東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land.   作:かぶらや嚆矢

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二ノ伍・

 いかにも申し訳なさそうに言いあぐねているヒカルノの様子から、芳しからざる結果が出ているのであろう事は容易に察せられた。不可能なのか、と千冬は隠しきれない落胆が滲み出た面持ちでヒカルノを見やり、霊夢もまた固唾を呑んで裁定を待っているようである。

 薫子を含めた整備科の生徒たちも、明らかに困惑した顔をしていた。

 そんな、あまりに重々しい空気が充ち満ちる中で、ヒカルノは頬を掻いたり、視線を泳がせたりして言い辛そうにしていた。そののち、ふう、と息をつき、覚悟を決めたような表情でもってひとつ頷いてから彼女が発した言葉は、このようなものだった。

 

「ところで霊夢ちゃん、あの弾幕ってどこで修行「先に結論を言え!」

 

 意図せず声を揃え、同じタイミングでもってヒカルノに突っ込みを入れてしまう千冬と霊夢。

 ヒカルノのはぐらかしを受けた千冬は眦を決して怒鳴り、霊夢はずだんと足を踏み鳴らし、その周囲にいた女子生徒たちはみな一様に、支えを失った人形のようにして崩れ落ちる。そんな様を、けらけらと指差しして笑うヒカルノの背後にあって倉持技研の研究者たちが、また所長の悪癖が始まった、と言いたげな表情で申し訳なさそうにしている。

 

「あはは、ナイス突っ込み! いやね、やっぱりこういう重要な話は昔の4択クイズ番組みたいに前フリを入れないと有り難みってもんがさー」

 

「博麗。やれ」

 

「やってやんよ」

 

 地獄の底から響くような低い声で促された霊夢はお祓い棒を手に、怨霊のごとき禍々しいオーラを撒き散らしながらヒカルノへと一歩、また一歩と詰め寄っていく。

 

「あー。うん、やっぱりタイムイズマネー。さくさく話を進めなきゃだね。人生は短いんだし」

 

 むしろ短い人生にされちゃたまらないよ。手を振りながら後じさるヒカルノが引きつった笑顔でそう言ったところで、罪人の首を刎ねる処刑人のようにお祓い棒を振りかぶっていた霊夢は得物をゆっくり降ろしてみせた。

 

「今度ふざけたら私が貴様を張り倒すぞ」

 

「千冬は手を出さなくていい。屋根も開いてるし、私がこの建物の外までぶっ飛ばしてやるから」

 

「ひえぇ、怖い怖い」

 

 千冬が発したKO宣言、および霊夢の予告ホームランに震え上がる素振りを見せた後で、ヒカルノはぱんと手を打った。ついで、それじゃお耳を拝借、と宣して周囲にいる人間の耳目を集める。

ネガティブな結果を伝えなければならないにも関わらず妙に明るいその声音に、千冬も霊夢も首を傾げてしまう。疑わしさを隠そうともしていない半眼になっている千冬と霊夢に睨まれながら、ヒカルノは言葉を紡いだ。

 

「結論を先に言うと、可だね。けっこう制約付きだけど現状でのIS用装備で弾幕っていうか、あの物理的なダメージを与えない光弾を再現することはできそうだよ」

 

 指をぴっと立て、はっきりした断定でもってヒカルノはそう言い切ってみせる。かかるお墨付きを受けた千冬は大きく目を見開き、霊夢は、ふわぁ、と気の抜けたような呻きを漏らしてみせる。緊張して判定を待っていた整備科の面々も気が抜けたようでにわかにざわめき始めるが、その声音はいずれも明るく彩られていた。そんな浮き立つような空気の中でちらと互いに視線を交わしあった千冬と霊夢だったが、最初に言葉を発したのは霊夢の方だった。いわく、

 

「驚いた。本当に弾幕を再現なんて出来るものなのね……あいえすがっていうか、あんたら何とか技研って大したもんだわ」

 

「すごいでしょー? 褒めて褒めて」

 

「私が褒めたのはなんとか技研! あんたのことは褒めてない!」

 

 気色ばむ霊夢だが、先ほどのそれとは違って安堵交じりの怒号である。しかし千冬はまだ手放しには喜べなかった。ヒカルノが前置いた制約の部分について得心のいく説明を受けないことには、半信半疑といった心境を捨てきれないのだ。

 

「少しいいか」

 

「はいな」

 

「先に篝火が言った制約というのは、どういう意味だ?」

 

