持ってやらんこともないぞ」

 

「なっ! ななな何を言ってるんですか千冬さん!! 私は別に一夏のことなど……!」

 

 またぞろ真っ赤になって狼狽する箒だったが、喉元まで出かけた言い訳をぐっと飲み込んだ後、

ぐぐっと千冬の方へ身を寄せる。ついで声が漏れないよう掌で口元を覆い隠しつつ、蚊が鳴くような囁き声でもってこそこそと尋ねていた。

 

「……ほ、ほ、本当に取り持ってくれるんですねっ?」

 

「露骨な真似はさすがに出来んし、それとなくお膳立てをしてやる程度だ。あとはお前の努力次第といったところだが――差し当たって、だな」

 

 そう言いながら箒の肩に手を回し、自分の方へぐいっと、額同士が触れ合うほどの至近距離まで引き寄せてくる千冬。弟にも見習ってほしい大胆な振る舞いと、千冬が愛用している香水なのか柑橘系の爽やかな香りに、箒はどきどきと胸を高鳴らせてしまう。

 かくのごとくして他の人間から見えない死角を作った千冬は、ジャケットの内ポケットからカードを取り出し、箒に握らせてきた。

 

「これは……電子マネーですか?」

 

「おう。お前に預けるから霊夢たちを連れてどこかの店で親睦会でも開いてこい。いくらなんでも学園の金から生徒の遊興費を出すわけにはいかんから、こいつは私個人のカードだがな」

 

「それは公私混同ではありませんか?」

 

「口止め料はすでに渡してあったと思うが?」

 

 いたずらっぽく笑って咎める箒を解放しつつ、同じように笑って即答してみせる千冬。

「ではな。私はこれで戻るが、今日の訓練は中止にするので時間は気にするなと霊夢に言っておいてくれ……ああ、それと寮長として言わねばならんことだけは一応言っておくが、門限破りだけはしてくれるなよ」

 

 最後にそう言い置いて箒の肩をぽんと叩き、第6小アリーナを出ていってしまう千冬。ぜひ千冬さんも一緒に、と誘いたかった箒だったがしかし、千冬にも片付けなければならない仕事があるのだろうし、こちらを一顧だにせず立ち去っていくその雰囲気から、声をかけられるのも憚られた。

それに先の話にあったとおり霊夢の存在を出来るだけ公にしない方針ならば、人目のあるところではなるべく一緒にいない方がいいのだろう。

 

(千冬さんもいろいろと大変なんだな……)

 

 内心で嘆息する箒だったが、いかにも充実して精力的に動き回っているのだから、それでよしとした。千冬がエントランスホールから退出し、鉄扉が閉まるまでその背中を箒は見送っていたが、扉の開閉音によって、千冬が出ていったことに霊夢も気付いたらしい。

「あれ? ねぇ箒、千冬はどこ行ったの?」

「用があるので先にお戻りになったぞ――とっ、ところでだな霊夢。ここでこうして顔を合わせたのも何かの縁だし、なんというか、そう、場所を変えて私たちと茶でもどうだ?」

 

 箒たちと? 誰かを遊びに誘うことに慣れていない箒のアプローチはいかにもぎこちなく、霊夢は不思議そうな顔をしてみせた。その一方、彼女を囲んでいた一夏たちは、良いアイデアだとばかりに、わっと歓喜に沸き立ったものである。

「あら箒さんにしてはなかなか気の利いた提案ではありませんか。どういう風の吹き回しです?」

 

「う、うるさいっ。こういうのも時にはいいかと思っただけだ!」

 

「まあまあ2人とも――僕はもちろん大賛成だよ。ラウラも一緒に来るよね?」

 

「む……い、いいだろう。敵を知り、己を知れば百戦危うからずというし、情報収集は戦略の基本中の基本だからな。それに、ほらあれだ。ちょうど甘味を摂取したいと思っていた!」

 

「じゃあ夏休みにみんなで行った、あそこの抹茶カフェとかいいんじゃないか? あそこの水菓子ラウラも好きだって言ってたし……和風な方が博麗さんもいいよな」

 

 主役不在で話が進むのを聞いていた霊夢だったが、一夏から発言を求められると、彼女はしかし申し訳なさそうな顔をしてみせる。

「うーん……たまには誰かと遊ぶのもアリだとは思うんだけど、でもこのあと千冬との訓練が」

 

「そうだ。そのことだが、今日の訓練は中止にするから時間は気にするなとおっしゃってたぞ」 

 

「ホント? へぇ、珍しいこともあるもんだ――それじゃせっかくだし私もついていこうかしら。買い物で出歩いたことはあるけど、お抹茶を出してくれるお店があるなんて知らなかったな。そこだったら行ってみたいかも」

 

「う……うむ! では行くか!」

 

 霊夢の快諾を受けた箒が音頭を取り、一夏、セシリア、シャルロット、ラウラも同調して気勢を上げる。連れだって第6小アリーナを出た足でそのまま街に繰り出し、評判の良い抹茶カフェへ。2時間あまり個室を借りて開催された女子会プラスアルファは、霊夢という存在があったためか、

いつにない盛り上がりを見せた。その場にいた誰もが先を争うように言葉を飛ばすなどあまりにも盛り上がりすぎたせいで、千冬に呼び出された直後すぐ第6小アリーナに赴いたため、カバンから何から一切合切を1年1組の教室に置き忘れていることを誰もが完全に失念していた。

 大いに食べて飲んで騒いでさんざん長居し、会計を済ませる段になってそのことに気付いた箒たちはそこで霊夢と別れるや否や、閉門の時間に間に合わせるため大慌てでIS学園へ戻る。結果的に門限破りは免れたものの飲食後すぐに全力疾走をやらかしたため、霊夢と再会した興奮も冷めやらぬ夜を、5人が5人とも真っ青な顔をして寝込む羽目に陥ってしまった。




ご高覧ありがとうございました。ご意見ご感想、誤字脱字のご指摘等々お待ちしております
次回投稿は、6月下旬ごろになる見込みでございますm(_ _)m

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