東方千夢劇 ~Infinite DANMAKU for Lotus Land.   作:かぶらや嚆矢

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一ノ終・

 兵法書にいわく兵は拙速を尊ぶといい、それとは別に、善は急げという格言もある。

 

 方針を決めたら素早く行動に移すことがいかに大切であるかを伝える慣用句だが、弾幕を教えてほしい、という申し出を霊夢が受け入れてからの千冬の行動もまた迅速を極めていた。

 

 彼女が最初に着手したのは、弾幕ごっこを目撃していた教え子たちに箝口令を敷くことである。他言無用、話せばIS学園にはいられないものと思え。千冬がそう話を付けて戻ってくるまで霊夢は自動販売機前で待たされていたため千冬が教え子たちを脅しつける現場を見ていなかったのだが、後から千冬に訊いたところ、教え子たちは千冬の気迫に押され、みな一様に震え上がってしまったらしい。そう明かした後で、もっと他に言い方があったかもしれん、と千冬が少し困った顔をしていたのが何ともおかしかった。

 

 ともあれ情報の流出を防いだ千冬は、次に、霊夢がIS学園に滞在することの可否について教職員を含めた関係者の間に形だけの稟議を回す手配を行った。

 かくのごとき手順を踏み、千冬が招いた客員というポジションに霊夢を据えることで、部外者は完全立入禁止というスタイルを貫くIS学園における立ち位置と、何か問題が生じた場合に責任の所在がどこにあるかが明確になるとのことだった。

 

 なお、かかる稟議は「面倒な手続きがいるのね」と露骨に嫌な顔をしていた霊夢の懸念とは裏腹に、極めてあっさり承認された。千冬自身がIS学園において非常事態が発生した際、人事任免権を含む諸々の権限を付与される地位に就いていることも一因だったが、それよりもむしろ、彼女と話し込んでいた時、すでに学園最高責任者がその場にいて話を聴いていたからだという。いつどこにいたのかと尋ねた霊夢は、あのとき花壇の手入れをしていた用務員が理事長たる轡木十蔵であると知らされ、大いに驚いたものだった。というのも霊夢の中では、権力者や貴人という連中は、湖のほとりに建つ館や竹林の最奥に軒を構える屋敷に引きこもり、ふんぞり返って部下を顎でこき使うくせに自分は何もしない手合いだというイメージがあったからだ。

 

 また千冬はそれらの手配と平行してIS学園整備科および倉持技研にコンタクトを取り、近日中にデータとして弾幕を計測および分析する機会をセッティングしていた。

 物理学、熱力学、量子力学といったあらゆる観点から弾幕を数値化し再現するために必要だと千冬から説明を受けはしたものの、理数系素養のない霊夢には何がなにやらさっぱり理解できなかった。分かったような分からないようなという顔で曖昧に頷くしかない霊夢だったが、

 

「お前は何も考えず、しかるべき時に弾幕を張るだけでいい。細かい作業は向こうが行う」

 

 苦笑交じりで千冬がそうまとめてくれたので、そういうものかと割り切った霊夢は千冬の言葉通り、あれこれ考えることをやめてしまった。

 

 それらの手続きを日が暮れる前、すなわち業務時間中にすべて済ませた千冬は仕事を終えた後も霊夢をIS学園外、レゾナンスと名付けられたショッピングモールへと連れて行き、着替えをはじめとしたグローサリーを買い揃えてくれた。千冬に指摘されるまで霊夢自身すっかり忘れていたが、箒とセシリアの連携攻撃を浴びて、服もリボンも無惨な状態になってしまっていたのだ。

 

 汗を流してこいと銭湯へ連れていかれ、その間に着替えを一通り用意してもらい、ボロボロの服は修繕に出し、生活必需品を買って回る。そして千冬と共に夕食を済ませたりしている内に時間は過ぎていき、IS学園へ戻ってくる頃にはすっかり日が落ちて夜になってしまっていた。

 

「はー、今日は色々あったわ。色々ありすぎたわ」

 

 畳敷きの和室にあって霊夢は足を投げ出した格好で座り込み、うーんと体を伸ばした。

 

 彼女が今いるのはIS学園の敷地内において、校舎や部室棟とは離れた場所に庵のごとく独立して建てられた、茶道室として使われている和室である。

 

