東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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七日目――collapse 2.

 紅魔大図書館――古い名を用いるなら『紅魔館』だが――に程近く、今少し森へ踏み入った所に、古風な洋館が佇んでいる。

 もう数十年も、誰も住んでいないが為、壁に絡んだ蔦が窓ガラスを割り、雨風の吹き込む野晒しの館となっている。

 市街地からそう離れている訳でも無いのだが、付近に舗装道路が無く、また観光・歴史的な逸話の一つも無い為、訪れるのは地元の若者、せいぜいが酒の席の勢いで「肝試しに行こう」となった連中ばかり。

 だが、そういう連中が、二度、この館を訪れる事は無い。

 何が起こるとも無いが、背骨の奥から本能が叫ぶのだ。此処に居てはいけない、去れ、と。

 何故ならばこの館は、遥か『幻想の幻想』の頃から、人知れず其処に有り、人知れず霊体を飼い続ける館であるからだ。

 元は幾つかの騒霊が住むばかりであった。だが、その主達が館を去った後、空撃を埋めるように居場所の無い浮遊霊などが、一つ、また一つ――やがては不可視の霊体に、館の部屋も廊下も埋め尽くされる事となった。あまりに高密度の霊環境故に、霊能力を持たない者でさえ、本能的な恐れを抱く程である。

 リグル・ナイトバグが、『蟲の報らせ』を頼りに向かったのが、この館であった。

 

「アサシン、行って」

 

「……念の為に聞くけど、狙うのはマスターか、サーヴァントか、どちら?」

 

「二度言わせないで」

 

 背後に控える従者と、既に館攻めの手は定めてあった。

 先にはリリカ・妖夢の主従に打ち勝った必勝策――アサシンがサーヴァントの注意を引き、リグルが『蟲』を用いてマスターを仕留める。

 もし、リグル自身が魔術師であり、魔術を以て敵マスターを討たんとしたなら、敵とて対策を取るだろうが――住居に入り込む蟲の全てに、いちいち対策など施せるものか。ましてやその蟲は、毒性こそは強いが、魔術的な補助など何も受けていない――つまり、魔術的な探知網にはただの虫としか映らぬ、盲点の如き種であるのだ。

 

「さあ……行きなさい、私のしもべ達。居るのは二人、どちらかがマスターだから――両方とも殺して」

 

 アサシンが夜闇に溶けて消える様を見届けてから、コートの裏に潜ませた蟲を夜空に解き放ち、下す命令は非常の言。リリカ・プリズムリバーのように、生き延びる術を与えるつもりはなかった。

 リリカには、生きていてもらう必要が有ったのだ。

 生きて、アリス・マーガトロイドと接触し、彼女と手を組んでもらう必要が。

 遠距離戦に長けた霧雨魔理沙に、恐らくは今聖杯戦争で近接戦闘最強を誇る魂魄妖夢。この二騎が一つの陣営に揃えば――

 

 ――これで、霊夢先輩は私だけの味方。

 

 博麗霊夢は、警戒を強めるだろう。これまで同盟者であったアリス・マーガトロイドへも、いざ決戦となる日に備えるだろう。

 だが、自分だけは――リグルは、そう信じていた。

 自分は〝特別〟なのだ、と。博麗霊夢に、幻想郷の秩序たる博麗の巫女に選ばれた、彼女の唯一の味方だと――

 そう、唯一。

 リグル・ナイトバグはもう知っている――霊夢が従えるサーヴァント、セイバーの真名を。姉を、家族を、殺し尽くして自らも死んだ、狂気の具現の吸血鬼こそ、霊夢の従者である事を。

 そんなものに信はおけない、やがては裏切りを選ぶに違いない。今は正常に見えていても、内に秘めた狂気が、破滅を選ぶに違いない――

 アリス・マーガトロイドとて、聖杯戦争に参加している以上、己の望みを最後は優先するだろう。やがて敵になると分かっている同盟者に過ぎない。

 

 ――けれども私は、私だけは裏切らない。

 

 自分だけが最後まで、博麗霊夢の隣に立ち、聖杯戦争を勝ち残る――博麗霊夢が願いを叶える様を、隣に立ち見届ける自分の姿を夢想しながら、リグル・ナイトバグは戦場に立っていた。

 愛しき秩序の為に敵を排除し、その首を土産と持ち帰り――褒美はたった一言の褒め言葉と笑顔で良い。後は自分だけの〝特権〟を持ち続けられれば良い。リグルの願いは、聖杯に掛けるものではなく、たった一人の絶対者に委ねられるものであった

 

 然し、気付いているのだろうか?

