東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land.   作:かぶらや嚆矢

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二ノ陸・

 豪奢な細工が施された絨毯。シンプルだが一見して高価だと分かるインテリア。重厚感に比して値段も張りそうなソファにローテーブル。瑞々しく目に映える緑色を保った観葉植物。完璧に行き届いた空調。

 運営予算の無駄遣いだと指摘されかねないそんな空間が、IS学園の応接室だった。

 

 ブラインド越しに昼日中の日差しが差し込んでくる室内の中央あたりにあって、織斑千冬はIS学園を訪問してきた来客と向き合ってソファに腰を落ち着けていた。背もたれに身を預け片手で保持しているファイルの中身に目を走らせていたが、体を支えるクッションの柔らかさに気が緩んだせいか、それとも日当たりがいい場所に着席しているせいか、ついあくびを漏らしてしまい、小さく頭を振ってみせる。

 

「お疲れみたいだね。寝不足?」

 

「ん……まぁそんなところだ」

 

 対面に座る訪問客から笑み交じりの指摘を受けた千冬は紙面の流し読みを一旦中断すると眉間に手を当て、凝りをほぐすように指先で揉む仕草をした。

 

 それから緩慢な動作で卓上に置かれた白磁のカップに手を伸ばし、すっかり冷めきってしまっているコーヒーをぐいと飲み干すが、空き気味の胃袋にガツンと響くほど濃いコーヒーを摂取した後でも、根を張った眠気が覚める様子はなかなか感じられない。

 

「ここ数日、睡眠にあまり時間を割けなくてな。とはいえ心身ともにすこぶる好調だし睡眠時間が減るのは特に構わんのだが、昼間に眠気が襲ってくることだけは辟易している」

 

 朝は日が昇るより早く起き出してランニング。始業から終業まで教鞭を執り、夕方の短い時間でISに搭乗して霊夢に稽古を付けてもらい、必要に応じて弾幕ごっこについてレクチャーを受ける。ついで夜まで寮長として職務を果たし、日付が変わり深更へ至る頃までISの稼働時間を重ね、クールダウンを行って就寝する――弾幕測定を終えて以来、自分に毎日課しているトレーニングを思い返しつつ、千冬はポットからカップへと二杯目のコーヒーを注ぎ入れた。

 

「カフェインで眠気をごまかすか、空いた時間を見つけて仮眠を取るようにはしているが」

 

「あんま無茶しない方がいいよ。夜は寝るもの、睡眠不足はお肌の敵ってね」

 

「そういう観点で睡眠の必要性を考えたことはないが、忠告は胸に留めておこう――私はともかくお前の方は大過ないか? 聞くところによると博麗に張り倒されたそうだが」

 

 そう訊き返した千冬に、平気平気、と頬をさすりながら笑って答えてみせたのは倉持技研第2研究所所長、篝火ヒカルノである。

 

「なんでも博麗を衆人環視の中で辱めたそうだな。打たれたのも自業自得といえばそれまでだが、篝火のことだ。何か意図するところがあってそんな暴挙に及んだのだろう?」

 

「まぁねー。ついつい霊夢ちゃんをいじり過ぎちゃって、あのコ本気で怒ってたからさ。ああしておけばスカートめくりされてカッとなって手が出たって言い訳できるし、私の方が悪いって流れになるでしょ? 自分がしでかした不始末の責任は自分で受け持つのが分別ある大人ってもんよ」

 

「分別のある大人ならばそもそも他人を嘲弄したりはしない」

 

 ごもっとも。フランクに応じたヒカルノは自身の額をぺちんと叩いた。千冬はすでに手元のファイルへと再び視線を落としており彼女の方を向いてはいなかったが、その剽軽なリアクションに、くくっと愉快そうに笑ってみせる。

 

 ローテーブルを挟んで千冬と対峙しているヒカルノは、測定から明けて5日で分析結果と今後の展望を詳細にまとめていた。数値的観点から見た光弾そのものの設計、IS用弾幕装備および霊夢が展開していたフィールドを擬似的に再現するための設備の構成、光弾接触からシールドがダメージを受けるまでのプロセス。それらの仕様書と併せて、試算費用を算出した見積書を持参して訪ねてきたヒカルノを応接室へと通した千冬は、眠気を堪えつつ、雑談交じりに説明を受けているところであった。