 ゲストであって生徒ではない霊夢を生徒寮へ立ち入らせることは出来ず、よしんば規則を曲げて寮の空き部屋をあてがったとしても、おしゃべり雀どもに存在をたちまちのうちに嗅ぎつけられ、大騒ぎになってしまうことは必至だろう。それゆえ、茶道部顧問である千冬が、茶道室を一時的に仮の住まいとすることを許可したのだ。

 

 千冬いわく、ゆくゆくは教員寮の部屋を手配するとのことだったが、霊夢としては下見をさせてもらった西洋式の部屋よりもこの和室の方を気に入っている。炉畳を含めて広間は10畳ほど。それとは別に小間と台所を戴き、外を臨める連子窓があり、環境としては申し分ない。

 

 室内は他から運び込んできた小さな座卓とカラーボックス、布団があるだけの殺風景だったが、霊夢は特に不便とは感じなかった。授業や部活動でも使用するので掃除は毎日しろと千冬から釘を刺されているが、その代わりお茶は好きなだけ飲んでもよく、しかも、食べ尽くさないのであればストックの茶菓子を食べても構わないという魅力的な条件をつけてもらってもいた。

 その一点だけでも先立つものが乏しい博麗神社よりも快適であり、むしろ居心地の良さを感じるくらいである。もちろんそれは喜ばしいことではあるがしかし、だからといって、手放しに喜んでいいものだろうか?

 

「……複雑なところだわね。けどまぁもらえる物は常にありがたく、っと」

 

 明るい調子で呟くことで内心の湿り気を追い払った霊夢はさっそく手ずから緑茶を淹れ、ほぅと一息ついてみせる。

 

 学園へ戻ってきてからも主要な施設と立入禁止区域などの説明のため散々あちこち連れ回されたせいか、すっかり足がくたびれている。こんなに歩かされるとかないわー、と呟く霊夢だったが、疲れ切っているにも関わらず、彼女はきわめてご機嫌だった。

 

(それにしても、おゆはん、すごくおいしかったな。こっちの人間はいいもの食べてるのね)

 

 お茶をすすりながらお腹を撫でる霊夢は、今日の夕飯として食べた諸々の料理を思い出してつい頬を緩ませてしまう。

 

 幻想郷の外側で初めて口にした食事は、粗食に慣れていた霊夢をいたく感動させた。かかる料理を提供する店に案内した千冬は謙遜したのか、こんな店はどこにでもある普通の居酒屋だと言っていたが、その頃には霊夢の意識は千冬にでなく供される料理の方へと完全にシフトしていた。とりわけ、アジだかサンマだかいう名前の、海というところで捕れた魚の塩焼きの美味たるや筆舌に尽くしがたく、同席していた千冬がその辺にしておけとストップをかけるほど食べてしまい、今でも少しお腹に膨満感を感じるくらいである。

 

 ちなみにこのとき千冬は自分だけ酒を飲んでおり、私にもよこせと霊夢は強行に迫ったが、ガキが生意気を言うなと切り捨てられてしまうという一幕もあった。

 

「あのお店、早く幻想郷入りしないかなぁ……ねぇ。どう思う紫?」

 

 あらぬ方を向いて、霊夢はそう呼びかけてみせる。

 

 室内には霊夢以外に誰の姿もなかったがしかし、彼女は外の世界へ来たときからずっと、自分が監視されていることに気付いていたのだ。それゆえ、おっとりした声がどこからともなく聞こえてきた時も、眼前の空間に一筋の切れ目が走り、こじ開けられたスキマから八雲紫がその姿を現した時も、霊夢はまるで動じなかった。

 

「あらあら。何物にもなびかないはずの博麗の巫女も、食欲には勝てないのかしらね」

 

 こんばんは。姿を見せるなり紫は気取った一礼をしてみせた。そんな大妖怪を半目で見ながらお茶をすする霊夢、返していわく、

 

「いつになったら姿を見せるかと思ってたけど、まったく、私に呼ばれてようやく来たわね」

 

「うふふ。呼ばれて飛び出てぇ……あら? 今日は珍しい格好をしてるのね」

 

 口上を途中で切った紫が、目を丸くして霊夢を見やる。

 

 紫はいつもと同じ、デコルテが露出している紫色のワンピースに、ドアノブカバーめいたナイトキャップを着用していたが、対する霊夢は常の紅白装束でなく千冬に買ってもらった淡い色合いの浴衣を寝間着代わりに着ていた。また、彼女のトレードマークと言える紅いリボンも装束と併せて修繕に出されており、髪も結われず下ろしたままにされている。