 その願いには、あまりに妨げが多すぎるのだ、と。

 一つには自らのサーヴァント、アサシン。彼女もまた、なんらかの望みを以て現世に呼び出された者である。自らの主が、聖杯を求めぬのだと知れば、彼女の牙がリグルに向かぬ保証は無い。

 そして、数え上げればきりが無いが、この夜に限っては、また一つ。

 

 敵を見誤った事――戦に於いて、致命の傷であった。

 

「――不精者よのぅ、家来を働かせて自らは動かぬか」

 

「!?」

 

 その声は、いつの間にか、リグルの背後に立っていた。

 振り向きながら距離を開けるリグルを、声の主は無理に追わず、ただ両腕を組み、小さな体で踏ん反り返り、堂々と立っているばかりである。

 

「全く、我らの主を見習うが良い! 太子様は素晴らしいお方であったぞ、率先して学び率先して政治を司る、理知と才気に満ち満ちた偉大なお人であった! お主も見習って修行に励むが良い、我が監督をしてやろう!」

 

「……バーサーカーのマスターですか……!」

 

 声の主は、時代錯誤の狩衣姿――物部布都であった。

 驚愕で彩られたリグルの声に、布都は、痛快極まりないという顔で高笑いをして見せて、

 

「うん? バーサーカーか、うむうむ、あの黒鎧の鬼は確かにいかれておるな。対してお主の駒はキャスターか、アサシンか、いずれにせよ我の駒が勝ろうな。我も鬼ではない、今ならば我に跪く事で投降を赦そうぞ!」

 

 この場にはおらぬサーヴァント二騎の戦いを、見ぬままに推量する布都。その頃にはリグルも、サーヴァントとの魔力パスの変調により、アサシンが黒鎧の狂霊と交戦を開始した事に気付く。

 リグルとて、言われずともアサシンでは、他のサーヴァントを長く食い止められない事は分かっているが――

 そう長い時間は必要無い。蟲の一刺しを与え、後は離脱すれば良いだけだ。幸いにしてアサシンの宝具は直接的な攻撃力は無いにせよ、離脱・奇襲に適したものである。

 

「投降など……するもんかっ!」

 

 ならば――この敵が、勝ち誇ったように喋り続けている今。リグルは、第二陣の蟲を、コート裏から解き放った。

 倍に膨らませた蜂のような姿の蟲が、五匹、布都の腕なり脚なりを狙い、ぶぅんと羽音を鳴らして飛び――

 

 ぼうっ。

 

 と、燃え上がって、五匹ともが地に落ちた。

 虚空より生じた炎が、蟲を焼き殺したのだ。

 種火は無い。物部布都が、術を用いたのである。

 

「っ!」

 

「我に戦いを挑む気概や良し、と褒めてはおくが、相手が悪いぞ。なにせ我の得手は炎の術だからの――それっ!」

 

 咄嗟にリグルは、更なる蟲を――コートからも、スカートの裾からも、呼び出し、布都目掛けてけしかける。

 そのいずれもが、届かない。

 或いは手に触れた瞬間燃え落ちて、指先に触れられて燃え上がる。意識の外から背を狙った一匹さえ、針が狩衣に届く前に、その身が塵となって崩れ落ちる。

 

「無益、無益」

 

 布都は、自ら攻撃に転ずる事こそ無かったが、リグルが放つ蟲の全ては、布都の体に触れる寸前、瞬間的に消し炭と変えられていた。

 結界術にも似た自動反応の術式――それに炎の属性魔術を組み合わせた、対生物用の発火防壁である。物理的な障壁とはならぬが、蟲にとって、相性の悪過ぎる術であった。

 

「くっ……こ、このっ!」

 

 無論、リグルとて、万が一を想定してはいる。

 万が一、蟲を扱えぬ状況で、敵のマスターと遭遇した時――その為にリグルは、此処までの道中、アサシンの行為を咎めずに居たのだ。

 懐中より取り出したは、警官に支給されている拳銃であった。

 アサシンが喰らった婦警の死体から抜き取った銃は、弾丸も十分に装填され、安全装置も解除されている。引き金一つで発砲が可能である。

 そして、その銃口は、布都の腹に向けられていた。額や心臓よりよほど大きな、当て易い的である。

 

「ほう、銃器。幼子の手には余らんか? 弓にしておけ、修練が伴わずに扱う武器は恐ろしいぞ」

 

 だが、銃口にも布都はまるで怯まず、リグルを憂うような言葉を掛けながら、やはり腕組みのままで仁王立ちをしている。

 その態度に寧ろ、リグルが怯んだ。

 銃を知らぬ訳でないのは、その物言いから明らかだが――銃弾が肉体を抉れば、傷付き、死ぬ事もあるだろう。未知の激痛と死の恐怖に、この少女は何故怯えもせぬのか。震える手を叱咤し、引き金に指を置いた時、