 

「――資料を流し読んだ限りだが、ISで弾幕を再現するのは可能と断定して間違いないんだな?」

 

「そういうこと。ただ前にも言ったけど、エネルギー使用量の大きさとバススロットを食いまくることだけはどうしようもないかな。今は目下、零落白夜のデータを掘り起こしてシールドバリアと反応するエネルギー弾の開発に転用中。サンプリングした数値を元にして、どこまで落とし込みが出来るかあれこれ試してるところ」

 

「うむ」

 

「それと平行して、銃本体やフィールドジェネレーターとかのハード面も制作態勢に入ってるよ。こっちはゴーサインが出ればいつでも始動できそう」

 

 細かな仕様はファイルを見てね、と促された千冬は再び書面に目を落とす。

 銃砲しかりジェネレーターしかり、本体の三面図とスペックを表した数値はじめ諸々のデータが十数ページにわたり書き連ねられている。開発系専門知識が少ない千冬では数値のひとつひとつが意味するところまでは分かりかねたが、装備のイメージ図を見た限りでは、銃と呼ぶよりも大砲や機関銃に近い、抱えて持つタイプになるらしく、ISでなければ取り扱いはとても出来そうにない重量級装備になることは理解できた。

 

「織斑さんたちIS学園側の方針はどう?」

 

「本件について理事長に提言したが、IS学園としては私に一任するそうだ。捻出できる費用の範囲内で行うこと。何か起こった際の対外折衝は学園が請け負うが申し開きが出来るように後ろめたい行為は慎むこと。その二点だけ言われている」

 

「信頼されてるねぇ」

 

 茶化すようにそう笑ったヒカルノもまた、千冬が手ずから淹れてくれたコーヒーに口をつけた。ブラックコーヒーに塩もとい砂糖だけ入れて嗜む千冬とは異なり、こちらはミルクがたっぷり注がれたものである。

 

 会話が途切れてからしばらくの間、千冬は言葉なく文面を目で追いつつ諸々の計算およびシミュレートを頭の中で行っていた。そして対席しているヒカルノも千冬の邪魔はするまいと考えてか、饒舌な彼女にしては珍しく口を閉ざし、カップに指をかけたままブラインド越しの窓から臨むIS学園グラウンドを見るともなしに眺めている。壁時計が時を刻む音とページを繰る紙擦れの音だけが応接室内に響く沈黙の時間を少しばかり挟んだ後、千冬はファイルを閉じるとおもむろに頷いてみせた。ついでいわく、

 

「ざっと計算した分には費用の枠内に収まるようだし、いいだろう。制作を始めてくれ」

 

「あい了解。ちなみに上限はいかほどで?」

 

「それを答えてしまったらギリギリまで吹っかけるつもりだろう?」

 

「いやー。ウチもいろいろと、ほら、なかなかどうしてアレなものでしてハイ」

 

 笑いながら放たれた千冬からの指摘にヒカルノは曖昧きわまる言葉を返し、結われた髪の毛先をくりくりと弄りつつ、イタズラがばれた子供のような面持ちで苦笑いしてみせる。ヒカルノのそんな弁明から、倉持技研の台所事情について彼女が何を言おうとしているか容易に察せられたものである。

 

 倉持技研は本来、白式の製作と開発を担うセクションである。所員総出でもってほぼ専任に近い形で取り組んだ甲斐があって白式は織斑一夏の専用機として運用まで漕ぎ着けたものの、その後の彼女たちの活動は精彩を欠いていた。打鉄弐式を放置した前科があり、白式用イコライザの開発は難航し、ではそれらに目をつぶるとして他に目立った成果が上げられているかといえば、必ずしもそうではない。また、欧州連合による統合防衛計画『イグニッション・プラン』のごとき研究所を挙げて取り組むべき国家的プロジェクトへの参画予定も、目下のところ皆無である。

 

