東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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三日目、学校、朝

真っ赤に汚れた制服は、ドライヤーと暖房器具の総動員の結果、どうにか事無きを得た。霊夢は、私服登校する必要が無く、安堵していた。

 黒い冬服だったのが幸いだった。これが白基調の夏服だったら、クリーニングに出す事さえ出来ない。受け付けの係が血相変えて、警察か病院に電話を掛けてしまいかねないからだ。

 

「……洗剤って便利よねえ」

 

「いきなりどうしたんですか?」

 

「河童の技術力に感心してたのよ。環境汚染が進むのも分かるわ」

 

 今朝の霊夢は、気まぐれに、普段より何分か早く家を出ていた。深い理由は無いが、ただなんとなく、早く教室に入りたかったらしい。

 見えぬお供を引き連れ、寂しく通学路を行く羽目になるのかと思いきや、家の前には何時もの後輩、リグル・ナイトバグがいた。

 霊夢自身、この後輩を悪く思ってはいない。賢く勘も良く、接していて飽きない相手だ。

 何より、霊夢と彼女は付き合いが長い。霊夢が一人暮らしを始めた頃から――霊夢の母、先代の巫女が病没した頃からの交友となる。かれこれ4年となるか。

 

「……なーんか、まだ信じられない」

 

「霊夢先輩、今日は独り言多いですよ?」

 

 彼女自身、自覚は有るのだ。話を聞いていても右から左、音を情報として捉えずに受け流していると、自分を正しく認識している。 噛み合う答えを返せず、自分の思考を自分で言葉にして、1人で完結してしまっている。

 今もそうだ、自分が置かれた立場にどうしても実感が湧かず、纏まった言葉を作れないでいるのだ。

 無理も無い。1人の人間がトマトの様に潰されているのを目撃したのだから。しかもその人間は生きていて、治療が可能な場所に運びこむまで命を繋いでいた。その元凶はサーヴァントという名前こそついているものの、実際何が何だか分からない幽霊みたいなもので、

 

「あんたさ、私自身が頭おかしいって思う様な話聞いても、私を心配しないでいられる?」

 

「……えーと、何を言ってるかよく分からないんですけど……」

 

「うん、ごめん。私だって良く分からない」

 

 どれもこれも、他人から聞いたのなら、霊夢は信じなかっただろう。にわかに信じられない様な出来事が、自分の身の回りで起こって、日常を侵食している。

 今この瞬間も、背後に霊体化したセイバーがいなければ、あの黒衣のサーヴァントが奇襲を仕掛けて来るかも知れない。

 そうなれば、霊夢はこの後輩諸共、ゴミの様に吹き飛ばされている事だろう。

 

「……何か、有ったんですか?霊夢先輩、今日はやたら空を見上げてますし」

 

「そうかしら……そうかもね。隕石でも降ってきたらどうしようかと思って」

 

「それは……すごく難しい質問ですね。どうしましょう……」

 

「冗談よ、真剣に考えないで」

 

 リグルは首と触角を傾げて、真剣に大気圏を突破してきた岩への対策を練っている。と、ぽんと右手を左手に打ちつけ、素晴らしく明るい笑顔を見せた。

 

「地下に潜りましょう。妖怪の山は地獄洞――」

 

「鬼が済む地獄へ続く洞窟、だっけ。50mくらいで崩落してたわよね、確か」

 

「夢を持ちましょうよー……地下の大空洞なんて夢のある話じゃないですかー」

 

「今は現実主義が流行なのよ、幻想郷でも」

 

 笑顔が萎れ、また思案顔、プラスして不平顔。知恵は有っても、リグルは幻想に生きたい年頃であるらしい。

 ちなみに地獄洞とは、妖怪の山中腹にある、小さな洞窟の事である。地盤は頑丈なのだが、なぜか最奥部(とは言っても高々50m地点)だけ、完膚なきまでに崩落している。生物、植物、鉱物、別段見るべきものもなく、子供の度胸試し程度にしか使われない場所である。