 

「う――撃ちますよ! 嫌ならサーヴァントを自害させて――あつ、っ!?」

 

 リグルの腕が、反射的に畳まれ銃口が空を向く――と同時に、リグルの手の中から、拳銃をむしり取る、また別な手。

 布都と同じように、音も気配も無くリグルの後ろに、霊体の女性、蘇我屠自古が浮遊していたのである。

 屠自古の霊体は、軽微な電流を帯電していた。それが銃身から伝わり、リグルの腕を痺れさせたのだ。

 

「最近の戦争というのは、のんびりしたものだなぁ、布都」

 

「全くだのう、蘇我。我らの頃の戦争と来たら、焼き討ち、夜襲、一族郎等皆殺し、帝の前だろうが不意打ち上等、大概の事はしたものであったが」

 

「……そこまでするのもお前くらいのものかも知れんがな」

 

 溜息を零しながら、屠自古は銃口を己のこめかみに当て、躊躇無く引き金を引いた。

 六度、銃声が鳴った。然し屠自古の霊体は、神秘を帯びぬ拳銃弾では、擦り傷一つ追う事も無い。銃弾は霊体を貫通してあらぬ方角へ飛び、屠自古は音の喧しさに右目を細めるばかりであった。

 

「そ……そんなっ」

 

 情けなくも裏返った声を上げ、敵陣営の二人から距離を取るリグル。

 眼前に示されたは、理解の及ばぬ光景――というより、リグルの想定に無い光景であった。

 こんな筈は無い――

 博麗霊夢に唯一選ばれた特別な自分は、〝上手く行くようになっている筈〟なのに、こんな筈は――

 蟲も、銃も通じず、当然のようにサーヴァントも――

 

「――マスターっ!!」

 

 想定が狂った困惑の中、突如広がった闇が大蛇のように、リグルの体を飲み込んだ。

 リグルは、自らを呼ぶアサシンの声を聞いたが、その音も、リグルの声や、その他全ての雑多な音も、闇の胎に呑まれると、その外へ漏れ溢れる事は無くなった。

 光ばかりか音も臭いも、魔力の気配さえ通さぬ、真の無明であった。

 そして、闇が次に縮小に転じた時、既にリグルの姿は無く、残されたのは数十の、焼け焦げた蟲の亡骸ばかりであった。

 

「――はれ? あの虫妖怪はいずこぞ?」

 

「逃げられたんだろ……こいつが追ってきたからな」

 

 突如姿をくらました敵を探すように、布都がぐりぐりと首を回す。

 布都と屠自古の立つ傍には、闇の消失に僅かに遅れ、黒鎧の狂霊が実体化し、眼光どす黒く獲物を探していた。

 だが――マスター二人ばかりか、このサーヴァントの感覚器官さえ、リグルとアサシンを捉える事は無い。

 

「……んー、逃げ足の速い。追うか、屠自古」

 

「行き先も分からんのにか? 無理だろう、どう考えても」

 

「確かに。まぁ、あの調子なら次の交戦でも苦戦はするまい、備えるまでも無い相手よ」

 

「同感だな、ならば――」

 

 しばらくぐりんぐりんと回していた首をようやく止めて、布都が屠自古に問うと、屠自古は一度だけ首を横に振って応じた。 

 さして残念そうな様子も無く、敵を侮るような言葉を〝大声で〟吐く布都に、屠自古もまた同意を示し、

 

「寝るか?」

 

「うむ! 明日も早起きするぞ!」

 

 二人は連れ立って、背後に狂霊を伴い、廃洋館へと戻って行く。

 その何れもが無傷――魔力の消費さえ、これが聖杯戦争の一環であるとの前提に立てば、至極軽微なものであった。

 

 

 

 

 

 

 制御出来ぬ狂犬を用いて、確実に敵を殺傷する術は有るか。

 種々の思惑は有るだろうが、彼女達に言わせるのならば、〝それは有る〟。

 

 苛立たせ、腹を減らさせ、敵の前に解き放てばそれで良いと、彼女達は言う。さすれば狂犬は敵に牙を突き立て、収まらぬ怒りの限りに敵を喰い殺すだろうと。

 彼女達は、そういう事をするのに迷いが無い。だがそれは、根が悪辣であるからではないのだ。

 仮に自らに与えられた駒が、誉れ高き騎士であったのならば、彼女達は堂々と名乗りを上げ、敵の正面に立つ事も厭わぬだろう。

 