 ただでさえIS開発には莫大な資金を要し、たいていの企業は国からの支援で屋台骨を支えているのが現状である。だというのにこのまま芳しからざる状態を続けていたのでは、最悪、支援を引き上げられて倉持技研は解散ないし余所に吸収・合併という事態にもなりかねない。

 かくのごとく結果を出せておらず、汚名返上の機会にも恵まれない上層部はそろそろ功績を上げようと焦り始めている、とは現場責任者であるヒカルノの言であった。

 要するに倉持技研は技術を持て余し、そのくせ腕の振るいどころを見つけられず暇とストレスをたっぷりと溜め込んでいたのだ。

 

 そこを突いた千冬がヒカルノを仲介役にして今回の話を奏上したところ、倉持技研首脳陣はISの新たな道を拓く可能性に食い付き、千冬が狙った通り全面協力を得るに至っていた。それも、ほぼ即決に近い形である。

 ただ、それだけに稼げるところで稼ぎ、結果を出すところで出さなければ、行く末はシャンパンファイトか首に縄をかけて椅子を蹴る羽目になるかが変わってくるのだろう。

 

「まったく世知辛いことだ。つくづく、責任ある立場には就くものではないな」

 

「うーわー、織斑さんがそれを言うか……ま、ともかくお許しは出たんでさっそくハード面から、外堀を埋める感じで制作していきますかね。あ、そのファイルは織斑さんが持っておく?」

 

「いや、把握すべき部分は頭に叩き込んだし、専門的知識のない私が見てもあまり意味もないだろう。それにいつ何がきっかけで外部に漏れるかも分からん。そちらで保管しておいてもらえるか」

 

「あい了解。そんじゃ契約関係の細かい書類は後で学園宛に送るのと、正式な話は後日改めて場をセッティングさせていただくとして――そうそう。あと、製作サイドからの要望として一点だけ。どんな見た目の弾幕にするか、今のうちに青写真みたいなのを考えてほしいんだよね」

 

「青写真とは?」

 

「霊夢ちゃんが見せてくれたスペルカードだっけ。アレみたいに見てて格好いい弾幕がいいけど、いちいち操縦者が計算して弾幕を張ったり止めたりしてたら面倒じゃん? トリガーを引きっぱなしにすると自動で弾幕のフォーメーションを構成するように制御できれば操縦者の負担も減るし、それ用のルーチンを組んで搭載してみようと思ってさ。だから、どんな見た目の弾幕にしたいか全体図っていうか設計図、イメージみたいなのを考えてほしいんよ」

 

「確かに合理的ではある。それに見た目を良くするというのは博麗が言っていた、弾幕とは何かの理念に沿ってもいるな――ただ、すまないがもう少し時間をくれ。一度博麗と相談してみる」

 

「あい了解。まだ弾幕の制作段階には入ってもいないんだし、現時点ではそれほど焦っちゃいないからゆっくりでいいよ。こいつについてはメールでやり取りする? それとも?」

 

「これまで同様に文書の手渡しか口頭伝達にしておこう。だがそちらに何度もIS学園まで足を運ばせるのも忍びないゆえ、伝書鳩代わりに博麗を研究所まで行かせるさ」

 

「霊夢ちゃんがウチに来てくれるの? こりゃふたつの意味でイメージ図の完成が待ち遠しいね」

 

 奇矯な女研究者はいかにも楽しそうに声を弾ませた。殴られたり怒鳴られたりと、年長者であるにも関わらずきわめて無体に扱われているが、それでもヒカルノは霊夢のことを気に入っているようだった。ボケと突っ込みで相性がいいからか、霊夢をいじり甲斐のある相手と見ているためか、そうでなければ、実はヒカルノは虐げられることを悦べるタイプだからかもしれない。

 

「そういえば霊夢ちゃんって今どうしてる? 授業受けてるの?」

 

「あいつは客員扱いだから授業には参加させていない。夕方から夜までは私の訓練に付き合ってもらっているが、それまでは図書室で本を読んだり、学園周辺を散策して時間を潰しているそうだ」

 