 

「そういえばさぁ、あんたは前に行ってなかったっけ、あそこ。ほら、中学の理科で」

 

「ぁー……言わないでくださいよそれ」

 

 が、世の中には物好きな奴がいる。例えばリグル・ナイトバグの様に、昆虫の生態調査という題材の宿題で、『洞窟にすむ節足動物の生活環境を再現した水槽』なんて物を提出する奴などだ。

 手ごろな洞窟という事で地獄洞を採用したは良いのだが、しかし洞窟にすむ外骨格生物と言えば――蜘蛛やら百足やらザトウムシやら、その他名前も分からないが気持ち悪いという事だけ分かる生き物やら。クラス全体から不評を買い、泣く泣く逃がしに行く羽目になった――と、これで話は終わらない。

 

「うちの教室にまで逃げてきてたわよ、30cm級の百足。椛が椅子で潰して回ってた、すごい真顔で」

 

「私は悪くない、私は悪くない! 因幡に足を引っかけられなかったらあんな事には……! あと犬走先輩はいつも真顔だと思います」

 

 運んで行く最中、階段の目前で、リグルが派手に転倒したのだ。大きな水槽一杯に詰め込まれた、生理的な嫌悪を生む大量の節足動物が、中学校の廊下に撒き散らされたら――思春期まっさかりの女学生たちがどんな悲鳴をあげた事か。結局、犬走椛と博麗霊夢を筆頭とする数名の例外が尽力し、数十の奇怪な生物は駆逐された。

 リグル自身の仁徳――と、敵に回したくない耳の早さとが無ければ、彼女の中学生活はまさしくどん底となった事だろう。今では、本人以外は笑い話にしてしまっている思い出に、霊夢は喉を鳴らす様な笑いを零した。

 

「あんたってさあ……めったなことじゃ死にそうにないわよね」

 

「……? 勿論、私はしぶといですよ。虫の妖怪ですから」

 

 平和である。

 これまでと全く変わらない朝の道のりは、昇降口を潜るまで続いた。

 

 

 

 

 

「あら、早いわね。昨日はありがとう」

 

 教室の扉を開けて、霊夢がまず聞いたのは、馴染みの薄い静かな声。授業の発言以外、彼女は寡黙なのだ。

 

「……なんでピンピンしてんのよ、あんた」

 

 彼女を背負って登山した疲労は、霊夢の体からまだ抜けていないというのに、殺されかけた筈のアリス・マーガトロイドはと言えば、手を振って霊夢を迎える余裕を見せていた。

 

「聞いたわよ、貴女が運んでくれたって。優しいのね」

 

「誰だって半死人を見たらそうするでしょ……じゃ、なくて」

 

「何で元気か、だったっけ。守谷の風祝は優秀ね、目が覚めたら殆ど傷は治ってたわ」

 

 霊夢は思わず溜息を吐く。襲撃を警戒し、疲労と共に歩いた道のりは何だったのか。もう放っておいても勝手に治っていたかも、などと無茶な考えまで浮かんでくる。

 が、浮かんできた感情はそれだけではなかった。

 

「……あんた、何でのこのこ出てきてんのよ?」

 

「平日だもの、学生は学校へ、当然でしょう」

 

「そーいうことじゃないの! 折角あそこなら安全って決まってるんだから……」

 

 拾った命を、何故彼女は無為に危険に晒すのか。霊夢は腹を立てていた。

 昨日の一件で分かった筈だ。彼女の命はサーヴァントの気紛れで、瞬時に潰えるような代物だと。身を守るすべを持たない以上、聖杯戦争の間は、どこにいようと危険だ――それこそ、海の向こうまで逃げてしまわない限りは。

 だが彼女は、一片の怯えを見せる事もなく、教室の定位置で読書に励んでいる。

 

「私の労力を無駄にするつもり?」

 