 

「お人形さんみたいで可愛いわよ。マヨヒガに連れて帰って床の間に飾っておきたいくらい」

 

「拉致監禁事件発生ね。まさに神隠しの主犯」

 

 不穏当な言葉でもって紫の賛辞を切り捨て、霊夢は眉根を寄せた。とはいえ可愛いと誉められたことについては、まんざらでもない様子である。

 

「で?」

 

「はい?」

 

「呼んでみたのは私だけど、こうしてわざわざ姿を見せたってことは、何か話があるんでしょ」

 

「ふふふ、相変わらず良い勘をしてるわね――そう。私が来ることを予想してたのなら、何をしに来たかも想像がついてると思うけど、あえて言葉にするわね」

 

 紫は前屈みになり、霊夢の方へと顔を近づける。

 

 鼻先が触れ合うほどまで顔を寄せてきた紫から、キキョウにも似た甘い香りが漂ってきた。霊夢をまっすぐに見やる瞳はいつものように鉱物めいた独特の輝きを放っており、底が知れない。紫色にも金色にも見える双眸をじっと見ていると、その中へ吸い込まれそうな錯覚さえ感じさせた。

 

「あなたを迎えに来たのよ霊夢。さあ、私たちの夢の国へ一緒に戻りましょう」

 

 魅了するように霊夢を見つめながら、蠱惑的な声音でもってささやきかける紫。それはまぎれもない誘惑だった。白い長手袋に包まれた紫の手が伸び、霊夢の頬を撫でさする。

 

 そこにある存在を慈しむような紫の所作を、しかし霊夢は煩わしそうにはね除けてしまった。

 

「まだ戻らないわよ。あんたにいきなり幻想郷から外へ出された私がここで誰に会い、何をして、どんな話をしたか。全部覗き見してたんだから、もう知ってるでしょ?」

 

「失礼ね、覗き見なんてしてないわ。霊夢のことが心配だから黙ってこっそりと、バレないように影ながら片時も目を離さずに見守っていただけよ」

 

「だからそれが覗き見だって……ああもう、いちいち言わせないでっ。私は千冬に弾幕ごっこを教える約束をしたからまだ戻らないの! 私はやらないって言ったら絶対やらないけど一度やるって言ったら、やる時もまぁまぁあるのよ。それにご飯もおいしいし、悪いけどあんたの順位は私の中では3番目なんだから」

 

「うふふ。もう外の世界に毒されてしまったのかしら、霊夢? 私の言葉をちゃんと理解できていて? 戻らないかとは言ってないわ……戻りましょうと言ったのよ。あなたの意志は関係ないの」

 

「――ふん。いかにも妖怪らしい、人間の都合を無視した言い方ね」

 

 しだらなく足を伸ばした状態から座り直した霊夢は、毅然とした光を宿した眼差しでもって紫を正面から睨み付ける。表情を改めた霊夢が放つ気炎は先ほどまでのような弛緩した気配など微塵も感じさせない、妖怪退治をもって旨とする博麗の巫女のそれであった。

 

「その言質を取るようなやり方、気に入らないわ。連れ帰りたいんだったら私をこっちに放り出したときみたいに、得意のスキマ落としで無理やり連れ帰れば良かったじゃない。どうしてわざわざ私の意思を確認する?」

 

 切り口上で発せられた問い質しに紫は答えない。ただ双眸を細めて艶然と微笑み、霊夢がどういう行動を起こすかを見定めている様子だった。対峙する霊夢の方も腰を浮かせ、自分から手出しはしない代わりにいつ荒事になっても対応できるよう体勢を整えておく。張り詰めた空気の中、双方物言わぬ睨み合いが繰り広げられたが、危ういところで持ち堪えている動と静の均衡を先に破ったのは、紫の方だった。前のめりになっていた体を戻すと口元を手で覆い隠し、心底愉快そうにくすくすと笑い声を上げる。

 

「あなたは何も変わってないわね。腑抜けてる様子がなくて安心したわ」

 

「試すような真似しないでよ。久しぶりにあちこち歩き回ったせいで疲れてるんだから」

 

 じゃれ合いはこれでおしまい、ということなのだろう。紫に向けていた霊気を緩めた霊夢は腰を浮かせついでに体を起こすと、紫の分の緑茶も用意してやる。

 

