東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land.   作:かぶらや嚆矢

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二ノ参・

 測定器やセンサー、あるいはデジタルスコープといった観測機器の砲列が照準を合わせている第6小アリーナ空中にあって改めて霊夢と正対した千冬は、ピットの方を向いて、片手を挙げてみせた。かかる合図に呼応して、アリーナの天井となっていた強化ガラス製のプレートが地響きのような駆動音を立ててゆっくりスライドし、収納部へと格納されていく。

 

「おー……すごいすごい。空が割れてくみたい」

 

 空を仰ぐような格好で天井が格納されていく光景をじっと見ていた霊夢は、小アリーナの屋根が完全に取り払われた後で千冬の方へ向き直って尋ねた。

 

「天井を開けるように言ってくれたの?」

 

「うむ。これでお前も気兼ねなく十全に力を発揮できるだろう」

 

「お気遣いどうもね。これであとは、下に人間とか機械とかがなければ完璧なんだけどなぁ」

 

 ちら、と眼下を見やる霊夢は、スカートの裾を押さえながらどこか面映ゆそうにもじもじしている。ヒカルノに煽られたせいで邪な視線を向けられてはしないかと気を揉んでいるのだが、彼女が晒し者にされたことなど知るよしもない千冬は、霊夢は他者から注目されるのに慣れていないのだろうとシンプルに解釈していた。

 

「なんか落ち着かないわ」

 

「それはあるな。お前は倉持技研から、私はあいつらから注目の的にされているわけだ」

 

 苦笑まじりに言って千冬はアリーナ観客席の方へ目をやり、霊夢もその視線を追いかける。

 

 先ほどまでピットで千冬のIS調整を手伝ってくれていた整備科生徒たちが、ブリュンヒルデの再誕を間近で一目見ようと欲して、我先にと観客席最前列に集まってきていた。

 

 頬を上気させて夢見心地の面持ちでいる者。興奮して側にいる生徒と手を取り合ってはしゃぎあう者。極端なレベルになると、感極まった表情で涙ぐんでいる者さえいた。その中には、整備科のエースにして新聞部副部長である黛薫子のごとく「せっかくの決定的瞬間なのにカメラがないなんて!」と別の意味で落涙して地団駄を踏んでいる手合いもいるにはいたが、少女たちはそれぞれの表現方法でもって、千冬がISを身に纏い操縦している姿を目撃できた感激に打ち震えている。

 

「大人気ね」

 

「ただ攻撃を避けるだけだから見るべきものなど何もない、と言っておいたのだがな……やはり、あらかじめ追い出しておいた方がよかったか」

 

「うーん。無理に隠そうとするとかえって逆効果なんじゃないかなぁ」

 

「私もそう思ったから好きにさせておいたんだが」

 

 なぜこうも馬鹿者が多いのか、と呆れきって溜息をつく千冬。ここで見たものは決して口外するなと厳命してあるので外部に漏れる心配はないと思いたいが、それにしても、ここまで感動されるとさすがに気恥ずかしいものがある。

 

(まったく物好きなことだ。IS学園のいち教師が訓練機にただ搭乗しているだけだというのに……私はカルト宗教の偶像か何かか?)

 

 そう感想を抱く千冬がこのとき弾幕ごっこの戦装束として選んだ機体は、かつて世界中が注目する中で大立ち回りを演じた白騎士でなく、モンド・グロッソにおいて世界を征した暮桜でもなく、その汎用性の高さと優れた機動性で世界第三位の普及率を誇る量産機ラファール・リヴァイヴだった。とはいえ戦闘目的ではない今回においては、スラスターと四肢を覆う装甲部以外の砲火兵器をすべて外して軽量化、省エネルギー化を図った、中身が空の『飛翔する武器庫』である。

 

 倉持技研や整備科生徒が見守るなか、2人はしばしの間、めいめいの形で弾幕戦に備えた。首を左右に倒したり腕を回したり、あるいは腰を捻ったりと空中で軽いストレッチをする霊夢と、加速減速を交互に繰り返しながら彼女の周りを大きく距離を取って旋回し、記憶の底からISの操作感覚を呼び起こす千冬。

 

 ただのウォーミングアップでも観客席から黄色い歓声が上がるのに辟易しつつ、だいたいの感覚を取り戻したところで千冬は旋回飛行を切り上げて霊夢の正面まで戻り、彼女に呼びかけた。