「貴女には感謝してるわ、お陰で無事に今日も登校で出来てる。……けど、それとこれとは別、おちついて? まずは冷静に観察してみましょう、はい」

 

「……金髪青い目真っ白の肌、見れば見るほどむかつくわね」

 

「お褒めに預かり光栄です。でもそこじゃない、こっち」

 

 両手を広げて立ち上がるアリス。手首を起点とした動作で、すうと手を掲げて見せる。

 

「は? ……ちょっと、あんた……!?」

 

 怪我人が包帯を巻いている、それに霊夢が違和感を覚えなかったのは仕方がない事だ。

 だが、アリスが昨日受けた傷は、胴体にだけ集中している筈。右手、それも指だけにぐるぐると巻き付けられた包帯は……?

 アリスが包帯を解く。血の染みも無ければ、下にガーゼが挟まっている訳ではない。

 

「私もエントリーしたの、これからは宜しく……敵対するつもりはないわ。友人と命を賭けて戦うなんて事、できないものね」

 

 人差し指、中指、親指。三本の指に分かれて一画ずつ、彼女の右手には令呪が存在した。

 

「……なんでよ」

 

「ん?」

 

 3本の指で、鍵盤を叩く真似をするアリス。霊夢は、喉に鉛でもつっかえたかの様な低い声で数歩詰めよった。

 

「なんで助けてやったのに、わざわざまた死にに来る様な事してんのよ!? 早苗の所で引きこもってればいいじゃない、正気!?」

 

「正気も正気よ、だからこうしたの。まさか世の中、全員が律儀にルールを守ると思う? 中立地帯、それは聞いたわ。でも、それを侵犯してペナルティが有る、とも聞かなかったけど」

 

「……っ、そりゃそうだけど……」

 

「引きこもって安全が確保されるのは護衛が有る時だけ。だから私も護衛を雇ったのよ、契約金は食費と寝床の提供くらいで済んだわ」

 

 出来の悪いSPだけど、と、アリスは諦め声で付け足した。

 

「……参加するって、意味は分かってるのよね?」

 

「誤解しないで、さっきも言ったわ。敵対するつもりはない、それでいいでしょう? 私と私のサーヴァントには、最終的に叶えたい望みがないの」

 

「望みがない……? 良く分からないわね」

 

 理に叶っている事だ。確かに早苗は中立で、目の前で誰かが襲われていようと助けはしないだろう。少々目を離している隙に誰かが侵入した所で、それを追い掛けて咎め立てする事もあるまい。

 そもそも、罰する権力がない。面倒事の処理を引き受けた分、安全を確保されているだけだ。本気で自分の身を守るのなら、サーヴァントに対抗するにはサーヴァントしかない。

 だが、望みがないとはどういう事か。偶発的に巻き込まれただけのアリスは、生き延びられれば儲けものと考えるのかも知れない。然しサーヴァントは、何らかの望みを持って聖杯に呼ばれ、この時代に現界するのではないのか。

 

「聖杯が欲しいならあげるわ、協力しましょう。2人掛かりなら、大概の相手はどうにかなる筈。私が生きているまま、この戦争を終わらせられるなら、少々の無理はするわよ」

 

 霊夢には、アリスの真意が分からない。いや、彼女のサーヴァントの真意が分からない。自分の命――既に無い命だが――を賭して戦いに身を投じるには、相応の理由が有る筈なのだ。

 少なくとも、霊夢はそうだ。自分の命と引き換えに求めるのは、自分の世界の平穏、安定。他者に世界を改変されない為、聖杯の願いを無為に消費する為、身を投じた。

 だが、アリスに願いが無いというなら――それが本当なら、と注釈は付くだろうが――結果は同じではないか? 彼女もまた、仮に勝ち残ったところで、聖杯の奇跡を無為に消費するだろう。それは、霊夢にとって望ましい事なのだ。

 

「……アリス、あんたのサーヴァントは? セイバー、そこにいる?」

 

