ーーいつから博麗と日向が戦闘すると錯覚していた?
「……ははっ。なんだ、やっぱりダメじゃん、反則だよそんなの」
ーー『博麗(はくれい) 鏡花(きょうか)』。
自らをそう名乗った博麗の巫女たる彼女との戦いは、やはりと言うべきかなんと言うべきか、僕の惨敗だった。もう、完膚無きまでにズタボロだった。
わかっていたこととはいえ、流石にショックである。この幻想郷に来てから戦いとは縁がなかったにしても、まさかここまで一方的だとは思わなかったよ。……大体、『攻撃が通らない』って何なのさ。反則すぎる。
「ーーげほっ、ごほっ」
あぁ、ダメだ。ホントにダメだね。これ、僕も助からないやつだ。例え治療をしたとしても……死ぬだろうね、これは。全くご丁寧に体の中身を修復不可能なまでにぐちゃぐちゃにしてくるとは。本当に人間かい、博麗の巫女さん。
「失礼ね、人間よ私は。大体子育ての真っ最中だってのにこんな霧が出てくるはアンタは暴れるわで、こちとら大変なのよ」
「心の中を言い当てられる時点で君はもう人間離れしてるよ……」
うーん、でも、なんだろうね。ここまでやられると、スッキリすると言うか、逆に冷静になったというか……まったく、こんなことして、幽香ちゃんが喜ぶはずないのにさ。
ーー僕が死ぬなんて、彼女は願ってなんかないはずなのに。はずだったのに。今僕はこうして……死んでしまう。
「ひな、た……私は」
「げほっ……いいんだ、妹紅。君は悪くない、至極当たり前のことをしたんだ。君が、負い目を感じることはない」
涙を流しながら僕の名を口にする彼女に、諭すようにそう言った。
「でも、私がっ、もっとしっかり、わかってれば……!幽香ちゃんも、死ぬことなかったし、日向だってっ……!!」
「……君は本当に優しいね、妹紅」
あぁ、優しすぎるくらいだ。君が守ろうとした人里をここまでした僕に、目の前で子供を殺した僕に、そんな言葉をかけてくれるのか。……はは、やっぱりあの時君に、足りなかった感情を譲渡して正解だったね。
「君は、立派に成長したよ、妹紅。友達の間違いを正せる、いい人間になった」
「ーーひな、た」
だから、泣かないでおくれ、妹紅。君はいつもみたいに、元気のある笑顔が一番だ。……ごめんよ、僕も自分自身で止まれなかった。
「心の何処かでは、君に止めて欲しかったのかもしれない。その気になれば君をいくらでも振り解けたのに、最後の最後までそれをしようとしなかったから……それでも、ごめんね、妹ーー「最後に言い残す言葉は、それでいいかしら?」ーー……ちょっとは空気読んでほしいな、博麗の巫女さん」
いや、ほんとに。お願いだから空気を読んでください、博麗さん。今めっちゃいい雰囲気だったじゃんか。なんでぶち壊すの、君は。
「ーー彼女はいつも自分のペースで生きているから、仕方の無いことですわ」
「……紫」
「やはりこうなったのね、日向」
そう言いながら彼女ーー紫は、表情を悲しそうに曇らせた。……まぁ、君の言いたいことはわかるよ。あの時僕を見逃したのは、きっと、
「あの時貴方を見逃したのは、過激派だけを殺したのならまだ許す余地がある、という意味だったのだけれど……貴方は、殺りすぎた。人里の皆は、貴方のことを受け入れられなくなっている……故に、このままここに残しておくことも出来ないの」
ほら、やっぱり。そんな事だろうと思ってたし、僕もそこで終わらせるつもりだったんだけどさ……どうしても、我慢できなかったんだ。許しておけなかったんだ、人間が。
「……」
「貴方は、一線を越えてしまったの……この意味、もうわかるわよね?」
ーー妖怪の賢者として、貴方を粛清します。
暗に紫はそう言っているのだ。貴方は人間を殺りすぎた、だからこの幻想郷から消します、と。友人としてではなく、妖怪の賢者として貴方を罰します、と。
……まぁそんな事しなくても、僕は死ぬんだけどね。そこの博麗さんが体をめちゃくちゃにしてくれたから。
「妖怪の賢者として聞きます。最後に言い残すことは?」