 

「待たせたな。いつ始めてもらっても構わんぞ――お前のタイミングで戦端を開いてくれ」

 

 はいはい、と応じた霊夢は右手を袖の中へと差し込み、スペルカードなる札の束を取り出す。

 

「使うのは3枚、計測しやすいシンプルな弾幕にしておくわ。一応確認しておくけど、私はスペカだけ使って千冬は攻撃なし。制限時間はスペカ1枚につき60秒ね。禁じ手は弾幕が届かないところまで逃げること、極端に上昇や下降して弾幕を飛び越えたり潜ったりして避けることぐらいかな。勝ち負けについては、言わなくても分かってるよね」

 

「弾幕を3回無事に避けきれば私の勝ち。途中で行動不能になったら霊夢の勝ちでよかったか?」

 

「そういうこと。あんまり歓迎しないけどお客さんもいることだし、いいとこ見せなきゃね」

 

「互いにな」

 

「ところで。私頑張っちゃうから、観客におひねり投げる用意しておいてって言ってくれない?」

 

「馬鹿者」

 

 あまりに緊張感に欠ける霊夢に微苦笑を誘われつつ、彼女のすぐ前まで近寄った千冬は握り拳を突き出した。最初は何のつもりか分からずきょとんとした霊夢だったが、すぐに意を汲むとお祓い棒を握ったままの左手で拳骨を作り、手部装甲に覆われた千冬のそれに軽く当ててみせる。

 

 互いの闘志を確認しあった後で千冬は霊夢から離れ、10メートルほどの間隙を保って静止した。そして霊夢もまた泰然とした動きでもって、スペルカードを構えた。

 

 アリーナへと降り注ぐ茜色の陽光を浴びて、霊夢の掌中で1枚の札が輝きを増していく。

 

「霊符――」

 

 常とは打って変わった、凛として気合いに満ちた声だった。

 

 一瞬で平時から戦闘態勢へと意識を切り替えられることは、優秀な武人の必要条件である。光り輝くスペルカードを手に瞑目する霊夢は、その幼さが残る容貌に反して、いくつもの修羅場を駆け抜けてきた歴戦の勇士然とした風格を感じさせた。

 

 彼女の気の高まりに触発され、千冬もまた集中を研ぎ澄ませる。開戦の近きを察して観客席の方から、あるいは眼下の観測者たちからざわめきが起こるが、千冬の五感は霊夢を除くすべての存在をシャットアウトしていた。霊夢以外に気を取られている余裕などない。千冬もまた優秀な武人であったため、霊夢がいかに強敵であるかを正確に看破していたのだ。

 

 濃密な緊張感が漂う中、すっと目を開いた霊夢がカードを高く掲げ、攻撃開始を宣言する。

 

「『夢想封印 散』!!」

 

 かかる宣言と同時にスペルカードが烈光を放ち、消失した。

 

 刹那、霊夢を中心に弾幕の境界ともいうべきフィールドが展開されていく。それに呼応してか、眼下の研究者たちがにわかに慌ただしく動き始めるのが視界の端に映った。フィールドそのものは不可視であるため視認できないが、すでに機能障害を起こし始めているハイパーセンサーに調べさせると、なるほど確かに、千冬と霊夢を含めた空間を立方体状に覆うようにして何らかの力場が形成されているようである。

 

 このフィールドより外に出るとセンサーが正常に戻る代わり、先に定められたルール上では反則負けという扱いになるのだろう。

 

 千冬がそちらの方へ意識を奪われたほんの僅かな瞬間、霊夢の方から赤白二色の閃光が迸った。

 

 来るか、と改めて気を引き締めようとした千冬だったが、そう考えたときにはすでに霊夢による弾幕の第一波が眼前まで到達していた。

 

「っ!?」

 

 予想外の速さに面食らった千冬は何が飛んできたか確認するよりも先に、高速で迫ってきたそれを条件反射的に躱す。

 

 そののち改めて、霊夢が放った弾幕をよく見てみた。

 

 一抱えはあろうかという大きさをした赤い球状の光弾、そして御札の形をした赤白二色の四角い弾が霊夢を中心にして四方八方へと撃ち出されていた。光弾はまっすぐ直進するだけのシンプルなもので、ワープしたりカーブがかったり、ブーメランのごとく戻ってきたりということはない。