 窓の向こうに拡がるグラウンドの方へと目を向けながら答える千冬。朝食時に顔を合わせた際に教えられた予定に従って行動しているのであれば、霊夢は今ごろ、千冬から渡された電子マネーを手に駅前の複合店舗あたりをうろついていることだろう。

 

「へー、霊夢ちゃん暇してるんだ。じゃあ近いうちに遊びに誘ってみようかな――と、閑話休題。進捗状況の報告はこんなところだけど、ところで織斑さん、IS本体はどうするつもり?」

 

「学園のラファール・リヴァイヴを借り受けることで話が付いているが、それがどうかしたか?」

 

「だって、せっかくのブリュンヒルデの再デビュー戦じゃん。教のマークも眩しい教員用ISとか、

生徒さん実習用のISで人前に出たんじゃ格好つかないっしょ。専用機とか、それは無理だとしてもパーソナルカラーのある機体で登場したら盛り上がると思わない? ウチも研究用でだけど疾風を所有してるから、よかったらカスタマイズして提供できるけど、どう?」

 

「スポンサーとして機体に倉持技研のステッカーが貼ってある、とかではないだろうな」

 

「その手があったか!」

 

「やぶ蛇だったか。まぁ冗談はともかく今の私は日本代表どころかIS操縦者でもないからな。まさか横車を押し、他の代表候補を差し置いて自分だけ特別な機体をあてがわれるわけにもいくまい」

 

「そりゃ原則としてはそうなんだけどさ。あーあ、かつては暮桜を駆って世界を征した織斑さんの復帰戦なのにフツーの疾風にしか乗れないのか。勿体ないなぁ」

 

「気遣いは痛み入るが、他に選択肢がないからラファール・リヴァイヴを選んだわけではないぞ」

 

「ほほう?」

 

 問い返したヒカルノはずいっと身を乗り出し、いかにもその先を聴きたそうに目を輝かせたが、千冬は他人の期待の眼差しを邪険に切って捨てることにかけては定評がある。今回もその評判に違わず、瞑目したままぽつりと呟くだけでヒカルノの追求を遮断してしまった。いわく、

 

「細工は流々仕上げを御覧じろ、といったところだ」

 

「あれま。けどそう言うなら仕方ないね。明かされる日を指折り数えて楽しみに待つとしますか」

 

 前屈みにさせていた上体を起こし、ヒカルノはひょいと肩をすくめてみせた。その後でもう一度だけコーヒーで口を湿らせてからカップをソーサーに戻すと、これまでと同じく飄々とした調子でもって話題を変える。ただしそのトーンは、周りに人がいないにも関わらずことさらに潜められていた。

 

「そいで――弾幕関連とは別に頼まれてた、霊夢ちゃんについて調べてみた結果なんだけど」

 

「ああ」

 

「まるで駄目だね。政府筋と研究機関筋のデータベースで結構深いところまで当たってみたんだけど、ハクレイレイムなんて単語にヒットするものはなかったよ。神社、弾幕ごっこ、空飛ぶ巫女、スペルカード。考えつく限りのあらゆる単語の組み合わせで調べたみたんだけど」

 

「いずれも空振りか。手数をかけた」

 

「いやいや。こっちも行きがけの駄賃として気になってた機密データを潜り込みついでにいくつか失敬してきたから、プラマイゼロってことで」

 

「そのうち研究所がピンポイント爆撃されるかもしれんな」

 

「そん時は織斑さんに弔い合戦をお願いしたいね――ただね。別口だけど無関係じゃないかもしれない事案は見っけたよ」

 

「拝聴しよう」

 

 千冬はカップに3杯目のコーヒーを注ぎ入れた。お前も飲むか、という千冬の言葉に首を振って辞退した後でヒカルノ、続けていわく、

 

「これは大昔の、昭和のころの話なんだけどさ。N県S市に、空を飛んだり風を吹かせたりできる不思議な力を持った女の子がいたんだって。ただし不思議な力ってのは自称で、その現場を誰かが目撃した例はないみたい。その女の子自身も結構変わったコで、神様が見えるとか、奇跡を起こすとか、神社を信仰してくれとか言い歩いてたせいで、周りからは変人扱いされてたとかなんとか」

 