 千冬が抱いた疑問は、しごく当然というべきものだった。かかる指摘を受けたヒカルノも待ってましたとばかりに首肯し、ひとつ咳払いを挟んでから語り始める。

 

「うん。じゃあそこをご説明申し上げましょう。まず最初に弾幕っていうかあの物理的ダメージが発生しない、より限定して言うとISに対してであれば物理的に作用しないエネルギー弾をどう再現するかについて説明するよ。まだ理論のうえでは可能っていうレベルでこれから煮詰めていく段階だから、今は話半分で聞いてほしいんだけど」

 

 そう前置いた後でヒカルノが語り出した説明は、要約するとこのようなものだった。

 

 ISには例外なくシールドエネルギーが備わっている。このエネルギーをゼロにすることが勝負の要諦であり、必ずしも機体を損壊する必要はない。すなわち数値上の問題であり、シールドにのみ選択的にダメージを与えれば良いのである。

 

 そこで倉持技研は、シールドエネルギーを吸収して自壊する弾はどうだという説を立てた。シールドバリアに接触していくばくかのエネルギーを吸い上げることで相手へのダメージとする一方、吸い上げたエネルギーと反応するか、もしくは許容量をオーバーフローさせることで光弾を自己崩壊させ、ISおよび搭乗者には実体ダメージを与えない――これであれば物理的損壊を伴わないで、数値の上ではISにダメージを与えたことになるのではないか、と。

 ただし言うは易く行うは難しというもので、実現させるのは言葉で言い表すほど簡単ではない。はっきりさせておくべきだろう。まず達成不可能と言い切って差し支えないほどの、極めつけの難題である。

 

 通常であれば。

 

 だが倉持技研には、彼らをおいて他の研究機関では絶対に活用し得ない切り札があったのだ。

 

「バリアにだけ反応して、シールドエネルギーに影響を与える。さて織斑さん、何か閃くところは

ないかな?」

 

「――零落白夜か!」

 

「大ピンポン。より正確に言うなら零落白夜の応用だぁね。エネルギーの塊をぶつけてシールドバリアを消滅させるんじゃなくて、接触と同時にバリアからエネルギーを吸い取り、かつエネルギー弾自身が消滅する。このへんの技術は白式開発でノウハウを積み重ねてきた、我らが倉持技研の独壇場さ」

 

「よくもそんな方法を思いつくものだな……」

 

「織斑さんが光球を殴り飛ばしてくれたのがヒントになったんだよ。逆に考えるんだ、反発し合うのではなく互いに融和し合うエネルギー弾はどうか、なんてね」

 

「勢いに任せての行動だったが、そう言ってもらえれば私も救われる。だが暮桜しかり白式しかり零落白夜そのものかそれに近いものを使用するとなると、自身のエネルギー使用量が膨大になるのではないか? 数発撃ってリミットダウンに達するようでは使いようがないぞ」

 

「そう。それを回避しようとすると、さっき言った制約の1つ目にぶち当たるんだ。どういうことかっていうと、ごめん、誰か紙とペン貸してー!」

 

 求めに応じてすぐに差し出された紙に、ヒカルノは大きな長方形を描いた。ついで長方形の中に線を引いて、長方形を10個の矩形に区分けしてみせる。霊夢と千冬、それに続き、後学のためにと整備科の女子生徒たちも押すな押すなとばかりに身を乗り出し、ヒカルノが描く図形を覗き込んだ。

 

「霊夢ちゃんにも分かりやすいようおおざっぱに説明するけど、この四角形全体がISの装備を格納できる領域のイメージだと考えてちょうだいな。んで、例えばマシンガンを装備しようとすると」

 

 言いながら、ヒカルノは10ある矩形のひとつを黒く塗りつぶす。

 

「きゅきゅきゅのきゅーっと。はい、こんな感じで装備領域のスペースがひとつ埋まるわけ」

 

 ここまでは分かる? と訊いてくるヒカルノに、うん、と首肯を返してみせる霊夢。

 

「よしよし。じゃあ今回のケースで考えようか。まず弾幕を撃つのに必要な銃本体で領域がひとつ埋まるよね。プラス、エネルギー消費量がとんでもない分、専用の大容量エネルギーパックを搭載する必要があるからもうひとつ埋まる。さらにエネルギー弾を発生させるジェネレーターとスタビライザーも必須。これだけあればとりあえず弾幕を張ることは出来そうだけど」

 

 ヒカルノはペンの尻でもって、矩形の半分ほどが塗り潰された長方形をこつこつ叩いた。

「一般的なイコライザよりも拡張領域を大幅に使うということか」

 

