ラーシャンは振り下ろされた前足を金ダライの丸みを利用して、易々と反らす。
「ふむ、軽いわねぇ。」
もう少し重い攻撃かと思ったが、軽く感じたのだ。まぁそれも仕方ないのかもしれない。確かに、ラーシャンは貴族令嬢だ。戦う術等基本は知らない。しかし、幼馴染で、現義姉と小さい時から喧嘩していたのだ。
随一の実力冒険者と呼ばれるようになったシャランとすら、いまだに殴り合いの喧嘩をする。そんなラーシャンが、Eランク、巨体故にランクはもう一つ二つ上がるだろうが。の魔物に苦戦するとは思えなかった。
だが、ビックベアーの方もただやられているわけではない。元々の種を遥かに超えて強靭となったその体躯を本能のまま完全に制御し、ラーシャンに向かって二撃、三撃と連続で攻撃を加えていく。
ラーシャンは、二度、三度と弾き、時には回避して躱していく。ラーシャンは知らず知らずの内に獰猛な笑みを浮かべていた。命の危機には瀕しているものの、それでも全力で動けることが楽しかった。
「ふむ、なかなかやりますわね。」
互いに、一歩後ろに飛び退り、距離を開けた。まるで鏡写しになったかのように、その後退は次の一撃の為と言わんばかりに膝を曲げ、力を溜める。
ビックベアーが先に動いた。その突進力の勢いそのままに腕を突き出す。その腕の先端にある鋭利な爪で、突き刺しに来た。
「まだまだ、甘いですわっ!!」
ラーシャンはその動きを見てから動き出す。伸ばされた腕を、金ダライで絡みとるようにして、上へと弾き、その巨体が上を向いた瞬間、腹に一撃を加えた。ビックベアーは、少しだがよろめき、後ろに後退する。だが、何よりも巨体な為、大した一撃にならなかった。
「あら?なかなか大きいと言う事は厄介ですわ。」
口調が公爵令嬢のものに戻っていた。それは、ラーシャンが恐怖を感じていると言う事。今までの様な余裕がない証拠であった。公爵令嬢として身に着けた自信を守る強靭な精神力をフル稼働させていると言う事でもある。
そのことには気付いていたが、それでもどうにもならなかった。ここでラーシャンにとって致命的なことが起こる。まるでラーシャンの良く末を予言するかのように金ダライが、ラーシャンの武器が振った瞬間に真っ二つに折れたのだ。
良く持った方だとは思う。専用の武器などではなく、庭先に放置されていた家庭洗濯用の金ダライなのだから。兎にも角にもラーシャンが圧倒的に不利になった。
「っ、まずい!」
思わず呟いた言葉が存外響いた。それを好機と見たのか、いや、本能で相手が弱った瞬間を悟ったのだろうビックベアーがラーシャンに襲いかかった。
「ぐっ、…この!」
前足での一撃を避けるも、掠ったのか脇腹下の一部が裂ける。何とか、伸ばしていた腕に拳で一撃を加えるも、ほとんど効いてはいない。それどころか、自分の拳を痛めてしまった。
「ふぅ、なんとか凌ぐのが精一杯か。」
逃げることも考慮に入れて、しかし後ろから襲われないようにビックベアーと目は合わせたまま、少しづつ後ろに下がる。瞬間、ビックベアーが再びラーシャンの方に跳びこんできた。
「チャンスっ!」
その好機を見逃さず、すぐさま後方へ跳び退ると、二度三度と更に引き離す。木々の中にドンドン突き進み、何とかビックベアーから逃げ切れたと思った。突然、轟音と共にビックベアーが横に現れるまでは。
「…そういえば、それがありましたわ。」
ビックベアーが両手を広げ、後ろ脚に力を込めて前方へと跳んだのだろう。巨体を生かした一切の障害物を無視した体当たりである。真横に来たビックベアーの目とあった。
ビックベアーは喜色の色を浮かばせる。牙を見せ、涎を垂らし獰猛に笑った。
「ふむ、これがピンチというものか。」
「へっ!?」
ラーシャンが観念したと見たのか、口を開けて噛付きにきたビックベアー。諦めるものかと最後まで目を開いていたラーシャンに影が覆う。聞きなれた声で、自信満々に何処かズレタ呑気な言葉を呟きつつビックベアーの噛付きを、その自身の身長よりも大きい大剣で防ぎ、シャランがラーシャンを見ていた。
「ふむ、中々にデカイな。」
ギロリと擬音が付きそうな眼光でビックベアーを睨み付ける。本能に従い跳び退るビックベアー。
「お姉様?」
「ふむ。他に誰に見える?」
ラーシャンの呟いた言葉に、やはりズレタ回答を返してきた。それはやはりシャランだった。宿屋《魔王城》を飛び出したシャランが間に合ったのだった。
ギャリンッと金属同士を擦り合せた音が、静寂に満ちた魔の森の中に響いた。木々が一直線に薙倒され、少々歪だが、戦闘を行う広場が形成されていた。そんな中、戦いを行う一人と一匹。
シャランは目の前の巨大なビックベアー、熊の魔獣に向かって己の大剣を振り下ろす。再び、ギャリンッと金属同士を擦り合せた不快な音が響いた。
ビックベアーの爪がシャランの大剣を弾こうとして、シャランの思わぬ怪力に逆に押されている、結果的にそれがシャランの大剣を反らす事に繋がっていた。
「ふむ、それなりには出来る様だが、それまでだな。」
常に冷静にビックベアーの戦力を分析していたシャランは、一つ呟き、身体強化の魔法のレベルを一つ上げた。瞬間、シャランの姿が消える。
ビックベアーは驚き、周りを見渡すもシャランの姿はなかった。
「うぉおおおおおおおおお!!」
シャランの咆哮が聞こえた。真上から、振り上げた大剣と一緒に落ちてきている。思わずビックベアーが見上げた。頭を真上に向ける、それはシャランに弱点を晒し近づける結果となり、その脳天に無骨な鉄の大剣が重力を味方に付けて撃ち込まれたのだった。
轟音と共に倒れる巨体。
ピクリとも動かなくなったビックベアーを確認した後、シャランはラーシャンの方へと歩いていくのだった。
「お姉様っ!!」
だが、ラーシャンにシャランは、飛びつかれるようにして押し倒される。歓迎と言う意味でも、ましてや安心したという意味でもなかった。ラーシャンは必死の形相をしていた。
押し倒されたシャランが視界に、銀色の線が走るのを見る。銀色の線が走った瞬間、ラーシャンの髪の先が宙に舞うのを見た。
「なっ、なに!」
瞬時に起き上がったシャランが見たものは、白目を向いているが、しっかりと四肢で立つビックベアーの姿だった。確かにシャランは倒したのを確認している。実際目の前のビックベアーには意識がないのは、見るだけで判った。
「何者かに操られているのかっ!」
今までの経験から瞬時に解を叩きだすと、ビックベアーの攻撃を反らしつつラーシャンを逃がし、自身も後退する。戦いはまだまだ続くようだ。