 

 ただ、その弾速が恐ろしく速いのだ。赤、ないし白い光が閃いたと思った次の瞬間にはすぐ目の前まで光弾が迫ってきており、コンマ数秒の見切りでもって軌道を判断し、回避することを強要される。そのうえ弾数そのものも決して少なくはなく、ある程度密集して迫ってくるため、それなりに大きく動いて躱さなければならない。

 

 物量とスピードに物を言わせた、まさに力押しとするにふさわしい弾幕だった。

 

 ハイパーセンサーを封印されている以上、命中する軌道か否かは目で見て判断するしかないが、それでは遅すぎる。事実、とっさに避けられたのは初撃のみだった。鋭敏化された五感でもって弾道を見極めてから避けることを試したがことごとく動作が間に合わず、開始早々だというのに早くも数度被弾してしまいシールドエネルギーが僅減していく。

 

 初めて接触した光弾はシャルロットの所見どおり、触れたところで熱も痺れも感じない。これが生身であれば別だろうが、シールド保護されている状態ならば多少の衝撃を感じるくらいで、痛みとするには遠く及ばない。

 

 だが、物理的なものよりも、思い描くイメージどおりに体を動かせないで弾幕に接触してしまったことにこそ千冬はショックを受けていた。

 

「ちっ……私もヤキが回ったか」

 

 舌打ちし、苦々しく吐き捨ててしまう。腕は錆び付かせてないと霊夢には見得を切ってみたものの、やはりISから遠ざかっていたことでブランクが生じた面がある事実は否定できなかった。

 

「――だが!」

 

 千冬はわずかに左へと、滑るように飛行した。

 

 次の瞬間、赤い光弾と札弾が物凄い勢いで右脇をかすめていく。そう、いくら陰りがあるとはいえ実力的に衰えたわけではないし、錆び付いていたとしても朽ち果ててはいない。これまでの経験で培われてきた戦闘感覚は、いまだ健在なのだ。

 

 乱れ撃ちと呼ぶべき勢いと量で放たれる霊夢の弾幕を、千冬は自身の直感を頼りにしてひたすら避け続けた。1ヶ所に留まることなく占位位置を変えつつ、シャルロットがしてみせたような当たりそうな弾を最小限の動きで回避する動作を繰り返すうちに、少しずつではあるが勘を取り戻してきたようで、頭でイメージしたとおりに体が動き始める。

 

 そうするうちに、千冬の中でブランクが埋まるのとは別種の変化が生まれつつあった。

 

(懐かしいな。この気分)

 

 ISを自分の手足のごとく操れるようになってくるにつれ、脳の芯まで痺れるような、久しく感じていなかった快美感が徐々に込み上げてくるのを千冬は抑えきれないでいた。

 

 ISによって五感を研ぎ澄まされる感覚、耳を打つ観客の声、自分と競り合える実力を持つ相手。絶え間なく続々と放たれる弾幕を避けるごとに、一瞬の回避に全神経を傾けるごとに、勝負勘を取り戻していくごとに、忘却の底に沈めてあったはずの過去の自分に近付いていくような気がした。

 

 力に傾倒していた時期に逆戻りするのではないかという危惧と、心のどこかにあった、昔みたいに後事を気にせず自由にISを駆りたい願望が満たせそうだという悦びがない交ぜになった、複雑な心境の変化。弾幕の火線上にあって、千冬は胸と背中の真ん中あたりに心地いいのか悪いのか判断しにくく、何とも扱いに困る気分の昂ぶりがわだかまっているのをはっきりと感じていた。

 

(弾幕云々ではなく、再びISに乗れることを喜んでいる、のだろうか)

 

 遠い昔、もう二度とISに乗ることはないと誓ってISを降りて以来、それが正解なのだと自分に言い聞かせてきた。その頃から感じていた空虚感が、今こうしてISを駆ることで、最後のピースをジグソーパズルにはめ込んだ瞬間のごとく満たされている。

 

(……やはり私は、ISからは一生逃げられないのだな)

 

 思わずそう嘆じてしまうが、ただし千冬は、これまでと違って悲観するつもりはなかった。

 

 ISの呪縛から逃れられないならば、いっそ自らその只中へ飛び込み、自分が思うままにISの在り方を変えてやる。霊夢のおかげで、今はまだ蜘蛛の糸のごとく細いとしても、変えていけるきっかけを掴むことができたのだ。