「……空を飛び、不思議な力を行使する少女」

 

「うん。そのコの家業は裏手に湖がある小さな神社だったそうだけど、ある日突然、湖ごと神社が消えてなくなったらしいのね。彼女もその日以来、行方不明。神隠しだなんだって大騒ぎになった事件がかつてあったんだってさ。まぁ真偽は怪しいけど一応報告までに」

 

 裏手に池があり、参拝客が誰も来ず、この国のどこかにあり、そして千冬たちでは絶対に見つけられない神社から来た――霊夢と初めて顔を合わせた時、彼女から得ることができた来歴の断片を千冬は思い返していた。

 

「織斑さん?」

 

「ああすまない。少し考え事をしていた――その少女について、詳しい情報は残っていたか?」

 

「うーん、なんせまだ情報インフラがほとんど発達してない時代の事件だからねぇ。その女の子も当時未成年だったせいか情報が見当たらないんだよ。失踪当時は10代半ばから後半ぐらいだってことぐらいかな。神社と湖がなくなったってのも、地上げだか開発工事だかを隠蔽するためクレームアップされたとか何とかって与太話レベルで扱われてたみたい。だけどもしも実話だとしたら……ええい。もうぶっちゃけて言うけど、この女の子って霊夢ちゃんなんじゃない?」

 

 核心を問うたヒカルノの指摘に頷いた後で、千冬は考えを巡らせた。

 ここまでで訊いた話のうちすべてのフラグメントが、過去に存在した少女と霊夢が同一人物であると指し示しているように感ぜられる。かかる過去の出来事について、小細工せずに霊夢本人に心当たりがないか訊いてみるか? ただし霊夢は自分について語ることを嫌がっており、訊いたところで有効な回答を得られる可能性はきわめて低そうに思える。

 どうだろうな、とだけ答えたあと千冬は話題を変えてみせた。いわく、

 

「それにしても神社ごと消えるとは奇怪な話だな。神社で神隠しが起きたというならばともかく」

 

 そう言葉を発した千冬は片目を閉じ、ルポルタージュか何かで見た覚えがある怪奇事件の記事を思い起こしていた。それほど昔ではない近現代の頃でも、京都のある大学のオカルト系サークルに所属していた女子大生の2人組が、どこぞの神社を調べに行くと言い残して出発したのを最後に消息を絶ち、未だに発見どころか手がかりさえ見つかっていない未解決事件も発生しているという。

 

「ちょうど私のクラスに、神社筋に明るい奴がいる。過去にそういった形で消えた神社がないか、その神社周辺にいたという不思議な力を持つ少女について情報がないか、折を見てそいつに調べてもらうとしよう」

 

「あぁ、篠ノ之博士の妹さんね。たしか箒さんだっけ」

 

「そうだ。……」

 

「織斑さん? どしたん?」

 

「実はな。博麗がIS学園に現れた日、私は本人にこう問い質したことがある。誰の意を汲んでこの学園に来たのかと。ある人物によって無理やり連れてこられたと博麗は答え、私はまず最初にあいつの――束の関与を疑った。何度かブラフをかけてはみたが見破られていたのか、束との関わりの有無について明答は得られなかったが」

 

「だけど霊夢ちゃんの背後にいるのが篠ノ之博士だと仮定すると、明らかにおかしい点がある」

 

「そう。博麗はISについて、本当に何ひとつ知らんようだ。奴が極めて巧みに嘘をついているのでない限り、束と関係があってISをまったく知らんというのでは辻褄が合わない」

 

「うーん、もしかしたら私、織斑さんを余計に混乱させる情報を持って来ちゃったのかな」

 

「いや。博麗について考えるきっかけを与えてくれたという点で感謝しているぞ――話を戻すが、知っての通り束の実家は篠ノ之神社だ。そして先の篝火の話によると、昔、神社と共に失踪した超自然的な力を操る少女がいたという。巫女を自称し、どこから来たか、誰が自分の背後にいるのか明言しない博麗もまた超自然的な力を行使できる……ここまで様々な事象が合致しているものを、出来すぎた偶然と片付けていいのだろうか」

 