 つまり、道具を適切に用いる術を知っている。

 

 人を殺す道具には、様々な形がある。

 槍や剣のように、返る手応えを味わい殺す武器。

 銃撃や投石機のような、離れた場所から目視して敵を殺す武器。

 果ては、敵の姿を影さえ見る事なく、千里の果てから殺す武器まで――

 人は、あらゆる生物の中で、最も多様な手段で人間を殺す。悪意とはもはや、人間の文化の一つであるのだ。

 人が文化を作るように、文化は人を作る。

 〝悪意の文化〟たる武器を持つと、人は奇妙な事に、自らの中にも悪意を宿す事がある。誰かを殺す為に武器を持った筈が、武器を持つ事で、人を殺したくなるという――根と枝の逆転が起こるのだ。

 それは、聖杯戦争の参加者達ですら、例外ではない。

 

 博麗霊夢は、万物を破壊する剣を得た。万物の裁定者たらんとする彼女は、或いは力に囚われているのではないか。

 アリス・マーガトロイドは、万象に通ずる星に触れた。万象を知らんとする彼女は、過たずサーヴァントという神秘の力に魅せられている。

 古明地さとりは、幸福な過去に辿り着く術を得て、数多の人妖へ毒爪を振るった。

 犬走椛は善良な本質を曲げてさえ、従属者の一面に踏み止まり、友と認めた少女に牙を剥いた。

 悪意の文化の産物は、多かれ少なかれ人を狂わせる毒である。

 

 だが――その毒を浴びる程にも飲んで、尚、己を保つ者が居る。

 慣れているのだ。

 悪意は毒であるが、毒であるからには耐性が備わる日も来よう。

 彼女達はとうの昔に、並ならぬ悪意の渦を泳ぎ、伏魔殿に過ごした者である。

 力の毒など恐れない――過去に既に喰らい飽きた。かつて持っていたものを、今更何を恐れるべきや。

 こと、悪意という毒への耐性を言うならば、

 物部布都――

 蘇我屠自古――

 この両名に勝る者は、聖杯戦争に存在しなかった。

 

 

 

 廃洋館より数百メートルを隔てた森の一角。

 獣の行き交う道であるのか、少しばかり雪が踏み潰されており、下の黒い土が見えているそこに、夜をぽっかりとくり抜いたような闇があった。

 

「かっ――、ぁ、ああくそ、死ぬかと思った! 死んでるけどもう一回死ぬかと思った!」

 

 闇は、己の苦痛を口から逃すかのように吠えたが、その声は夜天を震わせたりはしない。

 彼女自身が生む暗闇に、音が吸収されているのだ。

 光も音も臭いも、おおよそ一切の情報と呼べるものを通さぬ真の無明――それこそがこのアサシンの、最強の武器だった。

 だが――まるで通じぬ敵がいたのである。

 

「あの鎧、ずるい、ずるすぎるっ! 砕いても砕いても修復するし、動きは私より速いし――ああ、もうっ!」

 

 血に塗れ、普段のどこか達観したようなそぶりは影を潜め、体格に見合う子供じみた愚痴が溢れているが――無理も無かろう。

 彼女が敵に回したのは、あの黒い鎧の狂霊。セイバー:フランドール・スカーレットの筋力を持ってしても破壊し切れず、そして速度は吸血鬼である彼女をさえ上回る大怪物である。まして戦場は、その主の工房(ほんきょち)だ。供給される魔力量さえ天と地の差であり、むしろアサシンが生きて逃れられたことが奇跡であった。

 

「どうするの、マスター。私は所詮は暗殺者(アサシン)、忍び寄るまではできるけどそれ以上はどうにもならない。狙う相手を間違えたんじゃ――」

 

 勝ち目の無い戦であると、アサシンはリグルへ進言する。必勝策であった、マスターがマスターを狙う戦術が失敗に終わった以上、今は退く他に道は無いのではないか、と。

 だが――常ならば〝その通りである〟と受け入れられただろう言葉も、今ばかりは虚しく響くばかりであった。

 

「そんなはず、そんなはずない、だって――」

 

「……マスター。君、どうかしたの?」

 

 リグルは己の体を抱きしめ身震いしながら、うつろな目のままに同じ言葉を繰り返していた。

 恐怖で狂ったか――一瞬、アサシンはそれを懸念したが、そうではない。

 彼女は現状を信じられずにいた。

 

「だって、私は、私だけが! 私だけが、絶対に上手く行くはずなのに、なんで――!」

 

 〝幻想郷の秩序たる博麗の巫女に特別扱いされた〟自分が、どうして上手く行かないのか、それが理解できずにいたのだ。

 そしてまた、上手くいかないことの憤りは焦りへと変ずる。

 