 

 あとは自分が、弾幕と心中する覚悟をどこまで決められるかだろう。

 

 ISという力の象徴から目を背け、そして背を向けて逃げ出したことで決別できたと思い込もうとしていたが、自分が撒いた種なれば自分で始末を付けなければならない。そのため、殺し合いめいた運用方法が普遍的になってしまっている現状を変えるべく、弾幕ごっこについて少しでも貪欲に学び取る必要があった。たとえ親友と袂を分かち、世界に誤った風潮を蔓延させるきっかけとなったISにしがみつき、再び力を欲することになるとしても、だ。

 

(決別したと言ってみたり、再び欲したり……我ながら何とも業が深いことだが)

 

 そう思わずにはいられなかったが、千冬はそれでよしとした。汲めども尽きない業を修めるため一意専心して事に励むことこそ、世に修行というのだ。そしてひとりきりで闇雲に突っ走っていた昔と異なり、今は霊夢という先駆者がいる。

 

(弾幕を会得し、行けるところまで行ってやるさ――袖すり合うもなんとやらだ。私のエゴにとことん付き合ってもらうぞ、霊夢!)

 

 再度、霊夢から弾幕が撃ち出された。何を狙うでもなく、ありとあらゆる方向へと高速でばらまかれる光弾のうち、自分の方へ殺到してくる紅白光弾をきっと見据えたまま、千冬は逃げも怯みもせず弾幕の真正面に立ちはだかった。千冬に直撃する! 観戦している誰もがその瞬間を思い描いた中、千冬は無造作に拳を外向きに払ってみせた。

 

「――わお」

 

 弾幕を放つことを止めた霊夢から感嘆の声が上がる。

 

 あろうことか、裂帛の気を伴った拳の一薙ぎだけで、千冬は正面から迫り来る弾幕を弾き飛ばしてしまったのだ。無理やり軌道を曲げられた赤い光弾はあらぬ方向へと飛んでいき、フィールドの端あたりに達すると、細かな光の粒子となって雲散し、空気に溶け込むようにして消えていった。

 

「またそういうルールにない事するー。ていうか、弾幕を凍らせるならまだしも殴り飛ばす奴なんて初めて見たわよ。あいえす装備してる奴は弾幕ごっこのルールを無視しなきゃいけないっていう決まりでもあるのかしら」

 

 両手を腰に当てた格好で、霊夢は千冬に文句を言ってみせる。

 

「すまないな。少し気分が昂ぶってしまい何かで発散したかったんだ。ルールを無視するつもりはなかったのだが」

 

 発散? と霊夢は訝しげな表情で首を傾げてみせるが、それ以上何かを訊いてくることはなかった。彼女はもとより勘が鋭く、短い会話の中でも何か斟酌するものを感じ取ったのだろう。不満顔だった表情を和らげると霊夢は文句を続ける代わりに、こう言葉を繋いだ。いわく、

 

「よく分かんないけど、でも、なかなかどうして急にいい顔に変わったじゃない」

 

「そうなのか? 自分ではよく分からんが」

 

「なんていうか、憑き物が落ちたみたいな顔してる。何かいい事でもあったの?」

 

 いい事という訳ではないが、と返した千冬はわずかに言い淀んだ後で言葉を続ける。いわく、

 

「一から出直す覚悟ができたというか、自分の中で気持ちに区切りがついたせいかもしれんな」

 

 千冬は霊夢を見据えたまま、迷いなく答えてみせた。

 

「ふーん。何にどう区切りがついたか分かんないけど、きっといい事なんでしょうね。千冬もやる気になったみたいだし今回は特別に見逃してあげる。じゃあ仕切り直しよ!」

 

「ああ。遠慮なく来い!」

 

 霊夢はお祓い棒を振りかぶった。テイクバックの姿勢を取って溜めを作り、数瞬の間を置いてから得物をなぎ払う。勢いを付けて放たれた紅白の弾幕はこれまでのものよりも大量の弾数をもってさらに広範囲へと撃ち出された。

 

 まさに光の矢となって迫り来る超速の弾幕はしかし、往時の感覚とテンションを取り戻し、さらに迷いを断ち切った千冬にわずかの動揺も与えなかった。巧みな急加速と急制動、ミリ単位での見切り、鋭角的な軌道変更をもって、怒濤のごとく押し寄せる弾幕の縁をかすめるように千冬は素早くポジションを変え、安全地帯を探し出すや果敢に飛び込んで弾幕の塊との接触を避け続ける。