「行方不明になったと思われてる不思議な力を使う少女が実は生きていて、霊夢ちゃんはその少女と同一人物か、祖先とか末裔みたいな極めて近い関係にある。そして神社繋がりで篠ノ之博士との間にパイプラインが確立している。今回のことは篠ノ之博士が何らかの意図をもって霊夢ちゃんをIS学園に送り込み、弾幕ごっこについてもすでに筒抜けになっている――織斑さんが危惧してるシナリオだと、こんな感じになるのかな?」

 

「あるいは束でなく亡国機業と結びつきがあるか――我ながら突飛な空想だと自覚はしているがな」

 

 取り越し苦労であってほしいものだ。千冬はそう自らの言を締めくくった。

 手にしていた白磁のカップを受け皿へと戻した千冬は、お前はどう思う、とヒカルノに尋ねる。他人の言葉よりも自身の判断を優先する千冬にとってこれは極めて珍しいことだった。ひょいと肩をすくめたヒカルノ、答えていわく、

 

「難しいところだねー。私としちゃ、霊夢ちゃんは篠ノ之博士とも亡国機業の連中とも無関係だと思いたいけど相手が相手、常人では推し量れない怪物だしなぁ……さっき話に出てたある人物ってのがどんな奴なのか訊いてなかったの?」

 

「博麗が言うには人間以外で、紫色をしているうえ深夜しか行動せず冬眠もするらしい。心当たりはないか?」

 

「いんや、まったく。お腹が真っ黒なウサギだったら心当たりはなくもないけど……ていうか霊夢ちゃんにもっと掘り下げて訊いてみれば一番早いじゃん?」

 

「それが最も早い方法ではあるが、訊かないと約束してしまった前言を翻すのは気が引ける。別段現時点では何が何でも知らねばならない訳ではないのだし、無理強いも出来ればしたくない」

 

「おーおー仲睦まじいねぇ。まるで恋人同士みたい」

 

「ふん。何をたわけたことを……」

 

 千冬は露骨な渋面を浮かべると、照れ隠しのようにして、置いたばかりのカップに再び手を伸ばしかけた。しかしその動きをはたと止め、ヒカルノをやぶにらみに睨んで低い声で尋ねる。

 

「おい篝火。お前、私と博麗のどちらを男側だと仮定してほざいた?」

 

「ああごめんごめん。親子って言おうとしたけど間違えちった」

 

「なお悪いわ馬鹿者が。そこは姉妹と言うべきだろう――だいたい、私はまだ博麗のごとき年頃の娘を持つような年齢ではないぞ」

 

「あ、実はけっこう気にしてるんだ?」

 

「……最近、博麗の奴が何かにつけて私を年増扱いしてきてな。もう少し年長者に敬意を払ったらどうだと注意したら、年寄りは労れということかとぬかしおった。その場で拳骨をくれてやったがあの向こう見ずな気質だけは何とかならんものか」

 

 溜息をついた千冬の表情がいかにも苦々しく歪んでいたのは、やたらに濃いコーヒーのせいばかりではないだろう。千冬が舌打ち交じりで愚痴をこぼすのを珍しく思いつつも、霊夢の人となりを知っているヒカルノは生意気な少女がいかにも言いそうな放言に、自身の膝をばしばし叩いて呵々大笑してみせる。

 

「あははは。まぁ若いコからしてみりゃ、ハタチ過ぎちまえばみんな年増だからねぇ。しかも仕事一筋で浮いた話のひとつもなしとくれば仕方あんめぇってなもんよ」

 

「何を他人事のように見下している。貴様とて私と同じようなものだろう」

 

「いたた、そこは否定できないなぁ。まぁでも今の仕事楽しいし、デートだ食事だって言い寄ってくる男連中を面倒だって流し続けてりゃお声がかからなくなるのも当然だわね。それでもそこそこ人生充実してるし、私ゃ当分機械が恋人でいいや。おっと、夜のって意味じゃないよ」

 

「やかましい。私にその類いの話を振るな」

 

 下世話な言葉に柳眉を吊り上げはしたものの、笑って語るヒカルノの飄々とした達観ぶりに千冬もまた呆れたように笑うのであった。

 