「殺さなきゃ、いけないのに……っ!!」

 

 唇の端から血がにじむほど歯嚙みする主を前にして、アサシンは溜息を零す以外の何もできなかった。

 〝前〟のアサシンは、毒と病そのものだった。しかし、こと己の主についてのみ言うならば、博麗 霊夢のもたらした毒の方が、何百倍も有効的であったらしい。

 だがアサシンは何も言わない。〝昔から〟そういうところはあったなと、遠い過去を思い出して苦笑するばかりだ。子供じみた独占欲、小さな群れへの執着心、そして虫の女王としてのプライド――自分は優先されるべき存在だという、先天性の特権意識。これで力さえあれば吸血鬼にも並び立てるのだろうが、悲しいかな、彼女は虫だ。それこそ月夜の異変においては、前座として一蹴される程度の存在感しかないちっぽけな妖怪だ――

 が、それを言うならば〝自分もそうだ〟と、アサシンは自らを省みる。

 そもそも自分は〝前〟のアサシンと同じ、〝何とも良く分からないもの〟であるからこそ、英霊として呼ばれた存在である。逆に己の存在が、後世に真実のままで伝えられていたなら、〝あの女(にせのせいはい)〟に呼ばれることも無かったのだろう。

 本来なら勝ち目の無い戦いだ。案外に聡いこの暗殺者は、冷静に戦況を認識していて――その上で、勝ち抜くことを諦めていない。

 だから、戦いの方針に助言はすれど、主の恋路に口出しをできないのだ。自分を必要とし、自分と共に聖杯戦争を勝ち抜こうと考えているのは、現状ではこのリグル・ナイトバグのみ。彼女との関係性を崩すことは、百万が一――令呪で自らの心臓を抉る羽目にならないとも限らないのだから。

 

「友情は恋愛に勝てないのね、結局」

 

 拗ねたようにアサシンは呟いて、足元の石ころを蹴った。

 その時、リグルはようやく震えを収め、両の足でしっかと立った。彼女の目に何らかの決意が浮いているのを見て取ったアサシンは、さてこの若い主人が何を言い出すのかと、彼女の隣に立って耳を寄せた。

 

「アサシン。宝具を展開して」

 

 とリグルは良い、アサシンはほんの一瞬、返答が遅れる。

 

「……宝具ぅ? 君、私の宝具がどんなものか分かってるわよね? さっきから散々使いまくってるっての」

 

「分かってる。……それを最大限に解放して、全力で」

 

 この時アサシンは、諌めの言葉を脳内の辞書から探し、そして直ぐに諦めた。

 なんと言ってもアサシンは、自分の脳みその作りが、主人と大差無いか些か弱いくらいだと認識していたからである。

 己の宝具は、無能ではないが、今この時に用いるには不向きである。しかしリグル・ナイトバグなら、それも〝この時代に生まれてこの時代の常識の元に育った〟彼女なら、もしかして自分にも思いつかない戦術を見出しているかも知れない。

 

「分かった……範囲は?」

 

「300mくらい、できる?」

 

「その3倍でもできるよ、オーケー――」

 

 ――アサシンの体が〝溶けた〟。

 液状化ではない。例えるなら昇華――固体であったはずのアサシンの体が、黒い霧のように、大気に霧散していくのである。

 たちまちアサシンの姿は、夜の闇と合一化した。

 そして――その闇が、夜の中で一際暗く、まるで一切の情報――全ての振動を断ち切るように、黒塗りの球体として顕現する。

 丸い闇は急激に拡大。廃洋館とその敷地を、光も音も通さぬ世界へ塗り替えて行く。

 

『――〝始原の符(ナイトバード)〟』

 

 正しく歴史に残された内では最も古い〝スペルカード〟が、今再び、幻想郷に蘇った。

 

 

 

 ルーミア――何とも分からぬ妖怪である。

 闇を操ることは伝わっている。人を喰う妖怪であるらしいとも伝わっている。だがそれ以上の何かを語り継ぎ、彼女の実像を浮き彫りにする資料など、現代には何もない。

 にも関わらず彼女の名前は、ある種の歴史を追い求めるものには、〝博麗の巫女〟や〝最後の魔法使い / 最初の魔術師〟と並び重要な意味を持つ。

 〝確認されている最古のスペルカード使用者〟として、だ。

 尤もこの称号は、半ばほどまで正解だが、半分は間違えている――召喚されたルーミア自身が、そのことを良く分かっている。

 

 ――あの白黒、適当に書き残してくれて。

 