「ありがとう……あらおいし。お茶がいいのか、それとも霊夢が私のために淹れてくれたから?」

 

「おだてたってお茶菓子とかは出したりしないわよ」

 

「誉めて損したわ。何よこのうっすいお茶は」

 

「おいこら――それで本当のところ、あんたいったい何しに来たのよ?」

 

 剣呑に問う霊夢だが、紫は常と同じく人を食ったような態度を崩さない。ちびちびとお茶をすすり、ふぅ、と息をついて話の流れを止めてくる。イニシアチブを取ろうとしているのは分かるが、それにしても焦れったい。いいかげん間が持たなくなり霊夢がそわそわとし始めてきたころ、紫はようやく話し始めた。

 

「いえね。実を言うと今日は、霊夢がすぐ戻ってくるつもりかどうか確認したかっただけなのよ。戻るって言うならそうしたし、しばらくここに残る予定だったら、それならそれで私の方でも少し試してみたいことがあってね」

 

「試したいこと?」

 

「ええ――あなたが幻想郷を離れてる間は、藍にも博麗大結界の維持に携わってもらおうと思いまして。もちろん私があなたに代わって主導で維持管理をするけど、あの子が次代の八雲の名を継ぐ以上、どのような形であるとしても幻と実体の境界、そして博霊大結界とは関わっていくことになる。前々から考えてはいたけど、この機会にレベルの高い仕事をさせてみたいのよ」

 

「へー。あの九尾の狐にねぇ……」

 

 ずずず、とお茶をすする霊夢はやや驚いていた。八雲藍に博麗大結界を預けたということに対してだけではなく、藍が紫の後継者として内定していることに対してである。

 

 霊夢は片目を閉じ、閉ざしたまぶたの裏で、紫の後方にあって常に影のごとく従い忠実かつ確実に与えられた仕事をこなす金毛九尾の天狐の姿を思い浮かべた。おちゃらけた紫と異なり真面目な藍であれば、少なくとも、紫のごとく戯れに結界に穴を空けたりはしないだろう。そして、極めて四角四面の理論家ではあるが、紫よりは話の通じる相手であろう。実力的にはまだ覚束ないとしても性格的には安心できた。

 

「ていうか藍じゃなくても早苗がいるでしょ。あいつに話は持っていかなかったの?」

 

「彼女とは話をしてないわ。東風谷さん個人にだったらたぶん協力を仰いだでしょうけど、ほら、あのコの後ろには守矢の二柱がおわすでしょ? あまり当事者以外の意思が介入する余地を作りたくなかったのよ」

 

「そりゃそうだ。神奈子の馬鹿とか、私がいない隙を狙ってまたぞろ神社を乗っ取ろうとするかもしれないし」

 

「巫女が神様を馬鹿呼ばわりしていいの? いいわよね」

 

 不敵というか、巫女として不適きわまる霊夢の発言に苦笑を誘われた後で紫、続けていわく、

 

「そんなこんなで、藍が博麗神社に詰めて博麗大結界の維持管理をしてる間は藍に代わって……」

 

「いま何て言った?」

 

「博麗大結界の維持管理をしてる間――」

 

「その前!」

 

「藍が博麗神社に詰めて――」

 

「そこ! ちょっとそれどういうことよ! 今、あの狐がうちの神社に住んでるの!?」

 

「大丈夫よ。躾はきちんとしてるから粗相はしないわ。それともエキノコックスが心配かしら?」

 

「いやそういう心配じゃなくって……ていうかあんた、結構ひどいこと言うわね……。ああ、また里とかで神社が妖怪に乗っ取られたって噂が立つのかしら」  

 

 やっぱり幻想郷に戻ろうかな。先ほど決然として放った宣言もどこ吹く風で、思案投げ首といった様子でうなだれる霊夢は前言を翻しかける。そんな、普段の頑迷さとはかけ離れた優柔不断ぶりに紫はくすくす笑ってみせたあと、悪いようにはしないわと霊夢を慰める。

「うう、そんな情けをかけられても」

「まあまあ、お茶でも飲んで気を取り直しなさい――で、話が途中になっちゃったけど、藍が結界管理に当たってる間、幻想郷の結界の見回りと応急処置については橙に任せることにしたの。まだ少し早い気もしたけど、あの子も藍の役に立ちたいっていつも言ってたし、ちょうどよかったわ」

 