 分からないものは、見て確かめるべきだ。見えないにせよ、そこに居て会話を聞いていたのかは確認しておきたい。霊夢は視線をアリスに向けたまま、背後で霊体化しているセイバーに問う。

 

「この学校のどこかに居るわ、移動してる。探索中なのかしら」

 

「そうなのよ、マスターほっぽらかしてどこ行ってるのかしらあいつ。何か有ったら直ぐ飛んでくるーって言ってたけれど」

 

 少なくともこの場にはいない事が、セイバーの探知とアリスの溜息、二方向から裏付けされる。主の傍らに控えない従者に、アリスは頭を悩ませている様だった。

 

「……いいわ、今はそういう事にしておく。そろそろ皆が登校してくる頃だしね。 放課後、話をしましょうよ。その放蕩サーヴァントの面、拝んでやるわ」

 

 協力して戦う。それが本当に可能なのか、必要なのか、見極めねばならないと霊夢は感じていた。今日は、授業に身が入りそうにない、とも。

 

 

 

 

 

 朝のHRは、連絡事項が無い限りは、短時間で済まされる。あまりに短時間だというのに、枠を多く取ってあるから、暇が余りに余ってしょうがない。

 が、こと2年B組の担任は、その少ない枠をギリギリで使いきる事に定評が有った。話が長いのではない。話が始まるのが、やたらと遅いのだ。つまりは遅刻してくるのだ。

 寅丸 星(とらまる しょう)、この学校の母体である、命蓮寺の血縁者だという。然しながら、僧職関係者にありがちな固さが、彼女には全く無い。勤勉さはあるが、何か欠けている。

 53週、週5日、そこから長期休業を抜いて約200日前後、その9割を遅刻してくるのが彼女だ。理由の7割が車のカギの紛失、2割がガソリン切れ、そして残り1割にアラームのセットミスやら自転車のチェーンが切れたやら。

 

「おっはようございまーす! 私遅刻しませんでしたよー、褒めて褒めて!」

 

 そんな彼女だから、HRの時間丁度に教室に姿を見せると、おーと歓声が上がった。自然とわき上がる拍手を万感溢れる笑顔で受け、勝利者の様に両手を掲げる、ハングリータイガーことクラス担任は、

 

「静粛に! 今日は皆さんに素敵なお知らせが有ります! 遅刻しないで良かったー……」

 

 為政者の演説の様に、両手を教卓に置いてから話し始めた。学級全体が鎮まる様、目で私語に耽る生徒を牽制する。この辺りは、流石に教員である。

 

「なんと今日は、転校生が来ましたー!」

 

 今度の歓声は、「おー!」。先程の拍手より、本心から驚愕している。

 それもその筈、昨日までそんな話はなかったのだ。既に2年次も終わりに近づいた今日この頃、転校してくるとは御苦労な事だと、何人かは怪訝な顔をする。

 

「分からない事が沢山だと思うから、みんな色々教えてあげてね! ……あと、高い所の物とか取ってあげてちょうだい。多分、手が届かないから。さ、それじゃあどうぞー!」

 

 ノリのいい生徒が率先して拍手をし、それにクラスの全体が追随する。拍手の雨の中、教室の戸が開けられ、1人の少女が入ってきた――と、後ろの方で、がたんと何かが崩れる様な音。見れば、アリスが机の上で、額を抱えて蹲り、

 

「ま、魔理沙ああああぁぁ!?」

 

 霊体化して回りに聞こえないのを良い事に、セイバーが声が裏返る程叫んでいた。

 

「おっす、北白河ちゆりだぜ、宜しく!」

 

 学年が4つは下に見えるその少女は、グッと親指を突き立て胸を張る。それを見ている霊夢の目には、彼女のステータス情報が流れ込んで来た。

 

「……うそ、あの子サーヴァント……?」

 

 同級生達との質疑応答は、霊夢の耳に入ってこない。彼女はただ、現世で学生生活を謳歌しようと企むサーヴァントの存在に、あっけに取られていた。


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