 異変を引き起こし解決するに当たって〝スペルカードルール〟が採択され、そして初めての異変が発生した時、最初にルーミアが用いたのは月符「ムーンライトレイ」であった。この聖杯戦争で用いるならば『〝月影に閉ざされし揺籠(ムーンライトレイ)』としてAランク相当、〝闇の中より放つ無数の光条が敵の動きを制限し、そして魔弾が敵を貫く〟極めて攻撃的な対人宝具となるはずであった。

 『始原の符(ナイトバード)』は〝常時展開型の対界宝具〟である。

 効果範囲に存在する〝情報の流れ〟――光や音と言った振動や、大気に乗る臭いの粒子など、生物が外敵を警戒する為のありとあらゆる情報を、自分以外が受け取れないようにする。

 ルーミアという妖怪の強度に比べて、この宝具が極めて強力であるのは、魔術師の始祖たる霧雨 魔理沙が残した書籍を元に、〝ナイトバードこそ最初のスペルカードである〟という誤った認識が広がっているからなのであるが――

 

 ――こんなもの、サーヴァント相手には気休めじゃないのよ。

 

 この聖杯戦争においては、些か世界のルールが異なる。

 サーヴァントが魔力で編まれた霊体である以上、何らかの行動を起こす際には、必ずや魔力の変動が起こる。そして『始原の符(ナイトバード)』は、魔力に対する認識阻害の効力を持たない。

 無論、アサシンであるルーミアには、クラススキルの『気配遮断:A+』がある。ただ息を殺して潜むならば、宝具と合わせ、決して察知されることはないだろう。だが攻撃に移ろうとした瞬間、彼女の存在はたちまちに察知される。

 では、この宝具はどう用いれば良いのか――無論、直接対決の折に発動するのである。

 いかに英霊とて、戦いにおいては自分の耳目をセンサーとして用いる。その大半を奪い取った上で、『怪力:B』を用いて近接戦闘を挑むのなら、わずかに勝機はあるだろう――聖杯戦争におけるルーミアとは、その程度のサーヴァントであった。

 

 だが、この戦いのシステムにおいては、宝具所持者であるルーミアだからこそ思いつかなかった運用法が存在する。

 リグル・ナイトバグは、その単純明快な運用法を用いて、再び戦いを挑もうとしているのである。

 

「五歩、そのまま歩いて」

 

「いち、にい、さん、しい、ご――ここで良い?」

 

「そこから半歩だけ前に出て、直角に右」

 

 光も音も臭いも、空気の温度さえ察知できぬ世界を、リグル・ナイトバグは歩いていた。

 声は出しているが、自分の声も聞こえない。帰って来るルーミアの言葉は、空気振動の産物である声ではなく、脳内に直接届く念話である。

 真なる無明を、己の従者のみを頼りにして、虫の女王は歩いて行く。

 

 ――アサシンには攻撃させない。私が、やる。

 

 アサシンは攻撃に移った瞬間、気配遮断の効果が無くなる。ならばアサシンには、自分を標的の元まで移動させるだけで良い。

 後は自分が、サーヴァントでもなんでもない自分が、神秘のかけらもない刃物を用いて、敵マスターの心臓を貫けば良い。

 既に虫を用いての諜報で、敵陣営の二人――物部布都、蘇我屠自古、どちらがマスターであるのかは知っている。霊体の屠自古であれば厄介だったが、幸いにも物理的接触を無効化しない布都の方だ。

 殺して、アサシンの宝具に紛れて逃げる。リグルの策というのは、それであった。

 音としては聞こえぬが、胸の奥で鼓動が早鐘となっているのを、リグルはひしひしと感じている。

 自分はこれから、誰かを殺そうとしている。

 別にその決意だけならば、何日も前に決めていた。放置すれば死ぬと分かって、リリカ・プリズムリバーに毒虫を放ちもしたし、つい数十分前の襲撃も、確実に殺すつもりで行っていた。

 だが――自分の手に刃を握り、返り血を浴びる距離で殺すなぞ、数十分で仕立て上げた急拵えの覚悟である。

 膝が震え、歯がカチカチと鳴る。にも関わらずリグルの顔に、誰にも見えぬ闇の中に浮かぶ表情は、涙交じりの笑みであった。

 自分は役に立つ。

 自分は、役に立てる。

 それだけを無上の喜びとした、歪んだ笑みであった。

 

 ――しかしながら、痛ましくも。

 彼女はあまりに戦いに慣れておらず、敵はこの戦いを〝戦争〟と認識している。そしてここは、敵の工房(ほんきょち)の中であった。

 

 カチっ

 

「――え?」

 