 ヒカルノが言うべき結論を先取りしたのは、顎に手を添え考える姿勢を作っていた千冬である。

 

「そう。しかもさっき挙げた4つは必要最低限の装備だからね。発生装置は使い回しが効くにせよエネルギーパックは何基あっても足りないくらいだから、大容量のラファール・リヴァイヴでも、3種類の弾幕を使えるかどうかってとこじゃないかな。機動性は完全に犠牲になるし、射撃戦向きかそうでないかっていうISごとの相性もあるから、打鉄なんかだと最悪1種類の弾幕しか使えない可能性もあるよ」

 

 ふむ、と呟く千冬。

「そんでこれがもうひとつの制約にリンクするんだけど、仕様上の問題もあるんだ。霊夢ちゃんが見せた全方向にぶちまく弾幕を再現しようとすると、ISの体型を威嚇するハリセンボンみたいにして、あちこちに銃口を向けた格好にしなきゃならない。ってことはISを最初からデザインしなきゃならないわけで、1ヶ月強じゃとても間に合わないよ。来月末までに間に合わすなら機関銃みたいな連射型と、スプレー状に拡散する散弾銃タイプの2種類の銃を製作するぐらいかな。あとは形とか大きさとか、弾そのものを工夫するぐらいだったら出来そうだけど」

 

「んー。よく分からないけど、私の弾幕を再現しようとしてもすぐには出来ないってこと?」

 

 難しい顔でヒカルノの説明に聞き入っていた――おそらく理解できていないのだろう――霊夢が

そう口を挟んでくる。かかる指摘に首肯を返した後でヒカルノ、続けていわく、

 

「そういうこと。時間をかければ、あの夢想封印 散だっけ? それだったら再現できなくもないけど、ただ他の弾幕はマジで勘弁して。座標を自動計算するホーミング弾とか、ワープして戻ってくる弾とか、超高速を維持したまま無反動で連射できる弾幕とかを再現しようと思ったら、残りの人生毎日徹夜したって間に合わないくらいだから」

 

 ヒカルノは冗談めかして笑ってみせ、周りの研究員たちも釣られて失笑するがしかし、その表情は一様に引きつっていた。このおかしな上司は必要とあればその手の命令を平気な顔で出すことを経験から知っているのだ。

 

 ともあれ説明を終えたヒカルノは、近いうちにサンプルを製作してIS学園へ参ずる旨を千冬に告げた。より詳細かつ技術的な説明をその時にすると約束したうえで、こう結ぶことで倉持技研第二研究所所長としての見解を発表する。

 

「ただ、今の話は全部ざっと計算した上での結果だからね。多めに見積もってる部分もあるし、きちんと計算すると、いろいろ変わってくるかもしれない。でも再現可能っていう結論はまず変わらないと思うからそこは安心してよ」

 

                    *

 

 倉持技研が自身の見解を示した後も、別の訓練機に乗り換えた千冬と霊夢との間で、弾幕戦のデモンストレーションが再び、そしてある程度の長時間にわたって繰り広げられた。弾幕についてなるべく多くのデータを取りたいから、という申し入れがヒカルノからあったためである。

 

 現状で採取できるデータをすべて確保し、測定の終了を宣言したヒカルノを初めとした倉持技研の面々に挨拶した後でシャワーを浴びて汗を流し、今度飲みに行こうなどとヒカルノらと世間話をしている内に時は過ぎ、時刻は間もなく夜になろうという頃合いになっていた。第6小アリーナを出た千冬は、今まで周辺を警戒していた有志のIS学園上級生たちに礼を述べて解散させてから、アリーナを後にする。

 

 後に残された撤収作業の監督については、整備科の生徒たちに一任してきた。

 

 押しつけたとも言えるが、将来の就職先として人気が高い倉持技研とコンタクトを図れるという大きなメリットが生徒たちの側にもあり、むしろ喜んで引き受けていたので問題はなかろう。特に黛薫子などは取材も兼ねて、勇んで倉持技研の輪の中に飛び込んでいた。

 

 今のうちに、将来もしかしたら上司になるかもしれない人物がどういう手合いであるのか見定めておくのも必要なことだといえる。

 

 第6小アリーナから離れ、霊夢と肩を並べて歩く。そろそろと宵の入りを感じさせる涼しい風が吹き一番星が瞬き始めるころ。生徒たちはすでにみな帰寮を済ませた後のようで、学園敷地内の遊歩道を行く人影は、千冬と霊夢を除いて他に誰もいなかった。千冬はバッグを肩にかけ直し、霊夢を伴って弾幕ごっこの作戦本部と呼ぶべき茶道室まで戻ることにする。その道程、歩きながらの話題に上がるのは、やはり今日の弾幕ごっこについてであった。うーん、と、組んだ両手を頭上に上げて伸びをしてみせながら、霊夢がおもむろに切り出してくる。