 後に続いたものは取り留めのない雑談である。忙しい合間、2人は息抜きをするように四方山話に花を咲かせたものだが、千冬とヒカルノの両者とも自分の仕事を失念することはない。同世代の者同士、世間話は大いに盛り上がっていたがヒカルノは適当なところで話を切り上げると、研究所に戻って制作を進める旨を告げる。そんな彼女を送り出した千冬は昼食も共に出来ない無粋を詫びたが、言いっこなしよとヒカルノは気さくに応じた。

 

 応接室の外までで千冬の見送りを辞退したヒカルノは、何かあったらまた呼んでくれと言い置いて、倉持技研第2研究所への帰路についた。

 

 残された千冬は再び応接スペースまで戻ると、ソファに腰を下ろす。そして革張りの背もたれに身を預けて目を伏せ、このまま仮眠を取ってしまおうかと考える一方、これからの展望についてまず思いを巡らせてみた。

 

 亡国機業。篠ノ之束。それ以外にも個人の愉快犯から反体制系グループまでと、IS学園に悪意をもって行動する不逞の輩は世界中に掃いて捨てるほどというか、掃いて捨てたいほどに存在する。監視、盗聴、通信傍受、盗撮、情報操作、懐柔、電子的および物理的不正侵入、脅迫――重要な情報は電子媒体を通さずアナログでのやり取りや保管を心がけているため、詳細までは未だ気取られていないと思いたいが、連中はそれらの非合法な手口でもって、千冬がアクションを起こしている情報を入手しているかもしれない。

 

 否、むしろすでに察知されていると想定して行動した方が安全だろう。常に最悪の状況を意識しておくことはリスクマネジメントの基本中の基本である。

 そしてそれは千冬たちIS学園だけでもなく、今回、一枚噛むことを表明した倉持技研に対しても同様であった。快く協力してもらった上に何度もIS学園へ足を運んでもらい、面倒な要求も嫌な顔せず引き受けてくれるヒカルノの厚意にはだいぶ助けられている。より端的に言えば、彼女たちの力添えがなければ、ISによる弾幕ごっこはとても実現しないだろう。もちろんそれが完全な善意によるものでなく倉持技研の台所事情による部分が大きいのだとしても、彼女の骨折りに報いるためにも、今回のデモンストレーションは必ず成功させなければならない。

 

 すでに公開の日は今月の末にまで迫ってきている。その間、情報周りは水一滴がしみ出す隙もないように固めなくてはならなかった。

 

(我々を妨害する敵とは何者が考えられるか? そしていつ、いかなる方法を用いてくるか――)

 

 腕を組み、足を組み、ソファの背もたれに身を預けつつうなだれ気味に頭を垂れ、目を伏せる。

 端から見れば眠りに落ちているか、あるいは自身の半生について哲学的に顧みているかに見える恰好でもって、千冬は今後現れるであろう敵対勢力への布石を検討する。ただしこの場合の今後とは少なくとも1日以上先のことであって、まさか今この瞬間、しかも敵対勢力の筆頭格が単騎で、おまけに直接殴り込んでくるとは夢にも思っていなかった。だからこそ千冬は、決して表層に出さなかったが、応接室の扉が前触れなくスライドして何者かが飛び込んできた瞬間、眠気が吹き飛ぶほどに驚いたものである。

 

「ちーちゃんやっほー! お邪魔するよーん!」

 

 底抜けに明るい声音で、そして声音以上に明るいテンションでもって応接室へ突入してきた闖入者は同族間で挨拶を交わすインディアンのごとくしゅたっと手を挙げ、入室の許可を得ることなくずかずかと踏み込んできた。一方の千冬は、苦虫の一個中隊をまとめて噛みつぶしたような渋面になって舌打ちし、片手で顔を覆い天井を仰いでしまう。

 

 いまだ瞑目したままではあったが、現れたのが何者であるかは、誰何を放つ必要も視認する必要もなく分かった。ちーちゃんなる単語で千冬を呼ぶ人間の心当たりは、幸か不幸か、ただのひとりしかないからだ。




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