「待った。あんたまさか、藍に博麗大結界の管理をさせることとか、橙に仕事を覚えさせることが目的で、私を幻想郷から遠ざけたんじゃないでしょうね?」

 

「それは真実の欠片に違いないけど、真実そのものではないわね。霊夢が幻想郷からいなくなったから私がそれを思いついたのか、それとも、私がそれを思いついたから霊夢を幻想郷から遠ざけたのか? ふふふ。勘が鋭いだけでは因と果の境界を見極めることは出来なくてよ」

 

「はいはい。つまり、他にも理由があるから自分で見つけてみなさいってことでしょ」

 

「大正解。さすがの冴えね。博麗の巫女が言うことは全部正しいわ」

 

「やれやれ……いったいなに考えてるんだか。あんたと話してるとホント頭が痛くなってくるわね」

 

 自身の言葉通りの、頭痛を我慢しているような渋面を浮かべて霊夢は頭を振った。

 

 ことほどさように、この八雲紫という大妖怪は掴みどころがない。結論だけを言えばすぐに済む話をわざわざ婉曲的な言い回しをしたり、ミスリードを誘うような比喩や暗喩を多用したりするため、簡単なはずの話でも何が言いたいのか分からなくなってしまうのだ。ごまかし、はぐらかし、たられば等の仮定や例え話にしょっちゅう飛躍する。単純に他人を煙に巻くことが好きで話したがりな性格をしているからだとも言えるが、聞かされる側にしてみればたまったものではない。

 

「まぁあんたが主導するのなら心配はないんでしょうけど、まったく、こんな主人に仕えてる式とその式も苦労が絶えないことね」

 

「可愛い子には時として試練を与えることが紫流。藍にも橙にも、もちろん霊夢、あなたにもね」

 

「どうだか。私には、ただ嫌がらせをされてるだけな気がするけど」

 

「霊夢」

 

 改めて呼びかけた紫の声は、これまで聞いたこともないほど真剣味を帯びていた。驚きのあまり霊夢は手にしていた湯飲みをつい落としそうになってしまう。

 

「あなたは何も勘繰らないで、私のおせっかいを受け入れたり拒んだり、茶化したり聞き流したり自分がしたいようにしてればいいの。けれど、霊夢が立派に成長してほしいという私の想いを疑うことだけは絶対に許さないわ」

 

 何でも曖昧にしたがる紫が、ここまで強く物を言うことは極めてまれだった。せいぜい、博麗神社を倒壊させた天人の娘と対峙した時ぐらいだろうか。呆気に取られていた霊夢だったが、すぐに顔を真っ赤にさせ、何か言い返そうと口をもごもごさせるが、何も言えず、唇を噛んでうつむいてしまう。何をどう言ったところで、母親の説教を聞き入れられない子供がするような言い訳にしかならないと自分でも分かっていたからである。 

 

「少し言葉が過ぎたわ。ごめんなさいね」

 

「……いい。私も無神経だったかもしれないから」

 

 うつむく霊夢の頭を紫は優しく撫でた。今度は霊夢も払いのけたりせず、されるがままになっていた。まるで拗ねているのに撫でられるのを嫌がらない猫のようで、紫はつい微笑を誘われる。

 

 両親と過ごした記憶がほとんどなく、それどころか、おそらく両親の顔を覚えてさえいないだろう。そのうえ、物心ついたときから自分自身の力だけを恃んで生きてきた少女に、子供の行く末を心配する親心を理解しろという方がそもそも酷な話かもしれない。霊夢に悟られない程度に小さく息をつくと、紫は声の調子を改めて再び話し始める。

 

「私の気持ちはさておき、藍は乗り気でいるみたいよ。私が博霊大結界の維持を手伝うように告げたら、私ごときになんともったいないお言葉、と畏まってたしね」

 

 そこで言葉を切った紫は、うんざりした顔をして溜息をついてみせた。

 

「……その後はまぁ、いつもみたいに長々細々と私を持ち上げてきたから途中で止めさせたけど」

 

 露骨に顔をしかめていかにも嫌そうな声音でおどける紫に、霊夢はつい吹き出してしまう。

 

 境界を自在に操り、幻想郷でも絶大な影響力を持つこの大妖怪は苦手なものも恐れるものもなく好き放題やっているように見えるが、忠実で理論的な式が何かにつけて長口上でもって紫の人格や業績を褒め称えてくることだけは、閻魔と同じくらい苦手にしているのだ。

 