 

 これまでの勝ちを拾いに行くような無難な避け方でなく、弾幕の渦中に自ら飛び込んでその激しさを楽しむような動き方だった。恐れも逡巡もなく機を見るに敏。一瞬の決断を迫られるなかでも行動の取捨選択は正確で、危機に際しては果断を極める。光弾が密集する空間でまったく怯まずに高速飛行を敢行できる思い切りの良さ、動かずに回避できると見なせば被弾寸前まで光弾の到達を待てる度胸の良さは弾幕ごっこに熟達したエキスパートのようで、霊夢を大いに感嘆せしめたものである。

 

「さすがにいい動きするじゃない! もと世界最強の称号は伊達じゃないね!」

 

 千冬を褒めながらさらに弾幕を放つ霊夢は、逆境や土壇場など追い込まれた状況にあってかえって奮い立つタイプなのだろう。彼女の弾幕は放たれる回数を重ねれば重ねるほどにその数と密度、そして速度を増していく。それにつれて被弾数もわずかに増えるが、防戦側に回りつつも主導権を握って霊夢を翻弄していた千冬は、撃墜されることなく規定時間を耐えきったらしかった。

 

 霊夢のスペルカード宣言から60秒が過ぎたところで、紅白の弾幕がすべて消失する。

 

 同時に、不可視のフィールドによって正常な動作を阻害されていたハイパーセンサーもその機能を取り戻す。どうやら1枚目のスペルカードを無事にしのいだようだった。攻撃が止んだところでシールド残量を確認すると、被ったダメージはシールドエネルギー全体の1、2割ほど。実体への影響は言うに及ばない。大した被害なく夢想封印なる弾幕を攻略したのである。

 

「集中していると1分というのは短いものだな。もう終わりなのか?」

 

「むっ」

 

 千冬を仕留め損ねた霊夢は少しだけ憮然とした顔をしてみせたが、常と変わらず飄々とした調子は崩していない。手加減すると宣言した以上こうなることを予想していたのか、それとも千冬の実力を鑑みてこれぐらいの成果は当然と思っているかは判然としないが、マイペースな巫女は構えていたお祓い棒をいったん下ろし、言葉を続けた。

 

「まぁいいわ。それにしても千冬、なかなかやるじゃない。腕が錆び付いてるって言ったのは撤回しなきゃね」

 

「意外とそうでもないぞ。特に当初は思い通りに体が動かなくて苦労した」

 

「歳だから仕方ない」

 

「おい」

 

「でもあの、昨日戦った奴らとは比べ物にならないわよ。本格的に弾幕を学べば私と互角に戦えるレベルぐらい強くなれるんじゃない?」

 

「ふむ。ぜひそのくらいになるまで鍛えてもらいたいものだ」

 

「それは追々ね。といっても、最初の問題はあいえすで弾幕が撃てるかどうかなんだけど。下の連中、ぼんやりしてこっち見てるけどちゃんと計測できてるのかしら」

 

「……ああ。そういえば今は計測中だったか。弾幕を避けることに集中していたからすっかり忘れていた」

 

「ちょっとちょっと。あんた本当に歳なんじゃないの? しっかりしてよね」

 

「ルールの破りついでだ。私から攻撃しないというルールも破ったところで別段問題はないな」

 

「駄目。それだけは絶対厳守」

 

 笑いながら両手を交差させてみせた霊夢、ふっと声の調子を変えていわく、

 

「ふふっ、少し安心したわ。弾幕ごっこの何たるかをちゃんと分かってるみたいだから」

 

「どういうことだ?」

 

「もし気付いてなかったら後で言うつもりだったけど、千冬、最初の方はなんかこう、マズい物を我慢して食べてる時みたいなしかめっ面で弾幕を避けてたじゃない」

 

「……会った時から感じてはいたが、お前、けっこう辛辣なことを言うな」

 

 千冬は霊夢の口さがなさを真面目に心配して忠告したが、霊夢の方は、そうかなぁの一言で済ませてしまう。今ここでなにがしかの指導を施すべきか千冬は逡巡するが、千冬が何かを言うよりも霊夢が話を進める方が早かった。

 