 

「よかったじゃない。あいえすで弾幕ごっこを再現できそうだって」

 

「そうだな、まずは一歩前進と言ったところか。正直なところ夢物語で終わる覚悟もしていたが」

 

「といっても一万歩ある内の一歩目。まだまだ先は長い」

 

「しかし前へと進み出したことに変わりはない」

 

「そういうこと。あとの問題は制約うんぬんについてよね。何を言ってるのか話が難しくてほとんど分からなかったけど、大丈夫なのかしら」

 

「私はさほど心配していないよ。実現が困難なればこそ挑戦する価値がある。そう思えるのだからおそらく幸いなことなんだろう」

 

「前向きね。そういうの嫌いじゃないわよ」

 

「さてな。ただ意地を張って強がっているだけかもしれんぞ」

 

「そうなの? 弱音を吐かないのは格好いいかもって私は思うけどなぁ」

 

「……いろいろな角度から攻めてくるなお前は」

 

 屈託のない霊夢の褒めちぎりに照れくささを感じた千冬は、少しだけ居心地悪そうな顔をして視線を逸らしてしまう。ひとつ咳払いをした後で千冬、話題を変えていわく、

 

「挑戦と言えば、霊夢が最後に見せたラストスペルだな。それなりにうまく捌いたと思っていたが結果は避けきれずだった。私の敗因はどこにあったんだ?」

 

「簡単よ。千冬、今までと同じように弾幕を見て避けようとしてたでしょ? 夢想封印 瞬はのんびりしてたらあっという間に囲まれるようになってるのよ。避けるために必要なのは予測と誘導。あるいは私を速攻で倒すか。とはいえこればっかりは経験が物を言うから、今の時点で千冬が手も足も出せなかったのは当然なんだけど」

 

「よく粘った方だと自負しているが、経験が物を言うか。そう言われれば返す言葉もない」

 

「あれは本当にとっておきの弾幕なんだから。初見で攻略されたら、私がショックで立ち直れなくなっちゃうわよ」

 

 霊夢は笑いながら言葉を続けた。いわく、

 

「ちなみに。瞬は複合型だけど、全部の弾幕を完全にひとまとめにしたスペカもあるのよ。全体にばらまかれた札弾が散以上のスピードで収束して飛んでくる。しかも私の姿も見えなくなるから、どこから撃たれるかも分からない。夢想天生っていう名前だけど、試してみない?」

 

「お前それは、私に死ねと遠回しに言っているのか」

 

「そんなこと言ってないわ。また軽くやっつけてあげるって意味よ」

 

 にしし、と笑う霊夢。先とは違う、邪な下心が透けて見えるような笑い方である。

 

「でも、初見なのにあそこまで粘られたのは本当に驚いたわ。もし千冬も攻撃OKのルールだったら私が負けてたかもしれない。ま、今回は引き分けに持ち込んだけどさ」

 

「私から見れば最後はともかく、手加減されての引き分けだがな……なぁ。勝負は引き分けという形で決着したが、篝火のことは水に流してやってくれないか。あいつはいささか人格的にアレだが別に悪意がある奴ではないんだ」

 

「もう気にしてないわよ。よくよく考えてみれば、名前の最後が『ルノ』で終わる奴ってたいていおバカしかいないんだし」

 

「そう言ってもらえれば仲裁に入った甲斐もあるが、馬鹿だとあまりストレートに言ってやるな。気を遣って言葉を濁してやった私の立場がないではないか」

 

 霊夢がヒカルノの他に誰を槍玉に挙げているかは分かりかねたが、その直言ぶりは健在であるらしかった。眉を潜めて霊夢を見下ろす千冬だが、翻って、良くも悪くも純真に過ぎる少女は不思議そうに首を傾げるばかりである。もう少し年長者に対する礼節を身に着けるか、または世辞と本音を使い分ける程度の世間慣れはしてもらいたいというのが偽らざる本心であったが、千冬はそれについては特に言及せず聞き流すと、さらに話を進める。いわく、

 

「ともかくだ。あいつの奇行を見逃してもらう見返りと言うわけでもないが、お前が言っていた訊きたいことというのは何だったんだ? 私で答えられることなら答えてやるが」

 

「あら。訊いてもいいの? 私が訊きたいのは篠ノ之束とのことなんだけど」

 