それ、博麗にも言われたけど……今更僕に言い残すことなんて何も無いさ。言ったところで、後世に残るわけでも、幽香ちゃんに会えるわけでもないしさ。
ーーいや、待て。一つだけ、あったね……ずっとおかしいと思っていたこと。幽香ちゃんが死んだ時のこと。
「ねぇ、紫……幽香ちゃんはさ、死ぬまで何を守り続けてたの?殴ってまで奪い返したものっていうのは、君が言ってた『あるもの』って言うのは、一体何?」
最初は怒りのあまり気にしていなかったが、死ぬ間際の今になって疑問に思った、幽香ちゃんが必死に守っていたもの。
紫は破かれて壊されたとか言ってたけど……そんなわけない。そこまで必死に彼女が守ったものを、紫が放っておくわけがない。ーー故に、君は。持っているはずなんだよ、『ソレ』を。
やはり僕の予想は当たっていたらしい。何かを観念したかのように、呼び出したスキマの中に手を入れた。
「……これよ」
「ーーっ!」
そして……紫がスキマから取り出した『ソレ』を見て、僕は固まった。そして、あぁ、なんて。幽香ちゃん、本当に君ってやつは……馬鹿にも程があるよ、本当に。
「日向……これは、友人としての、最後の言葉です」
懐から取り出した扇子を口元に当て、紫は確かに僕に聞こえるようこう言った。
ーー最後に、やり残したことはありませんか?
「……」
その言葉に、僕は考えた。……僕がずっと悩んでいたこと。けれど、これは本当にダメな考えだった。幽香ちゃんの気持ちを、想いを、全てを無駄にする最低な行い。
けれど、それでも。死にそうになった今でも、僕は。
ーー『日向!』
ーー『日向?』
ーー『ひーなーたー!』
ーー『日向っ……!』
日向。
僕の名前をそう言ってくれる君の顔が眩しくて、とても綺麗で……忘れられない。忘れられないんだ。
きっと今から僕がすることは、君にとっては受け入れられないことだろう、幽香ちゃん。けれどね、それでも、僕は君に。
ーー幽香ちゃんの遺体を、ここに持ってきてほしい。
『ソレ』を最後まで守って僕に届けようとした君に、生きてほしい。
ーーー
ーー
ー
「……やぁ、幽香ちゃん。久しぶり」
幽香ちゃんの頭を撫でながら、体全体に残りカスとも言える妖力を張り巡らせる。死んだ今になっても変わらず、サラッとした手触りだ。君、ほんとにさっきまで土に埋まってたのかい?
ーーここは、僕の花畑。
別に、あの場所でもよかったのに。紫ってば、気を遣っちゃって。妹紅は最後まで何か言いたげだったけど、最後にありがとうだなんて言ってくれたし。ふふ、愛いやつめ。
「……君とここで会ったのも、もう随分前のことだね」
僕の目の前で目を瞑ったこの子は、一体どんな気持ちで僕の話を聞いているのだろうか。……いや、どんなも何も無いね。まだ現実を受け止めたくないのかな、僕は。
「本当はこんなことしたくなかったんだけど……どの道僕も、死んじゃうみたいだからさ」
だから、考えた。このまま死んでいいのだろうか、って。幽香ちゃんが死んでから、ずっと悩んでたことを、実行に移そうかと思うんだ。ーー悔いが残らないように。
……けど。
「起きたら君は、きっと怒るんだろうな。こんなこと、望んでなかったって」
その光景が目に浮かぶよ。きっと君は泣くんだろうね。どうして、って。……でも、幽香ちゃん。
「こんなの……持ってこられちゃね。君に生きてほしいって、思っちゃうよ」
そっと僕の横に置かれた『ソレ』ーー袋いっぱいに詰まった『向日葵の種』に触れながら、君はなんて馬鹿なんだろうねと呟く。だって、こんなものを守るために死ぬなんて、そんなの馬鹿にも程があるよ。
「……でも、そんな馬鹿なのが他でもない君、『風見(かざみ)幽香(ゆうか)』だったね」
僕は死ぬ。それは間違いないだろう。そして核である僕が死ぬことによって、ここの向日葵達も居なくなるだろう。だからこそ、この君が持ってきた『向日葵の種』を咲かせるんだ。
他でもない君がーー君自身が育てるんだ、この畑で。
「ーー僕の『全て』を、君に譲渡する」