 その音をリグルは、耳で聞いた訳ではなかった。靴裏から伝わった感触に、擬音を割り当てるならこれだろうと、脳が自動補完しただけのことである。

 だが、それに続く痛みはこれ以上も無いほど明確に、リグル・ナイトバグの右脚を喰らい潰した。

 小爆発。

 発火の符を絨毯下に埋めた、魔術的に作られた地雷であった。

 始め、薄く感じた痛みに、リグルは足をさすろうとした。

 痛みがあるはずの場所に、脚が無かった。彼女の右脚は、太腿の半ばから炎に喰われ、骨まで炭化して崩れていたのである。

 

「あ――ぁ、ああああああああぁぁあぁっ!?」

 

 痛みは幻肢痛でしかなかった。

 切断面が見えなかったのは、リグルにとってはむしろ幸いであった――高熱に切断面が焼かれ、止血を施したも同様の状況になった、それも幸いであっただろう。

 だが代償に彼女は片脚を、平時には校庭のトラックを駆け回り、非常時には己の命を救う為に駆け回る脚を失ったのである。

 

「マ、マスターっ!!」

 

「あ、ああ、脚、いっ――い、ぎぃい、いいいいいいぃっ……!」

 

 立つことなどままならない。苦しみ、呻き、床をのたうち回る。

 すると、今度は数メートル離れた壁のどこかでまた――

 

 カチッ

 

 ――今度はルーミアが、確かにその音を聴いた。

 

「くっ――、罠かっ!」

 

 実体化したルーミアが、両腕を広げてリグルの前に立ち塞がった次の瞬間、ルーミアの全身に、細かい陶器片が大量に、暴風の如く叩きつけられた。

 その陶器片は、僅かにだが魔力を帯びていたが、サーヴァントに対して用いるなら、せいぜい砂埃程度の威力である――が、リグルがこれを受けたなら、身体から無数の肉片を削ぎ落とされ、まず確実に死んでいたことだろう。

 

 カチッ

 カチッ

 カチッ

 

 廃洋館の至るところで音が鳴る。アサシン主従はこの時初めて、ここは敵のねぐらではなく、愚か者を誘い込み喰らう獣の口なのだと知った。

 知った時には数十の魔術的トラップが、連鎖的に発動していた。

 電子機器を狂わせ、金属武器同士に磁力を帯びさせて取り回しを阻害する雷霆。

 鏃に魔力を纏い霊体さえも打ち抜く矢雨。

 廊下全体を覆うほどの浄炎が、縦横無尽に廃洋館を駆け巡り、住み着いた古い霊達が悲鳴を上げる。

 窓ガラスがナイフと化し、シャンデリアがギロチンと化す。絨毯下、タイルの塗料は可燃性の塗料と変わり、瞬く間に空間から酸素を喰らい尽くす。

 

「だ――駄目、逃げるわよっ!」

 

 アサシンの決断は、彼女が弱者である故に早かった。

 この攻勢に晒されていてはマスターを守り抜けないと悟った彼女は、リグルを胸へ抱え込むや、最短距離――壁を貫いて、地獄の如き魔術工房から外へ出た。相当な強度の結界が張られていたが、サーヴァントが決死の覚悟でぶち当り、それでも破れぬほどの強度は有していなかったと見える。

 だが――脱出されることなぞ当然であると、この工房の主人は予見していた。

 

「■■■■■■■■■■■―――!!!」

 

 夜天に咆哮が轟く。霊体化し主人の傍に控えていた鎧の狂霊が、解き放たれたのである。

 暴威の具現たる狂霊はルーミアの気配を――リグルをトラップから守る為、臨戦態勢となってしまったが故に発された気配を追い、恐るべき速度で空を飛ぶ。

 

「ちぃっ――!」

 

 ルーミアは、戦う意思を見せなかった。

 勝ち目が無いからだ。

 現時点で、あらゆる奇跡と幸運が自分に味方しようと、それを覆してあまりある戦力差が、現状の二者には存在する。

 できることはただひたすらに逃げ、何処かの闇へ姿を隠し、気配を断って嵐が収まるのを待つだけ。

 

 ――だが、逃げ切れるか?

 

 己に問えば明確に分かる。

 速度が違いすぎる、やがては追いつかれる。逃げ続けることは不可能である、と。

 どうする。

 片脚を焼き落とされた主人を抱えて、相手を傷つけられる宝具も持たず、自分はどうやってこの場を切り抜ける――!?