 霊夢の言葉を受けた千冬がこのとき見せた反応は特に記しておくべきだろう。彼女は右眼を訝しげに潜めて左の眉を吊り上げるという、明らかに困惑した表情でもって、ほとんど凝視するように霊夢を見やった。信じられないものを見るような目つきで霊夢を見据えながら、千冬は足を止めて押し黙る。霊夢が束の名前を口にしたことで動揺を催した千冬は、もしかしたら自分自身でも立ち止まっていることに気付いていなかったのかもしれない。

 

「篝火から何か吹き込まれたと言っていたから私の昔話になるとは思っていたが、ここであいつの名前が出てくるとは予想だにしていなかったな。束のことも、篝火から聞かされたのか?」

 

「大したことは話してないけど」

 

「――ちっ。あの喋りたがりめ」

 

「もしかして他人には話したくないとかそういう感じ?」

 

「特にそういう訳ではないんだが……」

 

 難しい顔をして黙り込む千冬。何をどこまで話したものか、と考えるが、分かることは答えると言ってしまった手前、今さらなかったことには出来ないし、自分自身に関することだから話題的にはぐらかすのも難しそうである。諦めたように息をついた千冬は、薄墨を流し込んだような藍色に暮れつつある空を仰いでぽつりと呟くように答えた。

 

「……そうだな、いい機会だ。今後のこともあるし霊夢にはある程度あいつについて話しておいた方がいいかもしれん。歩きながらする話でもないから時と場所を改めて、ということでいいか?」

 

「あ、じゃあ昨日行ったお店にまた行こうよ。お魚食べたい」

 

「そんなに気に入ったのか」

 

 呆れたように答えつつも、千冬は霊夢からの提案を了承する。ついできびすを返すと、茶道室にではなく学園正門の方へと足を向けた。

 荷物を置くためだけに茶道室まで戻り、取って返して再び外へ向かうのも二度手間だし、かくいう自分もそろそろ小腹が空き始めている。それに特に気取った店でもないので、このまま入店しても咎められるようなことはないだろう。

 

「ならば、このまま店まで繰り出すとしよう」

 

「今日こそは私にもお酒飲ませてよ。お酒があれば話しやすいし、千冬の奢りで勝利の美酒をっ」

 

「ガキが生意気をぬかすな。お前は私を失業させたいのか」

 

「痛い!」

 

 隣を歩く霊夢の放言に苦笑を誘われつつ軽く小突いてやると、叩かれた頭を押さえて彼女は不満そうに唇を尖らせてみせた。

 

 千冬と霊夢、両者の間には年齢差も身長差も開きがあり立場もまったく異なっていたが、端から見れば気の置けない友人同士にしか見えなかっただろう。少なくとも千冬は、そう見られることを厭わしく思わなかった。彼女が思うことは2つだけ。久方ぶりに現れた友人と呼べそうな人物が年端もいかない少女だったことを驚く気持ちと、もう少し歳が近ければ酒を飲み交わせるのだが、と残念に感じる気持ちである。

 

 一夏はじめ教え子たちの今後、ISと弾幕ごっこの未来、束や亡国機業の暗躍。心を砕かなければならない憂鬱な事案はいくつもあったがしかし、霊夢の協力を取り付けられ、弾幕ごっこをISで実現する目処が立った今、まぁ何とかなるだろうと大きく構えられるだけの余裕が出来ていた。

 

(懸念もあるにはあるが、こいつとだったら何でも出来そうだ)

 

 根拠なくそんな楽観的な気持ちにさせてくれる手合いも、いるところにはいるものなのである。

 結局その日、霊夢を連れて暖簾を潜った店では束との関係を話さなかった。魚の旨さに味を占めた霊夢が「千冬の奢りだから」という理由で品書きにある料理を次から次へと注文し、込み入った話をするような雰囲気ではなくなってしまったのだ。少なくとも千冬は、忙しく箸を操りながらも隙あらば千冬の酒を奪い取ろうと、虎視眈々と狙う霊夢の足を机の下で踏みつけることに忙殺され束について何かを話すような余裕などなかったのである。

 そんなせめぎ合いを挟みながらの夕食だったから、霊夢とどんな会話を交わしたのか千冬はほとんど覚えていなかった。たぶん心に留め置くほどの価値もない与太話だったのだろう。ただ、恨めしそうな顔をする少女をからかいながら飲んだこの日の酒が妙に旨く感じたことだけは、強い印象として千冬の中にいつまでも残ることになった。

 

 




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