文字通り、僕の全てを君に託そう。大妖怪としての僕の全てを。ーー即ち、僕の『生』を君に渡すんだ。代わりに僕は死ぬ……そして、君は生き返る。本当はしたくなかった、幽香ちゃんの気持ちを、想いを踏みにじるこの行為。
右腕が、崩れていく。いや、右腕だけじゃない。よく見れば体中、あらゆる所が崩れていく。……僕という妖怪の、終わりが近付いていく。
「ーーでも、怖くない」
あぁ、怖いわけがない。むしろ僕は嬉しいよ。君が、生きてくれることが。僕も自分という存在を譲渡なんて真似はしたことないから上手くいくか不安だったけど……いや、きっと紫は、こうなることもわかってたんだろう。
「じゃなければ、最初っから僕を邪魔してるはずだしね」
あぁ、あぁ。本当に僕は良い友人を持ったものだ。掛け替えのない僕の、大切な宝物だ。
「妹紅と紫にはお別れ言えたけど……あぁ、こーりんやエリーには、何も言ってないなぁ。特にエリーにはお世話になってたしなぁ」
ボロボロと崩れていく自分の体を見ながら、お別れを言えなかった友人のことを思う。……きっと、あいつらもわかってくれるさ。……最後に、別れを済ませてないのは、君だねーー幽香ちゃん。
「………………さようなら、幽香ちゃん。本当に、楽しかったよ、本当に。僕の自己満足のために君を生かすことを、どうか許して欲しい」
ーー目を瞑ったままの幽香ちゃんの額にキスをして……僕の体は、意識は、完全に消えた。
こうして、一匹の妖怪は消え、一匹の妖怪が生まれた。ーー後に向日葵達が咲き誇る名所となる、『太陽の畑』の主……大妖怪『風見(かざみ)幽香(ゆうか)』の誕生であった。
ーーー
ーー
ー
「…………紫、あいつは?」
「……消えたわ」
私のその一言に、そう、とだけ呟いた彼女の顔には……一体どんな表情が浮かんでいるのだろうか。後姿を見つめているだけの私からは、想像もつかない。
「……こんなこと、望んでなかった」
「……」
彼女の言葉に、どう答えていいのかわからない。妖怪の賢者とまで謳われた私にも、わからないことはある。
ーーけれど、これだけはわかる。
「あの人は……体が崩れ落ちる最後の最後まで、笑顔だったわ。この意味、あなたにはわかるでしょ?」
「……まぁ、私もあいつと同じ、妖怪になったわけだし。わかるわよ、そのくらい」
腰に手を当て、やれやれとジェスチャーをする彼女……幽香ちゃん。いや、もう、『ちゃん』付けなんて出来ないわね。
「こんなこと、望んでなかった」
全く同じことを口にして、彼女はこちらに振り向いた。……凛とした、けれど涙を流しながら、彼女は叫んだ。
「ーー私は、望んでなかった!!日向が死ぬのも、私が……私だけが生き残るのも!!」
ボロボロと、涙を零しながら、彼女は吠えた。もう届かない想いを、行き場を無くしたその想いを、彼女は私に、いや、この幻想郷に吠えた。
「でも何より許せないのはーー私の、力の無さ!!」
一度一度吠える度に、空気が震える。それが大妖怪となった彼女のーー『風見(かざみ)幽香(ゆうか)』の力。
「私はもう……泣かないわ。あいつの為に、いえ、あいつの分も生きるために!!強くあり続けるっ……!!」
それはなんと、なんと悲痛な叫びなのだろうか。あの時力さえあれば、あの時こんなことをしてなければ……泣かないと言っても、今も尚泣いている彼女の心中は、私にもわからない。
「だけど今は……今だけは、こうして。『人間としての気持ち』で……泣かせてほしいの。ねぇ、日向」
何処かで、微笑を浮かべながらいいよ、だなんて優しく言う彼の姿が思い浮かんだ。
「……紫。胸、少し貸しなさい」
「……ふふ。いいわよーー『幽香ちゃん』」
私の胸に抱きついて、声を出して泣き出したこの子は間違いなく……今は、ただの人間の、あの頃の幽香だった。私は、そんな彼女を抱きしめ、そして呟いた。
「幻想郷は、全てを受け入れますわ。ーーえぇ、それはそれは、とても残酷な話」
ーーようこそ、大妖怪『風見(かざみ)幽香(ゆうか)』。
そして、さようなら……私の友人、大妖怪『日向』。
ーー次回、『向日葵の咲く頃に』最終回!!