 紫いわく、くすぐったくていたたまれなくなるから勘弁してほしいが、藍には悪気どころか敬意しかないから言うに言えなくて困っているらしい。それを愚痴まじりで聞かされた時に「あんたが話したがりだから式も話したがりになったのよ」と切り返したところ、饒舌な紫にしては珍しくも返す言葉に窮してしまい、悔しそうな顔になっていたことを霊夢はよく覚えている。

 

「話が逸れたわね。まぁそんな事情がありまして、霊夢が外の世界に長居するようなら藍たちにも早めに働いてもらおうと思うのよ。1年2年に及びそうならさすがに布石も考えていくけど、いつまでこっちにいるつもり?」

 

「ああ、ここってやっぱり外の世界だったのか……えーと、とりあえず1ヶ月ぐらいかな。千冬の話だと来月末にあいえす関係者が集まるイベントっぽいのが開催されるらしいの。できればその時までに弾幕を形にしたいって言ってた――そうそう、あいえすについての説明はいる?」

 

「あなたと外の人間のやり取りを覗き見してたから把握してるわ。お気遣いなく」

 

 覗き見だと自覚してるじゃないか、と霊夢は指摘しかけるが、あえて言葉にはしなかった。

 

 そして霊夢が何も言わなかったのをいいことに、式とその式を動かすプランを練っているのか紫は視線をあらぬ方へ向けていたが、ややあってから再び霊夢へと焦点を合わせ、こう言葉を続けることで自身の言を締めくくる。

 

「ふむ、1ヶ月ならそれなりに時間はあるわね。藍にもそう心得ておくよう伝えておきましょう」

 

「場合によっては、それ以上延びるかもしれない。逆に弾幕を再現できそうになかったら、すぐにお払い箱っていう可能性もあるかも……っていうか今さらだけど」

 

「なにかしら」

 

「外の世界の人間にスペルカードを使ってみせたり、弾幕を教えたりしてもよかったの?」

 

「そうね。あまりいい気はしないけれど、幻想郷の存在さえ気取られないのであれば、ある程度は黙認しましょう」

 

 不承不承、という気配を感じさせつつも紫は鷹揚に頷いてみせる。

 

 本当にまずければ、状況や都合を問わずスキマで介入してでも止めていただろう。それがなかったから問題ないと判断して霊夢はシャルロットや箒、セシリア相手にスペルカード宣言を行い、千冬に弾幕を教える約束をしたのだが、幻想郷をまず第一に考える紫の方も、あまり目くじらを立てる様子はないようだった。ただしそれは裏を返せば、弾幕の使用は認めても幻想郷の安寧を脅かすような言動だけはタブーだという意味でもある。

 

「私がどこから来たとか幻想郷に話が及びそうになったら、今日みたいにごまかせばいいのよね」

 

「上出来でしたわ」

 

「言ったところで、知ってる奴や信じる奴なんていそうもないけど」

 

「それは違うわ。知る知らない、信じる信じないの問題じゃない。幻想郷という場所があると認識

されることそれ自体がまずいのよ。幻想郷の存在が知れ渡れば、外の世界で幻想となったもの、忘れ去られたものが流れ着く場所という幻想郷の根底が揺らいでしまう」

 

「そういうものなんだ」

 

 これは幻想郷について少しでも漏らそうものなら、紫は本気で怒り狂うかもしれない。素知らぬ顔でお茶をすする霊夢は内心で、認識をそう改めておいた。

 

「ところでその幻想郷は今どうなの? 私がいなくなっちゃったけど異変とか起きてない?」

 

「それなんだけど……愉快というか困ったというか」

 

「なによ。はっきりしないわね」

 

 湯飲みを卓へと戻し、実はね、と前置いてから語られた紫の話は、このようなものだった。

 

 博麗神社から巫女が消えた花見の後、先述したとおり紫からの下命を受けた藍が博麗神社の留守を預かっているのだが、霊夢の失踪を聞きつけて最初に神社へとやって来たのは、人間の魔法使いだった。

 

 彼女は霊夢が神社からいなくなったことを知り、博麗の巫女へと持ち込まれる異変解決の依頼を独り占めしようという建前で神社に居座り始めたとのことだが、そこへ霊夢の留守を狙って自身の分社をこっそり改築しようと欲した風祝の巫女が訪れたため、2人はそこでばったり鉢合わせしてしまった。

 