 

「……!」

 

 その時、ルーミアに舞い降りた天啓は、長期的に見れば自分達を不利に導くものであると分かっていた。

 それでも、この場で負けて死ぬよりはマシだと、ルーミアは考えた。

 彼女は、空を駆け上がりながら、残る魔力で宝具『始原の符(ナイトバード)』を全力展開する。それこそ、サーヴァントに一度完全に視認された後では気休めに過ぎないが――僅かな時間は稼げる。

 街の空を飛び、ある一点でルーミアは、急速に下降した。狂霊もまたそれを追い、下降に転じようとして――

 

「■■■■■■■■■■■■■■■―――……」

 

 理性無き獣が、躊躇った。

 ルーミアが主人を抱えて逃げ込んだのは、白玉楼であった。

 かつて鎧の狂霊が魂魄妖夢に撃退された、守備に徹する限り無敵の対霊城塞。獣の本能が、そこへ近付くことを良しとしなかったのである。

 

「はは、やった……やったわ、やってやった! ざまぁ見なさい、弾幕ごっこはブレインなのよ!」

 

 追って来た時とほぼ同速度、疲労をまるで感じさせぬままに狂霊が撤退して行く――それをルーミアは見届けて、白玉楼の門前に座り込み、高らかに笑った。それから、どっと身にこみ上げて来る疲労感に、石畳の上で仰向けになり――

 

「その台詞、どっかで聞いたことあるな。真似するなら私の方にしとくべきだぜ」

 

「真似――〝弾幕はパワーだぜ〟だったかしら」

 

「同意しかねますね、弾幕も剣も心技体の合一こそ要でしょう」

 

 ――三つ、聞き慣れたとは言わないが、懐かしい声。

 

「出迎え大義でありますこと……ちょっと、ウチのマスター助けてくれない……?」

 

 ルーミアは仰向けになったまま、両手を持ち上げて無抵抗の意思を示した。

 セイバー:フランドール・スカーレット。

 アーチャー:霧雨魔理沙。

 ウォーリア(イレギュラークラス):魂魄妖夢。

 三者三様に得物を携え、寸泊の内に侵入者を破壊出来るよう、万全の体制で構えていた。

 そしてまた彼女達の後方には、博麗霊夢が能面の如き無表情で立ち、またその隣にアリス・マーガトロイドが、事態の奇妙を心から楽しみ、破顔していた。




【ステータス情報が更新されました】

【クラス】真・アサシン
【真名】ルーミア
【マスター】リグル・ナイトバグ
【属性】中立・悪
【身長】148cm
【体重】43kg

【パラメータ】
 筋力C  耐久D  敏捷A
 魔力D  幸運E  宝具B

【クラス別能力】
 気配遮断:A+
 サーヴァントとしての気配を遮断する。完全に気配を絶てば発見することは不可能になる。
 ただし、自ら攻撃を仕掛けると気配遮断のランクが低下する。

【保有スキル】
 単独行動:A
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 宝具の使用にはバックアップが必要だが、マスター不在でも活動可能。

 怪力:B
 一時的に筋力を増幅させる、魔物・魔獣が保有する能力。使用中は筋力をワンランク上昇させる。

 人喰い:B
 人間を主食にする怪物としての有り様。
 魂や血ばかりでなく、肉そのものを喰らう事によっても魔力を回復可能。
 Bランクならば、人間1人の肉体から、1日単独行動するだけの魔力を得る。

【宝具】
『始原の符(ナイトバード)』:ランクB 対界宝具
 幻想郷の〝公式の記録に残る〟最古のスペルカード。
 このスペルカードの実態は極めて単純であり、さして強力でも無いものであった。だが、〝最古〟という称号、所持者であるルーミアの実態が知られていないこと、彼女の力もまた〝闇を操る程度の能力〟と本質が掴みづらいものであった為、『無辜の怪物』スキルに近い形で現状の力を得た。(余談ではあるが、ルーミアが現界する際に霊基を喰らった黒谷ヤマメも、後世の伝承で在り方が変貌した宝具を持つ者である)。

 その力は、〝情報の遮断〟。
 〝完全な〟な暗闇を展開し、効果範囲内に存在するルーミア以外の対象へ、光、音、臭い、温度――その他、あらゆる情報を奪い取る宝具である。
 いかなる生物であれ、外界の情報を全く取り込まずに活動するなど不可能であろう――となれば、ルーミアの宝具は全ての生物に対して有効である。

 しかしながら、魔力の遮断には至らない。これは『始原の符ナイトバード』が物理的に影響する宝具であり、魔術的・精神世界的な存在に分類される魔力の遮断には至らない為。
 故にこの宝具は、対サーヴァント戦においては〝半透明の目隠し〟のようなものである。しかして魔術的素養を持たない生物に対しては、絶対的な優位性の約束ともなる。

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