「それでも後の方は楽しそうに避けてたからね。弾幕ごっこは喧嘩じゃない。知的で美しく――」

 

「知っている。人間でもそれ以外でも平等に楽しめるこの世でもっとも無駄なゲームであり、楽しまなければ損なのだろう?」

 

 その通り、と霊夢は満足そうに頷いた。

 

 そう、楽しいのだ。肌がひりつくような緊張感の中で、一見しただけでは突破不能とも思える弾幕から蟻の一穴となるスキマを見つけ出し、一瞬の判断で行くか待つかを秤にかける。行けるとみれば怯まずに突貫し、待つなら待つで、迅速に次なる手を模索する。60秒という時間の中で幾度となく繰り返されるせめぎ合いそのものも楽しいが、弾幕をくぐり抜けることで自分の力と勇気を試されているような感覚が何よりも快かった。

 

(なるほど。デュノアが面白いと評するわけだ)

 

 千冬は何となく、子供の頃に男子と混じって興じていたドッジボールを思い出していた。

 

 大袈裟にボールから逃げてみたり、あるいはわざとギリギリまでボールを引きつけて避けてみたり。時には思い切りボールを放ってみたり。ぶつけぶつけられという関係であってもぶつける側に悪意はなく、ぶつけられた側も闘志が湧くことはあっても相手を恨むこともない。

 

(ゆくゆくは私もぶつける側になりたいものだな)

 

 その様を想像して、千冬は笑いそうになってしまう。いつか自分が編み出した弾幕で霊夢をうろたえさせ、打ち負かすことができたならば、それはきっと実に愉快なことだろう。

 

「さてさて、お次のスペカは昨日と同じものよ。余裕があったら被弾ゼロを狙ってみたら?」

 

 言い置いて、霊夢は2枚目のスペルカード『夢想封印 集』を宣言した。

 

 先のスペルカードと同じく全方位へばらまかれる赤い光弾のみならず、散開したあと高速で1ヶ所へ殺到して追いかけてくる札弾のコンビネーションで、シャルロットを降伏させた弾幕である。

 

 タイミングをずらして変則的に襲ってくるうえ、これもまた時間が経過するにつれてその数を増やしていく札弾に肝を冷やしはしたが、赤い光弾の速度が速くはないことに加え、攻撃パターンを昨日一度見ていたことで、あらかじめ対策を立てられていた千冬の方に分があった。遅い光弾に注意しつつ札弾のストップアンドゴーに対して意識を主に向けることで致命的な直撃だけは避ける。被弾ゼロの完全勝利とはいかなかったが、後々に影響を及ぼすようなダメージを負うこともなく損傷軽微のうちに逃げ切り、2枚目のスペルカードも攻略してみせる。

 

 続いて霊夢が3枚目に選んだ『二重結界』もまた、すでに千冬の前で披露されたことのあるスペルカードであった。

 

 前方から押し寄せてくる赤い札弾は目で見て避ける。ワープしたのち軌道を反転させて背後から迫ってくる白い札弾は、初めのうちは消失と出現のタイミングが掴めず何度か接触してしまったがタイミングさえ掴めてしまえば避けることは難しくない。いちいち背後を振り返ることなく勘だけで避けられるまでになる。

 

 二重に展開されて強度を増したフィールドの影響でハイパーセンサーが完全に沈黙してしまっているため、諸々の計算を自分で行う手間はあった。また、機体制御もダウンしているせいか正常な動きも阻害されていたがしかし、くちばしの青い代表候補生とは違い、千冬は桁外れの稼働時間を誇るIS操縦者である。諸々の不具合を感じさせないような鋭敏な動きでもって、箒とセシリアの2人を同時に相手取って容易に撃退せしめた弾幕を大した被害なく避けきってみせる。

 

 ここまでの被弾数は知れたもので、シールドエネルギー残量は70%オーバー。すでに見たことがある弾幕でしかも手加減されていたという点を差し引いても、終わってみれば千冬の楽勝といって遜色ない結果だった。

 

「あーあ私の負けか。3枚でもいけると思ったけど、ちょっと甘く見すぎてたわね」

 

 さして悔しそうな様子もなく霊夢がそう称賛してくるが、千冬としては、手放しに喜んでいいものか複雑なところだった。スペルカードの選択といい霊夢の口振りといい、勝負という体裁を取りつつも霊夢は明らかに真剣味を欠いていた。逃げ切れたことに安堵する気持ちも充実感も当然あったが、心身共にいつになく気力が充実しているだけに、このまま終了してしまったのでは少々味気ない。