 彼女たちは互いの目的や今後どうするかを話し合った末、とりあえず異変が起こったら力を合わせて解決するが、それ以外の時はめいめい自由に行動しようというところで一応の妥協を見た。

 

 ところがそれに、横合いから待ったがかけられたのだ。

 

 紅魔館のメイド長と半人半霊の庭師である。これまで異変解決に加わったり加わらなかったりしていた2人は、誰もいなくなった神社が心配になって様子を見に来たとしつつも、その実、霊夢がいないこの時こそ異変解決屋としてのアピールに絶好のチャンスと踏んでいたのだろう。それぞれの主に許可を取ったうえで、何か異変は起こっていないかと博麗神社に来てみたとのことだった。

 

 再び話し合いの場が設けられ、異変が起こったら4人で動こうというところで話がまとまった。

そしてここまでで話が片付けば取り立てて問題はなかったのだが、あにはからんや第三者が新たに名乗りを上げるに至って事態は混迷の様相を呈し始めた。

 

 人間だけじゃなく現人神や半人半霊が異変を解決してもいいのなら元人間が異変を解決したっていいじゃないか、とばかりに、異変を解決する側になりたがる手合いが次々に現れたのである。

 

 そのひとりは人里近くにあって人間と妖怪の平等を説く、命蓮寺の住職だった。

 

 異変のために人間が、そして力のない弱い妖怪が虐げられることがあってはならないという思いから、異変が起きた際は博麗の巫女に成り代わって元凶を叩くことを彼女が宣言すれば、命蓮寺を良き競争相手と認識している霊廟の聖徳道士もまた、抜け駆けさせじとばかりに異変解決屋として名乗りを上げた。そして彼女たちとは別に、博麗の巫女がいなくなったことで妖怪の活動が活発化する恐れを抱いた人里からの嘆願を受けた不死の蓬莱人も、人里の平穏が脅かされる事態になった場合には隠棲している竹林を発ち、自警団として人間を守るためにアクションを起こすことを約束しているという。

 

「魔理沙をはじめ早苗、咲夜、妖夢、おまけに白蓮に神子に妹紅。人間に好意的な側の有力者全員が、異変が起きたら一斉に動き出すと」

 

「ね、愉快じゃない?」

 

「愉快すぎて逆に怖いわよ! 何なのよ、その反則にも程があるメンツは!」

 

「ここにあなたが加われば国士無双ね。それで、困ったことは――ほら、紅魔館のお嬢さんがね。霊夢がいなくなったことに大層ご立腹で、異変を起こせば霊夢が戻ってくるって頑なに言い張って聞かないらしくて」

 

「咲夜は除くとしても、その連中相手に異変起こしたら紅魔館が100回ぐらい更地にされるわよ」

 

「そうなのよ。そこはもちろん彼女も弁えてるし、メイド長が説得してるから滅多なことはないと思いますけど、不測の事態に備えて藍には状況を逐次報告するように伝えてあるわ」

 

 一度言葉を切った紫は、どうなる事やら、とでも言いたげに肩をすくめてみせた。

 

「ただ、個別に動くならともかくこの全員が力を合わせて何かをする、という事態になると人妖のバランスが崩れかねないから、度が過ぎるようならさすがに私が仲裁に入るつもりよ。といってもみんな単に退屈しのぎをしたいだけでしょうからね。藍にも言い含めてあるけど、面白そうだから大抵のことは大目に見ようかなと思ってるわ」

 

「騒ぎの元凶が何食わぬ顔して言うんじゃない」

 

 それもそうね、と、とぼけてみせる紫。ついで彼女は何かを思い出したらしく、そうそうと手を打つと、スキマの中から風呂敷に包まれたものを取り出し、霊夢へと手渡してくる。

 

「あとこれ、遅くなっちゃったけど神社から持ってきた着替えよ」

 

「あら。気が利くじゃない――そういえば神具とか送ってくれてありがとね。助かったわ」

 

「いえいえ。どういたしまして」

 

 微笑みながらそう応じた紫だったが、直後に表情を改めた。それにしても、と呟きながら、珍しいというか見慣れないものを眺めるような面持ちでもって霊夢をしげしげと見やってくる。

 

「なに?」

 

「何だか充実してるみたいね。普段の冷淡さや厳しさが少なくて、取っつきやすい感じだわ」

 

「そうなのかなぁ。自分ではよく分からないけど」

 

 首を傾げた霊夢は、つ、と紫から視線を外してみせた。ついでいわく、

 

「――私、いつだったかの異変で月の兎に言われたことがあるのよ。貴方の波長は非常に長いときと非常に短いときが交互にあるって。短いときは気性が荒く、長いときは暢気っていうから、今はその長いときの方だったりするのかしら」

 

「異変に立ち向かうときとは違う、素の自分を出せてるってこと?」

 

「そもそもどっちが素なのかな。まぁこっちには人間しかいないから、気楽ではあるけどね」

 

 ひょいと肩をすくめる霊夢。どこか照れ臭そうにはにかむその表情は、まさしく年相応の女の子のものである。

 

 それに釣られて微笑んだ紫だったが、彼女は再度、表情を正した。これまでのような保護者としてでも友人としてでもなく、妖怪の賢者としての顔を保ちながら紫は霊夢に語りかける。いわく、

 

「あなたが博麗の巫女に就き、スペルカードルールが生み出された。それによって、一時は活力を失っていた妖怪たちも人間を襲う口実が出来、幻想郷は活気を取り戻したの。あなたは本当によくやってくれてるし、私は心から霊夢に感謝してるのよ」

 

「よしてよ、水臭い。私は私に与えられた仕事をしてるだけだってば」

 

「余程のことが起きない限り、私は横合いからしゃしゃり出たり口を挟んだりしない。外の世界の人間に与するもよし、ただ緩やかに日を過ごすもよし。リフレッシュ休暇だと思って、こちら側の世界で存分に羽を伸ばしていきなさいな。私が霊夢に望むのは、ただそれだけ」

 

「それもあんたがいうところの、真実の欠片っていうやつ?」

 

 そんなとこね、と紫は笑って応じる。表面だけを見れば何も後ろめたいところのない、心穏やかな微笑ではあった。この大妖怪はひねくれすぎているせいで逆に純粋だ。

 

「紫はこれからどうするの?」

 

「さっき言ったとおり博麗大結界の維持を専一に行うわ。あとは霊夢を見守ることね。それ以外のときはスキマに隠れてます。何と言っても私、博麗消失異変の元凶ですから」

 

 しれっと言ってのける紫。異変の元凶と聞いて、霊夢は思わずお祓い棒でもってこの妖怪を張り倒しそうになるが、今日はもう疲れているので動きたくない。また、煽ってみたものの反応がないことを受け、紫の方も霊夢がそろそろ休みたそうにしていることに気付いたようだった。

 

「さて、ついつい長居しちゃったわ。私にとってはこれからがゴールデンタイムだけど、疲れた人間はそろそろおねむの時間ね。あ、ひとりで寂しかったら添い寝してあげましょうか?」

 

「いらない」

 

「神社で使ってる枕とかお布団とかいる? ちょっと時間をくれれば、大急ぎで抱き枕とか作ってくるけど」

 

「うっさい。さっさと幻想郷に帰って魔理沙たちに袋叩きにされてこい」

 

 憮然とした霊夢の言葉に紫はくすっと笑うと、ノックオンウッドのつもりか、霊夢の頭をぽんと2度軽く叩いてみせた。ついで砂を掬うような手つきで霊夢の黒髪を指先でくすぐってから手を放し、いささか名残惜しそうな顔をして霊夢に別れを告げる。

 

「じゃあ霊夢、おやすみなさい……今度は夢の中で会いましょうね」

 

「おやすみ。夢枕に立つんじゃないわよ」

 

 ひらひらと手を振って別れを告げた紫がスキマの中へ体を沈ませると、空中に穿たれていたスキマも消え果て、こちら側の世界に来てから感じていた紫の気配も感じられなくなる。

 

「――さ、もう私も寝よっと」

 

 10畳の和室が急に広くなったように感じられた霊夢は欠伸をひとつこぼすと消灯すると、紫から受け取った着替えを枕元へ置いて、布団へ体を潜り込ませる。

 

(数日後には弾幕ごっこの測定かぁ……いったいどうなること、やら……)

 

 借り受けた布団はふかふかで、気持ちよく眠れそうだった。あとは夢見さえ悪くなければ良いんだけど……そんなことを考えているうちにいつしか頭の中がぼんやりとしていき、霊夢の意識は心地よい闇の中へと飲み込まれていく。

 




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なお、これより書き溜めに入りますので、次回投稿は来月初頭になる見込みでございますm(_ _)m

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