 

「……千冬? どうかしたの?」

 

「お前が所持しているスペルカードは、これで全部なのか?」

 

「あー?」

 

「これでは物足りんな。まだ隠し持っている札があるなら、ぜひ拝見したいものだが」

 

「ふ、ふーん? それはまた、ずいぶんと余裕ある発言なんじゃない?」

 

 目尻を引きつらせた霊夢から返ってきた言葉はいつもよりも早口で、やや上擦っていた。

 

 彼女は様々な面で無頓着なように見えるが、自分自身の能力に関しては絶対の自信を持っているらしく、この手の挑発には実によく引っかかってくれる。要するに子供なのである。霊夢が内心で千冬を与しやすい奴と見ているのと同様、千冬もまた、博麗霊夢という少女の手綱を捌くコツを心得つつあったのだ。

 

「いいわ。正直言うと私も消化不良気味だったのよ。ふふふ、千冬がそう言ってくれるならお言葉に甘えてもう1枚、とっておきのスペカを使っちゃおうかなー」

 

「とっておきだと?」

 

「そう、とっておき。滅多に使うものじゃない、本当にとっておきのスペカなんだから!」

 

 挑発に対する返礼のつもりか、やたらともったいつけながら霊夢は説明してみせる。 

 

「後出しになっちゃうけど、弾幕ごっこには延長戦ルールもあるのよ。相手を強敵と認めた時とか発動の条件を満たした時、双方合意があった時。他にも、とにかく相手に一泡吹かせたいからっていう理由でもいいわね。そんな場合は延長戦として、最初に宣言した枚数に加えてあと1枚だけ、追加としてスペカ宣言してもいいことになってるの。これをラストスペルと呼んでるわ」

 

 ラストスペル、と繰り返した千冬に首肯してみせると、霊夢はさらに話を続けた。

 

「といっても枚数宣言外の攻撃だから、これで相手を倒しても勝ったことにはならない。引き分け扱いが妥当かな? ただ、これは一矢報いるための救済措置だから……」

 

「ふむ。救済措置だから、なんだ?」

 

「ラストスペルで用いられるスペカは本気の弾幕よ」

 

「――本気の弾幕か」

 

 悪くない響きである。言葉として実際に呟いたところで、千冬はぞくりとするような戦慄と興奮を感じたものだった。

 

「どう、試してみる? まぁ千冬がどうしてもって言うんだったら使ってあげてもいいんだけど、怖いんだったら別に無理にとは言わないしー」

 

「ははは、見え見えの挑発だな。それで仕返しをしているつもりか?」

 

「う、うっさいわね! 挑戦するの、しないのっ!?」

 

 図星を突かれたことで赤面しつつも、噛みつくようにして千冬に選択を迫ってくる霊夢。

 

(もし挑戦しないと言ったら、霊夢はどんなリアクションをするのだろうか)

 

 そんな意地悪な考えが、ふと千冬の頭をよぎった。

 

 臆病者と得意げな顔をして嘲るか。あるいは、つれないわねと残念そうに唇を尖らせるか、逃げるんじゃないと双眸を吊り上げるのか。もっとも見てみたいのは霊夢が本気で繰り出す弾幕だが、断ったときの反応がどんなものか知りたい欲求も確かにあった。後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ千冬は霊夢に答える。いわく、

 

「私はこれから弾幕を学ばんとする駆け出しの身だ。本気の弾幕と言われて興味が沸かないはずもない。ぜひ挑ませていただこうか、先輩殿」

 

「いい度胸だわ。軽く捻ってあげるわよ、後輩さん」

 

 完爾と笑んで千冬は軽口を叩き、霊夢もまた笑みを誘われて軽口で応じてみせた。

 

 ついで彼女は新たなスペルカードを取り出しはしたが、従来とは違うポーズを取る。カードを掲げる代わりに左手にあるお祓い棒を横向きに持つと、カードを持ったままの右手をお祓い棒にあてがって構えた。

 

「ラストスペル――」

 

 警戒を露わにした千冬が後退を始める中、霊夢が最後のスペルカードを発動させる。

 

「神霊『夢想封印 瞬』!!」

 

 




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